2008年12月28日日曜日

危機を乗り越える

世界を吹き荒れる厳しい不況の嵐が、様々な人の生き方を変えようとしています。
派遣、非正規雇用者が次々と職を失い、路頭に迷い、極寒の路上生活を余儀なくされています。
とてもつらいことですが、是非とも目標をひたむきに追い求め、強く生きて危機を乗り越えていただきたいと心から願うばかりです。


日系3世の君へ(2008年12月27日 朝日新聞夕刊:論説委員室から)

お元気ですか、智恵美さん。

日系ブラジル人3世の君とは、3月に静岡市で開かれたシンポジウムでお会いしましたね。柳瀬フラヴィア智恵美というのが本名でした。

9歳の時に来日した君は、苦学しながら3年前、国際基督教大学に合格しました。「将来は、外国人差別のない社会を作りたい」。壇上からそう訴える君に満場の拍手が送られたのを覚えています。
あれから9カ月、不況の嵐が日系ブラジル人社会にも吹き荒れています。

静岡県で派遣労働者として働くご両親について聞くと、電話口の君は「いつ両親が解雇されるか、心配でたまりません」とつらそうでした。

日本にいる日経ブラジル人30万人の子弟のうち、大学進学を果たした若者はわずかです。多くの後輩が君の後に続いてほしいのに、不況の嵐が子どもたちの生活をめちゃめちゃにしています。

親が仕事を失って授業料が払えず、ブラジル人学校を中退する子どもが増えています。もともと日本語の壁がある上に学校に通えなくなっては、荒れる子どもが増えても不思議ではありません。

いてもたってもいられないのでしょう、君は年末、失業した日系ブラジル人のために浜松市のボランティア団体で働くとのことでした。

暗い年の瀬です。でも君は「危機は乗り越えていかねば」と言います。そのたくましさが新年に幸運を招き寄せることを切に祈っています。


関連記事

ブラジル人学校、消えゆく生徒 失業の親、学費払えず(2008年12月28日 朝日新聞)

日本の学校になじめずブラジル人学校に通う子どもたちが、その居場所も次々に奪われている。製造業の現場を支えてきた日系ブラジル人労働者たちが「派遣切り」などで職を失い、授業料を払えなくなっているからだ。冬休みが終わって新学期を迎える時、友だちはどれだけ減っているのだろうか。
《続き》http://www.asahi.com/national/update/1228/OSK200812270075.html


失職の日系ブラジル人、片道切符の帰国 中部空港(2008年12月28日 朝日新聞)

サヨナラにっぽん――。日本経済の象徴の自動車産業までが悲鳴を上げる世界同時不況。その地盤である東海地方の空の窓口、中部空港は寂しい年の瀬を迎えた。職を失った日系ブラジル人は片道切符で母国へ戻り、タイ国際航空は、ファーストクラスを導入後わずか1カ月で打ち切る。
《続き》http://www.asahi.com/special/08016/TKY200812280207.html


定住外国人:雇用や教育など総合支援…政府、2月に緊急策(2008年12月28日 毎日新聞)

政府は日系ブラジル人など定住外国人の雇用や子供の教育、地域社会との共生を包括的に進める「総合支援プラン」(仮称)を作成する方針を固めた。自動車産業などの派遣・請負労働者の削減が定住外国人の生活を直撃しており、省庁横断の取り組みが必要と判断した。状況が急速に悪化しているため、来年2月に緊急支援策を決定。6月に中間報告をまとめ、経済財政運営の指針である「骨太の方針09」に盛り込む。
《続き》http://mainichi.jp/select/today/news/20081228k0000m010100000c.html

2008年12月27日土曜日

国立大学の平成21年度予算予定額

国立大学は今日から年末年始の休暇に入りました。と、のんきなことを言っている世情ではないわけですが・・・。

さて、平成21年度の政府予算案も確定し、国立大学の予算の内容も大枠見えてきています。
国立大学の運営費交付金(税金を原資として各大学に配分されるお金)については、効率化ルールを徹底し、各年度の予算額を名目値で対前年度比1%減(年率)とする「骨太方針2006」の決定に基づき、全体として対前年度▲118億円減の11,695億円が確保されました。また、12月22日には平成21年度の国立大学の入学定員(予定)が発表されましたが、今年度は医学部の大幅な入学定員増(361人)が大きな特徴になっています。

詳細について、独立行政法人国立大学財務・経営センターが配信するメルマガ(平成20年12月26日号)の中から関係記事を抜粋してご紹介します。

1 平成21年度国立大学法人予算内示の概要

平成21年度の国立大学法人(大学共同利用機関法人を含む90法人)の予算案の概要は以下のとおりです。

< 国立大学法人運営費交付金 >

国立大学法人等における教育研究活動を継続的・安定的に支えるとともに、社会のニーズに対応した様々な取組を支援するために必要な基盤的経費

平成21年度予定額 11,695億円 〔対前年度▲118億円減〕(平成20年度予算額11,813億円)
【増▲減要因】閣議決定(骨太方針2006)による▲1%

< 国立大学法人等の事業費 >

平成21年度予定額 21,757億円(受託事業収入等2,652億円を除く)
(内訳)運営費交付金 11,695億円、自己収入 10,062億円

< 教育研究組織の整備 >

(1)新規分野・先端的分野に必要な人材養成のための大学院の整備
(2)社会的要請の強い人材養成のための学部等の整備・医学部定員増 ほか
(3)これまでの入学実績に応じた大学院博士課程入学定員の減
(4)高度専門職業人養成のための専門職大学院の整備
(5)その他の組織整備

< 特別教育研究経費 > (980億円)

新たな教育研究ニーズに対応し、各国立大学等の個性や特色に応じた意欲的な取組を支援

(詳細)

平成21年度国立大学法人予算案概要(大学共同利用機関法人を含む90法人)
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/1/2201000109/1456868

平成21年度国立大学法人予定額の構成(大学共同利用機関法人を含む90法人)
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/2/2201000109/1456868

平成21年度国立大学法人予定額の概要(大学共同利用機関法人を含む90法人)
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/3/2201000109/1456868

平成21年度 教育研究の組織整備の概要
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/4/2201000109/1456868

〔文部科学省のホームページ〕

平成21年度文部科学省予算主要事項(概要版)P19に関連事項が記載されています。
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/5/2201000109/1456868

2 平成21年度国立大学の入学定員について(予定)(文部科学省情報)

平成20年12月22日に、平成21年度の国立大学の入学定員(予定)についてプレス発表されました。

< 大 学 >

全体で316人の増員(入学定員96,272人)
・医学部の入学定員増 361人(医学部を設置するすべての国立大学42大学)

< 大学院 >

博士課程で73人の減員(平成19年度以来3年連続の減員)(入学定員14,116人)
大学院全体では、295人の増員(入学定員57,456人)

1)修士課程 303人の増員(入学定員39,986人)
2)専門職学位課程 65人の増員(入学定員 3,354人)
3)博士課程 73人の減員(入学定員14,116人)

平成21年度国立大学の入学定員について(予定)
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/6/2201000109/1456868

平成21年度国立大学入学定員増減予定表(増減のある大学)
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/7/2201000109/1456868

2008年12月25日木曜日

認知症との闘い

天声人語(2008年12月25日 朝日新聞)(抜粋)

「刑事コロンボ」で知られる米国の俳優、ピーター・フォークさん(81)が認知症を患っていると報じられた。家族を見分けられない状態と聞き、片手を上げて辞去するコート姿が浮かんだ。

日本でも元女優、南田洋子さん(75)の闘病がテレビで紹介され、大きな反響を呼んだ。夫の長門裕之さん(74)による懸命の介護とともに、老境を控えた身にはひとごとではない。著名人の余生に起きた異変に、長寿時代の定めを思う。

老人医療の専門家、フレディ松川さん(62)の近著『フレディの遺言』(朝日新聞出版)を読んだ。前半の「遺言」は、自分が認知症になった時を思い、家族やヘルパーへのお願いをあれこれ連ねたもの。後半は医師として、介護や予防の勘所を説く。

〈私の目をしっかりと見て、優しい声で話しかけてくれたら、きっとあなたが大好きになります〉〈私の心が寂しいとき、私が若いころに大好きだった曲を聞かせてください〉。

温かな挿絵を交えた短文は切なく、哀(かな)しい。だがこれらは、記憶がこぼれ始めてからでは伝えられない。約2千人を看取(みと)った経験が紡ぎ出した、声なき伝言といえる。

理解しがたい言動を目の当たりにした時、叱(しか)れば患者はおびえ、症状が高じかねない。逆に優しく接すれば、軽度に保つこともできるという。


世の中には経験したことのある人でなければわからないことがたくさんありますが、「認知症」という病気の大変さは、患者自身やその介護をする家族など当事者でなければなかなか理解できないものです。

私事で恐縮ですが、私の実母も2年ほど前から、財布や通帳などの紛失など度重なるもの忘れに始まる認知症の症状が見られるようになり、最近では、つい先ほど話したことも覚えていない情けない状態にまで悪化しています。

加えて、本人の性格もあるのかもしれませんが、人に対する猜疑心が強くなり、同居している父や近親者とのトラブルも絶えません。また、人の言うことを素直に聞く耳を持たなくなり、病院に行くことも拒み続けており、仕事や家族の都合で遠く別居している私としては、そばについて介護することもままならず、この先病状の悪化にどう対応したらいいのか解決の糸口さえ見つけることができていません。

世の中にはこういった不治の病である認知症に苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいますし、今後、高齢者の激増に伴い、人間が人間であるが故に起こるこの不幸な病と闘わなければならない方々も悲しいかな増えていくことでしょう。

医療、福祉、介護といった人間が幸せに生きていくうえで不可欠な社会保障を根本から真剣に考え直さなければならない限界点にきています。そのためには、総国民が「認知症」との闘いを「自分のこととして受け止める」ことがまずは必要なのではないでしょうか。

2008年12月24日水曜日

「明日はわが身」を考えない愚かな公務員

前回の日記でもご紹介しましたが、社会の皆様を対象とした「2008年の出来事」に関するアンケート調査では、残念ながらネガティブな内容のものが上位を占めました。特に最近では、アメリカ発金融危機に端を発する世界同時不況を背景とした厳しい雇用情勢が社会的問題となっており、我が国においても深刻さを増しています。

仕事はもちろん生活の基盤となる住居までも失い路頭に迷う方々が激増しています。これからどうやって生きていけばいいのか、奈落の底に追い落とされた多くの方々を一日も早く救い出し、来る新年に希望の光を見出すことのできる政策が求められます。

深刻な雇用崩壊を記した記事があります。


自動車産業、契約切りの嵐 「頭が真っ白」「住む場所は…」(2008年12月15日 産経新聞)(抜粋)

「業績が急激に悪化している。申し訳ないが12月26日で辞めてもらうことになった」
「いすゞ自動車」栃木工場(栃木県大平町)の期間従業員、吉田喜代治さん(48)=仮名=が“契約切り”を宣告されたのは先月17日のこと。仕事中に突然、休憩室に呼び出された。製造工程責任者と労務課長から、A4判の解雇予告通知書を手渡された。9月末に、来年4月7日までの半年契約が結ばれていたはずだった。
この日だけで6人が契約打ち切りを通告された。その光景を見ていた吉田さんの同僚、星野貞雄さん(60)は「部屋から出てくる仲間は目が血走り、顔色がなかった。声をかけられなかった」と話す。
いすゞが打ち出した人員削減は、栃木、藤沢(神奈川県)工場の期間従業員や派遣社員の計1400人。
トヨタ3000人▽日産1500人▽マツダ1400人▽三菱1100人▽富士重工業800人…。ほかの自動車メーカーでも削減が行われる。1年前まで、戦後最長を記録した日本の景気拡大を牽引(けんいん)してきた自動車産業を襲った雇用崩壊。その勢いは、まるで今年の流行語になった「ゲリラ豪雨」のようだ。
「信じられない。頭の中が真っ白になった」と吉田さん。次に浮かんだのが「住む場所はどうなるのか」。会社側は「12月26日から1週間は住んでも構わない」と言ってきた。「1週間後ってことは1月3日。そんな時に開いている不動産屋なんてあるのか…」。その後、3月末まで6畳一室の寮を利用できることにはなったが、雇用への不安を抱えたまま年末年始を迎えることに変わりはない。
来年は、製造業を中心に派遣社員の多くが契約期限切れとなり、一斉に解雇される「2009年問題」が懸念されてきた。
派遣社員、期間従業員などの非正規雇用に関しては、労働者派遣法や有期雇用法で、最長の契約期間が最長3年と定められている。会社はその後、契約を打ち切るか、正社員登用など別の雇用契約への切り替えを行う。吉田さんらの工場でもそれまでの好況を背景に、会社は期間従業員を、積極的に正社員として登用する制度を4月に導入。65人が正社員として採用されたという実績もあった。
しかし、100年に1度ともいわれる景気悪化。2009年を迎える前に、各メーカーは「派遣切り」へと一斉にかじを切った。「いずれは正社員に…」。吉田さんの夢も、もろくも崩れた。
全文→http://sankei.jp.msn.com/life/trend/081215/trd0812152059007-n1.htm


【追加掲載】

天声人語(2008年12月27日 朝日新聞)

故人を含め、指してみたい相手は誰ですか。この質問に、羽生善治さん、森内俊之さんらプロ棋士の多くが同じ名を挙げている。昭和の鬼才と呼ばれた元名人の升田幸三さんだ。家出して頂点を極め、人情味と毒舌、斬新な手で皆を魅了した。
91年に没した升田さんが、勝負と懐具合の関係を語っている。「米びつ開けてみて米がいっぱいではいかん。しかしながらカラでも困る。マスを底のほうへ突っ込んでしゃくったら、ジャリッと音がしたという状態がいい」。
お金が余っていても、すっからかんでも、確かに渾身(こんしん)の力は出にくい。勝負師でもない身なら、少しばかり集中を欠いたとて「満腹」でいたい人が多かろう。逆に、米びつの底が見えたうえ、雇い止めにおびえる立場はどうか。仕事が手につくはずもない。
北風が吹いたきのう、新たに寒い数字が出た。12月だけで3万4千人の非正規社員が失職だという。寮を追われ、初の野宿を強いられる人もいる。防寒の工夫、段ボールや廃棄弁当の入手法、炊き出しの場所など、屋根なく一夜をしのぐすべを知らない、弱者中の弱者だろう。
この年末年始は、週末の巡り合わせで休みが長い。きょうから9日間、駆け込むべき窓口の多くは閉まり、日雇いの仕事も減る。路上ならずとも試練の時だ。
生活困窮者を支援する「反貧困ネットワーク」の湯浅誠さんは話す。「この期間をどう生き延びてもらうか。なにしろ、行政で頼れるものは救急車ぐらいしかないですから」。あまたの命と尊厳が、王手をかけられて年をまたぐ。


現役労働者だけでなく、新卒者のいわゆる「内定取り消し」も深刻な問題です。

文科省、就職問題で緊急会合へ 相次ぐ内定取り消し受け(2008年12月16日 共同通信)

新卒者の就職内定取り消しが相次いでいることを受け、塩谷立文部科学相は16日の閣議後会見で、大学や短大、高等専門学校の関係団体などで構成する就職問題懇談会を19日に緊急開催し、学生へのきめ細かな就職支援を要請する考えを示した。
企業には内定を取り消さないよう求めるとともに、各大学などに対し、年末年始も対応窓口を開いて、学生と連絡が取れるような態勢を整えることや、学校が持つ求人情報をより丁寧に学生に提供することなどを話し合う。
年明けには、専修学校や高校の関係団体も同様の会合を開く予定。
塩谷文科相は15日、日本経団連など経済関係の4団体に、内定取り消しの防止などを要請する文書を送っている。


極めて憂慮すべき事態が社会の中に猛スピードで蔓延している中、とても残念な記事を目にすることになりました。

公務員が景気の動向に左右されない安定した職であるとはいえ、あまりにも世情に疎く緊張感のない役所体質が国立大学や独立行政法人の中に存在していることに強い無念と憤りを感じざるを得ませんでした。


暇な正職員に憤り(2008年12月18日 朝日新聞)

勤務先の国立大学法人で冬の賞与が支給されました。契約職員の私には無縁ですが、仕事には誇りとやりがいを感じており、大きな不満はありません。でも正規職員には、就業中に漫画を読んだり、パソコンゲームをしたりする人がいることに我慢ができません。上司に訴えても、「暇なんだね」の一言で、何も変わりませんでした。働きたくても職場を失ってしまう人の姿が報道されるたび、やりきれなくなります。(契約職員 40代女性)


会計検査院:独法8法人が「昼食手当」13億円 03年から、指摘受け廃止へ(2008年12月18日 毎日新聞)

会計検査院は17日、国民生活センターなど8つの独立行政法人が「食事手当」「食事補助」などの名称で職員に昼食代などを毎月支給、独法化された03年10月から今年9月で計12億9754万円に上ったと発表した。支給の理由は「職員の福利厚生のため」など。他の93独立行政法人では同様の手当がないか廃止され、国の官庁も支給していないという。検査院の指摘を受け、8法人は手当を廃止する。
8法人はほかに、科学技術振興機構、農畜産業振興機構、新エネルギー・産業技術総合開発機構、日本貿易振興機構、石油天然ガス・金属鉱物資源機構、中小企業基盤整備機構、都市再生機構。検査院が指摘した期間内の支給額は、最多が日本貿易振興機構の3億2507万円、最少が科学技術振興機構の1121万円だった。
検査院によると、8法人は毎月、1人当たり2000~9150円を支給。8法人とも独法化前から支給していた。職員の給与水準は国家公務員より2~3割高いという。日本貿易振興機構は「社会情勢にかんがみて廃止した」と説明している。
全文→http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081218ddm012040020000c.html

本当になさけない話です・・・。

2008年12月23日火曜日

2008年の様相

今年も残りわずかになりました。毎年のことながら我が家では、暮れの週末は年賀状作りと家の大掃除で大騒ぎです。何事もぎりぎりにならないと動き出さない悪弊はなかなか直りそうにありません・・・。

年賀状を書きながら、自分や家族の今年一年を振り返りつつ、社会で起こった出来事を思い浮かべてみました。今年もいろんなことがありましたね。社会の皆様の印象に残ったニュースも様々だったのではないでしょうか。ちなみに、「ヤフーバリューインサイト」という会社が調査した結果を見てみましょう。

「あなたの2008年」と題するこの調査によると、印象に残った2008年のニュースは、「ガソリン価格上昇」が85%で1位。以下、「食品偽装事件(事故米など)」(71%)、「食品への有害物質混入事件(メラミンなど)」(64%)など、ネガティブなニュースが上位を占めています。1位の「ガソリン価格上昇」は、いずれの年代でも高く、性別・年代に関わらずインパクトを与えたようです。また、「食品偽装事件(事故米など)」では、年代が高いほどスコアが高くなる傾向が見られ、特に女性の40代以上で関心が高かったようです。

また、学校法人産業能率大学が、企業経営者を対象に「2008年に最も優れていた社長は誰だと思うか」「社長が選ぶ今年のビジネスキーワード」に関するアンケート調査を行っています。結果を見てみると、「サブプライム」(1位=圧勝)、「原油価格高騰・下落」(2位)、「世界同時不況」(4位)など、当然のことながら経営に直結する問題が上位を占めているようです。

ビジネスキーワード

1位 サブプライム
2位 原油価格高騰/下落
3位 リーマンショック
4位 世界同時不況
5位 食品偽装
6位 金融危機
7位 景気後退
8位 メタボ
9位 ワーキングプア
10位 燃油サーチャージ


さて。皆さんの2008年はいかがでしたか?

2008年12月22日月曜日

ゆず湯

我が家では、週末は子どもたちと父親である私が一緒にお風呂に入ることになっています。普段は仕事でなかなかコミュニケーションの時間がとれないためです。と言っても、とても狭いお風呂なのでみんなで一緒に湯船にゆっくり浸かって会話するといったことは不可能なのですが・・・。昨日、いつものようにお風呂に入ろうとしたところ、柑橘系のいい香りが。なんと湯船には「ゆず」が浮かんでいました。そういえば「冬至」。季節を感じながらいつもよりゆったりと温まることができました。

ところで、皆さん、冬至にゆず湯に入る理由をご存知でしょうか。お恥ずかしながら、私は古くからの慣習という程度しか知りませんでした。子どもから質問され即答することがかなわず彼らの軽蔑の眼差しに親の面子を潰されそうになったので早速調べてみました。ご存知でなかった方は一緒に勉強しましょう。「湯の国WEB」というサイトからの引用です。

「1年中でもっとも昼が短く、夜がいちばん長くなる冬至(とうじ)。冬至にゆず湯の風呂に入ると、『1年中風邪をひかない』という言い伝えがあります。なぜ冬至にゆず湯なのかというと、「冬至」に「湯治(とうじ)」が、かけられており、また、「柚子(ゆず)」だけに「融通(ゆうずう)が利く(きく)ように」という願いがこめられていると言われています。もちろん、柚子(ゆず)がこの時期に旬を迎えることにもよります。

柚子の精油成分には、蜜柑の皮と同じく血行を促進させる働きがあり、風呂に入れると身体を芯から温めます。新陳代謝も活発になるので、疲れや痛みもとれ、冷え性にも効果があります。ゆず湯は、日ごとに厳しくなっていく寒さに備えるための冬の風呂です。」

ゆず湯の作り方・効能については、以下をご参照ください。
http://www.yunokuni.com/bath12/0412.html

季節を感じる機会の少なくなった気ぜわしい現代の生活だからこそ、こういった先人が培ってきた古来の慣習を大事にして、少しでもゆとりのある生活が送れるよう心がけたいものです。そのことが子どもたちへの真の教育にも繋がっていくのではないでしょうか。

2008年12月21日日曜日

高等教育政策の動向

去る12月18日、麻生内閣発足後初めての教育再生懇談会が開催されました。報道によれば、麻生総理は、教育を国家戦略の中心に据える考えを示し、「公教育の充実」に向け、早急に具体策をまとめるように要請したようです。また、教育再生懇談会は、総理に教科書の充実など教育の「質の向上」に向けた具体策を提言した第2次報告を提出したようです。

首相「教育を国家戦略の中心に」 再生懇メンバーも拡充へ(2008年12月19日 産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081219/plc0812190046000-n1.htm


教育再生懇談会では、これまで初等中等教育を中心に議論が行われてきましたが、今後高等教育に関する議論が進行していくものと思われます。

今回の会議で示された資料「大学全入時代の教育の在り方について(論点メモ)」のうち、前回の日記でご紹介した高等教育予算との関連が深い部分を抜粋しておきたいと思います。


高等教育に対する公的支援の在り方

優れた教育研究を進めるための、大学への公的支援の在り方とは何か。大学への支援が納税者の支持を得られ、かつ、大学教育の質の向上に資するようにするには、どのように支援方法を変革することが必要か。

1 質の担保を前提とした高等教育に対する公的支援について

質の担保をなおざりにし、量的拡大に応じて公的支援を増額することは納税者の賛同を得られないのではないか。質を担保した大学については、学力不問入試などによる学生の確保に囚われることなく、安定的な経営ができるよう、公的支援を増やすべきではないか。反対に、質の担保が得られない大学を公的支援の枠から外すことで、選択と集中を図るべきではないか。

