2009年10月23日金曜日

就学支援と大学経営

ちょっと前になりますが、経済協力開発機構(OECD)が行った教育調査の結果である「図表でみる教育」(2009年版)が公表されました。国際比較が可能な指標が掲載されてあり、教育の成果、教育への支出と人的資源、在学状況、教育環境などに関する情報が指標化されています。

結果は、「相変わらず我が国の教育に対する公財政支出は最低レベル」ということであり、中でも、我が国の高等教育への公財政支出がOECD加盟国中最下位であることは、これまでもよく引用されているところです。

我が国では、「教育の成果は個人に帰着する」という論理から、これまで教育費は、基本的には個人が負担すべきもの、つまり家計支出により賄うべきものという考え方が定着してきました。

しかし、最近の経済状況がもたらした所得格差、引いては教育格差が拡大している状況を反映してか、マスコミをはじめ政府部内においても、教育に対する公財政支出増加に向けた声が次第に大きくなりつつあります。

そもそも教育に対する公財政出の増加は、教育を担当する文部科学省が以前から機会あるごとに主張してきたことでしたが、経済至上原理を死守しようとする財務省を論破することができずに今日に至っています。

折しもこのたびの衆議院総選挙を通じて、政治家の皆さん方は、異口同音に国民の耳障りのいい教育の充実、票にならならないと言われてきた教育への財政出動を叫び立てることとなり、政権交代を果たした民主党は、その政権公約の中で、

  • 先進国中、著しく低い我が国の教育への公財政支出(GDP比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げる(教育予算の充実)
  • 高等学校は希望者全入とし、公立高校の授業料は無料化、私立高校などの通学者にも授業料を補助(年12万~24万円程度)する(教育の無償化)
  • 学生・生徒に対する奨学金制度を大幅に改め、希望する人なら誰でもいつでも利用できるようにし、学費のみならず最低限の生活費も貸与する。親の支援を受けなくても、いったん社会人となった人でも、意欲があれば学ぶことができる仕組みをつくる(奨学金制度改革)
などについて主張しています。

政権公約として掲げた教育関連政策を民主党政権がどのように実現していくのか、そのために必要な財源をどのような手法で調達するのか、教育関係者をはじめ多くの国民の期待は大きいのではないかと思います。

さて、家計に占める教育費の負担を軽減することは、なにも政府だけの問題でも責任でもありません。この国の未来を託す若者を責任を持って育成し、しっかりとした人間として社会に送り出す使命を有するあらゆる教育機関においても、その公共的立場から、教育費の負担軽減、特に就学・進学困難な子どもや学生を救う手だてを考え実行する義務があります。

高等教育機関である大学には、そのための制度として、ほとんどの大学に授業料や入学料の「免除制度」が、また、文部科学省の外郭団体である日本学生支援機構(旧日本育英会)には「奨学金制度」が用意されています。これらの制度は、これまで高い能力を持つ多くの学生が、経済的理由による就学・進学を断念するという悲惨な状況を回避し、社会で遺憾なくその能力を発揮できるチャンスを提供するという重要な役割を果たしてきました。

また、最近では、資金的に裕福な大学の中には、余裕資金を活用した「大学独自の奨学金制度」を導入したり、銀行の教育ローンを借りる学生に対して、在学中の利子相当分を大学が負担するといった「利子補給型の奨学制度」を整備する大学も増えつつあります。

しかし、奨学金制度は、多くの場合貸与型であり、給付型の奨学金と違い返済義務を伴うため、敬遠される傾向があります。また、利子補給制度は、貸与する学生を銀行ないしは保証会社が決定する仕組みになっているため、学生の保護者に返済能力があることが求められ、真に家計が苦しい場合(返済が危ぶまれるような困窮者の場合)には、お金を貸してもらえないというデメリットがあります。

一方、「免除制度」は、一定の基準に基づくものの、基本的には大学の判断によって運用できるため、能力はあっても経済的に就学を断念せざるを得ない学生を救うには極めて効果的な制度です。

しかしながら、免除制度の拡充については、これまで国立大学は、一部の大学を除き総じて消極的な姿勢で臨んできたような気がします。法人化後、免除率の拡大は各法人の裁量とされてはいるものの、文部科学省から配分される運営交付金の算定ルールでは、国の時代の免除率が採用されており、その率を超えた免除率の拡大による収入減というリスクを乗り越えるだけの勇気と戦略がなかったからなのかもしれません。

最近の雇用状況の悪化など危機的な経済状況の重大さをようやく感じた文部科学省は、このたびの平成22年度概算要求において、運営費交付金算定上の免除率の拡大を盛り込みました。歓迎すべきことであり、是非とも実現してほしいと思います。


学生への支援にかかわっての大きな問題は、各大学の経営者の意識です。特に学生支援担当の理事、そして学長。奇をてらったようなことしか考えない、限られた期間の支援、しかもわずかな支援規模(額)しか生み出せないような器量、学生に目線を置いた社会に恥ずかしくない政策を打ち出せないような経営者ではどうしようもありません。

入学料にせよ、授業料にせよ、免除は、大学にとっては確かに収入減。しかしそれによって学生の就学を誘引し、学生確保を促進することが可能になります。支援を受けた学生は、卒業後、大学の強力な応援団になる可能性も広がるのです。

残念ながら、一部の大学の中では、毎年度、決して経営努力の結果ではなく、たまたま生じた多額の剰余金を翌年度に繰り越し積み立てた資金は、相変わらず無駄な「ハコもの」「コンクリート」に消え、それが次期学長選挙への実績と化し、学生のニーズに適切に対応した政策に重点化した使い方をしようなどという発想はなかなか出てきません。進言しても耳を貸さない経営者も多いと聞きます。学生ではなく、世間体に目線を置いた中途半端な方法しか生み出せない経営者、これこそ実は、大学にとっては大きなリスクなのではないでしょうか。

こういった経営者は、普段から小さなお金をどう使うかということだけをやってきているために、小さなお金を大きくして生きたお金として使うということを知らないし考えようともしません。また、当面使う目的のない多額の寄付金がありながら、底溜まりした預金は、家計の貯蓄と同様の発想で定期預金にするか、安全安心な国債をたんまり買い込んで、わずかな利ざやを楽しみにしているという始末です。

免除による収入減を避けたいのならば、余剰金や寄付金の底溜まりをなぜ有効に活用しようとしないのか、学生のための基金を作り、独自の奨学金制度をなぜ作ろうとしないのか、理解に苦しみます。

世は全入時代。学生あっての大学であるはずです。顧客は学生です。顧客満足度を第一に考え経営していかなければならないのに、自分達の懐具合だけを気にしているようでは、法人化の趣旨はいつまでも実現できないでしょう。