2009年5月26日火曜日

運営費交付金の行方

いよいよ平成22年度予算編成のスタートの幕が切って落とされました。

次年度予算をどう考えるかについては、例年のことながら、この時期、財務大臣の私的諮問機関である財政制度等審議会における議論から始まります。とはいっても、最終的には、財務省による財務省のための偏った考え方の建議を作ることになってしまうのですが・・・。

大学関係予算については、去る5月15日(金曜日)開催の財政制度等審議会財政制度分科会財政構造改革部会で議論されています。会議の内容については、以下の資料(一部)、議事要旨、部会長会見の模様をご覧ください。

資料2 文教・科学技術関係資料(平成21年5月15日財務省主計局)
議事要旨
部会長会見の模様


また、新聞は会議の内容について次のように報じています。

大学への予算配分に成果主義 財務省、研究実績など重視(2009年5月15日付朝日新聞)

財務省は、大学への予算配分の際、学生や教員数などの「規模優先」を改め、学生の学力向上や研究業績などの結果を重視する方向で検討に入った。学生の学力低下や定員割れ大学の急増への危機感から、成果主義の拡大を図る。大学の統廃合などの再編や定員の削減も求める方針だ。

財務相の諮問機関の財政制度等審議会(西室泰三会長)に15日報告した。財政審も基本的に同意し、予算編成の方向を示す「建議」に盛り込まれる見通しだ。

財務省によると、08年度は全国の私立大学の47%で定員割れが起きた。少子化の影響で、98年の8%、03年度の28%から急増している。

また国公立大学を含め、推薦やAO入試が増えたこともあり、大学生の学力低下が指摘されている。35大学で調査したところ、国立大の6%、私立大の20%の学生の英語、国語、数学の基礎学力が中学生レベル以下だったという。

財務省は今後、文部科学省や各大学に、入試のあり方の見直しのほか、大学数や入学定員を少子化に見合う規模に縮小するよう求める。また、大学や学部、研究ごとに厳格な目標を設定し、成果に応じた予算配分を目指す。「基礎的運営費」などすべての大学に交付してきた予算は比率を下げる考えだ。
http://www.asahi.com/national/update/0515/TKY200905150311.html


今後、来年度の予算編成は、財政制度等審議会において財務大臣に対する「建議」が取りまとめられたあと、場面は経済材諮問会議に移ります。ここで、いわゆる「骨太の方針」なるものが策定され、これに基づき「概算要求基準」が閣議決定され、各省庁からの概算要求、財務省による予算査定を経て、例年であれば年末の予算編成において政府原案が作成され国会に送られるといった流れになります。

したがって、ご存知のように、国の予算編成においては、経済財政諮問会議という存在が極めて重要なものとなっており、既に文部科学省は、去る5月19日(火曜日)に開催された経済財政諮問会議において、文部科学省が進める政策の重要性と関連予算の必要性について提案を行うなど、財務省の動きをけん制しています。文部科学省から出された資料は次のようなものです。

説明資料「教育の充実を通じた安心社会の実現について」(塩谷臨時議員提出資料)

説明内容(議事要旨から抜粋)

(塩谷臨時議員)

説明資料「教育の充実を通じた安心社会の実現について」基づいて説明する。

1ページ目であるが、教育は、人生前半の社会保障と社会の活力増進の原動力(将来への先行投資)という2つの役割を持っている。
しかしながら、現在の教育費負担の重さが家計における不安の要素の一つとなっており、次代を担う子ども・若者を育む上での不安の解消に向けた取組みが不可欠になっている。
教育費の国際比較ということでOECDの中での比較を示したグラフがあるが、教育費支出の政府支出の占める割合は28か国中27位である。また、特に最近よく使われるGDPにおける教育支出については28位と最下位となっており、いずれも一番下位に属している。政府全体の支出における教育支出あるいはGDPにおける教育支出は大変低いということである。
教育投資における一人当たりの公財政支出では、特に就学前と高等教育の段階で比較しているが、いずれも大変日本は低い。
また、教育支出に占める公財政支出と私費負担の割合であるが、これも就学前については、OECD諸国では公財政支出が多い一方で日本では少ない。逆に私費負担が日本では多くなっている。高等教育も同じような状況である。

2ページの家計の負担の状況であるが、200万円~400万円未満の収入の世帯においては、教育費が比率として高くなり、55.6%になっている。また、低所得者の教育費負担の比率は高くなっている。大学の授業料については、過去30年で物価指数と比べると大きく上昇しており、消費者物価指数は2倍であるが、国立大学の授業料は15倍、私立大学の授業は4.55倍ということで、授業料が大変上がっている。その分、教育費に負担がかかっている。

次に、格差の固定化への懸念ということで、義務教育段階での就学援助の受給人数が急増している。平成9年が78万人であったのが、平成19年が142万人と約2倍になっている。また、私立高校における授業料滞納状況が更に悪化して、平成19年度末から平成20年12月までの間で滞納者の割合が3倍に増えているというデータもある。さらに、親の収入が多いほど、大学の進学率が高い傾向が出ており、4年制大学においては、1,000万円超の収入の人では62%の進学率となっている。

こうした現状を踏まえて、安心社会実現のためには、公教育の再生とともに、教育投資の充実が必要であり、当面の経済状況への対応として、格差固定の解消に向けた教育費負担の軽減が必要である。現在審議中の平成21年度補正予算については、臨時交付金の活用により幼稚園の就園、義務教育就学の支援の充実。授業料減免等に関する緊急支援。更には奨学金事業の充実。こういった授業料減免や奨学金事業の充実で、幼児教育から高等教育にわたる教育費負担の軽減のための施策を更に充実していく必要があるが、安定財源を確保の上で、国民が実感できる少子化対策としての幼児教育の無償化や高等教育段階での教育費負担の軽減など、教育費の在り方について抜本的な改善を図り、保護者の所得に左右されない教育の機会を保障することが必要であり、文部科学省としても、有識者懇談会をスタートさせて、こういった教育費の中長期的な方向で、大局的な観点で教育費の在り方をまとめてまいりたいと考えている。

今日お話しさせていただいた内容のほかに、教育の充実という観点から考えると、日ごろの教員の定数の問題、あるいは高等教育における基盤的経費の問題等の充実も考えていかなければならないと考えており、トータル的に教育費の抜本的な在り方を検討することが安心社会につながると考えている。


配付資料「教育の充実を通じた安心社会の実現について(参考資料)」(塩谷臨時議員提出資料)


これから、文部科学省と財務省との本格的な闘いに向けた舌戦が繰り広げられることになります。
いよいよ予算夏の陣の始まりですが、毎年のことながら、教育予算に関しては、国民的議論が沸き起こらず、国民不在の役所VS役所の構図で予算編成の議論が進んでいきます。
役所も国民をもっと巻き込んだ論争を展開して欲しいと思いますし、そのためにはマスコミにも積極的に関与してほしいものです。

例えば、次のような論考を。 (消去される可能性があるため、全文掲載します。)

学校で起きていること 週のはじめに考える(2009年5月18日付中日新聞社説)

未曾有の経済危機、雇用不安の一方で、医療や福祉、教育も大変な事態に陥っています。その一つの学校現場で何が起きているか。その実情を報告します。

学校の先生は本当に忙しい。名古屋市の小学校教員岡崎勝さん編著「がっこう百科」によるとこんな具合です。

「授業は仕事全体の3分の1くらい。時間がないから、宿題の丸つけや日記の添削、連絡帳の返事書きなどは給食と並行してやっている人が多い」

さらに「トラブルがらみの生活指導、お知らせ作り、業者への発注、親の心配事相談、テストの作成、校内の施設備品の点検修理、畑仕事、そして会議、会議…」。

言葉の交換なく断絶

近ごろは、何でも会議と報告書だそうです。子どもの顔を見ながらゆとりをもって、話を聞いてやりたい。じっくりと子どもと付き合いたい。それがどんどん難しくなっていると言います。

では、子どもや親たちの現実の姿はどうでしょうか。岡崎さんは雑誌「現代思想」4月号でこう書いています。

まず、子どもたちです。「時間を守る」ことができない子が目立ちます。学校五日制で土日に学校のモードから家庭のモードにシフトしてしまい、学校という制度を維持する重要な「時間を守る」ことに身体も心も変換しないので、月曜日は混乱し、時間厳守の指導が難しくなるといいます。

また、「最近の子どもたちは、言葉を教員と交換できないことがある」。つまり「微妙」「ムリムリ」「別にぃ」「うざい」「キモイ」という言葉は、コミュニケーションや関係をつくろうという言葉ではなく断絶の言葉です。こうなると、子どもと教員との間で対話とか指導は成立しません。

最低レベルの教育予算

次に親です。学校から見るかぎり、多くの親は「モンスターペアレント」というようなメディアでつくられたイメージからは遠いそうです。おおかたの親はなんとか親として成立しているし、親としての努力も欠かしてはいません。

こんな例もあります。他人の家へ行って「冷蔵庫を勝手に開けてはいけないのだ」と教室で話したときに、「どうしてですか」と子どもに聞かれ、「そうなんだぁ」と親に言われたそうです。

こういう価値観の多様化に翻弄(ほんろう)され、自明だった行動規範や社会性が、危うくなっていることが今の学校教育を脅かしているのだ、と岡崎さんは指摘します。付け加えて、学校のなすべき教育サービスは子どもに社会性を持たせ、集団生活を送るだけの力と技を身につけさせる教育的営みとしてのサービスなのだと強調します。