2 高等教育に対する公的支援の拡充について

(1)運営面への支援

国立大学運営費交付金、私学助成、各種GPなどの公費についても、「質が担保された大学」のみを対象とすることについてどう考えるか。

(例)質が担保された大学への公的支援の重点化に際しては、私費負担軽減の観点から、授業料の上昇を抑制する。

(2)家計負担への支援

家計負担の大きな日本の高等教育の実態を踏まえ、優秀で意欲のある学生に教育機会を与えるために、どのような方策を講じるべきか。

【高等教育に係る学生1人当たりの私費負担割合】※「OECDインディケータ」(2008年版)
日本:66.3%、米国:65.3%、英国:33.1%、フランス:16.4%、ドイツ:14.7%(OECD平均:26.9%)

(2-1)大学院生、特に博士課程学生への給付制の支援方策(RA等)の拡大

経済的支援を受ける博士課程在籍者のうち、月額5万円未満の受給対象者は過半数に達しており、なおアルバイトや家庭からの給付に頼らざるを得ない状況にある。研究に専念し得る環境づくりのための、博士課程学生への支援をどのように考えるか。

【経済的支援を受ける博士課程在籍者の支給月額】
5万円未満:52.8%、5万円以上10万円未満:20.7%、10万円以上15万円未満:5.8%、15万円以上20万円未満:10.7%、20万円以上:9.6%、不明:0.3%
※文部科学省「大学・公的研究機関等におけるポストドクター等の雇用状況調査」(平成18年度実績)

(2-2)現在の奨学金制度(日本学生支援機構奨学金:貸与制)の問題点を踏まえた給付制の導入可能性など

現在の奨学金制度(貸与制)の問題点
(例)返還総額が過大になったり、親の経済的格差の世代間移転に繋がるのではないか。

【貸与型奨学金の受給者割合】※日本学生支援機構(平成19年度)
大学院:41%、大学(学部)及び短大:30%

【貸与月額と返還の例】※日本学生支援機構(平成20年度)
私立大学学部生(自宅外通学、貸与期間48ヶ月)の例
第一種奨学金(無利息):月額6.4万円の場合 → 返還総額307万円(18年返還)
第二種奨学金(利息付):月額12万円の場合 → 返還総額775万円(20年返還)

給付制奨学金制度の導入可能性
(例)現在の貸与制奨学金の制度を維持しつつも、特に優秀かつ経済的に厳しい家庭の学生については、給付制奨学金を給付する仕組みを導入してはどうか。その際、大学院・学部の途中段階における評価(*CAAP等)を反映させる仕組みとすることはどうか。

*CAAP(Collegiate Assessment of Academic Proficiency)
米国における高等教育の評価手法の1つ。大学毎に教育プログラムの向上等に活用するため、読解力・文章表現技能・数学的能力・科学的能力・批判的思考・小論文の各分野から選択して試験を実施し、学生の一般教育における到達度を測定する。

【大学生のアルバイト従事状況】※日本学生支援機構「学生生活調査」(平成18年度)
博士課程:77.6%(*65.4%)、修士課程:78.9%(*47.2%)、大学学部:76.4%(*35.4%)
※「*」は全体のうち、「当該アルバイトに従事しない場合に就学不自由・困難」と回答した者


また、教育再生懇談会は、大学ごとの評価結果を、国からの資源配分に反映させることも提言しており、公教育の在り方とあいまって議論を呼びそうです。個人的には当然のことと受け止めますが、費用対効果のみを追求した経済原理に偏った議論に終始せず、大学の存在意義に立ち返った深みのある議論と提言を望みたいと思います。


大学改革、第三者評価で公費配分=教育再生懇 (2008年12月18日 時事通信)

政府の教育再生懇談会は18日、大学教育改革に関する議論のたたき台をまとめた。各大学が受けている第三者評価の結果を、国からの助成金の配分額に反映すべきだと提案。評価が極端に低ければ公費の投入対象から外すこともあり得るとした。大学の質を担保するのが目的だが、実現すれば大学の淘汰(とうた)にもつながりそうで、議論を呼びそうだ。

詳細を詰め、携帯電話の弊害から子供を守る対策や教育委員会改革の提言と併せて、来年1月にまとめる3次報告に盛り込む。

すべての国公私立大は7年に1度、大学評価・学位授与機構などの第三者機関から、経営状態や教育内容に関する評価を受けるよう義務付けられている。

しかし懇談会は、「各大学が設定した努力目標に達しているかといった基準で評価されており、大学間の比較ができない」と効果を疑問視。評価方法を見直した上で、結果を国立大の運営費交付金や私大の私学助成金の配分額に反映させるよう提言。評価が一定レベルに達しなければ、私学助成金などの投入対象から外すことも考えられるとした。

2008年12月19日金曜日

平成21年度予算が見え始めた

今年もあとわずか。中央のお役所では、明日からいよいよ予算編成の大詰めを迎えます。とはいっても、最近は昔と違って短期間で終わらせるため、かなり形式化しているようですが。文部科学省は、18日、平成21年度予算編成に係る財務大臣及び総務大臣との事前折衝を行い、以下のような合意を得たことを公表しています。

大臣折衝日時:平成20年12月18日(木)14:40~14:55
大臣折衝実施場所:財務大臣室
対応者:塩谷文部科学大臣、中川財務大臣、鳩山総務大臣

義務教育費国庫負担金等について 【文部科学、財務、総務大臣】

  • 教職員定数については、教員が子どもに向き合う環境をつくるため、行政改革推進法の範囲内で、定数増800人を含む1,000人の定数措置。

  • 退職教員等外部人材活用事業については、新学習指導要領の先行実施における理数教科の授業時数の増に対応するため、非常勤講師の配置を倍増の14,000人に拡充する予算措置。

  • 定数増については、地方の現場を混乱させないよう、教育部門の人員配置の効率化に努力するとともに、地方行革に一層の指導力を発揮すること。
私立学校助成費等について 【文部科学、財務大臣】

1 私学助成
  1. 平成21年度私学助成予算については、「基本方針2006」に基づき、△1%の4,456億円とする。

  2. そのうち、私立大学等経常費補助については、対前年度31億円減の3,218億円、私立高校等経常費助成費等補助については、前年度同額の1,039億円とする。ただし、この私立大学等への補助の減額に関連し、私立大学における教育研究活動の充実に資するための経費を別途措置。
2 国際化拠点整備事業(グローバル30)
  • 我が国の高等教育の国際競争力の強化、留学生等に魅力的な水準の教育等を提供するとともに、留学生と切磋琢磨する環境の中で国際的に活躍できる高度な人材の養成を行うための環境整備を目的とする「国際化拠点整備事業」を新たに措置。
3 大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム(地域コンソーシアム)
  • 複数大学の連携・共同による、地域と一体となった人材養成や教育の質保証等を支援し、大学の特色化や機能別分化等を図る「大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム」を拡充。
4 大学教育・学生支援推進事業
  • 各大学における就職活動支援等の総合的な学生支援や、教育の質保証、教育力向上のための優れた取組を支援する「大学教育・学生支援推進事業」を新たに措置。
国立大学法人運営費交付金等について 【文部科学、財務大臣】

1 国立大学法人運営費交付金
  • 財務大臣より、平成21年度国立大学法人運営費交付金予算総額については、1%減とする線で考えるが、中身は今後検討する旨の発言があった。
2 周産期医療環境整備事業
  • 周産期医療体制が大きな社会問題となっていることから、大学病院における周産期医療体制の充実を図ることを目的とする「周産期医療環境整備事業」を新たに措置するが、予算額については今後検討。
革新的技術推進費等について 【文部科学、財務大臣】

1 革新的技術推進費
  • 我が国の革新的技術を加速し、産業の国際競争力を強化するため、革新的技術推進費を創設。事業創設初年度の諸手続等を踏まえ、年度途中からの事業実施経費として60億円を要求したところ、予算額については今後検討。
2 科学研究費補助金
  • 今般、4人のノーベル賞受賞者を輩出したが、我が国の基礎科学力のさらなる強化のため、対前年度38億円増の1,970億円とする。

2008年12月18日木曜日

人をほめる

私たちが日々生きていく中で、簡単そうでなかなかできないのが「人をほめる」ことです。愚直に、ひたむきに生きてこそ、心から人に感謝の念をいだくことができる、素直にそれを言葉にすることができる、今の自分はそのような自分だろうか、多忙な生活のほんのひと時、自分を見つめ直す機会を持ちたいものです。

ハーバード大学教授を務めた、19世紀の著名な心理学者ウイリアム・ジェームズは「人間の本性の最も根源的な特徴は、自分を評価してほしいという欲求である」と言っている。

あなた自身のことを考えてみよう。自分の努力を認めてほしいと思っているはずだ。だから「よくできたね」とか「あなたのおかげで助かったよ」と言われると幸せな気分になる。それは他の人たちも同じだ。自分がほめられることばかり求めるのをやめて、まず人をほめることを始めてみよう。

では、相手の努力を認めて評価するときに考慮すべきことは何か。

  1. 感謝の言葉を述べる習慣をつける。誰かが仕事を手伝ってくれたら、メールか手書きのハガキを送ろう。電話でもいい。レストランでいいサービスをしてもらったら、ウエイターやウエイトレスにお礼を言おう。相手はあなたの言葉に感謝するし、あなたも気分がよくなる。

  2. 誠意をこめて相手をほめる。しらじらしいお世辞を言うと、相手はあなたに下心があることを見抜く。ほめ言葉は相手を利用するために使ってはいけない。相手をほめるときは、真心をこめてほめるのだ。

人をほめる習慣をつけて、確実にそれを実践すれば、あなたはその他大勢から抜け出し、さらに成功をおさめることができる。自分ひとりの力だけでは決して成功できない。成功するには、他の人たちの協力が不可欠だ。あなたが周囲の人たちの努力を認め、高く評価するなら、その人たちはあなたに一層協力してくれるようになるだろう。(ジェフ・ケラー「成長の法則」より)



ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2008年12月17日水曜日

秋田大学の取り組み

秋田大 総額1000万円の緊急学生支援策(2008年12月16日 毎日新聞)

秋田大学は15日、景気悪化などの影響で学費や生活費の支払いに困窮している学生に対し、総額1000万円程度の奨学金や生活支援金を貸与する独自の緊急支援策を発表した。

同大によると、授業料を払えないといった相談が数件ある。景気悪化に加え、株価の急落で円高・ウォン安が進む韓国からの留学生も含まれるという。

そうした学生を支援するため、10万円を上限とする生活支援金を無利子貸与。また学部生、留学生や大学院進学予定の学生で、家計の急変で学費納入が困難になった人は入学金や授業料相当額を無利子貸与する。同大が教職員や企業からの寄付金で積み立ててきた教育研究支援基金約1500万円のうち1000万円程度を拠出するという。

いずれも卒業、修了後3年以内に返済することと返済計画書の提出が条件で、原則として日本学生支援機構の奨学金や銀行ローンなどを利用できない学生が対象。年内にも申し込みを受け付ける予定という。


(参考)緊急支援(秋田大学奨学資金)の申込みについて(秋田大学ホームページ)


(関連記事)

2008年12月14日日曜日

命をつなぐ -がんばれ!宮原敬助くん-

映画・テレビでも有名になりました「チーム・バチスタの栄光」で取り上げられている難病が「拡張型心筋症」。心臓の筋肉が拡張し薄くなりやがては死に至る特定疾患指定の難病です。

現在、熊本赤十字病院に入院し闘病中の宮原敬助君(1991年生)のドイツ・バードューンハウゼン心臓病センターでの心臓移植を実現しようとする支援活動が進められています。

今回は、その支援活動に取り組んでおられる大分在住の男性(40代)のブログを通じ、命の尊さ、命をつなぐために勇気ある行動を懸命に続けておられる方々の姿をお伝えしたいと思います。


「勇気をありがとう。。。季節を旅して」 (勝手ながら抜粋させていただきます)

2008年12月3日 「たった一つの命」 

熊本県の高校生が今、心臓の筋肉が薄くなり、死に至る難病と闘っています。9月重症心不全となり、余命数カ月と宣告され、心臓移植でしか生きる残る道がなくて、ドイツに行き、早急に手術を受ける為には、保険が効かないので8600万円が必要となっています。私はこの新聞記事を読んで、自分に問いかけ、行動してみました。

2008年12月4日 「人間の助け愛」 

私は、そのクラブさんの事務所の壁に飾られていた『額縁』に目が止まりました。そこには、いくつかの会社の教訓が書かれていましたが、『一人でも改革は始まる』と書かれてて、私はその教訓を見た時に、本当にいい勇気をもらえたって感じでした。
以前、鹿島アントラーズのサポーターの方で、ご家族の方が難病にかかり、多額のお金が必要となった時に、全国のサッカーの試合会場で、募金活動が次々に展開され短時間で目標の金額が集まったそうです。スポーツに限らず、どんな分野においても、皆が力を合わせれば、『命』を必ず救う事が出来ると思います。人間の助け愛!!

2008年12月6日 「募金活動記」  

私は今まで生きてきた人生の中で、今日ほど『人の温かさ』を感じた日はありませんでした。たくさんの方に募金して頂き、また募金活動に至るまで、たくさんの方々に私は助けられました。大変、お世話になり、本当にありがとうございました。感謝!!

2008年12月8日 「様々な人間愛」  

たくさんの『優しさ』ありがとうございました。募金活動当日、私が会場で感動したシーンが数々ありました。いろんな方々の『人間の愛』を見させて頂きました。
  • 一人でおじいちゃんが、強い風の吹く中を、車椅子に乗って会場にこられてて、ビラを口にくわえて、必死に車椅子をこいできて、『頑張れや!』と言って募金を。
  • 会社の夜勤の仕事が終わってから会場にきてくれたり、以前、一緒に仕事をしてた方や、家族で一緒にと、サッカーは見ないけれど、募金だけしにきてくれたり。
  • お父さん・お母さんが、自分の子供にお金を渡し、困った人がいたらね、少しでも募金してあげよな~早くこのお金を入れてあげなさい!って言って募金を。
  • 募金をしてくれた後に、私のお店にも、ビラを置いて、皆に知ってもらいたいから。そして募金に協力したいからビラを持って帰っていいかなぁ~と優しいご夫婦。
  • ブログを見て、職場で募金集めて持ってきましたと~言って封筒にお金を入れ持ってきてくれたり~でっかいガラス瓶に今年貯めてた小銭です。どうぞこのまま受け取って下さい~と差し出してくれて、わざわざ会場に訪ねてきてくれたり~
2008年12月11日 「敬助君へ」

敬助君へ

1日でも1日でも早く『スタートライン』に立てる日がくる事を願っています。1度も会った事もないけれど、『命』を助け合うのに大分県とか熊本県とか全く関係のない事です。私も今回の募金活動でたくさん勉強して、たくさんの方々の優しい気持ちやご尽力に助けられましたし、たくさん教えられた事がありました。

敬助君が、好きな物を自由に食べられ、好きな場所にも行けて、学校にも行けて、ごく普通の高校生の暮らしができて、敬助君の『人の役立つ仕事がしたい』と願う様に、いつの日か必ず、現実にしてほしいと思います~一人でも改革は始まる~

私からの手紙

今、国の政策に少子化対策と掲げられているけれど、今の生きている子供達を救う事も考えてほしいものです。未成年の移植手術等は、日本ではまだまだ厳しい状況。何か問題が起きた時にいろいろ対策や活動をするのではなくて、一刻も争う事態に備えて、救済基金や団体があってほしいと思います。そう考えるのは間違いなのか。
敬助君を救う会ホームページ

【敬助君からのメッセージ】

僕は、12歳の時に拡張型心筋症になりました。それまで、自分が病気だと考えたこともありませんでした。「なぜ、自分だけが」と思うと自暴自棄になりました。拡張型心筋症は、まだ原因不明の難病です。「将来的には心臓移植しか助からない」と告知された時頭が真っ白になりました。

2ヵ月前に重症心不全を起こし、このまま自分の命は尽きるのかと弱気になったりしました。この残された時間のなかで、一番確実な生きる道は海外での移植しかないそうです。海外での移植は莫大な費用がかかります。そんな大変ななかで皆様が協力してくださると聞き大変感謝しています。いつしか僕も、もう一度元気になり皆様への恩返しが出来たらいいなと考えています。

移植が必要な病気になる可能性は誰にでもあります。もう一度元気になり移植医療の素晴らしさをたくさんの方に知ってもらえる存在になれたらいいなと思います。

飲水制限を気にせず、水を飲んだり、かわいい姪を抱き上げたり、家族や仲間とこれからも一緒にいたい。僕の今の希望です。

どうかよろしくお願い致します。

  【両親からの挨拶】

まず、敬助を救う会を立ち上げて頂きました事、心より感謝申し上げます。敬助は平成3年3月6日我が家の待望の男の子として誕生しました。敬い助ける心を持つ人にと「敬助」と名付けました。

平成15年「拡張型心筋症」という原因不明の難病と診断された時は信じられない気持と同時にきっと治療法はあるはずだと思っていました。現実を受け入れることが出来ないまま投薬が始まりました。しかし年々弱っていく息子を見て、この病気は死に向って確実に進行していくのだと思い知らされました。

今年平成20年の10月に重度の心不全を起こし、余命数か月の宣告をされました。一命はとりとめたものの主治医の先生から「心臓はぎりぎりで頑張っているがいつ止まってもおかしくない状態です。心臓移植しか救う方法はありません。」と言われました。日本での心臓移植は年間数例しかなく息子が国内で受けられる可能性は殆どありません。幸いに現在入院中の「熊本赤十字病院」と日本大学医学部心臓外科教授の南先生を通じてドイツの受け入れ病院を確保して頂きました。しかし海外での移植には保険が利かない為莫大な費用がかかり私たちにはとても用意出来る金額ではなく、皆様の善意にすがるしか方法がありません。

生きたいと強く思って頑張っている息子です。お腹いっぱいご飯を食べたり、いろんな所へ行ったりしてみたい。そんな夢を持っているようです。

何卒よろしくお願い申し上げます。 宮原広一 宮原和子

2008年12月13日土曜日

国立大学法人評価もいよいよ大詰め

法人化により新たに導入された国立大学法人の中期目標期間における業務実績評価も、各大学からの実績報告書の提出(本年6月末)、各大学への訪問調査(この秋)を経て、いよいよ評価結果のとりまとめが大詰めを迎えています。

このたび、国立大学法人評価委員会からの要請を受け、各大学の教育研究評価を行うことになっている、独立行政法人大学評価・学位授与機構から、各大学に対し今後のスケジュール等について以下のような通知(12月9日付)がありましたのでご紹介します。

国立大学法人の教育研究評価について

1 基本方針
  1. 教育研究の質の向上と個性の伸長に向けた、各法人の主体的な取組を支援・促進する評価
  2. 評価の透明性・公正性を確保し、説明責任を果たす評価
  3. 各法人の自己評価に基づく評価
2 内容

教育研究評価では、以下に掲げる2つの評価を行う。なお、今回行う評価は、上記基本方針「個性の伸長に向けた、各法人の主体的な取組を支援・促進する」という観点から、定量的・外形的な面からだけで評価するものではありません。

(1)中期目標の達成状況

法人全体を対象とし、教育研究に係る目標について、関連する中期計画の実施状況を分析することにより、中期目標の達成状況を把握。その際、現況分析の結果を参照。したがって、各法人における目標・計画に即して評価を行うものであり、各法人を相対的に評価するものではありません。

【判断の視点】

取組の実施の可否だけではなく、その取組が有効に機能しているか、教育・研究の質が向上しているか、或いは高い質が維持されているか、という視点で判断。

【評価結果】

中期目標の達成状況を「非常に優れている」「良好である」「おおむね良好である」「不十分である」「重大な改善事項がある」の5段階で判定。このうち「おおむね良好である」が標準的な評価。

(2)学部・研究科等の現況分析

学部・研究科等を対象とし、各組織の目的に照らして、教育研究の水準と質の向上度を分析することにより把握。したがって、各学部・研究科等の目的に照らして評価を行うものであり,、各学部・研究科等を相対的に評価するものではありません。

【判断の視点】
  • 水準の判断は、各学部・研究科等の目的に照らして、それぞれの組織において想定する関係者の期待にどの程度応えているか、という視点で判断。
  • 質の向上度の判断は、各学部・研究科等から示された改善・向上の事例を基に、法人化時点からどの程度水準が向上しているかという視点で判断。
【評価結果】
  • 水準の判定は、「期待される水準を大きく上回る」「期待される水準を上回る」「期待される水準にある」「期待される水準を下回る」の4段階で判定。このうち「期待される水準にある」が標準的な評価。
  • 質の向上度の判定は、「大きく改善、向上している(又は高い水準を維持している)」「相応に改善、向上している」「改善、向上しているとは言えない」の3段階で判定。
今後のスケジュール(予定)

平成20年12月~:評価報告書(案)のとりまとめ作業
平成21年1月8日:評価報告書(案)の決定
平成21年1月中旬:各法人へ評価報告書(案)の送付、各法人からの意見申立て受付(1月末まで)
平成21年2月~:意見申立てへの対応
平成21年2月19日:評価報告書の決定
平成21年2月末:文部科学省の国立大学法人評価委員会へ提出

2008年12月12日金曜日

高等教育政策の動向

独立行政法人国立大学財務・経営センターが発行するメールマガジン(12月12日付、第31号)の中から主な記事をご紹介します。

【特別寄稿】 「経営改善係数撤廃への長い道のり」 (三重大学長 豊田長康氏)

今(H20年12月)、文科省では次期中期目標期間(以下次期中期と略)の制度設計について、運営費交付金の算定ルールの具体的な数字も検討されつつあり、大詰めの段階と思います。私はH16年の法人化以来、国大協の「大学経営委員会」(現経営支援委員会)に設けられた「大学附属病院の経営問題WG」(現病院経営小委員会)の座長(現小委員長)として国立大学病院の経営問題に係わってきたので、ここに至るまでのWG(小委員会)の活動を振り返ってみたいと思います。
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/1/2201000109/1433760

米国州高等教育管理者協会(SHEEO)における経営支援の取組について

平成20年10月、当センターへ来日された米国州高等教育管理者協会(State Higher Education Executive Officers:SHEEO)理事長のポール・リンゲンフェルター氏及びSHEEO-NCES連携担当・情報管理担当ディレクターのハンス・ロランジュ氏に協会で行っているスタッフ・ディベロップメントや経営支援事業について、インタビューを行い、そのインタビューをもとに経営支援の取り組みをまとめました。
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/17/2201000109/1433760

国際シンポジウム・研究会のご案内(申込受付中)

テーマ:「高等教育システムの改革とその結果」
内容:http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/18/2201000109/1433760
日時:平成21年1月26日(月)10:00~17:30
会場:学術総合センター一橋記念講堂
備考:同時通訳あり(日英)、参加費無料
申込期限:平成21年1月13日(火)

第45回高等教育財政・財務研究会(平成20年12月20日開催)

