2017年9月15日金曜日

記事紹介|絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のこと

小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトリーダーの川口氏が自らの失敗経験を語られている中で、切羽詰まるような状況下でのチャレンジの大切さを説かれています。

「それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがある。不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるのです。」

何でも安全にコントロールできる状態の中で物事を考えていては、新しいものは生まれてこない。

米女優のイルカ・チェース氏も『絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。』と語っているように。

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2017年9月12日火曜日

記事紹介|叱る、叱られるということ

人はだれでも、厳しく叱られたり、注意を受けたりするということは、あまり気持ちのよいものではありません。

当然叱られるだけの理由があった場合でも、上司に呼びつけられて叱られるというようなことがあれば、その日一日中、なんとなくわだかまってすっきりしない。それがいわば人情で、叱られるより叱られないほうを好むのは、人間だれしもの思いでしょう。

それは叱るほうにしても同じです。部下を叱ったあとの、あのなんともやりきれない気持ちは、管理職の人であれば、たいてい経験していると思います。

しかし、人情としてはそうだからといって、その叱られたくない、叱りたくないという人情がからみあって、当然叱り、叱られなければならないことでも、うやむやのうちに過ごされてしまったならば、どういうことになるでしょうか。一度でもそのような考えで物事が処理されると、あとのけじめがまったくつかなくなってきます。仕事や職場に対する厳しさというものが失われ、ものの見方、考え方が甘くなり、知らず識らずのうちに人間の弱い面だけが出てきて、人も育たず成果もあがらず、極端にいえば会社がつぶれるということにも結びつきかねません。

もとより今日よくいわれるように、個人の自主性を重んじ、自発的にのびのびと仕事に取り組むことは大切です。しかしそれは、厳しく叱られることが不必要だということではないと思います。むしろお互いの自主性なり個性というものは、厳しく叱られるということがあってこそ、よりたくましく発揮され、その人の能力もいちだんと伸びるのだと思います。

私も、まだ若くて第一線で仕事をしていたころは、よく社員を叱ったものです。それも血気盛んな時分ですから、一人だけ呼んでそっと注意をするといったなまやさしいものでなく、みんなの前で机を叩き、声を大にして叱るというようなことがたびたびでした。

ところが、私からそのように目の玉がとび出るほどに叱られた社員が、それで意気消沈していたかというと、そうではありません。むしろそのことを喜び、いわば誇りとするといった姿でした。

それはどういうことかといいますと、創業当初はともかく、会社がしだいに大きくなり、社員の数も増えてきますと、私のほうも社員一人ひとりにいちいち注意を与え、叱るということができなくなりました。そうなると、どうしても限られた、責任ある立場にいる人を叱るということになりますから、社員のあいだにはいつとはなしに「大将に叱られたら一人前や」というような雰囲気が生まれてきたのです。ですから、叱られると本人も喜び、またまわりの者も「よかったなあ、おまえもやっと一人前に叱られるようになった」ということで、ともに喜び、励ましあうといった姿が見られるようになったというわけです。そして、そういうことが、社員の成長なり会社の発展の一つの大きな原動力になっていたように思います。

人間というものは、黙ってほうっておかれたのでは、慣れによる多少の上達はあっても、まあこんなことでいいだろうと自分を甘やかしてしまいがちです。そこからは進歩、発展は生まれず、その人のためにも、ひいては会社や社会のためにもなりません。やはり叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れて謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮起し、みずから勉励していってこそ成長し、実力が養われるのです。

そのことを、若い人も責任者も肝に銘じて仕事にあたってほしいと思いますし、特に若い人たちは、そこからさらに進んで、叱ってもらうことをみずから求める心境、態度を培うことが大切ではないかと思うのです。

2017年9月10日日曜日

記事紹介|ポジティブに生きる

かつてシェイクスピアは「いいとか悪いというのはなく、そのように考えるからそうなるのだ」と言った。

これは名言である。

どんなに悪く見える経験でも、その中に隠されたいいことを探し求めよう。

いかなる状況でも悲観主義に陥らず、つねにいいことを見つける習慣を確立すれば、人生の質を飛躍的に高めることができる。

経験それ自体は中立的だが、それに対する物の見方がそれをよいことにしたり悪いことにしたりするのだ。

物の見方を改善する1つの方法は、ポジティブな表現を使うことである。

たとえば、「失敗」を「学習経験」と言い換えるのがそうだ。

ポジティブな表現を使って、自分が置かれている状況に対する解釈を変える具体例を紹介しよう。

私は失業者だ。→ 私は自分に合う仕事を見つけるために時間をとっている。

私は病人だ。→ 私は健康を取り戻すためにしばらく休養を必要としている。

私は問題を抱えている。→ 私は成長するための機会に恵まれている。

私は失敗してしまった。→ 私はこの素晴らしい学習経験を今後に生かす。

私は何をしてもダメだ。→ 私はこれから飛躍を遂げるために全力を尽くす。

■楽観主義者はドーナツを見て喜び、悲観主義者はドーナツの穴を見て悲しむ(オスカー・ワイルド)

■悲観主義者とは、チャンスがドアをノックしても「うるさい」と嘆く人のことだ。(オスカー・ワイルド)


「過去は変えられるが、未来は変えられない」

過去に起きた出来事が「不幸だった」「つらい経験だった」と思えばそうなるし、あのおかげで「自分は成長した」「今の自分がある」「だからすべてがよかった」と思えばそうなる。

つまり、見方一つ、考え方一つで、過去は変えられるということ。

「幸福は、不幸の顔をしてあらわれる」という言葉がある。

何かが起きたその時は、「嫌なことが起きてしまった」と一瞬思う。

しかし、少したってみてそれを考えると「あのことが幸せを運んでくれたんだ」と思えることは多い。

ただし、「不幸の顔」があらわれたときに、文句や不平不満、グチ、泣き言を言ってしまうと、後から「幸福」はあらわれない。

なぜなら、口から発した言葉は現実化するからだ。

つまり、文句や不平不満、グチ、泣き言をいえば言うほど、もっと言いたくなるような現象があらわれる。

その悪い循環を断ち切る言葉はたった一つ、「ありがとう」という感謝の言葉。

嫌なことがあったとき、はじめに「ありがとう」と言ってから言葉を続けると、後の言葉はすべてポジティブに変わってくる。

「そのように考えるからそうなる」

どんなときも、よき言葉を発したい。