2007年12月29日土曜日

高等教育政策の動向

文部科学省高等教育局が全国の高等教育機関に発信しているメルマガ「高等教育政策情報」(2007年12月27日第18号)の中から主なもの(抜粋)をご紹介します。

平成20年度高等教育局予算(案)について

平成20年度予算の政府案が平成19年12月24日(月)に閣議決定されました。
文部科学省予算案は前年度に比較して33億円増(0.1%増)となりました。
その中で、高等教育局の主要な予算案は、
  1. 国公私立大学を通じた大学教育改革の支援の充実等(65億円増)
  2. 奨学金事業(85億円増)
  3. 留学生事業(前年度同額)
  4. 国立大学運営費交付金(▲230億円)
  5. 私学助成(▲45億円)となっております。

国公私立大学を通じた支援の新規事業としては、
  • 国公私の複数の大学による多様で特色ある大学間の戦略的な連携の取組を支援する「戦略的大学連携支援事業」(30億円)
  • 大学病院が緊密に連携して医師のキャリア養成を行う循環型の医療人養成システムの推進を支援する「大学病院連携型高度医療人養成推進事業」(15億円)
  • 各大学の国際化戦略に基づいて、単位互換、ダブル・ディグリーなどの相互連携、英語による授業などを総合的・体系的に行う取組等を支援する「国際共同・連携支援」(5億円)が盛り込まれております。

独立行政法人の見直しについて

12月24日の閣議において、独立行政法人整理合理化計画が閣議決定されました。これは、「経済財政改革の基本方針2007」(平成19年6月19日閣議決定)において、年内を目処に101の独立行政法人について原点に立ち返って見直すことが決定されたことを受けて、行政減量・効率化有識者会議において議論を重ね、11月27日とりまとめられた「独立行政法人整理合理化計画の策定に係る指摘事項」に基づき、政府が決定したものです。

独立行政法人整理合理化計画では、101ある独立行政法人を廃止・民営化、統合により16減らして85とするほか、一般競争入札の原則化、民間競争入札の導入等が定められました。

高等教育関係の独立行政法人については、以下のような事項が決定されました。

■メディア教育開発教育センター
→平成20年度末に法人を廃止した上で、事業の一部を放送大学学園において実施。

■大学評価・学位授与機構及び国立大学財務・経営センター
→統合し、新たな法人を設立(時期未定)。

■日本学生支援機構
→平成20年度中に奨学金回収業務等の民間委託推進、国際交流会館における民間競争入札の拡大等。

■大学入試センター
→平成20年度中に大学入試センター試験の実施業務における民間競争入札の導入等。

■国立高等専門学校機構
→専攻科の見直し等(時期未定)


教育再生会議の動向(第三次報告)について

12月25日の教育再生会議総会において、第三次報告がとりまとめられました。
第三次報告は、「社会総がかりで、『自立して生きる力』と『共に生きる心』を育む」を基本的な考え方として、以下の7つの柱から構成されています。
  1. 学力の向上に徹底的に取り組む ~未来を切り拓く学力の育成~
  2. 徳育と体育で、健全な子供を育てる ~子供たちに感動を与える教育を~
  3. 大学・大学院の抜本的な改革 ~世界トップレベルの大学・大学院を作る~
  4. 学校の責任体制の確立 ~頑張る校長、教員を徹底的に応援する~
  5. 現場の自主性を活かすシステムの構築 ~情報を公開し、現場の切磋琢磨を促し、努力する学校に報いる~
  6. 社会総がかりでの子供、若者、家庭への支援 ~青少年を健全に育成する仕組みと環境を~
  7. 教育再生の着実な実行

また、「3.大学・大学院の抜本的な改革」として、以下の事項が提言されています。
  1. 大学・大学院教育の充実と、成績評価の厳格化により、卒業者の質を担保する
  2. 国立大学法人は、学部の壁を破り、学長リーダーシップによる徹底したマネジメント改革を自ら進める
  3. 「国際化」「地域再生」に貢献する大学を目指す
  4. 大学・大学院を適正に評価するとともに、高等教育への投資を充実させる

教育再生会議では、今後、第一次報告から第三次報告までの提言を踏まえ、来年1月から2月頃に、最終報告をとりまとめる予定です。


学校教育法施行規則の一部改正及び大学院設置基準の一部改正について

-履修証明制度、秋季入学の更なる促進、博士課程の標準修業年限の弾力化-

これまでも随時情報提供をしてまいりましたが、大学等の履修証明制度、大学の秋季入学の更なる促進、博士課程の標準修業年限の弾力化に関する省令改正が行われました。それぞれの改正の概要は以下のとおりです。

<学校教育法施行規則の一部改正について>

(1)大学等の履修証明制度の創設

本年の通常国会において可決・成立した学校教育法等の一部を改正する法律により、大学等の履修証明制度が創設されました。
大学等においては、これまでも科目等履修生制度や公開講座を活用して、大学等における教育研究成果を社会へ提供する取組が行われてきたところですが、社会人等の学生以外の者を対象として一定のまとまりのある学習機会を、より多様な形態で積極的に提供していく取組を促進するため、そのような学習を行った成果に対し、文部科学大臣の定めるところにより、大学等が履修証明書(サーティフィケート)を交付できることを制度化したところです(第105条)。

この法律の施行に合わせ、「文部科学大臣の定め」を規定した省令が公布されました(12月25日公布、26日施行)。省令の規定の内容としては、履修証明プログラムの総時間数を120時間以上とすること、プログラムの名称、目的、内容、履修資格、修了要件などをあらかじめ公表すること、履修証明を実施するために必要な体制を整備することなどとなっております。

(2)大学の秋季入学の促進

また、今年6月の骨太の方針2007等を踏まえ、大学の秋季(9月など)入学を更に促進するため、大学の入学時期を定める規定を更に弾力化しました。
具体的には、現在、大学の学年については、4月1日に始まり翌年3月31日に終わる(学校教育法施行規則において小学校の規定を準用)こととされていますが、これを改め、大学の学年の始期及び終期は、学長が定めることとしました(12月14日公布、平成20年4月1日施行)。

これら履修証明と秋季入学は、いずれも各大学に一律に義務付けるものではなく、各大学の判断により実施できることとするものであり、特に秋季入学については、これまでも4月入学を原則としつつ一部秋季入学を行うことが可能であったものを、秋季入学を中心とすることなどもできるようにするものですので、ご留意いただきたいと存じます。

<大学院設置基準の一部改正について>

さらに、今年6月の骨太の方針2007等を踏まえ、大学院教育の組織的展開の推進に資するため、博士課程の標準修業年限を弾力化しました。
具体的には、博士課程の標準修業年限については、これまでは条文上、夜間大学院の場合に限り、5年(区分制の場合は前期2年、後期3年)を超えることができることとされていましたが、修士課程と同様、「教育研究上の必要があると認められる場合」には、これらの年限を超えることができることとしました(12月14日公布、同日施行)。
この改正は、各大学院がそれぞれの個性・特色の明確化を図り、研究科や専攻ごとの人材養成目的に応じた多様な履修形態を提供したり、柔軟なカリキュラム編成に取り組むことを、より一層促進する観点から行うものであり、各大学院の主体的な判断により、今回の制度改正を活用して、博士課程のコースワークや研究指導の充実を図ることが期待されます。


編集後記

平成20年度政府予算案が決定しました。
厳しい財政事情を反映し、不如意な面も少なからずあります。
一方、平成20年度を始期とする基本計画は、パブリックコメントを終え、これらから様々な目標設定の在り方に関する議論が中教審で本格化します。
さて、ある学会に出向いたところ、「パブコメで意見を出しても何も変わらないのでしょう?」と問われました。
私は、「それは内容次第。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。ただ、少なくとも、無反応なら容認ととられますよ。」と答えておきました。
「教育再生」が謳われたこの一年。教育政策の決定プロセスは変容を遂げました。
教育再生会議の任務は一区切りを迎えますが、新しい変化の動きは絶えないでしょう。
改革の推進に当たって、行政担当者の見識が一層問われると同時に、大学関係者の積極的な参与が求められます。
ある識者は、「優れた官僚機構をもちうるか否かは、大学と学問がいかに優れているかによって決まる。大学は自分の身にあった官僚機構しかもちえない。逆にまた、官僚機構もまた、自分の姿に似合った大学と学問しかもちえない。国家と大学は依存と対立の緊張関係のなかを、たがいにその姿を作りあっているのである。」(『ドイツ近代科学を支えた官僚』(中公新書))
役所に身を置く者として反省をしながら、来るべき年が大学・行政それぞれにとって進化と発展の時となることを念じます。
それでは、皆様も良い年をお迎え下さい。

2007年12月28日金曜日

規制改革推進のための第2次答申

前回に引き続き「答申もの」のご紹介です。
12月25日に政府の規制改革会議がとりまとめた「規制改革推進のための第2次答申」は、報道を見る限りでは「骨抜き」「後退」などと揶揄されていますが、高等教育関係についてはどうでしょうか。
答申中「具体的施策」として提言されている主なものを見てみましょう。


教育・研究分野


教育と研究の適切な評価に基づく公費配分ルールの見直し等

教育・研究の質向上に向け、大学独自の努力を促す観点から、公費の配分額を大学の努力と成果に応じたものとすることは必要なことである。

学生や国民に対する情報提供の観点から、各大学の独自性を損なわないような配慮を行った上で、例えば、教員一人当たりの学生数、校地校舎面積、図書館蔵書数、教員の研究業績等の共通の情報の提出・開示を求めるべきである。

教育研究の評価については、文章表現の巧拙によって評価が左右されることなどないよう、このような法人からの根拠資料・データを客観的に把握した上で、これを分析することを評価に含ませるべきである。

上記以外については、当初の目標を低く設定すればその達成が容易となり評価が高くなりかねない仕組みとならないよう、評価の客観性を担保するため、共通の観点も適用すべきである。
その際、「評価に係る業務が国立大学の教職員の過度の負担とならないよう努める」との国立大学法人法案の附帯決議を踏まえ、例えば、
  1. 自己点検・評価や認証評価のために整えた根拠データ等を、法人の判断で国立大学法人評価に活用できることとする
  2. 平成19年度評価と中期目標期間の評価について、これまでに提出した資料・データについては資料の添付を省略することとする
  3. 平成19年度における目標・計画の達成・実施状況を調査・分析するという作業の類似性に鑑み、平成19年度の業務実績に係る報告書と中期目標期間の業務実績に係る報告書(平成16年~平成19年度)の様式を一体のものとする
など、法人の負担軽減及び評価の効率化に努めていくべきである。【平成20年度内に実施】

国立大学法人の次期中期目標期間における運営費交付金の配分に際して、上記内容を含め、各大学の教育・研究それぞれの努力と成果に応じた適切な評価を実施した上でその評価に基づいた適切な配分が実現できるよう、国立大学法人運営費交付金の新たな配分の在り方について具体的検討を行い、平成19 年度内を目途に見直しの方向性を明らかにすべきである。【平成19年度内を目途に措置】


競争的研究資金の配分の見直し

以下の事項について、それぞれ後述する対応を行うこととする。その際、関係府省においては、「競争的資金の拡充と制度改革の推進について(平成19 年6月14日総合科学技術会議基本政策推進専門調査会)」を踏まえることとする。

■研究者の特性等に応じた競争的研究資金の審査・評価方法の確立(内閣府・総務省・国土交通省・環境省)【平成20年度中結論】

競争的研究資金の審査・評価に際しては、研究分野や制度の趣旨・目的を踏まえて適切な方法により審査・評価を行う必要がある。
また、主に業績が十分に定まらない若手研究者等について、導入にあたっての課題の解決を図りつつ、一定の試行を行い、その効果を十分検証した上で「マスキング評価」を導入することを図るべきである。
主に中堅以上の研究者に関する研究者としての評価は、所属組織や機関のみに着目するのではなく、「過去の実績を十分に考慮した評価」とすべきである。
また、これらを導入する場合には、これら評価方式に基づく資金配分について、研究者の資質や専門分野に応じて選択可能とすべきである。

■競争的研究資金における客観的な審査・評価基準の構築(内閣府・総務省・国土交通省・環境省)【平成20年度中検討・結論】

競争的研究資金については、「研究者の自由な発想に基づく研究資金」と「政策に基づき将来の応用を目指す研究(以下「政策課題対応型研究開発」という。)のための資金」とに区分され、これらについては審査・評価の視点が異なるため、制度の趣旨・目的に応じて、研究者の自由な発想に基づく研究と政策課題対応型研究開発それぞれの審査・評価基準を定めて、それに基づいた審査・評価を行うべきである。
なお、両者の目的が混在した研究については、それぞれのウエイトに応じた審査・評価基準に基づき審査・評価を行うべきである。

(ア)研究者の自由な発想に基づく研究

a 審査

研究業績に対する評価は、将来的には民間学術誌の格付けや民間学術団体の厳正な調査に基づく評価を十分に活用すべきと考える。
競争的研究資金の審査における基準を確立するにあたっては、これらの評価が適切に反映した客観的で反証可能性のある厳正な基準とすべきである。
学術的な成果をもたらす領域においては、研究能力を示す過去の関連論文等の資料、過去に助成を受けた研究費に対するbの基準に基づく学術的成果など、過去の研究実績について、学術誌の格付け、定評のある賞の受賞経験等の客観的指標に関し研究分野の特性を踏まえ定量化を図りつつ、研究者としての評価を過去実績を十分に考慮して行った上で、研究助成の採否を決定すべきである。

b 事後評価

上記に基づいて決定された予算に対して適切な学術的な成果が達成されたか否かを厳正に評価すべきである。
研究費の無駄の排除を促し、効率的な研究を推進していくため、総研究費に対してどの程度の研究成果が達成されたか、達成される見込みであるかなどといった観点等を踏まえ、これを審査や事後評価に活用すべきであり、その際、関連する論文の本数や学術誌の格付け、定評のある賞の受賞経験等の客観的指標について研究分野の特性を踏まえ定量化した上で評価すべきである。
また、事後評価を厳正に行うと共にその結果を審査にも具体的に反映させることにより、優れた研究を行うことが次の研究に繫がるという好循環サイクルを確立すべきである。

(イ)政策課題対応型研究開発

a 審査

政策課題対応型研究開発については、必ずしも学術的な研究成果のみを期待するものではないが、当該研究の目的に関連する過去の政策提言、技術開発の成果等の具体的な実績についてbの基準に基づき研究分野の特性を踏まえ定量化を図りつつ、研究者としての評価を過去実績を十分に考慮して行った上で、着想や研究計画を勘案して、研究助成の採否を決定すべきである。

b 事後評価

採択した結果の事後評価については、政策実現に寄与したのか、技術開発に寄与したのか等を厳正かつ定量的、客観的に評価する仕組みを確立するよう図るべきである。
また、事後評価を厳正に行うと共にその結果を審査にも活用することにより、優れた研究を行うことが次の研究に繫がるという好循環サイクルを確立すべきである。

■審査・評価者に関する適切な情報開示

(ア)内閣府・総務省・文部科学省・農林水産省・経済産業省・国土交通省・環境省)【平成20年度中措置】

競争的研究資金制度の審査・評価に係る審査・評価者がその分野の審査・評価に相応しい十分な学識を有していることが必要である。
審査・評価者の業績又は実績(研究論文、著作、学術的発表の実績、実務家については発明実績等)について適切な時期にホームページ等で公開する等により審査・評価者として相応しい者であることの説明責任を果たすべきである。

(イ)厚生労働省【平成20年度中措置】

競争的研究資金制度の審査・評価に係る審査・評価者がその分野の審査・評価に相応しい十分な学識を有していることが必要である。
審査・評価者の業績又は実績(研究論文、著作、学術的発表の実績、実務家については発明実績等などのうち適切なもの)について適切な時期にホームページ等で公開する等により審査・評価者として相応しい者であることの説明責任を果たすべきである。

2007年12月26日水曜日

教育再生会議第3次報告

政府の教育再生会議が、12月25日、第3次報告「社会総がかりで教育再生を-学校、家庭、地域、企業、団体、メディア、行政が一体となって、全ての子供のために公教育を再生する-」をまとめました。

報道は案の定こぞってネガティブに取り扱っていましたが、完全ではないにせよ我が国の教育の実態を明らかにし、改善の方向性を示したという意味では尊重すべきでしょうし、これを機に各方面の関係者は自分達に向けられた課題の解決を図るために何をしなければならないのか真剣に考え実行すべきではないかと思います。

第3次報告のうち、報道ではさほど熱心には取り扱われなかった高等教育関係について、主な部分をご紹介したいと思います。


大学・大学院の抜本的な改革-世界トップレベルの大学・大学院を作る-



1 大学・大学院教育の充実と、成績評価の厳格化により、卒業者の質を担保する

■大学は教養教育を重視し、産業界等との連携を深め、社会人としての基礎的能力を備えた卒業生を送り出す

■大学院は、質の高い学生のみを入学させ、定員充足に拘らない
  • 我が国が、成長力を高め、国際競争に打ち勝っていくためには、教育においても、世界トップレベルの大学・大学院を作ることが必要であり、「学生の立場に立った」教育組織としての抜本的な改革が必要である。

  • 学部教育については、専攻分野に拘わらず、教養教育を重視する。社会人として求められる汎用的な基礎能力の修得を図るため、学生参加型授業や課題解決型授業などを推進する。このため、国は、GP(Good Practice)*1等を活用して各大学が切磋琢磨する環境作りを行う。また、効果的な教育プログラムの分析や、汎用的な基礎能力の到達度を測る仕組みの構築を促す。

  • 大学は、卒業認定の厳格化と単位・進級の厳格化(GPA(Grade Point Average)制度*2の導入など)を図る。また、学術関係団体や民間機関による学力検定の実施等の仕組みを作り、大学卒業程度の学力や能力の保証に資するようにする。

  • 大学院は、質の高い学生のみを入学させ、定員を充足することに拘らない。一定の水準を満たす短期大学の専攻科及び高等専門学校の専攻科の卒業生に大学院入学資格を与えることを拡大する。

  • 大学の4月入学原則を撤廃する学校教育法施行規則の改正が行われたことを踏まえ、9月入学を更に促進する。

  • 人材育成に関する大学と産業界の連携・協力等のための会議(「産学人材育成パートナーシップ」)の活用や学術関係団体との連携等により、大学は、社会の要請に合った質の高い卒業生を送り出す。また、社会人教育・生涯教育としての機能の強化や、大学・大学院教育の充実のため、民間や公的研究機関の資源の活用も図る。

  • 大学における英語教育を大幅に改善するとともに、外国人教員の採用も進め、英語による授業の大幅増加を目指す。(当面、全授業の30%は英語での授業を目指す)

  • イノベーションを創出し国際競争を勝ち抜くためにも、教育研究施設・設備を整備する。
■大学全入時代の大学入試の在り方を検討する
  • 大学入試については、大学全入時代を踏まえた入学者の質の確保、高等学校以下の教育に与える影響を勘案し、国や大学をはじめとする関係者でその在り方を検討していく。

  • 大学入試センター試験の成績の複数年度利用を更に弾力化するなど資格試験的な取扱いを進め、各大学の自主性に応じた活用がなされるよう国において検討する。

  • 国公立大学の入試日分散・複数合格や、文理区分の在り方について、各国公立大学や関係団体において検討する。

  • 高校での卒業認定の厳格化など高校での学力担保の取組が重要である。将来的な課題として、高卒段階での学力テストの実施を含め学力担保の方策について、国において検討する。

  • 現行の高等学校卒業程度認定試験の合格者を「高卒(高卒程度認定試験合格)」とする。また、同試験の受験科目の弾力化について検討する。

2 国立大学法人は、学部の壁を破り、学長リーダーシップによる徹底したマネジメント改革を自ら進める

■国立大学法人の徹底したマネジメント改革-学長によるトップマネジメントの担保-
  • 大学の運営の両輪は、大学運営に最終的な責任と権限を有する学長による一元的全学マネジメントと、学問原理に基づく各学部のマネジメントであり、その適切な調和が、国立大学法人に求められる大学マネジメントの基本である。

  • 国立大学においては、法人化を踏まえ、ボトムアップ型の運営手法にのみ依存することなく、全学マネジメントの観点を明確に示しながら、日本にふさわしい国立大学法人のマネジメント改革に、大学自らが早急に取り組むことが求められている。

  • このため、大学運営の最終的な責任者である学長が、明確な理念、ビジョンの下に、全学マネジメントを行うことができるよう、各大学で学長、学部長、教授会等に関する役割分担を明確化する。このため、次のような各大学の取組を推進する。
◆学長選挙を廃止するなど、学長選考会議による学長の選出(招聘、公募による登用も含む)の徹底
◆学長による、学部長人事の掌握
◆カリキュラム編成や予算執行に関する役割分担の明確化
■国立大学における学部の壁を越えた柔軟で効率的な教育指導体制の構築のため、総合大学においては、例えば、次のような各大学の取組を推進する
  1. 既存の学部自治による学部の壁を打破し、幅広い教養教育と専門基礎教育を可能とする学部の再編

  2. 複数の学部で同じことを別々の教員が教えるという非効率を排し、既存の学部組織を横断した柔軟な教員組織の再構築

3 「国際化」「地域再生」に貢献する大学を目指す

■国立大学・学部の再編統合、定員の縮減に取り組む
  • 国立大学は、大学や学部の再編統合、18歳人口減少を踏まえた学部入学定員の縮減に自主的に取り組み、真に「国際化」「地域再生」に貢献する「知」の拠点として、教育、研究の質を高める。