テーマ:「マスコミから見た国立大学」
講師:三上直行氏(東洋経済新報社第1編集局「週刊東洋経済」副編集長)
コメント:米澤彰純氏(東北大学高等教育開発推進センター准教授)
日時:平成20年12月20日(土)12:30~15:00
会場:学術総合センター特別会議室101~103

第44回高等教育財政・財務研究会(平成20年11月29日開催)

高等教育研究者や大学関係者など多数ご出席をいただき、私立大学および国立大学の経験を通じた寄附募集戦略を聴く貴重な機会となりました。

テーマ:「私立大学の寄附募集戦略を考える」
講師:金山仁志郎氏(青山学院財務顧問)、目黒純一氏(熊本学園大学常務理事)
コメント:山本雅淑氏(日本私立学校振興・共済事業団財務部次長・企画室次長)、高井陸雄氏(東京海洋大学長)

目黒理事の講演資料は、こちら
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/19/2201000109/1433760

高井学長の講演資料は、こちら
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/W0399/20/2201000109/1433760

2008年12月11日木曜日

日本の良さ伝え育てる

赤子を背負い、ぼろぼろの服を着て勉強する安徽省の村の子供が次々とスライドに映し出される。「他人の痛みを感じられるか。それがマナーの基本です」

上海外語大の講堂で、万里紅さん(42)が就職活動を控える大学生向けに開いた講座。意外な演出に学生たちは引き込まれた。

万さんは上海の高校を卒業し国有企業に勤めていた87年、12歳年上のスウェーデン華僑と結婚。だがあこがれた海外生活は、つらい日々だった。料理店を経営する夫は自由な外出を許さず、国際電話もかけさせない。夫は賭け事にふけり、2年後に離婚。息子を取り戻そうとしたが、かなわなかった。

疲れ切った万さんはアジアを放浪、96年に日本を訪れる。箱根の旅館でおかみがひざまずいてお辞儀する姿に驚いた。閉店時間を過ぎても笑顔で見守る百貨店員に感心した。日本語学校を経て東京経済大へ。ゼミの教授は家族のように接してくれた。

卒業した02年、中国進出を目指す企業を支援する会社を友人と設立すると、顧客から耳にしたのは「中国人はマナーが悪い」。そこで、マナー講座を上海で始めた。

礼儀作法や服装の工夫、化粧法も教える。日本人の礼儀正しさや気配りをほめる。

「反日感情があるから控えたほうがいい」と言われても意に介さない。「私の青春を取り戻してくれた国、日本の良さを多くの人に伝えたい」

78年からの改革開放とともに日本への国費留学が始まり、その後、私費留学が急増。とくに上海出身者が多かった。彼ら「留日組」が今、活躍している。 (2008年12月10日 朝日新聞夕刊)

2008年12月10日水曜日

無駄な会議を無くしませんか

大学における会議の「無駄」については、以前にもこの日記で取り上げました。

大学には、びっくりするほどたくさんの会議があります。また、「こんな会議、時間の無駄なのでは?」と感じる会議も山ほどあります。でもなぜか会議はなくなりません。なぜなのでしょうか。答えは簡単です。「会議でみんなで物事を決めることや、会議に出席することに意義がある」と考えている役員や教職員がいるからです。

大学に置かれた多くの会議のメンバーは役員と教員で占められています。最近は事務職員の経営参画の重要性が少しずつ認識されはじめてきましたが、大半の会議では、事務職員には発言権がなく、「陪席」「列席」といった形で会議に臨んでいます。したがって、会議の構成員ではない事務職員が「無駄な会議はやめませんか」と提案したところで実現するはずがありません。逆に、会議賛成派の教員達から「仕事に対するやる気がない」と睨まれるだけです。

しかし、無駄な会議は大学の経営効率化を阻害する大きな原因となっていることは誰の目から見ても明らかです。国からの税金投入が年々削減されていく中で、もはや大学には、非生産的な会議を放置する余裕はありません。即刻、不要な会議を廃止し、必要最小限の会議について有効活用に向けた取り組みを進めるべきなのです。

「無駄な会議」というキーワードでネット検索してみると、実に多くの記事にヒットします。民間、公的機関を問わず、いかに無駄な会議が多いか、解決方策をさがし求め悩んでおられる方がいかに多いかがよくわかります。では、「無駄な会議」とはいったいどのような会議なのでしょうか。日本ファシリテーション協会が発表している「ファシリテーション白書2008年度」の中に、会議ファシリテーションに関するデータが掲載されてあります。この中に、「会議がうまくいかなかった要因」という項目があります。面白いので回答のあった全ての要因を転記します。

  • いつも発言する人が決まっており、発言しない人もいる
  • 会議中はホンネが出ず、終わってから意見が出てくる
  • 何のための話し合いなのか、目的や内容がよくわからない
  • 資料を読めばすむようなことを、話し合いの場でやっている
  • 意見がまとまらず、時間をかける割には何も決まらない
  • あいまいな結論や次回への持ち越しが多い
  • 進行が行き当たりばったりで、成果の出るのか不安だ
  • しらけムードがただよっており、意見があっても出そうとしない
  • 論点が明確ではなく、議論がぐるぐるまわる
  • 思いつきや脱線ばかりで、話があちこちに飛んでしまう
  • 議論がかみあっていないことが多い
  • 目上の人が長々と演説するのを、ひたすら拝聴させられる
  • 議長判断で、そもそも人の意見を聞く気(ムード)もない
  • 同じ主張を繰り返すだけで、水掛け論になっている
  • 終了時に決定事項やアクションプランを確認していない
  • 「声の大きい者勝ち」や「言った者負け」がまかり通る
  • いつも同じレイアウトで、座る席も決まっている
  • 他人の意見を批判したり攻撃ばかりしている人がいる
  • 議事録が記録されず、全員がバラバラにメモをとっている
  • 筋の通らない意見や意味不明の意見が平気でまかり通る
  • 意見の食い違いが個人攻撃にすりかわってしまう
  • 参加者同士が妨害や、足のひっぱり合いをしている
  • 相手を説得したり、言い訳したりする場になっている
  • いつも時間通りに始まって、時間通りに終わっている
  • 根回ししているので形式的な会議になっている


いかがでしょうか。ズバズバと当たっていますね。以下の記事も結構納得させられる内容です。(消去される恐れがあるので全文転記します。)


「無意味だ」と言いながら、どうして会議の改善をしないのか (ITmediaエグゼクティブ)

無駄な会議の責任分散効果

なかなか進まない会議が現代の企業においてもいかに多いか、そしてそれに対して現代の企業人たちはいかにうんざりしているか、にもかかわらず彼らはそこからの脱出を本音の部分でほぼ諦めてはいないか、を考えた。

「また会議だ。仕事にならないよ」「無意味な会議なのに、時間の浪費だ」「何とかならないのかな、ったく」・・・。現代の企業人たちはそうこぼしながらも、従順に会議室へ向かう。確かに無駄な会議によって浪費される時間や経費は、バカにならない。

一方彼らは、「会議は居心地が悪くない」と潜在的に思っているふしがある。実は会議に出ている限り、彼らはいかにも仕事をしている錯覚にとらわれ、そして現状のわずらわしい仕事から解放される口実を得られる。おまけに、会議はともすれば「責任」を分散してくれる。彼らは、無意識のうちに会議を歓迎してはいまいか。

それにしても彼らは従順すぎないか。安易に逃避していないか。時間や経費が浪費されているのなら、「何とかならないか」ではなく、「何とかしよう」として行動を起こさなければならない。そんな会議に頼る間違った経営から脱出する方法を探ろう。

アンケートに見る無駄会議の実態

無駄な会議が多いと一般的に言われているが、それを裏付けるデータがある。

若手エンジニアに対するアンケート調査によると(Tech総研04年実施)、「会議は、ほぼ50%以上は無駄と感じる」と答えた人は過半数(56%)、「30%くらいが無駄」を含めると84%が会議を無駄と感じている。

さらに別の調査で、普段の会議を「不必要な会議」(「の方が多い」も含めて)と感じる人が約36%、出席する会議で「論点がずれて判らなくなる」(「場合もある」も含めて)が50%、「何が決まったか判らないまま会議が終わる」(「ことが多い」も含めて)が約47%にもなる(プレジデント社調査、「プレジデント」05年11月)。

そんな無駄な会議は、即刻止めるべきだ。これが最初に打つべき手である。筆者は無駄な会議を止めたら、会議数が30%減った経験を持つ。次に、残った70%の会議について、会議時間を1時間に短縮する。世にはびこる「会議」本が役立つのは、それ以降である。

会議の目的は、情報伝達・意思決定・意見調整・及びその併用と大別され、さらに細分化すると、(1)情報収集、(2)伝達、(3)交流、(4)参加者の教育・スキル向上、そして(5)問題解決、(6)意思統一・一体感・帰属意識の醸成、がある。

(1)、(2)、(3)の会議は、即刻止めるべきである。全体部課長会議や安全衛生会議などの定例会議がこれに当る。書類配布やファクス、メールで充分である。そんな手段では徹底を欠く、顔を合わせる必要があるなどというのが、会議廃止に反対する主な理由である。それは、事務局が仕事を失いたくない言いわけにしか過ぎない。惰性で会議形式がとられている集まりは、思い切って止めなければならない。根強い抵抗を思うと、トップダウンで行くべきだ。

セレモニー会議の不毛と主旨明確化の必要性

(4)も曲者である。この目的を達するには確かに会議形式がよいが、主旨が曖昧で不徹底なら無意味な会議になる。例えば筆者の経験で、過去の重大事故の反省をする品質会議が(4)に相当した。しかし本来の会議の主旨である自部門の事故を徹底的に反省することや、他部門の事故を他山の石とすることが忘れられ、社内では「あの会議はセレモニーだ」などと言われた。加えて、「この会議に出席する者は、カラーシャツはまかりならぬ。白ワイシャツを着用のこと」というお達しが出るに至っては笑止千万、会議をますますセレモニー化した。そんな会議は止めるべきだ。この種の会議を開くなら、出席者に主旨を充分徹底し(「教育のため」、「啓蒙のため」などと単にお題目を唱えても駄目だ。主旨を判り易く噛み砕いて、何度も何度もくどいくらい周知徹底しなければならない。

幹部は社員が主旨を知っていると思い込んでいるが、彼らは全く理解していない。かなりレベルの高い企業でも、経験上そう言える)、形式を排除して、実のある会議運営をしなければならない。

割り切る会議と不可欠な会議の区別

(5)、(6)は、会議として欠くことができないだろう。しかし、無駄な会議もある。例えば「開発会議」と称して新製品の開発計画を議論する極めて重要な会議を、「あれはトップと幹部の勉強会だ」などと噂されている例がある。事実幹部の「ご指摘」は、いつもあまり役に立たない。むしろ開発をディスターブされることが多い。それならば、それはそれで「勉強会」、あるいは「開発費をもらうための説明会」と割り切ればよい。

ただ、通常会議を開催するとき習慣で2時間を設定するが、1時間で充分である。筆者は、ある時から自分の主催する会議をすべて1時間に設定した。すると長引いても1.5時間で終わり、やがて1時間で終わるようになった。もちろんそのための準備と議長のテキパキとした采配が必須だ。時間内に終わらないときは、後日再開催するにしてもとにかく一旦終了するのがよい。

以上をまとめると、有無を言わさず会議数を30%減らす。そして残りの会議時間を半減する勇断を下す。その実行には、トップや当事者が深刻な問題意識と覚悟を持ち、強力なリーダーシップを発揮することが必須である。トップダウンが期待できないなら、せめて自分の影響が及ぶグループ、あるいは自分が主催する会議から始めよう。


ほかにもこんな記事もあります。

無駄な会議の中でもさらに“無駄”なものとは? (ITmedia Biz.ID)

さて、国立大学には前回の日記でご紹介したように、教育研究面の重要事項は、学部長など学内組織の代表者で構成される「教育研究評議会」で審議・決定することになっています。ただし、複雑かつ重要な案件を1回限りの教育研究評議会で審議・決定することは現実的ではないことから、実際には、学長、副学長、部局長等で構成される会議をあらかじめ開き、部局長から意見を聴取し、各部局(教授会)で議論した結果を教育研究評議会に持ち寄るといった方法が多くの大学で採られています。また、教育研究評議会に諮られる重要事項の多くは、細分化された学内の委員会でまず原案が検討されます。委員会は各部局から選出された委員で構成され、各部局の利害調整の場になっています。そのため、原案作成段階から迷走を続ける案件も少なくなく、各部局の合意を取り付けるまでに数ヶ月かかる場合もあります。こうした屋上屋を重ねる煩瑣な手続き、つまりは会議のための会議を何回も繰り返してようやく1つのことが決まっていくしくみになっているのです。

学長が大学経営の先頭に立ってリーダーシップを発揮することが期待されていても、こういった「部局自治」の縛りがかかった中では手も足も出ませんし、学内コンセンサスを得るためだけのリーダーシップで終わってしまうのです。

最後に会議コストについて触れます。無駄な会議を無くしていくために、会議を運営するために必要なコストを視覚化することは不可欠です。ある中規模大学(4学部程度)の試算によれば、会議には、委員(高給教員)の人件費、列席者(幹部事務職員)の人件費、資料等作成者(担当事務職員)の人件費とともに、照明・冷暖房費、資料印刷費、録音テープなどの消耗品費等が消費され、役員会、経営協議会、教育研究評議会の法定3会議だけで年間約2千万円也、その他の全学委員会や学部での会議を含めると、大学全体で年間約6億円もの費用がかかっているそうです。

無駄な会議を繰り返している間に、無駄なお金(税金)がダラダラと垂れ流されているのです。

2008年12月9日火曜日

入試ミスをなくすために

本格的な入試シーズンが到来し、受験生・保護者の皆さん、大学の入試担当者の皆さんなど関係者の方々は、これから益々大変なご苦労をされることになります。

この季節になると決まって入試問題作成ミスや合格発表ミスに関する記事が目につき始めます。緊張感や危機感の欠如をはじめ、様々な理由や原因があるのだろうと思いますが、いずれにしても入試は、受験生(場合によっては保護者)のその後の人生を大きく左右する大変重要なものですので、大学は細心の注意を払い万全の体制の下で実施しなければならないことは言うまでもありません。

入試問題作成ミスの原因の一つとして、作成後のチエック(体制)の不備がよく指摘されます。入試問題という特殊な情報を厳格に管理しなければならないため、少数の限られた教員間でのチエックにならざるを得ない事情はあるにせよ、学部を超えたチエックなどいろんな工夫の仕方があるのではないかと思います。

また、入試問題の作成方法そのものにも改善のメスを入れる必要があると思います。どの学部にも共通する入試科目なのに、学部別、ひどい場合は学科別に問題を作成している場合が少なくありません。なぜ共通化できないのでしょうか、大学全体として統一した入試問題を作成することがなぜできないのでしょうか。

ここにも「部局自治」の問題が根深く存在します。「学部あって大学なし」の悪しき思想や慣習が、受験生はもとより、教職員の入試コストの低減・効率化を阻んでいます。統一が可能であるにもかかわらず、同じ入試科目の問題を多くの教員の人的コストをかけ作成し、チエックする、あるいは管理するといった状態をいつまでも放置しておくことは即刻改めなければなりません。

大学というところは、なかなか自浄作用が効率的・効果的に機能しません。入試に関する上記のような重要な課題は、本来であれば、関係委員会や最終的には教育研究評議会という国立大学法人法に規定された会議において、徹底的に議論し改善しなければならないものです*1。しかし、残念ながら、教育研究評議会の先生方は、大学の管理、運営、組織といったマネジメントに関する議論、しかもあらさがしの上に言葉尻を捉えた批判が大好き(おかげで無意味な時間が延々と続くのです。)で、彼らが本務とする教育、研究、そして学生支援といったことにはほとんど興味も示さず議題にも上りません。「受験生の動向調査・分析等の結果を踏まえ、今後我が大学は、入試の方法や内容をどのように改善し、どのような学生を確保していくのか・・・」といった議論は、何よりも増して緊要な課題のはずですが、寂しいかな皆無に近い状態です。

余計なことですが、教育研究評議会の先生方には、月1回の会議に出席するだけで(正確には、出欠の有無にかかわらず)、毎月10万円近くの手当が支給されています。法人化によって、教育研究評議会の位置付けや役割が大きく変化しているにもかかわらず、手当だけは国の時代を引き継いでいるのです。議論の内容の貧困さ、無責任体制との比較において、本当にこのような高額な税金を充てることがふさわしいのかどうか、今一度見直す必要があるのではないでしょうか。


【追加記載】

オックスフォード大学とケンブリッジ大学のユニークな入試問題が話題に(大学プロデューサーズ・ノート)


*1:国立大学法人法第21条(教育研究評議会の審議事項):1)中期目標についての意見に関する事項(経営協議会の審議事項を除く。)、2)中期計画及び年度計画に関する事項(経営協議会の審議事項を除く。)、3)学則(国立大学法人の経営に関する部分を除く。)その他の教育研究に係る重要な規則の制定又は改廃に関する事項、4)教員人事に関する事項、5)教育課程の編成に関する方針に係る事項、6)学生の円滑な修学等を支援するために必要な助言、指導その他の援助に関する事項、7)学生の入学、卒業又は課程の修了その他学生の在籍に関する方針及び学位の授与に関する方針に係る事項、8)教育及び研究の状況について自ら行う点検及び評価に関する事項、9)その他国立大学の教育研究に関する重要事項

2008年12月8日月曜日

「針」とは何のためにあるのか

今日、夕刊の中にとても不快な思いをする記事がありました。

針さん、ありがとう (2008年12月8日 朝日新聞)

福岡市中央区の●●ファッションデザイン専門学校で8日、1935年の創立から続けている恒例の針供養があり、学生ら220人が参加した。和服姿の学生たちは、祭壇の前に置かれた3丁の豆腐に、折れ曲がったりした針を1本ずつ丁寧に刺し、技術の向上を祈願した。

針供養と称し、「豆腐」という大切な食材に不用になった針の山を築くという行為、しかも専門学校という教育機関が200人を超える学生に行わせていることに強い疑問と憤りを感じました。

私の妻曰く、そんなに目くじらを立てることではないのでは・・・。しかし、世界にはその日の食べ物にも困っている人々が数え切れないほどいるというのに、いくら安価な「豆腐」とはいえ、本来私たちの口に入る食べものを「針の墓場」にしていいのだろうか、針を刺した学生達がまだ安眠をむさぼっている早朝から、汗水流して丹精こめて造った豆腐がこんな残酷な扱いを受けることを知った豆腐屋さんはどう感じるだろうか、学生達がいずれ親となり子どもを育てる時に、果たして正しい教育ができるだろうかetc、無性に腹が立ったのでした。

偶然にも、同じ夕刊に次のような記事が載っていました。こじつけかも知れませんが、専門学校での出来事は、このような事件につながらないとも限りません。


パンに縫い針混入、11個に計12本 (2008年12月8日 朝日新聞夕刊)

山口市中央4丁目のスーパー●●で4、5日に販売したパンに縫い針が混入しているのが相次いで見つかり、その数は菓子パンや食パン11個で計12本に上ったことがわかった。同店の被害届を受けて山口署は偽計業務妨害の疑いで捜査している。



【追加記載】

私の無知、認識不足により、やや言いすぎの日記を書いたようです。

昨日から今朝にかけて「針供養」に関するニュースがやたら多いので不思議に思い調べたところ、なんと12月8日は「針供養の日」とか。古くから、豆腐や蒟蒻といったやわらかいものに針を刺すことにより供養を行うしきたりのようです。それにしても食べものを・・・。


針供養(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9D%E4%BE%9B%E9%A4%8A

針のおはなし-針供養の起源
http://www.bankoku-needle.co.jp/japanese/story/kuyou.html

2008年12月6日土曜日

国立大学におけるITの活用

業務の効率化を図るためのツールとして「IT」を活用することはもはや常識ですが、活用の意義を見誤るといいますか、活用の仕方についての十分な検証を怠ると費用対効果等の面で大学に大きな痛手を与えることになります。

今回は、全国の国立大学法人の監事さんから選ばれた方々で組織された「業務効率化タスクフォース」が、平成19年11月末に公表した報告書の中から、国立大学の「ITシステム活用に係る課題」を抜き出してみたいと思います。個人的にはご指摘は全て妥当と考えます。


課題1 統合化されていない組織

教員グループと事務系職員グループで、別の組織になっているところが多い。各事務組織で開発・運用するため、システム毎にそれぞれのベンダーに任せきりの状態になりやすく、結果として、大学全体のIT戦略作成、IT基盤設計、システム連携等の障害になっている。


課題2 要員育成

経費削減目的のための過度のアウトソーシング化、ベンダーへの設計・開発・保守の任せきりなどにより、学内に必要なスキルを持つ業務システム担当やIT担当の要員が育成できていない。その結果、パッケージソフトウェア採用時に技術的問題を考慮せずにカスタマイズ要求をしてコスト・パフォーマンスを悪化させること、当初から必要な機能を付けなかったために多額の機能追加費用を負担することなどが発生している。要員育成の必要性はかねてから認識されてはいる。ベンダーやNII(国立情報学研究所)等の外部研修には参加させている。しかしながら、IT専門職員の必要なスキル・キャリアパス・処遇等が明確ではなく、育成体制ができていない。また、業務システム担当職員のベンダー依存意識を改革する必要がある。


課題3 大学の姿勢

業務改革、組織改革、ITシステムを一体のものと考えていない。情報システム責任者が業務改革、組織改革のチームに入ることによりトータルで効率化を達成するという仕組みができていない。したがって、IT戦略を考慮していない業務改善に沿う形で情報システムが導入されるため、システム導入が根本的な業務効率化につながっていない。(「業務効率化できるシステムか、継続的な業務改善ができるか、システム・人間の業務全体が効果的に設計されているか、中長期的な視点で目標に向かって進んでいるか」)ITの高度活用によって大学の経営を変えていこうという発想がない。システム連携によってデータを入学・就職・人事組織・病院経営・広報など広範な施策に反映させていないし、その必要性についての議論も少ない。なお、一部の法人を除いて大半の法人では、CIO(Chief Information Officer 最高情報責任者)が任命されている。


課題4 予 算

情報システム導入後の機能改善の予算が付かないか、予算獲得が困難である。法人化以後、システム構築・運用の予算は、各大学の運営費交付金の中でやり繰りしなければならず、継続した予算の確保が問題である。


課題5 大学間の連携

大学の事務処理には共通点が多く、大学同士の共同開発・共同運用あるいはASP*1活用が効果的である可能性はある。しかしながら、汎用システムは今後終了する予定であり、新たな連携の形態を作る必要がある。


課題6 内部統制

最近の大学への不正アクセス・ウイルス侵入事件、個人情報漏洩事件を踏まえ、システム上の課題を大学経営上の重要課題として、大学における内部統制について「ITへの対応」を行うことが必要である。


上記のような課題を大学という組織全体で解決していくためには、学長や理事長といった経営トップの理解とリーダーシップが不可欠であると同時に、トップに代わってIT戦略を推進していく力量のある責任者である「CIO」を配置し、予算などの強固な権限を与えることが必要です。しかしながら実態は、CIOの意味すら理解できない構成員がほとんどで、大学をまとめ切ることの困難性が以下の報道にも表れています。


