2009年11月18日水曜日

世界の子どもを思う

少し前になりますが、10月28日(水曜日)の朝日新聞に、国連児童基金(ユニセフ)親善大使の黒柳徹子さんのインタビュー記事「世界の子どもを思う」が載っていました。ほぼ一面にぎっしりと書かれた記事に絶句し、平和で飽食の生活に浸りきった私の人間としての小ささ、座して何もできない自分の無能さを痛感させられた記事でした。

この記事を是非多くの方にお伝えしたいと考え、ネットを通じて探しましたが残念ながら見当たりませんでしたので、主な部分について転載しご紹介したいと思います。

この四半世紀で、世界の子どもの置かれた状況は変わったのでしょうか。

25年前、5歳未満で死んでしまう子どもは、世界で年間1400万人いました。今は880万人です。世界中の人が悲惨な境遇にある子どものことを考えるようになった結果でうれしい。でも戦争や貧困がもたらす悲劇は続いています。

今年は、内戦が終結したネパールを訪れ、14歳で兵隊になった女の子に会いました。大人が銃を渡し、人を撃つと「偉い」と褒める。「怖い」と言うと麻薬を打って感覚をまひさせる。今は社会から、「人殺し」扱いです。

時代や場所やそのあらわれ方は変わっても、問題はなくならない。

そう。そして大人の世界の問題は全部子どもたちにしわ寄せが行っちゃう。

民族対立による内戦で大虐殺が起き、80万人が殺されたと言われるルワンダ。目の前で、お母さんがレイプされたり、兄や姉が働かせるためにどこかへ連れて行かれたり、そして自分も手足を切られたり。凄惨な状況です。子どもには内戦の理由などわからない。親が殺されたのは「言うことを聞かぬ悪い子だったから」と、自分を責めていました。

隣のコンゴ(当時はザイール)東部のゴマの難民キャンプに避難していた5歳ぐらいの子どもの話です。親が亡くなった理由を尋ねると「わからない」という。でも、後から追いかけてきて「本当は知っているよ。殺されたんだ」と言います。なぜ最初に答えなかったか聞いたら、「だってさっき通訳していた人が殺したんだもの」。20万人もいる難民キャンプに殺した側も殺された側もいて、自分の親を殺した人間にあってしまう。10年後の再訪では、いつもお漏らししている5歳の女の子に会いました。レイプされて膀胱が裂けてしまったのだそうです。地元にはエイズウイルス(HIV)に感染しても「処女と交われば治る」という迷信があり、そのためだと。

中米最貧国の一つハイチでは、女の子が40円ほどで売春をしていた。家族を養うため、明日食べるものがないという理由で。「エイズになっても、明日死ぬことはないでしょ」と言うんです。

悲惨な状況に置かれた子どもたちを訪ねて、やるせなさを感じませんか。

そんなことありません。途上国では、えんぴつやノート、何十円のワクチンで、学校に行ったり、予防接種を受けたりすることのできる子どもたちが、1人でも2人でも増やせる。少しずつできる範囲で、続けないとだめです。

どうして子どもたちのところに平和が来ないの、とは思います。でも親善大使にならなければ、ぼんやりと一人の芸能人で終わっていた。世界の子どもの9割が、戦乱や貧困の被害を受けている。このことを知らず死んでいたら情けなかった。現場の現実にはつらいこともありますが、やらせていただいてよかった。

支えになったことは何でしょう。

最初に訪問したタンザニアで、飢餓に苦しむ子どもたちに会いました。うなって、はっているだけの6歳の男の子がいた。栄養失調は食べ物がなくて死んでいく怖さと思っていましたが、子どもの時にちゃんとした栄養を与えられないと、脳に障害を起こして、しゃべることも歩くことも立つこともできなくなる。手を取って話しかけると、泥をつかんで私の手に入れてくれた。感情があるんだとわかりました。子どものすごさ、純粋さをわかっているつもりだったけど、そうではなかった。

大使になってまだ3年目に行ったインドでは、ワクチンの予防接種1本で死なずにすむ破傷風で、子どもが死んでいきます。電球の光を浴びるとぶるぶる震えてしまうんです。「がんばってね」と声をかけたら、10歳の少年に「あなたの幸せを祈っています」と言われました。大人が忘れてしまった、生きていく強さを、子どもは持ち続けていました。

コートジボワールではHIVに感染した子どもの孤児院に行きました。病気の進行を防ぐ薬はある。でも貧しいところには回ってこない。みんなわかってるんです。13歳の子が「心配しないでください。僕たちは絶望していませんから。希望をもっていますから」と話す。そして私の帰り際に言うんです。「こんな遠くまで、差別されている私たちのところに来て話を聞いてくれてありがとう」。どうしてそんなに人のことを思いやれるのか。めったに泣かないんですけど、その時は本当に涙が出ました。

日本に暮らす私たちと、9割の子どもたちをつなぐものは何でしょう。

難民キャンプで、「お母さん」って泣いている子どもに会ったことがないんです。ちっちゃいのに、泣いてもお母さんは来ないってわかっているんですね。それに泣くには栄養も必要なんです。内戦が続いたエチオピアで「大きくなったら何になりたい」と子どもに聞きました。そうすると「生きていたい」と。いつ死んでしまうかわからない難民キャンプでも、自殺する子は一人もいません。恵まれている日本では、子どもが自殺します。とても残念です。

私が子どもの時は戦争でした。64年前までの日本も、子どもの兵隊を作ってました。戦争が始まると、家族は一瞬にして崩壊した。父は出征し、弟は薬がないから亡くなり、母と青森に疎開して。平和や幸せがいかにもろいか。母は大豆を15粒、煎って袋に入れて私に持たせていた。それが1日のごはん。学校に行く前に3粒ぐらい食べて、水を飲んでおなかでふくらませた。防空壕の中で「死んじゃうかもしれないから食べちゃおうかな」とも思うけれど、帰って何もないと困るからと残し、家に戻って残りの5粒ぐらいを食べる。若い人も、映画やテレビを通じ、他人事でなく考えてほしい。

昨年のクリスマス、あるお母様から募金を頂きました。5歳の子どもに、クリスマスにほしいものを紙に書いて靴下に入れておきなさいと言ったそうです。そうしたら、「サンタさん、プレゼントはいらないからたべものをアフリカのこどもにあげてください」と書いたって。小さいときに人を思いやる気持ちを持つのはとてもいいことだと思うんです。一番大切なのは関心を持つことなんです。


いかがでしょうか。私と同様にこの記事に感銘された方々が、既にブログ等で感想を述べられています。少しだけですがご紹介します。