2010年12月29日水曜日

今年も感謝で一年を終えます

今年もまもなく終わろうとしています。皆様にとってどんな一年でしたか? 
人によりいろんな総括の仕方があろうかと思いますが、最後は”この一年の自分を褒め、お世話になった方々に感謝する”というごく当たり前のことに尽きるのではないかと思います。

ここ数日、いろんな媒体で一年を締めくくる多くの記事を目にします。例えば、「あなたはいくつブクマした?2010年『はてなブックマーク 年間ランキング』」など。

そこで、私も調子に乗って、この日記のうち、今年多くの方々に読んでいただいた記事を整理してみました。

2010年12月26日日曜日

国立大学法人運営費交付金の削減止まらず

2011年度政府予算案が12月24日に閣議決定されました。民主党政権になってからは2回目(概算要求段階から取り組んだという意味では初めて)の予算編成でしたが、ここ数日の各紙の報道を眺めてみると、厳しい論調ばかりのようです。

文部科学省関係予算]、とりわけ国立大学法人の基盤的経費である運営費交付金]についての詳細については未だ十分に明らかになっていませんが、文部科学省が各国立大学法人に配布した資料によれば、平成23年度の運営費交付金の総額(大学共同利用機関法人を含む)は、前年度予算に比べ、約58億円(0・5%)減の1兆1,528億円となっています。

国立大学法人の運営費交付金は、6年前の法人化以降、既に毎年約1%が削減(これまでの削減総額は約830億円:6年間で約26もの国立大学分が消えた計算)されてきました。このたびの予算編成における国民へのパブリックコメント「元気な日本復活特別枠」では、運営費交付金の拡充(事業番号1905:「強い人材」育成のための大学の機能強化イニシアティブ)に71,747件の意見が寄せられ、このうち97・7%が運営費交付金による事業を実施する必要があるとの声(そう思う:91.6%、どちらかといえばそう思う:6.1%)でした。

そもそも、民主党は政権交代に当たっての公約において「国立大学法人への運営費交付金の削減方針を見直す」としていました。そしてこのたびのパブリックコメントにおける多くの国民の声が現に数字となって表れなかったことはどういうことなのか。国民の一人として、財政規律と政策優先のはざまの中での決定だったのだろうと理解に努めつつも、年の暮れにいただく”通知表”としては少々納得がいかない内容でした。

関連サイト

2010年12月25日土曜日

総務省が国立大学法人の二次評価結果を公表

去る12月22日付けで、国立大学法人評価の二次評価を実施している総務省政策評価・独立行政法人評価委員会より、「平成21年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関する評価の結果についての意見」が公表されました。


意見の主旨は以下のとおりです。
  1. 各法人における資産の保有の必要性及び有効活用についての不断の見直しや、不要とされた資産の処分に向けた取組等を促すとともに、その見直しや進捗の適切性が国民に明らかになるような評価をすべき。

  2. 各法人の自律性に配慮しつつ、各法人の目指す方向に向けた法人の積極的な取組を促す観点から、財務情報等も活用し、引き続き学長・機構長裁量経費の活用や自己収入の拡大・一般管理費の節減等により捻出した財源の計画的な活用による資源配分の取組について、評価をすべき。

  3. 経営協議会が期待される役割を十分に発揮し、その意見が法人運営に適切に反映されているか明らかにする観点から、引き続き経営協議会に関する情報の公表状況に関する評価を行い、公表が行われていない法人については課題として評価結果等に記載するなど、その厳格な運用に努めるべき。

また、意見の締めくくりとして、「国立大学法人等は、第二期中期目標期間において、特に、国立大学法人にあっては、機能別分化を進めるものとされており、それを実現するためには、各法人において、明確なミッションを掲げ、学長等のリーダーシップの下、役員会、教育研究評議会、経営協議会を始めとした法人内の各組織がそれぞれ求められる役割を果たし、目標に向けて、法人全体として機能することが重要である。」との記載があります。

このことは、ある意味では、一部の国立大学法人においては、法人化後6年を経過した現在においても、「明確な法人としてのミッションが不在」、「学長のリーダーシップが発揮できる状態にない」、「国立大学法人法において定められた重要組織の役割が明確ではなく適切に機能していない」との疑問符を投げかけられているとも受け取れる内容であることに注意しておかなければならないと思います。直ちに検証すべきことでしょう。

意見の詳細はこちらをどうぞ
http://www.soumu.go.jp/main_content/000096038.pdf

2010年12月20日月曜日

創造性を高める

創造性を高めるにはどうすればいいか。創造性を高めるうえで最大の障害は、自分が創造的ではないという思い込みである。

そういう 思い込みにとらわれると、あなたは創造性を抑圧するよう自分の心に指令を出してしまう。その思い込みを克服するためには、メモ用紙に「私はいつも創造的で、素晴らしいアイデアをたくさん思いつく」と書き、それをポケットに入れて持ち運んで、一日に何度も確認するといい。

特定の事柄に意識を集中すれば、創造性を簡単に目覚めさせることができる。質問に答える形で自分の心を正しい方向に誘導すればいいのだ。たとえば、売上を伸ばす方法を考えるときは、「客単価を上げるためにはどうすればいいだろう?」と自問するといい。しばらく考えているうちに、新製品をつくるとか、既存の複数の製品をひとまとめにして売るといった創造的な解決策がいくつも思い浮かんでくるはずだ。

私生活でも、「私はどうすれば配偶者や友人、家族、親に感謝の気持ちを伝えることができるだろう?」と自問しよう。花束やカードを贈るといった平凡なアイデアではなく、さらに創造的な方法を考えてみよう。たとえば、美術館やスポーツのイベントに誘ってみるというのもいいかもしれない。

すぐに創造的なアイデアが思い浮かばなくても、がっかりする必要はない。深刻に考え込まずにリラックスしているときに、創造的なアイデアが思い浮かぶこともある。潜在意識は決して眠らないから、少し工夫すれば、創造的なアイデアをたえず見つけてくれるはずだ。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年12月18日土曜日

科学技術の司令塔はいずこに

去る12月15日(水曜日)、政府の総合科学技術会議(議長=菅直人首相)は、2011年度から5年間の科学技術政策の方針を示す「第4期科学技術基本計画」の答申案を固めました。
政府による研究開発予算を5年間で25兆円、国内総生産(GDP)比1%とする目標を明記。現行の第3期計画を踏襲した内容となっており、来年3月に閣議決定するようです。

科学技術基本計画とは、総合科学技術会議のホームページには、「平成7年に制定された「科学技術基本法」により、政府は長期的視野に立って体系的かつ一貫した科学技術政策を実行することとなりました。この基本法の下で、これまで第1期(平成8~12年度)、第2期(平成13~17年度)の基本計画を策定しています。そして、第3期基本計画が、平成18年4月から次の5年間をにらんでスタートしました。総合科学技術会議は、この基本計画の策定と実行に責任を有しています。」と書かれてあります。

では、科学技術基本計画を策定している総合科学技術会議とはどのようなところなのでしょうか。同会議のホームページには、「総合科学技術会議は、平成13年1月の中央省庁再編に伴い、「重要政策に関する会議」の1つとして内閣府に設置されました。内閣総理大臣のリーダーシップの下、科学技術政策の推進のための司令塔として、わが国全体の科学技術を俯瞰し、総合的かつ基本的な政策の企画立案及び総合調整を行っています。
総合科学技術会議は、現在、原則月1回開催されており、議長である内閣総理大臣をはじめ、関係閣僚、有識者議員などが出席しています。会議では、1)科学技術に関する基本的な政策についての調査審議、2)科学技術予算・人材の資源配分などについての調査審議、3)国家的に重要な研究開発の評価などを実施しています。」と書かれてあります。

このように、総合科学技術会議は、我が国の科学技術に関する重要政策を推進する”司令塔”として設置されているわけですが、高次元の話し合いばかりやっているわけではないようです。


譲れない「・」 科学技術か科学・技術か、専門家バトル(2010年12月16日 朝日新聞)

「科学技術」と「科学・技術」。表記をめぐり、譲れない攻防が続いている。学者の国会とも呼ばれる日本学術会議が「科学・技術」を使うのに対し、科学技術政策の司令塔の総合科学技術会議は再び「科学技術」に戻した。「・」にこだわる背景には、政策の方向をめぐる意識の違いがある。・・・
http://www.asahi.com//science/update/1214/TKY201012140441.html?ref=rss