ここで思い出すのが、2007年1月の教育再生会議「第一次報告」の7つの提言です。

(1)ゆとり教育を見直し、学力を向上する(2)学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする(3)すべての子どもに規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する(4)あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる(5)保護者や地域の信頼に真に応える学校にする(6)教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す(7)社会総がかりで子どもの教育にあたる

しかし、この提言への手だては尽くされたでしょうか。問題は教育費です。日本の教育費の出費は経済協力開発機構(OECD)諸国の中で国内総生産(GDP)比で最低レベルです。聖域なき構造改革ということで教育費が徹底して削減されました。その代わり、親の教育費の負担は世界でもトップレベルです。

佐藤学東大教授(教育学)によると、戦後すぐの時期、日本が経済的に疲弊していたときの、日本の教育費の国民総生産(GNP)比は世界一だったといいます。この世界一は1960年代まで続いたそうです。

「どのような政治的立場であれ、日本の社会と文化、経済の復興のためには教育が何よりも大事で、無理をしてでも教育に投資しようという意志が、戦後のある時期までの国民のコンセンサスでした」と教授は述べます。これが世界第2位の経済大国になって崩壊し、子どもの貧困に直面しているのが今日の実態だといいます。

21世紀の社会には4つの教育課題があるそうです。一つは知識基盤社会、二つ目は多文化共生社会、三つ目は格差やリスクの社会への対応、四つ目はシチズンシップです。こう指摘した佐藤教授は次のように続けます。

未来のための教育投資

「昔の人は志が高かった。いかに社会が混乱して貧困であれ、未来のために教育に投資するのだという志を持っていた」。混迷する今こそその志を取り戻すときではありませんか。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2009051802000042.html




さて、最後に、現在文部科学省が公表している「第2期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の配分ルール(案)」をご紹介しておきます。

1 基本方針

人件費・物件費の区分のない「渡し切り」の交付金とする等の第1期の国立大学法人運営費交付金の基本的性格は、第2期においても継続する。ただし、国立大学法人を巡る諸状況を勘案し、具体的配分ルールについては見直しを行う。

2 主な見直しの内容

(1)特別経費

従来の特別教育研究経費を廃止し、「特別経費」を新設する。「特別経費」は、1)評価反映分、2)プロジェクト分、3)大学改革共通課題分、4)基盤的設備等整備分、5)全国共同利用・共同実施分の5区分とする。

1)評価反映分
  • 第1期中期目標期間における各大学の努力と成果を踏まえ交付する経費。「評価反映分」の使途は特定しない。

  • 「評価反映分」は、国立大学法人評価委員会が行う法人ごとの達成度評価の結果及び独立行政法人大学評価・学位授与機構が行う学部・研究科等ごとの水準評価の結果に基づき、当該組織の規模や学問分野等に従い、一定の調整を行った上で交付。

  • 評価結果を踏まえ、具体的な反映方法についてはさらに検討。
2)プロジェクト分
  • 各法人における各種プロジェクトを支援する経費。各法人からの申請に基づき、外部有識者による審査を経て選定。
3)大学改革共通課題分
  • 第1期の特別教育研究経費における「特別支援事業」と同様、各種の大学改革上の共通課題に対応するための取組に対し、機動的な支援を行う経費。(想定される大学改革共通課題の例:留学生受入の推進、障害学生学習支援の充実、臨床研修体制の充実等附属病院の機能強化、業務運営の改善(大学の再編統合、事務機構の改編、FD・SDの実施、大学の管理運営基盤の充実強化等)など)
4)基盤的設備等整備分
  • 第1期の特別教育研究経費における「基盤的設備等整備」と同様、各法人が策定している設備マスタープランに基づく基盤的設備の計画的整備等を支援する経費。
5)全国共同利用・共同実施分
  • 文部科学大臣が認定する共同利用・共同研究拠点等(現在、中央教育審議会大学分科会で検討されている「教育分野における共同利用拠点」(仮称)を含む予定。)における各種プロジェクト等を支援する経費。各法人からの申請に基づき、外部有識者による審査を経て選定。
(2)一般経費
  1. 第1期における「教育研究経費相当分」を改称し「一般経費」とし、第2期中期目標・中期計画に定める大学の教育研究組織を運営し、当該中期目標・中期計画に定める業務を確実に実施できるよう、必要な経費を措置。

  2. 「一般経費」のうち設置基準上必要とされる専任教員の給与費相当額等を除く部分を対象として、「効率化係数」による毎年度一定の交付金額削減を継続。その中で、「効率化係数」については、一律に設定した上で、各法人の規模(事業費)や人件費比率等により補正。併せて、従来、学部・学科、大学院研究科・専攻についてのみ、入学定員を措置する際に「教育研究組織係数」を適用してきたが、今後、組織改革を促進するため、これを入学定員を伴わない教育・研究その他を担う研究所やセンター等にも適用。
(3)附属病院
  1. 第1期同様、運営費交付金の算定上、附属病院に係る経費を「教育研究」と「一般診療」に区分し、「教育研究」に係る経費には運営費交付金を交付する一方、「一般診療」に係る経費(一般診療経費及び債務償還経費)は原則として附属病院収入で対応。

  2. 債務償還に必要な経費の一部に相当する額を新たに運営費交付金で措置。

  3. 上記措置を行った上でさらに「一般診療」に係る経費が附属病院収入等で対応できない場合は、「附属病院運営費交付金」を措置。ただし、同交付金は、経営改善のための一定の削減を実施。


第2期中期目標期間における特別経費(プロジェクト分)について(案)

第2期の国立大学法人運営費交付金における各法人の個性や特色に応じたプロジェクト等を支援するための経費は、第1期の特別教育研究経費におけるプロジェクトを支援するための経費(「教育改革」、「研究推進」、「連携融合事業」により構成)を再編し、特別経費の「プロジェクト分」とする。

1 目的

各法人の個性や特色に応じた意欲的な取組を支援するための経費。第1期における特別教育研究経費の仕組みを基本的に踏襲しつつ、大学の機能別分化の促進を図るための仕組みを導入。

2 採択手順等

(1)各法人は、中期目標・中期計画との整合性に留意しつつ、下記6項目のうちから最大4項目選択。

(項目)
  1. 国際的に卓越した教育研究拠点機能の充実
  2. 高度な専門職業人の養成や専門教育機能の充実
  3. 幅広い職業人の養成や教養教育機能の充実
  4. 大学の特性を生かした多様な学術研究機能の充実
  5. 産学連携機能の充実
  6. 地域貢献機能の充実
(2)各法人は選択した項目の趣旨を達成するため、各法人の個性や特色を活かした教育研究のプロジェクトを申請。
  1. 選択した項目は第2期中は変更できない。ただし、平成22年度分の申請時においては、中期目標・中期計画が確定していないことも勘案し、平成23年度分の申請時において、理由を付して項目の変更を行い得ることとする。
  2. 同一項目内での申請件数には制限は設けない。
  3. 複数の項目にまたがるプロジェクトについては、内容に応じいずれか1つの項目に整理。
  4. 第1期の「教育改革」、「研究推進」、「連携融合事業」における取扱と同様、各法人は申請の際に各プロジェクトに全てのプロジェクトを通じた優先順位を付す。
  5. 第1期の「教育改革」、「研究推進」、「連携融合事業」における取扱と同様、複数年度にわたるプロジェクトの申請も可能。(この場合、各年度における当該プロジェクトの進捗状況等を踏まえた上で「プロジェクト分」の措置の有無を決定。)
  6. 第1期の特別教育研究経費におけるプロジェクトを支援するための経費のうち、第1期から引き続き第2期においても継続を希望するプロジェクトについては、平成22年度概算要求において上記の6項目のいずれかに分類した上で改めて申請。この場合、平成23年度までは、最大4項目とする項目数の制限は適用しないこととする。
(3)プロジェクトの採択は、第1期の「教育改革」、「研究推進」、「連携融合事業」における取扱と同様、客観性を確保する観点から、各法人からの申請に基づき、外部有識者で構成する検討会に諮った上で可否を決定。

2009年5月25日月曜日

国立大学法人の事務・事業の改廃に関する勧告

国立大学では、現在、平成22年度から始まる第2期中期目標・中期計画策定の山場を迎えていること、各大学は、この中期目標・中期計画の策定に当たって、国立大学法人評価委員会が取りまとめた「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」への対応が求められていることについては、既にこの日記でもご紹介しました。

これは、国立大学法人法の定めにより、文部科学大臣が国立大学法人の中期目標期間終了時に、組織及び業務全般の見直しを行うことになっていることによるものですが、一方、総務省に置かれた政策評価・独立行政法人評価委員会においても、国立大学法人の中期目標期間の終了時に、国立大学法人の主要な事務及び事業の改廃に関し、文部科学大臣に勧告することができるようになっています。

去る5月21日(木曜日)、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会は、「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性」を取りまとめ公表しました。概要及び本文は以下のとおりです。

(概要)http://www.soumu.go.jp/main_content/000022596.pdf
(本文)http://www.soumu.go.jp/main_content/000022597.pdf

上記概要によれば、これは、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会が、文部科学大臣が見直しの検討を行うに当たり、国立大学法人等の主要な事務・事業の改廃について、「勧告の方向性」という形で指摘事項を取りまとめ、文部科学大臣に通知するもので、国立大学法人法や同法の附帯決議の趣旨を踏まえつつ、文部科学大臣の見直し案では十分ではないと考えられる主に以下の事項について指摘しています。

1 国立大学法人の理念・目標の明確化

多様なニーズに応えた個性・特色のある教育研究を展開し、機能別分化を進めることが求められている状況を踏まえ、中期目標・中期計画における各法人の理念や目標の一層の明確化、具体的な取組内容の明確化