  • 公立大学や私立大学についても、「国際化」「地域再生」に貢献する大学として、自主的な判断により、同様の取組を進める。

4 大学・大学院を適正に評価するとともに高等教育への投資を充実させる

■国際競争力、地域の自立を高めるため、厳正な評価に基づき、必要な分野に重点的に投資する
  • 先進国と比較しても、我が国の大学への公財政の支援は少ない。人的資源しかない我が国が、今後国際競争力を維持し発展を続けていくためには、高等教育に対する投資を先進国並に充実させていくことが必要不可欠である。上記のような抜本的な大学・大学院改革を推進するとともに、基盤的経費(国立大学法人運営費交付金、私大経常費補助金)を充実させる必要がある。

  • 大学教育の抜本的な改革を推進するため、必要な施策については、出来る限り効率化を図りつつ、適正な評価に基づき、真に実効性ある分野への「選択と集中」により必要な予算を確保する。基盤的経費については、確実に措置する。各大学の努力と成果をふまえた高等教育予算とするため、基盤的経費と競争的資金の適切な組合せと、一律的配分から評価に基づくより効率的な資金配分へのシフトを図りつつ、必要な教育財政基盤を確保する。基盤的経費についての現在の取扱いについては、しかるべき時期に見直す必要がある。

  • 次期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の配分については、各大学の厳格な評価に基づいた配分が不可欠である。一律的な配分は行うべきではない。研究面、教育面、地域の人材育成への貢献、企業や地域社会との連携、大学改革への取組状況などの客観的な根拠資料、データ(他大学との相対的な比較が可能なデータを含む)をもとに客観的かつ公平な評価に基づいた配分を実現する必要がある。これらを通じ、各大学の機能分化を促進する。また、国立大学は、入試情報、財務状況や、産業界や地方自治体との連携・協力の状況など大学に関する様々な情報を公開し、透明性の向上に努めるべきである。

  • 世界トップレベルの大学・大学院を創出するためには、長期的視野に立った高等教育への投資プランを作成していく必要がある。今後、絶え間なく大学・大学院改革を推進しつつ、例えば、今後20年を見通したあるべき高等教育の姿を描きながら、先進国並の高等教育への投資を社会全体で検討していく必要がある。その際、公財政支出の充実に努めつつも、公財政投資のみに頼るのでなく大学自らの自助努力を促進すべきであり、民間からの教育投資を促進するため、民間企業や個人等からの寄附金、共同研究費等に係る優遇税制の充実・強化等についても検討していく必要がある。
教育再生会議におけるこれまでの審議経過を眺めてきた限りにおいては、多様な意見がある中でよくまとまっているのではないかと思います。

特に、国立大学のマネジメント改革に言及している部分については、長い年月にわたって大学を支配し、社会との隔絶を誘引してきた「部局自治」という考え方を真っ向から否定し、我が国の高等教育の将来にとって不可欠な学長によるトップマネジメントを実現するための方向性を示したことは、これまでにない勇気ある行動であり、評価に値することだと思います。

おそらくは、このことを憲法上保障された学問の自由、すなわち大学の自治に対する国権の介入などとして批判する教員は必ず存在するのでしょうが、もはや時代は、あるいは社会は、これまで手を出すことがタブーとされてきた教員にとっての聖域である「部局自治」を放置する、甘受することを許さない高いモラルを持ち始めたのではないでしょうか。



*1:各大学が自らの大学教育に工夫を凝らした優れた取組で他の大学でも参考となるようなものを公募により選定する国の事業

*2:授業科目ごとの成績評価を、例えば5段階(A、B、C、D、E)で評価し、それぞれに対して、4・3・2・1・0のようにグレード・ポイントを付与し、この単位当たりの平均を出して、その一定水準を卒業等の要件とする制度

2007年12月25日火曜日

教員と職員のあるべき関係「教職協働」

大学経営の成功の秘訣を言い表すキーワードとしてよく用いられる言葉ではないでしょうか。
しかし理想ではあるけれども現実にはなかなか難しい課題でもあります。
このブログでは、これまで大学経営の困難さ、教員や職員の意識の問題についての様々な有識者のご意見をご紹介していますが、その中によく出てくるのが「大学における教員と職員の関係」すなわち「大学における教職協働の大切さ」です。

誤解を恐れずに書くとすれば、大学には昔から「教員が主人で職員は使用人の関係」が存在していました。
また、そのことが原因で、これまで職員が様々な改革を進める際に、教員の理解が得られないために優れた施策が滞ってしまうことがありました。
逆に職員が教員とうまくいっていない関係を隠れ蓑にし、教員に責任を転化してやるべきことをやらないこともありました。

国立大学の教員と職員との関係について、国立大学の経営に参画する外部人材は次のような指摘*1をしています。
  • 経営陣と事務組織、部局間、本部と部局、教員と職員などあらゆる部分にコミュニケーションの断絶あり。

  • 教員と事務職員とが協働体制で法人を経営することが不可欠。基本的に教員上位という従来の大学の意識・体質を引きずっている限り、真の意味での協働は実現困難

  • 教員と事務職員の溝は、法人化前とほとんど変わっていない。

  • 教員、事務職員とも法人としての一体感がないので、改革に対する方向性が定まらない。

  • 事務職員と教員の意思疎通が少ない。大学の目標を両者ともが明確に共有して、活力ある場を築き上げるべき
教員と職員との関係について、大学の現場の実態を正確に分析し、その真髄を明確に指摘しているブログがあります。
このブログは、私を含め多くの愛読者を持つ「大学プロデューサーズ・ノート」というブログです。いつも学ばせていただいています。
部分的ではありますが2つほどご紹介させていただきます。

我が国の大学では、未だに教員=アタマ、職員=手足という役割分担を行っている大学が少なくないのです。
以前の記事で、広報の素人である教員が持ち回りの「広報委員会」で意見を集めて広報方針を立て、(プロであるはずの)職員はただ決定事項を拝領し粛々と実行のための事務処理に努めるという、大学に見られがちなガバナンス構造について書きました。
こういった組織風土は、変えようと思ってもなかなか変わるものではありません。

このような二元体制になってしまう理由は色々あると思いますが、ここでは簡単に3つだけご説明します。
  • 教員、職員それぞれが「こうあるべきだ」という意識を変えられていない。
  • 両者の属する組織のガバナンスが違っている。
  • 教員と職員のスキル・能力に大きな格差がある。
職員のことを、あたかも召使いか何かであるかのように思っている教員というのは、おそらく全国どこの大学にもいます。心の底で「職員が考えた案なんか信用できるか」という意識を持っておられる方も、残念ながら少なくないと思います。
またそれをいいことに、自ら意見を出さず、責任もとらないポジションに甘んじている職員が、やはりどこの大学にもいると思います。「それは先生方がお考えになることだから」という言葉を、口癖のように使う職員です。

こうした役割分担を感じさせるのが、「事務方(ジムカタ)」という言葉です。「これ、あとはジムカタでやっといて」、「それはジムカタが用意します」など、この言葉には、何か顔の見えないサーバント集団というニュアンスが漂っています。
教員は個別の名前で呼ばれるのに、職員は一律に「ジムカタ」と呼んで無礼にならないのは、はじめから職員には、誰でもできる雑用仕事、手間仕事しかやってこないということの表れだと思っています。
こういった相互認識が根強く残っていると、教員と職員はいつまで経っても本当の意味で協働できません。

ガバナンスの違いも、両者の距離を拡げている要素の一つです。
大学職員は、行政や会社に似た、ピラミッド型の連絡組織を形成しています。トップの方針に従って、上意下達で動く組織です。
かたや大学教員は、一応学部学科組織に所属してはいるものの、組織人と言うより、個人営業主に近い意識を持っている方も少なくないようです。
大学に雇われているという意識よりも、自分は参加する学会や学術コミュニティの一員だという意識の方が大きいように思われます。
加えて教員組織では、教授会に代表されるように、多くのことが合議制で決定されます。企業でいう「上司」にあたる役割の方がいないことも多く、トップダウン型の指令伝達には向いていません。
このように、同じ大学という組織に所属してはいても、教員と職員のガバナンスは全然違います。
職員は「教員は勝手なことばっかり言う」とこぼし、教員は「ウチの職員は官僚的でアタマが固い」とこぼす原因はこれです。

教員と職員のスキル・能力に存在する非対称性も問題です。
多くの教員は、東大などの研究大学で博士号を取り、自分の専門性を身につけています。そしてその専門性を磨き上げるべく、普段から様々な努力をしています。
一方職員はというと、学部卒でこれといったスペシャリティもなく、ただ漫然と仕事をこなしているだけの方も多いです。これでは、話を聞いてもらえなくなるのも無理からぬことです。職員も専門性を身につけるべきだとよく言われますが、それはこういうことです。

他にも色々と考えられますが、主に以上のようなところが、「教員=アタマ、職員=手足」となってしまう原因ではないかと思います。

残念ながら「身分格差」は現在も多くの大学で残っています。

そもそも格差以前の問題として、「教育に口を出す職員」が非常に少ないのではと思います。
今回ご紹介した記事のタイトルに「発言し始めた事務職員」とあるのも、裏を返せば多くの大学ではまだ発言しない職員が多いということでしょう。
しかしこうした諸先輩方の努力もあり、大学によっては教員と職員が、対等なパートナーシップを持って協働するまでになっているところもあるようです。

ところでこの記事にもあるように、協働を進めるにあたって力を発揮するのが「データ」や「調査結果」でありましょう。
アメリカの大学アドミニストレーターは概して高学歴です。それは有名大学を出ているという意味ではなく、修士号や博士号を持っているという意味です(高学習歴、と言った方が適切でしょうか)。
責任ある仕事を任されているアドミニストレーターにはPh.D保持者も珍しくないとか。しかしそれが必ずしも高等教育に関する学位であるとは限りません。
大学院での高度な教育・研究活動を通じて彼等は、数値的な裏付けを用いて論を組み立てたり、仮説を立ててそれを検証したり、多角的な分析を行ったり、という訓練をしているのです。そういった力が、大学という巨大な組織(それも研究者という知的専門職の集団)を動かす上で不可欠ということなのでしょう。
教員と職員の間には身分格差がまだまだあると言いましたが、能力格差もあるわけです。
これからの大学職員は、実直さや気遣いというだけに限らず、知的分析力や事業提案力を身につけて、教員とも堂々と協働できるようにならないといけません。

記事の最後にはこうあります。

教員と職員が手を携えて大学を変えていく時代が来たようだ。

では、現場である大学は、教職協働についてどのように考え、どのように行動しようとしているのでしょうか。

以前このブログ「大学事務改革の方向性」でご紹介しましたが、東京大学前理事の上杉道世氏が策定された「事務職員等の人事・組織・業務の改善プラン」には次のような記述があります。

これまでの職員の実態はあまりにも問題が多い。
例えば、基本的能力が不足している。物事に受身であり積極的姿勢がない。なんでも前例を守ろうとする。既存のルールに照らして可否を判断するに留まっている。すぐに誰かに頼り自分で判断しようとしない。大事なことはみな教員が決めるものだと逃げの姿勢である。縦割りの事務分掌に閉じこもって全体を見ようとしない。スピード感に欠けている。外からどう見られるかという感覚がない。文章が書けない。人前できちんとした話ができない。

このような批判が、ことあるごとに教員から出されている。
しかし考えてほしい。これは、職員自身の問題であると同時に、長年にわたって教員がともに形成してきたとも言える問題でもある。また、歴代幹部職員の責任でもある。

法人化により、必要な資質は大きく変わったのだ。新しい時代に必要とされるあり方を追求しなければならない。
それではどのような職員像が考えられるのか。具体的な職員像を職員自身の提案と努力で描いていくようにしたい。ここでは3つのイメージを提示しよう。
  1. 経営企画を担う職員(マネジメント・スタッフ)
  2. 教育研究を直接支援する職員(アカデミック・スタッフ)
  3. 専門的業務を遂行する職員(スペシャリスト)
このような新しい職員像を実現するためには、職員自身が積極的に努力しなければならないのは当然であるが、教員の理解と協力が不可欠である。
教員自身の教育研究のよりよい展開のためにも、職員像の転換が必要であり、それを実現するため教員と職員が一緒に努力し取り組んでいかなければならない。
職員にまかせるべきものはまかせる、という方向での教員の考え方の切り替えが必要であり、職員もそれに答えられるように研鑽に努めなければならない。

大学にはマネジメントが必要です。しかし大学は実質的にはマネジメントが苦手な教員によって支配されている集団だから、マネジメントが必要になればなるほど教員には多忙感があって、人を増やせというような話になり、悪循環が生まれます。

大学がマネジメントの専門スタッフである職員を育て、活用せず、いつまでも教員中心主義で運営されているということが、健全な大学経営にとって非常に大きな問題点になっていることを、もうそろそろ教員も自覚し始める必要があるのではないかと思います。
平たく言えば、「教員が何でもやらなければいけないようなことは即刻やめるべき」ではないかと思うのです。

*1:「国立大学法人における外部人材活用方策に関する調査研究」(2007.4月、法人化後の国立大学運営における外部人材活用方策に関する調査研究プロジェクト 研究代表者 本間政雄)

2007年12月24日月曜日

沖縄 2007・砂浜

沖縄・恩納村にあるビーチ。波の静かな白い砂浜が美しい。




恩納村営ビーチ

万座毛と万座ビーチ間の恩納村営海浜公園内にあり、入口のシーサーが目印。
遊泳客がほとんど地元という穴場のビーチでプライベート気分を存分に味わえる。
バーベキュー機材の持ち込みは禁止だが、ビーチ内でレンタルは可能。
波も静かでとてもきれいな海。
海に向かって左側にある万座毛沖に沈むサンセットは絶景で、ロケーション的にもGOOD。
まさしく絶好の眺めが楽しめる最高のプライベートビーチ。

2007年12月23日日曜日

地方国立大学の挑戦

このブログでも以前ご紹介しましたが、去る12月14日(金)、15日(土)に、岐阜大学において「地方国立大学の挑戦」と題するシンポジウムが開催されました。この模様は衛星を通じて全国の国立大学にも配信されました。

地方国立大の意義訴え 岐大でシンポ 学長ら270人参加


地方国立大の必要性を訴えるシンポジウム「地方国立大学の挑戦」が14日、岐阜市の岐阜大で開かれた。
国の経済財政諮問会議のメンバーから国立大の存在を問う意見が相次ぐ中、岐阜大、三重大、金沢大、熊本大の学長らがあらためて意義をアピールした。
シンポは岐大が毎年開催してきた。今回は、経済財政諮問会議の議員が今年、「全県に国立大が必要か議論すべきだ」「ミニ東大型の総合大学は各県には要らない」などと発言したため、中部の大学に呼び掛けて国立大学協会とともに催した。
大学関係者や自治体や約270人が参加した。
パネル討論では、金沢大の林勇二郎学長は国立大の役割として「廉価な学費と確かな教育の機会均等」を挙げて地方国立大による教員や医師の養成の重要性を話した。
熊本大学長は、水俣市で「みなまた環境塾」を開き、人材育成していることを説明し「水俣市という不幸な歴史を持つ地で行うべきもの」と地方国立大学の使命を説いた。
三重大の豊田長康学長は、研究で成果主義が重視されつつあることに触れて「日本の企業が成果主義を導入することでかえって成果が下がったという報告をしていることを肝に銘じるべきだ」と批判した。(2007年12月15日付中日新聞)


1日目を聴講する機会を得ましたのでご紹介したいと思います。まず、各講演の主旨を配付資料から抜粋(敬称略)します。


開会挨拶(国立大学法人岐阜大学学長 黒木登志夫)

民間議員(経済財政諮問会議)たちは地方大学軽視、あるいは蔑視の考えを隠そうとしなかった。
曰く、「地方国立大学に元気がない。地方国立大学と首都圏の私大に合格したら、学生は私大を選ぶ。教員も首都圏の私大を職場に選ぶ。全都道府県に国立大が必ず一つずつ必要かどうか」(4月17日読売新聞)。「一律に運営費交付金を配分し、金太郎アメ的なミニ東大型の総合大学を各県に作る、そんな大量生産方式をやめなければならない」(5月8日朝日新聞)。
地方国立大学はそんなにダメな大学なのだろうか。われわれの答えは、断じてノーである。
教育でも研究でも、地方大学は本当に頑張っている。研究論文の量質から見ても、旧帝大系大学と遜色はない。法人化によって、地方大学は活性化し、個性を主張しはじめた。われわれは、ミニ東大になろうなどと考えていない。全国知事会の声明文にもあるように、地方大学がなくなったら、日本の各地から「知の拠点」が消え、日本そのものの活力がなくなってしまうであろう。
国公私立の大学の設置場所を都市部とそれ以外の地方に分けてみると、国立大の学生の70%強が地方の国立大に在学しているのに対し、私立大学の大半(55%)の学生は都会に集中している。国立大学の価値は、地方にあることが分かるであろう。
われわれも、地方大学からの情報発信が少なかったことを率直に反省する必要があろう。
今回の岐阜シンポジウム『地方国立大学の挑戦』は、地方国立大学の役割を知っていただくために企画したものである。今後も引き続き、地方国立大学から、その価値を社会に訴えるシンポジウムが毎年開催されることを期待している。


主催者挨拶(社団法人国立大学協会専務理事 赤岩英夫)

国立大学は、国立大学法人法により平成16年4月に法人化されたが、ここではまず、国立大学の法人化とそこで期待されていること、またそれに応える取組みについて事例を交えて概観する。
次いで、国立大学の役割と存在意義が、高等教育の公共性と質の保証、さらには地方におけるリージョナルセンターとしてなどの存在そのものにあることを、新制大学として発足して以来の来し方を振り返ることで確認したい。
もちろんこのような認識は、我が国のこれからの高等教育の発展において、国立大学が果たすべき新たな役割を論ずる上で必要とするものであることはいうまでもない。
一方、国立大学を取り巻く環境や法人化を巡る解釈において、法人移行時と現在とでさまざまな違いや、それによる齟齬が随所で出始めている。最後に、これらのことを検証し、国立大学法人が第2期中期目標計画に向けて、運営基盤を確かなものとする上での参考に資したい。


パネルディスカッション(三重大学長 豊田長康)

政府内諸会議において、大学間の「競争原理」、「選択と集中」、「評価にもとづく大胆な傾斜配分」の必要性が強調されている。
しかし、これらの原則は、すでに民間企業も経験している通り諸刃の剣であり、「目的」を明確にして、その目的を達成するための「手段」として適切に使わないと、特に「手段の目的化」に陥ると、わが国全体の大学の活動や国民の利益にとって逆効果を招く危険性があると考える。
わが国における地方大学と中央の大学との間の研究費の傾斜配分は、米国に比較しても急峻であり、すでに「格差」は十分につけられていると考える。
研究費あたりの国際的論文数や被引用数は、地方大学の方が中央の大学よりも高い値を示しており、これ以上の「格差拡大政策」が、わが国全体の研究のアクティビティーを向上させるとは思えない。
政府内諸会議における大学間競争原理等導入の目的は、わが国の大学の「国際競争力」の向上であり、その指標としては「一部大学の国際ランキングの上昇」であるように読み取れる。
これ自体を否定するわけではないが、この目的達成のために限られた財源の中で大学間の「選択と集中」や「傾斜配分」を適用すれば、地方大学への予算が削減されることになり、効率の良い地方大学の機能が低下して、わが国全体としての大学の国際競争力は低下する。
それと同時に、大学の地域社会貢献という、「一部大学の国際ランキングの上昇」よりも国民全体にとって大切かもしれない大学の「目的」が損なわれることになる。
大学附属病院は地域社会と直結しており、大学への政策が鋭敏に社会問題化する部分である。現在、地域社会の最大の政治問題の一つである医師不足にも、大学等への政策が直接・間接に影響を与えている。
「目的」を考えない、財政改革のためだけの予算の削減や「選択と集中」政策による地方大学への交付金の削減がこのまま進めば、地域の大学病院の大切な機能が損なわれ、地域医療の崩壊が促進されるとともに、わが国全体の医学・医療分野の国際競争力の低下を来たす。
これは、大学病院と医学・医療分野に限ったことではなく、他の分野でも同様のことが起こりうる。
逆に、OECD諸国に一歩近づく高等教育に対する公的投資や、目的を明確にした適切な制度改革によって、地方大学がその潜在力を発揮できる政策がなされるならば、わが国全体の学術の国際競争力を向上させ、同時に地域再生を促進できる可能性があると考える。


パネルディスカッション(熊本大学長 崎元達郎)

「地方国立大学」を地方に立地する総合大学(単科大学と旧制帝大を除く)を意味するとしての話としたい。「地方国立大学」の存在意義としては、他にも挙げられるだろうが、一般に次の2点が強調される。
  1. 48都道府県に均衡よく配置され、比較的低廉な学費により高等教育の機会を保証し、知的・道徳的水準の高い国民を育成すること
  2. 地域の知の中核的拠点として、人材養成や研究により、教育、文化、行政、産業、医療の充実発展に寄与すること
法人化以後、運営費交付金の1%合理化減、附属病院の2%経営改善による予算減、診療報酬マイナス改定による収入減、平成22年まで毎年1%の人件費減などの厳しい財政状況の中で、いかにして、大学の経営基盤を安定化させ、活性化につなげるかが課題である。
国立大学の役割の表現として、最近、Regional CenterとNational Centerという言い方をされるが、その存在が地域に不可欠なRegional Centerとしてだけでなく、National Centerとして国際的に存在感を示すことが、地域の人々の誇りともなるし、社会の期待するところではないか。


