2009年7月13日月曜日

公務員叩きもほどほどに

公務員とは因果な商売だなあと痛感することがあります。税金を生活の糧とし、そのおかげでどんな経済不況が来ようとも失職はしないし、贅沢をしなければ安定した生活を維持することができるという恵まれた立場にあることが前提となって、何かにつけて批判の的にされ、時として犯罪者呼ばわりされるようなこともあります。

確かに、全ての公務員が国民の公僕として、日夜、報酬見合いの、あるいはそれ以上の成果を生み出すような仕事をしているのかと問われれば、自信を持ってそうだと断言することはできません。事件・不祥事を引き起こす公務員が後を絶たない報道がそれを裏付けています。

多くの国民の皆様が持っておられる公務員のイメージは、おそらく、そのような報道に代表される公務員や、最寄りの市町村の役所、国の出先機関、警察署など普段の生活に関わりの深い場所での対応の悪い公務員ではないかと思います。しかし、国や自治体で働く全ての公務員が、このような公務員としての資質に劣る人間だけではなく、大半の公務員は、与えられた使命を達成すべく半ば自己を犠牲にしながら額に汗して働く勤勉な労働者ではないかと思います。

そんな勤勉な公務員を一部の劣悪な公務員と十把一絡げにして論じるのは、決して賢いことではありません。最近もノンキャリアの公務員を犯罪者扱いした国会議員がいましたが、このような国民の代表者たる国会議員がいる限り、あるいは、正確さを欠いた公務員批判を国民の前に報じるマスコミがいる限り、国民の公務員に対するイメージはいつまでたっても事実に反したままです。

このような国会議員やマスコミの行為は、公務員を叩くことによる国民受けをねらったものとしか思えず、思慮なき悪意に満ちた国民のマインドコントロールをやっているとしか言いようがありません。極めて少数の公務員の悪行・愚行によって、全ての公務員がそうであるかのような誤解を誘引する軽率な言動や報道は、発信者の資質や品格が問われるだけで、何の得にもならないと思います。

最近、「中央官庁に勤める公務員が過労死直前」だとの報道がなされました。過剰な労働が彼らの命を縮じめています。何を隠そう多忙さの一因は国会議員にもあるのです。


霞が関の公務員「4千人が過労死ライン」(2009年7月1日 産経新聞)
東京・霞が関の中央官庁に勤める国家公務員のうち、過労死の危険ラインとされる月平均80時間以上の残業をしているとする人が8.9%に上ることが1日、「霞が関国家公務員労働組合共闘会議」のアンケートで分かった。共闘会議は「単純計算で霞が関で働く4万5000人のうち4000人が過労死危険ラインで働いていることになる」としている。調査は3月、中央官庁の国家公務員の組合員約3500人が答えた。それによると、月平均の残業時間は36.3時間。月平均の残業が80時間以上とした職員のうち、18%が「現在過労死の危険を感じている」と回答。33%が「過去に危険を感じたことがある」と答えた。・・・
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090701/bdy0907011924002-n1.htm

霞ヶ関(中央官庁街)は、ほぼ年間を通じて不夜城です。特に国会や予算に携わる公務員は寝る間もなく働いています。国会会期中、各府省の国会担当者は、翌日の本会議や委員会での答弁を作成するために、質問議員への質問取りに走り回ります。質問が入るまで待機残業している職員は、得られた情報に基づき大臣や政府委員の答弁書を作成し、答弁者にレクチャーを行います。レクチャーは翌早朝になることもよくあります。こういった作業が連日繰り返されます。一連の作業に関係する職員は、家路につくのは夜中・明け方といった生活を余儀なくされます。

さらには、事あるごとに国会議員から議員会館に呼びつけられ、議員本人から無理な陳情を強引に押しつけられたり、議員の意に反する政策や判断をしようものなら、罵倒され、いわれなき謝罪を求められることがあると聞きます。特に、選挙区に密接に関わる問題については、議員も執拗さを増すため、十分心してかかる必要があるそうです。ある議員の場合、選挙区の有力支援者の意向を受け、霞ヶ関のしかるべき立場の職員を呼びつけ、支援者の面前で、「おまえの首なんぞ俺の一言ですっ飛ぶんだぞ」などと恫喝した上、土下座を強要したという驚くべきうわさ話を聞いたこともあります。こういった自己の利害のみを重視する打算的な考え方と、国会議員という特権的な立場が相まって、天下人のような錯覚に陥り、霞ヶ関の公務員を家来同然に扱うことになるのでしょう。