2 運営費交付金の配分

第三者評価に基づく競争原理を導入するとの基本理念に沿って、各法人の教育研究面での成果や実績が適切に反映され、重点的な配分ができるような運営費交付金の配分の仕組みの構築。各法人の個性に応じた意欲的な取組を支援するための経費について取組状況の検証

3 経営協議会の機能の発揮状況の明確化

経営協議会が期待される役割を十分に発揮し、その意見が法人運営に適切に反映されているか明らかにする観点から、経営協議会における意見の内容及びその反映状況等の情報の公表

4 国民への積極的な情報提供

国民に対する説明責任を十分に果たす観点から、利用者の立場に立った分かりやすい情報の提供

文部科学省では、今後この「勧告の方向性」の趣旨が最大限生かされるよう国立大学法人の組織・業務全般の見直しを進め、6月を目途に最終的な見直し内容が国立大学法人に示されることになっています。

(参考)国立大学法人の組織・業務全般の見直しのスケジュール

2009年5月21日木曜日

道標(みちしるべ)

私はこの言葉がなぜかとても好きです。意味はないのですが好きです。

命の大切さを伝えるために、福山雅治さんが作られた歌 -道標-

もう皆さんご存知かもしれませんが、是非一度聴いてください。


2009年5月20日水曜日

人生を意義深いものにする

自分に正直に生き、自分の才能を他の人たちのために役立てることができるということは、誰しもがかくありたいと願う理想なのかもしれません。しかし、その願いを持ち続けることこそが、自分の人生を豊かにし、幸福感を増すことに繋がっていくことでしょう。

今回は久々にいい話をお届けします。人間の生き方として尊敬し、その心を学びたいと思います。


「一粒の種」をまく(2009年5月19日付朝日新聞夕刊)

沖縄・宮古島出身の歌手・砂川恵理歌さん(31)は3年前まで、那覇市内の高齢者施設で働く介護職員だった。

幼いころから歌手になるのか夢。お年寄りのベッドのそばで子守歌のように、リハビリで歩く隣でリズムをとるように歌って喜ばれた。29歳でプロを目指しオーディションに臨んだのも、地元ののど自慢大会で優勝したことを喜んでくれるみんなの笑顔に押されたからだ。

「死」という別れも日常だった。昼間は元気だった人が急変することも。「命に向き合う毎日でした」という。

4枚目のCDに入る曲「一粒の種」を歌うたび、同じ思いがこみ上げる。詞は、5年前にがんで亡くなった46歳の男性の言葉をもとに作られている。

「ちっちゃくていいから 私もう一度一粒の種になるよ」「生きててよかったよ あなたのそばでよかったよ」

男性が入院していた神奈川県の病院の看護師が、亡くなる3日前に聞いて詩にした。深く悲しむ男性の両親のため歌にして欲しいと、看護師が同じ宮古島出身の歌手に依頼。そして歌は同郷の砂川さんに引き継がれた。

CD発売の2月から、砂川さんは「命」を歌う会を学校や病院などで開いてきた。花の種も配る。スマイル・シード(種)・プロジェクトと呼ぶ。「いろんな人の思いがリレーされてこの歌がある。全国に種をまきたい。根付いてほしい」。売上金の一部はホスピスケアを考えるNPOに寄付される。



一粒の種(砂川恵理歌)




2004年、小さなメールマガジンに投稿されたポエム「一粒の種」。読んだ者の心を動かし、歌になり、メディアでも取り上げられ、5年を経てここにようやくCD化される。そのポエムは、がんでこの世を去った男性の最期の言葉を看護師がまとめたもの。「一粒でいい。人間の種になって生きたい」。その言葉を預かり、種を蒔こうと誓った看護師の思いで、このポエムはメールマガジンに投稿された後、やがて同郷のシンガーソングライター下地 勇の手により楽曲となり、さらにその後輩の砂川恵理歌がCD化することになる。生きることの愛しさ、そして、失った愛する人はいつも側にいることを教えられる、静かで強い命の唄。「一粒の種」の売り上げの一部は「ホスピスケア研究会」に寄付し、がん のよりよい終末期医療の普及発展と患者とその家族の心身のサポートに役立てられます。



関連して、恒例になりましたが、ジェフ・ケラー著「成長の法則」から・・・。


人生を意義深いものにする

意義深い人生を送るうえで役立つ3つの考え方を紹介しよう。
  1. 自分の才能を他の人たちのために役立てる。人生の目的のひとつは、自分に与えられた独自の才能を発見し、それを他の人たちのために役立てることだ。職業に貴賎はない。脳外科医であれ、弁護士であれ、靴磨きであれ、ビルの清掃係であれ、他の人たちに奉仕することに関しては同等だ。どのような仕事をするにしても、心をこめて打ち込もう。

  2. 人々に愛と親切を伝える。つまるところ、私たちがこの地球上に存在するのは、愛の大切さを学び、できるだけひんぱんに愛を伝えるためである。人を批判して満足を得ようとしてはいけない。それは建設的ではない。私たちは人を愛するときに大きな満足を感じることができる。ブーメランの法則を思い出そう。愛と親切を伝えれば、愛と親切があなたのもとに返ってくるのだ。

  3. 自分に正直なる。世間はあなたが大勢の人と同じようになることを求める。実際、ほとんどの人がその圧力に屈する。彼らは周囲の人と同じことをし、メディアの作り出すトレンドに踊らされる。しかし、他人に決めてもらった人生を送っても、幸せになることはできない。周囲の人が賛成してくれなくても、自分の気持ちに正直になる勇気を持つことが大切だ。

ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2009年5月19日火曜日

附属学校の存在意義

今、国立大学の附属学校が揺れています。

国立大学(正確には、教員養成系の国立大学・学部)には、「附属する大学・学部における児童・生徒・幼児の教育・保育に関する研究に協力すること、当該大学・学部の学生の教育実習に当たること」を主な任務として附属学校(幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校等)が設置されています。現在その数は、全国で262校あり、約99,000人の児童生徒等が在学しています。

現在、国立大学では、平成22年度から始まる第2期中期目標・中期計画策定の山場を迎えています。この日記でも既にご紹介しましたが、各大学は、この中期目標・中期計画の策定に当たって、国立大学法人評価委員会が取りまとめた「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」への対応が求められています。

このうち、附属学校に関しては「附属学校は、学部・研究科等における教育に関する研究に組織的に協力することや、教育実習の実施への協力を行う等を通じて、附属学校の本来の設置趣旨に基づいた活動を推進することにより、その存在意義を明確にしてくことが必要ではないか」とされているところです。

さらに、各大学が検討を行っている第2期中期目標・中期計画のあり方に関し、附属学校についての検討に資する方向性を提示するという視点から、文部科学省の下に設置された有識者会議により、1)附属学校の設置趣旨に基づく本来の役割、及び2)附属学校の新たな活用方策 についての検討結果が取りまとめられ、去る3月26日付で文部科学省から関係大学宛通知されました。今後大学は、極めて短時間の間に、これまでの附属学校の課題について検証し、より一層の存在意義の明確化と活用方策について検討し、中期目標・中期計画に反映させなければなりません。

思えば、これまで国立大学の附属学校の運営は、所属する大学の意思というよりは、附属学校の同窓会組織の意図に大きく左右されてきた感が否めません。大学は附属学校をほとんど把握してきませんでしたし、附属学校の業務運営に大学の意思を反映してきませんでした。その努力を怠ってきたことは否めない事実だろうと思います。

現在の附属学校の中には、次代の教育課程を生み出すための研究を行うことが存在意義の一つであるにもかかわらず、公立学校がやっているような学習指導要領の後追いをやっているところがあります。大学と一体となって大学の教員がプロジェクトを組んで附属学校にやらせてみようという発想が欠けています。また、例えば、小・中・高一環教育をやるために高等学校を設置するといった大胆な発想もありません。これから附属学校が生き残っていくためには、何らかの形で附属学校に面白味を持たせるような考えを大学が示す必要があります。

都道府県と附属学校との教員の人事交流については、都道府県から派遣された附属学校の教員を育成していくためには、今後とも教育委員会との強い連携を保つことが必要です。しかし現実は、附属学校が個人的レベルで人材を発掘しリクルートしているのが実態であり、大学あるいは附属学校が組織として教育委員会と正式に交渉して人材を確保するような仕組みは残念ながら確立されていません。そのために附属学校に優秀な人材が集まってこないし、結果として附属学校のステータスが上がらず、親からみれば普通の公立学校に子どもを入れた方がいいということになっているのです。

大学又は附属学校は、教育委員会に対して、どういう人材が欲しいのか、附属学校に来ればきっちり育てる自信と能力があること、したがって都道府県に戻ったらしかるべき処遇をして欲しいことを明確に主張すべきです。現在は行きあたりばったりの人事になっているような気がします。

附属学校は、教育実習をはじめ教育臨床の場として最も活用できる重要な場所にもかかわらず、もったいない使い方をしています。このため、附属学校の運営に外部の目を入れ、教育委員会の重点課題に対応した業務運営を行うべきです。教育委員会関係者を加えた附属学校の将来構想や運営に関し協議する場や仕組みを早急に構築すべきだと思います。

繰り返しになりますが、これまで多くの大学は、残念ながら附属学校をさほど大事に思ってこなかったし、評価してこなかったと思います。附属学校の活かし方にはいろんな選択肢があるはずです。文部科学省の政策(国策)をうまく使いながら、公立学校のような指導要領の後追い・定着を行うのではなく、指導要領の先取りを行うことが使命であり、そのことこそが「国立」であることの意義なのではないでしょうか。

