2008年10月28日火曜日

アドミニストレーターの創造(3)

中京大学の刀根實氏が書かれた「大学組織と大学行政管理職員」をご紹介する第3回目の今回は、「選ぶ側から選ばれる側への転換、すなわち、大学内の主導権が、教授団から学生に移行するという社会背景の中で、大学は過去の成功体験やぬるま湯体質から決別することが必須である」こと、そして、「行政管理のできる資質と能力を持つ『アドミニストレーター』を育成できるか否かが大学の勝敗を分かつ」こと、さらには「どういった能力を持つアドミニストレータを創造すべきなのか」についてのご指摘です。

1 大学行政管理職員創造のための新モデル

選ぶ側から選ばれる側への転換=哀願者からお客様への転換。我が国における大学の主導権は、教授団や理事会から市場支配力(marketpower)を持った消費者としての学生に移行する。新たなる世紀を迎えようとしている今、アカデミズムから学生消費者主義への移行、そしてそこで働く事務職員によるアドミニズムの創造へと進化しなくてはならない時代となった。

古くから大学は「象牙の塔」として、あたかも聖域のように扱われてきた。教授会という強大な力のもと、実社会と乖離した組織として存続してきたと言ってもよい。一橋大学の竹内教授は「世界レベルの競争力を構築するには、産業全体のダイナミズムが必要である。」と説き、その第一歩は「個々の組織が過去の成功体験やぬるま湯体質ときっぱり決別し、自立すること。」と結んでいる。我が国の高等教育業界に於いても、トップ・マネジメントからのドラスティックな意識改革、そしてそのメイン・ストリームを管理職からすべての組織構成員にまで徹底させることが急務となっているのである。先の竹内教授が「全権型プロデューサー」と呼ぶ新たなるジャンルの事務職員の創造。つまり、大学に於いて行政管理の出来る資質と能力を持つ、マーケティングなどを理解した「アドミニストレーター」を育成出来る大学こそが、21世紀の勝ち組大学となるだろう。ここでは、こうした能力を備えた事務職員の創造を目指した動きをアドミニズムと位置付け、先に触れた具体的な九つのフィールドについて論じてみることとする。

2 アドミニ・マンダラ・モデルが包括する9つのマトリックス

Skill 1 核としての使命

まず、その中心には大学という組織体がゴーイング・コンサーンとして存続するためのMlssion=使命が核として必要である。ドラッカーの言うように学校(非営利組織)は人間を変革する機関であり、「かつて非営利組織ではビジネスは悪い言葉であった」、を払拭する必要があるからである。そのためにはそこで勤務する教育職員も事務職員も、自らを率先して変えていく姿勢を持ち続けなくてはならない。学生からの授業評価アンケートで、毎年同じ講義を一方的に行うだけという評価がこれまで許されてきたのは我が国だけのことではないだろうか。ほとんどの米国大学では、多数の授業科目が開講され、多数の教員がひとつの科目を担当するため、1クラス当たりの履修者が細分化され履修者制限がなされている。よって、学生数が3万人以上在学するような大規模大学においても、1クラス当たりの履修者は20人から30人、多くても50人くらいに収まる。しかし、日本では全学生数に比べ教員持ちコマ数及び教室数が不足しているため、履修者数が何百人にも上る講義科目がどうしても増えてしまう。1クラス当たりの履修者が多い授業形態においては、グループ学習やディスカッション形式での講義が困難になるため、学生の発言機会も必然的に減り、教員からの一方行的な講義にならざるを得ないのである。

また我が国においては、米国大学と比較にならないほど休講が多い。校務などの理由があるにしても、真面目に授業料を納め、授業を受けるべく大学へ足を運んでいる学生からは、不満も多く聞かれる。さらに、講義開始時間になっても教員が教室に現れないケースも日常茶飯事のように成り下がってしまった。因みに米国大学ではこの様な場合、10分(大学によって異なるが)経過した時点でその講義は自然休講となる。ただし、これが発生することは滅多にないことは言うまでもない。今だかつて我が国の大学広告で「本学では、(原則的に)一切休講はありません」を宣伝文句にする大学は出てきていない。大学は教育を施すサービス機関という本来の使命に立ち返れば、あるいは非営利組織は何故存在するのかという根元的な問いをしてみれば、それに対する回答は誰しも思いつくものである。行政管理の第一歩はここから始めなくてはならない。

いつの時代でも、失敗の教訓から学ぶべきことは多い。「大英帝国は教育の失敗で没落した」という内容の論文をまとめたロンドン大学教育研究所のリチャード・オルドリッジ教授もそのひとりかもしれない。「18世紀半ばまでの第一次産業革命で英国は世界の工場になったが、そこから本格的な大量生産時代になる第二次革命期までの教育に失敗した」と分析する教授からは、「使命に帰れ」という言葉が聞こえてくるような気がする。

ではその使命を取り囲む8つの能力・資質には何が必要だろうか?

