2012年1月29日日曜日

国立大学の学長に求められる力量

最近、東京大学の「秋入学」が話題になっています。全国の国公私立大学はもとより、政財界も巻き込んだ国民的な議論に発展しそうな様相です。賛否両論あるようですが、グローバル化社会に対応したこの国の在り様を考える絶好の機会になっているという点では大きな意義があり、歓迎すべきことではないでしょうか。

一連の報道によって、私たちは、東京大学という我が国を代表する高等教育機関の考えや行動がもたらす社会への影響、あるいは存在感の大きさを改めて感じることになりましたが、私は、最近の東京大学の動向に関して、「秋入学」以外に気になったことがありました。「東京大学の理事に文部科学省の高等教育局長が着任したこと」です。東京大学には、従来から、理事、あるいは事務局長として、文部科学省の審議官、課長級の官僚が出向していましたが、今回は、高等教育行政の実質的な最高責任者である高等教育局長という大物だったという点で、注目を集めているようです。


(関連記事)文科省局長の東大出向、学長「悪いと思わず」(2012年1月26日 日本経済新聞)

文部科学省が大学政策の実務の責任者である高等教育局長を東京大の理事に出向させる異例の人事を行ったことについて、浜田純一学長は26日の報道各社との懇談会で、「文科省からの出向が悪いとは思わない。基本は学長が理事を使いこなす力を持ち、言うことを聞かないなら辞めさせるというスタンスを取れるかが大事だ」と述べた。
文科省からの出向人事は、自主性向上や民間的な経営手法を取り入れるとした国立大法人化の狙いを損なうとの指摘がある。浜田学長は「高等教育に十分な視野を持ち、東大がグローバルな展開をしていける人をという希望を出し、ふさわしい人物に来てもらった」と経緯を説明した。


(関連記事)国際化への地ならし、学内改革始動 東大秋入学の行方-山上浩二郎の大学取れたて便(抜粋)(2012年1月28日 朝日新聞)

前回のこのコラムでは「法人化で総長の権限が強くなったことが秋入学を提案できた背景にある」と指摘したが、今回の懇談会でもその見方を裏づける発言があった。1月7日付で文部科学省高等教育局長から東大理事(人事労務など担当)に出向、就任した磯田文雄氏の人事について、官僚の天下り人事だとして「おかしいのではないか。ねらいは」という質問があったことに対し、浜田総長は「この先の高等教育全般についての視野を持っている、ふさわしい人物。私の指示に従わない理事はすぐに辞めてもらう。文科省からの出向人事が一概に悪いとは思わない。総長には使いこなす責任がある」とにこやかに話していた。


今回の人事の背景やねらいの本音の部分は、知る由もありませんが、「秋入学」を含む様々な戦略達成のための手法の一つなのかしれませんし、人事そのものは、濱田総長の権限と責任において行われたものですから、周りがとやかく言う筋合いのものではありません。私が注目したのは、「私の指示に従わない理事はすぐに辞めてもらう。文科省からの出向人事が一概に悪いとは思わない。総長には使いこなす責任がある。」との濱田総長の発言です。

法人化によって、文部科学省が有していた多くの権限と責任が国立大学に委譲されました。中でも、学長の権限が強化されたことは、大学の自主性・自律性を担保する意味で極めて重要なことです。しかし、実際はどうでしょうか。人事面や財政面など、未だに国立大学の経営は、文部科学省の権限や規制に縛られている部分があり、”手足を縛られて泳げと言われているようなもの”という、とある学長の名言が実態を表しています。

そのような中で、学長のリーダーシップの強化をいくら求めても土台無理なことですし、そもそも、学長や学長を補佐する理事の資質が、大学の経営責任者にふさわしいレベルに至っていない大学では、濱田総長のようなリーダーシップは残念ながら期待できません。そのため、行政経験の豊かな文部科学省からの出向者を受け入れ、頼らざるを得ず、理事又は事務局長として大学経営に参画することが必然となっているのです。

しかし、そのような状態がいつまでも続いていいはずがありません。そもそも国立大学の法人化とは何だったのかを考えれば、答えは明らかです。事務局長をはじめとする幹部事務職員の人事権は、法人化によって学長に委譲されたにもかかわらず、未だに文部科学省の手によって直接行われています。そして文部科学省の意向に沿った人事を、文部科学省から出向した理事又は事務局長が、学長を傀儡として行っています。つまり、濱田総長のような学長は別として、ほとんどの大学では、教員を除く事務職員の人事については、末端の職員に至るまで、文部科学省から出向した理事又は事務局長の独断に近い判断によって行われているのです。このようなことで法人化の趣旨は生かされているといえるのでしょうか。

さて、文部科学省による出向者の問題点については、この日記でも何度か触れました。例えば、
(過去記事)文部科学省の広域人事に関する問題(2011年5月7日)