今まさに、大学の意思として今後附属学校をどう活用していくのかを明確に打ち出す時期に来ていますし、次期中期目標・中期計画策定のこのタイミングが千歳一隅のチャンスだと思います。

それでは、文部科学省から関係国立大学に示された上記有識者会議による検討結果「国立大学附属学校の新たな活用方策等について」から主要な部分を抜粋(一部編集)する形でご紹介します。


現状と課題

1 組織運営上の現状と課題

法人化後の国立大学は、予算、組織、人事など様々な面で学長のリーダーシップのもとに運営されるシステムとなっている。しかし、附属学校の運営については、大学・学部側、附属学校側のいずれにおいても、附属学校は大学・学部の組織の一部を構成しているとの認識が十分でないために、学長のリーダーシップによるマネジメント機能が十分発揮されているとはいえない状況が見られる。

具体的には、ほぼ全ての附属学校の校長は、大学・学部の教授をもって充てられており、これにより大学・学部との適切な連携が図られることが期待されているが、現状としては、大学・学部で相当量の授業等を担当しながら校長としての校務を行っている場合が多く、附属学校長としてのリーダーシップが発揮できず、大学・学部と一体となった学校運営が十分なされていない状況も見られる。

また、大学・学部の教員も、研究上の個別のつながりを除けば、附属学校の教育活動に対する認識・理解が十分でなく、大学・学部の教員が日常的に附属学校の教育活動に関わることはあまり見られない

特に教員養成系大学・学部については、本来的に地域に輩出する教員の計画的養成や資質・能力の向上に寄与することを使命としており、その附属学校も地域の教育界との連携協力が大きく期待されている。また、附属学校の教員は、地域の公立学校との人事交流によるものが多いにもかかわらず、大半の附属学校では地域の教育委員会等との日常的な関わりが総じて乏しい傾向にあり、地域の教育界の意向が附属学校の教育研究活動に十分反映されていない現状が多く見られる。

2 業務運営上の現状と課題

こうした結果、附属学校の運営がややもすれば学校側の事情でなされることになり、教職員や児童生徒、施設設備などの状況に照らして教育活動が不活発であるなど、存在意義が不明確で、大学・学部、さらには地域の教育界の期待に十分応えていないとの指摘がある。

例えば、附属学校の従来からの役割である「大学・学部における教育に関する研究に協力」 については、大学・学部の研究方針に基づくものではなく、附属学校が独自の立場で取り組んでいるものがほとんどである一方、もう一つの役割である「大学・学部の計画に基づく教育実習の実施」 については、附属学校に任せきりになり、大学・学部の側が責任を持って実施する体制にはなっていないとの意見がある。

こうした状況を踏まえると、附属学校が、附属学校の特性を活かした先導的・実験的な学校教育の実践への取組を通じて国の教育政策に寄与するという役割を発揮することは、現状では難しいものと考える。同時に、地域の教育委員会と連携しながら、地域の教育課題を踏まえた調査研究に取り組むことについても課題が残る状況である。
3 改善の必要性

現在、第一期中期目標・中期計画期間の最終年度を前に、第二期に向け、各国立大学において、組織・業務の見直しの検討が進められているところである。

こうした中において、附属学校は、学級編制及び教職員定数の標準に沿った教職員規模を維持する必要性から、結果として附属学校の人件費が附属学校を持つ大学・学部の運営費の相当部分を占め、財政的に当該大学・学部の運営の大きな負担となっている。

国立大学法人運営費交付金の削減や政府における総人件費改革が進められている中で、各大学においては、第一期中期目標・中期計画期間においても附属学校の人件費削減が行われたが、第二期中期目標・中期計画期間を迎えるに当たって、業務運営の効率化の観点や従来の設置趣旨等に鑑み、附属学校の組織・業務の在り方の見直しを進める必要性が高まっている。

こうした時期に、国として、これまで述べた課題を踏まえつつ、これからの附属学校の存在意義、組織運営の改善の方向性、業務運営の改善の方向性、さらに、附属学校の新たな活用方策を示すことが求められる。

附属学校を持つ大学においても、これらを踏まえ各附属学校それぞれの存在意義、これに基づく適切な運営体制及び業務運営や新たな活用方策を明らかにし、学内はもちろん附属学校の保護者、地域の学校関係者等の理解を得ることにより、適切な組織や業務の見直しを進めていくことが可能になると考えられる。


改善方策

1 附属学校の存在意義(役割)の明確化

これからの附属学校は、1)国立大学の附属学校である特性を活かし、大学・学部の持つ人的資源を活用しつつ、公立学校で実施するものとは異なる先導的・実験的な取組を中長期的視点から実施し、関連する調査研究を推進する「拠点校」として、国の教育政策の推進に寄与すること、2)地域の教育界との連携協力の下に、地域の教育の「モデル校」として、地域の教員の資質・能力の向上、教育活動の一層の推進に寄与することが求められている。各附属学校はそれぞれの存在意義(役割)を明確化する必要がある。

2 組織運営上の改善

附属学校の存在意義等を踏まえ、附属学校の新たな組織運営の改善策としては以下の方策が考えられる。

(1)学内マネジメント体制

大学・学部の教学側の長(学長、副学長、学部長等)、附属学校の校長、副校長などからなる附属学校運営会議(仮称)を設置するなど、大学・学部と一体となった附属学校の運営を推進するための学内マネジメント体制を確立する。

また、総合大学の附属学校の場合でも、附属学校担当の理事を置き、附属学校運営会議(仮称)の構成員に加えるなど、大学全体の中での附属学校の位置付けを常に明確にしながら、附属学校についての全学的なマネジメント体制を構築することが求められる。

(2)地域に開かれた運営体制

1)地域運営協議会(仮称)等の設置

附属学校に地域運営協議会(仮称)を設置し、都道府県教育委員会関係者等を構成員に加え、附属学校の運営に地域の教育委員会のニーズを反映させる仕組みを構築するとともに、可能な限り、大学・学部内に都道府県教育委員会をはじめとした地域との連携担当窓口を設置することが望ましい。

2)公立学校との人事交流に関する基本方針の策定

大学・学部の教育研究方針などに基づき、大学・学部として附属学校の教員に求める人材像を明確にしつつ、地域の教育委員会との人事交流を進める。

同時に、人事交流で公立学校の教員を受入れるに当たっては、附属学校での教育研究活動や地域に向けての研究成果の発表等の経験が教育研究方法や指導力の修得等、教員としての資質・能力の向上につながる旨の受入れ方針を教育委員会に対し明確にすることが望ましい。

(3)大学・学部教員と附属学校教員との連携体制

大学・学部の教員が研究実践の一環として附属学校で授業を担当したり、また高い実践性を備えた附属学校教員が大学・学部の授業を担当するなど、大学・学部教員と附属学校教員が日常的に連携し、一体感が培われるような組織運営を図ることが求められる。

さらにこの連携の中で、大学・学部教員と附属学校教員が研究テーマを共有し、共同研究体制を組織するなど学内の人的・物的資源の効率的活用を図ることも考えられる。

3 業務運営上の改善

各附属学校の特性や人的・物的資源、大学・学部の状況を踏まえつつ、附属学校を可能な限り、国の教育政策の推進に寄与する拠点校、ないし、地域の教育に寄与するモデル枝として育成していくために、業務運営を進める上で、以下の方策が考えられる。

(1)国の拠点校としての育成

1)研究開発学校制度等の活用

文部科学省の「研究開発学校制度」、「教育課程特例校制度」(学校又は地域の特色を活かした特別の教育課程を実施することができる制度)などを積極的に活用し、教育課程や指導方法についての先導的・実験的な研究を行う。

2)文部科学省等との連携

拠点校として国の教育政策を推進する場合には、大学・学部(附属学校)に連絡担当窓口を設置したり、国の教育行政に精通した者(例えば教科調査官やその経験者等)を活用す るなど、文部科学省(初等中等教育局)や国立教育政策研究所との連携を図る。

3)附属学校の全国共同利用化

中央教育審議会大学分科会等で審議中の全国共同利用の教育施設として、学内の大学・学部附属の教育実践研究センター等と連携を図りながら、国の教育政策に寄与する拠点校と しての附属学校を位置付け、全国の教育関係者や他の国公私立大学の研究者等も参画し、教育研究活動を実施することを可能とする。

4)「理数教育支援センター(仮称)」との連携

国立大学に理数教育への総合的な支援を行うための「理数教育支援センター(仮称)」 などが設置される場合には、教材・指導方法の開発、理数教員の現職研修等を行う場合に、附属学校をその実験的取組の場として活用する。

(2)地域のモデル校としての育成

1)地域の教育委員会との連携

地域の教育委員会と連携しながら、地域の教育課題を踏まえた調査研究テーマを設定し、調査研究の推進やその成果の地域への普及を図る。

2)現職教員の研修カリキュラムを開発する場としての附属学校の活用

附属学校を現職教員の備えるべきスキルを研究し開発する場として位置付ける。
具体的には、現職教員の教科指導や生徒指導等の実践力向上につながるそれぞれのライフステージに応じたスキルアップのための体系的な研修カリキュラムの開発を行う。その際、地域の教育委員会の教員研修センター等との連携協力を積極的に進める。

3)附属学校の免許状更新講習の場としての活用等

附属学校が免許状更新講習の場を提供することは、専門的知識・経験を有する学校として地域の教育の改善・充実に貢献するものである。また、そのことを通して附属学校の教員  が地元公立学校の様々な学校種の教員と交流する機会を得ることで、学校現場を取り巻く地域の状況や学校現場が抱える課題等を的確に把握できる機会になるものと考えられる。