パネルディスカッション(岐阜県経営者協会会長・イビデン(株)会長 岩田義文)

地方の国立大学は、元々その地方にとって必要な人材育成を目的とした高等専門学校(小・中学校の教員、医者の養成、地場産業・経済の発展を担う人材育成を目的とした)を母体とし、それらを集めて国立大学として発足し、50年が経過しています。
50年を過ぎての課題は、下記の2つに絞られると思います。
  1. 医学部、教育学部を除く学部は、発足時に比べ、大学毎の特徴が無くなってきている事
  2. 経済活動が、グローバルに展開される現在、それに通用する人材育成が遅れている事

聴講した率直な感想としては、時間の関係でパネラーによる討議が省略されたこともあり、総じて各講演者は、自校の特色ある取り組みの紹介に終始した感が否めませんでした。
地方国立大学総体として今後どう生き抜いていくのかという実質的な議論に時間を使っていただきたかったと思います。

そんな中で、個人的に印象深かったのが、唯一の民間出身である岩田氏のお話でした。お言葉の一端をご紹介したいと思います。
  • 政府を批判しても仕方がない。「なげき節」だけではだめ。地方国立大学のいい取り組みを社会に発信していくべき。
  • 国立大学の評価は、ナンセンスなものに金を使っているという感じ。目標の立て方はもっと定量的にすべきだし、ワールドワイドな評価を行うべき。
  • ベンチマーキングを行いそこに勝つという成果主義を導入すべき。
  • 問題点の先取りをして変化に柔軟に対応すべき。その上で何を提案していくか考えるべき。
  • 資源のない国は「ヒト」を作るしかない。大学にとって重要な論文数は企業にとっては関係ない。
  • 国立大学には「減価償却」という考え方がない。
  • 大学の教員はポテンシャルは高いが同じ方向を向いていない。

2007年12月17日月曜日

大学職員の能力開発(3)

これまで2回にわたって、国立大学を例にとり、有識者の見解をご紹介しながら、法人化前後の変化や全体としては思うように進んでいない大学職員の能力開発の現状について書いてきました。

しかし、そのような中でも、前々回ご紹介した記事の中で取り上げられていたいくつかの大学のように、経営改革を担う職員の能力開発を進めるための先進的な取り組みが行われています。

これらの取り組みは、全国の志の高い大学職員にとって、彼らの将来に光を見出すことのできる大変価値のある取り組みではないかと思います。

今回は、記事の中でも取り上げられていた山形大学の取り組みについてご紹介したいと思います。

既にこのブログでも「地方国立大学の役割と存在意義」としてご紹介しているところですが、山形大学は、これまで地方の国立大学にいろんな意味で元気を与えてくれる素晴らしい改革を進めてきました。その中に、大学職員の能力開発を進める取り組みの一つとして、特色あるSD活動があります。

まず、このSDへの取り組みについて、山形大学地域教育文化学部教授の小田隆治氏がある雑誌(文部科学教育通信 No.183 2007.11.12)に寄せられたレポート(抜粋)をご紹介したいと思います。


地方大学にとってなぜSDが必要なのか

■SDの成果と課題

(冒頭略)

企画力などという創造的能力は誰しもが均等に持っているわけではない。そもそも、それを持っている人を発掘することも難しい作業である。
SDでは、事務職員個々の企画力を開発し、伸ばすことを第一義の目的としているが、それと同時に誰が企画する能力を有しているかを発掘する作業でもあった。そうした事務職員をこのSDを通して発掘することができた。
しかしながら、彼らをその能力にふさわしい部署に就けるところまではいっていない。そもそも本学ではまだ事務職員が主体となってプランを練る組織体制ができていない。ボトムアップからトップダウンと言った時、機会均等に広く意見を聴取し、それを具体化していく創造的な(これが重要である)組織を設置し、それを活用できるシステムを構築することが必須である。それはこれからの課題である。

(途中略)

法人化になったからといって、学長が自由にできるお金は少ない。また使ったら使ったで、各学部には自分たちの研究費がそちらに回ったという不満が増幅する。学長にはそのお金が有効に使われていることの説明責任が求められている。
しかし、このことを怖がっていては、大学は何も新しいことをできない。時間が止まり硬直したままになる。学長は大きなビジョンを持ち、新しい事業を遂行する勇気と決断力、そしてそれを自分の口で説明する責任がある。

山形大学でこれほどのSDができたのは学長の力を背景にしたことは偽らざるところである。しかし、学長のバックがあったからといって、ことはそれほど順調に進んだわけではなかった。
第1回のSDを構想し参加者を募る段になって、ある幹部職員が「事務職員は教員ほど優秀ではないので、FDのようなことはできません」と言い、SDは学長との一晩の懇談会になることになった。
しかし、現場の担当者が私の本来の計画を聞いて私の案に戻してくれた。
私は一緒に計画を練ってきた2人の事務職員に「りっぱなプロジェクトを出してね。もし出さなかったら『やっぱり事務職員は』と言われて、二度とSDはできなくなるよ」と発破をかけた。かれらはりっぱにそれに応えてくれた。彼らなしに2回目以降のSDはなかった。

SDを実施して分かったことは、教員である私はもとより教員上がりの学長ですら事務組織に入り込むことはタブー視されていたことである。
このことが先の幹部職員の琴線に触れたのかもしれない。かれは、SDは事務職員の領分であって、教員にリードされることではないと思っていたのかもしれない。それが法人化の前年の平成15年であった。

事務組織は教員組織と同じように一個の組織体として尊重されるべきである。それは大学の中で代替不可能な独自の任務を担っているからだ。
しかし、あくまで大学という名の車の両輪であって、勝手に走ることがあってはならないし、硬直化した既得権を行使してはならない。自由を尊び、そこから創造的な活動をしていかなければならない。それが大学にふさわしい行為である。

山形大学のSDは稀有壮大で斬新な試みであった。新しいことを行うのは誰しもが楽しいが、同時に大きな負担も伴う。既得権のみに汲々とする人たちは、参加者の負担感に付け入って、甘言を弄して新しいことを阻止しようとする。どこにも新しいことをすることが嫌いな人はいるものだ。そうした人たちまでも巻き込んで新しいことをするにはエネルギーがかかりすぎる。法人化にあって、そうした余力は残されていない。
大学はこのままでいいのか、このままで生き残ることができるのか? それを自問自答する作業そのものがSDであった。そうした時、旧態依然とした体制を守ろうと考えている人たちには今回のSDは過激な運動に映ったのかもしれない。

■さいごに

ある地方大学がなくなったとき、それが過疎地域であればあるほど地域に与える打撃は甚大であろう。しかし、全国規模で見たときはどうであろうか。残念ながら、それほどの影響はないであろう。地方大学が地域に存在意義を見いだすことは生き残りのための必要条件だとしても十分条件ではない。

地方大学は、地域だけでなく国家や世界においてもきらりと光るかけがえのない存在でなければならない。そうでないのならば、それを目指して変えていかなければならない。

それを成し遂げることのできるのは、その大学に在職する教職員をおいてほかにない。
なぜ教職員は大学にアイデンティティを持って発展に寄与しなければならないのか。
それは大学が潰れて自分の職場がなくなるかもしれないからだ。我々はそうしたことの被害者であり加害者でもあるのだ。現在、少なくとも地方大学にあって、自学が潰れるかもしれないというリアリティーを根幹に据えない議論はいずれも空疎であり無責任ですらある。

大学の全構成員が大学の死活に関わっている。しかし、決して誰もが同じ役割を担っているわけではない。それぞれの能力によって効率のよい役割分担が図られるべきである。
そして、FDやSDによって各人の能力の開発も組織的に継続して行われるべきである。

大学の第一の使命は人材育成にある。しかし、優秀な学生を数多く輩出する大学がこの競争的環境の中で生き残るとは限らない。宣伝上手な大学だけが学生を確保して生き残ることも可能性としてあるだろう。
だが、それではいい社会にはならない。我々は個性的な素晴しい大学を建設しつつ、それを社会に発信し続けることにも力を入れていかなければならない。こうした広報活動を自覚するようになったのも、法人化をはさんでのことである。

教員と事務職員が働き甲斐のある生き生きとした大学をつくっていこうではないか。そうした大学の学生は青春を謳歌し、地域は元気づくはずだ。


仙道学長から受け継がれた改革の遺伝子

このようなSD活動を通じて培ってきた能力は、前々回ご紹介した記事でも取り上げられていた「大学職員がプロデュース 大学職員サミット やまがたカレッジ2007」という形で花が開きました。
さらに、最近、SDに参画された方々により『あっとおどろく大学事務改善』」という本が刊行されました。内容は次のようなものです。


山形大学では、当時学長であった仙道富士郎氏のリーダーシップの下、平成15年度から毎年、事務職員の企画・運営能力の開発のためにSDを実施してきました。山形大学のSDは事務職員と教員の協同作業を特色としており、平成18年度の第4回目に何をするかということになって、第2・3回目に実施した大地連携(事務職員による大学と地域の連携事業の企画と運営)とは違ったものを考えるように、と学長から申し渡されました。そこで考えたのが本書の作成です。これまでの山形大学の事務職員の改善活動とSD活動を世に問うと同時に、本書の作成を通して事務職員のこれまでの仕事についての評価・点検を目指しました。
本書の中でも触れていますが、少子化と大衆化に伴って大学はいま大きな変革の時期を迎えています。事務職員は効率的な組織改編などによって、その波をもろにかぶっていますが、それを乗り切る力量も求められています。本書はそのような激変の時代にある現場の事務職員を読者に想定して企画されたものです。そして、これから大学の事務職員を一生の仕事にしようと考えている方々も読者として想定しています。本書を読んで、日々の仕事の見つめ直しや改善、活力増進につながったならば、そして大学事務職員という職業を選択するきっかけになるならば、執筆者一同望外の喜びです。

第1章 大学改革と事務職員の歩み
  大学設置基準大綱化に伴う教養部廃止や事務の電算化及び組織改革、そして国立大学法人化などの、山形大学の移り変わりを振り返ります。

第2章 地方国立大学事務職員奮闘記
  第1章でみた国立大学の激動の時代における、ある若手事務職員の奮闘物語。

第3章 大学事務職員の現場改善
  日々の業務改善活動や忘れられない小さなエピソードが、多くの事務職員によって書かれています。

第4章 大学と地域を活性化するSD
  平成15年度から実施してきた、山形大学の地域へ飛び出すSD活動をダイジェストでご紹介しています。


このような企画は、私が知る限りこれまでの国立大学では例を見ないものです。

教育、研究を使命とする大学の学長として有能であったばかりでなく、山形大学を、地域に根ざした地域とともに発展する大学として作り上げてきた仙道前学長の功績は計り知れないものがあります。

素晴らしい学長の下で改革を進めてきた山形大学は、その遺伝子や体質を受け継ぐ者によってこれから益々発展していくことでしょう。
後継者として学長になられた結城氏をはじめ、大学現場の教職員がそれぞれの役割や使命をきちんと認識した上で、山形大学のあるべき姿を追い求めていくに違いありません。

2007年12月16日日曜日

沖縄 2007・ジンベエザメとマンタ

沖縄・美ら海水族館で気持ちよさそうに泳ぐジンベエザメとマンタ







沖縄美ら海水族館(おきなわちゅらうみすいぞくかん)

沖縄県国頭郡本部町字石川の海洋博公園内にある水族館。
「チュらうみ」とは「清[きよ]ら(しい)海」の沖縄弁であり、「美」ら海の文字をあてることもある。
大水槽を泳ぐジンベエザメや、イルカショーが人気で、沖縄島の著名な観光地となっている。

水族館内には水量7500トンの世界最大級の大水槽『黒潮の海』を設置するほか、総展示槽数は77槽。
沖縄の海をコンセプトに、イノー(沖縄の方言で珊瑚礁の縁の浅瀬のこと)、珊瑚礁、黒潮の海、深海と様々な海の生物を紹介している。
中でも世界で初めて長期飼育に成功したジンベエザメやオニイトマキエイ(マンタ)が人気の展示となっており、ジンベエザメは美術館のキャラクターともなっている。

http://www.kaiyouhaku.com/

2007年12月13日木曜日

大学職員の能力開発(2)

前回は、法人化前の国立大学における大学職員の能力開発に関わる課題と法人化後の展望について、筑波大学大学研究センター長(現広島大学高等教育研究開発センター長)の山本眞一氏が書かれたコラムをご紹介しました。

法人化後4年目を迎えている現在、果たして山本氏の展望は現実のものとなっているのでしょうか。

ちょっと乱暴かもしれませんが、法人化後の国立大学職員の能力開発の状況について書かれたレポート*1により検証してみたいと思います。


事務部門の問題は、組織の問題である以上に職員の能力開発の問題である。

これまで、事務局の運営も、職員の採用から研修、移動、昇進にいたる人事も、全ては文部科学省と各大学の事務局長の責任であり、教授会は言うまでもなく、学長や評議会もそれに直接かかわることはなかった。

事務部門の管理運営の権限が、人事権を含めて全面的に学長と役員会の手に移ったのは、法人化がもたらした、まさに革命的な変化のひとつなのである。そして、初めてその実態に触れた学長たちの、事務部門と職員に向けられた目には厳しいものがある。

  • 法人化に伴い、事務部門の専門性が強く求められるようになった。しかし従来はゼネラリスト指向の人事政策であったため、対応しきれていないのが現状である。今後できるだけ早い時期に、大学運営のプロを育成することが求められている。

  • 法人化後、直面した新たな課題に対応していくためには、事務部門の縦割り構造や、これまでの業務のやり方に拘泥するような意識では対応していくことが困難。管理職からの意識改革が必要

  • 事務職員の専門職能化、資質向上があまり進んでいない。

  • 法人化前後で、あまり意識の変化、業務内容の変化がない。

  • 公務員体質がなお持続している。

  • 企画・実施能力及び迅速さは、課題と感じている。

  • 一部職員の公務員意識の残存、交流人事の弊害、情報の非共有

  • 法人化後も意識改革ができず、相変わらず前例主義・事なかれ主義・指示待ち型の、一部の事務系管理職員をどう教育するのかが、目下の大きな悩みでありテーマ

しかし同時にそれが、職員の資質能力を高め、事務部門の強化を図り、職員をイコール・パートナーとしていくことなしに、効率的で円滑な大学経営は望みがたいという、学長たちの認識の反映でもあることを見落としてはなるまい。

人事担当の理事の現状認識は、さらに厳しい。担当理事を対象にした調査の結果によれば、法律・法規関係(65%)、組織・管理関係(57%)、人事・労務関係(55%)、財務・会計関係(50%)、施設・設備関係(37%)と、施設・設備関係を除く全ての業務分野で、職員の「能力不足」が指摘されている(括弧内の数字は「能力が不足している」と答えた理事の比率)。

特に法律・法規関係で不足を指摘する理事は、3分の2に近い。施設・設備関係は別として、それ以外のどの業務分野についても、「能力・人数ともに十分」と答えた理事は2割に満たず、法律・法規関係ではわずかに5%にすぎない。

また、期待される能力を持った職員がどれほどいるかを尋ねた結果でも、「能力・人数とも十分」と答えた理事は数パーセントにとどまり、能力の不足を指摘する理事が、外国語処理能力(74%)、企画立案能力(71%)、対外折衝能力(70%)、情報処理能力(62%)と、どの能力についても7割前後に達している。

さらに言えば能力だけでなく、「能力・人数ともに不足」とする理事も、各分野とも5割前後に上っており、法人化後の国立大学法人がいかに、事務部門の専門人材の不足をかこち、理事たちが危機感を抱いているかをうかがわせる。

その強い危機感からか、どのような分野の専門家・スペシャリストを養成したいと思うかを尋ねた。自由記述方式の質問に対して72大学の理事が回答を寄せている。

大多数の理事が複数以上の業務分野を挙げており、その内容は企画・法規・法務・人事・労務管理・会計・財務・広報・国際交流・知財管理・資産管理・危機管理・安全衛生・就職・市場調査など、驚くほど多岐に渡っている。

しかし、法人化2年後の現状では、実際の職員の採用や研修システムが、そうした危機感を適切に反映したものになっているとは言い難い。

法人化前に比べて、例えば、職員採用の方針が変わったと答えた理事は半数強(57%)に過ぎず、専門能力を重視して採用していると答えた理事も2割にとどまっている。

採用方針の変化があった大学で、その変更の具体的な内容として最も多くあげられているのは「専門性」の重視だが、それが現実に最重要の採用方針とされるようになるのは、まだ先の話と見なければなるまい。

現在いる職員の研修についても、8割近い大学が、職員の研修計画を持ち、そのほとんどが、中期計画等の経営戦略の中に、その研修計画を位置づけていると答えている。

しかし、具体的な能力開発への取組みの内容を見れば、現在実施されているのはもっぱら「自己啓発の奨励・支援」「学内研修の強化」「諸機関のセミナー等の利用」などであり、「通信教育等の利用」を除いて、大学・大学院・専門学校等、学外の教育機関の体系的な教育プログラムを活用しようという動きはまだ、極めて弱い。

しかし同時に、職員の能力開発に強い意欲を示す大学が現れ始めたことも、指摘しておくべきだろう。

職員の意識改革が、教員に比べて遅れているというのが、大方の学長の評価だったが、人事担当理事の目から見ても、法人化を機に職員の仕事への意欲が「高くなった」と答えた理事はわずかに4%、「やや高くなった」を加えても4割にすぎない。

こうした現実に対する強い危機感から、一層の意欲向上策をとっている大学が51%、これからとる予定の大学が34%あるが、その向上策の具体的内容を見ていくと、22の大学で研修の強化が挙げられていることがわかる。

  • 自己啓発の研修のための職務専念義務の免除制度の開始。職員調書に将来のキャリアプランを記述

  • 自己啓発への情報提供、経費援助、勤務時間の配慮などを検討

  • 自発的な計画に基づき海外の機関へ派遣し、調査活動を行う研修を実施

  • 職務に関連した自主研修(大学、大学院、通信教育等)に係る支援(授業料の一部負担)、職務に関連した資格取得に対する支援(受験料、受講料の負担)

  • 専門性の高い職員を養成するため、仕事に関連する授業を無料で受講できるようにした。

ただ、こうした職員の能力開発の積極的な試みを進めている大学の数はまだ限られているだけでなく、人的資源の相対的に豊かな大規模・研究大学や、理工系の単科大学に集中している。

多数を占めるそれ以外の大学の場合には、必要性はわかっていても、実施するための資源、ゆとりに乏しいというのが現実なのだろう。

  • 法人化後、新たに必要とされた業務(中期目標・計画、年度計画の作成、評価、財務管理、労務管理等)については、大学規模の大小を問わず、一定程度の作業量が発生するものであるが、中小規模の大学では十分な人員配置ができない。大規模大学との問で逆ハンディキャップレースとなっており、全体的な対処が必要ではないか。

  • 長い間の直轄国立大学の歴史の中で、主要ポストの自主配分管理もできず、ゼネラリストの美名の下で専門性の欠如した「事務員」的職員を多く抱えてきた。法人となって相当部分を自己裁量で人事できることになったが、一個の独立した「法人」の運営・経営を行うために協働すべきスタッフ-特に中堅スタッフ-が充実していない。目々口にしていることであるが、10数年前にはなんらの考えもなく、政策的育成も行わず、大学を「運営」してきたそのツケである。今日なんとか進められているのは個人として能力のある職員のおかげであるが、近未来的には大きな不安を抱かせる状況となろう。総人件費削減の下、また手厚い労働者保護政策の下では、少数の例外者を除き、現にいる中堅、若手をいかに育成していくかしか解決策はない。近隣大学に比べると実質的な、かなり厳しい考課を実施しているが、開き直られたらそれまでである。どのようにして意欲・志気を向上して「もらうか?」が次の課題である。

大学現場に身を置く者として、ご指摘を否定も肯定もするつもりはありませんが、法人化後の国立大学は少しずつではありますが、確実に変わってきているのではないかと思います。あくまでも実感に過ぎませんが・・・。

大学に勤める職員の意識を変え、スキルを上げるためには、前例主義や教員主導で行われてきた大学経営手法そのもののを抜本的に変える必要があると思います。と同時に、あるいはそれ以上に、大学職員自身も、自分を取り巻く環境や自分の立ち位置を正確に把握し、危機意識を持って自分のやるべきことを考え、自分で実現していくことが求められているのだろうと思います。


*1:「国立大学法人の財務・経営の実態に関する総合的研究」(2007.3月)研究代表者 天野郁夫

2007年12月12日水曜日

大学職員の能力開発(1)

このブログでも何度か取り上げてきましたが、大学を取り巻く環境の急激な変化とともに、大学経営に関する大学職員の担う役割や能力開発が益々重要になってきています。その実践例が紹介された記事が目にとまりました。