学者の論争に政府が巻き込まれてやや混乱気味といった感じでしょうか。かなり国民生活から乖離した世界のようですし、こんな議論のために税金を使ってもらいたくないものですね。

関連して、山崎正和さんという方が読売新聞に寄稿されている記事を抜粋してご紹介します。個人的にはかなりうなづける内容でしたので。


学術振興に「司令塔」必要(2010年12月12日 読売新聞)

すでに旧聞に属することだが経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、もともと日本の大学予算は国内総生産(GDP)の0.5%、欧米先進国の半分にすぎなかった。それが昨今の財政緊縮のあおりを受け、国立大学への運営費交付金は毎年約1~2%ずつ減額されて、行き着く先も定かではない。旧帝大のような有名大学の場合、総予算の半分以上を授業料や付属病院の収入、それに政府の追加する競争的資金と産学連携の果実でまかなっている。

だがこれはあくまで糊口の策にすぎず、このうち外部資金を真に競争的に拡大する風土は日本にはない。大学は受け入れ機関も設けて努力しているが、不況下の企業現場は貧すれば鈍するの喩え通り、目先の利用を超えて研究を種子の段階から育てるほどの見識はない。個々の学者も自分の研究を解説し、市場を説得して資金を獲得する才覚に乏しい。弱小の私学や地方大学の場合、これに少子化と大都市集中の影響が加わり、倒産、廃校の危険さえあることを私は経験から知っている。

そのうえ大学授業料は高騰をつづけ、奨学金の拡充の見込みはなく、外国留学などを志す学生には失業の不安が待っている。大学院修了者の失業は限度に達しているのに、大学にも企業にも研究職の席は絶望的に少ない。にもかかわらず奇怪なことに、大学の新設は規制緩和で今もなおつづいているのである。

最大の問題は日本には学術振興の司令塔がなく、知的生産の将来を決める永続的な政策がないことである。文部科学省には危機感があっても、財政当局には問題意識が乏しく、政治家には政策がないという認識さえない。

必要なのは国民の総意にもとづく選択であって、持続的に一貫した戦略である。かりに高度研究は集中化を進め、地方大学には教養教育や地域に特化した研究のみを許すというなら、同時に各地の学生が自由に国内を移動する費用を給付しなければなるまい。大学の淘汰を認めて弱小大学の廃校もやむなしとするなら、廃校後の学生を救済する法的施策が必要だろう。

上山(隆大)氏も引用している福沢諭吉が力説したように、「学問社会の中央局」を定め、「百般の文事を一手に統括」する中枢を持つことが、今ほど切実に求められているときはないのである。

山崎正和(劇作家)
1934年、京都生まれ。大阪大学教授などを務め、現サントリー文化財団副理事長、前中央教育審議会会長。

2010年12月12日日曜日

教員就職率と教員の資質能力向上

去る12月8日(水曜日)に、国立大学教員養成課程の就職状況が文部科学省から公表されました。

公表資料:国立の教員養成大学・学部(教員養成課程)の平成22年3月卒業者の就職状況について(文部科学省)

今年は前年比3.0ポイント増の59.6%。やや回復傾向のようです。
文部科学省によれば、底を打った平成11年(32%)以降は、教員採用者数の増加や大学の入学定員減などにより、近年は50%台を維持しているとのこと。


教員就職率の推移

平成11年 32.0%(過去最低)
平成12年 33.7%
平成13年 37.8%
平成14年 45.0%
平成15年 52.2%
平成16年 55.5%
平成17年 56.4%
平成18年 56.2%
平成19年 56.9%
平成20年 56.7%
平成21年 56.6%
平成22年 59.6%


就職率の高かった大学
  1. 鳴門教育大学 78.3%
  2. 和歌山大学   75.5%
  3. 奈良教育大学 74.3%
  4. 愛知教育大学 74.3%
  5. 兵庫教育大学 71.9%

就職率の低かった大学
  1. 鹿児島大学   39.9%
  2. 横浜国立大学 43.0%
  3. 琉球大学       43.3%
  4. 秋田大学       44.0%
  5. 熊本大学       46.5%

前年比増加率の高かった大学
  1. 大分大学 21.5%
  2. 長崎大学 14.1%
  3. 奈良教育大学 13.9%
  4. 山梨大学 13.1%
  5. 鳴門教育大学 12.8%

前年比減少率の高かった大学
  1. 兵庫教育大学 ▲13.0%
  2. 埼玉大学       ▲  9.3%
  3. 横浜国立大学 ▲ 6.4%
  4. 琉球大学       ▲ 5.3%
  5. 和歌山大学    ▲ 4.5%

関連報道

教員就職率59・6%に上昇 国立教員養成大の卒業者(2010年12月8日 共同通信)

全国44の国立の教員養成大学・学部を今春卒業した人の教員就職率は9月末時点で前年比3・0ポイント増の59・6%だったことが8日、文部科学省の調査で分かった。・・・
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120801000631.html



今後、現職教員の大量退職(今後10年間に教員全体の34%、20万人の教員が退職)により、就職率そのものは全体として高まっていくことが予想されています。
しかし、一方で、経験の浅い教員が大量に誕生することが予想されるため、現在、中央教育審議会・教員の資質能力向上特別部会では、教員の質を確保・向上させるための施策についての議論が行われており、今年中には一定の方向性が示されることになっているようです。国の将来を左右する重要な課題であり、国民的議論が求められるところです。


審議経過報告(会議資料)の中から、「教員養成の在り方」に関する記述(議論の方向性)を抜粋してご紹介します。
  • 教員養成は学部4年に加え、1年から2年程度の修士レベルの課程等での学修を要すること(修士レベル化)について今後検討。
  • この場合、例えば、当面は、学士課程修了者に暫定的な資格を付与し、教員として採用された後に、必要な課程等を終了すれば、修士レベルの資格取得を可能とすることも検討。
  • また、新たな仕組みと現行の初任者研修制度との関係や、採用段階との関係も整理する必要。
  • 様々な段階で社会人等がその専門性を生かしつつ、教員を志せるようにするため、学士の教職課程を終了していない者を対象とした修士レベルの課程等を設け、修了者には、修士レベルの資格取得を可能とすることについて検討。
  • 教員養成を修士レベル化することに伴い、養成の規模や大学の組織体制の在り方、奨学金の活用等による学生の経済的負担の軽減についても併せて検討。
  • 学部・大学院等における教員養成に係る課程認定審査や設置審査をより厳格化するとともに、事後評価システムを強化し、教員養成の質の保証を図る。


中央教育審議会教員の資質能力向上特別部会における配付資料等

教員の資質能力向上特別部会(第7回)配付資料資料「審議経過報告(案)」

2010年12月8日水曜日

夢をかなえる

夢をかなえるためにはどういうステップを踏めばいいか。まず、夢をかなえる第一歩は心の中から始まることをしっかり認識する必要がある。夢をかなえるために役立つふたつの方法を紹介しよう。

夢を紙に書く。一定額のお金を稼ぎたいなら、あたかもそれがすでに実現しているかのように現在形で書くといい。たとえば、「私は○○円の年収を得ているから、ほしい物を買うお金が十分にある」という書き方をするといい。そしてその紙を一日に何度も見る。そうすればそのメッセージが潜在意識に刻み込まれるから、あなたはその夢に向って進みだすことができる。

イメージトレーニングをする。椅子に座ってリラックスし、両目を閉じる。夢をかなえたらどういう人生が送れるかを心の中で描いてみよう。視覚、聴覚、触覚などの感覚をできるだけ多く働かせよう。職場で管理職に昇進したいなら、自分が新しいポストに就いて管理職として職場の人たちに接している姿をイメージしよう。どこかで休暇を過ごしたいなら、自分が現地に行ってそこの風景を楽しんでいる姿をイメージしよう。あなたの心はそのイメージを現実に変える力を持っているのだ。

ディスカヴァー・トゥエンティワン
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2010年12月6日月曜日

どうなる国立大学予算 2

最近の報道によれば、政府は今週にも平成23年度の予算編成方針を策定し、24日の政府予算案決定を目指すようです。

国立大学関係予算を取り巻く状況は、以下のように一段と厳しさを増すばかりで、最悪の結果も想定されています。年末の政府予算案での復活を願うばかりです。

行政刷新会議による事業仕分け第一弾(11月18日)の結果
  1. グローバルCOEプログラム ⇒ 事業仕分け第一弾の評価結果(予算要求の削減(1/3程度の縮減))が反映されていない。第一弾の評価結果の確実な実施。
  2. 博士課程教育リーディングプログラム ⇒ 見直しを要する。
  3. 大学教育質向上事業等3事業 ⇒ 3事業とも廃止。
  4. 国際化拠点整備事業 ⇒ 一旦廃止し、組み立て直す。
  5. 大学の世界展開力強化事業 ⇒ 見直しを要する。
  6. 科学研究費補助金等17事業(競争的資金) ⇒ 予算要求の縮減(1割程度)。