また、附属学校の教員が公立学校等における校内研究等に講師として参画することも、地域の教育の改善・充実に資するものとして意義あるものであると言える。

(3)全国規模の研究協議会の開催による地域を越えた普及・啓発

全国の附属学校の研究成果を発表する研究協議会を国立教育政策研究所の協力の下、各大学が共同で開催することにより、附属学校の研究成果について、地域を越えた全国規模の普及・啓発を図る。

また、各附属学校で開催する研究協議会には他の学校種や私立学校の参加を促すなど、広く地域に開かれ、更なる研究の推進を促すものとなるよう配慮する。


新たな活用方策

国の初等中等教育政策の推進に貢献する観点から、附属学校の新たな活用方策として、例えば、次のような取組が考えられる。

1 外国人子弟等の積極的受入れによる教育の在り方の調査研究

国際化に対応した教育や異文化共生教育の在り方を調査研究するため、附属学校において外国人子弟や帰国児童生徒等を積極的に受入れ、英語等を用いた教育課程を編成し、授業を実施する。また、地域の定住外国人の子どもや帰国児童生徒のうち日本語の習得が不十分な子どもへの効果的な日本語指導や教科指導に関する調査研究を推進する。

2 理数教育など優先的な教育課題に応じた先導的な指導方法等の開発

理数教育、外国語活動、国際理解教育、ICT能力育成、飛び級、学校・学級規模と教育効果の関係など、初等中等教育政策において優先的に進める必要があるテーマに関し、指導内容・指導方法等の調査研究を進める。

3 学校の組織マネジメント・人材育成の調査研究

学校の組織運営をサポートするスタッフ(スク一ルカウンセラー、苦情対応者、学校事務処理担当など)の人材育成の在り方、学校事務の適切な外部委託の在り方など、学校の組織マネジメントについての調査研究を進める。

4 異学校種間の接続教育、一貫教育の調査研究

幼稚園、小学校、中学校、中等教育学校、高等学校等複数の学校種が設置されている附属学校において、異学校種間の接続教育および一貫教育の在り方について調査研究を進める。

5 特別支援教育への寄与

教員養成系大学・学部のほぼ全てに特別支援学校がある特性を活かし、附属学校間のネットワークを構築しながら、発達障害のある児童生徒への対応、指導方法等についての調査研究を進める。

さらに、附属学校を特別支援教育の理解と実践を深める場として位置付け、附属特別支援学校において附属小・中・高等学校等の児童生徒の体験活動、附属小・中・高等学校等教員の特別支援教育に関する研修などを実施するとともに、附属小・中・高等学校等での日常的な教育活動で特別支援教育の視点を重視した取組を進める。

また、附属特別支援学校において、児童生徒の社会での人間関係の構築の仕方や職業観等を油表する学習活動に関する調査研究を実施する。

6 児童生徒の勤労観、職業観を育てるためのキャリア教育の推進

子どもたちが勤労観、職業観を身に付け、主体的に自己の進路を選択・決定し、社会人・職業人として自立していくことのできる資質を養うキャリア教育についての調査研究を進める。


文部科学省による財政的支援

上記のような施策を推進し、附属学校を国の政策的課題との連携を図る拠点校、あるいは、地域の教育委員会や学校と連携したモデル校として位置付け、初等中等教育行政との連携を前提とし、意義ある成果の達成が見込まれる調査研究に対しては、文部科学省として、既存の財政支援の枠組みを十分に活用しつつ、重点的な財政支援策を講じていくことが望ましい。

さらに、将来的には、附属学校が全国共同利用の教育拠点として位置付けられた大学に対しては、その取組を支援するための財政上の新たな支援措置について検討することが望まれる。


従来からの役割の充実

先導的・実験的な取組としての附属学校の新たな活用方策の検討とともに、附属学校の従来からの役割である「大学・学部における教育に関する研究に協力 」、「大学・学部の計画に基づく教育実習の実施」 の充実が重要であることはいうまでもない。

これらの役割を適切に果たしていく場合には、附属学校の組織運営の改善を図るとともに、「今後の国立の教員養成系大学・学部の在り方について(平成1 3 年11月22日 「国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会」)での指摘も参考にしながら、以下の取組を進めていくことが求められる。

1 大学・学部における研究への協力について
    • 大学・学部や附属学校の教員個人同士の問題としてではなく、大学・学部の教育に関する研究に附属学校が組織的に協力する取組を進める。

    • 大学・学部と附属学校が連携して、大学・学部の研究方針に基づき、附属学校を活用する具体的な研究計画の立案・実践を行う。

    • 附属学校を大学・学部の新任教員等が大学で実践的な視点を踏まえた教員養成を行うためのファカルティ・ディベロップメントの場として積極的に活用する。
2 教育実習について
    • 教育実習は、大学・学部の計画に基づき、附属学校との連携の下、大学・学部の側が責任を持って実施に当たり、さらにその教育成果について検証することが望ましい。

    • 大学・学部の教育実習計画は、附属学校を十分に活用したものとする。(附属学校と公立学校での教育実習の有機的な関連付けについて検討を進めることが必要。)

なお、各附属学校の組織運営や業務運営の見直しを行うに当たっては、これまで述べてきた附属学校の3つの役割、すなわち、「大学・学部における教育に関する研究に協力」、「大学・学部の計画に基づく教育実習の実施」、「(新たな活用方策としての)先導的・実験的な取組」 について、それぞれ検討する必要がある一方、限られた資源の中で、附属学校の教職員の負担等を踏まえた実行可能な在り方を検討する必要がある。

このため、例えば、当面 5~10年間は当該附属学校の取組の重点を「新たな活用方策」 を主としたものとする、あるいは「大学・学部の計画に基づく教育実習の実施」 を主としたものとするといったように、大学・学部の教育研究活動の方針に基づき、比重の置き方を明確にして附属学校の教育研究活動を推進していくといった在り方も考えられてよい。

また、「大学・学部における教育に関する研究に協力」と「新たな活用方策」 の2つの役割を必ずしも別個のものと捉える必要はなく、大学・学部の教育研究の方針に基づき、両者を統一的なものとして掲げ、学内の人的・物的資源の効率的な活用を図ることも考えられる。


各国立大学による対応

今後、各大学においては、上記にあるような具体的な改善方策および活用方策を参考とし、附属学校を学内の教育・研究の中でどのように位置付けていくかについて議論し、各大学の取組が確実な成果を挙げるような組織運営や業務運営の体制を構築することが必要であり、それらの改善方策や活用方策を各大学の判断で、第二期中期目標・中期計画等に反映していくことなどにより、附属学校の必要性について学内外にその説明責任を果たしていくことが必要である。

また、国(文部科学省)としても、各大学の附属学校の組織・業務の在り方の見直し状況を踏まえ、引き続き各大学の取組を促し支援していく必要がある。


おわりに

これまで述べてきたように、附属学校は大学という教育研究組織の重要な構成要素であるとの全学的な共通理解を形成し、附属学校についての確固とした学内マネジメント体制を確立することが強く求められる。

その上で、大学内で附属学校の在り方について真剣かつ活発な議論を行い、附属学校の存在意義を明確化し、そのミッションに応じた組織運営・業務運営上の改善策を講じ、附属学校の具体的な活用方策を高く掲げることで、大学が附属学校を持つことの説明責任を果たしていくことが必要である。

さらに、各大学においては、附属学校での調査研究活動において有意な研究上の成果を挙げ、その研究成果を地域さらには全国へ発信していくことが不可欠である。

これらの取組を進めることにより、附属学校の存在意義について、広く国民の理解を得ることにつながるという視点を関係者が常に持つことの重要性を最後に指摘したい。

2009年5月17日日曜日

大学評価の功罪やいかに

国立大学では現在、来年4月から始まる第2期中期目標・中期計画の策定作業に余念がありません。多くの大学では、この時期、原案作成と意見収集が概ね終了し、今後6月末の文部科学省への提出期限までの残された短時間に、いつもながらの屋上屋を重ねる意志決定プロセスに無駄な時間と労力を費消することになるものと思われます(少々嫌味発言でした。)。

次期目標・計画の策定に当たっては、各大学とも随分早い時期から準備が進められてきました。文部科学省から示された様式や策定上の留意事項、最近の主要な答申や国策、各大学の基本理念や中・長期目標などを踏まえた上で鋭意検討が続けられてきたのではないかと思います。幸い第1期に比べればボリューム的に随分スリム化されたことにより、記載すべき内容も各大学の特色や機能別分化を強調する内容に厳選されることになりました。

さて、目標・計画作成上の重要なポイントの一つが、第1期中の達成度の検証ではないでしょうか。各大学が自ら設定した公約が第1期において適切に達成されているか、残された課題は何か、次期ではそれをどのように位置付け、どのように解決していくのかなどについて十分吟味した上で、新たな目標設定を行い具体的な行動計画を明確にする必要があります。

また、PDCAサイクルを中心としたマネジメントを行っていく中で重要なことの一つに、改善を行うべき根拠となる「評価の適正化」が挙げられるのではないかと思います。先般、法人化後初めての中期目標期間中(厳密には平成16~19年度)の評価が行われ、結果が公表されたところですが、各大学ともこの初めての試みに当初はややナーバスになっていましたが、蓋を開けてみると、大学の存続に関わるような厳しい内容もほとんど見受けられず、安堵した大学も少なくなかったのではないでしょうか。

法人評価は相対評価ではなく、各大学が設定した目標・計画に対する達成度評価であり、我が国で初めての国立大学を対象とした評価としては概ね及第ではなかったかと個人的には楽観的に考えているところです。