大学CIOフォーラム:なくせ「縦割り」の弊害 模索する国立大 (2008年6月12日付 毎日新聞)

11大学からCIOを務める副学長らが参加した 大学のIT戦略を統括するCIO(最高情報責任者)が意見交換する第5回「大学CIOフォーラム」が11日、東京都内で開かれた。

東大、京都大など全国11大学のCIOが実情を報告。「縦割り」の弊害をどのように改善するか模索する国立大の姿が浮き彫りになった。国立大が「障壁」として挙げたのは、各部局ごとに人事情報や管理システム、予算権が分散していること▽予算が年度別で長期的な計画が組めないことなど。大阪大の竹村治雄・サイバーメディアセンター長は「今はシステムごとに予算を要求する『自転車操業』状態。ばらばらに更新していると、全体の最適化はできないので、中期的な計画を立てているが、現場の教員との意思疎通が難しい」と話した。会場の大学関係者からも「ネックは予算権。獲得のポイントを教えてほしい」との声があがった。

それに対し、筑波大の腰塚武志副学長は「ようやく予算権をCIOに集約し、大学全体の機器利用を分析して、整備計画をまとめた。全体を見渡せたところで、2台あったスーパーコンピューターを減らすなど、誰でも納得するところから削減している」と説明。東北大も今年4月、学内のIT戦略を担当する情報シナジー機構を改編。各研究室ごとに負担金を算定し、学部から徴収する方法で予算を確保した。

東大の岡村定矩副学長は「ITサポートは教育、研究、事務という目的ごとに考えることを共通認識にした方がいい」と指摘。部局ごとに持っていた研究員などの人事データを、大学全体を網羅したものに切り替え、適正な人員配置を模索。部局ごとの『ローカルルール』を排除するのにも役立つという。

一方、私大の同志社大は学校の事務効率化よりも「学生へのサービス提供」をIT化の目的にする。真胴正宏・総合情報センター長は「学生を集めることが優先。優れた研究者がいても保護者は評価しない」と明言。同大では独自システムで、履修登録・取り消し、成績通知、授業アンケートなどを実施。中でも、成績評価に海外の大学で採用されているGPA(Grade Point Average)制度を導入。平均点が重視されることから、自宅から登録したものの受講してない教科の履修を取り消せば、平均点が下がらないため、利便性は高いとみている。



このように、大学では残念ながら「名ばかりCIO」が現実のようです。民間では、以下の記事のようにCIOに求められる役割は重要度を増すばかりのようで、意識の格差は次第に広がっていきます。


混沌とする時代に立ち向かえ:CIOに求められる役割とは (2008年12月1日 ITmedia)


■ビジネス戦略への造詣

CIOの役割の力点は次第にビジネス戦略へとシフトし、職責が向上しつつあることは事実です。さらにCIOへの期待は、企業や政府、自治体、NPO(非営利団体)など特定組織に固執せずに拡大しています。戦略性が重視される新潮流は、社会背景に呼応するための手段であり進化です。CIOは環境の変化に影響を受けやすいのではなく、変化に素早く対応し、順応できる-時代のニーズをうまくキャッチアップし、ITのみならず業務プロセスのグランドデザインが描ける人材が望ましいといえます。

ITの効果は、単なる効率性や生産性の向上、あるいは運用管理コストの削減のみならず、ITの戦略性を生かすビジネスによって成功をけん引するのです。そのためにはITの能力だけでも、経営の能力だけでも駄目で、この2つのスキルを両方兼ね備えることが重要です。

最近では、従来なら社長やトップが遂行すべき業務をCIOに任せる企業も増えてきました。ITは経営に貢献する、経営をけん引する存在であり、企業戦略とIT戦略の一体化こそ、CIOの課題といえるでしょう。またCIOは、複雑かつ膨大な情報の中から価値ある情報の取捨選択を行い、速やかに導入していくイノベーター(変革者)でなければなりません。必然的に起こり得る変化や突発的な事象に場当たり的に対応するのではなく、迅速かつ適切に行動をとることがCIOに求められるのです。

全文→http://mag.executive.itmedia.co.jp:80/executive/articles/0812/01/news003.html



*1:Application Service Provider:業務用のアプリケーションソフトウェアをインターネットを利用して顧客にレンタルする事業者あるいはサービス。ユーザのパソコンには個々のアプリケーションソフトウェアをインストールする必要がないので、法人の情報システム部門の大きな負担となっていたインストールや管理、アップグレードにかかる費用・手間を節減することができる。

2008年12月4日木曜日

求められる管理職像-2

国立大学の事務組織は、法人化前からそうでしたが、「事務局長-部長-課長-副課長(課長補佐)-係長-主任-係員」といった多層のヒエラルキーによって構成され、その弊害として、「タテ割り、硬直化した組織、年功序列、低給与水準」等が指摘されてきました。そこで法人化後多くの大学では、組織と人の力を最大限に発揮できる組織づくりに力を注いできました。特に、「組織のフラット化と柔軟化」は重要なテーマとされ、例えば、迅速な意思決定をより可能にするため、経営トップである学長と現場との距離をできるだけ近づける、具体的には、役員の下に担当事務組織を直接配置する方式に変更するなどの取り組みを行っています。その結果、文科省からの天下りと批判されている事務局長や、定年までの待機職である部長を廃止する大学も増えてきています。確かに、実質的には役員と現場を抱える課長とのラインが太く強固であれば仕事はうまく進むわけで、その間に屋上屋を重ねるような階層はもはや不要なのかもしれません。

大学改革を一層進めていくためには、このような官僚体制としての事務組織を再構築するとともに、業務の必要性など根本に立ち返った見直し、SDなど職務能力の開発(専門化)、努力した者が報われる厳格な職員評価・人事考課の確立といった多様な課題の解決に向け取り組んでいかなければなりません。そして、こういった諸改革の成否は、結局は「人」に依存します。改革成就のためには、多くの職員が一丸となって経営者の掲げるビジョンと戦略を共有し、各々がその役割・責任を全うすることが何より大事になってくるわけですが、その職員達を迷わすことなく引っ張っていける力量のある管理職の存在がカギになります。

特に、腰掛人事と揶揄される文科省の命令によって各地を2~3年ごとに転々とする課長以上と違い、副課長(課長補佐)さん方は、基本的には当該大学の生え抜きであり、深い愛校心と広い人間関係を持った人達です。中には、当然ながらいわゆる年功序列によってその地位を築いた方もいらっしゃいますが、最近では、大学におけるキャリアパス制度の充実などから、優秀な人材層が整いつつあります。また、法人化以前には不可能だった「プロパー職員の管理職(課長以上)への内部登用制度」も定着しつつあり、今後10~20年先が楽しみです。

前置きが長くなりました。今回は、今後の戦略的な大学経営を展開する上で重要な役割を担うことになるであろう課長、あるいは副課長(課長補佐)クラスの中堅管理職について触れた論考「戦略経営の確立に向けて-リーダーシップの確立」(日本福祉大学常任理事 篠田道夫さん)の一部をご紹介します。

他責の文化、評論家ミドル

企業でも仕事がうまく進まない時、無意識にこの壁に寄りかかり、言い訳にして動こうとしないケースもある。野田智義氏(非営利法人インスティテユート・オブ・ストラテジック・リーダーシップ代表理事)はこれを「他責の文化」と名づけ、現場と管理者の溝、上司の壁が改革を阻む風土にまでなる危険性を指摘するが、これは、例えば教授会の壁(?)に日々直面している大学職場でも考えるべき問題だ。

他人の非を責めていれば自分の責任は問われない。特に、現場とトップのつなぎ目にいる中堅管理者が、問題の原因を他人や環境のせいにし、先頭に立って行動しない風土は深刻な事態を招く。立派な意見は持っているが行動は起こさず、「うちはトップがだめだ」などと責任転嫁する。しかも本人は愚痴を言っている自覚はなく、会社の在り方を大所高所から議論していると思っている。これはミドルが評論家になっている状況だ。責任が問われず意見が言いやすい職場に、この「他責の文化」、評論家ミドルは広がりやすいというが、我々大学職場でも「教授会が決めてくれない」などと言って、できない言い訳にしていないだろうか。

論理的な意見や積極的な議論も、自らの実践や責任意識が伴わねば、改革の前進にとっては何の意味もない。野田氏は、求められているのは「上司(トップ)が悪い」ではなくそれを変えるために何をしたか、「こうあるべきだ」ではなく「私はこうしている」だという。
組織(大学)全体にとって長期的利益になる大義なら確信を持ち、場合によっては矢面に立つ覚悟もして行動することがトップを変え、大学・職場を動かしていく。複雑な組織運営の中で、改革には必ず何らかの抵抗を伴う大学で、真の改革を決定にまで持ち込むには、現場に立脚し、そこから練り上げた方針の実現に確信を持って取り組む管理者像が求められる。

課長補佐が会社を動かす

しかし、堀紘一氏(ドリームインキュベータ代表取締役)によると、日本の企業社会、特に活力のある企業は「ミドルアップ・ダウン」で成り立っており、「課長補佐社会」だという。そもそも日本企業の強さはアメリカのトップダウン型と比べればボトムアップ型で、大企業では何もできないという誤解もあるが、実はやり方によっては全く逆だという。

大企業では、課長補佐クラスが稟議書を書いており、それをほぼ最終決定権を持って決済しているのは部長クラスで、後はトップまで自動的に上がっていく。課長補佐クラスの提案をうまく根回しをかけていくことで、会社全体を動かすことは十分可能で、これが日本企業の醍醐味だというが、これは大学にも当てはまる。堀氏は、この現場の提案で会社を動かすには重要な点が二つあると指摘する。

第一は現場を熟知し、そこから提案するということ。それは顧客ニーズであり、現場実態であり、データ・統計資料であり、特に自分で集めた知識・情報である。変化する生の現場情報はミドルにしか集められず、トップの判断を変えうる強さを持っている。自分の意見を言わず事実をひたすら積み上げて、結果として意見を通していく手法に熟達すべきで、多くの顧客の実態、事実を熟知しているだけで勝てるというが、これは改革提案を実現していく上で大学職場でも大いに学ぶべき点だ。

もう一つ重要な点は、常に「上位概念」を想像し、部分最適でなく、全体最適になるような視野、戦略との整合性を持つという点である。上司と部下に緊張関係が存在するのはある意味当然で、立場によって「見える風景」は違う。現場からの改革提起=部分最適は、新たな局面、変動するニーズに対応する革新的内容を含むが、これを既存秩序(会社の論理)で骨抜きにすることなく、どう戦略遂行の中に取り込めるか、トップや管理者の現場への感度が重要で、この葛藤の中に組織の進化がある。

日本企業の組織文化の下では、業績や会社の革新はミドル(中堅管理者)のモラールの高さで決まるといわれる。大学職場での持続的な改革推進にとって、現場からの事実に立脚した提起が大学の方針となる「ミドルアップ・ダウン」システムが機能すること、これを担う中堅管理者の感度と力量の向上は極めて重要な課題となっている。(文部科学教育通信 No208 2008.11.24)

2008年12月3日水曜日

国立大学の予算の課題

平成21年度予算の編成等に関する建議」(財政制度等審議会)については既にこの日記でもご紹介いたしましたが、この建議に至る審議会での議論(というよりは財務省からの一方的な説明)の様子(=文部・科学関係議事録)が最近公表されました。建議の方が先に公表されてしまったため、今さら議事録を読んでも仕方ありませんでしたが、読んでみると財務省の説明者(主計官)の発言と建議に書かれた文章が面白いようにピタピタと一致するので、改めて財務省の思惑どおりの審議会運営、財政政策の誘導が行われているんだなあと認識させられた次第です。

議事録の中で文部・科学担当の主計官は、「国立大学の予算の課題」に関して主に次の6点を主張されています。
  1. 平成22年度から国立大学法人は第2期の中期計画に入る。その際には、競争的な環境、透明性、そして学部・学科ごとの厳格な相対評価を踏まえて、競争的な資金配分を行っていくことが重要。

  2. 第1期(中期目標期間)では、一律1%削減が行われてきたが、経費の効率化がどこまで行われているのか必ずしも判然としない。今後は、大学の特性、学部ごとの評価を考慮し、国が支援すべき研究、人材育成について運営費交付金を交付するといった考え方で進めていくことが重要。その際、研究コストは学部ごとに交付額を傾斜配分する、あるいは教育コストについても学費等の自己収入で賄うといった考え方も踏まえて検討していくことが必要。

  3. 国立大学の運営費交付金は毎年1%の削減だが、実は共同研究費あるいは寄付金等の収入努力によって、全体の事業費は毎年数百億円のペースで増えてきている。こうした努力をさらに進めていくことが必要。

  4. 大学の類型によって、あるいは同じ類型の中でも大学によって教員1人当たりの外部資金は相当差があり、こうした差を踏まえて、各大学の機能分化を進めていくことが重要。

  5. 国立大学の授業料は、私立大学あるいは諸外国の大学に比べると、まだかなり低い水準。ここ数年据え置いてきているので、第2期(中期目標)の期間に向けて、授業料の水準の在り方について引き続き議論していくことが重要。

  6. 国公私を通じた教育改革支援経費と、国立大学運営費交付金の中で個別大学ごとに計上する特別教育研究経費は、項目にもかなり重複があるので整理していくことが必要。
僭越ながら若干コメントさせていただきますと、大学間に競争的環境を醸成し、競争原理による各大学の自助努力を促すという政策は、総合的に考えれば、今後とも国公私の分け隔てなく推し進めるべきだと私は思います。特に、ぬるま湯にどっぷり浸かりきっている国立大学には、その大きな外波(大学の壁を乗り越える高波、あるいは壁を突き崩す強波)が押し寄せ続けることを希望しています。大学の中で、全学的視点からの予算配分や学部間の競争的環境を醸成するための仕掛け作りに一生懸命取り組んでも、なかなか「部局自治」というモンスターを倒すことはできません。モンスターと闘うには、「外圧」という助っ人が必須のような気がします。財務省の主張のように、今後は部局というセグメントごとに財務情報を公開し、全国レベルの土俵の上で相対評価を行っていくことが必要です。そこまでやって初めて改革がスタートできるような気がします。

また、財務省は、法人化後、国立大学予算の一律1%の効率化減を行ってきたことの検証は必ずやるべき、やる責任があると思います。「経費の効率化がどこまで行われているのか必ずしも判然としない」と他人事のようなことを言っていないで、自ら率先して、不可能であれば文科省を使ってでも実行すべきです。「政策なき一律削減の功罪」は税金を払う国民の前に明確にすべきでしょうし、授業料の値上げを要求するのであれば学生や保護者の前に「国立大学には、こういう理由で、あるいはこういった無駄なコストが眠っており、財政的にまだこれだけの余裕がある。したがって、今後これだけ国立大学から金を絞り取れる」と具体的に説明してもらいたいものです。ただし、「経済的弱者を排除することなく教育の機会均等を確保するとともに、教育・研究・診療の質の低下を絶対に招かない」という国立大学の使命達成が確約できることが前提になりますが。

最近感じるのですが、財務省のお役人達、教育を経済原理主義で考えすぎてやいませんか。国としての責任を放棄してやいませんか。結構イエローカード状態の思想だと私はとても心配しているのですが・・・。

[追加記事]

12月3日に「平成21年度予算編成の基本方針」が閣議決定されました。教育関係抜粋は以下のとおりです。

「教育振興基本計画」(平成20年7月1日閣議決定)に基づき、我が国の未来を切り拓く教育を推進する。その際、新学習指導要領の円滑な実施、特別支援教育・徳育の推進、体験活動の機会の提供、教員が一人一人の子どもに向き合う環境づくり、いじめ・不登校等子どもをめぐる諸問題への対応、学校のICT化や事務負担の軽減、教育的観点からの学校の適正配置、定数の適正化、学校支援地域本部、高等教育の教育研究の強化や国際競争力の向上、私学の振興、競争的資金の拡充など、評価を適切に反映させつつ、新たな時代に対応した教育上の諸施策に積極的に取り組む。

また、平成20年末に策定する「青少年育成施策大綱」に基づく青少年の健全育成、国際競技力の向上などスポーツの振興、日本文化の海外への戦略的発信や文化財の保存・活用、子どもの文化芸術体験など文化芸術の振興、留学生30万人計画の実現のため、総合的な施策を推進する。

幼児教育の将来の無償化について、歳入改革にあわせて財源、制度等の問題を総合的に検討しつつ、当面、就学前教育についての保護者負担の軽減策を充実するなど、幼児教育の振興を図る。また、「食育推進基本計画」(平成18年3月31日)に基づき、国民運動として食育を推進する。

全文→http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2008/1203housin.pdf

2008年11月29日土曜日

予算額目標から成果目標へ

去る26日、財政制度等審議会により「平成21年度予算の編成等に関する建議」が取りまとめられ、いよいよ予算編成も山場を迎えます。高等教育関係予算の実情、とりわけ国立大学関係については、これまでこの日記でも詳細にわたりご紹介してきました。

(参考)
国立大学予算の削減(1)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_8030.html
国立大学予算の削減(2)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_6691.html
訴求力に欠けた要望書 http://daisala.blogspot.jp/2008/11/blog-post_2283.html

日記の内容から国立大学を取り巻く大変厳しい財政事情がご理解いただけるのではないかと思うのですが、最近では、朝日新聞が報じた全国の国立大学長アンケート結果からも、各学長の本音を感じ取ることができます。この記事によれば、92%(77大学)の学長が、「法人化により国立大学間の格差が広がった」と回答され、「過去の資産のある大規模大に資金が集中している」「旧帝大は余裕があるため、新たな展開を可能にしている、格差拡大は『地力の差』にある」といった意見が寄せられています。また、法人化後の問題点として、「各大学とも毎年1%を目安に教育研究経費の効率化が求められ、全体として法人化した04年度より600億円もの運営費交付金が減額されたこと、一律削減により、もともと財政基盤の異なる旧帝大と地方大(特に教育系単科大)の格差が広がった」ことなどが指摘されています。このような厳しい状況の中、各大学は、例えば、運営費交付金の削減分を外部の研究資金や寄付金などで補う努力を続けてきているわけですが、ある学長が「外部資金獲得は大規模有名大学あるいは医理工系分野に有利に働く」と指摘されているように、地方大学の限界も垣間見えてきます。

国立大学に身を置く者の一人として申し上げれば、確かに国の時代に比べれば、いわゆる「人、物、金、スペース」といった資源の不足感は否めませんし、声を大にして社会に訴えることも必要なことです。しかし、それでは国立大学(の学長さん)は、国立大学とは縁もゆかりもない社会の人達、あるいは、私立大学に多額の授業料を負担している保護者からいただく運営費交付金という名の税金を無駄なく効果的に使っているのかと問われた時に、果たして1円単位できちんと説明、証明できるのか甚だ疑問の点があります。

国立大学の経営トップである学長さん方は、これまで、運営費交付金の削減で「資金が足りなくなり、教育研究や学生サービスに悪影響が出た」「教職員の定年退職後不補充により、特に卒業研究指導など教育への悪影響(が出ている)」「交付金の削減をやめ増大に転じることが必要」「高等教育の公財政投資を欧米並みに、現在の国内総生産(GDP)比0.5%から1%に増加させることが必要」といった国民の心に全く響かない具体性のない言葉のつながりを、教員出身者らしく能弁に語ってきましたが、それだけでは全く説得力がありません。「私達はここまでこういった努力や改革ををやってきた、しかしそれもこういった点で限界域に達している」ということを、客観的なデータなど、誰もが納得できる具体的なエビデンスに基づいて説明しなければ誰も理解してくれないのではないかと思います。多額の税金や学費によって賄われていることの意味を大学のホームページ等できちんと説明している国立大学はまだまだ少数のような気がします。

いみじくも、26日には、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会から「平成19年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関する評価の結果についての意見」というものが公表されました。この中で、総務省は、国立大学法人評価委員会に対し、以下のような改善を求めています。
  • 公的研究費の不正使用の防止のための体制・ルール等の整備状況についての評価の徹底

  • 法人運営に影響を及ぼすおそれのある各種事項に対する危機管理体制の運用状況についての評価の徹底

  • 随意契約の適正化の一層の推進(一般競争入札の範囲の拡大、契約の見直し、契約に係る情報公開等)についての評価の徹底

  • 収入増やコスト削減の取組における数値目標の設定状況、国立大学病院管理会計システム(HOMAS)又はこれに類する会計システム等により得られた各種統計データの活用状況の把握・病院管理運営に関する実績等に関する評価の徹底
大学の中には、学長さんや役員さんの目には留まらない、留まってもあえて放置されている「あるべき姿と実態との大きな乖離」(=緊急に解決すべき課題)がいくつもあります。また、上記のように、大学の外からみた評価や会計検査院による無駄遣い検査において、毎年のように指摘されているにも関わらず手をこまねいている課題も少なくありません。今の国立大学には、予算(税負担)の増額を国民に求める前に改善しなければならない課題が山ほどあるのではないでしょうか。

法人化後、国立大学の財務会計制度が格段に改善されました。年度内に消化できない予算については、「経営努力」という美名のもとに翌年度に繰り越して使用することが可能になりました。平成19年度決算結果を受け、文部科学省が国立大学に繰り越しを承認した金額は、全体で約506億円に上ります。

(参考)
国立大学法人の07年度決算と08年度補正予算 http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_4755.html

実に乱暴な試算をしてみます。平成19年度の繰越承認額約506億円を1大学当たりに平均すると約6億円になり、1大学当たり平成16年度からの4年間で約24億円のお金が余ったことになります。また、このお金は、平成22年度からの次期中期目標期間には繰り越せないようですから、全国の国立大学では、来年度までに概ね最大で、506億円×4年分=2,024億円もの税金を無理やり消化することになります。予算消化(予算の無駄遣い)に奔走するという悪弊の時代に逆戻りすることになります。予算が厳しく教育に支障を来しているという学長さん達のコメントとの整合性を国民はどう理解すればいいのでしょうか。

それでは最後に、「平成21年度予算の編成等に関する建議」における国立大学・私立大学に向けた厳しいご指摘をご紹介し、気を引き締めたいと思います。

●国立大学法人運営費交付金の配分方法の見直し等

国立大学法人については、我が国の国際競争力を担う大学から地域の教員養成大学まで、機能別に再編・集約を行い、国の助成を重点化させるべきである。こうした考え方を踏まえ、来年度の国立大学法人運営費交付金については、これまでどおり総額は厳しく抑制すべきである。

また、運営費交付金には学生数等に基づいて算定される部分のほか、各大学に裁量的に配分される「特別教育研究経費」(平成20年度(2008年度)予算790億円)があるが、内容は国公私を通じた「教育改革支援経費」(平成20年度(2008年度)予算680億円)と重複が見られる。この国公私を通じた「教育改革支援経費」はここ数年急激に額が増大しているが、運営費交付金における予算も含めて、類似の施策が多く見られることから、事業内容・対象大学数の見直しに取り組むべきである。