元気な日本復活特別枠に関する評価会議(12月1日)の結果

元気な日本復活特別枠に関する評価会議(第3回)資料をご参照ください。

文部科学省分の要望のうち、事業番号1905「強い人材育成」(運営費交付金等)関係については、4段階評価のうちのB評価となりましたが、事業番号1904「総合的な学び支援」(授業料減免等)関係及び事業番号1906「若手研究人材育成(科研費を含む)」関係については、残念ながらC評価となりました。

また、文部科学省の要望については、「特別枠」の趣旨に照らして問題が大きいので、「全般的に大幅な要望の圧縮と、要求の削減による新たな財源捻出が必要」との条件が付されています。

事業番号1905と1906については、「行政刷新会議の指摘を踏まえた対応が必要」との記述もあります。

このように、国立大学関係予算については、パブコメの結果を適切に反映した評価が得られたとは言えず、平成23年度政府予算において要望額に沿った予算額が確保できるか否かについては、極めて厳しい状況にあると思われます。

今回の予算は、実質的に民主党としての初めての予算であり、今後3年間の国立大学関係予算の帰趨を決するものと言えます。

民主党の政策である「コンクリートから人へ」の理念を実行し、「強い人材、強い大学、元気な日本」を実現するために、また、現場の声・国民の声を大切にするという民主党の精神を貫徹し、パブリックコメントに寄せられた圧倒的な国民の声、危機感に溢れた現場の声が予算編成に反映されることを強く求めたいと思います。

2010年12月5日日曜日

大学業務の生産性をいかにして高めるか (4)

職務の設定と戦力の配分


職員個々の職務遂行、組織の編成と運営という順に論じてきたが、最後に職務の設定と戦力の配分について述べたい。

大学の業務は、教育研究や学生支援など教学に関わる「直接業務」、それらの基盤となる経営に関する業務などの「間接業務」、新たな課題の設定とその企画・推進に関わる「戦略的業務」の3つに大別することができる。

直接業務は大学の本来機能そのものであり、入試や学位認定などミスが許されない業務が多い。これらの業務についても効率化は必要であるが、完璧さときめ細やかさが何よりも優先されなければならない。

そのことを前提にしながら大学全体の生産性向上を実現するためには、間接業務を可能な限り簡素化・効率化するとともに、それによって捻出した時間や労力を戦略的業務にシフトしていく必要がある。

企業では直間比率が重要な管理指標になる。つまり、営業・調達・生産などの直接部門に対して、総務・経理・人事などの間接部門が多過ぎないかが絶えず問われているのである。

学長・理事長をはじめとするトップマネジメントは大学全体の業務のバランスや戦力配置に目を配り、間接業務から直接業務や戦略的業務にシフトできるように、またそれぞれの業務においてもルーティン業務から創造的な業務にウェートが移るように、職務の設定を行い、戦力の配分を行ってい必要がある。

教職員の働く姿の中で最も強く印象に残るのは入試業務である。特に厳冬の路上に立ち受験生を誘導する職員の姿は大学ならではの光景であり、これらの地道な仕事によって大学が支えられていることを毎年実感する。

派手さや新しさはないが強い責任意識をもって着実に実行される業務と、教育研究や経営の質を高めるための創造的・挑戦的業務の両方が相俟って、大学の生産性が高められなければならない。(おわり)

2010年12月4日土曜日

大学業務の生産性をいかにして高めるか (3)

組織の編成と運営


構成員個々の職務遂行の次に考えるべきは組織の編成と運営のあり方である。その中で本稿において特に強調しておきたいことは、「組織編成原理」、「教員と職員の関係」、「本部・部局・個々の教員の関係」である。

【組織編成原理】

最近はあまり話題にならないが、日本と米国ではどちらの生産性が高いかという議論が経営学者や企業の実務家の間で盛んであったことがある。客観的なデータをもっていずれかの優位性を説明することは容易ではないが、経験的に見て日米両国の組織編成原理には次のような違いがあると考えている。

つまり、日本の多くの組織は部・課という部門単位で機能を設定し、部門単位で活動することが多い。部や課に位置づけられた機能も大まかなものであり、部長・課長や組織内の構成員個々の権限が明記されることは少ない。それに対して、米国の場合は個々の職位(Position)ごとに責任・権限が明確であり、それが職務記述書(Job description)に明記されている。職位ごとに「report to ~」と報告すべき相手が定まっており、これらの職位を線で結んだものが組織になっているのである。どちらが優れているかは一概に言えないが、日本型は部長・課長のマネジメント能力次第で当該組織の成果や構成員の能力伸長に大きな差が生じる可能性がある。

大学の事務組織にあてはめた場合、教員が部長を務め、職員がその指揮下に入る体制や、従来の職員観の中でキャリアアップしてきた部課長の下に、優秀な若手職員が位置づけられるシステムの中で、アドミニストレーターと呼ばれる人材をどう育てるかは難しい課題である。

職員個々の能力・力量に応じて責任・権限と報告すべき相手を明確に位置づけ、関係者と連携・協力しながら自律的に職務を遂行する新たな組織編成のあり方を検討する時期がきているように思われる。

【教員と職員の関係】

これまでも述べてきたように、教員と職員を二分した身分制的要素の残る組織体制や人材配置・育成システムから、これからの大学に必要な業務を最も効果的に遂行し得る機能本位の仕組みに変えていかなければならない。

教育の企画と質の保証、キャリア支援、競争的資金獲得、産学連携と知的財産、国際連携と留学生交流、広報戦略などの業務は多くの大学において重要な戦略課題になっているであろう。それぞれに高度な知識と能力が求められ、情熱を持ってこれらの仕事に専念できる人材の配置が必要になる。

そのためには、教員、職員、外部人材などから幅広く適材を求めなければならない。ただ、外部人材の登用は人件費増にもつながるため、職務遂行能力を有した教員を専任配置するか、職員を育成して配置するかのいずれかの方法が中心にならざるを得ない。これらの職位は教員の職位でも職員の職位でもなく、高度な職務を遂行するために必要な責任と権限を付与された機能本位の職位である。
大学教員という職種は今後も残るが、大学職員というカテゴリーは次第に希薄化し、機能ごとにDirector、Manager、Coordinatorなどのタイトルを持った人材が大学の戦略課題を遂行するような体制にシフトしていかなければならないと考えている。真のプロフェッショナル集団が形成された時に、生産性は画期的に高まるはずである。

【本部・部局・個々の教員の関係】

大学運営において生産性の観点から最も改善が必要と考えられているのは、会議運営をはじめとする意思決定に関わる業務ではなかろうか。部局は自らの研究環境を守るために本部に様々な要求を行い、本部はその調整に時間と労力を費やす。同様のことは部局内においても見られ、部局執行部が個々の教員の利害調整に時間と神経を使う。全学や部局内の会議では、後々問題が起きないように些細なことまで付議・報告され、少数意見を主張する教員のために会議が長時間化することもある。
学長・部局長等によるトップダウンと教授会自治に基づくボトムアップを調和させた新たな運営システムの構築が不可欠である。詳細については別の機会で述べることにするが、国立大学を例にとると、学長権限事項、教育研究評議会付議事項、部局長権限事項、部局教授会付議事項などを、国立大学法人法や学校教育法の趣旨に基づき整理し直して、権限基準表や付議・報告基準表等の形で明確化する必要がある。惰性で評議会や教授会の付議事項としているものも少なくないはずである。

また、会議を効率化・実質化するための運営方法を議事運営責任者が身につけられるように研修やハンドブック作成等の措置を講じる必要もある。(つづく)

2010年12月3日金曜日

大学業務の生産性をいかにして高めるか (2)

構成員個々の職務遂行


最も基本となる要素は構成員個々の職務遂行である。組織で仕事をするといっても構成員がそれぞれの役割分担に応じて職務を遂行するその総体が組織の仕事であり、業務の生産性は何よりも構成員個々の職務遂行のあり方に大きく依存しているのである。

構成員個々の職務遂行の成果を最大限に高めるためには何が必要であろうか。動機付け(Motivation)、権限付与(Empowerment)、方向付け(Direction)、行動基準(Principle)、能力・力量(Competence)の5つの要素が特に重要であると考える。