しかし、評価の仕組みや評価結果の活用に関しては、様々な見方があるようです。

まずは、最近、国立大学協会が全国の国立大学を対象に行ったアンケート調査では、「年度評価及び中期目標期間評価の実施において良かった点」としては以下のようなコメントが寄せられています。(対象数は83法人)
  • 計画を策定・実施し、評価を受け、改善に結びつけるという考え方が浸透した。(78法人)
  • 学内の構成員に大学の方向性の意識が深まった。(44法人)
  • 学長をはじめ執行部を中心とした大学運営の意識やリーダーシップが高まった。(70法人)
  • 社会や地域に対して大学の活動を発信あるいは説明する責任の意識が高まった。(57法人)
  • その他
    • 大学全体の業務に関する実績情報が一元化できた。
    • 「経営」という観点と意識が定着する傾向を強めた。
    • 本学の存在意義や使命、特色について再認識することができた。
    • あらかじめ自己評価することにより、自助努力とその結果を事前に認識し、機構による外部標準評価によって、統一的な評価が得られたことは大学の大きな前進となる。
    • 研究科の目的を再認識し、進捗状況を評価できる機会が得られた。
    • 各研究者が自分の論文に対する学会等における対外的な評価を意識する機会となった。
次に、上記とは対象的な見方をしているのが、財務省です。関連記事を以下にご紹介します。
国立大学法人を含めた独立行政法人の評価を担当する総務省が見解を述べることは当然のこととして、法人評価に関しておおよそ権限のない財務省が物を言うのはいかがなものかと思いますが、この時期、財政制度等審議会を使って物を言うのは、やはりこれからの予算編成という闘いに向けた先制パンチといった意味合いがあるのでしょうか。財務省の戦略が見え隠れします。

財政制度審:国立大学法人評価「客観性に欠ける」(2009年5月15日付毎日新聞)

財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は15日の会合で、国立大学法人の中期目標の実績評価について、「客観性に欠ける」として見直しを求めることで一致した。
04年度に法人化された国立大学は、04~09年度(第1期)の中期目標の実績評価を、10~15年度(第2期)の運営費交付金の算定に反映させることになっている。
しかし、04~07年度評価では、4段階中最も低い「期待される水準を下回る」と見なされた大学は「教育水準」では全体の約2%、「研究水準」ではわずか1%だった。財務省は「もっとメリハリのある評価をすべきだ」と指摘している。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090516k0000m020109000c.html


最後に、実際に評価を受けた国立大学の学長のご意見をご紹介します。
この意見は、国立大学財務・経営センターのメルマガに掲載されてあったものですが、内容は一貫して辛口です。成熟した評価システムの構築を願っての熱い想いが感じられます。

大学評価の共進化(国立大学法人岡山大学長 千葉喬三)

国立大学法人評価委員会による、平成16年度から平成19年度の4年間にかかる「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の中期目標期間の業務実績評価」が発表されました。これは、国立大学法人法第35条により準用される独立行政法人通則法第34条に基づき実施されたものです。

国立大学法人・大学共同利用機関法人は、他に「認証評価機関による認証評価」、「年度別業務実績評価」がそれぞれ課せられていますが、この度の中期目標期間業務実績評価は「中期目標に係る業務の実績に関する評価の基本をなすもの」(国立大学法人評価委員会)であり、結果は、「組織・業務全般の見直しや次期中期目標・中期計画の検討に資するためであり、次期中期目標期間における運営費交付金の算定にも反映させるし、広く社会にも公表する」(同)とされています。

この評価を受けて、被評価者として、また評価制度そのものについても考えさせられる点がありました。・・・
http://cz.biglobe.ne.jp/cl/B12201000109.1659783.2680.1

2009年5月7日木曜日

教授会は適正に機能しているか

国立大学が法人化され6年目(第1期中期目標期間の最終年度)を迎えています。
来年度からは、いよいよ第2期の中期目標期間に入ります。
この6年間、各国立大学は、法人化という大きな制度改革による混乱を収拾しつつ、教職員の意識をはじめ根深く残る国家直轄の硬直化した体質からの脱却を図るべく様々な改革を進めてきました。

護送船団方式による大学運営、特色なき金太郎飴大学の乱立と揶揄された6年前と今日の大学を比較してみれば、期待されたスピード感はなかったものの、法人化の趣旨に照らしてみれば、明らかに格段の成長を認めることができるのではないでしょうか。

ただ、責任ある迅速かつ効率的な意志決定システムの構築などいくつかの点については、残念ながら民間企業をはじめ社会一般の感覚からはまだまだ甘受できる状況にはなく、第1期6年間の行動をつぶさに検証し、その上に立脚した第2期の目標・計画を策定している今こそ真摯な対応をしなければ、益々国立大学の存在意義は薄れ不明確となり、国民による信頼を失うことになるでしょう。

今、国立大学は、国の時代の遺産とも言える学部自治をどのように活かし、どのように変えていかなければならないのか真剣に考えなければもはや手遅れになる節目にきています。

本来であれば、6年前の法人制度導入時に教授会のあるべき姿を求め、大学を”運営”から”経営”に移行しておかなければならなかったわけですが、現在の国立大学は、表面的には文部科学省や国立大学法人評価委員会が理想とする状態に近づきつつあるかのように見えるものの、未だ内情は国の時代、もっと言えば50~60年代の民主思想が抵抗勢力となって効率的・効果的な大学経営を阻んでいる実態が一部あることも否定できません。

聞くところによれば、役員会、経営協議会、教育研究評議会を開き審議意決定は行うが、実は、これら法律に定めのある会議(法定会議)に優先する形で、意思決定プロセスの最終審議機関として教授会を位置づけ、法定会議においては、「教授会で特に意見がなかったら当該会議の決定とする」などといった法律の趣旨を全く無視した本末転倒の意思決定を行っているお粗末な大学も残念ながら未だに存在するようです。おそらくこのような大学は、法定会議の議事概要などをいつまでたっても社会に対し公開できないでいるのです。

さて今回は、久々に、学部自治という過去の遺産を、見方によっては大事に守り育てている教授会の在り方について、これまで時折参照させていただいている「国立大学法人法コンメンタール」(国立大学法人法制研究会)(出典:文部科学教育通信)を通じて、考えてみたいと思います。


1 教授会の位置づけについて

学校教育法第93条*1は、ひろく国・公・私立大学について、教授会を必置の機関として規定している。

教授会は、大学の教育研究に関する自主性を保障するために必要な審議機関である。その一方で、教授会が学部を超えた大学運営に関わる事項についてまで審議を行い、ややもすれば、本務である学部の教育研究活動についての審議に支障を来したり、学部を超えた合理的で責任ある大学運営体制の構築を阻んだりといった実態があるとの指摘がなされてきた。

こうした指摘を受け、教授会が適切な機能分担のもとその役割を発揮し、大学運営が円滑に行われるよう、中央教育審議会等において提言がなされてきた。

昭和38年の中央教育審議会答申「大学教育の改善について」においては、「大学の学内管理機関の基本体系としては、全学の総括的な責任者を学長、学部の責任者を学部長とし、評議会は全学の、教授会は学部の重要事項をそれぞれ審議する機関とし、それらの職務権限について学長、学部長との関係を明らかにすべきである」とし、「教授会は、学部における教育研究について管理運営上の重要な機関である。現行の制度においては、その職務権限、構成、設置、学部長との関係等が明確でない」と指摘した上で、教授会の審議事項、構成、設置の在り方を示した。

昭和46年の中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」においても、高等教育機関の管理運営については、「教育・研究の一体的・効率的な活動が妨げられることなく、自主的・自律的に運営できる体制を確立すべきである。そのためには、教務・財務・人事・学生指導などの全学的な重要事項については、学長・副学長を中心とする中枢的な管理機関による計画・調整・評価の機能を重視するように改善を加える必要がある」とし、学長・学部長などの執行機関と評議会・教授会などの合議制の審議機関との機能的な役割分担の徹底を提言した。

さらに、昭和62年の臨時教育審議会第三次答申においては、大学における自主・自律の確立の観点から、国立大学についての言及の中で「大学においては、その自由度を拡大する条件下で、自主・自律的な運営に努めることが重要であり、学長を中心とし、全学に支えられた責任ある執行部の指導性の確立、評議会を場とする大学としての意思決定手続きの合理化、それぞれの担当する専門分野、教育領域について、教育内容、カリキュラム、教育方法、研究の在り方など教学の根本にかかわる事項に取り組む教授会の活性化が切実に求められる」とされたところである。

こうした累次の提言がなされてきたところであるが、教授会についての法令の規定が簡潔であるために、審議事項が多くなりすぎる場合や、本来執行機関が行うべき大学運営に関する事項についても審議がなされる場合があるとの批判は残った。このため、平成10年の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について」は、教授会を含む大学内の各機関の関係について、以下のように機能分担と連携協力という関係から整理し提言を行った。

「21世紀の大学像と今後の改革方策について」(大学審議会答申)(抄)

3 責任ある意思決定と実行-組織運営体制の整備-
  • 評議会等と学部教授会のそれぞれの機能については、評議会は、大学としての教育課程編成の基本方針の策定、全学的教育に関する教育課程の編成などを含め、大学運営に関する重要事項について審議する機能を担うこととする。学部教授会は、学部の教育課程の編成などの学部の教育研究に関する重要事項について審議する機能を担うこととする。このように、それぞれの基本的な機能を明確化することが必要である。