なお、今中期目標期間の業務実績評価については、大学別だけではなく、各大学の学部・研究科ごとの水準・達成度の相対評価が明確になるよう厳格に実施・公表すべきである。その上で、第2期中期目標期間に入る平成22年度(2010年度)以降の国立大学法人運営費交付金については、大学ごと、学部・学科ごとの相対評価を配分に反映させ、大学の成果・実績・競争原理に基づく配分が行われるよう見直すべきである。また、研究コストは競争的資金、受託研究や寄付で賄い、教育コストは学費等の自己収入で賄う方向に重点を移すべきである。

国立大学の授業料は、私立大学や諸外国に比べてかなり低い水準にある中で、既に4年間据え置かれており、教育研究コストを賄うため、第二期中期目標期間に向けて、引上げについて検討する必要がある。さらに、現在、ほぼすべての大学・学部で一律横並びの授業料となっているが、これについても見直しが必要である。

●私学助成の配分方法の見直し

私立大学は、学生数が減少を続ける中で、大学数は増加の一途をたどっており、定員割れが全大学の5割近くに上っている。今後は、各大学において、経営の効率化、戦略の明確化が早急に求められ、私学助成も、これまでどおり歳出削減を進める中で、こうした取組を促す配分を行う必要がある。

先般、中央教育審議会において、我が国の大学の量的規模について議論が開始されたところであり、今後、参入要件の見直し、既存大学の再編・統合の必要性も含めて、議論を注視していきたい。

2008年11月26日水曜日

格差社会と学費の問題

景気の低迷による国民生活への影響が益々深刻化している現在、「政局より政策」を標榜していたはずの政府の無策に近い対応は、結局は選挙対策の感が否めず、景気回復へ向けた多くの国民の期待を裏切るばかりか、次第に苦しみの奈落へ引きずり込もうとしています。特に、所得の格差拡大は、憲法で保障された「教育を受ける権利」をも否定するかのような社会現象を生じさせています。

家計に置きかえてみればわかりやすいかもしれません。子ども達の将来を保証することになるであろう教育に可能な限りの投資をしておきたいと考えるのは親心としては一般的なことですし、現に我が家では、お父さん(私)の小遣いが母親の独断と偏見でいつの間にか娘の習い事の月謝に転換されていきます。なんとも情けない話ではありますが、これが、高等教育に係る学費の問題ともなると、その金額の大きさから、お父さんのお小遣いを節約するどころの話ではすまないことになります。最近では世相を反映してか、家計に与える教育費負担の問題を取り扱う記事が目につくようになってきました。

1,024万円 高校入学から大学卒業までの教育費(2008年11月16日 東洋経済)

「国の教育ローン」を利用した勤労者世帯(平均年収622万円)を対象とした日本政策金融公庫の調査によると、高校入学から大学卒業までの7年間の教育費は子ども1人当たり1024万円(私大理系の場合は1141万円)に。自宅外からの通学となると、これにアパート等の入居や家財道具購入のための48.6万円、年間96.0万円の仕送りが加わる。対象世帯には小学校以上に在学している子どもが平均1.8人おり、彼らにかかる在学費用の世帯年収に対する割合は平均34.1%。年収200万~400万円の世帯では55.6%にもなる。しかも、これら学齢期の子どものいる世帯の6割近くが住宅ローンを抱え、上記在学費用とローン返済額との合計は、世帯年収の45.9%もの規模となっている。
全文→http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/4d3d5b7cbda4fa963408537dae158d54/


私立大下宿生は214万円 入学費用、国立自宅の2倍(2008年9月30日 共同通信)

今春の大学、短大の新入生が出願から入学までにかかった受験費用や学費、住居費などの総額の平均は、国公立大の自宅生の109万円に対し、私立大下宿生は214万円と約2倍の差があることが30日、全国大学生活協同組合連合会の調査で分かった。調査によると、最も安かったのは国公立理系の自宅生で106万円。最高は私立医歯薬系の下宿生318万円で、差は3倍に及んだ。次いで私立理系の下宿生238万円、私立医歯薬系の自宅生212万円など。自宅・下宿別でみると、国公立大は自宅生109万円に対し、下宿生190万円。私立大は自宅生130万円、下宿生214万円だった。
全文→http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008093001000908.html


このように家計に占める教育費の割合は大きく、今後、少子高齢化の進行に伴い顕在化してくる医療・年金・介護といった社会保障費の国民負担の問題とともに、私達国民は更なる生活苦を余儀なくされる可能性があります。では、私達を苦しめる「教育費の家計負担割合」が高いのはどうしてなのでしょうか。その理由について触れた3つの記事をご紹介します。

家計負担が重い日本の教育費(2008年10月9日 産経新聞)

経済協力開発機構(OECDD)が発表した『図表でみる教育OECDインディケータ(2008年版)』によれば、全教育機関に対する国や地方自治体などによる公財政の割合は加盟国平均で85.5%ですが、日本は68.6%と、比較できる26カ国中24位という低さでした。学校段階別に見ると、低いのは幼稚園など「就学前教育」と、大学などの「高等教育」です。高等教育の場合、日本は、公財政支出の割合は33.7%(加盟国平均73.1%)という低さです。高校まではともかく、それ以上の学校へ進むには、先進国の中でも最も家計負担の重い国の一つなのです。この理由として最も大きいのは、教育に対する公財政支出が少ないことです。国内総生産(GDP)に対する公財政支出の割合は3.4%(同5.0%)で、ギリシャにも抜かれて、比較できる28カ国のうちで最下位になってしまいました。実は経済規模に比して、教育に最もお金をかけていない国だ、というわけです。また、公的なものはもとより、民間の奨学金なども、諸外国に比べればそれほど充実しているわけではありません。一方で、大学などの授業料は比較的高いグループに入っています。高い進学率は、重い家計の負担によって成り立っているというわけです。
全文→http://sankei.jp.msn.com/life/education/081010/edc0810100055002-n1.htm


視点・論点「競争社会」と「連帯社会」(2008年11月24日 NHK解説委員室)

フィンランドでは、大学生に月7万円とか9万円とかの生活費が支給されるということです。学費はもちろん無料ですので、大学に行きたい人はだれでも自活しながら通学することができるということになります。大学の授業料が無料というのは、フィンランドだけではありません。北欧はもちろん、欧州諸国のほとんどで無料になっています。もちろん、これらの国では、大学だけが無償なのではなく、小学校から大学までの教育が、原則として、すべて無償です。教育費が高いのは日本とアメリカです。ここには、教育に関する基本的な考え方の違いが存在しているといえます。フィンランドのような無償の教育制度がとられているのは、大学の教育が、教育を受ける本人の利益になるだけではなく、社会全体の利益にもなる、という考え方があるからです。他方、日本やアメリカでは、教育の利益を受けるのは個人であり、その個人または親が、教育費用を負担すべきだと考えられています。つまり、この日本やアメリカのような考え方を基礎にする社会は、社会を個人の利益を中心に構成する「自己責任」の社会であるということができます。そして、「自己責任」を基礎とする社会では、教育だけでなく生活のさまざまな部面で個人に対する強いストレスがかかることになります。さらに、そうした社会では、すべてのひとが少しでもよい生活をしたいと考えますので、個人の間に、あるいは、家族と家族との間で、さらには子どもと子どものあいだでも激しい競争が生まれます。こうしたわたしたちの社会を「競争社会」ということができるとすれば、フィンランドや北欧の諸国は、それとかなり違った原理を基礎にした社会であるということができます。そうした社会のあり方を、仮に「連帯社会」といっておきましょう。「協力社会」とか「共同社会」とかいうこともできるかもしれません。そこでは、個人が互いに協力して支えあう、助け合うということが、より重要な原理になるのです。
全文→http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/14084.html#more


教育条件 世界と差 日本81万円 仏2万円-国立大学費(2008年6月29日付 しんぶん赤旗)

なぜ日本では、教育予算が低く抑え込まれてきたのでしょうか。「『財政難だから』という政府の説明は違います。『教育は国民の権利だから公費による教育を拡充する』という考え方がないからです」。近畿大学の土屋基規教授(教育行政学)は言います。憲法第26条は「義務教育の無償」を定めています。ところが政府は「これは国の努力目標を定めた条文で、個々の国民に具体的権利を与えるものではない」という解釈を続けてきました。1964年2月の最高裁判決は「義務教育の費用はすべて国が持つべきものではなく、親も応分の負担をすべきだ」との見解を示しました。この後「無償」の範囲は公立義務教育学校授業料と教科書代に限定され、「教材費や給食費などは家庭が負担して当然」という流れがつくられました。1971年の中央教育審議会(文相の諮問機関)答申は、大学学費について「大学教育で利益を得るのは学生だから、費用も学生が負担すべきだ」という「受益者負担」論を提唱。この後、学費はうなぎ上りとなり、現在は70年比で国立大で45倍、私大で9倍にもなっています。80年代からは臨調「行革」の名の下に教育の民営化や規制緩和が進行。小泉「構造改革」がこれを加速させました。「良い教育を受けたければ自己負担を」という「受益者負担」論は、いっそう強められています。「政府は、親の教育熱心さにもつけ込み、教育の私費負担を増やしてきました」。こう話す土屋教授は、「70年以降、国の行政費に占める教育費の割合は、75年の12%台をピークに、現在8~9%台まで下がっています。中等・高等教育の漸進的無償化を明記した国際人権社会権規約第13条2項(b)(c)もルワンダ、マダガスカルと並んでいまだに留保している恥ずかしい状況です」と批判します。
全文→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-29/2008062903_01_0.html


それでは、以上のような厳しい現状を解決するために、国や大学現場ではどのような検討や努力が行われているのでしょうか。昨日、廃止の方向が明らかになった「教育再生懇談会」における動き、次に、学生への代表的な経済支援策である「学費の免除」の現実を指摘した記事をご紹介します。

教育の負担軽減策を議論へ=教育再生懇(抜粋)(2008年9月22日 時事通信)

政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)は22日、首相官邸で会合を開き、大学教育改革に関する議論を行い、低所得層の保護者の下で育った子どもでも希望通りの大学で学べるよう、教育費の軽減策などについて年内にも提言をまとめる方針を決めた。懇談会では今後、奨学金や授業料免除など、私費負担を軽減するための仕組みについて検討。会合後、教育再生担当の渡海紀三朗首相補佐官は「能力のある子どもが家庭の経済状況で格差が生じる事態について考えていかなければいけない」と話した。


国立大学授業料の全額免除 申請者のわずか28% 2割超が受けられず(2008年11月18日 しんぶん赤旗)

国立大学で2008年度前期の授業料の免除申請をした学生のうち、全額免除を受けられたのは28%で、半額免除を含めても78%であることが本紙調査でわかりました。免除を申請した人のうち、2割以上の学生が免除を全く受けられない実態が浮き彫りになりました。国立大学の授業料は年間53万5千8百円(前期分は26万7千9百円)。高すぎて負担できないため、免除を申請する学生が年々増える傾向にあります。大学側は少ない予算の中で、全額免除者を減らし、半額免除者を増やすなど、苦しい対応を迫られています。
全文→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-11-18/2008111801_01_0.html


(以下は新聞からの切り抜きです。)

国の予算枠引き上げを(三輪定宣 千葉大学名誉教授の話)

授業料免除率が6.7%と低く、申請者の2割が却下されていますが、これは予算枠5.8%の制約によるのでしょう。授業料免除率は、1982年度の12.5%から半減している半面、この間、授業料は2.5倍(消費支出1.2倍)に急騰しているので、授業料に見合って予算枠を20%程度に引き上げてもよいのです。そうすれば、今日の貧困・格差拡大のもとで申請者、免除者が急増するはずです。1980年代からの「行政改革」「構造改革」や「受益者負担」政策のしわ寄せがここにも及んでいます。

切実です「学費軽減」 国立大学授業料免除 申請者が急増、半額免除増やす

貧困の広がりのもと、授業料減免の申請者は年々増加傾向にあります。申請者の増加が著しい大学では、全額免除から半額免除に移行して多くの学生が免除を受けられるように対応しています。その傾向が顕著な大学の一つが秋田大学です。04年度前期に323人(全学生の6.9%)だった申請者は08年度前期には621人(12.5%)に。それにともない全額免除者を240人から15人に減らし、半額免除を54人から563人に増やしています。減免を申請したが、成績を理由に受けられなかった学生のため、同大学教育文化学部では昨年から学部独自で一時的に無利子で貸し付ける基金をつくっています。教員や同窓会に資金を募りました。教育文化学部教授で秋田大学教職員組合委員長の佐藤修司さんは「家計が苦しい学生はアルバイトで忙しく、勉強する時間も取りにくい。成績で線を引くのでなく、困窮している学生を救うために設立した。授業料を下げるとともに、経済的に困難な学生を全額免除にできるよう、減免枠の拡大とその分の運営費交付金増が必要だ」と話します。全学免除と半額免除の間に75%免除する制度を設けている大学もあります。福島大学では08年度前期の申請者は12.8%で全学免除者は1.6%、75%免除者は1.5%、半額免除者は7.5%でした。担当者は「申請者の増加にともない半額免除者を増やすことで多くの学生が免除されるようにした。半額免除になった学生のなかで困窮度の高い学生に上乗せする措置を取っている」と話しました。

京大は減免制度拡大「検討中」

本紙調査に回答した大学のうち、成績にかかわりなく経済的理由により、授業料免除を受けられる制度があるのは、東京大学と京都大学(後期)でした。今年度から世帯年収400万円以下(4人家族)の学生の授業料を全額免除する制度を開始した東京大学では申請者数、免除者数とも過去5年間で最も多くなりました。全額免除者は前年同期と比較すると約1.7倍に、半額免除は約4倍になりました。京都大学では、05年から経済的に困っている学生が後期授業料の.全額免除を受けられる制度を始めています。この制度により3年間で139人が免除されています。来年度減免制度を拡大する計画があるかどうかを開いたところ、京都大学は減免制度の拡大を「検討中」と回答しました。

成績を考慮した大学独自の免除制度を導入する大学もあります。広島大学では06年から、「成績優秀学生奨学制度」を設置し、後期分の授業料を免除する制度を導入し、3年間で241人が受けています。08年度新入生からは入学金、授業料の全額免除、毎月10万円の奨学金の給付を行う「広島大学フェニックス奨学制度」を始めています。岡山大学でも全学生の1%が受けられる独自の授業料免除制度があります。東京学芸大学では授業料免除申請者で免除を受けられなかった学生を対象に選考する独自奨学金のほかに来年度から学費軽減の一環として「教職特待生制度」を開始します。成績優秀者や家計急変者のための独自の奨学金制度があると答えた大学は回答のあった55大学のうち21大学でした。

2008年11月25日火曜日

ちょっと一息

この日記を書き始めてちょうど1年が経過しました。飽きっぽい性格の割にはよく続いたものだと妙な達成感に浸っていたところ、先週末、日記の内容についてクレームが入りました。クレームをいちいち公表することはいたしませんが、要は、最近の私の日記に関して「他人が書いた論考を長々と丸写しするのは問題ではないか」というご意見でした。著作権等を侵害する行為ではないかとのご指摘なのでしょう。

確かにこの日記では、これまで、私が読者の皆様にお勧めしたい論考等を抜粋又は全文転載する形でご紹介してきました。これは、私の未熟な文章による説得力のない主張をご披露するよりは、識者の方々が書かれた原文をお読みいただくことが何よりも適切と判断したことによるものです。もちろん、引用させていただいた論考等は、インターネットや雑誌等で広く公開されているものですし、著者のお名前や出典を明らかにするなど、著作権等の侵害や悪意による引用といった疑念を抱かれないように留意してきたつもりでした。

しかし、残念ながら厳しいクレームを頂戴することになりました。先週末からクレームへの対応、つまり、この日記を有益な情報として読者の方々に受け止めていただくためには、今後どのような編成内容にすべきなのか考えてきましたが未だ答えを得ることはできていません。この日記の存続にかかわる重要な課題だと思いますので、少し時間をかけて試行錯誤していきたいと思います。

2008年11月18日火曜日

求められる管理職像-1

前回の日記でも触れましたが、「やる気の湧く職場」を創造していくために「幹部職員の養成」が不可欠であることは論を俟たないところです。

今回は、日本福祉大学常任理事の篠田道夫さんが「文部科学教育通信」(No206、207)に寄稿された「戦略経営の確立に向けて-リーダーシップの確立-」をご紹介します。

戦略を遂行していくためには、リーダー(理事長や学長に相当するのだろうと思いますが)の強いリーダーシップ(先見性のある戦略の明示と構成員への浸透、そのための組織化)が求められ、戦略を重点課題ごとに組織や個人に分配し具体化し実践の課題に落とし込んで行動指針にまで高め、組織的に実現する「戦略の分配」が必要であること、また、戦略の実現のためには、現場のニーズや問題点、競争環境を把握している中堅幹部が戦略策定にも参画し、かつ策定後はその実践の先頭に立つことが求められること、そして大学現場ではどのような管理者像が求められるのかなどについて指摘されています。

リーダーによる戦略の分配

こうした戦略を遂行していくためには、当然、強いトップのリーダーシップが求められる。今日のリーダーに求められるのは、先見性のある戦略を明示すること、構成員に戦略を浸透させ納得を得ること、そして構成員の行動を目的達成に向けて組織することである。

トップには戦略への確信、責任感、信頼性、そして先頭に立って改革を推進する強い姿勢が求められる。しかし戦略は一人では実現できない。ここに戦略の分配という手法がとられることになる。戦略をテーマごと重点課題ごとに組織や個人に分配し、具体化し、実践の課題に落とし込んで、行動指針にまで高め、組織的に実現するための手法である。分配に当たっては、戦略の全体目標と分配する部門目標との関係性や整合性を明確に説明づけることがポイントとなる。戦略の部門における位置づけや意義の理解を前提に、分配する組織や人(責任者)の特定、期限の明示、権限の付与等が必要である。大学においては、これらの分配は会議体で行われることが多いが、一般に課題遂行責任(者)や期限が曖昧な場合が多い。方針や政策を会議体で決定する場合、「誰が、いつまでに」を常に意識的に明確にすることが、実行性を保障する最大の要件である。

その上で、この戦略の具体化(分配)を担う経営、管理運営組織をどう編成するか、この意思決定システムの迅速化、運営の効率化、責任体制の確立もまた重要な要素である。大学の管理運営を同僚制、官僚制、法人性、企業性の4つに分類するマクネイの大学組織モデルがある。政策方針を明確に策定し、その実施を構成員に強く求める「法人性」の組織モデルから、戦略の共有を前提に、環境変化や顧客ニーズの変動に、現場で敏感かつ柔軟に対応できる「企業性」組織モデルヘの移行が、今日の組織運営改革のひとつのテーマといえる。明確なトップからの戦略設定(分配)とその実践における分権化の新たな組織体制の構築、大学組織におけるトップと現場の権限委譲と新たな接合システムの創造が重要な検討課題となる。

チェンジリーダーの重要性

また、戦略の実現を実質的に担う幹部層、特に中堅管理者の役割、レベルアップは、実践的には極めて重要である。大学ではトップダウンも求められるがボトムアップも不可避で、この接合なり融合が重要となる。その接合の中核を担うのは、戦略目標を理解しつつ現場も熟知しているミドル層(中堅管理者群)にある。ミドル層を戦略の具体化と実現の中核部隊と位置づけ、ここを基点にトップとつなぎ、課員を業務遂行に組織し、戦略の創造的実践を行うのが現実的である。これがミドル・アップダウン・マネジメントによる運営だ。現場のニーズや問題点、競争環境を把握している中堅幹部が戦略策定にも参画し、かつ策定後はその実践の先頭に立つ。それをトップが効率的に統制することを通じて戦略の実現を行うのが戦略の分配の本質である。大学改革推進の中核を担う教員・職員幹部のレベルアップ、能力育成、この層の厚さこそが問われている。多忙な現実業務に苦闘しているミドル層の目標実現への目線の高さが、戦略の水準を決める。単なる管理サイクルを回すだけの管理者から、戦略目標に従って現場を実際に変革する、新たな事業を創造する、これを課員を巻き込みながら推進するチェンジリーダーこそが求められている。

戦略重点課題を構成員全員の業務課題に落とし、行動指針にしていくこと、すなわち戦略と個々人の業務課題の接合によって初めて、目標は実践される保障を得る。この遂行システムが目標管理制度でこの要にミドル(中堅管理者)が居る。仕事は常に定常業務と戦略業務に分けられる。前者は組織の維持に欠かせないが、後者は組織の発展、明日の存立にとって欠かすことはできない。全ての専任構成員が、日常課題とあわせ戦略的テーマを設定し、追求する政策型業務を中核に据えなければならない。そして、こうした改革型業務を作り出せるか否かは、まさにこの現場に居る管理者の資質、姿勢にかかっている。チェンジリーダーへの管理者の転換こそ、戦略経営を支える最も大きな力となる。

管理業務改善のための手法

では、管理行動の現状や問題点を客観的に分析・評価できるのか。その点で、三隅二不二氏(大阪大学教授・当時)が確立したPM(PerformanceとMaintenance)理論に基づくリーダーシップの科学的診断法は有効な手法だと思われる。その基本的考え方は、リーダーシップを映す鏡、客観的な測定は企業であれば自分の部下、教師であれば教え子であるという点だ。目標を実現させるために組織があり、それを方向づけるリーダーが生まれる。組織は目標を達成する行動を強めるほど個人を統制することとなり、その反発から常に崩壊の危機を内包し、それを抑える行動が強まるという二面のバランスの上に成り立っている。

三隅氏は、集団におけるリーダーシップを「集団の目標達成や課題解決を促進し、集団に胚胎する崩壊への傾向を抑制して、集団の維持を強化する機能」(『リーダーシップの科学」指導力の科学的診断法』三隅二不二著、講談社、1968年7月)と定義した。リーダーは資質より実際の行動様式によって評価は決まり、かつ機能や効果も測定できる。

PM論におけるP(パフォーマンス)は、集団における目標達成や課題解決に関するリーダーシップを意味しており、M(メンテナンス)は集団の維持に関するリーダーシップを指す。簡潔に目標達成行動と集団維持行動とも呼ばれ、この2つの次元の異なる行動の強弱や特性の分析によって、リーダーシップの実態、管理行動における強みと弱みやその生産性への影響を科学的に明らかにできるようになった。

もちろん職場の違いによりPとMの力点の置き方は違ってくるが、このバランスの取れたリーダーが高い業務遂行能力を持つことが調査の積み重ねで立証された。その測定は部下への職階・職種別の調査票(アンケート)による上司の評価という形で行う。

監督者の管理行動として、Pについては、計画や目標、期限等に関する指示や報告の強弱、仕事をする上での環境や状況把握、計画化や指導の強さ、適切さについて聞き、またM行動については、部下の意見をよく聞くか、その実現に努力し、信頼し、公平に扱い、気を配り、好意的かというような点でその度合いを聞いている。これにより管理者本人の意図とは別に、部下がそれをどう受け取っているか、管理行動の客観的特性が浮かび上がることとなる。

今日の大学職場では特に改革提言力、目標達成行動とそのマネジメントが求められるが、これを目標達成行動と集団維持行動に分け、各大学が求める管理者像に従って設問し職員に調査することで管理行動の実態はかなり客観的に把握できる。この実態把握や評価改善提案は、部下との信頼関係を持って組織を牽引できるリーダーの育成に大きな意味を持つ。