経営改革職員が主役 勝ち残り戦略、担い手に

教員の陰に隠れがちだった大学職員の存在感が増している。18歳人口が減るなか、大学間競争を勝ち抜く経営の担い手として期待されているからだ。

私大はもちろん、法人化を機に経営が求められるようになった国立大も事情は同じ。「地味」という大学職員のイメージは変わるかもしれない。

「教員は理不尽」「先生(教員)の言いなりになるな、と若い職員に言っている」

山形大で11月に開かれた「大学職員サミット」。パネリストと会場の意見交換が特に熱を帯びたのは、教員とのかかわりをめぐる話題が出たときだった。

「専門領域という“たこつぼ”に逃げ込む教員を引っ張り出すのは職員の腕だが、教員以上にかたくなな職員もいる」。

パネリストで玉川大知的財産本部の近藤誠事務部長は壇上で本物のたこつぼを取り出し、文部科学事務次官を退き9月に就任した結城章夫・山形大学長に贈った。「非協力的な教職員に直接言えないことを、つぼに叫んで下さい」とジョークを交えた。

サミットは、桜美林大大学院の高橋真義教授(大学アドミニストレーション専攻)のゼミ生らが企画した。多くは現役の大学職員だ。

高橋教授は日本私学振興財団(現・日本私立学校振興・共済事業団)職員だった約30年前、私大に職員として出向。

何事も教員中心で、職員は反論すらしない関係を変えようと職員の勉強会を始めた。「いまや職員が教育サービスをプロデュースしていかないと大学は立ちゆかない。“職員の時代”だ」と話す。

文科省の杉野剛・私学行政課長によると、私大で職員の存在感が増した背景には、大学設置基準の大綱化(91年)でカリキュラムが自由に作れるようになるなど規制緩和の進展がある。

職員が教員に働きかけ、他大学に差をつける戦略的な経営をしていかなければ、18歳人口が減るなかで大学間競争に勝ち残れなくなってきた、というわけだ。

■産官への窓口

大学職員は「定型的な業務しかしない」と言われることもあった。だが、産学連携など大学改革にいち早く取り組んだ立命館大では「教職協働」のかけ声の下、さまざまな局面に職員がかかわってきた。

びわこ・くさつキャンパスにある「理工リサーチオフィス」は、理工系の教員と企業、行政を結びつける総合的な窓口だ。職員約100人のうち「テクノプロデューサー」と呼ばれる人が20人いる。1人が10~15人の教員を担当し、それぞれの研究内容を熟知。企業からの委託研究などの求めに合わせて教員とテーマを決めていく。「複数の分野にまたがる研究では、まずプロデューサー同士が協力するのです」。同オフィスの野口義文課長は自信深げに言う。

今年春、東京駅前に「東京キャンパス」を開設した。これまで京都駅前で開いてきた校友大会を11月、オープンキャンパスと併せ「オール立命館デー」として東京で開いた。首都圏で存在感を高める一連の経営戦略を主に練ったのも職員だ。

■高校訪問部隊

一方、国立大も04年度の法人化に伴って予算配分や組織のあり方が各大学で決められるようになり、私学に遅れながらも職員の活躍の場が広がってきた。

山形大は昨年7月、入学志願者の減少傾向に歯止めをかけようと、学生や受験生、卒業生らと大学との関係づくりをするEM(エンロールメント・マネジメント)室を設置した。教員1人、職員4人の態勢。高校訪問拡充などを盛り込んだ入試緊急対策を作り、高校を訪れる「入試アドバイザー」の指導や実動部隊として活躍中だ。 入試アドバイザーも職員31人からなる。

「教員は自分の学部のPRに偏りがちだが、高校訪問では全学の説明が求められ、それをする人が必要だった」とEM室の福島真司教授。

田村幸男副学長は「EMは企業で言えばIR(投資家向け広報)で、大学の経営戦略そのもの。全学の教職員の協力が成否を握る」と話す。

■学ぶ場次々、連携も探る

大学職員自らが大学経営などを学び、専門知識を身につける場も増えてきた。

今年春、東京・四ツ谷駅近くにできたNPO法人「大学職員サポートセンター」もその一つ。学生の職業選びや人生設計を手助けするための「キャリア支援」と、私大職員向け「財務管理基礎」のセミナー(各5回)を開講中だ。「キャリア支援」は少人数形式。2回目の講座では、学生に自分の生き方を見つめてもらう方法などを話し合った。受講した私大職員は「就職活動で“人生の中間決算”を迫られる学生をどう支えたらいいか手探りだが、自分のやり方で良かったか確認できる」と効用を説く。同センターは11月、大学職員を志望する大学3年生対象の「就活セミナー」も開いた。「大学はつぶれないと思っている学生は多いが、経営次第ではつぶれると知ってほしい」。小日向允(まこと)理事長は言う。

大学院では、桜美林大が01年度、国際学研究科の中に、大学経営を教える「大学アドミニストレーション専攻」を開設した。04年度からは通信教育課程も設け、北海道から沖縄まで各地の大学職員や私学経営者が学ぶ。08年度からは研究科に格上げする計画だ。

東大大学院にも05年度、教育学研究科に大学経営・政策コースができた。大学の管理運営や高等教育政策の教育を通じ、各大学の幹部職員の養成を目指す。

名城大大学院は大学・学校づくり研究科を置いている。

国立大法人化を受け、職員の経営力を高めようと2年前にできたのが国立大学マネジメント研究会。会員は管理職を中心に約500人。改革事例のノウハウを共有し、横のつながりを持つこともねらう。(平成19年12月4日付asahi.com)

職員の能力開発に関わる課題


上記の記事は、大学職員の今後担うべき役割と求められる能力を、先進事例の紹介を通じて展望しているものではないかと思います。

おそらく多くの大学職員は、こういった記事を目にするたびに、自分達もそうありたいと心から願うことでしょう。反面、どうして自分たちはそうならないのだろう、できないのだろうという現実の壁にもぶつかって、あるべき姿を追い続ける気持ちが強ければ強いほど、実現のための具体的方策やその実効性について悩み、悶々とした日常を送っているのが実際ではないかと思います。

大学職員の能力開発にかかわる問題は、大学の組織や構成員の意識の問題とも複雑に絡み合っており、残念ながら、なかなか即効性のある解決策は見当たりません。特に、大学における職員の位置づけに起因する課題は根深いものがあります。

国立大学法人の制度設計が最終局面を迎えていた平成14年初頭、当時、筑波大学大学研究センター長をされていた山本眞一氏が、雑誌(アルカディア学報)に、大学職員の能力開発に関わる当時の国立大学における課題と、法人化後の展望について次のような意見(抜粋)を寄せられています。

能力と意識の開発を -独法化に備えての職員の専門職化-

■職員論の原点

大学は教員だけのものではない。職員の支えがあってこそ、あるいは職員を抱える経営体がしっかりしてこそ成り立つものである。このことに対しては、誰もが異論を差し挟まないであろう。しかし、各論レベルになると途端に話は別になる。

多くの大学では、大学の特性ではあろうが、教授会主導の素人経営という実態がある。必然的に、その教授会の権威をバックにした教員が上位に、教授会決定を実行する役割を担う職員が下位に位置付けられがちである。

フルタイムで懸命に大学経営の支援に当たっている職員がその役割に相応しい処遇が与えられず、パートタイムで、しかも「雑用」と認識しつつ経営責任の一端を担っている教員に過大な権限が存在するという、まことに奇妙な取り合わせがまかり通っている。

これが、大学経営に対する危機意識を有する有能な職員の不満の原点であり、その状況の改善が望まれてきた。

基本となる問題意識は、職員の位置付けの改善とともに、その新たな位置付けに相応しい能力開発、意識改革である。

多くの職員の不満は、有能な職員に相応しい役割が与えられない、職場の同僚の間に問題意識が見られない、前例主義に拘っていて新しい状況に対応する意欲がないなどであり、職員の位置付けの改善や資質・能力の向上にある。

■変わる諸環境

近年、大学をめぐる諸環境は大きく変化してきた。

国立大学は、独立行政法人化の時期が迫り、従来のような「親方日の丸」ではなく、それぞれの大学が事後的に厳しい経営責任が問われるようなシステムに変貌せざるを得なくなっている。

これらの事態に的確に対応し、大学が21世紀知識社会において主導的な役割を果たしうるようにするためには、大学を支える経営人材の質の良否が決定的意味を持つ。

従来通りのアカデミックな論理に拘泥する教員と、その意のままにしか動けない職員という組み合わせの中からは、決して将来の展望は開かれないであろう。

教員出身であれ職員出身であれ、大学経営に責任と能力を有する人材を育てる必要がある。ただしその際、職員の中から今よりも多くの有能な人材を育て上げるのが現実的な策ではないかと思っている。その意味で、国立大学の独法化はその重要な契機となるであろう。またこのことは、公立や私立大学においても同じような問題提起になるのではないだろうか。

■現行システムの問題点

独法化により、国立大学には今より遥かに大きな経営上の自己責任とそれを裏打ちする自律的判断能力が求められる。

学長と評議会、学部長と教授会との関係の見直しと同時に、職員組織の在り方や職員の能力向上策の見直しも必要である。

ところで、国立大学の事務組織には私立大学にはない問題がある。それは、幹部事務職員が文部科学省人事で動くいわば「外付け」の部隊であるということだ。彼らは若年時に大学職員から文部科学省(現呼称)職員として抜擢され、文科省で仕事をした後、30歳台後半で大学事務局の課長として全国の大学に散らばっていく。その後は、文科省勤務を含めて、2、3年ごとに大学を異動し、最終的には国立大学事務局の部長や事務局長として公務員生活を終えることになっている。

必然的に、大学の立場から自主的に大学経営を考えるよりは、文科省の意向をいかに大学首脳部に伝えるかということが彼らの仕事の中心になりがちであるし、大学経営に関する専門的知識を学ぶための時間的余裕にも乏しい。

一方、幹部以外の職員は、同一大学に長く勤めるものの、案件の決裁ができるような職位につく機会に乏しく、したがって能力向上のインセンティブも弱い。つまり、先ほど教員と職員との関係で指摘した問題点が、ここでは職員相互の間においてもあるのだ。問題点の二重構造であるとも言えよう。

■改善の方向

文科省に置かれた調査検討会議は、昨年9月に「新しい『国立大学法人像』について」と題する中間報告を出し、事務組織について「従来のような法令に基づく行政事務処理や教員の教育研究活動の支援業務を中心とする機能を越えて、教員組織と連携協力しつつ大学運営の企画立案に積極的に参画し、学長以下の役員を直接支える大学運営の専門職集団としての機能を発揮することが可能となるよう」見直すとし、また、幹部事務職員を含めて大学職員の任命権は全て各大学に属するとしている。

つまり、職員組織の位置付けとともに、職員の二重構造についても何らかの改善を加えようとしているかに読める。このことが実現し、実際に運用が始まれば、事務職員の立場はかなり変わることになろう。

もっとも、問題は職員組織そのものだけではなく、職員自身の向上意欲にもよっている。

私は昨年2月に、全国の国公私立全ての大学を対象に、事務局長及び40代中堅職員1300人に、職員の資質・能力向上方策に関するアンケート調査をした。

紙数の関係で調査結果の全貌を紹介することはできないが、大多数が、経営戦略等の企画能力の向上、知的財産権の処理など最近注目されている新しいタイプの専門知識を学ぶ必要性を感じており、とりわけ、国立大学事務局長にその傾向が強いことが、現状との対比を考えるにつけ、大変印象的であった。

今後大学をめぐる経営環境がますます厳しく、かつ競争的になる中で、大学の経営能力の良し悪し、ひいてはそこに働く職員の質が大きな意味を持ってくる。

10年1日のような安定的職場であるという意識ではもはや許されない。それは国立のみならず、公立、私立大学の場合も同様なのである。

2007年12月11日火曜日

高等教育政策の動向

文部科学省高等教育局が全国の高等教育機関に発信しているメルマガ「高等教育政策情報」(2007年12月7日第17号)の中から主なもの(抜粋)をご紹介します。

教育振興基本計画特別部会の審議状況

中央教育審議会教育振興基本計画特別部会は、12月5日に関係団体からのヒアリングを行いました。
高等教育関係の団体として、社団法人国立大学協会、公立大学協会、全国公立短期大学協会、日本私立大学団体連合会、日本私立短期大学協会、全国専修学校各種学校総連合会、高等専門学校連合会が意見発表を行いました。
この中で、例えば以下のような意見が寄せられました。
  • 0.5%と極めて低い状況にある我が国の国内総生産(GDP)に対する高等教育への公財政支出の比率を、大学の国際的通用性の確保はもとより、世界の平和と人類の発展に寄与するために、OECD諸国並み(約1%程度)の水準へと高めるべきである。

  • 我が国の大学が国際的知的優位性を確保するとともに、我が国の発展を支える人材を輩出していくことができるよう、2030年において高等教育への5兆円の投資を実現するという長期的な見通しのもとに、高等教育への明確な資金投入の目標額が設定されることを強く期待する。

  • 教育の振興に資する寄附の促進等について、税制上の措置等の充実を図ることは既に記述されているが、大学の特性として、最先端の研究を行っていく上でも多くの資金を必要とすることから、教育研究の振興に資する寄附の促進等、研究面も含めた表現にしていただきたい。

日本学生支援機構の見直しに関する議論

独立行政法人整理合理化計画に関して、12月5日、渡海文科大臣と渡辺行革担当大臣の折衝が行われました。
渡辺大臣からは、日本学生支援機構(以下、機構)について、
  • 機構が直接学生に資金を貸すことをやめて、民間金融機関に対する債務保証・利子補給に移行すべきではないか。又は、国民生活金融公庫(以下、公庫)も教育ローンを行っていることから、学生に対するローンを行ってもおかしくないところであり、公庫へ移管すべきではないか

  • 民間金融機関又は公庫で貸付、回収業務を行えば、機構は非常にスリムになるとのご提案がありました。

これに対して、渡海大臣は、この提案では、
  • 低金利、在学中無利子、返還期限の猶予など、教育的配慮の下に学生に有利な条件で資金を貸与すること

  • 大学等の協力を得て低い事務コストで貸与事業を実施すること

  • 在学中の学生が奨学金を貸与する対象として適格か否かを判断するために、大学等との密接な連携が不可欠であるだけでなく、機構が行っている学生生活支援事業や留学生支援事業と一体的・総合的に実施することが担保できないため受け入れられないとの見解を表明しております。
機構の奨学金貸与事業は、教育の機会均等を目的に、教育政策の一環として実施しており、教育的配慮の下に、学生に有利な条件で貸与することが必要です。
奨学金貸与事業を、民間又は公庫で行うという提案は、教育政策の観点からも、経済合理性の観点からも適切ではなく、文科省としては、債権回収の抜本的な強化など必要な改革を行うとともに、奨学金貸与事業の拡充に取り組むため、引き続き機構で責任を持って実施することが必要と考えています。


自由民主党 文部科学部会・文教制度調査会 合同会議 大学・大学院等教育小委員会における緊急提言

自由民主党文部科学部会・文教制度調査会合同会議大学・大学院等教育小委員会(小坂憲次小委員長)は、「大学を核とした地域再生」と題した緊急提言を行いました。

同小委員会は、本年5月に発足以来、7回の会合を開催しています。
夏前の3回の会合では国立大学協会、日本私立大学団体連合会、公立大学協会等のヒアリングが行われました。
また、秋以降の4回の会合では、「地域再生と大学」というテーマで、地域貢献に取り組む大学の事例等をもとに議論を行われました。
今回の提言は、平成20年度の予算編成を前に、緊急に対応すべき課題として以下の3つの点を提起し、12月5日の文部科学部会・文教制度調査会合同会議に報告しています。
  • 大学等の教育研究活動の生命線である私学助成や国立大学法人等運営費交付金・施設整備費補助金を確実に措置すること。

  • 地域における国公私を通じた大学間の連携を促進し、教育研究環境の充実・強化等を図るための財政的・制度的な支援策を講ずること。

  • 大学等の自助努力による財源確保を促し、財務を強化するため、地方公共団体や民間の資金をさらに導入・活用できるような制度・税制の環境整備を行うこと。
同小委員会は、今後も「地域再生と大学」をテーマに議論が行われる予定です。


編集後記

教育振興基本計画に関するヒアリングが実施され、高等教育関係団体からの意見・要望も多数寄せられました。
高等教育への財政支援の充実、そのための目標設定を望む声が大きいことが確かめられました。
また、それらの中では、大学に対する民間寄附の大幅な拡大を目指すビジョンも提案されています。

最近の週刊誌で、M&Aで有名になった、ある日本人企業家に関する記事が載っていました(AERA10月29日)。
テレビを通じての印象は、時に倣岸、いかにも精力的なマネーゲームのプレーヤー。

しかし、そうしたイメージと裏腹に、子ども向けの財団、児童養護施設の設立に私財を投じているとのことでした。
自身に子どもがいないため、「全財産を社会のために使いきろうと考えている」との由です。

大学自身の改革とともに、我が国の「寄附文化」の形成が急務と言われます。
その成否については様々な見方があり、悲観的な意見も少なくありません。
「社会のため」を考える寄附者の選択肢の中に、「大学のため」が入るかどうか。
それは、制度の問題のみならず、大学自身の努力によるところが大きいのではないでしょうか。

2007年12月8日土曜日

沖縄 2007・ビーチ

沖縄・海洋博公園の中にあるエメラルドビーチです




公園の北端にY字型の突き出したコーラルサンドのビーチ。
言葉に出来ないほどの色彩を 放つ鮮烈なコバルトブルーの大海原。
ここは全国でも唯一といってよい礁湖(ラグーン)内にあるビーチで、水質は“AA(もっとも良い)”と認められている。

平成10年5月には環境庁が指定した「日本の水浴場55選」に選ばれ、平成13年5月には環境省が新たに指定した「日本の水浴場88選」に再度選ばれた。

ビーチ内の「遊びの浜」「憩いの浜」「眺めの浜」と3区分された砂浜は、ゆうに3000人が遊べる。

2007年12月7日金曜日

平成20年度の大学予算

国会運営の影響から越年編成の可能性も取沙汰される中、ようやく来年度予算の編成方針が閣議決定されました。

これから編成作業の大詰めに入ることになります。編成方針のうち、高等教育関係部分をご紹介します。

平成20年度予算編成の基本方針(12月4日閣議決定)

■「希望と安心」の国に向けた予算の重点化・効率化

「希望と安心」の国を実現する観点から、「重点施策推進要望」も踏まえ、以下に掲げる取組で政策効果が顕著なものについて重点的かつ効率的に推進し、メリハリの効いた配分を行う。
また、歳出の無駄の排除を徹底するため、施策の推進に当たっては、政府全体として一層の経費の節減合理化を行う中で、成果目標、政策手段等を明確に掲げ、PDCAサイクルを着実に実施する。

活力ある経済社会の実現(成長力強化に向けた取組)

成長分野を伸ばし、創造力を高める戦略
  • 大学(大学院を含む)のカリキュラム改革
  • 健全性を確保した奨学金の充実
  • 国際的な大学間の相互連携
  • 留学生政策の推進
  • 9月入学の促進
  • 世界最高水準の大学院形成
  • 「大学地域コンソーシアム」の形成
  • 高等教育の基盤的経費や競争的資金の確保と重点的・効率的な投資
  • 産学官連携の推進等
を推進する。

また、科学技術の振興を図るため、「第3期科学技術基本計画」及び「イノベーション25」を踏まえ、次世代投資の充実、社会還元を加速するプロジェクト、分野別の戦略的な研究開発、多様な基礎研究等を推進する。
また、高信頼性産業の育成や世界最先端を目指した知的財産戦略等を推進する。

運営費交付金という国立大学の生活費

運営費交付金とは、国立大学を維持運営するために必要な基幹的な経費として国(文部科学省)が、各国立大学法人に配分する資金のことで、国立大学全体で約1兆2千億円あります。

この資金の原資は全て国民の納める税金で、中規模大学の場合、大学全体の収入の約4割を占めます。
この資金は、国立大学が法人化される際、それまでの国立学校特別会計により各国立大学へ配分されていた歳出予算との格差をなくす(激変を緩和する)ため、各国立大学の学生数や教員数など、いわばその大学の規模に応じて積算され配分されています。

この運営費交付金には、大学内の事務事業の効率化を促す意味で、法人化以降全ての大学に対して、毎年1%の削減が求められています。
さらに、診療収入だけでは経営できない附属病院を抱える大学に対しては、病院の赤字補填のための運営費交付金が投入されていますが、これを受けた大学の附属病院は、毎年2%の増収ノルマが課せられるルールになっています。

このような極めて厳しい財政事情の中で、各国立大学は、これまで以上に、学生への良質な教育の提供や我が国の未来を創造する学術研究の高度化など、国立大学としての使命達成のために懸命な努力を続けています。

しかしながら、その努力にも限界が見え始めてきており、運営費交付金の削減に伴う財政基盤の弱体化がこのまま推移すれば、近い将来、教職員の人件費さえまかなうことができなくなることが予想されています。

経済原理主義者は国立大学の天敵

このような状況の中、国立大学にとって必要な最低限の生活費である運営費交付金をめぐる議論が、本年2月の経済財政諮問会議において、4人の民間議員が提出した「成長力強化のための大学・大学院改革について」という提案によって始まりました。

彼らの提案とは、一言で言えば、今後、国立大学への運営費交付金の配分については、「国立大学の努力と成果を競い合わせることによる結果、つまりは、競争原理に基づいた配分に改めるべき」という主張です。