  • 学長や学部長(執行機関)と評議会等や学部教授会(審議機関)との関係については、審議機関は学部の教育研究あるいは大学運営の重要事項について基本方針を審議することとする。執行機関は企画立案や調整を行うとともに、重要事項については審議機関の意見を聞きつつ最終的には自らの判断と責任で運営を行うこととする。このように、機能分担と連携協力の関係の基本を明確化することが必要である。(略)なお、各審議機関が必ず審議すべき事項等については、法制度上の明確化を図る方向でその整理について検討することが適当である。

この答申を受け、国立大学が一体的、機能的に運営され質の高い意思決定が行われるよう、責任ある組織運営体制を確立する観点から、平成3年に国立学校設置法が改正され、評議会の設置に関する規定(同法第7条の3)とともに、教授会の所掌事務等に関する規定(同法第7条の4)が置かれ、審議事項が明確化されることとなった。

新たに置かれた同法第7条の4は、第1項において、学部、国立大学院大学の大学院の研究科、独立研究科、教養部、附置研究所に教授会を置くこととし(独立研究科以外の研究科や、国立学校設置法施行規則の規定により置かれる組織で専任の教授を置くものについては、同条第2項の規定により設置は任意とされた)、同条第4項において、教授会は、教育公務員特例法に基づき学部長の採用の選考は教授会の議に基づき行うべきことなどの権限を有するほか、学部又は研究科の教育課程の編成に関する事項、学生の入学、卒業又は課程の修了その他その在籍に関する事項及び学位の授与に関する事項、その他当該教授会を置く組織の教育又は研究に関する重要事項を審議するものと規定していたところである。

こうして、数次の答申を重ね、制度改正を経ることにより、各大学において教授会の役割が明確化され、学内各機関の適切な機能分担と連携協力の下、責任ある大学運営を行う枠組みの整備が進められてきたところである。

なお、こうした国立学校設置法の改正案を含む「学校教育法等の一部を改正する法律案」の国会審議においては、教授会の位置づけや評議会等との関係について、以下(一部略)のように説明されている。
  • 教授会の審議事項としては、学部の教育研究に関する重要事項に該当するかどうかと いう観点からの見直しが場合によっては必要であるというふうに考えておるわけでございます。この点につきましては、従来ややもすれば、学部自治という名のもとに、学問の進歩や社会の変化に対応した改革の推進に支障が生じている、あるいは学部の壁を超えた自由な議論の形成や円滑な合意形成が進んでいない等々の指摘もあるわけでございます。これは一つには、その学部教授会が、本来の学部の教育研究として想定されている枠を超えて余りにも多くの問題について審議をし、本務であるところの教育研究活動についての審議に支障を生じてきたというふうな実態もあるわけでございます。そういった点を踏まえて、今回、改正法におきまして、教授会における審議事項は、学部の教育研究に関する重要事項ということを明確にしたわけでございます。(佐々木正峰 文部省高等教育局長(平成11.5.13参議院文教・科学委員会))

  • 評議会、教授会が大学における意思形成に重要な役割を果たしているということをもって、評議会、教授会を意思決定機関というふうに位置づけることはできないわけでございまして、これらはあくまで審議機関でございます。最終的には学長、学部長がみずからの判断で大学、学部の運営を行っていくものである、こういうふうに考えてございます。(佐々木正峰 文部省高等教育局長(平成11.5.13参議院文教・科学委員会))

2 国立大学法人制度における教授会の扱いについて

国立大学法人制度においては、各国立大学法人の自律的な運営を確保するという観点から、大学内部の組織編制については可能な限り法人の裁量に委ね、法令等で規定しないことを原則としている。したがって、これまで教授会の設置の単位とされてきた学部や研究科の設置については法令上規定を設けないこととしており、教授会についても、どのような教育研究組織の単位にどのような形で置くかについては各国立大学法人の定めに委ねることとし、法令において規定しないこととしたものである。

ただし、いずれにしても、学校教育法第93条の規定に基づき法人化後の国立大学に教授会が置かれることには変わりがない。

教授会の権限については、法人化後の国立大学には教育公務員特例法の適用がなくなるため、同法に基づく権限はなくなるものであるが、学部又は研究科等の教育課程の編制に関する事項、学生の入学、卒業又は課程の修了その他その在籍に関する事項及び学位の授与に関する事項、その他学部又は研究科等の教育研究に関する重要事項を審議する機関であるとの位置付けは、法人化後も変わるものではない。教育研究評議会においては、こうした教授会の役割にも配慮しつつ、大学としての一体的な運営が確保されるよう、全学的な見地から審議を行うこととなる。

各国立大学法人においては、教育研究活動の進展や社会のニーズに機動的に対応した、迅速かつ効率的な意思決定と業務執行が実現されるよう、教授会の審議事項を精選し、教員の管理運営面での負担軽減を図るための取り組みも進められている。例えば愛知教育大学では、教授会の開催を年間19回から7回に削減し、運営の効率化を図っているところである。

なお、国会審議においては、国立大学法人における教授会の役割について、文部科学省は以下(一部略)の通り説明している。
  • それでは、学校教育法上の役割を持っている教授会というのはどういうことになるのかということでございますが、その点につきましては、各学部等の教育研究に関する重要事項を審議する機関であるということについては変わりはないわけでございますが、全学的なことについては(教育研究)評議会がやってくれるわけでございます。したがいまして、審議事項を真に学部などの教育研究に関する重要事項に精選するということが大事だと思っております。それによって、教育研究活動以外の教員の負担、これは非常に大きいわけですね、長い教授会をやったりとさまざまな負担があるわけでございますが、教授会をむしろ教育研究に関する重要事項に絞ってそれぞれの学部の範囲内におけるものをやっていただいて、そしてそういう教員の負担をできるだけ軽くして本来の仕事に専念していただく、そういう関係になるというふうに考えます。(遠山敦子 文部科学大臣(平成15.5.14衆議院文部科学委員会))

*1:1:大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。2:教授会の組織には、准教授その他の職員を加えることができる。

2009年5月6日水曜日

かけがえのない子どもたち

昨日は、5月5日の端午の節句でした。多くの方はこの特別な日を子どもや家族とともに楽しく過ごされたのではないかと思います。

我が家では恒例により子ども達と菖蒲湯を楽しみました。端午の節句に菖蒲湯に入るという古くからのしきたりの由来は諸説あるようですが、ある説によれば、菖蒲は、古代中国より厄除け効果があるとされ、日本でも奈良時代、平安時代の宮廷において、端午の日には菖蒲を軒に飾り付けたりなどの習慣があったこと、また、端午の節句に菖蒲湯に入る習慣が広まったのは江戸時代からのようです。「ショウブ」は、勝負とか尚武と同音であり、菖蒲の葉の形が剣に似ていることから男の子が武士らしくたくましく育つようにとの願いが込められているそうです。

さて、この日記では、筆者が大学に勤務する者であることから、これまで主に高等教育に関する記事をご紹介していますが、教育的諸課題が益々多様化・複雑化する今日では、高等教育に至る家庭教育、社会教育、初等中等教育等の課題を見過ごすことはできません。将来を担うかけがえのない子ども達の健全な成長は、一貫した責任のある教育体制の下でこそ確実なものとなるでしょうし、そういう意味で、私達大人は、目先の課題解決のみに視点を置くのではなく、子ども達の将来にわたる希望と夢のある道標を示していかなければなりません。

そのために私達大人は、日頃から自分(あるいは自分の家族)のことだけではなく、この世に生きる子ども達のために何ができるのか、何をなすべきなのかを真摯に考え行動していくことが大切なのではないでしょうか。

こどもの日という特別な日を迎えるに当たって、各新聞もいろんな角度から見解を述べています。以下に一端をご紹介します(消去される可能性があるため全文掲載します)。かけがえのない子どもたちの将来を一時の間考えてみませんか。

こどもの日に-世代間負担を見直そう(朝日新聞 社説)

お父さん、お母さん。おじいちゃん、おばあちゃん。今日は私たち、子どもの話を聞いてください。
最近の新聞では、すごく大きな額のお金をよく目にします。「経済危機対策のために予算規模が100兆円を超える」とか、「政府と自治体の債務残高が800兆円になる」とか。
これは、国が借金だらけになることだと聞きました。よくわからないけれど、このお金は将来、私たちや弟、妹たちが払うことになるの?
気になるのは、それだけじゃないんだ。今、おじいちゃんたちは年金というお金をもらっています。私たちがおじいちゃんぐらいの年になったら、同じようにもらえるのかな。
今とくらべて、もらえるお金が減るかも、って先生が言っていました。これ以上やりくりが大変になったら、今の仕組みが続けられなくなるかもしれない、とも聞きました。
私たちは一人っ子も少なくないから、みんなからお小遣いをもらえて、「ポケットがたくさんある」なんて言われる。でも同年代が少ないということは、税金なんかを1人でたくさん払わないといけないってことだよね。
大人になってからの仕事のことも気がかりなんだ。お父さん、お母さんの友だちには、同じ会社にずっと勤める人が少なくなっているんだって。
私たちのころにはどうなるんだろう。今までよりもたくさんお金を払わないといけないのに、ちゃんと仕事がなかったら、困ってしまう。
大きくなったらお年寄りを助けないと。それは、わかっているんだ。でも私たちの未来について、大人たちは真剣に考えてくれているのかな。
国の偉い人にも聞いてみたいけど、まだ選挙には行けないから・・・。