ドラッカーも、リーダーは資質や能力でなく行動様式だとして、1)ポストを地位でなく仕事とみなし、唯一使命と目標に沿って判断、行動すること、2)特権ではなく責任と捉えていること、3)信頼されること、その前提に賢さよりも一貫性があること、の3要件をあげている。管理者の資質として考えさせられる基本点である。(文部科学教育通信 No206 2008.10.27)

大学管理者像の模索

大学職場ではどのようなリーダーシップ、管理者像が求められるのか、数少ない提起の中から、孫福弘氏(大学行政管理学会初代会長)の提案「経営革新をサポートする職員組織の確立を」(『BetWeen』2004年6月号、特集「リーダーシップが生きる職員組織」)を手がかりに考えてみる。

ここで孫福氏は、管理者の有り様を、1)経営トップ、2)それを支える経営陣、3)行政管理職層(アドミニストレーター)、4)現場専門職層、の4層に分けて論じている。

まず、1)の経営トップリーダーについては、組織の使命・目標を構成員やステークホルダーが理解し、納得できる革新的ビジョンとして提示できる力が求められている。選挙や世襲では、こうした適任者の選任にはマイナス面があり今後の課題だとした。2)のトップを支える経営陣については、担当役員制など業務領域ごとの管轄権限を明確にした経営遂行体制の整備が提起されており、そのための責任と権限の委譲、業務に実権を持つ職員幹部の役員への登用による最強の布陣の重要性を指摘した。

3)の管理職層(アドミニストレーター)の有り様については、次のように述べている。従来の事務機構の多くは官僚型の運営で、管理者は所轄の職場、仕事、部下を管理し、自分が仕事をするのでなく下から上がって来たものを決裁する下向きの仕事が多かった。こうした管理者に期待される能力は、異動を通して蓄積した「組織の常識」に基づき穏当な判断ができるという点にあった。しかし、激変する環境は、こうした管理者機能の抜本的改革を求めている。

プレーイングマネージャー

孫福氏は、この新たな管理者像を「プロフェッショナル型アドミニストレーター」と位置づけた。これまでの単なるゼネラリスト型でなく、自らの専門性(スペシャリティー)を持った管理者、それも狭い専門家でなく、全体の状況や課題を把握した「いわばゼネラリストとスペシャリストのハイブリット型プロフェッショナル」とも言うべき管理者像であるとした。下から来る仕事を待つのでなく、自らも特定の領域に持つ強み(専門性)を背景に、現場を持ち、そこから発信できる「プレーイングマネージャー」となる。

もう一つ、今日の管理者に不可欠な力量として「政策提言能力」を位置づけた。所管の分野での現実の問題を正確に分析・把握し、それを改革・改善するために必要な施策・計画を示す、いわば問題発見・解決力量である。そして、的確な政策立案のための留意点として、セクショナリズム(部分最適)でなく全体最適志向、ゼネラリストとしての視野を持つこと、外部環境への改革的挑戦を含む戦略思考を持つことの二点をあげた。

これら二つの要素を持つ「プロフェッショナル型アドミニストレーター」は、トップや役員層に向かって革新的な企画提案をしていく、上向きの経営管理人材となる。トヨタはこれを赤エンピツ(他人の仕事のチェック)から黒エンピツ(自分で書く仕事)への転換と呼んだ。改革型の大学運営を担う管理者の「プレーイングマネージャー」への転換、意思決定・執行における「ミドルアップダウン」の実質化である。中堅管理職層が積極的に現場から主張、提案を行い、経営・教学幹部に働きかけて意思決定に持ち込み、決定と同時に現場に方針を下ろし、財政投資と効果評価を含む遂行マネジメントを行う一連の流れを作り出すことが重要である。

現場と会社を繋ぐ管理者

では一般に読まれている本を素材に管理者のあり方を考えてみたい。2004年4月、集英社新書から出版された橋本治氏著の『上司は思いつきでものを言う』は、そのタイトル通り堅苦しい管理者論でないこともあって、多くの人々に読まれた。日本の伝統的なライン型の管理構造の中では、現場からの革新的な提案に上司は「必ず思いつきでものを言う」ことになる。その理由は何かという切り口で、「会社」と「現場」の関係を、ユーモアを交えて論じている。

現場からの的確な改革提案は、意図しなくても必ず「会社のこれまで」の批判、問題指摘を含んでいる。上司は、過去の成功体験の積み重ねでその地位におり、「会社」もまた、過去の成果の集積の上に成り立っていることから、大きい会社ほど「会社の論理」が強固で、本質的な改革に踏み込めず、過去にこだわり、危機の原因を外に求め、問題に気づきながらも現状は温存して第3の道を探そうとする。これが著者の言う「思いつきでものを言う」状況を作り出すことになる。

大学に置き換えてみると、この「今まで」を切れない、既存の学部や学科には手をつけない、管理の基本構造や人事の刷新はせずに、何か他に良い手はないかと新規事業を探す、新たな学部を作るという手法はしばしばあるケースだ。この「現場の論理」と「会社の論理」の乖離、「現場と会社の分裂」は、今日の日本企業の陥っている構造的な問題であると著者は言うが、大学にも共通する課題だ。

管理者、上司のピラミッドは、成長企業ほど高くなり現場との距離は離れていく。成功の伝統と大きさゆえに企業が成り立っていると錯覚し、ピラミッド構造を維持することが会社を発展させることだと信じてしまう。企業も大学もニーズによって成り立っている以上、管理者は現場の実態や要望に基づく改革推進が本務のはずが、上から命令しチェックするのが管理者の役割と考えてしまう。現場での危機的な環境や深刻な実態を無視した大学の論理、学内者の論理の横行、高校や企業の大学評価や志願者ニーズとのずれ、教育方針や教育サービスの学生ニーズや満足度とのずれ、現場との乖離はまさに大学の今直面している課題そのものでもある。

会社に吹く二つの風

現場とは何か?これは会社の寄って立つ基盤であり、仕事とは「まさに他人の需要に応えること」であり、会社を会社たらしめている「外からの需要」は「現場」という所にまずやって来ると著者はいう。「現場」とは会社の外部との接触面であり、大学もこの現場(各課)に来る需要に依拠して成り立っている以上、これを敏感につかみ自らを変えられるか、その要に位置する管理者の力量が問われている。

問題は、この「現場から見るか、会社からみるか」「現場の都合か、会社の都合か」にあり、この足の置き方が改革型の上司か否かの分かれ目でもある。これを折半しようとする管理は中途半端になり、部下からは思いつきで動いていると思われる羽目になる。こうした組織では現場の地盤沈下が始まっているのに厳しく対処できない。皆危機を感じているのに誰も事実を明確にせず取り繕う。そして危機は突然やって来る。

橋本氏は、会社(上層部)には常に方向の違う2つの風、現場から上に吹く風と会社から下に吹く風があるという。しかし、これは実は別々の風ではなくて一つの風の対流現象だ、ということだ。下からの問題提起という風がうまく上へ流れ、それが会社の意思・方針となって下へ降りてくる。この対流がスムーズに出来るか否かが重要で、これが詰まると会社は次第に枯れていく。

大学における現場、外からの需要は、職員が社会(企業・高校・地域等)や在学生との接点から汲みとるニーズや評価にあり、ここに真に立脚した運営が出来るかが重要だ。第一線(現場)にいる管理者が、指示待ちでなく、自らの感度と知恵で自立的改革を提起し遂行しうるか、今このスピードと水準が問われている。(文部科学教育通信 No207 2008.11.10)

2008年11月16日日曜日

やる気を引き出す職場と人材育成

書店に行くとこのようなタイトルの付いた本が所狭しと積み上がったコーナーを目にします。民間企業、お役所など多くの職場で社員や職員がどれだけやる気をもって仕事に取り組めるかが、組織や個人が求めるそれぞれの成果を最大限引き出すための重要な「鍵」になっているのではないかと思います。

前回ご紹介した、愛媛大学経営情報分析室の秦 敬治氏のお話の中にも、「教職協働」を進めるための大学の組織づくりに必要なこととして、ドラッカーの言葉「現代の組織は上司と部下の関係ではない。それはチームである」を引用した上で、1)教職員の強みを引き出せるような組織や制度を作ること、2)教職員を同じ立場で仕事させる機会を作り出すこと、3)重要ポストにおける教職員の割合を検討すること、4)職員が「極めるため」のサポートを惜しまないこと、が述べられています。

これは、主に「教員と職員との関係」に視点を置いたものだと思いますが、私は、「上司と部下との関係」つまりは、「学長、役員、幹部職員という大学の経営に最も責任を有する者が真剣に考え実行しなければならないこと」としても十分当てはまることではないかと思います。

大学の中には、「仕事ができない、しない、させない」管理職、上司という位置にあぐらをかき、自分の保身だけを大事にして仕事をするような人間として尊敬できない管理職が思いのほかたくさんいらっしゃるような気がします。残念ながら、若手のモチベーションや未完の能力を開発し向上させるために、本気になって汗をかくような管理職はごくごくわずかなような気がします。

こういった現状をいち早く打開しなければ、「やる気を引き出す職場」にはなりえないし、効果的な「職能開発」は不可能です。

今回は、桜美林大学大学院国際学研究科大学アドミニストレーション専攻田中 修さんが書かれた「事務職員のやる気を引き出す職場の見直し-共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織-」(2008年1月、修士論文要旨)(抜粋)をご紹介したいと思います。


この益々競争が激化する環境下で、高等教育機関としての大学がこの趨勢に対応していくためにはどういった改革を進めていけばいいのだろうか。その重要課題が「事務職員のやる気を引き出す職場の見直し」である。共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織体制のなかで、法人の経営方針、大学のミッション(教育目標・方針)を深く理解し、やる気を持って職務に励む者といえるであろう。具体的には、人間性ある行動で常に改革モチベーションを持ち、大学アドミニストレーター及びプロフェショナル職員としてのスタッフ業務では水平思考的発想プラス創造力構成の企画ができること、一方、これまでの専任職員が担っていたライン業務でもプロフェショナル職員として積極的且っ効率よく職務を全うするという意志を持つこと、そして仕事への意識をもち“覚悟をもって働く"という理念を深く理解し得る人材である。その結果、学外関係者(学生・保護者、地域住民等)には好印象を与えることができ、学内関係者(主として教職員)に対して、極めて円満な人間関係を保つ人材であり、この人材が大学における「職員理想像」であり、競争原理が避けられない大学経営戦略面にとって、この人材育成は避けられないといえるであろう。

大学において、この「職員理想像」を創作していくには職場内にどういった措置をすればいいのか。検証・分析の結果、現時点で3つの施策が必要不可欠との視点に達した。第1の施策は“事務職場内の「不平等感」の撤廃"、第2の施策は“その職場内で納得しえる「人事制度」の設定"である。この第1・2については「人事改革制度」(以下、「人事考課」と記載)として、「勤務評価」及び「能力主義・成果主義(以下、「成果主義」と記載)」の評価システムを既に導入している大学(2004年私立大学:10.8%)、今後導入を検討している大学もかなりある(同:18.5%)。その反面、反対意見があり、取り組んでいない大学もある(同:17.5%)。その主たる理由は一言でいえば人事考課の基本的カテゴリーである人間をどう評価するか。「人間の行動評価」は数量・軽量化できない故、評価される側が適確に納得できないからである。この「行動科学」の視点から容易に分析できれば問題は無い。しかしながら、「人間の行動」は複雑怪奇で、どう判断・分析し精査すればいいのだろうか。多分、多くの人達は所謂心理学を学んだ経験豊かな専門家でなければ適正に判定できないと思われるであろう。しかし、今後、一先ず、職場間に「不平等感」をなくし、職員個人の「やる気」を引き出す人事考課施策のベストは何か。それが課題であり、人事制度カテゴリーの中で、時代の流れから「成果主義」に論点を当てて検証した結果、3ポイント<1)公正な判断基準の構築として、終身雇用と成果主義を融合する日本型年功制度に立ち返るべき。2)何度もやり直しが効くという敗者復活のスキルアップ、且つ長期間支援していく仕組み。3)評価する側と評価される側がお互いに納得できる関係の構築、換言すればコミュニケーションを核とした制度設計。>の最重要課題に達した。

第3施策は“事務研修で「働き方の基本理念」の浸透"であり、模索した結果、学者の見解及び企業経営トップ経験者の意見を最重視した。この働き方の基本理念とは競争原理が避けられない状況下では“覚悟をもって働く"という以外には考えられない。そして、“覚悟をもって働く"とは“仕事への熱意"と受け止めるべきであるとともに、どういった理念なのかを模索した結果、2つの理念<1)「矛盾の中で働く覚悟」、2)「負の経験から働く覚悟」>にたどり着き、「職員研修」で徹底・浸透していくべきである。この働き方により大学のミッション、建学精神、帰属意識が深まり、「職員理想像」のもとで、大学本来のあるべき姿としての存在価値ある「共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織」に帰還することは確実であろう。

なお、補足として、第1・2の人事考課の施策について、経営面からだけで判断すべきでないとの見解を持った。我が国においては、高等教育機関としての大学が設立されて以来、国の施策もあって「大学は倒産しない」というのが常識風土であり、所謂「放漫経営」であった。しかし、1991年に大学設置基準の改正が、2004年度に国立大学が独立行政法人化されたことから、この常識風土が崩れてしまい、競争原理がすすむ中で、今後の大学における職員の人事政策は旧態依然の体質を改善し、事務組織、人事制度も改革しなければならなくなった。その手法が「人事考課」を導入すべき、少なくとも「勤務評価」は行うべき、できれば「成果主義プラスコンピテンシー」を実施すべきであるとの結論に至った。しかし、この成果開発が、経営戦略の面での成果配分(=人件費の削減・圧縮)のための見直しという意識を持ってもいいが、評価される対象者に対して前面的に押しすすめるべきではない。その理由は、この人件費削除を前面に出すと、圧力・強制力が高まることにより、職員に所謂ストレスが溜まり、帰属意識が低下し、職員の改革には繋がらないからである(「うつ病」が増えてきている実態から)。2005年1月の中教審の「我が国の高等教育の将来像」の答申で、「21世紀は「知識基盤社会」の時代であり、大学の高等教育は個人の人格形成上も国家戦略上も極めて重要」と述べている。世界経済が情報化・グローバル化で日本経済も変容していく環境下で、知識基盤社会では専門知識の高い人材育成が不可欠であり、職場内にこの人間形成教育も行うべきである。この理由から、大学の環境において、職員への業務評価は単なる経営戦略面からの視点で実施すべきでなく、焦燥の念を深めない“人間形成"の人材育成を最重要視すべきである。その環境下でしか、職員のacademismからadministrationへという大学行政総合管理職員創造のための職員事務システムが形成されないであろう。

2008年11月14日金曜日

教職協働に何が必要か

近時、多くの大学人が重視している課題として、大学における教育組織と事務組織が良きパートナーシップを確立すること、あるいは教員と事務職員が相互に連携しあう体制を整えて学生に対応することが挙げられると思います。

今回は、国立大学マネジメント研究会(会長:本間政雄 学校法人立命館副総長、元京都大学理事・副学長)が発行する会誌「大学マネジメント」(2008年6月号)から、愛媛大学経営情報分析室秦 敬治氏が「これからの教職協働-GP活用による実践例-」と題して行った講演の概要(抜粋)をご紹介したいと思います。

秦氏は、西南学院大学で20年間職員として財務の仕事をしながらサッカー部の監督、九州大学修士・博士課程での修学を経て、2006年度より愛媛大学経営情報分析室准教授として活躍されており、今回の講演では、1)教員や職員個人の能力やスキル、2)組織や制度、業務分担、3)組織文化、個々の教職員が持つ意識の問題といった視点から「教職協働」を分析されています。

教職協働のコツ-職員には何が必要か

教職協働実現のために職員には何が必要かということですね。相手を変えるのはなかなか難しいです。私はいつも学生に言っています。性格は変えられないけど行動は変えられる、他人は変えられないけど自分は変えられる。組織や制度を大きく変えるとか、職員が教員に働きかけてあるいは教員が職員に働きかけて相手を大きく変えることはなかなかできないので、自分が変わらなければなりません。

1)「専門性の向上」と「論理的思考力」

今日お見えの多くの方が大学の職員でいらっしゃいますので、職員に焦点を当てた場合、どういったお話ができるかなと思い、「専門性の向上」と「論理的思考力」に着目してみました。初めに、大学行政管理学会の大学職員研究グループで、全国の国公立大学の学長と私立大学の理事長に対してアンケートを行ったと申しましたが、その結果を見ますと、教職協働推進の課題として「職員の専門性と能力の向上が必要だ」と答えた学長もしくは理事長は140名、56.9%です。「教職協働が必要だと言うけれども、職員が専門性を身につけたり能力を上げなければうまくいかないんだ」ということを経営陣は感じているんですね。それを皆さんがどう受け取るかということです。

「複数の素養を効果的に機能させる重要な要素の一つとして、専門性から培われた論理的思考力が必要だ」という提起もありました。これは、これまで教員に求められていた要素なんですね。

先ほど、本間会長と事前にご挨拶申し上げた折、「ぜひ職員にも修士、いや博士課程まで行って欲しいね」と会長はおっしゃっていて、私は嬉しかったのですが、なぜそれが必要なのか、という問題です。行けば良いというわけではなく、どうしてそれが必要なのか。専門性をつけて欲しいとか能力を向上して欲しいと答えた経営陣の80数%は、修士課程には行って欲しいと言っています。その辺の理由をまだ深く追求していないので、これから分析していかなければいけないと思うのですが、多分、本間会長と同じ心情なのではないかなと思っています。ソクラテスは「大工と話すときは大工の言葉を遣わなければならない」と説いたと言います。ですから、教員と話をするには教員の言葉を遣わなければダメ、もしくは教員の遣っている言葉を理解しなければダメ、ということも一要素としてあります。

では、論理的思考力やそれに基づく企画力、説明力等はどうやったら身につくのでしょうか。自分の意志で自らの業務上の専門性を極めることもありますね。大学院に行くことも一つかもしれません。そのときに、では目指すレベルはどこなのか。ドラッカーが言っている言葉の中に、敢えて私は「組織の中に」を付け加えたいのですが・・・、「その専門について自分より詳しく知る者が組織の中に存在するようでは、価値のない存在である」ということです。

2)少し出しゃばってみよう

国立大学の職員の方からよく耳にする言葉は、「出しゃばると責任を負わなくてはいけない」です。「そこまでやると責任を取らなくてはいけない」と。ですから私はいつも言います、「責任を取った人が今までにいるなら挙げてみてください」と。そうすると皆、「そういう責任じゃなくて・・・」と言うのです。実際に責任をとって辞めたとか、何か提案をしたり、「その業務はこっちでやりましょうか」と言って辞めたとか、降格になったとか、減俸になったとかいう人はほとんどいません。たぶん、「責任を取る」というのは「仕事が増える」という意味で言われているのではないかなと思うのです。もちろん好き勝手に言いたいことを言うのではなくて、理念や目標に基づいた自らの領域や専門から、ぜひ出しゃばっていただきたい。

「いや、そうすると上司が・・・」とか「教員が・・・」とかいろいろ思うかもしれませんが、「理念や目標に基づいた自らの領域や専門から」を押さえていれば私は大丈夫かなと思っています。つまり国立大学でも大学の理念などが必ずありますので、そこにスポットを当てるとか、学部の会議に出たときは学部の理念について話すということで、そこに立ち返って「自分は正しいことを言っているかな」と考えていけば、出しゃばりも許されるんじゃないかなと思っています。

3)教員も自らの研究領域以外は専門家ではない

それから、教員だって自らの研究領域以外は専門家ではないということを理解していただきたい。これはたぶん多くの方が理解されていると思います。なぜ選挙で選ばれた人がいきなり経営者になっているのか、と思われたことも多々あると思います。しかし、ある程度そのことも理解した上で、自分たちがどうずれば良いのかをぜひ考えていただきたい。

職員のほうが教育面、経営面でよく理解していることが意外と多いのではないか、ということですね。これも本間会長が言われてきたことで、私自身もずっと言ってきたことなので共鳴したのですが、例えばカリキュラムに関する企画立案等は職員がやっていくべきではないかと思っています。多くの情報を収集した上で長期的に広い視野で利害関係なく作れるからです。私自身は今、職員ではなく教員という立場ですが、自分の中で、「今は教員として生きている」とか「今は職員として生きている」と無意識に使い分けていると思うのです。そこで、今自分の専門を捨てて教員としてきちんと全体を見て議論できているかということが、非常に大事だと思うのです。そういった教員ばかりだったら良いと思うのですが、やはり自分の専門を守りたいとか、自分の分野もしくはそこにある予算や人の枠を守りたいという観点から話し出すと、どうしても理念や目標とのズレが出てくると思いますので、その点では職員のほうが勝っているかな、と思います。そのためには、職員には、教員に意見できるだけの専門性と論理的思考力をぜひ身につけていただきたいと思っています。

この間、元内閣官房副長官の方がリーダーシップに関する授業を九州大学の院生にされていたので聴講させてもらったのですが、そこで「行政において政治家は改革者。国家公務員は自分の領域の中で専門性を発揮して国家や議員を支える者」と言われていました。このことは大学行政にも当てはまるのではないかと思っています。一般に言われる国家公務員とは違うかもしれませんけれども、ここで言う国家公務員型の仕事を大学において職員にしてもらいたいというふうに、経営陣は思っているのではないでしょうか。

教職協働のための大学の対応

ドラッカーの言葉ですが、「組織の目的は専門知識を共通の課題に向けて結合することである」。職員だろうが教員だろうが関係ないんですよね。それぞれの武器をきちんと効果的にまとめあげることが組織の目的だと言っています。

「一つの分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織を作ることを学ばなければならない」。先ほど私が例を挙げましたが、自分はこの分野について自信があって、専門性を身につけたと思っているのに、晩年になって、あと数年で定年というところで全然関係のない仕事をやらされる、そうした慣行が組織を作るときにプラスになるのですか、ということですね。
「現代の組織は上司と部下の関係ではない。それはチームである」とも言っています。

以上を大学の組織作りに当てはめると、教職員の強みを引き出せるような組織や制度を作ること。教職員を同じ立場で仕事させる機会を作り出すこと。重要ポストにおける教職員の割合を検討すること。職員が「極めるため」のサポートを惜しまないこと。全国の大学職員を対象に行ったアンケートでは、意外とこの点が低いです。「サポートをしてもらっていない。むしろ足を引っ張られている」と言う人が非常に多かったですね。それから採用と異動の制度を見直すこと。

「新たなジェネラリスト」と「プロフェッショナル」

またドラッカーの言葉なのですが、「ジェネラリストはこれからの知識経済ではあまり活躍の場がない」。「ジェネラリストといえども、知識労働と知識労働者をマネジメントする専門家にならない限り役に立たない」。それから人事戦略コンサルタントの栗田さんという方の言葉、「ジェネラリストとは、複数の専門分野において一定以上の知識を持ち、業務遂行が可能な人を言う。一般的にこのような人は企業内部で組織横断的に仕事を経験しながらキャリアを形成し、管理職として組織運営のコア人材となっていく場合が多い。しかし、広く浅く総合的な知識は持っているものの、プロフェッショナルとして突出したものを持っていないというウィークポイントもある。今後求められるのは、幅広い分野においてプロフェッショナルとして必要最低限の能力を持った上で、少なくとも一つ以上突出したスキルを持つという新たなジェネラリストである」。