理事又は事務局長は、大学経営にとって極めて重要なポストです。したがって、これまでのように文部科学省によるお気に入り・年功序列人事をいつまでもやっていては、緊迫したこれからの時代に必要とする実力ある人材の登用が困難です。文部科学省の人事担当者の意識が変わらない以上、国立大学の斬新的な改革は望むべくもないでしょう。一日も早い古い体質からの脱却が望まれます。

文部科学省からの出向者、特に事務局長の在り方については、様々な考え方があります。現在、多くの国立大学では、文部科学省からの出向者が理事と事務局長を兼務しています。これは、法人化によって、学長・理事を中心とした運営体制が基本とされたものの、官僚組織としての事務組織を横串的に調整し総括する機能として事務局長を残すことを選択した大学が多かったことによるものと思われます。そういう意味で、事務局長は、法人化直後の新米理事の職務に対する不慣れを補完する意味でも重要な役割を担ってきたとも言えます。

しかし、法人化後数年を経過した現在では、理事と事務局長との役割や責任と権限の所在が不明確であるために、指揮命令系統の複雑化といった弊害も指摘されるようになりました。このため、理事と事務局長の関係を整理する必要が生じています。事務局長を廃止する場合に、どのようなメリットとデメリットがあるのでしょうか。

一般論ですが、事務局長を廃止する場合には、次のようなメリットが考えられます。
  • 意思決定のための決裁システムである稟議制が”無責任の体系”と言われてきた観点に立てば、事務局長を廃止し決裁の階層を低くすることによって、意思決定に参加する一人当たりの決定に対する重要性が増すとともに、意思決定にかかる時間を短縮する可能性が高まります。
  • 事務局長を廃止し、地位の格差を改善することは、下位の者の意思決定への参加を促し、主体性・自律性・満足度・貢献意欲の向上とともに、有効な問題解決や合理的な意思決定の可能性が高まります。
  • 事務局長を廃止することにより、理事と事務局長との責任と権限の所在の明確化が図られるとともに、事務組織を理事の役割分担に直結させ、指揮命令系統の一本化を図ることにより、理事の業務支援をより強化する可能性が高まります。
一方、事務局長を廃止する場合のデメリットとしては、次のようなことが考えられます。
  • 現在の官僚(ピラミッド)型事務組織では、トップが集権的に組織全体をコントロールすることにより、組織活動の統一性や合理性を確保することが可能ですが、事務局長を廃止することにより、権限と命令による事務組織の統制力(コントロール)を弱める可能性があります。
  • 事務局長を廃止することにより、組織や構成員間の目的に対する認識の相違や意見の不一致などの紛争を回避・調整するための権限が無くなる可能性があります。
  • 事務局長を廃止することにより、幹部事務職員の人事に関する文部科学省や他大学との調整を行う機能を代替する仕組みを用意する必要があります。
  • 以上のようなデメリットを克服するために、学長や理事の資質、リーダーシップの更なる強化を図る必要があります。

学長・理事を中心とする大学経営が漸次定着してきている現状に鑑み、事務局長の在り方に関しては、以上のような考え方を含め、様々な考え方があります。大事なことは、大学改革がより強く求められている今、改革の加速化を図るためには、学長の卓越した経営手腕が必須であるということです。中でも、改革を進める上で、どのような能力や大学への貢献を文部科学省からの出向者に求めるのかを明確にした人事戦略を描き、実行できるかです。

全ての国立大学がそうであるとは言えませんが、まだまだ、大学の最高経営責任者としての自覚が不足している学長が多いような気がします。ガバナンスやマネジメントの構築・強化に向けて、学び、実行する姿勢に欠けている学長が多いような気がします。だからこそ、いつまでたっても文部科学省からの出向者を頼らなければならないのです。2~3年の腰掛け人事で出世していくことを是とする人に、大学への帰属意識を求めることはいささか困難です。大学に骨を埋める気持ちをもって日々汗を流す出向者がどれだけいるのか疑問です。学長は、濱田総長の言うように、大学の発展よりも私利私欲を優先し、そのために在任中の功績を残すことを何より重視する出向者を見抜く眼力を持つべきです。

そんな力量もなく、法人化前のように、出向者から言われるままに大学を経営するような不甲斐ない学長、事務職員が書いた説明メモを常時必要とするような学長、そして、次期学長選挙で負けないことを全ての判断基準にしているような学長は、即刻退陣すべきでしょう。そのような学長に、大学、学生、教職員の未来を委ねるわけにはいきません。多額の税金を運営資源として提供してくださっている国民や、子息のためにと厳しい家計から授業料を納めてくださっている保護者に、胸を張って説明できる経営努力を全力を傾注して行っているのかどうか、謙虚に自省することも時には必要なのではないでしょうか。