子どもたちの目から財政と社会保障の現状や雇用情勢を見たら、どう見えるだろうか。大人たちに何と言うだろうか。その思いを代弁してみた。
子どもたちの心配は、決して誇張ではない。納税や社会保障などを通じた受益と負担の「損得格差」は、今の高齢者と未成年で生涯に1億円にもなるという試算がある。
また新生児は、生まれた時点ですでに1500万円以上の「生涯純負担」を背負っている。秋田大の島澤諭准教授が世代会計という手法を使って、そうはじき出している。「私たちは将来世代が払うクレジットカードを使っている」と島澤氏は例える。
経済も人口も、右肩上がりの時代ではない。世代間負担の仕組みを根本から見直さなければ、子どもたちの未来は削り取られる一方だ。
この国の将来を支える世代に、どう希望を残すのか。それを考えるのは、参政権をもつ私たち大人の責務だ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20090505.html#Edit1


こどもの日 “親業”もプロ目指したい(産経新聞 主張)

新緑の中、さわやかな風を受けて鯉(こい)のぼりの泳ぐ風景は何となく人の心を和ませる。こどもの日のきょう、子供の健やかな成長を願い、また健やかに成長してこられたことに感謝して、家族団欒(だんらん)でお祝いをする家庭も少なくあるまい。そんなほほ笑ましい光景が目に浮かぶようだ。
その一方、親の子殺し、子の親殺しという事件が、新聞の社会面からなかなかなくならない。
先の敗戦によって、焦土と化した日本は、エコノミックアニマルと揶揄(やゆ)されながらも、わずかな間に世界第2位の経済大国として再生した。
しかし、戦前の軍国主義を忌むあまり、修身という観念を置き去りにしてきた。物質的な豊かさは手に入れたが、精神的豊かさはとてもそれに及ばない。道徳は乱れて、自分本位が幅を利かす。
いま、教育の現場で小1プロブレムという現象が全国のあちこちで生じている。先生の話を聞けない、勝手におしゃべりをする、授業中に教室内を徘徊(はいかい)し、教室外へ出て行ってしまう児童もいる。
しつけることよりも、子供の自己活動を重視し、幼児の主体的活動を促す、保育所保育指針や幼稚園教育要領の個性の重視に問題点があったとの疑念なしとしない。同時に、家庭でのしつけがなおざりにされてきたツケであることは間違いない。
子供の健やかな成長とは、当然ながら身体面と精神面の両面でなくてはならない。道徳の教育といっても難しいことではない。二宮尊徳は刃物のやり取りをするのに、刃先の方を自分に向け、柄の方を相手に向けて差し出すことが道徳の基本だと教えている。
小1プロブレム解消のために、幼保小一貫教育が東京都品川区などで模索されているが、どういう子供に育つかは、親が日常生活の立ち居振る舞いにどれだけお手本を示せるかにかかっている。してよいこと悪いことの分別、寛容、謙譲、惻隠(そくいん)の情、規律を守る習慣など、自ら恒常的に学んで“親業”のプロを目指してほしい。
幼児や小学校低学年のうちは脳に柔軟性があって、知識や情操、徳性についてさえ恐るべき吸収力を持っている。自ら学び積み上げた親らしさを十分に発揮して、子供が心身ともに健やかに育つように、愛情を持って子育てに心を砕いてほしい。よい親がよい子をつくるのである。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090505/edc0905050252000-n1.htm


こどもの日 「ありがとう」あふれる社会に(読売新聞 社説)

「ありがとう つたわるこころが うれしいよ」
こどもの日から始まる児童福祉週間の今年の標語は、34歳の男性が作った。若い親の世代から子どもたちへのメッセージだ。
標語を作ったお父さんが勤めている「面白法人カヤック」という会社は、さまざまな人が「ありがとう」の言葉を投稿し、誰でも見ることのできるインターネットサービスを運営している。
そのページを見ると、感謝する人もされる人も、知らない人なのになぜか楽しい。感謝の言葉が数多く飛び交っていると分かるだけで、気持ちは明るくなる。
「ありがとう」という言葉はいい響きだ。だが、感謝よりも抗議や非難の声の方が社会にあふれ、このところ少し耳に届きにくくなってきた。
問題が生じた時にきちんと責任追及することは当然だが、最近はクレーマーと呼ばれる、理不尽に抗議する人も目立つ。
たとえば病院で医師と患者が、学校で教師と生徒・保護者が、信頼ではなく不信を前提に向かい合っているとすれば、それは互いに感謝と思いやりを二の次にしているからではないか。
読売新聞が昨年末に行った世論調査で「家庭でのしつけや教育のうち、きちんとできていないと思うもの」を尋ねたところ、約半数の人が「他人を思いやる気持ちを持つこと」(51・1%)と、「あいさつなどの礼儀を身につけること」(49・2%)を挙げた。
大人はもっと、子どもたちに「ありがとう」の大切さを伝えるべきだということだろう。
文部科学省は今年度、小中学校の道徳教育に用いる教材「心のノート」を改定した。
小学校低学年版に「ありがとうカードをあげよう」という項目がある。家や学校や近所で、お世話になっている人に、感謝の気持ちをカードにして渡す。受け取った大人にはちょっとした“宝物”になりそうだ。
中・高学年と中学生版にも、感謝の気持ちを言葉にしてみる項目が盛り込まれている。とても大切なことだ。伝える手段はインターネットや携帯メールでもいい。
こうした取り組みを学校だけにまかせてはいけない。きょうは、子どもたちが持っている「心のノート」を親子で開き、だれもが多くの人に支えられていることを語り合ってはどうだろう。
大人がまず、子どもたちの良い行いには「ありがとう」と大きく声をかけたい。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090504-OYT1T00906.htm


こどもの日に考える 拝啓 未来を生きる君(東京新聞 社説)

拝啓、未来を生きる君たちへ。未来はかすみ、悲しみだって避けては通れません。けれども、明日はきっとよくなるという、希望を少し同封します。
「誰の言葉を信じ 歩けばいいの?」
アンジェラ・アキさんは、作詞、作曲を手掛けた「手紙」という歌の中で、繰り返し、そう問いかけます。
「手紙」は、昨年度「NHK全国学校音楽コンクール中学校の部」の課題曲でした。
十五歳の「僕」が未来の自分自身に手紙を書いて、多くの悩みで張り裂けそうな心の中を打ち明けます。大人になった未来の「僕」は、十五の「僕」に返事を書いて励まします-。

未来との往復書簡

二人の「僕」のやりとりにそれぞれの今を重ね合わせてか、「手紙」は中高生だけでなく、世代を超えた愛唱歌として広がりつつあるようです。
アンジェラさんは十代のころ実際に、「未来の自分へ」と題した分厚い手紙をしたためました。
大人になって読んでみて、夢や希望をつづるというより、悩みと愚痴が延々と続く「未来への手紙」に驚きました。
友達や先生の何げないひと言にひどく落ち込んでしまったり、片思いに悩んだり…。ところが今では、片思いの相手の顔さえ、まったく思い出せません。
「正直、『そんなことで悩むなぁ!』と思うことばかり書かれていたけれど、当時の私は『そんなこと』でいっぱいいっぱいだったのだなと思いました」と、アンジェラさんは、コンクールで「手紙」を歌う中学生との交流を記録した「拝啓 十五の君へ」(ポプラ社)で語っています。
「そんなことで」とあっさり言えてしまうのは、今、現に見えない明日におびえて悩む十五の「僕」よりも、二十五歳になった「僕」は十年分だけ、未来を知っているからです。

大人になれば大丈夫?

子どもにとって、大人は未来そのものです。ひと足先に未来をのぞいた者として、大人は子どもに安心と希望を示さなければなりません。希望への道しるべであり続けなければなりません。
アンジェラさんは、その本の中でこんなことも言っています。
「中学生が歌いながら、『自分も大人になったら、きっとこういう気持ちになれるんだ』と思ってくれるように。今は先が見えなくて、苦しくてつらいかもしれないけれど、でもきっと大丈夫だから!」
五月五日の背比べも、もう今は昔でしょうか。端午の節句は、未来への階段を上る子どもの成長を、一年に一度柱の傷を見比べながら、家族そろって確かめ合う日だったのでしょう。
さて、その大切な道しるべ、このごろ特に間違いが多いみたいで気がかりです。
公開中の映画「子供の情景」はイランとフランスの合作です。
撮影当時十九歳だったイラン人女性のハナ・マフマルバフ監督は、アフガニスタンの子どもたちを戦争やテロへ導く大人の影を、リアルに描き出しています。
貧困と孤独の中で、大人と同じ暗い目をして、米国相手の戦争ごっこ、タリバンごっこ、処刑ごっこに没頭する少年たち。
「戦争ごっこなんか嫌い」と叫ぶ少女の悲痛な声は、砂漠の風にかき消されてしまいます。
遠い異国の出来事だけではありません。「先進国」と呼ばれる日本では、食品偽装、エコ偽装、拝金経済、虐待、汚職、振り込め詐欺に環境破壊…。政治家も確かな未来を示すことができません。
世界各地でミツバチが、なぞの大量死を遂げています。
ハチの社会では、外敵に巣を襲われたとき、まず老蜂(ろうほう)が戦います。人間界ではその逆です。
ミツバチは、未来を生きる子孫のために、目に見えない環境異変と戦って、人知れず犠牲になっているのでしょうか。私たちもハチに負けてはいられません。

私の言葉を信じなさい

「誰の言葉を信じ 歩けばいいの?」
アンジェラさんは「手紙」の中で、答えもちゃんと示しています。「自分の声を信じ 歩けばいい」と。でも、それだけでいいのでしょうか。
今、負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな「僕」や「私」は無数にいます。彼らの肩を抱きながら、大人たちが「私の言葉を信じなさい」と、正々堂々、胸を張って言える社会を築くべきではないですか。
端午の節句。さわやかに泳ぐ鯉(こい)のぼりを見上げつつ、大人としてのひそかな決意を、心の中の柱に深く刻みつけておきました。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009050502000080.html