以下、それぞれについてそのポイントを述べる。

【動機付け(Motivation)】

構成員に対する動機付け(Motivation)が全ての出発点である。教育を最大の使命とする大学という組織において、教員や職員のMotivationに対する配慮が思いのほか欠けていることに強い危惧を抱いている。

自己の興味・関心に基づき研究を進めている教員のMotivationに、組織としてどれだけ気を配る必要があるのかについて明確な説明はできないが、個々の教員との対話や若手教員グループとの議論の後に、大学運営に関する問題意識を共有できたという実感を得ることも少なくない。組織への帰属意識が乏しい面があったとしても、教員も一人の構成員である。問題意識を共有し、組織運営に参加しているという実感を持つことによりMotivationが高まるという側面を大学はより重視すべきである。

職員については、近年急速に大学職員の役割の重要性が認識され、それに相応しい処遇もなされるようになってきたが、全体としてみればトップマネジメントや教員の職務に対する補完的な役割に止まり、周囲も職員自身もその認識から脱却できていないように思われる。国立大学においては特にそれが顕著である。教員と職員という身分制の要素を色濃く残す体制を、構成員一人ひとりの職責を明確にした運営体制に転換した上で、これまでとは異なる新たな職員像を確立する必要がある。職員のMotivationを高めるためにはそれがベースとなる。

【権限付与(Empowerment)】

大学職員の仕事を観察すると、課長クラスでも自身の責任と権限で物事を判断・処理するケースが極めて少ないことに気付く。教員組織の長か職員組織の上位者に決定を委ねるだけの起案者か伝達者である期間が長期にわたると、自分で新たな課題に挑戦し、リスクをとることを避ける傾向が強まる。そのことが大学組織の活性度を著しく低いものにしているのである。

国立大学の場合、生え抜き職員の課長登用がようやく進み始めたが、近年大学職員に採用される人材の多くはどのような職場でも活躍できるだけの十分な資質を有している。30歳代後半に課長や支店長に登用し、自分の責任で社外と交渉させる企業と同じように、同年代の職員を海外の大学に出向かせ一人で国際交流協定の交渉をさせるくらいにまで権限の付与を行わないと、大学の真の国際化などは画餅に終わるであろう。

【方向付け(Direction)、行動基準(Principle)】

最も生産性の高い理想的な姿は、個別の指示・監督の必要もなく、個々の構成員が自律的に的確な判断・行動、必要な連携・協力を行いながら、組織目的が達成される状態である。

そのためには、大学全体や構成員が所属する組織がどちらの方向に進もうとしているのかが明らかであり、それが構成員に十分に理解されていることと、判断・行動にあたっての原理・原則や重視すべき価値観などが共有されている必要がある。

教育研究現場や事務組織で仕事の処理や問題の解決に時間がかかったり、混乱をきたしたりすることがあるが、大学の方針に関する解釈の違いや何を優先すべきかの判断基準が明確でないことが、それらの原因であることが少なくない。

全ての構成員が理解できる形で方向付けがなされ、判断・行動の基準が明確であれば、それぞれの現場で遅滞や混乱なく業務が進行するはずである。

【能力・力量(Competence)】

能力・力量については、先天的な資質を含めて採用段階で見極められるはずであるから、組織の中で如何にその伸長を図るかが重要になる。その基本はOJT(On the Job Training)であり、それを補完する形で研修(Off the Job Training)を加えるべきである。

OJTにおいて重要なことは、これまで述べてきた4つの要素が十分に考慮されていること、自らの能力・力量の限界に挑戦するような課題が与えられること、適切な助言者が配置されていることである。

また、あくまでも補完的なものにとどまるが、大学の場合、育成すべき教員像や職員像を明らかにした上で、合目的的な研修体系を確立すべきである。部局長や専攻長などの役職に就いた教員に対するマネジメント研修のようなものも不可欠であろう。それにより、教員組織の運営の改善・効率化が進む可能性は大いにある。

業務の生産性という観点から、OJTや研修で身につける必要があるのは、具体的な問題を解く場合の発想法や手順、解決策を提案する場合の文書の作成方法、議論や説明の仕方などである。運営の円滑化や下位者への動機付けのためにコミュニケーションの重要性を理解し、その方法論を学ぶことも重要である。

また、判断力を訓練する必要もある。日々直面する問題は、瞬時または短時間に決断を下せるものか、どれだけ時間をかけても十分な結論を得られないもののいずれかである。そのどちらであるかを見極め、前者についてはその場で判断して問題を先送りしないこと、後者については期限を区切って判断をする習慣をつけることである。「検討してみる」や「考えておく」では、自身の仕事の在庫を増やし、業務のスピードを低下させるだけである。(つづく)

2010年12月2日木曜日

大学業務の生産性をいかにして高めるか (1)

国立大学の法人化以降、各大学は様々な創意工夫を通じて、多くの業務改革に取り組んできています。

そもそも、国立大学法人の業務とはどういったものなのでしょうか。国立大学法人法には次のように書かれています。

(業務の範囲等)
第22条  国立大学法人は、次の業務を行う。
  1. 国立大学を設置し、これを運営すること。
  2. 学生に対し、修学、進路選択及び心身の健康等に関する相談その他の援助を行うこと。
  3. 当該国立大学法人以外の者から委託を受け、又はこれと共同して行う研究の実施その他の当該国立大学法人以外の者との連携による教育研究活動を行うこと。
  4. 公開講座の開設その他の学生以外の者に対する学習の機会を提供すること。
  5. 当該国立大学における研究の成果を普及し、及びその活用を促進すること。
  6. 当該国立大学における技術に関する研究の成果の活用を促進する事業であって政令で定めるものを実施する者に出資すること。
  7. 前各号の業務に附帯する業務を行うこと。

それでは、国立大学法人はこれまでどのような業務改革に取り組んできたのでしょうか。
主な業務改革については、国立大学法人評価委員会が毎年度取りまとめている「国立大学法人・大学共同利用機関法人の改革推進状況」という資料に具体的に整理されてあります。

平成21年度の取組状況はこちらです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/houkoku/1298893.htm

こうした業務改革の取り組みは、今後とも継続し更なる改革を推進していかなければなりません。そのために大学人はどのようなことを自覚していく必要があるのでしょうか。

筑波大学理事・副学長・大学院ビジネス科学研究科教授の吉武博通さんが書かれた論考「大学業務の生産性をいかにして高めるか」(リクルート・カレッジマネジメント 145 Jul.-Aug.2007)が多くの示唆を与えてくれます。数回に分けてご紹介します。

大学業務における「生産性」の意味


業務の生産性を如何にして高めるかというテーマは、企業、官公庁、教育機関などあらゆる組織において常に問われ続けていくべきものである。

民間企業部門における業務の生産性は、国内外における競争の激化と顧客・投資家からの厳しい要求などを背景に飛躍的に高まっている。従業員に実質的な負担増を強いている面もあり、その真の成果については十分に見極める必要があるが、企業の取り組みに比べて官公庁や教育機関などが大きく立ち遅れていることは明らかであろう。

大学、とりわけ国立大学における業務については、教学・経営の両面において抜本的な改善が必要であり、全構成員が強い危機意識と緊張感を持って生産性向上に向けた取り組みを展開する必要がある。

公立大学や私立大学の場合、国立大学に比べると危機感も強く、より大きな努力や工夫が図られていると理解している。しかしながら、大学ごとに置かれている状況も異なり、取り組みに差があるであろうし、教学・経営の両面で大学業務全体を改めて見直せば、多くの大学で改善すべき点が少なくないことに気づくのではなかろうか。

経済の世界で用いられている生産性指標を大学にそのまま持ち込むことはできないが、教員や職員という大学における最も重要な生産要素を投入して、どれだけの質と量の教育研究成果を産み出したかという発想で、大学業務の生産性を考え、その向上に取り組むことは大いに意味のあることである。分母を教職員数、分子を教育研究成果とする分数の発想である。

その場合、分数の値を大きくするために、教職員数を減らすことに関心が向きがちになるが、そのことで我が国の大学が問われている本質的な問題の解決が図られるものではない。18歳人口の減少という量の問題への対処はもちろん必要であるが、それ以上に重要なのは教育研究の質であり、それを支える経営の質である。