ではプロフェッショナルとはどういう人でしょうか。「専門能力を成果に結びつけることが期待されると同時に、専門分野以外の知識と情報をも有し、さらにリーダーシップカのある人」と言えるでしょう。スペシャリストとの違いは、評価の対象が特定分野の専門性に限定されるか否かにあります。つまり、プロフェッショナルは特定分野の専門性があるだけではダメだ、と言っているんですね。先ほどの「新たなジェネラリスト」とこの「プロフェッショナル」はかなり似ているところがありますよね。

例えば教員と一緒に財務の方、教務の方、学生担当の方が会議をしたとしましょう。「ちょっと伺いますけど、うちの財務のこの部分は今どうなっているんですかね?」「すみません、まだ来たばかりでわからないんです」「そうですか。では教務の改革、カリキュラムの改革は教務の職員がやったほうが良いと思うんですけど、いかがですか?」「いや、私たちは教務事務しかやっていませんので、そういうことはできないんですよね」・・・そういった話になると、教職協働しようがないんです。

ですから、会議に出てくる時に協働できるものが何かあって欲しいんです。そうしたときに、「私は財務にいますけれどもこれまでキャリア支援のほうをずっと担当していたので、先生が今おっしゃっていることはそういった立場からお話できますよ」と言われたら、私はそれを聞くことができます。しかし、そういうのが何もないとなると、なかなか厳しいですよね。

私たちは年に2~3回海外に調査に行くのですが、必ず職員の方を連れて行くようにしています。向こうの職員さんは必ず「あなたの専門は何ですか?」と聞いてくるのです。そこで同行した職員さんが「私は最初の3年は総務にいて、その後に会計にいて・・・」と答えると、「そんなことを聞いているんじゃなくて、あなたの専門は何ですか?何をもっと深く知ろうと思ってここに来たのかを言っていただかないと、私たちも対応できません」と言われるんですね。ですから私たちは、一緒に行くことが決まった時には、専門性を意識しながら、必ずどこを見たいか、知りたいか、きちんと見極めてから行こうという話をしているのです。

2008年11月13日木曜日

コストカットに向けた取り組み-2

前回に続き、大学における「コスト削減」について考えてみたいと思います。今回は、本年6月27日に、総務省が取りまとめた「行政事務のコスト削減の検討の視点」というレポートをご紹介します。

このレポートが取りまとめられた趣旨は、以下の「前書き」を読めばご理解いただけるところですが、要すれば、「最近の国の行政機関における不適切な無駄遣いの多発を受け、前福田総理から指示のあった「政府における無駄の徹底的な排除に向けた集中点検-『ムダ・ゼロ』への取組み」の徹底を図るため、国の行政機関におけるコスト削減に向けた職員の意識改革、コスト削減の仕組みやチエック機能などについては、民間企業の努力や成果を十分に認識・活用していくことが重要である」とのことのようです。

レポートは、国の行政機関を対象としたものですが、書かれた内容は、私達の職場である「大学」にも十分適用できるものではないかと思いますし、指摘内容を正面から受け止め、今後のコストカットに向けた取り組みに反映できればと考えています。

行政事務のコスト削減の検討の視点

(平成20年6月27日、総務省行政評価局民間のコスト削減手法に関する研究)(抜粋)

前書き

国の行政機関においては、「行政コスト削減に関する取組方針」(平成11年4月27日閣議決定)等に基づき、コスト削減に取り組んできたところであるが、これまでその取組が十分な成果を上げてきたとは言い難い。理由や背景としては、次のような点が考えられる。
  1. 予算の獲得に重点を置きがちである。
  2. 組織のトップも末端の職員も、主眼は予算の獲得にあり、日常的なコスト削減の意識が希薄である。
  3. 予算の節約や効率化によるメリットが明確になっていないので、コスト削減に切実感を持って取り組んでいない。
  4. 結果的に、節減の取組は「スローガン」に終わりがちである。
これらに対して、民間では、売上げの増加のための企画や販売も重要ではあるが、最終損益で「プラス」とするためには、コストの管理も重要である。利益が生じなければ自らの給与に跳ね返ることとなるので、末端の従業員に至るまで、節減努力やコスト削減のインセンティブが常に働いている。

国の行政機関がコスト削減の取組を進め一定の成果を上げるためには、このような両者の違いを十分に認識して、「掛け声」だけでなく、トップから率先してコスト削減に取り組んでいくことが重要である。

コスト削減の検討の視点

1 職員の意識改革

(1)コスト意識の浸透

コスト削減の取組は、関係者が一致協力して細かいこともおろそかにせず、地道に、自主的に行うことが重要である。家計の場合、他者から指摘されなくても、自ら節約している。コスト削減の取組を実効あるものにするためには、このような切実感が必要である。

コスト意識を末端まで浸透させることが重要である。民間で徹底した無駄の排除に取り組む場合、例えば、会議資料について、その枚数をいかに減らすか検討する、カラーコピーは禁止、2アップ印刷(2ページ分を縦又は横に並べて1ページに集約して印刷)や両面印刷が当たり前となっている。

また、1)従業員全員に対して、事務机の引き出しの中に予備として個々に保管しているホチキスの針や消しゴムなどの事務用品を全部出させて集中的にストックし、それらの中から必要の都度、改めて従業員に支給することとしたところ、4か月間、事務用品を新規に購入する必要がなかった例や、2)ファイルなどは中古品をやり繰りして支給することにより、従業員に対しても、「頼めば新品が来るもの」という従来の感覚は通用しないことを浸透させ、コスト削減を実現した例もある。

このように、日々の業務においても、末端の職員に至るまでコスト意識を浸透させることが重要である。

また、先進的な取組を行っている地方公共団体においては、コスト削減に当たり、「基本方針」として、「職員の意識改革、自分のお金意識、住民負担増の回避」を掲げて明確化した例も見られる。

(2)実行力、発想カ

コスト削減の検討に当たり、一般に「何が問題か」については誰もが気付くものの、実行が伴っていないのが実情であり、コスト削減の実を上げるためには「実行」をいかに確保していくかがポイントになる。

民間においては、コスト削減を行う場合、業務のすべてにわたって、まず「これをなくせないか」、「廃止できないか」という発想から考えることが基本であり、従業員が「なくせない」、「廃止できない」と考えているものであっても、「本当に必要か」という発想で切り込む。必要性が認められた場合でも、大幅に引き下げた「最適価格」での購入はできないか、他の代替はないかなどを検討していく。

また、コスト削減に当たっては、現状から一定割合を一律にカットする手法ではなく、いわゆる「ゼロ・ベース」から見直しを行うことが通例である。

この場合、「前例」を排除する必要がある。「これまでどおり」を前提としてコスト削減を検討しても何も変わらない。例えば、定期的に作成する資料の中に保管されているだけで使用されていないものがあれば、いったん作成を止めてみて、支障がないか検証する。同様に、新聞や雑誌などの定期購読については、習慣的になっており、改めて見直しを行う機会がない限り、「継続」となりがちである。このような定期購読、あるいは外部から購入するデータの利用料など口座からの「定期引落し」となっている契約については、一度止めてしまい、「原則ゼロ」としてみて、その後、どのような支障が生じたか検証すべきである。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、全事務事業のゼロベース検証(全廃による痛みの行方と機能の低下)、外注や管理経費のゼロベース検証(サービスを支える入札や一般管理費の再検証)を実施した例がある。

2 コスト削減の仕組み

国の行政機関においては、会計、経理業務を所掌する管理職が、個別の契約内容、毎月の経費支出などについて責任を持ってチェックしておらず、実質的に、契約担当者などに任せきりになっている場合が多いのが現状である。このような状況において、無駄の徹底排除の一環として、コスト削減の取組を行っても、確実かつ十分な成果を上げることは困難と考えられる。

一方、民間においては、執行責任者、チェック責任者などの責任体制が明確となっており、また、コスト削減のターゲットや数値目標を個別具体に定め、「いつまでに、何を、どれだけ削減するか」との方針の下、従業員が共通認識を持って、積極的にコスト削減に取り組んでいる。

また、無駄遣いを指摘された部署のみの改善に止まることなく、他の部署でも「うちはどうなのか」、「うちは大丈夫か」という目線でそれぞれチェックし、コスト削減を全社的な取組としていく。

(1)責任体制の明確化

コスト削減に組織的に取り組み、実績を上げるためには、トップがコストに強い関心を持ち、積極的に関与していくことが重要である。

また、コスト削減の指摘が放置されていないか、モニタリングを行っていくことも重要である。民間では、執行責任者は誰で、誰がチェックするのかが明確になっており、「誰が、いつまでに、どうするのか」のアクションプランの作成が容易である。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、行政コストの削減の実効性の確保のため、管理職の担当責任の明確化、第三者機関の設置によるフォローアップ体制の強化(目標・経過・結果の報告と説明責任の順守と公表の徹底)を行った例がある。

(2)削減目標の具体化

コスト削減の取組については、いわゆる「精神論」では意味がなく、「時間軸と数値」がポイントになる。民間では、事後のチェックが容易になるよう、具体的な目標金額などの「数値目標」を設定して、これと実績とを比較して検証している。また、目標の設定に際しては、あわせて、「いつまでに、どれぐらい削減するのか。そのために、誰が何をするのか」などその内容を具体化している。これにより、目標としたことに向けた具体的取組が実際に行われたのか、行われていないのかを事後にきちんとチェックし、コスト削減の実効も確保できる。また、削減目標が具体化されて目に見えることにより、国民の理解を得ることが期待できるようになる。

(3)適切なコスト管理

コスト削減を効果的かつ着実に行うためには、コストの状況を適期にチェックして必要な行動を起こしていく、コスト管理が重要である。

民間においては、コストについて、最小の組織単位(課、所)での「月次管理」が基本となっており、年度予算や前年同月実績との比較を行い、コストが増大しているなどの違いが発見できれば、その理由や要因などを細部にわたって検証していく。おおざっぱな確認程度にとどまっていたのでは、適切なコスト管理はできない。

(4)集中購買の推進

物品、役務の調達に当たっては、「集中購買」がキーワードとなる。支社、支店、営業所などで個々別々にではなく、本社等で取りまとめた上で集中購買することにより、購入価格を大幅に引き下げることが可能となる。

民間においては、本社が一元的に大量に購入することでスケール・メリットによるコスト削減を図ることとし、従来、購入権限を有する課所単位で契約していた特定の物品について、本社が各課所での購入単価を調査し、相当のコストダウンが見込まれるものをより安価に集中購買した例がある。

また、先進的な取組を行っている地方公共団体においては、一括発注を行うため、総合発注室を設置したり、メーカーが異なるエレベータの保守点検についても一括管理している例がある。

(5)適切な債権管理

債権管理について、公平の原則があるので、何らの措置も採らずに見逃すことは適当でなく、きちんと督促するなど法令等に定められた事務を適切に実施することは当然である。しかし、例えば、1,500円の滞納債権を回収するため、5,000円の旅費を支出して出張するのは無駄と考えられる。

民間の場合、債権回収は第一義的には営業部門が担当しており、契約後、「何目以内に回収」という目標が設定され、その日数が経過すると、自動的に未回収の連絡が担当者に来て、債権が劣化しないうちに必要な措置が講じられるシステムとなっている。

3 コスト削減のインセンティブ

国の行政機関においては、「予算をできるだけ多く獲得し、全額使い切る」傾向があり、コスト削減によるインセンティブが働きにくい構造となっているものと見受けられる。今般の政府全体の取組として、無駄の徹底排除を効果的に推進し、着実にその実を上げていくためには、コスト削減に伴うインセンティブがキーワードと考えられる。コスト削減を行っても、メリットが明らかでなければ誰もやる気にならない。

民間においては、例えば、全社トータルでコスト削減目標を達成できた場合、貢献度合いに応じて、従業員の給与、賞与、昇格、異動などに反映したり、所属する部署ごとに、翌年度の予算配分に一定の配慮がなされたりするなどの仕組みが導入されている。

4 第三者による監視

コスト削減について、職員が緊張感を持ってその活動に取り組み、実効を上げるためには、外部の第三者により、取組実績等をチェックすることも有効と考えられる。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、フォローアップ体制として、有識者による第三者委員会を設置し、毎年度、削減実績や数値目標の達成度などについて、報告内容の評価と公表を行うとともに、当該公表結果について広くパブリックコメントを求めるなどして、成果を上げた例がある。

2008年11月11日火曜日

コストカットに向けた取り組み-1

国公私立の設置形態の如何を問わず、大学における「コスト削減」は、健全な大学経営を維持発展させる上で極めて重要な課題です。

現下の大学を取り巻く厳しい状況に鑑みれば、今後、大学は、相当のコスト削減なしには、現在の教育研究条件を支える資源を経続的に供給することはやがて困難になり、教職員の待遇もそれによって影響を受ける可能性は十分に念頭に置かなければなりません。(もはや手遅れという大学も出現してきておりますが・・・。)

このため、まずは、自らの周囲にあるコストの削減に関心を向ける必要があります。コストを何割カットすることができるかどうかは、大学の将来にとって決定的に重要となります。コスト削減を行うことは単に財政的なプラスをもたらすのみならず、大学全体を活性化し、新しい試みに道を拓くという積極的な意味を持っています。

特に、大学内の管理的経費については徹底的な見直しを行う必要があります。例えば、次のような観点からの見直しが必要ではないでしょうか。
  1. 全学共通的な管理的経費を集約管理することにより統一的な縮減に努める。
  2. 民間機能を活用することにより、効率的・効果的な業務の遂行が可能なものについては、積極的に外部委託を導入し、経費(人件費等)の抑制を図る。
  3. 一般競争入札の積極的な導入、規格の共通化、一括購入方式の促進など、購買方式を見直すことにより物品調達コストを抑制する。
  4. 施設設備のエネルギー経費の抑制を図るため、既存の設備・機器等の更新を含め、施設設備エネルギー・マネジメント体制を構築し、施設に節減システムを組み込む等の方策を推進する。
  5. 機器や備品等を一元管理し、共同利用体制を導入することにより固定経費を抑制する。
  6. 事務分掌の見直し、会計制度の弾力化、権限委譲、情報化・電子化等により、事務の効率化、事務経費の削減を図る。
やや抽象的ですね。では具体的な事例をご紹介します。早稲田大学の事例です。
早稲田大学では、「財政改革推進本部」(財革本部)というものを立ち上げ徹底したコスト削減活動を行っています。とあるセミナーで配られた資料(ちょっと古いかも)を基にポイントをご紹介します。

■財革本部立ち上げの背景

私立大学における予算・決算を消費収入超過とすることは、かなり難しいことである。しかし、大幅な「黒字」を実現させることは極めて困難であるとしても、支出超過を限りなく小幅にすることあるいは収支の均衡を図ることは、至上命題であり、当時の早稲田大学においても財政基盤の確立のための必須条件であった。
早稲田大学は教育研究面での飛躍を期す準備に入っていたことから、「新規事業への財政手当て」の必要性も大きく浮上していたが、借金をして新たなことをやるという選択ではなく、むしろ有利子負債を減少させながら新規事業の財源を生み出すための努力が、組織を挙げて開始された。

■財革本部、経費節減推進チーム等の設置

[財革本部]
  • 構成員=理事会の下に常任理事、理事、本部部長等の経営執行責任者
  • 任務=「財政改革の基本方針の策定」及び「具体的な施策を立案・実践」
  • 期間=1996年3月から1998年3月までの2年間
[経費節減推進チーム]
  • 構成=1)事務の効率化による経費節減推進チーム、2)管理経費節減推進チーム、3)物品調達経費節減推進チーム、4)印刷物経費節減推進チーム、5)施設等有効活用による収入増を図る推進チーム
  • 構成員=課長・事務長クラスの管理職者をリーダーとする、10名前後
  • 任務=財革本部の実行部隊として、経費節減の具体策を探し出し実行する
[キャンパス別経費節減推進グループ]
  • 構成=「西早稲田キャンパス」等の6キャンパスに設置
  • 構成員、任務については経費削減推進チームと同様
■財革本部の活動内容

経費節減のための具体策は、基本的には経費節減推進チームが施策を立案し、各キャンパス経費節減推進グループが、独自の節減案も加えながら実践する。

経費節減推進の主な内容は、以下のとおり。

1)光熱水費の節減(節減の対象)
  1. 昼休み中の事務所の消灯、就業開始前の消灯
  2. 授業終了後の教室の消灯
  3. 廊下、エレベータ前、屋外灯、トイレ等における日中、不要時の消灯
  4. 就業時間外の事務所、授業終了後の教室における空調の停止
  5. 水道圧を下げる。
2)印刷製本費の削減
  1. 各箇所が発行する出版物・配布物の整理・統合、ページ数・印刷部数の見直し(削減)
  2. コピーの節約の徹底
  3. コピー紙の裏面利用の徹底
3)物品・消耗品費

早稲田大学の調達は、配分された予算を各箇所の独自の努力で、消耗品予算を有効使用することを前提とした「各箇所自主調達」であり、調度課といった部門が一括調達して配布するという形態は採っていない。
ただし、財務部経理課は在庫を持たないが、大量に使用される消耗品については、エコ対応等の観点をもちながら納入会社と折衝して単価を低くした上で、「選定品」(推奨品)としてリストを全箇所に配付し、各箇所で保有する在庫品を使い切ることと選定品の購入を強く要請

4)旅費・交通費の削減

総長車1台は残したが、自家用車数台を廃止し、タクシー利用または随時のハイヤー利用に切り換え。また、教職員のタクシー利用についても、極力控えるよう要請し、利用チェックを厳しくすることとした。

5)図書費の効率的活用

図書は大学の学術上の重要な資産であり、財政危機といえども慎重な対応を要する。しかし、図書購入についても、聖域化せず、購入手続きの合理化・コストダウンに努めた。
和書購入の合理化・有効化を図ると同時に、財革本部の調査により実勢為替レートと大きくかけ離れたレートで価格設定されていた洋書購入について検討を行ったが、「図書館員の負担なく」「安全に」納本される仕組みはそう簡単にはできないことも分かった。

図書館という組織での購入においては為替レートヘの対応は困難であるとしても、個人研究費での洋書購入を数名の教員に試験的にインターネットでの購入をしてもらったところ安く(実勢為替レートに近いレートで)、早く(1週間位で)、スムーズに手に入ることが分かった。

それらの実績を踏まえて、図書館にも再検討をお願いし、為替レート対策を継続して検討してもらうこととした。

6)建物管理委託費の削減(清掃・警備等の委託業務の統合化)

各キャンパス、建物毎に清掃・警備等の委託会社を選定していたが、競争原理をベースにしながらキャンパス毎、建物群に区別し委託業務の統合化を推進したことにより、建物等の増加にも拘わらず、委託費の抑制を図ることができた。

■財政構造改革推進本部の設置
  • 構成員=理事会の下に常任理事、理事、本部部長等の経営執行責任者
  • 任務=財革本部が行った経費節減運動の継続展開と徹底。経費節減に直結する既存の諸制度の見直し
  • 期間=1998年6月~1999年5月
この財政構造改革推進本部の活動期間中に94の構造改革項目が抽出された。抽出された項目を部長会が中心となって、縦軸に対応策(「絶対実現」「できれば実現」「実現可能性の調査・検討」「その他」)を取り、横軸には「緊急」「短期(1~2年)実現」「中期(2~5年)実現」「長期(5年以内)実現」といった時系列を取って、それらで構成されるマトリックスに、全ての項目を当てはめて指示書とし、各所管箇所が随時対応していくこととした。

■財政健全化3か年計画(1996年~1998年度)の策定

前述の財革本部等による経費節減運動と並行して大学は、1996年12月に「財政健全化3か年計画(1996年~1998年度)」を策定。数値目標は以下のとおりである。
  1. 1998年度に、極力経常収支の均衡を目指す。
  2. 建設収支は、3か年の資金ベースでの均衡を目指す。
  3. 有利子負債を圧縮し、借入金は学納金の1/3以内を目標とする。
  4. 次年度繰越支払資金の残高を170億円以上確保する。現段階では全てが達成されているわけではないが、今後も努力目標として掲げ続けていかなければならない事項である。
■改革の結果と現状

(累積経済効果)

経費節減活動、財政改革方針等並びに、1995年度予算編成時からの「経費の5%以上削減策」によって、結果としては1995年度から2003年度までの9年間で、およそ300億円以上の累積経済効果を挙げた。これを財源として、教員の増員、情報関連設備の整備・充実、独立大学院の開設等の新規事業に大幅な予算措置が可能となった。

(有利子負債の圧縮)
  • 1995年度=借入金残高(約390億円)、年間支払利息(約22億円)
  • 2003年度=借入金残高(約200億円)<約半減>、年間支払利息(約4億円)<約80%圧縮>
更に、財政改革推進によって財務体質が年々改善し、人件費依存率、自己資金比率、負債比率等の財務比率は、1995年度と比べて直近の2002年度決算において、極めて良好な状態となってきている。

教職員の経費全般に対する節減意識は、財革本部等がなくなった現在も学内にしっかりと根付いており、昼休みの消灯、節水、両面コピーの徹底、ゴミの分別、物品の学内自主リサイクルは当然のこととして実行されている。

これら経費節減運動は、現在では環境資源に配慮した「エコ・キャンパス」の推進への取り組みとなり、2000年6月には西早稲田キャンパスで国際標準化機構(ISO)の定める「ISO4001」の認証も取得した。今後も全学をあげて環境マネジメントシステムヘの取り組みが推進されていくと思う。

■結 語

収入の大幅な変化(増加)を望めない私立大学の硬直的財政構造において、建学の精神や経営ビジョンに基づいて新たに何かをやろうとすれば、二つの方法しかない。

一つは、無駄な支出を徹底的に止めることであり、二つ目は、有効でなくなった組織・活動内容をスクラップ(あるいは削減)するといった構造改革に着手することである。

それらによって生み出す資金を、新たな目標に注ぎ込むしかない。正に、無駄を排し事業構造を常に時代の要請に応じて「スクラップ・アンド・ビルド」していくことが、私立大学財政の立て直しのスタートになるのだろうと思う。新しい芽を育んでいくには、財政構造改革を視野に入れた思い切ったパラダイムシフトが必須である。

2008年11月8日土曜日

社会から見た国立大学(3)

前回に続き「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」のポイントをご紹介します。今回が最後です。

文科省の広域人事の問題、幹部職員の問題、人事権の行使は学長の責務
  • 事務の合理化は、結局誰かが泥をかぶって様々な抵抗勢力と戦いながらでないとできない。例えば職員について形骸化している評価制度を実質化しようと提案すると、すぐに職員組合から反発が起きる。だから、事務局長が強い意志でもって何としてもやらなくてはいけない。学長が前へ出てしまうと、ややこしいことになってしまう。法人化の前から国立大学の学長がよく言うのは、「学長と事務局長とが本当に意気投合できるときにこそ改革をやる。それでうまくいかないときはやらない」と。局長が代わったときにまたやるということは事務局長の役割が決定的に重要ということ。