「国会議員は、国民(選挙民)に弱く公務員には強い、公務員は、国会議員に弱く国民には強い、国民は公務員に弱く国会議員に強い」と言う、いわゆる「国会議員・公務員・国民のトライアングル関係」があるという話を聞きます。国会議員は、国民に強い公務員を批判し叩くことにより、国民の味方という仮面をかぶり、私利私欲を追求するという構造が今でも続いているのではないでしょうか。

しかし、実体はどうでしょうか。国会議員は立法府を構成する立場でありながら、ほとんどの議員には法律を作る能力はありません。法律は行政府の公務員が作ります。閣僚の国会答弁も公務員が作ります。政策も公務員が作ります。国会議員には実務能力はありません。このことは報道もされており衆知の事実です。国会議員は、法律や政策を政争の具にしている単なる評論家のようなものです。誰の目から見ても、多くの国会議員には国民の代表者としての真の能力はなく、公務員の実力の上であぐらをかき、えらそうにしている単なる選挙区選挙民の利害追求代表者として機能しているだけなのです。

そんな国会議員に、寝食の時間を削り必死に働く公務員を批判する、犯罪者呼ばわりする資格があるでしょうか。全くありません。おこがましい限りです。ノンキャリア公務員の生活実態をご存じでしょうか。中央官庁で国会や予算の担当として働く公務員の生活は悲惨なものです。時期にもよりますが、ほとんど明け方、朝陽を浴びながら帰宅します。入浴し着替えたらすぐさま役所に引き返します。満員電車の中で立ったまま通勤します。睡眠不足が蓄積しているので、膝がなんども落ちます。短時間の昼食が終わると極度の睡魔が襲ってきます。わずか30分程度の睡眠で頭の中のもやもやを解消し、午後から明け方まで再び激務です。夕食もとれないことはざらにあります。寝ていない食べていないという精神的、肉体的限界を連日繰り返しながら仕事をしています。電車の走っていない早朝の帰宅時にはタクシーを使うことが認められていますが、部署によってはタクシーに乗る経費がなく、立場の低い若い人たちは、家族に迎えにきてもらうか、部屋のソファーで仮眠をとった後、始発の電車で帰ることになります。

こんな地獄のような生活を繰り返している中で、昨年、居酒屋タクシー問題が大きく取り沙汰されました。これも国会議員の指摘に端を発したものです。彼らの激務を理解してくれるのは、家族以外には、タクシーの運転手さんくらいしかいません。国民は残念ながら誰も理解してくれません。くたくたに疲れてタクシーに乗れた、やっと家に帰れるとほっとしている彼らに「今日もお疲れさまでした!」と声をかけてくれる運転手さんの心配りにどれだけ救われることでしょう。賄賂性がある場合は論外として、酷暑の中、汗だくで働いた一日の終わりに、善意でサービスしてくれた缶ビールを飲んで何が悪いのでしょうか。おそらくは、そういった状況に置かれた公務員でなければ理解できないことなのでしょうが、そういった事情や背景を全く理解しない、しようともしない国会議員やマスコミの発言や報道は、国家国民のために身を粉にして働く彼ら公務員達の誇りと意欲を失わせることにしかならず、引いては、この国の現状を憂い、この国を体を張って守る公務員はいなくなることでしょう。あげくには、少数だった悪徳公務員がこの国の政策を自分のために動かすことがまかり通るひどい国にならないとも限りません。

公務員を生涯全うすべき職業として選択し、働く中で、この国の役に立ちたいと心から考え、民間企業に比べ給与等の処遇の悪さ・低さにも辛抱しながらこの国のために日々努力する多くの公務員がいること、そして誇りのみを拠り所として成り立っている彼らのモチベーションをこれ以上失わせるようなことは絶対にやってはいけないことをどうか国民の皆様にはご理解いただきたいと心から思うのです。