国公私立を問わず多くの大学において教学と経営の両面で様々な取り組みが行われ、大学もその実態を変貌させつつある。しかしながら、トップマネジメントや教職員の意識構造、教育研究の本質的な部分、組織運営などにおいて、本来変革されるべき部分がどれほどに変わってきたのか、国際的な視野で教育研究や経営の質を評価した場合に十分な水準にあるといえるのかといった問いに、自信をもって答えられるだけの変革が行われてきたとは言い難い。

本稿においては、教育研究の質とその基盤である経営の質を画期的に向上させるために大学業務の生産性を如何に高めるかという問題意識に基づいて論を進めることにする。

業務の生産性という場合、会議や稟議などの意思決定のあり方、情報技術(IT)の利用、アウトソーシングといった目に見える部分に関心が向きがちであるが、問題を深く掘り下げて、業務の基盤となるべき構造的要素の見直しを行わない限り、根本的な解決にならない。

業務の生産性の基底をなすその構造的要素とは、「構成員個々の職務遂行」、「組織の編成と運営」、「職務の設定と戦力の配分」の3つである。(つづく)

2010年12月1日水曜日

夢に向かって走り続ける

先日、ある大学で建築家安藤忠雄氏の講義を聴く機会に恵まれた。立ち見と通路まで座席となる超満員の盛況であった。「夢に向かって走り続ける」と題し学生・若者にエールを送る内容であったが若者のみならず会場を埋めた多くの聴衆が何かしらの力をいただいた気がしている。氏を世に知らしめた「住吉の長屋」に始まり、数々の作品を作り上げる過程で行政機関や施主とのさまざまな折衝エピソード等を交えた軽妙な語りに会場は沸き惹き込まれた。

氏の作品には通常の設計者が避けて通るような行政機関への不屈の説得と調整によって実現にこぎつけた作品が多いことを知らされ、納得するとともにそのエネルギーに改めて恐れ入った。世界的に著名になってからではない時代の作品での行動であったことに驚いたのである。

自分のため、日本のために「夢に向かって走り続ける」若者が一人でも多く育ってほしいとの熱気に最後まで溢れていた。近年、若者の引きこもり内向きが指摘されているが、この講義を聞いていて若者だけはなく様々な場に現役で働く世代にも共通に求められる言葉として響いた。

現在、官民にかかわらず既存のたて組織・システム・業務所掌にとらわれていては最良の解にたどりつかない課題がほとんどである。にも拘らず従前のフレームの中で課題を処理しようとするところに大変な限界を発生させていると映る。

縦の発想から横の発想への転換が特に成熟した組織には必要な時を迎えている。

組織の枠や垣根を越えた柔軟な発想と行動ができ組織を牽引できる人材をいかに確保してゆくかが官民ともに求められているし、その動きにブレーキをかける雰囲気があってはならないのだと強く感じる。

この原稿を書いている最中に安藤忠雄氏の文化勲章受賞の報が飛び込んできた。受賞はゴールラインではなくスタートラインと発言されていた。「夢に向かって走り続けること」「夢を持ち続ける限りいつでも青春」「外から日本を眺めること」大学での講義は、これからの時代を背負う若者世代に向けられた講義であり発せられた言葉であったが、その土壌を造ってきた責任世代であり、現在もその土壌というシステムを造っているわれわれ世代も、又元気なリタイアメント世代にとっても大切な言葉であると自省させられる。(2010年11月8日 文教ニュース 第2111号 文教ニュース社)


さて、この日記に先月(11月1日~30日)アクセスいただいた11,405件のうち、アクセス件数の多かった順(google Analyticsによる)に、5つほどご紹介させていただきます。
  1. 会計検査院の決算検査報告にみる国立大学法人の課題 (2010年11月15日)
  2. 再事業仕分けの功罪 (2010年11月20日)
  3. どうなる国立大学予算 (2010年11月2日)
  4. 政策コンテスト「公開ヒアリング」が本日から始動 (2010年11月10日)
  5. いよいよ「政策コンテスト」が山場を迎えます (2010年11月9日)

2010年11月23日火曜日

自尊心を高める

もしあなたが同僚や友人から軽視されているのだとしたら、それは運が悪いからだろうか。そんなことはない。運のせいではなくて、あなたの中に原因があるのだ。まず、自分の人生のパターンを検証してみよう。たとえば、現在だけではなく、過去にもいくつかの状況において、周囲の人たちから評価されていないとか、軽視されているとか感じたことがあるかもしれない。ひとつの状況を何度も繰り返して経験するなら、それは運が悪いからではない。自分にふさわしいと心の中で思っている状況を引き寄せているだけである。それは自分の自尊心のレベルを反映している。

ここでいう自尊心とは、おごり高ぶりのことではなく、自分を大切にする気持ちのことだ。自尊心を高めれば、それまでと違う人たちを引き寄せることができる。それらの人たちはあなたを尊敬し、親切に接してくれるはずだ。ここで、自尊心を高める方法を三つ紹介しよう。

  1. 自分をけなさない。「私にはできない」「私はダメな人間だ」と自分に対してネガティブなことを言っているかぎり、自尊心を高めることはできない。

  2. ほめ言葉を拒絶しない。人にほめてもらったとき「いいえ、とんでもない」と答えたことはないだろうか。ほめ言葉を拒絶するとき、あなたは自分が賞賛に値しない人間であると自分に言い聞かせているようなものだ。人にほめてもらったときは、素直に「ありがとう」と言えばいい。

  3. 自分を支えてくれる人とつきあう。そういう人はあなたの長所を見つけてくれるから、あなたが自分の長所に目覚め、それを伸ばすきっかけになるはずだ。

ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年11月20日土曜日

再事業仕分けの功罪

先日、行政刷新会議による事業仕分け第三弾が終わりました。

特に後半(11月15日(月)~18日(木)の4日間)で行われた仕分けは、これまでの事業仕分けや国丸ごと仕分け(行政事業レビュー)の対象となった事業についての”再仕分け”と言われるもので、文部科学省(大学)関係のいくつかの事業が対象になりました。

文部科学省(大学)関係の事業については、11月18日(木曜日)に実施され、ネット中継も行われましたので、職場のパソコンからのぞき見た方々もおられたのではないでしょうか。

再仕分けの評価結果については、様々な意見が飛び交っていますが、事業仕分けの意義と、我が国の高等教育の発展・充実に資する政策を天秤にかけ、あるべき姿を追求することは大変難しいことです。

しかし、これまでの政権下ではなかったこのような透明性の高い行政レビューが、国民の目の前で行われるようになったこと自体は高い評価を得ているのではないかと思います。

事業仕分けの行く末については、行政刷新会議においても総括されることになると思いますが、せっかくですので、国民に対しても意見を求めてはいかがでしょうか。

再仕分けの対象となった大学関係事業

  • グローバルCOEプログラム
  • 博士課程教育リーディングプログラム
  • 大学教育質向上推進事業(大学教育・学生支援推進事業)
  • 大学生の就業力育成支援事業
  • 地域・社会の求める人材を養成する大学等連携事業(大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム)
  • 国際化拠点整備事業
  • 大学の世界展開力強化事業

事業仕分け第三弾(大学関係)の詳細と評価結果の詳細
http://www.shiwake.go.jp/details/2010-11-18.html#A-26


関連報道

13大学、国際化事業の拡充訴え 再仕分けに反発 (2010年11月16日 日本経済新聞)

大学の国際化を推進する文部科学省の国際化拠点整備事業(グローバル30)に採択されている13大学が16日、東京都内で記者会見し、行政刷新会議の再仕分けの対象になっている同事業について「これ以上の削減は国際社会の信用を失う」として拡充強化を訴えた。
会見したのは、東京大、京都大、東北大、早稲田大、慶応義塾大など国立7校、私立6校の副学長ら。「縮減は信義に反し、国の未来に反し、政府の利益に反する」(阿川尚之慶応義塾常任理事)などと再仕分けに反発した。
グローバル30は、英語による授業の充実などで海外からの留学生を多数受け入れたり、戦略的な国際連携を推進したりする事業で2009年度に始まった。30大学を採択する予定だったが、13大学の採択で止まっており、昨年の仕分けを受けて今年度予算額は3割減の30億円になっている。
http://www.nikkei.com/life/news/article/g=96958A9C93819695E3E4E2E1988DE3E4E3E3E0E2E3E29180EAE2E2E2;da=96958A88889DE2E0E3EAEAE7E6E2E0E3E3E0E0E2E2EBE2E2E2E2E2E2

公営ギャンブル、天下り廃止を=再仕分け最終日-刷新会議(2010年11月18日 時事通信)