国立大学への競争原理の導入は、一般国民の皆さんや、競争に打ち勝たなければ生活の糧を失ってしまう厳しい現実の中で働いていらっしゃる民間企業の方々から見れば至極当然のことだろうと思いますし、我が国の国立大学が国際的な競争力を備え、世界に伍した大学に成長すること、あるいは、我が国の国公私立大学が相まってそれぞれの特色を武器に、いい意味での競争的環境の中で切磋琢磨しながら成長することはとても意味のある歓迎すべきことだと思います。

しかし、経済財政諮問会議において民間議員が主張した競争原理とは、国立大学の使命や現状をよく理解していない経済原理に基づく競争原理でした。
具体的には、各国立大学が獲得した競争的研究資金の額の大きさに比例させた形で運営費交付金の額を決め配分しようとする考え方であり、各国立大学の研究面のアクティビティのみを資源配分の尺度にしようとするものでした。

既に多くの報道でも指摘されましたが、こういう考え方の下で生き残ることができるのは、いわゆる旧帝国大学、あるいはそれに準じた大規模大学のみであり、立地条件や組織構成上、競争的研究資金の獲得について自ずと限界がある地方大学、人文系が主たる組織の大学、教員養成大学などは、大幅な減額を余儀なくされ、ますます大学間の格差が拡大し、財政的に力のない大学はゆくゆくは消滅するという結果になるのは十分予想されるところです。

また、大学の持つ多様な役割・機能のうち、研究面だけを重視した資源配分を行うという偏った考え方は、この国の将来を担う優れた人材を家計などの経済状況にかかわらず養成するという、いわゆる「教育の機会均等」という私立大学にはない国立大学の重要な使命を完全に無視したものであり、国立大学の存在意義そのものを根底から覆す極めて危険な理論です。

彼らのような経済原理主義者の理論がこのまま国策として実現したならば、おそらくこの国の将来は暗くはかないものになってしまうに違いありません。

身内に裏切られた国立大学

国立大学に過剰な競争原理を持ち込もうとする経済財政諮問会議の民間議員の中には、東京大学という国立大学に所属する教員がいます。

我が国最高峰の大学であり、国からもらった潤沢な資産や資金という恵まれた教育・研究基盤に支えられている大学にお勤めの誇り高き学者様には、地方に位置する弱小大学や単科大学の泥臭い改革努力は興味も関心もないのかもしれませんが、少なくとも、国民から頂戴する報酬を生活の糧としている国立大学の教員という立場である以上、文部科学省が膨大な資金と人員を投入し大事に育て上げてきた東京大学という自己の世界だけでなく、全国の国立大学、特に地方国立大学の現状をよく勉強し理解した上で行動してもらいたいものです。
また、国立大学で仕事をしているおかげで今の自分の立場や名誉があることをゆめゆめ忘れないでいただきたいと思います。

また、財務省のお役人にも同様のことが言えます。主計局の主計官などは、そのほとんどが東京大学という国立大学卒業のエリート官僚です。彼らが今、各省庁のお役人に対し言いたいことを言い、思う存分仕事ができるのは、国民の税金によって安定的に運営されてきた国立大学で、安価な授業料でも質の高い教育を受けることができたからではないのでしょうか。
そのおかげで現在の自分が存在することを忘れないでもらいたいし、今後ともそのことを肝に銘じて国の重要政策に携わっていただきたいと思います。

恩を仇で返すような人材を国立大学は育てたはずはありませんし、財務省という役所の省益だけで、この国の将来を担う人材を育てる国立大学の在り方を論じるべきではないと思います。


国立大学への競争原理の導入に関する議論は、現在のところ、一時期の財務省の強硬路線からやや穏やかな路線への転換によって沈静化されたやに見えておりますが、これから本格化する予算編成作業の大詰めの中で、再びびっくりするようなおばけがでないとも限りません。

教育に責任を持った財務省の姿勢と国家予算への反映を心から期待したいと思います。

2007年12月3日月曜日

大学事務改革の方向性

大学における事務改革は、大学執行部をトップとした全学的な取組みとすることが欠かせないと言われています。

大学トップの総長の号令の下、役員を改革の責任者に据え、取り組みを推進している東京大学の例などは、同じ国立大学にとって大変参考になるのではないでしょうか。

今回は、東京大学で事務改革の推進に努められ、自らその牽引役となってこられた上杉道世前理事が策定された「事務職員等の人事・組織・業務の改善プラン」の一部を以下にご紹介したいと思います。

地方の中小規模の国立大学が、巨大な東京大学と同様の手法で改革を進めることは現実的ではないのかもしれませんが、このプランの根底に流れる基本的な考え方や姿勢は、多くの国立大学が見習うべきものではないかと思います。

プランの性格

  • 抽象的なあるべき論を述べるのではなく、具体的な実行方法とともに、課題とその解決策を提案するもの

  • 職員が受身なままで上や外から与えられるものではなく、職員自身の発案を大切にしながら作成されたプラン。同時に、科所長はじめ各構成員の意見を取り入れつつプラン自身が改善されていくプラン

  • 様々な問題点が指摘されている現在の職員の状態は、長年の蓄積によって生じているものであり、一方的に批判するのではなく、職員自身の納得感を形成しながら、一つずつ解決していくべきもの

  • ある一点を変えればすべてが変わるといった魔法の解決策はない。人事の改善、組織の見直し、業務の見直しを同時並行的にかつ継続的に進めようとするプラン

職員像の大転換


これまでの職員の実態はあまりにも問題が多い。例えば、
  • 基本的能力が不足している。

  • 物事に受身であり積極的姿勢がない。

  • なんでも前例を守ろうとする。

  • 既存のルールに照らして可否を判断するに留まっている。

  • すぐに誰かに頼り自分で判断しようとしない。

  • 大事なことはみな教員が決めるものだと逃げの姿勢である。

  • 縦割りの事務分掌に閉じこもって全体を見ようとしない。

  • スピード感に欠けている。

  • 外からどう見られるかという感覚がない。

  • 文章が書けない。

  • 人前できちんとした話ができない。

このような批判が、ことあるごとに教員から出されている。

しかし考えてほしい。これは、職員自身の問題であると同時に、長年にわたって教員がともに形成してきたとも言える問題でもある。また、歴代幹部職員の責任でもある。

これまでの東京大学職員の多くは、大変誠実であり、まじめであり、与えられた仕事はきちんとこなす、公務員としては有能な職員であった。

しかし法人化により、必要な資質は大きく変わったのだ。

過去のよい点は維持しながら、新しい時代に必要とされるあり方を追求しなければならない。

幸い、若い世代には大変優れた資質を持つ人々が参入してきており、彼らを育て、実力を発揮させる環境を作ることにより、職員の状況はこの先数年間で劇的に変化するであろう。

それではどのような職員像が考えられるのか。

前述の「職員ミッション」(略)に加えて、更に具体的な職員像を職員自身の提案と努力で描いていくようにしたい。

ここでは3つのイメージを提示しよう。

1 経営企画を担う職員(マネジメント・スタッフ)

大学あるいは部局の経営について、これからは経営判断が重要となってくる。
経営判断に必要な理論やデータをそろえ、分析し、政策を立案し、意思決定を推進し、実施のため対内対外の折衝を行う。
豊富な実務経験と分析力、企画立案力そして組織経営の知識が必要である。

2 教育研究を直接支援する職員(アカデミック・スタッフ)

高度で多様な教育研究の推進のため、教員のプロジェクトの企画に当初から参加し、資金の獲得、プロジェクトの運営、対内対外の折衝などを行う。
様々な制度を熟知し、教育研究の中身にまである程度立ち入ることのできる素養が必要である。

3 専門的業務を遂行する職員(スペシャリスト)

基本的には全ての職員は何らかの専門性を持たなければならない。
前例や諸制度をよく知っているという従来型の専門性だけでなく、新しい事態に対して次々に創造的に対処していくことのできるいわば進化する専門性が必要である。
特に新しい分野や重要性が高まってきている分野について人材が至急必要とされている。

このような新しい職員像を実現するためには、職員自身が積極的に努力しなければならないのは当然であるが、教員の理解と協力が不可欠である。
教員自身の教育研究のよりよい展開のためにも、職員像の転換が必要であり、それを実現するため教員と職員が一緒に努力し取り組んでいかなければならない。
職員にまかせるべきものはまかせる、という方向での教員の考え方の切り替えが必要であり、職員もそれに答えられるように研鑽に努めなければならない。

事務職員、事務組織の将来像


ここで、後述(略)する改善の具体策を踏まえながら、事務職員、事務組織の将来像を簡潔に描いてみよう。
  • 各職種とも職員は、教員も含めて一体感を持ちながら、教育研究と経営を支える責任ある立場で仕事をする。教員や学生はもちろん、学外の関係者の要望に即座に応えるのみならず、課題を先取りし、むしろ職員側から課題を提示し、主体性を持って業務を遂行する。東京大学の教員と正面から対話ができ、その高い教育研究の水準を支えるに足る高い能力を持っている。その態度は真剣かつ前向きであり、同時に心に余裕があってにこやかである。

  • 東京大学の仕事は、世界的な公共性を持っている。教育研究は広く社会にその成果を還元するものであり、真理の探究は世界に貢献するものである。職員もその公共性の高い仕事の重要な部分を支えているという責任感と誇りを持つ。同時に、経営は効率よく行わなければならない。民間企業等の経験に広く学びながら、無駄を省き、限られた資源で最大の効果を発揮するように絶えず創意工夫を重ねる。

  • 職員組織の全体規模はできるだけスリムにし、業務見直しにより重要度の低い業務は縮小し、重要性の高い業務に人材を重点配置する。優れた職員を採用し、長くこの職場で働くことを見通し、各職員のキャリアプランを生かしていく。職員と仕事との幸福な出会いが実現するよう仕組みを整え、職員の生涯の充実と職場の発展が両立するようにする。職員は絶えず能力向上に努め、職員相互に競い合いながら助け合う関係を作る。

  • 処遇は、基礎的な水準は維持しながら、能力や業績をできるだけ反映する仕組みとする。限られた人件費の中で、組織をスリムにすることにより、個々の処遇の改善を図る。年齢にかかわらず実力本位で上位の職に登用し、力のあるものに重要な仕事を次々に経験させる。管理系だけでなく、専門能力を評価する処遇体系を作る。評価はコミュニケーションとチームワークを重視した手法とし、職務の向上に反映させる。

  • 事務組織は、全学共通の職務分野と部局ごとの一体性とのタテヨコの構造を支え、全学協調の要として機能する。組織内部は、グループ制の徹底により、フラットで柔軟な構造とし、迅速な意思決定と業務執行ができるようにする。業務の必要に応じて組織を構成し、縦割りの弊害をできるだけなくしていく。

  • 業務の見直しを徹底し、各職場単位での自主的かつ日常的な改善活動が活発に行われるようにする。システム化とマニュアルの普及により、定型的な業務は最小限となり、管理部門と間接部門の規模も縮小する。企画立案部門により高度な能力と人数を集中する。

  • 個々の職員が全学の目指す方向を理解するとともに、大学側も各職員の状況を把握し、より適切な職場環境を互いの努力で形成する。コミュニケーションと情報共有を徹底する。自分はこの組織に必要とされているのだという達成感を経験し、誇りを持った職員となる。

2007年12月2日日曜日

2007年12月1日土曜日

大学教職員の評価

法人化により国立大学にもたらされた大きな変化の一つが「教職員の個人評価の導入」若しくは「厳格化」ではないかと思います。
前回までにご紹介した「教育の質の保証」や「教員の意識改革」などを解決するための一つのツールとしても重要なものだと思います。

教職員評価のうち教員評価への取り組みは、先の国立大学法人評価委員会による平成18年度の業務実績評価においても特に重視され、積極的な取組みを行っている大学が高い評価を得ていました。

教員評価への取り組みの遅れは、来年度に実施される中期計画期間中の法人評価において、致命的なマイナス評価となり、引いては、次期中期計画期間中の運営費交付金の配分にも影響すると言われています。

各国立大学は、最悪のシナリオにならないよう何らかの手を打たねばならないと悩ましい日々を送っていることでしょう。


国立大学の教員評価への取組状況について、岩手大学の大川一毅准教授らが行った調査*1の結果が記事に掲載されています(2007年10月8日日本経済新聞)のでその一部をご紹介したいと思います。(副題は読みやすくするために私が勝手につけたものです。)

教員個人評価「動機づくり」課題 結果、賞与などにどう反映? 先送り傾向強く


法人化を契機に、教員の個人評価制度を導入する国立大学が増えてきた。
大川一毅岩手大学准教授は、評価制度に課題は多いが、教員の資質向上や学生サービスの改善に効果があると期待を寄せる。
18歳人口の減少や厳しい財政事情の下にあって、世界水準の研究・教育の実施、高等教育機会の確保など、時代や社会の要請に応えるべく、国立大学の一層の改革が求められている。
改革の一環として、教員個人評価システムの開発や評価の実施が進んでいる。
国立大学は、何を目的に、どのような評価をしようとしているのだろうか。

教員評価の目的は「教育・研究の推進」

調査に対し、67大学(回答大学の97.1%)が、教員の個人評価を実施、または実施に向けた具体的準備を進めていると答えた。
「教員個人評価に取り組まない」と回答した大学は皆無だった。
教員個人評価を導入・実施する目的を聞いたところ、64大学(同92.7%)が、「教員活動の活性化や教育・研究活動の促進」をあげた。
「査定の手段」と回答した大学は1大学だけだった。

評価結果の活用としてのインセンティブ付与

評価を行う際に重要なのは、どのようなインセンティブ(動機付け)をつけるか、である。
教員個人評価を実施または試行している38大学の選択肢回答では、▽賞与への反映(11大学)▽特別昇給への反映(8大学)▽教員個人研究経費への反映 (6大学)▽昇任考査基礎資料への反映(5大学)▽教員個人の教育経費への反映(4大学)▽給与への反映(3大学)▽学長、部局長等の裁量経費から教育・研究費を提供(2大学)▽その他(25大学)という結果が出た。
多くの大学は、「教員個人評価の導入・実施」自体に高い優先度を置いている。
インセンティブについては、学内合意がとれる範囲で設定するか、今後の検討課題として先送りする傾向が強いことがうかがえる。
今後、評価結果とインセンティブをどのように関連づけていくかは、重要な課題となるだろう。

評価制度導入に当たっての課題

次に、制度を導入・実施する過程で、課題や障害となったことを聞いてみた。
「人事・昇給・昇任等への反映」が33大学で最も多く、これに「学内合意の形成」「インセンティブ措置」「評価領域・指標の策定」がいずれも29大学で続いた。
コストや人的労力の増加を指摘する大学も24に上り、9大学が「評価担当者の選定」をあげた。
「『人事査定』や『勤務評定』に利用することへの危惧を学内から払拭すること」が導入にあたっての優先課題だったと回答する大学もあった。

まずは実施することに意義

教員個人評価制度の導入・実施は進んだが、評価結果を改善に反映させる仕組み、例えばFD活動(ファカルティ・ディベロップメント、教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組み)と連動させた教員の資質向上策などは今後の課題と回答する大学が大半だった。
調査では、国立大学の教員個人評価には、依然として課題が山積することが浮き彫りになった。
だが、教員個人評価が導入・実施されたこと自体が、まずは意義あることだと考えるべきだろう。
大学は、それぞれの理念・目標に照らして、期待する教員像を明らかにし、教員個人評価制度を組織的に機能させた。
これによって、教員は目指す方向性を大学と共有し、大学組織の一員である自覚を深めながら、自らの活動を顧み、今後を展望する機会を持った。
教育活動重視という教員個人評価の特性も、学生の視点に立った教育実践意識の浸透に影響している。
教員個人評価が、単なる評価のためだけではなく、教員の資質向上と、学生への高いサービスの提供に貢献する方途として、発展していくことを期待したい。


教員評価の現実は


そもそも、教員評価の目的とは何なのでしょうか。

関係資料をめくってみると、教員評価は決して教員をランク付けすることを目的としているわけではなく、改善点を把握し、教員個人の意識改革を促したり、教員個人の学術レベルを向上させたり、社会への説明責任を果たしたり、教育研究の質を確保するといったことが本来の目的のようです。

実に良いことではないかと私は思うのですが、上記にご紹介した記事のように、教員評価制度の速やかな導入とその円滑な運用において、各大学の並々ならぬ努力の結果は十分に満足できる状況にはなっていないようです。

教員評価について議論する大学内の会議の様子を耳にすることがあります。

「何のために自分達が評価されなければならないのか」といった初歩的な議論が会議のたびに繰り返され、時計の針が止まった状態(場合によっては逆回りをし始める状態)が延々と繰り返されることがよくあるそうです。

また、ようやく一歩を踏み出すことができても、評価項目の設定、評価結果の活用などといった各論に入ると、「教員比較ができないようにするために共通項目は設けない」「人事考課には反映させないようにする」といったことが前提にならないと話は進まないようです。

さらには、「評価を受ける教員自身が評価ルールをつくっている」ために、「おちこぼれを出さない評価基準や、項目」になってしまい、実施の際には、あくまでも自己評価であるために、ほとんどの教員が「ペナルティのがれの過大評価」をしているなど、何のために評価を行うのかが完全に欠落したものとなってしまい、評価担当者の方々は、公平・公正な教員評価の難しさ、もどかしさにずい分と苛立ちを感じておられるようです。

こういった教員の抵抗的な行動が、大学の改革を遅らせ、世間の常識との乖離を拡げていくことになります。

教員の中には、学生への教育、研究の高度化、社会貢献などの面において、寸暇を惜しんで、敬服するほどの情熱をもって懸命に取り組んでいる人がたくさんいます。

その中には個人評価の結果など取るに足りないと思っている方もいるのかもしれませんが、私から見ると、そういった方々が評価の面で、そうでない教員と同列同等に扱われることは、いかがなものだろうかと思ってしまいます。

民間企業など世の中の常識から見れば、国立大学に評価システムを導入することや、評価結果を活用した教職員の資質向上、引いては教育研究の活性化・高度化を図っていくことは当然のことでしょうし、評価を受けることは、税金を経営資源とする国立大学から生活の糧を頂戴する者としての義務であると私は思うのですが、なぜそこまで評価に抵抗なさるのでしょうか・・・。

2007年11月30日金曜日

大学教員の意識改革

前回ご紹介した大学教育の質の保証をはじめとして、大学の教育改革を進めていく上で避けて通れないのが、人材養成の最前線にいる教員の「意識改革」の問題ではないかと思います。

法人化によって、国立大学の教員の意識改革がどこまで進んだか。


ある報告書*1で、教員の意識に関する学長へのアンケート調査の結果が披露されていました。

結論的には必ずしも学長の評価は高いとは言えない内容で、また、学長や理事といった執行部と一般の教員の間に、法人化に伴う改革の必要性や現実についての認識にギャップがあることについて指摘されていました。

法人化は、国立大学における教員集団の意識改革(集団無責任体制から代表民主制による機能的な自立運営体制)への大きな契機のはずだったが、大学により、それが進んでいるところと、そうでないところの差が大きくなりつつある。

法人化後数年経過した現在でも、多くの国立大学にこのような状況があり、制度設計上の法人化の理念や目的は思うように達成されていないようです。

教員の意識改革の遅れに起因する諸問題


また、別の報告書*2では、教員の意識改革の遅れに起因する諸問題について、主として次のような指摘がなされています。

民間企業等から国立大学の経営に参画している外部人材から見た教員の意識改革の遅れは、決して放置しておくことができない状況に至っているようです。
  • 学長の権限が拡大したはずであったが、十分に機能していない。大学の古い体質、また全学一丸となって改革に取り組むという教員の意識が低いことが主たる要因ではないか。
  • 全学で危機意識を共有しているようには思えない。私学の理事を務めているが落差を感じる。
  • 旧来の大学自治組織の残影が払拭されていない点は改善の余地がある。
  • 「象牙の塔」にとどまらず、もっともっと社会の意見を吸収する柔軟さが必要。
  • 教員は既得権を守るのに必死である。
  • 「変わりたくない」という意識が強い。
  • 組織防衛的な考えが先にたつ。
  • 教員に改革マインドが薄く、現状維持派になりやすい。世の中のグローバル化が進む中で、当然ながら講義は英語でやらなければならない時代が来ている。しかし、これは教員の抵抗が強く改善できないでいる。
  • 将来に対しての教員の危機意識が薄い。
  • 道州制の議論がかなり現実味を帯びてきている昨今、生き残りをかける存在感がある大学を実現できるか、あるいは吸収合併されるのか、全教員が真剣に時代と向き合わなければならない。
  • 大学運営には、リーダーシップの下、教員の協力が重要であるということと、ボトムアップを基本にした運営との違いをはっきりと教員に理解してもらうことが求められている。
  • 国の機関であった時の慣習を切り捨てられないため、法人化したメリット面を十分活用できない。
  • 教員の意識改革が不十分であり、大学全体の改革が進まない。
  • 法人化に関する理解が不十分であり、特に教員の意識は旧態依然たるものがある。
  • 学問の自治を拡大解釈している。そのため、大学運営の効率化・スピードが遅くなっている。
  • 教員に多く見られる自己中心性の強さ、大学あっての自分という感覚は薄い。
  • 問題は、学部や学科における古い体質だと思う。若手及び役員会の教授は現状を明確に認識しているが、現場の教授達の中には、自分の研究にしか興味のない方もいる。国立大学だけではないが、大学教育が「学会」での研究成果以外では評価されにくいところが、大学運営の難しいところだと感じている。一部には、教授自身が、自分の所属する大学に愛着を感じていないのではないか・・・と思うことが他大学を見ていてあり、大学を挙げて・・・ということが難しい。
  • 大学改革で一番の障害となるのは教員の意識(保守的・独善的・非協力的態度等)。この問題解決のためにはショック療法的なものが必要。
  • 国立大学における教員の意識改革の立ち遅れ、既得権への固執、改めきれないでいる数々の旧弊など、諸悪の根源は本質的に旧態依然とした学長選挙のシステムにあると考える。学長は選挙の功労として驚くほど能力が欠如している役員を指名せざるを得ず、抜本的な改革に取り組む姿勢の学長は、多くの大学で再選されていない。かくして一部教員の危機感を尻目に大多数の教員はなんとかなるだろうと惰性と既得権に安住しているかのごとくである。
  • 法人化されて「改革」が必要とされていながら、改革の意識に欠ける教員がブレーキをかける印象がある。まだまだ学部意識が強い。
  • 大学全員入学時代の到来に対して、大学の存立の危機に対する意識と行動が弱い。
  • 横並び、わが教室・学部、唯我独尊・・・から「法人化」へ移行したのは何のためか。新しい時代への対応はどうするのか等の認識が甘い。