Skill 2 経営センスとしてのファイナンス

まずは、Financeを挙げる必要がある。数字を読みとる能力は経営感覚と似たセンスだとよく言われる。しかし、教務関係の部署で勤務しようと、管財で施設管理をしょうとも、現代では数字を処理する能力は不可欠である。具体的に言えば、自校の簡単な財務関連諸表はもとより、少なくとも過去数年間にわたる近隣大学への志願者数及び近隣大学の構成スタッフ・データ、バランスシートなどを理解しておくことは最低条件である。さらにコーポレート・ガバナンスが叫ばれる昨今、数字の面でのアカウンタビリティ(説明責任能力)も大学行政管理を司る事務職員には不可欠となろう。各大学の収支報告方式も、毎年の財務状況を紙で報告するだけでなく、企業の期末毎の業績発表のように、記者会見方式に切り替えてみてはどうだろうか。経営者へのチェック機能も一段と活発に機能するものと予想される。その能力を持たない管理職は陶太されて一石二鳥かもしれない。また、かつて筆者のように民間企業を経験したことのある方なら、大学組織そのもののコスト感覚の無さに誰しも驚いたことであろう。行政管理という大きな風呂敷を広げる以上、そのすみずみに着いているゴミを見つけ、自ら取り除く努力を忘れてはならない。新世紀の大学職員には、研ぎ澄まされた数字に対する、その奥に隠されたものまで読みとることが出来る能力までも要求されているのである。この点からも、大学組織のところで述べた大学組織の持つ専門性は、教育職員だけのものではなく、事務職員にも該当することが分かる。もちろん、「分かる」だけでは進化は永遠に訪れない。

Skill 3 マーケティング

次にMarketingを挙げておきたい。マーケティングの定義については、専門書によりいくつかの相違があるが、やはりここでもドラッカーの言う「マーケティングの目的は、販売(セリング)そのものを不必要とすること」を用いるべきである。何故ならば、多くの大学(組織)においてこのことが未だ達成出来ていないからである。このドラッカー的逆説表現に象徴されるように、マーケティングは組織の存続に不可欠な活動である。では特に大学という非営利組織におけるマーケティング、それはいかなるものだろうか?

我が国では、コトラー教授の定義が最も頻繁に引用されている。それによれば非営利組織におけるマーケティングとは、「組織目的を達成するために、標的とする市場との間で自発的な価値の交換を行うべく設計されたプログラム、とりわけ入念に定式化されたプログラムの分析、計画、実行および管理のことである。」となっている。各大学とも中長期の戦略を立案する際に必ず目標設定が行われる、そしてそれに向かって日々の業務が遂行される。簡単に言えば、こうしたことがマーケティングだと思えば良い。しかしながら、それだけでは不十分である。21世紀のマーケターである事務職員には、今我が国の国策となっているIT革命との連動が不可欠なのである。1980年代の大学経営者にインターネットのウエブサイトで、学生募集活動を行うことなど想像も出来なかったであろう。いかに多くの学生を獲得・育成するか、つまり如何に自らの大学のコア・コンビタンスを顧客にアピール出来るか、日本中の大学が懸命になっている。すでに数年前から、米国を中心としたいくつかの大学ではマーケティングを理解し、その手法を取り入れ、このテクノロジーを実践している大学組織が存在している。その際、改革の大きな柱となるのはりエンジニアリングであり、この手法で「情報技術の創造的使用」という考え方を取り入れたのが、米国のマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology、通称:MIT)である。詳細に語るスペースはないが、MITではすでに数年前から顧客としての学生と、インタラクティブかつリアルタイムに意見を交換し、そのニーズを大学経営に採用しようとしていることが、同大学のホームページから簡単に読みとれるのである。