政府の行政刷新会議(議長・菅直人首相)は18日、過去の事業仕分けの結果を検証する「再仕分け」の4日目の作業を行い、10月下旬の特別会計の見直しを含めた仕分け第3弾の全日程を終えた。・・・文部科学省の大学関係予算では、仕分け人から「予算の重点化が図られていない」といった厳しい意見が続出。就職相談体制の強化を後押しする「大学教育質向上推進事業」などが廃止と決まった。個性的な大学院を支援する「グローバルCOEプログラム」に対しては、1割以上の予算縮減を要請した。・・・
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010111800611&m=rss

事業仕分け結果の詳報(2010年11月18日 共同通信)

【競争的資金(同)】各府省の研究関連事業の調整などを目的とする科学技術振興調整費(要求額281億円)に質問が集中。必要に応じて文科省から各府省の予算に移し替えられるのが特徴だが、ここ数年の実績はわずかで、仕分け人は「歴史的使命を終えたのでは」と指摘。継続事業の終了後に廃止と判定した。ほかの競争的資金も「似たような制度を集約するよう昨年求めたが、改善が不十分」として、全体として1割程度の予算縮減とさらなる集約を求めた。
【大学関係事業その1(同)】大学院の研究拠点を支援するグローバルCOEプログラム(264億円)は「予算の3分の1削減を求めた過去の議論が反映されていない」と仕分け人が反発、確実な実施を求めた。政府の新成長戦略に基づき新規要求した、優れた人材を輩出する大学院の構築を目指す博士課程教育リーディングプログラム(51億円)は、COEプログラムの衣替えで、大学が取り組むべき改革の内容が不明確として「見直し」と判定した。
【大学関係事業その2(同)】(1)実践的な専門教育による就業能力向上(29億円)(2)今後の成長分野に対応した教育カリキュラム開発など(72億円)(3)地域に根差した雇用に直結した人材養成(37億円)―を主な目的とする3事業はいずれも廃止と判定された。就業能力向上には「大学の通常予算で行うべきだ」との指摘や、財政力のある大学も支援対象となることへの批判が出た。成長分野対応も「旧態依然のカリキュラムを変える効果があるのか」と疑問視された。
【大学関係事業その3(同)】英語で学位が取れるコースの設置を進める国際化拠点整備事業(35億円)と、米中韓の大学と単位互換を促す世界展開力強化事業(30億円)について、仕分け人は事業目的を認めつつも「コストが極端に高い」「将来的なビジョンが見えない」などと指摘し、ともに予算配分などを白紙から見直すべきだと判定した。・・・
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010111801001025.html

高木文科相 仕分け人廃止判定「不満を持っている」(2010年11月19日 スポニチ)

高木義明文部科学相は19日の閣議後会見で、行政刷新会議の「再仕分け」で大学生の就業能力向上を目指す同省の事業が廃止と判定されたことについて「不満を持っている。新卒者の就職問題は極めて大きな社会問題。今後、首相官邸と十分に協議し、充実させたい」と述べた。
仕分け人から「大学の本来業務なので通常の予算を使って実施すべきだ」などの意見が出たことに、高木文科相は「本来業務ということでくくるべきものではない。大学も苦しい中でやりくりして頑張っている」と強調。
今後の仕分けの在り方に関し「さまざまな意見があり、議論しないといけない」と語った。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20101119029.html

30学会会長らが抗議声明=再仕分けで「国家基盤崩壊」(2010年11月19日 時事通信)

日本化学会や日本物理学会など30学会(会員数計約39万人)の会長らは19日、政府の行政刷新会議の再事業仕分け結果に抗議し、高度な人材育成と科学技術予算の強化を求める連名の声明を発表した。・・・
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010111901024&m=rss

2010年11月19日金曜日

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)

前々回、前回に続き、「沖縄戦体験記第21号『連行された逃亡兵』」(平成21年3月発行、宮城恒彦著)から、「第三話 幻影の兵士(内間弘子の証言)-米軍上陸」を抜粋してご紹介します。

米軍上陸

二十六日の朝になりました。やっと艦砲の音も消え、飛行機の姿も見えなくなっていました。空襲や砲撃はもう終わったのだと、弘子たちの壕の人たちはほっとしていました。

しかし、その頃、残してきた祖父母の隠れている壕の入り口では「皆サン、出テキナサイ。心配シナイデ。大丈夫デス」と、誰かが日本語で呼びかけています。あの声は朝鮮軍夫の話し方だ、日本は戦争に勝ったんだと、祖父は早合点してしまい、声のする方へ急いで進んで行きました。すると、そこには、青い目をしたアメリカ兵が銃を向けて数名立っていたのです。祖父は突然の出会いに頭は白くなり、呆然と立ってしまいました。日本語で話していたのは二世の通訳でした。「家族は他に居ないか」と聞かれたので、丘の中腹の壕に隠れている弘子たちのところへ案内してきたのです。

弘子たちの壕の辺りが静かになったと思ったら、入り口で、「出テキナサイ。大丈夫デス」「カマオン。デテコイ デテコイ」と二人の声がします。一人の言葉には、なまりが強く、間いたことがない抑揚です。

丘の中腹なのに、どうして此処が分かったんだろうと、声のする方を見たら、脚の長いアメリカ兵の股の間から、すまなそうな顔をして立っている小さくなった祖父の姿が見えたのです。

アメリカ兵に銃を向けられたので、壕の中の人たちは一斉に手を挙げてぞろぞろ這い出ていきました。銃を構えた米兵たちは、腰の周りに手榴弾や拳銃、そして、水筒みたいなものなどをぶら下げています。そして、何を食べているのか、やたらに口を動かして「パチ、パチ」音を立てています。馬鹿に体が大きく見えました。殺されるのだと、みんな震えていました。

ところが、弘子の家族(父・姉・弘子)を残して他の者たちは数名の兵士に誘導されながらその場から連れていかれたのです。「私たちだけを残してどういうわけだろう。ここで銃殺されるんだろうか」と、まだ体の振るえが止まりません。

しかし、弘子の家族は村人の隠れている壕を回って、降伏を呼びかける役目をさせられたのです。三人といっても、弘子と姉の敦子は父の後について行っただけでしたが。父の傍には通訳と一人の米兵がついていました。先になって歩いていた彼らが山陰に隠れた時、父は「お母さんも本島で死んでいるはずだから、私たちも死のうなあ」と弘子と姉を振り返って話しかけてきたのです。母は長姉のお産後の手伝いのために嘉手納にいましたが、その頃にはすでに羽地に避難していたのです。

「死」という言葉を聞いた瞬間、弘子は「私は死なない」と叫びながら、来た畦道を駆けて戻っていきました。そして、芋畑の中に伏せ、芋づるをぎゅっと握って、がたがた震えていました。どうしていいかわからなくなってしまいました。

しかし、間もなくして「弘子、もういいよ、死なないよ。大丈夫だよ。来なさい」と父が真剣な口調で繰り返して呼びかけてきたのです。しかし、弘子はすぐには行動に移せませんでした。しばらくしてから、ゆっくり、おそる、おそる、戻っていきました。

見ると、父を前にした二世の手に手榴弾があったのです。おそらく、忠魂碑の後ろで怪我して死んだ日本兵から父に渡されたものを取り上げたのでしょう。

その後、壕に隠れている村人たちを説得して回りました。「仲宮平ヌ 太郎エシガ 大丈夫エクトゥ 出ティクーワ」と、呼びかけました。

すると、道を挟んで向こうに広がる田んぼの畦を色鮮やかな着物を着た三人の女性たちが米兵に先導されて歩いていく姿を弘子は見たのです。確かめたら、ミヤー(金武)家の朝子の家族でした。どうして、こんな時にこんな格好して居るのか、不思議でした。

道すがら、芋畑の中に着物を着た村の男の人が死んでいて、松の枝でまばらに覆われて横たわっていました。初めて戦争で死んだ人を見た弘子は神経が高ぶってきました。

一つの壕に入り口にやってきました。弘子の父は、壕の中を覗いて「ハンマヨー アンシ ムヌサルムノー」(何んてことをしでかしたんだ)と絶叫しました。後ろについていた米兵たちも、展開されている惨状を見て「オー マイ ガッド」と、言ったきり、言葉が続きませんでした。ある家族の集団自決の場面を目撃したのです。二人の女性が首から血を出して苦しんで倒れています。一人の男の子はすでに息絶えていました。自分も首から血を流して、亡霊のように立ちすくんでいる父親の手には血のついた剃刀が握られていました。
                                                        