*1:「国立大学法人の財務・経営の実態に関する総合的研究」(天野郁夫氏)

*2:「国立大学法人における外部人材活用方策に関する調査研究」(代表者本間政雄氏)


2007年11月29日木曜日

大学教育の質の保証

大学再生 勉学意欲引き出す教育を(平成19年11月26日 産経ニュース)

大学教育について、文部科学省の中央教育審議会が卒業認定の厳格化など抜本改革を検討している。学生の質や意欲の低下が心配されるアンケート結果もでている。全入時代を迎え、高等教育の質向上を真剣に考えるときだ。

「入るのは難しく出るのはやさしい」「受験勉強はするが入学後は勉強しない」という日本の大学、学生の実態は以前から批判されてきた。

中教審では10年前の旧大学審議会時代、授業に出なくても「優」が取れる大学教育には警鐘を鳴らし、単位認定の厳格化などを求めた。

その後、大学によっては、取得単位の平均成績が一定基準に満たないと進級させない米国型の「GPA(グレード・ポイント・アベレージ)」を導入するといった取り組みもみられる。
だが、成績が悪ければ退学を勧告する厳しい姿勢の大学は一部だ。大学は変わっていないという不信が強まり、逆に大学生の質低下への懸念はさらに広がっている。

総務省などの調査*1によると、学生の学習時間は1日平均3時間足らずで、学外での予習勉強は「ほとんどしない」学生が半数にのぼる。海外の大学生では考えられない数字だ。

東京大学の研究グループが全国の学生を対象に実施したアンケート*2では、「授業はきっかけで後は自分で学びたい」という回答は約25%にすぎず、「必要なことは授業のなかですべて扱ってほしい」が約74%と圧倒的に多かった。「難しくてもチャレンジングな授業」を敬遠する傾向もでた。

学生を受け入れる企業側には大学教育への不満が強い。むしろ期待しない風潮の方が定着しつつある。

就職活動も早期化し、4年生の初めには内定してしまう。こうした状況にあって、大学で何を学ぶか、高等教育のあり方そのものが問われている。
中教審小委員会が卒業認定の厳格化などを提言した報告の中では、就職を過度に意識するあまり、大学が資格取得や専門学校のような教育に走る傾向にくぎをさしている。

大学は「入るのもやさしい」という全入時代を迎え、各学部・学科が教育方針を明確にして卒業させる責任がより高まっている。大学本来の責任と教育内容を再考してほしい。


厳格な成績評価


全入時代を迎えた今、我が国の高等教育の将来や、社会を支えることとなる人材の養成を考える上で、避けて通れないのが「大学教育の質の保証」の問題であり、中教審や文科省が現状に懸念を持ち、将来に向けた対応策を真剣に考え始めたことはとてもよいことではないかと思います。

でも、この課題、上記記事でも触れてありましたが、実は10年ほど前の大学審議会(現在の中央教育審議会)答申でしっかり指摘されていることなのです。
大学現場ではそれなりの工夫や改善が図られてきていると思われますが、取組みの遅れについては十分反省すべきなのかもしれません。

この大学審議会答申*3のうち、関係部分をご紹介します。


教育方法等の改善-責任ある授業運営と厳格な成績評価の実施-

1 授業の設計と教員の教育責任

我が国の大学制度は単位制度を基本としており、単位制度の実質化は教育方法の改善にとって重要な課題である。
現在の単位制度は、教室における授業と事前・事後の準備学習・復習を合わせて単位を授与するものであり、学生の自主的な学習が求められる。
このため、教室における授業だけでなく、授業の前提として読んでおくべき文献を指示するなど学生が事前に行う準備学習・復習についても指示を与えることが教員の務めである。
このことについて、大学当局はもとより各教員が十分自覚して授業の設計と学習指導を行うことが必要である。
同時に、学生の側においても主体的に学習に取り組むことが求められる。

2 成績評価基準の明示と厳格な成績評価の実施

大学の社会的責任として、学生の卒業時における質の確保を図るため、教員は学生に対してあらかじめ各授業における学習目標や目標達成のための授業の方法及び計画とともに、成績評価基準を明示した上で、厳格な成績評価を実施すべきである。
なお、厳格な成績評価の実施の結果、留年者による収容定員超過が生ずる可能性があるが、こうした定員超過については大学の設置認可や私学助成の際に弾力的に取り扱うことが適当である。

3 履修科目登録の上限設定と指導

学生の履修科目の過剰登録を防ぐことを通じて、教室における授業と学生の教室外学習を合わせた充実した授業展開を可能とし、少数の授業科目を実質的に学習できるようにすることにより、単位制度の実質化を図る必要がある。
このため学生が1年間あるいは1学期間に履修科目登録できる単位数の上限を各大学が定めるものとする旨を大学設置基準において明確にする必要がある。
また、個々の学生に対して履修指導を行う指導教員等を置くことも重要である。

4 教員の教育内容・授業方法の改善

各大学は、個々の教員の教育内容・方法の改善のため、全学的にあるいは学部・学科全体で、それぞれの大学等の理念・目標や教育内容・方法についての組織的な研究・研修(ファカルティ・ディベロップメント)の実施に努めるものとする旨を大学設置基準において明確にすることが必要である。
なお、個々の授業の質の向上を図るに当たっては、シラバスの充実等の取組が重要である。

5 教育活動の評価の実施

教育の質の向上のため、自己点検・評価や学生による授業評価の実施など様々な機会を通じて、継続的に大学の組織的な教育活動に対する評価及び個々の教員の教育活動に対する評価の両面から評価を行うことが重要である。
その際、教室における授業及び教室外の準備学習等の指示、成績評価などの具体的実施状況を評価の対象とすることにより、単位制度の実質化と教育内容の充実を図ることが重要である。
また、教育活動の在り方については、卒業生が働いている職場など外部の意見も聞き、それを踏まえて更なる改善につなげていくことが有効である。

6 学生の就職・採用活動に当たっての大学及び産業界の取組

大学と産業界は、学生の就職・採用活動が秩序ある形で行われるよう、適時、情報交換等を行うとともに、それぞれ適切な取組を進めることが重要である。
大学は、学生の卒業時における質の確保を図るため、教育内容及び教育方法の改善を進め責任ある授業運営を行うとともに、学生が自己の責任において主体的に就職活動を行えるよう就職指導の充実に努める必要がある。
また、産業界においては、大学の教育活動を尊重し、可能な限り休日や祝日等に採用活動を実施するとともに、過度に早期の採用活動を行わないよう期待する。
さらに、採用に当たっては、学校歴ではなく学生の大学における学習歴を一層重視した人物・能力本位の採用の取組が更に進められるとともに、男女雇用機会均等法に沿い、女子学生の雇用の機会均等が図られることを期待する。

2007年11月28日水曜日

給与法の改正と人件費改革

給与法改正案が成立、審議官以上の手当引き上げ見送り

今年度の人事院勧告を受けた改正給与法が26日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。
勧告に従い、国家公務員の初任給など若年層に限定した月給や、期末・勤勉手当(ボーナス)などを引き上げる。
一方、厳しい財政状況や相次ぐ官僚の不祥事を受け、政府は勧告のうち審議官級以上の「指定職」の期末・勤勉手当などの引き上げを見送った。(平成19年11月26日 日本経済新聞)


平成19年の人事院勧告に対する給与法の改正は11月30日に公布・施行されることになっています。
4月1日に遡って適用され、報道によれば、総額で約440億円の人件費が追加発生するそうです。
なお、これは国家公務員に限った数字ですから、連動して実施されることになる(であろう)独立行政法人や地方自治体など公的セクターを含めた全体では想像を絶する大きな数字になることでしょう。

国立大学における給与改定

国家公務員の場合は、追加財政需要としての補正予算が組まれ、4月に遡及した差額が支給されることになりますが、つい4年ほど前まで同じ国家公務員であった国立大学の教職員については、国家公務員に準じた給与体系とはなってはいるものの、安易に追従することは大変難しい状況にあります。

その理由は、法人化後の国立大学の財政構造にあります。

国立大学の経営は、主に、学生納付金、附属病院収入、寄付金など自己努力で確保する財源と、国から交付される運営費交付金という税金*1により賄われています。

このうち、運営費交付金は、いわゆる渡しきり経費として交付され、使途が特定されない裁量性の高い資金である反面、年度途中に国から追加交付を受けることはできない資金でもあります。

つまり、今回のように国家公務員の給与の引き上げが行われ、それに準じた取り扱いをしようと思っても、国家公務員のように補正予算が組まれ、そのための財源が自動的に配分されるようなしくみにはなっていないわけです。

したがって、既に交付された運営費交付金の範囲内で、自助努力によって財源を捻出しなければならないことになります。今回のように若年層に限定した増額改定であっても、中規模大学では数千万円の財源を調達しなければならないことになります。

国立大学における人件費管理

法人化後の国立大学は、国(税金)に経営財源を依存しつつも、完全に親方日の丸であった国の時代とは違い、自己責任において健全かつ安定的な経営を行うことが求められるようになりました。

このため、ほとんどの大学では、中・長期将来を見通した財政計画を策定し、特に支出に占めるウエイトが最も大きい人件費*2については、詳細なシミュレーションを繰り返し実施するなど、徹底した人件費管理が行われています。

このように、現在の国立大学には厳しい経営努力が求められており(民間企業にしてみればまだまだ甘いのかもしれませんが)、今後、その成果如何によっては、国立大学間の給与格差が次第に拡大していくことになるのだろうと思われます。(既に昨年あたりから、国立大学の教職員の間に給与水準の格差が生まれているとの情報もあります。)

国立大学における人件費改革

さて、国家公務員の給与改定を例にとり、国立大学の財務構造に起因する人件費管理の課題をご紹介しましたが、国立大学が内包する課題の解決だけでは適切な人件費管理は維持できないことについてご紹介したいと思います。

現在、我が国では、財政危機からの脱却を目指し、「国家公務員の総人件費改革」*3 *4 *5が進められており、多くの税金が投入されている国立大学にも適用(国立大学の教職員の人件費も削減の対象と)されています。

この改革により、現在国立大学は、平成18年度から22年度までの5年間で5%の人件費を削減することが義務付けられており、平成16年度の法人化以降、既にノルマとして課せられてきた運営費交付金の毎年度1%の効率化減と合わせると、中規模大学では毎年1億円を超える予算の削減を実行していかなければなりません。

大学が行う「ヒトづくり」と企業が行う「モノづくり」とは、使命、役割、機能といった面で基本的に異なるものではないかと私は思うのですが、残念ながら、国が現在進めている重点施策は、企業あるいは行政機関と、大学という人を育む教育機関を同列に位置づけ、大幅な人件費の削減を求めることなのであり、これが我が国の将来にとってどれだけ意味のあることなのか疑問に思います。

国立大学の人件費の在り方

さて、ここで、国立大学の人件費の問題について書かれた報告書*6をご紹介したいと思います。

国立大学の人件費の現状と課題が浮き彫りにされ、今後の在り方について確かな示唆を与えてくれるものではないかと思います。


文部科学省を通じて各国立大学法人に配分される運営費交付金、ひいては各法人の経常支出の主要部分を占めるのは人件費である。経常支出に占める人件費比率が80%を超える大学も少なくない。

教職員が国家公務員であった時代には、人件費は職種・職階別に人事院によって定められた給与表に基づき算定された額が、各教職員に支払われていた。
その教職員の職種・職階別の数も、例えば教授何人、助教授何人というように定員法により、各大学・部局毎に定められていたから、大学にとって人件費それ自体が大学運営上の重要問題とされることはなかった。
ただ、新しい教育研究活動を始めようとすれば、その都度人員、つまり新しい定員要求をしなければならず、それが新規概算要求の最重要の目標とされてきたことは周知のとおりである。
その一方で、行財政改革の一環として(特に事務職員の)定員の計画的削減が早い時期から進められており、定員削減を回避することが可能になる(はず)というのが、法人化に反対する国立大学側の説得材料とされた時期もあった。

こうした人件費の在り方は、法人化によって一変した。
今や人件費は、どの国立大学法人にとっても、経営上の最重要課題になったといっても言い過ぎではない。

何よりも、教職員が国家公務員身分を失うとともに定員法は廃止され、従来支払われてきた人件費の各大学分の総額が、運営費交付金の主要部分として配分されることになった。
その額は、標準的な学生・教員比率を基に文部科学省が定める算式によって計算されることになっているが、実際にはその総額は、法人化された2004年時点の各大学の実態にほぼ沿った額になるよう配慮がされた上で算定された。
各大学はこの法人化初年度の算定・配分額を出発点に、それぞれ独自に給与水準を設定し、教職員数を決める「自由」を獲得したのである。

ただ、この人件費については、人事院の定める国家公務員の給与水準が算定のベースとなっているから、国立大学法人の教職員は非公務員化したといっても、その枠から全く「自由」ではあり得ない、というより、実質的にそれに強く拘束されている。

その上、法人化当初は効率化係数の対象外とされていた人件費にも、中期計画中に5%の削減が求められるようになり、各大学ともそれを前提に、人件費の削減に向けたシミュレーションの実施や計画の策定を、文部科学省から強く求められている。

「全学的な経費節減方策を持っているか」という質問に対して、「人件費全般」の節減策を持っていると答えた大学(財務担当理事)が86%と、「一般管理費全般」のそれ(77%)を上回っているのは、そうした厳しい現実の表れと見てよいだろう。
ただ、その節減策がどこまで「長期的な予測や推計」に立ったものになっているのかとなると、法人化2年目ということもあり、各大学の立ち遅れた現状が見えてくる。
すでに長期的な予測・推計を行っている大学は約3割(31%)にとどまり、残りの7割(67%)は、ようやく検討を始めたところだからである。
対応策を立てているとはいっても、退職者の後のポストの不補充や採用凍結、欠員補充の留保などが中心であり、長期的な展望に立った人件費対策を実施しているのは、まだ一握りの大学に過ぎないのである。

国家公務員としてのポストと給与が、安定的に保証された「親方日の丸」の時代は終わった今、長期的な展望に立った、人件費の合理化政策が差し迫って必要とされていることは言うまでもない。
しかし同時に大学は労働集約的、しかも人材の質が決定的な重要性を持つ、プロフェッションとしての教員・研究者主体の経営体である。
その大学の、経営合理化のしわ寄せが、人件費に最も強く及び、収支のバランスが人件費を「浮かせる」ことで保たれるというのは、どう見ても望ましい状況とは言えない。

「運営費交付金に占める人件費の割合が75%とかなり大きい。経営の視点からはかなり厳しい数字であると思われる。しかし、高等教育機関における人は「コスト」ではなく「リソース」である。大学の競争力は、どれだけ優秀な教員(研究力と教育力に秀でた各分野のトップランナー)と、専門性の高い事務職員を集められるかにかかっているのである。

運営費交付金の減額分のダメージをできる限り押さえるためには、一般管理費の節約と外部資金・競争資金の獲得に、より一層励むことが課題であると認識している」(某財務担当理事)
そうした「正論」が、大学経営に貫かれるためにも、運営費交付金制度の中核部分である人件費の、政府による一方的かつ長期的な削減策は、再検討される必要があろう。


*1:例えば、東京大学の場合収入総額の約半分、自己収入の少ない単科大学の場合には、より高い割合
*2:例えば、東京大学の場合支出総額の約4割、中規模大学では概ね平均6割程度
*3:「行政改革の重要方針」(総人件費改革の実行計画等)(平成17年12月24日閣議決定)
*4:「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」(平成18年5月26日成立、同6月2日公布施行)
*5:「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006について」(平成18年7月7日閣議決定)」
*6:「国立大学法人の財務・経営の実態に関する総合的研究」(平成19年3月天野郁夫氏)

2007年11月27日火曜日

大学の倫理観とディスクローズ

「目安箱」で大学変えます 全入時代に向け広がる

庶民の声を施策に生かそうと、江戸時代に将軍徳川吉宗が設けた「目安箱」。
その大学版とも言える取り組みが広がり始めた。学長に学生や職員が「直訴」できる仕組みだ。
間近に迫る「全入時代」や国立大学の法人化で、一層の経営改善を求められている昨今の大学。享保の改革ならぬ平成の大学改革に、学生らの声を生かせるか。

「学長直行便」。成蹊大(東京都武蔵野市)は05年11月、そう名付けたポスト型の箱を学内3カ所に設置した。
直行便は、栗田恵輔学長の発案で始まった。今や電子メールが全盛の時代。学生の意見をメールで募る大学は珍しくないが、なぜ本物の箱を置いて手書きの意見を投函してもらうのか。

栗田学長は「メールだと、あまり深く物事を考えないで惰性で人に意見を伝えることがあると思った。きちんと字を書いてもらうことに意味がある」。
原則記名式で、月に2度回収。これまでに240通が集まった。意見にはすべて栗田学長が目を通し、必要ならば関係部署と相談して回答する。意見と回答は学内のウェブで公表される。

「成蹊大は社会活動やボランティアへの支援策が手薄では」。そんな意見を受け、学内に外部の団体との連絡窓口となる「ボランティアセンター」の設立準備室ができた。
「不親切」などの意見が目立った職員の対応を改善したら、学内の調査で学生の不満度がほぼ半減した。成果は表れてきている。

広島経済大(広島市)は03年12月に意見箱「聞いて学長!」を食堂など学内3カ所に設置。
「学生の声を改革に生かしたい」という石田恒夫学長の思いを実現させた。
これまでに寄せられた意見は約500件。すべて学長が目を通し、回答と一緒に箱の近くなどに掲示するようにしている。

山の中腹にキャンパスがあるため、通学に苦労していた学生から改善を求める意見が多く寄せられ、約500台分の駐車場を整備する大規模事業につながったことも。
ただ、これだけ集まれば、単なる「わがまま」のような意見も少なくない。同大はそんな意見にも、「懇切丁寧に、学生でもわかりやすいよう回答しています」(入試広報室)という。

東京大(文京区)は06年7月、小宮山宏総長の発案で目安箱制度を始めた。
ウェブ上で書き込む形に加え、象徴の意味も込め、同年8月に本物の箱を三つ設置。

当初は教職員を想定していたが、徐々に学生からの意見も増えてきた。ウェブも含め、これまで寄せられた150件超の意見のうち、学生が寄せた分は約10件。環境保全のため、「冬は20度、夏は28度」という空調設定の徹底を総長に求める意見や、「煙害」への対応を求める意見など様々だ。(平成19年11月25日付 朝日新聞)

三重大学長がブログ開設 「発信力が試される時代」


三重大の豊田長康学長(57)が、インターネットでブログ(日記)を始めた。
学内の日々の行事に参加して思うことや、国立大学への国の補助金にあたる運営交付金の配分に競争原理を導入する見直し問題などへの見解をつづっている。学長ブログは県内の13大学・短大で初めて。「これからは学長の発信力が試される時代」と意気込んでいる。
タイトルは「ある地方大学長のつぼやき」。「つぶやき」と「ぼやき」を掛け合わせた。
10月22日にスタートし、これまで12回更新した。カメラ付き携帯電話で撮影した写真も掲載している。

きっかけは今年5月に浮上した国立大学の運営費交付金の見直し問題。
地方大学への交付金が激減し、三重大にとっても存続の危機に立たされるだけに、学長自ら緊急記者会見や県議会での意見陳述で見直しを訴え。
そのかいあって、県や県議会など県内6団体の要望書につながった。
「トップ自ら考えを発信すれば、分かってくれる人がいる」と“目覚めた”という。

今月19日に書き込んだブログでは、野呂昭彦知事に同行した文部科学省への陳情をテーマに「県民と地方大学が心を合わせて行動し、中央にものを言う形ができた」とつづった。
最新の20日分は、体育会応援団の公演を見て「どの大学にも負けない胸を張って誇れるものを増やそう」と書いた。

目標は2日に1回の更新。「秘書が書いたような飾り物ではなく、私の人柄が出るブログにしたい」と話している。 ブログのアドレスは、http://www.mie-u.ac.jp/blog/(平成19年11月25日付 中日新聞)