  • 理事は充分やる気があって、テーマによっては一生懸命にやっている。けれども体制、意識とかスピードということになってくると、やっぱり事務局のガードが強い。事務局長というのが常に組織を掌握している。各理事が自分の下に事務組織を持っているのだけれども、それは横できちんと事務局長が掌握している。言ってみれば一種の二重構造。

  • 広域人事で全国の大学を2~3年で回っている人達は、最初は国立大学や高専に採用された人達で、20代に見込まれて文科省に転任した人達。係員、係長として、政策立案、政策の実務設計、調査・分析、政策の執行、予算配分などの実務面をこなした経験を豊富に持っており、全国的、ポジションによってはグローバルな視野で仕事をしている。概ね38歳で、大学に課長として出て、半分くらいは40代前半で本省に戻り課長補佐としてさらに高いレベルで政策立案・執行に携わる。大体46~47歳で大学の部長として出る。こういう彼らだから、例外はあるが、知識、識見、仕事のスピード、人脈、判断力、実行力において大変優れている。彼らの問題は、在任期間が平均して短いことから、どうしても腰掛け的な中途半端な気持ちで仕事に取り組むことと、もう一つは、任期が短いこととも関連するが、彼らに中長期の目標がないこと。○○大学○○課長に命ずるという辞令をもらっても、やはり2~3年で代わるという気持ちがどこかにあるから、大学のこともあまり本気で勉強しないし、まして2年か3年の在任中に、リスクを冒してまで何か新しいことや改革をやろうかということがない。部課長の人事をどうするか、彼らに目標・課題を考えさせる、学長がそれを与えることは学長の責任である。

  • 学長に人事権があるわけだし、事務局長をはじめ部課長が学長のビジョンを共有して、学長のために働いてくれるかどうかは、大学改革を進める上で極めて重要。逆に言えば、漫然と事務局人事を容認しているようでは何も変わらない。特に、事務局長は学長の右腕であり、事務局長が大学改革、教育改革、事務改革に意欲を持っているかどうかは決定的に重要。学長の人事権は、なかなか教員には及ばないが、職員には直接発動することが可能なのだから、幹部職員人事、若手の抜擢、外部人材の登用などで、是非特色を出してほしい。いずれにしても、学長は、幹部職員候補に直接会って、私のビジョンはこれだと説明をした上で、協力してくれるかどうか「踏み絵」をすべき。特別な事情があれば別だが、学長がこれをしてほしいと言っているのに、そんなことはできませんとは絶対言えない。学長が無理無体な要求、理不尽なことを言っているのでない限り、文科省の人事課長は「君は明目から○○大学の人間になるのだから、学長の方針に従ってしっかり頑張れ」というしかない。大学に人事案を提示した段階では、もう全国の大学のポスト調整は終わっているから、今更人事の差し替えはできない。いずれにしても、学長がもっと人事権をしっかり責任持って行使をする責任がある。

  • 学長がその人を評価して、その人にいてもらいたいと思えばいてもらえばいい。ただ、学長も6年しかいない。だからその人の人事に責任を負えない。すると「45歳でお前を理事にするからこの大学に残ってくれ」と言われても、学長が代った途端に「お前はもう要らない」と言われることがあると困るわけで、結局は定年まで面倒を見てくれる文科省の指示に従って2年ぐらいで代わる道を選ぶ。文科省が理事にするのは、平均して50代半ば。いくら大学の要請だからといってそのルールを破って、若くして理事になったら、文科省は「じゃあ、これからは自分の人事は自分で面倒を見るということだな」となる。6年やって51歳になって、「今度学長が代わって、私クビですから、何とかしてください」と言っても、「知らん」ということになる。「お前は自分で横破りをやったんだから、あとは自分で勝手にしろ」となる。だからみんな文科省の人事に忠実に動いている。

  • 文科省は管理運営の効率化を求めているが、ひょっとするとこれは口先だけかもしれない。国立大学の幹部職員の人事を見ていると、少なくともこれまでは「改革ができるかどうか」という観点から適材適所をしているようには見えず、従来の年功序列型に戻っているように見える。具体的に言うと、改革を行っても行わなくても、具体的な成果を挙げても挙げなくても、その後の人事にあまり影響がないということ。

  • 部課長の面談をやった。事前にこちらで質問内容をいろいろ練り、来てもらって1入最低30分、長ければ1時間の個別面談を全部やった。それをやって明らかに失望した。「この人達は大学改革とか法人化ということに体を投げ打ってやるという気概はない」と痛切に感じた。この人達はもう一度面談をやってもあまり意味がないと思った。

  • 全国異動で回っている人は腰掛けが少なくなく、愛情もない。国立大学の事務部の中枢と言われ、本人達もそう考えている財務部の機能の多くは、いわゆる統制機能。言い換えれば、教育研究の現場である学部や大学院、図書館や病院などがきちんと規則、法令に則って会計処理をしているかのチェックが財務部の仕事の過半を占めていて、それはしばしば現場の教育、研究上の要求に縛りというか制約をかける動きになる。逆に、学生部や国際交流部といった学生支援、教育研究支援機能を担う組織は人的資源の面からも財政的にもおざなりになっている。だけどそれを変えようと思ったら、それこそ身内から袋叩きに遭うような改革をやらなければいけない。そういう状況の中で、どうすべきか。生え抜きの人を育て、抜擢し、広域人事で回ってくるいわば任期付きの部課長や民間から登用した外部人材を組み合わせ、有効活用しなければならないのだが、学長や教員出身の総務担当理事ではなかなか難しいし、2年、長くても3年くらいで代ってしまう文科省出身の理事も、それだけの意思と理解と胆力を持った人材はそうそういるわけではない。企業から優秀な人をとっても、1人や2人では、大学内におけるインパクトは限定的。学長にリーダーシップがあって大学改革にかける思いがあっても、それを形にする人、要するに教授会に出かけていって、反対意見に凝り固まっている教員を説得して勝てる人間、最後はそういう人間を育て、外部から登用するというのが1つのキーだ。

  • 最近、文科省の幹部に「今のような緊張感を欠いた、従来の延長型の幹部職員人事を続けているようでは、法人化は失敗する。大学の現場は、運営費交付金の削減や評価の強化、新たな業務の急増で疲弊しており、早急にガバナンス改革、事務改革、人事制度改革、財政改革を断行しないと大変なことになる。こういう改革に本気で取り組む意欲のある人材を、ある程度の期間送るようにしないと、そのうちにもう文科省の人はお断りしょうということになる。そのくらい、現場の学長や生え抜き職員の目は厳しい」と頼まれもしないアドバイスをしてきた。

  • 幹部職員の人事権は学長にあるわけで、学長が代わったときに部課長全員を呼んで「踏み絵」をさせるぐらいでなくてはいけない。もちろん、これは学長が大学運営に関して明確なビジョンを持っているという前提。ビジョンを持っている前提で、そのビジョンを共有できるかどうかと。学長ビジョンは全部事務職員組織に還元できるはず。それぞれ課長、部長にそれを具体化する方策を考えさせるということ。そういう具体的な目標を与えられれば、必死になって考える。文科省から来る人でも内部登用する人でも最低限そのポストには4年は居ていただかないときちんとした成果の見える仕事はできないし、結果責任も問われない。もちろん最初の6ヵ月は、いわゆる「試用期間」ということにして、緊張感のある仕事をしてもらう。この段階で、うちの大学の管理職としては不適格ということになれば、残念ながらお引取りをいただく。

  • 文科省と国立大学の関係は、世間で言う本社と支店、子会社の関係ではない。人事面で対等の、メリット・ベースの採用をする必要がある。文科省の人も、元々仕事はできる人が多いが、大学に出た途端に、あるいは2年ごとに大学を変っていくうちに管理職としての緊張感が薄れる人がいる。いずれにしても、幹部職員の人事に関しては、発令の2~3週間前に文科省から人事異動の内示があってから、適任かどうかなんて考えていたのでは間に合わない。内示から着任まで課長で2週間、部長でも3週間しかない。この段階で、本人に会って能力や意欲を確かめても、人事の差し替えはほぼ不可能。どの部課長がそろそろ変わる時期か、というのは人事課に聞けばだいたいわかるから、その前に学長自ら本省に出かけていって「うちの大学では、こういう人(例えば、「広報体制を一新し、志願者の50%増を実現する課長」、「本部事務組織の職員を3年間で10%削減する事務局長」)がほしい。最低4年間は、大学にいてもらう」という具合に、具体的な条件を出して交渉すべき。事務職員、とりわけ幹部はそのくらい重要。

  • 「若くて元気がいい」というような、抽象的で曖昧模糊とした条件は、本当に意味のある条件ではない。「若くて元気が良くて、何もしない」事務局長だっている。問題は、「改革マインドがあるかどうか」「学長のビジョンを共有してくれるかどうか」「文科省ではなく、大学を向いて仕事をしてくれるかどうか」であり、そのことを明らかにするために、重点課題を示した「課題リスト」を提示し、できるかどうか具体的に尋ねること。改革できるのであれば、年齢や東大を出ているかどうか、キャリアかノンキャリかなんていうことは大して意味がない。だからそれを言わない人事であれば、はっきり言うと文科省は楽。だからごまかしの効かない条件を出すべき。そうすれば文科省は、○○大学の事務局長候補として考えている人を呼んで「学長からこういう条件を出されたから、従ってほしい」と言うしかないし、当人もとんでもない条件でない限り、その段階で「できません」とは言えない。できませんと言ったって人事をはめ込んでしまったからお前はここに行くしかないと言われるだけ。何事も、最初が肝心。いったん理事や事務局長として来てもらったら、あれこれ条件をつけるわけにはいかない。

プロパー事務職員の登用を
  • プロパーの事務職員の登用と教育というのが1つのポイント。民間企業の経営者は次代の経営責任を負う人間、人材を育てなければならない。育てて、評価して、選抜して、さらに鍛える。こういう意識が今の大学にはない。事務職員から理事を含めた登用のチャンスというのは、何か人事制度で考えないといけないし、そのためには本当に育てて、選んで、評価してというプロセスが要る。特に大学で弱いのは、評価して選ぶというところ。教員はまず自分の仕事の価値を評価されることは論文以外では望まない。だから、個人評価制度などというのは未だに抵抗がものすごくある。それから事務職員の評価はやるけれども、それがせいぜい勤勉手当の評価にしかならない。民間企業だったら、いい仕事をしたら人に先駆けてどんどん昇進できる。そういうcompetitionの土壌が大学にはない。そういう競争原理を持ち込まないといけないのではないか。大学の経営陣は、自分達の下から未来の経営陣を育てなければいけないという意識を強く持つ必要がある。

  • 今まで国の出先機関時代に、いわゆる事務局長とかの幹部職員に将来なってもらうような人材育成を大学がやってこなかったツケが、法人化になって出てきている。そういう対応ができる人物が大学内にまだ育っていない。結局法人化以降も、広域人事で、文科省の人事で来ているし、部長、課長以上全員が文科省の人事。だから、本当にがんばってこの大学を背負って行こうという士気の高い事務職員は少ない。まずは早期に人材育成をやって、役員の1人ぐらい、事務局長ぐらいはプロパーがなって、課長の半分以上はプロパーの職員がなるということをやらないと、本当の意味での職員の意識改革はできない。

  • 文科省から、幹部職員として優秀な人が来てがんばっているのは十分知っているが、少なくともプロパーの職員もがんばるような環境作りもある面で必要。それが大きなウエイトを占める。そういう意味で、ほとんど全部の幹部職員が広域人事じゃなく、半々でもいいから、少なくとも半分は地元の人で、ずっとがんばってきた優秀な人を育てて、その人達が事務局の課長なり、部長、そして場合によっては事務局長になるという道が開かれていないと、やっぱりやる気が出てこない。

  • 広域人事ばかりでは、大学の故事来歴、教員一人ひとりの研究活動についての理解がないとか、ロイヤリティがないとか、腰掛けということになる。また、人事権を持っている文科省の意向ばかり気にして、本当に大学のために文科省であろうがどこであろうが、主張すべきは主張するということができないという批判もある。逆に大学の中で育ってきた人間は、中のことはよく知っているけど、外の世界を知らない。大学に20年、30年いるからといって本当に教員のことを知っているか、本当の意味でロイヤルティがあるかというとまた別の話。要は、プロパーの職員、企業や文科省、経済産業省、地方自治体の行政官、各分野の専門家などのベストミックスを考えることが大切なのではないか。

2008年11月7日金曜日

社会から見た国立大学(2)

前回に続き「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」のポイントをご紹介します。

大学経営における責任者の不在、論功行賞ではない役員人事を
  • 学長の選考もさることながら、現行法の中では、どのような人に役員になってもらうかという役員会の人選がかなり重要。文科省からの出向でない職員の法人役員への登用を積極的に進めなければだめである。地方採用で国立大学に勤めて長年やってきた人は、その大学のことについては一応のキャリアを持っており、自分のキャリアを高めた人に、法人の役員になってもらう。今の学長選挙というのはどうしても学内意向投票的。だからどうしても選挙対策に貢献した人を役員として周りに置くのではないか。本当にマネジメントなりガバナンスの能力の裏付けがあって、教育研究も一生懸命やった教員が役員として参画しているのかどうか。学内理事としてどういう人を選ぶのか、学外の理事もどういう形で登用するか、これが重要なポイントである。

  • 理事の権限が明確になっていない。事務組織は相変わらず昔のままで、そこに理事という職種が入り込んできただけで、理事のそれぞれの権限が明確になっていない。ある仕事が進んでいるのか、進んでいないのか、役員会で聞いても誰も答えない。誰が責任を持つのかと聞くと、学長が「私です」と手を挙げる。法人の長は学長だが、学長は多忙だから全ての仕事を全部やれるわけはない。そこを執行部である理事がきちんと自分の責任で、自分の仕事がどこまで進んでいるかをきちんと常に役員会なりに報告をして理解を求める必要がある。

  • 国の時代は、財務内容の詳細というのは事務方が握っていた。事務方はできれば、教員側には詳しい情報は教えないというのが本当のところ。それが法人化によりガラリと変わって、役員会の中で財務関係の議論をすることになると、学長も副学長も教員であり、財務というのははっきり言って詳しい話はわからない。そのため依然として、事務方が上げてきた案なりでそのまま通っていく。役員会でも経営協議会でも実質的な議論はやられていない。形骸化している。大学の運営という面では管理機能はあるけれども、大学の経営という視点からの議論が役員会では少ない。むしろ規定の改正ばかりが多く上がってきて終わってしまう。財務内容の勉強とか議論はない。

  • 役員の中に、「大学を経営するとは何か」ということを意識してやっている人達がいない。経営と運営とが一緒になっていて、自分の任期の間、大学が無事に動いていたらそれでいいと思っている。経営というのは違う。きちっとした目的や目標があって、それに向かって船を進めていく、それを意図してやっていくことが経営なのであって、そこにはっきりとした指針と一つの哲学がなければいけない。中期計画はやらなければいけないということはかなり思っているけれども、それをどうやっていいかということが、お金の面も施設の面も、うまく全体をきちんと計画立ててやるということが経営であるということはほとんど知らない。全て文科省に交渉してなんとか予算を取ってきて、それをやるのが仕事だと考えている。もし文科省から予算が出なかったら自分達はどうするかという対案がほとんど何もない。孤軍奮闘を本気でやるのであるならば、学長と密接な関係があって、学長が本気でその人をバックアップしない限りはまず動かない。民間人だとかそんなのは関係ない。要は、学内の意見を聞きながら、バランスを取りながらうまくやっていこうと考えると、本当に歩みは遅々たるものしかない。

  • 理事にも、もう少し高等教育論みたいな基礎的な大学運営の勉強をする機会を作ってほしい。学長はいつも「そうですね。わかりました」と言って終わり。ところが、理事の発言を聞いていると、非常に幼稚な議論を平気でやる。本当にこれが大学の教員かというぐらい幼稚。ここのところに経営権や運営権を与えたって無理。ここのギャップを早く埋めないと。イギリスの場合は、事務官を執行部に取り込む。その執行部の方にはプロフェッサーの称号を与える。皆さんはプロフェッサーと対等であるという仕組みでやる。ところが、日本ではなかなかそうはならない。教員で昨日まで物理をやっていた人が、理事になって、物理はわかるかもしれないけれども、理事は何をやるべきかをわからないまま、ずっと経験則だけでいこうとする。

事務組織改革、業務改革はこれからが本番
  • 役員会が機能を分担し合って、ポイントポイントで能力のある人を配置するということがなければダメだ。そういう点では、職員の役割というのは重要だ。第三者評価、国立大学法人評価委員会、認証評価もそうだが、大事なのはFDと並んでSD。Staff Development、要するに職員の資質開発ということにどれだけ組織的に取り組まれているかという実績が問われる。認証評価においても、教員の資質だけではなくて、職員の資質がかなり重要になってくる。

  • 外部の人の建設的な意見・批判が、全然大学内部の人に伝わっていない。研修して企業の人が「ここをこう変えたらいいのでは」と問題提起しても、みんな下を向いている。彼らの腹の中には「そんなことを言ったって、規則があるからできないし、そもそも学長や理事や部課長にやる気がないではないか」という気持ちや理屈がある。制度を変えるとか、本当に外部でやっているようなことをしたいと若い人は思っている。だけど係長や課長、そういう人達が全然聞いてくれない。なぜかと煎じ詰めていくと、部課長は、文科省人事で回っていて、改革なんてやってもやらなくても同じじゃないかと思っている。もっと煎じ詰めていくと、実は学長が、経営のビジョン、事務改革、人事制度改革についてのビジョンを持っていない。外部の人の建設的な意見を取り入れて、脇に落ちてみんなに行き渡るようにするには、相当な努力をしない限り伝わらない。

  • 組織が非常に細かく分かれている。もうちょっとグルーピングできないのか。また、理事との直結をきちっと図って、責任体制を明確にすることも必要。さらに、従来どおり職員の目は文科省、会計検査院、人事院に目が向いている。依然として国の制度をそのまま踏襲している。これでは法人化した意味がない。まだまだ職員にそういう仕組みを作るノウハウがないから依然として国の規則なり、そういったものを踏襲している。

  • 国立大学法人というのは、ある種の階級社会。ファカルティはそれなりに評価される可能性があるが、事務(アドミニストレーション)は非常に頭を抑えられている。このアドミニストレーションからいかに人材を育てあげるか、彼らのキャリアメイキングをどうするかというのを誰も何も考えていない。

  • ファカルティは漸増している。事務は10年ぐらいの間に3割から下手すると4割減っている。減っているにもかかわらず、仕事の量は倍ぐらい増えている。誰もその実態がどうしてそうなのだということに本格的にメスを入れようとしない。嫌でもそういう過程を通り過ぎないと本当の法人にならない。それをどうやって具体化するか、どうやってインプレメンテーションするかとなると制約が多すぎて誰もやろうとしない。勿論アウトソーシングは行われているが本質的な解決にはなっていない。

  • 日本の企業が国際競争力を付ける段階で非常に頑張ったのは「改善」ということ。民間企業の改善を支えているのは、事務系、技術系を問わずあらゆる組織の末端において小集団のサークルを作って、そのサークルが自発的に自分達のやっている仕事の問題点を探り、もっとうまくやれないか、もっと安くやれないか、もっと簡単にできないか、あるいはこの仕事をなくしてはいけないのかという辺りを、ずっと継続的に頑張るわけ。しかもそこでのポイントは、そうした成果を全社の中で発表する機会があるし、会社の中だけではなく産業レベルでの発表の機会もある。成果によっては、きちんと報償も出される。こういうモチベーションが与えられる中で改善が繰り返されていく。そういう目で見ていくと、大学の中で効率化とか合理化とか言って、多少のことはアウトソーシングしたりIT化されたりしているけれども、全然そんなものでは生ぬるいですよと言いたい。もっともっとやることはあるし、民間企業にいろいろ勉強するところはある。

  • 国立大学法人の給与体系。一般職の場合だと横に9級まであり、縦に130ぐらいある。これを1つ1つ、せいぜいスキップしても2つか、すこしずつ階段を登って行くわけ。総務部人事課(人事部に相当する)は何をやっているかというと、それのメンテに大忙し。「早くこれをもっと簡素化しなさい」、「5、6年のうちに年俸制にできないんですか、130もあるのをせいぜい10ぐらいにして、余計なくだらないことに忙殺されるのではなくて、もっと人材をどうやって育てるのかどういうキャリアパスをやってやるのか、そういうのを考える部署をつくらないといけません」と言っているが、誰もそこまでやる気はない。

  • 旅費精算に関わる手数と事務の手間の多さというのは目を覆うばかりである。いろんな事項も旅費にからんでいっぱいある。国の旅費支給基準を忠実に履行しなければいけないという縛りがものすごく多すぎる。民間でいくと、もっと簡素化をして、実費計算をして清算すればそれで終了。それをやると会計検査院が通りませんという議論ばかり。対外的にいろんなチェックをするところと交渉することを嫌がって避けようとして結論ありきで臨むという体質が一番問題。交渉し相手も理解してくれたら、いくらでも規則というのは変わるはず。その努力を徹底的に嫌がる職員群で成り立っている。

  • いわゆる企画、分析、調査、立案、教員とのインターフェース、外部とのインターフェースという仕事と、定型業務を切り分けていくと、財務部の仕事では、8~9割がお金の出納とかいった定型業務を一生懸命やっている。これを、派遣社員とか契約職員にやらせることは物理的には可能。財務部が徹底的に反対する理由は、一つは心理的な抵抗。外部から来た素人の人間に簡単にできるということによって、自分達のやってきた仕事が否定されたように思うということ。財務部というのは、大学の中で一番権限があって、出世コースで、できる職員が所属する部であるというふうに考えられてきた。それだけに、仕事の大部分が定型的業務であろうと、文科省から予算を取ってくるという機能が消えてしまおうと、関係なく、高いプライドを持っている。その中で財務部の職員が1人でも2人でも、専任職員が減っていって、外部に置き換えられていくというのが、財務部の権力の縮小だというふうに思っている。当事者にとっては大真面目な話でも、大学全体から見ればばかな組織肥大シンドロームというやつで、たくさんの部下に囲まれて、予算配分権を握っていることで他の部課や教員に対して威張っているのが財務部だと思っている。その実、財務部の仕事をよく見てみると、頭脳を使わないといけないところは監査法人とか、外部にアウトノーシングしている。財務諸表の作成や財務分析、それに基づく財務戦略の立案、財務関係の業務の簡素化、新たな資金獲得戦略の企画など早くノウハウを自家薬籠中のものにして、外部に頼むのではなく、自分達の力でできるようにしなければならないのに、こういう状態を法人化して何年たっても放置し、自らの力量形成を図らず、相も変らず監査法人に指示を乞い、その下働きのような仕事を何の疑問も持たずに動いている。職員でも教員でも反対の大合唱が起きたところが一番の改革ポイント。そこを変えないと多分大学は変わらない。