一足遅かった、と弘子の父は嘆きました。それでも、気を取り直して壕を捜しまわり、降伏の説得を続けたのです。

村の知人が呼びかけているので、安心したのか、あちこちの壕から避難していた人たちが続々と出てきたのです。その中を大柄な米兵が一人の小母さんを背負ってくるところに出会いました。ぐったりと背にもたれている彼女の喉の辺りに目をやりました。すると、そこには五、六センチにも見えた三日月形の赤い傷口がばっかり開いていたのです。そして、苦しい息をするたびに血に染まった泡が噴き出して米兵の肩に飛び散ります。小学校一年生の弘子には耐えられない情景で
した。見た瞬間、その場にすくんで動けなくなってしまいました。悪夢を見ているようで、気が遠くなりました。

弘子を抱いて歩いていた一人の米兵が彼女の気づけ薬にもなるからとの配慮からか、チョコレートを食べさせようとして、差し出しました。たちまち、近くにいた姉が「駄目よ、弘子 毒が入っているよ」と叫んだのです。すると、米兵は割ったチョコレートの半分を自分で食べながら、「オーケー・  オーケー」 を繰り返し、「なんでもないよ」と示しました。ところが、姉は「残りの半分に毒が入ってるんだよ。食べてはいけない」と、まだ疑って、強い口調で制止しました。

収容されたのは村役場でした。弘子の家族が行く頃には五十名ほどの人たちが役場に捕虜として収容されていました。弘子は米兵から箱に入れられた菓子をもらいました。腹はすいているので、手を出そうとしたが、姉のあの厳しい忠告が浮かんできて、口にできませんでした。そこへ、先に捕虜になって菓子の味を覚えた数名の餓鬼どもが飛んできて、かっさらい、瞬く間に箱はからになっていました。

弘子たちが丘の中腹の壕へ移動した後、自分たちの壕には祖父母だけが残ってしまいましたが、二十六日(米軍上陸)の朝、壕の入り口で「出て来い」と米兵が呼んでいるのを仲間の声と勘違いして出て行った祖父はすぐに保護されました。一人だけ壕の奥一で布団を被っていた祖母はそれを知らず置き去りにされていたのです。

三日経っても、誰も祖母を迎えに来ません。水と黒糖でどうにか、飢えはしのげたが、辺りがあまりにも静かなので、不安になりました。それで、不自由な足を引きずりながら、壕の入り口まで這っていきました。日は暮れかかっています。幸いに近くを一人の村の男性が通りかかりました。

「エーエーッ、仲宮平ヌ オバーエシガ タシキティ クレー」と大声を出しながら手招きしました。近寄ってきた男性に背負われて収容所となっていた役場まで連れて行かれました。家族の顔を見た
オバーは「イッターヒャー 親不幸者チャー ムノー ウマーン ワン一人 フンナギティ」とかんかんに怒っています。その時、父親は不在でした。オジーと弘子姉妹は下を向いてオバーの小言を聞くだけでした。

家族の者は、捕虜されても殺されるものと思っていたので、オバーのことは、すっかり忘れ、頭にはなかったのです。


関連過去記事

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Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (1)(2010年11月16日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (2)(2010年11月17日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)(2010年11月18日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)(2010年11月19日)


2010年11月18日木曜日

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)

前回に続き、「沖縄戦体験記第21号『連行された逃亡兵』」(平成21年3月発行、宮城恒彦著)から、「第二話 這って逃げた2000メートル(宮平輝重の証言)-尺取り虫のように」を抜粋してご紹介します。

尺取虫のように

右足は麻痺していて動きません。自由になる両手で体を少し持ち上げて、左足で押し出すようにし、両肘を杖にして土を掻いて少しずつ進みます。十メートルばかり進んでは休み、また、這っていきます。あまり喉が乾き、腹が減っているので、近くに咲いていたカボチャの花を摘んで口に入れました。しかし、上歯がないので噛むことができず、花は血に染まって麻痺した口の中に詰まったままです。

近くの山野では小銃や機関銃の音がしきりに響いています。米兵たちに追われているようで、気はあせりますが、カタツムリよりのろい歩みです。

山の麓に差し掛かった時、小川をはさんで左の段々畑に作られた茅葺の小屋を見つけました。そこで一休みしようと入っていきました。中には寝具類が無造作におかれていて、人影は見えません。

布団の上に横になり、一息ついてから茅の壁を両手で掻き分けて覗き、外の様子を確かめました。すると、小川の向こうには柱だけが燃え残った茅葺の小屋があり、まだ、くすぶっています。その中に黒焦げになった子供や婦人の死体が丸たんばうのように重なって見えます。集団自決したんだな、と呆然と見つめていました。何の感慨もわきません。自分の怪我の痛みに耐えかねていたのです。すると、その焼け焦げた小屋の中で黒い影が動くのです。しばらくすると、からだ全体が焼けただれて、亡霊のような姿をした人間が立ち上がってふらふらしながらこちらに近づいてくるのです。確かめたら、男性のようです。これで、彼が助けてくれるかもしれない。と思い、輝重は茅の隙間から顔を出して「フォーイ ホーイ ウーイ」と、唇がやられているので、言葉にならない叫びが出てくるのです。気づいたのか、よろめきながらやってきたのは、知り合いのM男でした。

打ち殺した家族を小屋に投げ込んで火をつけ、自分もその中に入り、家族とともに自決しようとしたが、小屋が燃え尽きても、自分だけは生き残っていたのです。M男は自決を図る前にネコイラズ(野鼠対峙の毒物)を服したらしく、錯乱状態でまるで炎熱地獄をさまよっている亡者のようでした。それでも、茶碗に入れた泥水を輝重に飲ませることはできました。喉の渇きは少し収まってきましたが、二人とも話し合うこともなく、互いに地獄の中をさ迷い、一睡もできず、一晩中、苦しみもだえていたのです。

夜が明けました。何やら声がするので、輝重が茅の壁の隙間から覗いて見ると、麓の方から二人の米兵が銃を構えながら上がってきます。そして、輝重たちが隠れている小屋に近づいてきたのです。今度こそ殺されると、覚悟しました。布団に隠れようとしたら、その傍に白い縄を見つけました。とっさにそれを首に二、三回、急いで巻きつけ、力を抜いてだらりとし、目を閉じました。しばらくすると、数ミリセンチ開けた目に、銃口を向けて入ってくる武装兵の足元が映り、足音が近づいてきます。目を閉じました。上から見下ろしている気配を感じます。息も止めました。心臓が「ドキン ドキン」とたたきます。米兵は何かをかんでいるようで「パチン パチッ」とする音が続いています。

倒れている男は口も裂け、足にも大怪我をしていて出血しています。さらに、息も止まっているので、首をくくって死んだと思ったのでしょう、二、三度足蹴りして一言、二言、意味の分からない言葉を残して二人の兵士は出て行きました。しかし、そこに呆然と立っていたM男は連行されていきました。

また、アメリカーがやってきたら、二度とあのような死んだまねはできないと輝重は思い、その小屋を這い出て行きました。アメリカーたちは川沿いに進攻してくるであろうと、考え、丘の斜面を逃げていくことにしました。

右足は麻痺して動きません。自由になる両手を使って移動を開始しました。十メートル進んでは休み、また、力を振り絞って両肘を立て、左足で土を蹴るようにして前進しました。下半身を引きずっているので、次第にズボンに亀裂が入り、肌に長い擦り傷が生じます。右足にも新しい擦り傷ができて、血が流れているが、痛みは感じません。百メートルも行かないうちに息切れがして動けなくなってしまいました。

近くの山々では機関銃や小銃の音が続いています。座間味の集落内を走っているトラックやジープのエンジンの音が木霊します。アメリカーたちが近づいてくるのではないかとの、恐怖に襲われて気はあせります。しかし、体はいうことをききません。

ふと、顔をあげました。前方に茅葺の小屋が見えます。其処に誰かが避難しているはずだ、助けてもらえるかもしれない、それでなくても、休ませてもらえるだろう、と、途絶えそうになっていた気力を振り絞って尺取虫のように這い上がっていきました。

辿り着きました。辺りは森閑と、しています。入り口の薄の観音開きの戸をゆっくりあげました。しかし、こちらの気配に動く人影も見えません。小屋の暗さに慣れてきて、中の様子がわかりました。七人の黒い人影が並んで寝ているのです。おかしい、と感じ、目を頭のほうに移すと、顔はタオルやハンカチでおおわれているのです。苦しみ、もだえた様子もなく、全員死んでいたのです。

