2010年9月3日金曜日

IR : Institutional Research を考える(2)

前回に続きIRを考えてみたいと思います。

今回は、広島大学教授・高等教育研究開発センター長 山本眞一 氏が書かれた論考「インスティテューショナル・リサーチ(IR)を考える」を抜粋してご紹介します。


IRとは何か

IRというのはインスティテューショナル・リサーチ(Institutional Research)の略語であって、文字通り訳せば「機関研究」ということになるであろうが、大学経営(教学を含む)を支える調査・分析機能とそのための組織を指し、米国の大学には多くみられるものであるとされている。とくに米国では、アクレディテーション(評価認証)を受けるための自己点検・評価報告書を作るために必要な機能であるとされているようだ。そのことからすれば、わが国においても認証評価制度があり、膨大な書類を作るという意味ではこのような機能の必要性は同じかもしれない。ただわが国においても、単なる事務的作業にとどまらず、確かな証拠と分析に基づき、より適切な経営方針を立てるという意味での企画部門としてのIRの必要性が近年高まっているようであり、それがこの課題研究に多くの人を引き付けた理由だろう。


大学執行部の意思決定のために

実は、高等教育学会がIRを取り上げるのは今回が初めてではない。2年半ほど前になるが、平成20年1月に学会創設10周年の記念シンポジウムが東京で開かれた折に、高等教育研究のこれからの3つの課題として取り上げた中に、経営人材養成、政策研究と並んでこのIRが含まれていた。この中でコーディネータを務めた同志社大学の山田礼子教授は「アメリカの多くの高等教育機関には、教育改善のためのデータを集積、分析し、そうした情報を大学執行部に報告しかつ大学執行部の意思決定に不可欠な戦略立案を策定する部門としてIR部門が常設されている」ことを指摘し、高等教育研究が実証的な分析から「普遍的な理論を見いだし、知識を発展させ、学問として体系化することを目的とする」のに対し、IRは「組織や大学機関単体の意思決定に役立つような特殊な情報を提供する」ものであるとした。

今回の学会での課題研究でも、その山田教授が趣旨説明を行ったが、ここでは、高等教育の質の向上のためには、それぞれの大学におけるデータをベースに教育改善へと結びつけていくIR機能を充実させることが大事、との問題意識があって、その具体的応用例として標準的な学生調査を開発し、教育効果や学習成果を測定するツールとして利用するために、すでに実践されているいくつかの事例に則した研究発表が行われたものである。


IRはわが国に定着するか

その学生調査のことはさておき、ここでも取り上げられ、多くの人々の関心を呼んだIRは、まだ日本語訳が確定していないことからして耳慣れない概念であるが、今後わが国の大学に必要不可欠な機能として定着するであろうか。米国とは社会的風土や経営環境の異なるわが国の大学にとってこの機能はどのように考えればよいのであろうか。

結論から先に言うならば私は、大学をめぐる経営環境の変化や教育研究の質への関心の高まりに伴い、この機能が実質的には定着していくのではないかと見ている。それはわが国の大学経営だけではなく、政府の政策立案機能の向上のためには、事実に即して問題を的確に捉えかつ実証的に分析して、それを経営や政策立案に生かしていくことが必要であるからである。大学経営も政策立案も、もはや経験と勘にのみ頼っていては成り立たないからであるとも言えるだろう。

ただし、私はこれをわが国の大学に定着させるには、米国の事例をまねるだけではダメであり、日本の実情に即して適宜翻訳の上、活用させることが必要だと考えている。たとえば、第一にIRのための組織を新たに設立することを考える前に、すでに同じような機能があるかどうか、あるならばそれは誰が担っているのかをよく考えてみることが大事である。そうすれば、その機能がたとえ一カ所に収束していなくとも、大学の中には何らかの意味での調査企画部門があることに気がつくはずである。その調査企画部門が、その名の通り機能しておればともかく、定型的な役割を与えられていない職員のたまり場になっているのであれば、ただちに調査分析および企画のための部門として機能するような改革を行うべきである。

第二に、これが教員によって担われ、しかも片手間の委員会組織であったり、あるいは大学教育センターのようなところの仕事として与えられたりしているのであれば、これを大学経営の実務にいかにつなげていくかを考えるべきである。IRは研究活動そのものではなく、具体の用途を帯びた調査分析の実務である。もちろんその実務のためには高等教育研究やそのほかの学問によって開発された分析手法を最大限に活用することは大切であるが、実務としての目的を忘れることがあってはならない。また大学執行部など経営陣もIRの重要性と有益度をよく理解して、これを育てていく態度が重要である。


大学の自律的発展とIR

第三に、これが職員によって担われているのであれば、彼らの専門性を高め、かつ学内におけるステータスを向上させるようにしなければならない。もっともその専門性は、狭い意味でのデータ分析の専門ではなく、当該大学が抱えている問題を正確に認識し、そのために必要な調査や分析手法を熟知し、かつ分析結果を的確に出せる能力である。このような職員に求められる知識は非常に幅広いものが予想され、私が常々主張している「問題解決のためのプロフェッショナル」に近い職員像を思い浮かべる必要がある。また、このような部署に配置される職員は、必ずしも長期固定で特定する必要はなく、有能な職員を育てる部署として、多くの職員をローテーション人事で回して訓練すべきではないだろうか。

いずれにせよ、大学は自らの姿を客観的かつ実証的に知る必要がある。近年、外部機関による大学評価や受験生による大学選択が活発化する中で、受動的姿勢にとどまるのは大学にとって危険である。大学に関する情報公開が進められつつある現在、IRという概念を軸に大学は自律的発展を目指す必要に迫られていると言えるであろう。(文部科学教育通信 No246 2010.6.28)