情報公開に向けた意識改革


社会、とりわけ学生や保護者、地域などのステークホルダーから意見や提案を収集し、ミッション達成に活用する大学が増えてきました。
さらには三重大学のように、学長自らが大学の社会的責任、説明責任を果たすことに努力している大学もあります。
国の時代にはなかった素晴らしい取り組みだと思いますし、少しでも社会と大学の垣根が取り払われることを期待したいと思います。

さて、大学は、上記のような取組みだけではなく、学校教育法や大学設置基準にも書かれてあるように、大学の教育研究活動の情報の公表・公開という基本的な責務にも真摯に対応していくことが求められています。

残念ながら現状においては、透明性の確保に向けた教職員の意識レベルがまだまだ低く、閉鎖性を取り除くための地道な努力がまずは必要なのかもしれません。

情報公開制度について一例をご紹介します。

国や独立行政法人(国立大学法人を含む。)には、法律により、保有する法人文書等の情報を国民に公開し、説明責任を果たす義務が課せられています。このため、国立大学の場合には、情報公開窓口や開示・不開示の判断を行うための会議体(例えば「情報公開委員会」)が設けられています。

時代を反映してか、最近では開示請求件数が増え続けているようです。
当然、関連する事務負担も増えるわけですが、国民の利益につながることですから、税金によって経営が支えられている国立大学としては、積極的な情報公開に取り組んでいかなければならないわけです。

聞くところによると、最近、多くの国立大学で、製薬会社や医療法人との関係が問題視されている医学部(又は附属病院)への寄付金に関する情報公開(寄付者名、寄付金額、受入教員名などの開示)を報道機関から求められているケースが増えているそうです。

ある大学では、開示・不開示の判断(最終的には学長の判断ですが)を行う委員会では、積極的な情報公開を行うべきという意見(主に事務職員)と、不開示を主張する意見(教員)とに分かれ、結果は一部開示となったものの、開示すべき法人文書がどういう文書なのかわからなくなるほど、真っ黒な墨塗りになってしまったそうです。

また、この委員会で交わされた議論の中には、まるで後ろめたいことをやっている悪者達の談合のように、国民が聞いたらびっくりするような閉鎖的、保身的な意見が数多く、まさに「大学の常識が社会の非常識」という言葉がぴったりの状況だったようです。

さらに、一部開示の決定に当たっては、不開示部分についての不服申し立てを受けることが前提となっていたとのことで、このような法律の目的や趣旨*1に従わない確信犯的な決定をした大学の責任は極めて重いのではないかと思います。

大学は、憲法により保障された神聖な学問の府として、こういった社会の求めに反した、あるいは国民を愚弄するような行為を決して行うべきではありませんし、社会との垣根をより高く頑強な壁にしてしまうこのような愚かな行為は、自ら堕落の道を目指して突き進んでいるようなものではないでしょうか。


*1:独立行政法人等の保有する情報の公開に関する法律の目的(第1条):この法律は、国民主権の理念にのっとり、法人文書の開示を請求する権利及び独立行政法人等の諸活動に関する情報の提供につき定めること等により、独立行政法人等の保有する情報の一層の公開を図り、もって独立行政法人等の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。

2007年11月26日月曜日

科学技術の振興

「研究開発人材」5年で質量とも低下 文科省調査

国内の研究開発人材が、この5年で質量ともに低下していると、第一線の研究者が感じていることが、文部科学省科学技術政策研究所の意識調査で分かった。
国は96年から5年ごとに科学技術基本計画を立て、10年間で科学技術分野に約38兆7000億円を重点配分してきたが、人材育成に関しては期待したほど成果が上がっていないようだ。

調査は昨年11~12月、大学の学長や研究所の管理職、基本計画で重点の置かれた生命科学や材料科学、エネルギーなど8分野の一線の研究者ら約1400人に実施。研究資金や人材、産学連携などの現状を質問し、約1200人からの回答を分野ごとにまとめた。

研究者の数や質を5年前と比較する設問では、「質が上がった」という分野は皆無。
情報通信やものづくり、エネルギーなど5分野では「やや低くなった」と評価された。
研究者の数もほとんどが「横ばい」か「やや減った」とされた。

自由記述では、「ポストの減少で数も質も劣化」(環境)▽「博士号取得者は増えたが、全体として質は低下」(ナノ・材料)▽「分野内の領域ごとに偏りがある」(生命科学)--などの回答があった。

同研究所の桑原輝雄・総務研究官は「現場の実感では、政策の効果が十分に表れていないと受け取れる。
今後、聞き取り調査などで理由を探りたい」と話している。

現在必要な取り組みとしては、各分野とも「人材育成と確保」がトップ。
特に、基礎研究を担う人材育成が急務とされた。
また、若手育成では、博士やポスドク(任期付き博士研究員)の就職支援を求める声が多かった。(平成19年11月23日付毎日新聞)


科学技術基本計画の成果は

平成7年11月、「科学技術基本法」という法律が制定されました。

この法律は、議員立法により全会一致で可決成立した法律で、21世紀に向けて我が国が「科学技術創造立国」を目指して、科学技術の振興を強力に推進していく上での大きなバックボーンとなるものとして作られました。

また、この法律の制定を受け、平成8年7月には「科学技術基本計画」が策定されました。

これは、科学技術の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るための基本的な計画で、現在、平成18年3月に作られた第3期計画により関連施策が進められています。

この「科学技術基本計画」に盛り込まれている施策の一つに、「大学・大学院等の研究施設及び研究設備の拡充・高度化、老朽化対策等」があります。

科学技術基本法や科学技術基本計画が策定された当時の大学、特に国立大学の研究環境は極めて劣悪で、経年20年以上の建物は、全体の49%(平成6年)もあり、老朽化が著しく進んでいました。

参考までに、朝日新聞発行の「アエラ」の記事の一部(平成3年)をご紹介しておきましょう。

=頭脳の棺桶国立大学=

国立大学が、日本の繁栄から、取り残されている。

廊下で実験する狭さ、資料室に虫がわく汚さ・・・。そんな劣悪環境の中で、日本の頭脳が、疲弊しはじめている。

日本は急速に豊かになったが、その豊かさは、国立大学を素通りしてしまった。

その繁栄と高度技術社会の明日を支える基礎研究と教育の場所は、まるでタイムカプセルをのぞくように、どこも、狭く、古く、雨漏りがし、その分、士気が低い。

時代に見合った研究設備の購入、そのための施設の拡張どころか、老朽施設の改修も、ほとんどなされていない。

国立大学のあえぎは、文部省予算の推移を見れば、一目瞭然である。

国立大学に高等専門学校と共同利用機関を加えた計168の「国立学校」の施設整備費は、昭和54年度をピークに激減。平成3年度の898億円は、物価上昇を勘案すると、昭和39年度(261億円)の水準さえ、大幅に下回っている。

「文部省予算は、人件費の割合が大きい。マイナスシーリングで総枠が抑えられ、物件費にしわ寄せがきた。大学の施設は、橋や道路と違って、議員さんにとっては、票にならないですからねェ。学者先生たちも、最近は少しは動いてくれますが、とても圧力団体にはならないのですよ。」と文部省課長。


以上のような状況からの早期脱却や科学技術創造立国を目指した科学技術政策が、これまで、厳しい財政事情の中、膨大な税財源を投資し進められてきたわけですが、冒頭の記事によれば、「モノの豊かさによってヒトを育てる」ことはできなかったようです。


財政制度等審議会の建議


現在の科学技術政策に対する一つの検証結果が、上記記事を裏付けるように、去る11月19日にとりまとめられた財政制度等審議会の「平成20年度予算の編成等に関する建議」において示されています。


科学技術予算については、これまで他の経費を上回る高い伸びが確保されており、科学技術振興費は過去10年間で1.6倍、過去15年間で2.5倍に増加。

我が国における研究開発費(民間を含む。)の対GDP比は主要国中でも際立っており、科学技術・研究開発に対するインプット(資源投入)の面では国際的にも高い水準に達しているが、その投資効果については、未だ十分に示されているとは言えない状況。

特に、競争的研究資金については拡充を図ってきたところであるが、過大な経費の見積りや、執行の年度末集中等、予算の効率的な配分・執行に疑問を抱かせる事例も指摘されている。

また、昨今問題となっている研究費の不正使用についても、対策は端緒についたばかり。

こうした状況の中、科学技術予算について量的な拡大のみにとらわれるのではなく、投資の効率化と成果の実現を重視した、質的な改善こそが求められている。

特に、後年度の国庫負担をもたらす大規模プロジェクトについては、投資効果について国民への説明責任を十分に果たすとともに、一定の必要性が認められる施策であっても、その相対的な優先順位を峻別することが重要。

研究費についても、まずは不正対策や、不合理な集中・重複排除の取組の実効性を検証することが先決であり、予算総額の伸びを抑制しつつ、その中での直接経費・間接経費の区分の見極めや執行の効率化によって、研究支援効果を高めていくべき。

科学技術振興費の約7割は独立行政法人によって執行されているが、これらの中には、事務系職員を中心として給与水準が高い法人も多くみられる。

国家公務員の総人件費改革を踏まえ、国民の理解が得られる適正な給与水準とするよう聖域なく徹底した効率化を進めるべき。


我が国の科学技術政策が真の成果を得るためには、霞が関の政策立案者の視点と、研究現場である大学などの力とが相まって進められていくことが何より必要であり、そのためには、現場が今何を必要としているのかを霞が関は十分に汲み取り政策に反映させていくことが重要であり不可欠なことだということではないでしょうか。

2007年11月24日土曜日

大学事務職員の役割と意識改革

事務部門の運営上の問題点

最近、大学事務職員の役割・機能を論じる記事や、能力開発に関する活動を紹介した記事等を読む機会が増えました。

少子化社会の到来とともに、大学経営の重要性が従来以上に認識されてきていることの表れなのかもしれません。

特に、法人化によって、国の附属組織から、独立した経営体として自分の足で歩き始めなければならなくなった国立大学にとっては、事務職員の担う役割が非常に重要になってきており、平和な公務員生活を送ってきた事務職員は大きな意識変革を迫られることになりました。

既に法人化後4年目を迎えていますが、彼らは期待どおりの役割を果たすことができているのでしょうか。

法人化後の国立大学の事務職員の役割や当面する課題については、これまでもいろんな形で有識者による分析が行われていますが、今回は、国立大学の内情に詳しい天野郁夫氏(国立大学財務・経営センター)のレポート*1をご紹介したいと思います。

教員頼みの大学運営は、事務機構の整備や職員の能力開発の遅れと深くかかわっている。これまでの教授会自治を基盤にした、教員中心の運営方式の下では、事務局に求められたのは、定められた諸規則にもとづくルーティン化した事務処理が大部分であり、職員に大学運営に直接かかわる企画立案等の能力や責任が求められることは、ほとんどなかった。

文部科学省の厳しい官僚主義的な統制が、それをさらに強化する役割を果たしてきたことはいうまでもない。また、具体的な個別の業務にかかわる能力についても、ゼネラリスト重視の官僚の世界を反映して、総務・人事・会計・施設といった大まかな領域設定はあっても、それぞれの職員の専門性が重視され、系統的な人材の育成や能力開発が図られることはなかった。

それだけでなく、法人化前の国立大学では、事務局の指揮命令権限は、人事を含めて文部科学省から異動官職としてやってくる、事務局長をはじめとする幹部職員にあり、学長には何の権限も認められていなかった。

法人化後、事務局の編成から人事まで、権限は文部科学省から大学・学長に全面的に移譲されることになった。その結果、事務局長を置くか置かないかを含めて、各大学とも、事務局の再編や人事について様々な工夫を凝らすようになったことを、調査の結果から知ることができる。

例えば事務局長制についてみれば、従来どおり事務局長を置き事務の一元的統括を行っている大学が3分の1(33%)、事務局長を兼ねる担当理事による一元的統括に変えた大学が約4割(39%)ある一方で、事務局長を置かず、総務等の担当理事が一元的に統括する大学(7%)や、各担当理事が部門ごとに統括する大学(11%)など、多様化が進んでいる。

また、担当理事制が一般的になる中、財務担当理事のうち31人が文部科学省の異動官職でなく、教員出身者で占められていることは既に述べたが、人事担当の理事についても34人が教員出身者となっている。文部科学省からの異動官職が、依然として財務・人事・総務等の主要ポストを占めているものの、役員会、引いては学長と教員出身の理事主導の大学運営が、事務部門にも及びつつあることがうかがわれる。

ただ、法人化から2年が終わった段階で、事務部門の再編はある程度進んだものの、これまで完全に別組織であった事務部門と教学部門を、法人のもとにどのように有機的な関連付け、「イコール・パートナー」として位置付けていくかについて、多くの大学が手探り状態にあることが、「事務部門の運営上の問題点」についての学長たちの自由回答結果からうかがわれる。

【自由回答結果】
  • 法人化後、直面した新たな課題に対応していくためには、事務部門の縦割り構造や、これまでの業務のやり方に拘泥するような意識では対応していくことが困難。管理職からの意識改革が必要。

  • 6名の理事と事務の部門は直結しているため、この縦割り制が部門間の連携を阻害している。総務担当理事の一元的統括は、人事等に限らざるを得ない。

  • 事務局長所管の事務部門と担当理事所管の部門間の調整が十分とはいえない。そのため、事務局長を理事とし、事務組織の統括と全体調整に責任ある立場から当たることができるようにする予定。

  • 指揮系統の明確化を図るとともに、部課ごとのセクショナリズムの軽減を図る必要がある。

  • 異動官職と学内職員との融和が不十分。

  • 各理事の職掌の下で事務が進行するため、横の連絡が十分に取れなくなってきている。大学運営を戦略的に進めていく中で、その総括的組織が整備されていないため体系的な取組みが不十分。

  • 教員出身の理事と事務部門の連携が円滑に動いていない場合がある。

  • 学長の多くが、法人化により「管理運営の合理化・効率化」が進んだと考えていることは、最初に見たとおりである。しかし、その過程で執行体制、とりわけ実働部隊である事務部門の抱える様々な問題が見えてきたというのが、法人化から2年後の現実といってよいだろう。

  • 教員出身の学長や理事にとって、また役員会にとって、事務部門の指揮命令も、経理や人事等の実務も、全てが新しい経験であり、真に合理的で効率的な管理運営の在り方を求めて、手探り状態が続いているのである。

事務職員の意識改革

現在、多くの国立大学において事務改革に向けた取り組みが進められていることは既にご紹介しましたが、なかなか抜本的かつ迅速な解決には至ってはいないようです。なぜならば、改革に最も重要とされる意識改革、というより意識のない者への意識付けに相当手間取っているからのようです。

先日ご紹介しました外部人材レポート*2でも、次のような事務職員の意識改革の遅れに関する厳しい指摘が記述されていました。

大学という閉鎖社会に身を置く人々の感覚の甘さに対する社会の厳しい批判として真摯に受け止め、速やかに具体的な行動に移すことが求められています。

  • 法人化に伴い求められる自立意識がまだ芽生えていない。

  • 法人になって3年あまりになっても、まだ意識改革が不十分。

  • 事務長の事務職員に対する権威・権限が強く、事務サイドが萎縮している。

  • 法人経営に対する意識改革が遅々として進まない。

  • 組織としての意思決定のプロセスに時間の概念が欠如している。また、組織としての意思決定があっても、不満であれば実行しない(従わない)ことが許される雰囲気がある。権限、リーダーシップ、予算などを駆使して、このような意識改革を早急に進めることが必要。

  • 長い国立大学時代の仕事の進め方が身にしみついている。

  • 未だ国家公務員意識を持ち、大過なく働くことを第一とする傾向大。愛校心よりも文科省が絶対になっている(経営の意味を解せず)。

  • 中期計画及び年度計画を本気で遂行しようとする者はごく一部。

  • 長期的に物事を考えるのが不得手。

  • 危機意識が少ないためにリスク感度が甘い。

  • 経済合理性で物事を判断する習慣がない。

  • 勤務時間に対するメリハリに乏しい。

  • 管理職(課長、課長補佐等)の態度が保守的であり、現状を変えることに絶えず抵抗がある。多くの意思決定がなされるが、これを実行する段になると腰砕けになる。

  • 公務員感覚から抜けきっていないところがあり、法人の経営という意味での意識が十分ではない。意識改革のために教育・訓練、経営に適した人材の育成・登用、経営に向けての教員・職員の一体感・チーム意識の醸成・高揚に一層の努力が必要。

  • 法人化の目的が学長や一部の教職員を除いて理解されていない。

  • 様々な問題を抱えているにもかかわらず、全般に危機意識は必ずしも高くなく、民間から積極的に学ぼう、外の意見を積極的に取り入れていこうとする意欲も高くない。特にそれが最も必要な事務局において甚だしい。

  • 日々の業務執行に当たって目標達成意識を持っていない。

  • 国立大学法人のスタッフに進取の気概が欠けている。

  • 「忙しい」が口実になり、合理化・効率化が進んでいない。

  • スピード感が遅く、その際、ネックになっているのが公務員意識が抜け切れない点にある。

  • 目標達成に向けた戦略や戦術が不足。意識が低い。

  • 公務員体質や事なかれ主義等組織の活性化を阻害する体質が醸成されている。

  • 個人の独立意識が強く、協調性が乏しい。

  • 全学一丸となって改革に取り組むという意識が低い。

  • 法人化しても、役所・役人・親方日の丸の意識が抜けていない。改革しようとしている学長の意向が、教授から受付職員にまで全体に及んでいない。全体として相変わらず役人である。

  • 意識が以前とあまり変わっていない。新しい役割・仕事に積極的に取り組もうとしない。

  • 事務改革・組織改革においては、抜本的な意識改革による大幅な削減がもっとできるはず。

  • 将来に対しての危機意識が薄い。

  • 事務部門における、いわゆる「お役所仕事」からの脱皮が必要。

  • 事務幹部の責任感不足。異動官職制は即刻廃止すべき。

  • 自分の立場に対する認識が欠如。

  • 目的は何かという発想を身につけていない。そのように育てられていない。

  • 危機感が希薄な者、自己本位の者がおり、一層の意識改革への取り組みが必要。

  • 旧態依然の考え方で物事を進めようとしている。

  • 地域性のためか、時代の流れを認識していない。

  • 経営責任があることをもっと認識すべき。

  • 国の機関であった時の慣習を切り捨てられないため、法人化したメリット面を十分活用できていない。

  • 意識改革を末端にまで徹底することが必要。


*1:「国立大学法人の財務・経営の実態に関する総合的研究」(2007.3月)

*2:「国立大学法人における外部人材活用方策に関する調査研究」(2007.4月)

2007年11月22日木曜日

地方国立大学の役割と存在意義

地方国立大学の挑戦

来る12月14日(金)、15日(土)に岐阜大学において、「地方国立大学の挑戦」と題したシンポジウム(岐阜大学、国立大学協会主催)が開催されます。
■日時 2007年12月14日(金)~15日(土)
■場所 岐阜大学講堂(入場無料、申し込み不要)
■主催 国立大学法人岐阜大学、社団法人国立大学協会
■目的 地域社会の活性化を担う知の拠点としての地方国立大学の大学像について、大学長らを中心とする専門家による討論の場を設け、大学関係者及び市民等に地方大学の活動と役割について広く意見を発信し、深い理解を得ることを目的とします。
■日程等
岐阜大学ホームページ

競争原理VS経済効果


今夏6月に経済財政諮問会議によって取りまとめられた「骨太方針2007」への道のりで、財務省と文部科学省が特に力を入れたテーマの一つが「大学・大学院改革」であり、「国立大学への競争原理の導入」でした。国立大学の運営費交付金を研究実績に応じて傾斜配分する「競争原理」の導入を迫る財務省に対し、文部科学省は国立大学の地方貢献を強調することにより成果主義導入案に対抗しました。

中でも、文部科学省は、これまでの「地域の知の拠点」一点張りの論法に変化を加え、これまで未検証だった「地方国立大学が地域に与える経済効果」という経済面でのアピールを行いました。文部科学省が財団法人日本経済研究所に委託した調査によって、地方国立大学が地域に与える経済効果(1大学当たりの生産誘発効果)は400億円~700億円、雇用創出数は6000人から9000人に上ることが明らかになりました。

これは、地方に立地する附属病院を持つ総合大学が当該県に与える経済効果をシミュレーションしたものですが、例えば、生産誘発額、雇用創出数で見た場合、
  • 弘前大学 406億円(6774人)
  • 群馬大学 597億円(9114人)
  • 三重大学 428億円(6895人)
  • 山口大学 667億円(9007人)
となっており、雇用創出数は各大学とも県全体の1%を占め、鹿児島県での九州新幹線開業による効果166億円、九州地方のJ1リーグサッカーチームによる効果 24億円よりも経済効果があるとしています。このほかにも、九州大学、高知大学などでは独自に経済効果を算出し地域に根ざす大学としてのアピールを行っています。

地方国立大学の本質とは


この一連の経済効果報道に対する国民の受け止め方には賛否両論あったようですが、あるブログでは次のようにコメントされていました。

大学に対して経済効果があるならいくらでもお金を出して良いというわけではないはず。
大学でも、ほとんど成果を上げていないのなら、つぶれて然るべきだと思う。
大学として良くないのであれば、例え経済効果があったとしても存続させるべきではない。
学校はやはり、教育や研究に対する貢献度で評価されるべきであって、その他の要素はあくまでも二次的なものにすぎない。

大学の本質から考えてみれば当然のご指摘であり反論の余地はありません。
しかしながら、この一連の経済効果報道、実は、文部科学省が伝えたかった趣旨から相当はずれたものになっていたようです。
文部科学省が作成したプレス発表資料によれば、プレスに強調したかったのは、実は経済効果ではなく、地方の国立大学が教育や研究活動を通じ、地域においていかに貢献しているか、地域における役割がいかに重要かについてのようなのです。

例えば次のような内容についても発表しているのに、マスコミは経済効果しか取り上げていません。

いずれも、我が国の国公私立大学のうち、「東京都、京都府、大阪府、政令指定都市に立地する国立大学」と「その他の地域の国立大学」とを比較した場合として、
  • 研究論文数(日本国内上位30大学中) → 都市11大学:地方13大学
  • 地域の知の拠点を形成する大学 → 文部科学省の競争的資金である「21世紀COEプログラム」の採択状況(平成14~16年度)では、都市24%:地方31%
  • 人材養成の面から見た大学 → 地域別に見た理工分野での大学院在学者の状況(平成18年度)では、修士課程で、都市27.8%:29.3%、博士課程で、 37.5%:32.5%
  • 産業界の研究開発に寄与する大学 → 大学発ベンチャー実績(上位50大学中)では、都市16大学:地方21大学、共同研究実績(金額ベース上位50大学)では、都市19大学:地方25大学、中小企業との共同研究実績(件数ベース上位50大学)では、都市34.2%:地方62.1%
と、地方大学の活躍が強調されています。


ある新聞社説に次のようなコメントがありました。

地方の国立大学にも一層の改革努力が求められる。
他県からも学生が集まるような特色ある教育をし、強みと言える研究分野を持つことが肝要だ。
地域経済への貢献や、地元自治体などへの人材輩出で存在意義をアピールする必要もある。


現在、来年度予算の編成作業真っ只中。財務省VS文部科学省の熱い闘いが繰り広げられていることでしょう。
国立大学の運営費交付金の行方は、我が国の高等教育の将来はもとより、地域に根ざした地域と共生する大学づくりを目指す地方国立大学の存在意義に大きな影響を及ぼすことになるかもしれません。

地域における国立大学の存在意義


学長に前文部科学事務次官の結城章夫氏が就任したことで何かと取沙汰された山形大学。
報道の取りあげ方が大学のイメージを少々下げることになってしまったわけですが、実はこの大学、これまで様々な素晴らしい改革を遂げてきています。その改革を先導してきたのが、前学長の仙道富士郎氏であり、山形大学を地域に根ざした地域とともに発展する大学として育ててきた手腕は高い評価を得ています。

仙道氏は、地方大学の存在意義について次のようにコメントされています。


現在、わが国の経済は好景気を保っていることが言われておりますが、それは中央に限ったことで、地方の景気は決して良くなっていないとも言われております。
この現象を経済の構造から見てみますと、グローバルな経済にリンクしている企業は好景気を保っているが、ドメスティックな企業の景気は決して良くないということになり、中央には前者の企業が多く、地方の企業は後者が多いことがわかっています。
この地域格差をいかに克服するのかが地方の行政や経済界の大きな課題となっていますが、この課題解決の第一条件としては、地域の差別化をいかに行いうるかがポイントになります。
つまり、どこかで行われた改革をなぞるようなことでは差別化は不可能であり、常に変化していく社会に適応すべく、地域も新しい差別化を模索し続けなければならないことになります。


そのためには、地域は常に学び続けることが必要になります。OECDの大学の地域貢献に関する報告書の中で述べられている「learning economy」という概念の誕生であります。そして、「learning economy」を可能にするためには、「learning area」、「学習する地域」の存在が必須であります。その「learning area」の中心的な役割を果たすのが、21世紀の知の拠点としての大学ではないでしょうか。


つまり、地域の活性化のために地方大学は重要な位置を占めており、それが地方大学の存在意義を物語っているのだと思います。

2007年11月21日水曜日

役員の役割と存在意義

軍需専門商社と防衛省の守屋前事務次官との疑わしい関係に東京地検特捜部のメスが入り事実関係の解明が進められていますが、この過程で閣僚の関与が取り立たされ、現在、福田政権は、安倍前内閣同様、閣僚の品格にかかわる問題で大変難しい舵取りを迫られています。

さて、例えが正確かどうかは別として、法人化後の国立大学には、内閣に相当するしくみが法律によって整備されています。
学長を総理大臣とすれば、閣僚に相当するものが「理事」といわれる役員ということになるでしょう。

現在の国立大学には、前回ご紹介した、いわゆる「外部人材」により指摘された数多くの問題点や課題が山積していますが、解決のための重要なポイントの一つが「大学のトップマネジメントの在り方」ではないかと思います。


(参考)現在の理事体制について「外部人材」が指摘した主な内容

  • 法人のトップは、「運営」と「経営」の違いを本質的かつ根本的に理解し、真の意味の「法人化」を実現しようと心底コミットしているようには見えない。

  • PDCAのサイクルがなかなか定着しない。執行部がその模範を示すべきではないか。本当の意味での法人化を希求するのであれば、執行部並びに事務の中枢部門に複数の人材を採用すべきであろう。経営のわかる人間が組織の一部となり、旧来の官僚主義と闘う必要がある。

  • 組織経営の基本や方法に関する知識や認識が経営陣に不足している。外部の人材をより一層活用し、組織改革・方法論取得を加速させる必要がある。

  • 学長・理事・部局長のリーダーシップと率先垂範が不十分である。

  • 経営について、もっと専門家を入れるべき。教員では経営はできない。

  • 理事の経営者としての意識が欠如しており、無難な道を選択したがる。

  • 学長・理事を含めた執行部の体制が弱い。

  • 理事に直結した事務組織体制をとっているが、理事間及び事務組織間の連携が十分取れていない。

  • 学長、理事は、経営責任があることをもっと認識すべきである。

  • 大学の運営能力のあるメンバーが極めて少なく、高等教育論的な知識も欠けている。

  • 学長が学部長を任命する人事など、学長のリーダーシップを発揮できる環境を整備すること。

今回は、経営資源の大半を国民の税金に依存している国立大学で、その税金から高額の報酬を得ている経営者たる理事について考えてみたいと思います。

国立大学法人における理事とは


国立大学には、法人化後、役員として、学長、監事(2人)及び国立大学法人法で定められた員数(法定数)以内の理事が置かれています。

国立大学法人法によれば、「理事は、学長の定めるところにより、学長を補佐して国立大学法人の業務を掌理し、学長に事故あるときはその職務を代理し、学長が欠員のときはその職務を行う。」(第11条第3項)とされ、理事は、「人格が高潔で、学識が優れ、かつ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営する能力を有する者のうちから行わなければならない。」(第12条第7項)とされています。

また、学長が理事を任命するに当たっては、「任命の際現に当該国立大学法人の役員又は職員でない者が含まれるようにしなければならない。」(第14条)と規定され、このいわゆる学外者の登用に関して、文部科学事務次官通知では、「例えば経済界や私学関係者、高度専門職業人など広く学外から国立大学法人の経営に関し高い見識を有する者や各分野の専門家を登用することが期待される」とされています。

これは、その国立大学の教職員などの学内者だけでは、国立大学法人法が期待する効率的で効果的な大学運営が難しく、また学内者だけではどうしても大学運営が閉鎖的になりがちであることを踏まえたものと考えられます。

法人化前の国立大学では、学長を中心とした執行部が制度的に存在せず、教学と経営の両面にわたる大学の重要事項は、教授会の審議を経て、最終的には評議会で決定されることになっていました。
学長を補佐するため、学校教育法に基づく副学長を置く大学もありましたが、これはあくまでも補佐機能の強化という視点に立った措置であり、学長、副学長に最終的な決定権限は持たされていませんでした。

理事は法の趣旨に応え十分に機能しているのでしょうか


学長や理事には、大学の理念に基づく自学の在るべき姿を具体的に描き、そこに行き着くための戦略を明確にすることが立場上求められており、そのためには、企画戦略を強化するとともに、責任と権限が伴った執行体制の整備が必要となってきます。

しかしながら、法人化以降の3年半、理事を間近で見てきた者の一人としては、まだまだ理事としての役割や使命の達成度、そのために必要な資質の充実度の面において満足のいく状態にはないと実感しています。前回ご紹介した「外部人材」からの指摘でも同様のことが伺えます。

意思決定責任と権限が不明確です


法人化後の国立大学における最高意思決定機関は、学長、理事で構成する役員会であり、これは法律上も明確にされています。
したがって、大学経営面での責任と権限は、学長、理事にあります。

しかしながら、現実には、教学側教員で構成される「教育研究評議会」や、各部局の利害調整機関として多くの国立大学で運用上設置されている「部局長会議」、さらには各部局の「教授会」の了承なしには、実質的に物事を前に進めることはできないという実態があります。
特に前2者の主要な構成員である部局長(学部長や研究科長等)は、相変わらず「部局の自治」を振りかざし、法人経営の最高責任者である学長の方針と対立する場面が繰り返されているのです。

まさに「部局あって大学なし」の思想が常態化しており、そのために、当然ながら「役員会」の役割・機能、学長や役員会のリーダーシップを十分に果たすことができなくなっているのです。

理事職の立場が不安定です


国立大学では、制度上、学長が「法人組織の長」(役員会の長、私立大学の場合の理事長)と、「教学組織の学長」を兼ねることになっており、理事は、少数の民間企業や官公庁等からの登用を除いて、大半が学内の教員出身者で占められています。
私立大学が経営組織と教学組織を明確に分離していることと大きく異なる点です。

学長が任命権を持つ理事は、専任職が制度上の原則になっていますが、上記のように、大半の理事が、教育研究の場である「部局」から法人の「執行部」へのいわゆる出向者(教員出身)であるため、多くは任期終了後には再び出身部局に戻って教育研究の職に就くことになります。

このため、在職中でも、授業や研究活動を続ける理事が多く、結局は、出身部局に後ろ髪を引かれながら、また、出身部局との円満な関係に神経を使いながらの職務遂行となり、全学的視点に立った戦略を体を張って遂行するような勇気のある理事は皆無に等しいわけです。

この点については、教員による人気投票によって選出される学長においても、出身部局や学長選考における支援部局への配慮、授業や研究など教員としての活動を続ける面において同様のことが言えると思います。

経営のプロが不在です


国立大学では、法人化後、特に学長のリーダーシップの発揮や強化が求められていますが、理事の大半が前述のように教員出身者で占められており、「和を尊ぶ雰囲気」や「なかよしクラブ的経営」の傾向が強く、理事同士の厳しい議論や、その結果としての強力な連携が不足しています。

副学長、学長補佐などといった職を設け、学長補佐機能を強化することも無意味ではありませんが、いずれも学内教員出身者からの起用にとどまっている場合が多く、今後教員出身の理事は、教学から完全に離れて、大学経営に関する専門家、有識者として自立しスキルアップに心がけ、当該大学の発展のために骨を埋める覚悟を持つことが不可欠なのではないでしょうか。

また、学長は、理事の資質に不十分な状況があれば、学内教員に替え外部人材を登用するなど、大学経営に責任を持った勇気ある行動が必要なのではないでしょうか。

さらに、現在、全国の国立大学の理事にほぼ例外なく文部科学省出身の職員が出向していますが、彼らは国立大学が文部科学省の地方出先機関であった時代には、事務局長という立場で文部科学省と国立大学の重要なパイプ役を果たしてきたのでしょうが、自主的・自律的経営を目指す法人制度や理事体制が導入された現在においては、従来の行政手法よりも民間的経営手法が求められており、今後は、自分のキャリアパスという側面だけで国立大学を腰掛的に転勤するのではなく、その大学の一員としての自覚を深めることや、経営者としての資質を備える努力を行っていくべきだと思います。競争と淘汰は免れない時代に入っていることを十分認識すべきです。

2007年11月20日火曜日

財政審の建議

財務大臣の私的諮問機関である財政制度等審議会は、19日、平成20年度予算の編成等に関する建議を取りまとめました。
毎年のことではありますが、この建議を機に、今後予算編成が本格化していきます。
高等教育関係については、これまでの審議経過でも明らかなように、財務省の思惑どおりの内容になっています。
事項立ては例年どおりのようですが、今回の建議における主な内容(抜粋)は次のようなものです。


公務員人件費(国家公務員等)
  • 国立大学法人等においても、国家公務員の総人件費改革を踏まえた改革を引き続き推進し、財政支出の抑制に反映させなければならない。また、国家公務員の給与水準を考慮して国民の理解が得られる適正な給与水準とするよう必要な見直しを行うべき。
国立大学法人運営費交付金
  • 「基本方針2006」に則り、▲1%の削減は行うべき。

  • 学長のリーダーシップの問題や教職員の意識改革の遅れ、業務・人事・組織の非効率性などが学外関係者から指摘されていること(注1)、民間から海外研究機関への研究費支出は伸びており、これを国内大学へ引き寄せる余地があることなどから、改革努力を更に進めていく必要。

  • 現行の配分ルールのままでは、国立大学法人間でのダイナミックな資源配分のシフトを行い、世界で通用する大学を実現していくことには大きな制約があるため、平成22年度以降の第2期中期目標・計画に向け、「6月建議」(注2)でも述べたとおり、国立大学法人運営費交付金の配分ルールについては、国立大学法人の教育・研究等の機能分化、再編・集約化に資するよう、大学の成果や実績、競争原理に基づく配分へと大胆に見直す必要。平成19年度中にこれらの見直しの方向性を示すべき。


(注1)学外から見た国立大学の改革意識*1

<経営協議会学外委員>
学外委員は、経営協議会などを通じて「教員、職員の意識改革の遅れ」などの課題を看取する一方、運営費交付金の削減、法人化後も残る政府の規制、財務面での制約などに懸念をもっている。事務組織の非効率性、職員の親方日の丸意識や、幹部職員が短期で交代していくことの問題なども少なからぬ指摘があった。

<学外理事>
学外理事の多くは企業出身者であり、企業人としての経験から国立大学の教職員の意識改革の遅れや、意思決定システムの問題、学長のリーダーシップ不足、事務組織の非効率性、教職員の人事評価の不備、法人化による旧帝大・大規模総合大学と地方の中小規模大学の格差の拡大、運営費交付金の削減への懸念などをかなり強く感じている。

<監 事>
職務上、多くの常勤監事は大学の教育研究や運営の実情を間近に見る機会が多いと考えられるが、実際に「教職員の意識改革の遅れ」や「業務の非効率」、「政府の規制の強さ」、「学長のリーダーシップを発揮できない環境」といった指摘が多く見られた。

<学外経営スタッフ>
学長や理事を補佐する立場の「経営スタッフ」が、事務祖域の硬直性・非効率性、意思決定システムの非効率性や幹部職員の姿勢や能力を問題にしていることは示唆的である。

 (平成19年10月12日財政制度等審議会財政制度分科会財政構造改革部会資料から抜粋)


(注2)平成20年度予算編成の基本的考え方について(平成19年6月6日財政制度等審議会建議)


私学助成
  • 「基本方針2006」に則り、▲1%の削減は行うべき。その際、私学は、学生数が減少を続ける中で、定員割れが全体の4割に上っている状況に鑑み、今後、教育内容も含め戦略的な経営の在り方を構築していくことが求められている。

  • このため、一般補助においては、単に定員割れか否かというだけでなく、より一般的な私学の経営・財務状況を表わす指標を用いるなど、その状況を配分に反映させ、経営の効率化に資するような改革を推進、特別補助については、経営戦略を明確にする私学支援への改革を推進する必要。
奨学金事業
  • 所得要件が緩く、親の世代に当たる40代、50代の世帯の概ね7~8割が貸与の対象となり得ること、貸与率は、10年前には大学等の学生数の1割程度であったが、近年の大幅な拡充により、既に3割となっていることなどの現状にかんがみ、「能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置」を講ずるという教育基本法の目的から乖離しつつあり、その在り方をよく考える必要。

  • これまで当審議会が指摘したとおり、金利リスク・回収リスクへの対応が急務。特に、有利子事業につき、3%の金利上限を付していること、就学中の金利分を事後的にも一切賦課しないことについては、金利上昇に伴い、他の高等教育予算を大きく圧迫する可能性や制度の持続可能性を損なう可能性があることから、その早急な見直しが必要。

  • 回収強化については、貸与人員の拡充もあり、3か月以上の滞納額が大幅に増加し平成18年度末で2,000億円を超える水準(要返還債権に占める割合7.3%)に上っている。日本学生支援機構に対しては責任をもって回収に当たるよう厳しく求めたい。法的措置の一層の強化・拡大とともに、民間委託を推進する必要。また、貸し倒れによる損失を安易に国民全体に転嫁することなく、まずは機関保証の拡充を図っていく必要。ただし、その際は、機関保証が単なる債務の付け替えとならないよう、厳格な回収努力と適正な保証料率の設定が求められる。
科学技術
  • 科学技術予算については、これまで他の経費を上回る高い伸びが確保されており、科学技術振興費は過去10年間で1.6倍、過去15年間で2.5倍に増加。我が国における研究開発費(民間を含む。)の対GDP比は主要国中でも際立っており、科学技術・研究開発に対するインプット(資源投入)の面では国際的にも高い水準に達しているが、その投資効果については、未だ十分に示されているとは言えない状況。

  • 特に、競争的研究資金については拡充を図ってきたところであるが、過大な経費の見積りや、執行の年度末集中等、予算の効率的な配分・執行に疑問を抱かせる事例も指摘されている。また、昨今問題となっている研究費の不正使用についても、対策は端緒についたばかり。

  • こうした状況の中、科学技術予算について量的な拡大のみにとらわれるのではなく、投資の効率化と成果の実現を重視した、質的な改善こそが求められている。

  • 特に、後年度の国庫負担をもたらす大規模プロジェクトについては、投資効果について国民への説明責任を十分に果たすとともに、一定の必要性が認められる施策であっても、その相対的な優先順位を峻別することが重要。

  • 研究費についても、まずは不正対策や、不合理な集中・重複排除の取組の実効性を検証することが先決であり、予算総額の伸びを抑制しつつ、その中での直接経費・間接経費の区分の見極めや執行の効率化によって、研究支援効果を高めていくべき。

  • 科学技術振興費の約7割は独立行政法人によって執行されているが、これらの中には、事務系職員を中心として給与水準が高い法人も多くみられる。国家公務員の総人件費改革を踏まえ、国民の理解が得られる適正な給与水準とするよう聖域なく徹底した効率化を進めるべき。

納税者の立場としては、建議の内容は当然のものとして受け止めることができます。

国立大学は、平成16年度から始まった中期目標期間(6年間)の業務実績評価を、中期目標終了(平成21年度)を待たずに、平成20年度に前倒しで受けなければならないことになっています。
これは、評価結果を平成22年度から始まる次期中期目標期間の運営費交付金の算定に反映させる必要があるためで、実質的には、平成19年度までの4年間の実績の評価によって次期中期目標期間の運営費交付金の配分額が決まってしまうことになります。

6月建議に続くこのたびの建議の内容は、次期中期目標期間における国立大学に対する運営費交付金の削減をねらった財務省の巧妙かつタイムリーな作戦なのであり、未だ生ぬるい体質の国立大学に対する国民的批判や、国立大学に対する運営費交付金の配分の在り方に関する議論を醸成し、歳出削減の切り札にしようとしているものです。

国立大学に関する議論や報道は、国立大学に対する国民の興味・関心が高まるという意味で、国立大学の法人化が国民的議論にならなかった、あるいはそうすることができなかった私達大学側の反省に立てば、大いに歓迎すべきなのかもしれません。
しかし、現在財務省が進めようとしている歳出削減の手法は、「高等教育に対する公財政支出が先進国中で最低である」という我が国の財政政策の欠陥に目をつぶり、真剣に議論し早急に解決しなければならない教育予算の拡充という政策課題から逃げているだけでなく、経済的弱者でも良質な教育を受けることができるという教育の機会均等を我が国で唯一果たし得る国立大学の存在意義や、使命・役割をほとんど無視し又は誤解して行われているものではないかと思います。

また、第1期中期目標期間の途中であるこの時期に、法人化そのものの検証もないままに、次期中期目標期間を見越した経済原理・財政原理の側面のみからの議論が財務省を中心とした政府レベルで進んでいることは国立大学として、あるいは国立大学の運営資金を負担している国民として納得してはならないことであろうと考えます。

現在財務省主導で行われようとしている政策の行き着く先は、毎年減額され続けている国立大学への運営費交付金をこれまで以上に削減することであり、結果として、大学間格差が拡大し地方大学が切り捨てられることになることは明白です。

さらに、国立大学への資源配分を極端な競争原理により行えば、現在設置されている国立大学の約半分が経営破綻するという財務省の驚くべき試算が現実のものとなりかねないばかりか、引いては国立大学の設置形態そのものの危機となり、法人化の際に危惧された国立大学の民営化論に再び火がつくことになるでしょう。

国立大学に十分な資金を与えないということは、国立大学の設置者である国が高等教育に関する国民への責務を自ら放棄したことになるのではないでしょうか。


*1:2006年11月から12月にかけて、全国立大学と外部人材(経営協議会学外委員、学外理事、監事、経営スタッフ、事務組織における外部専門家)に対しアンケート調査(「国立大学法人における外部人材活用方策に関する調査研究」結果から抜粋-立命館副総長、立命館大学教授(高等教育政策論、大学経営論)本間政雄)