その 一瞬、口や足の痛みも忘れるばかりに驚き、茅の戸は開けたまま、引き返しました。その小屋で死んでいた人達の黒い人影に追われているような恐怖に襲われながら山肌を斜めにすべり落ちていきました。

その後、どこをどう通ったのか、朦朧とした頭に記憶はありません。日は暮れていました。目指す阿真ウフガーラはもう近いが、力を尽きたので、、今晩はここで泊まるうと、松の根元に横になりました。月の薄い光が木の間から漏れてきます。まだ、あちこちに機銃や小銃の音が聞こえています。家族はどうしただろう、ミヤーの次郎オジーは捕虜されたが、今ごろは殺されているかもしれない、オバーたちにも会っていない、壕から連れ出されたのだろうか、といろいろなことが頭の中を駆け巡って傷の痛みも重なって一睡もできませんでした。



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Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)(2010年11月18日)
Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)(2010年11月19日)


2010年11月17日水曜日

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (2)

座間味島での滞在中、ある居酒屋を訪れ食事をしていると、店のご主人らしいおじさんが気安く声をかけてきました。

最初は、家族で楽しく食事をしているのに失礼で変な人だなあと思いましたが、話の内容はいたってまじめで、沖縄戦における座間味島民の戦争体験に関することでした。いわゆる”語り部”と言われる方だったのです。

戦後六十数年が経過し、戦争体験者は高齢化し亡くなり数少なくなっていく。そんな中、戦争体験者の話を自分の耳で聴き、それを広く後世に伝えていくことは決して容易なことではありませんが、とても大切なことです。

彼は、観光で座間味島を訪れた人たちに、沖縄戦や集団自決の悲惨さを伝えている人でした。


語り部の自称「パパイヤ光太郎」さん



パパイヤ光太郎さんが発信しているブログ
http://zamami.blog97.fc2.com/


店を出る際、パパイヤ光太郎さんから、宮城恒彦さんという方が書かれた「沖縄戦体験記第21号『連行された逃亡兵』」(平成21年3月発行)という冊子をいただきました。

この冊子は、座間味島出身の元中学教師の宮城さんが、島のお年寄りを訪ね歩いて戦争体験を聞き書きして出版しているものでした。


(関連記事)集団自決の島の戦争体験を記録 座間味島出身の宮城恒彦さんが20冊目を発刊(2008年7月29日 janjan)

「3月がやって来ると、母親はいつも「アー、アー」と声を出して、嘆き悲しんでいた。3女を座間味島で亡くしたことが悔やまれて仕方なかったのでしょう。その母親の無念さを書き残そうと思ったのが記録を始めたきっかけです」。そう語る宮城恒彦さん(74)は座間味島の出身で、このほど20冊目の戦争体験記『機関銃の弾が出ない』を出版した。・・・
http://www.news.janjan.jp/column/0807/0807280127/1.php


この冊子、読んでみると当時の様子がリアルに表現され、あまりの凄惨な状況に心が張り裂けそうになることもありました。印象に残った次の部分について抜粋してご紹介します。

第一話 連行された逃亡兵(仲本盛義の証言)から「逃亡兵」「その後の逃亡兵は」「白旗掲げて」
第二話 這って逃げた2000メートル(宮平輝重の証言)から「尺取り虫のように」
第三話 幻影の兵士(内間弘子の証言)から「米軍上陸」


逃亡兵


移動してきたニタガーラは川幅も広く、平坦な場所もあり、窮屈だったウフガーラにくらべると居心地はよかったのです。しかし、流れる水は少なかったが、処々に水たまりがあって不自由はしませんでした。わずかな米に大量の水を入れて炊いた「おかゆ」 が一日一度だけ食事として与えられました。米は阿真のウチ(糸嶺家)の屋敷内にあるお宮に保管されていた日本軍の米を命がけで取ってきたと、運んできた人たちが話していました。野営して居る米兵たちのテントの間を撃たれる覚悟で急いで帰ったとも話していました。米兵たちは民間人と知って見逃したのではないでしょうか。

その頃から毎日のようにトンボ機(軽飛行機)が上空を旋回しながら数百枚の白い紙をまいていきます。焼け跡の黒い山肌を数百の白い蝶のように乱舞していました。近くに落ちた一枚を拾ってみました。そこには次のような日本語の文章が記されていたのです。

「米軍は住民には危害を加えない、殺さない、安心して山を降りてきなさい」との宣伝ビラでした。「捕虜にしてから殺すつもりだ」と、その文面を信用する者はいませんでした。

四月の初旬のある日、二人の日本兵がやってきました。年のころ、二十歳はとうに過ぎたかと思われる兵士でした。不安そうで、落ち着きもなく、逃亡兵とすぐ分かりました。「敵前逃亡は捕まったら処刑」のことは承知しているはずだが、覚悟の上の行動だったかもしれません。戦意を失った兵士にはもう気力もなく、ただ怯えているばかりでした。敵兵も怖いが、日本兵に見つかったら、銃殺は免れない、さらに、民間人に密告されるかもしれない、そんな心境であったのでしょう。二人は味方の兵に見つからないうちに一日でも早く投降したいと、阿真の人たちに救いを求めて来たのかも知りません。

阿真の避難民は優しく彼らを扱いました。風呂敷包みの中から数少ないフクター(ぼろ服)を取り出して軍服と着替えさせました。そして、寝るときは隠すように年寄りの間に挟みました。戦地に行っている我が子のことを思い出して熱心に世話する女性もいました。明日をも知れない自分の命なのに、子の身を思う親心には時や場所は関係ありませんでした。子どもながらも盛義の心にしみるものがありました。

その頃から、避難民の心境に変化があらわれてきました。食料も底をつき、限界に来ていました。宣伝ビラの内容にも動かされるようになり、また、すぐ近くにある自分たちの村が収容所になっており、米軍の優しい対応の情報も伝わってきたのです。ビラに書かれていた「米兵たちは捕虜を殺さない」という文言は本当かも知れないと思うようになりました。しかし、投降を決定的にしたのは、早く捕虜になった同じ集落のアガイ家の爺さんのスピーカーからの方言での呼びかけでした。

「阿真の皆さん、早く山を降りてきてください。ここには、慶留間さんも、知念さんも、阿真のどこそこに居ます」とマイクで放送してきたのです。それでも、応ずることはしませんでしたが、とうとう、そのアガイ家の爺さんは山までやって来て、収容所の様子を詳しく説明したので、みんな納得しました。

それでも、不安は残ったので、ウフヤ家のおじいさんが中心になって投降についての会議を開くことになりました。そして、「ワッターガ ンムン クミン オホーク ツクティ ウサギーク トゥ ドーリン ヌチ ビカーノ タシキテイ クミソーリ」(私たちがイモや米もたくさん作って差し上げますから、どうか、命だけは助けてください)と、投降した後、アメリカーにお願いしようと言うのが結論でした。「山を降りよう、命が大切だ、奴隷になってもかまわない」との言葉に逆らう者はいませんでした。

盛義はほっとしました。「助かった」と思いました。集団自決が始まれば自分の意志では逃げられない子どもだったのです。かくまっていた二人の日本兵も共に助かるかも知れない。日本兵を世話していたおばさんたちの顔にも安堵の色が見えました。兵隊たちも、村人たちの投降の話で「後しばらく」 の我慢だと、元気づいたように見える顔に色がさしてきました。

しかし、運命の神はそこへ悪魔を使わせたのです。突然、避難所に捜索兵らしい日本兵の二人が現れました。

「兵隊は居ないか」と、厳しいロ調で辺りを見回しました。みんなうつむいてしまい、顔をあげる者はいませんでした。しかし、逃亡兵はすぐに見つけられました。民間人の着物を着ていても、姿かたちから、そして、震えている兵隊を発見するのに時間は掛からなかったのです。

二人はまるで死人のような真っ青な顔をして、唇がブルブル震えていました。「これは処刑される」と盛義には感じられました。周りの人たちに気使ってか、捜索兵たちは荒々しい振る舞いはしなかったが、厳しい目つきで、時々、腰のピストルに手を触れたりしていました。その雰囲気に呑まれて周りの人たちにはどうすることもできませんでした。

捜索兵に伴われて二人の逃亡兵は刑場へ連行される人のようにとばとばと歩いていきました。藪に隠れる後ろ姿に死相が漂っていました。


その後の逃亡兵は

後日談になるが、戦後になって二人の兵隊の死体が阿佐村の裏海岸(チシ)の浜辺で発見されました。死んでから日が経つているので、夏の太陽に干された死体はスルメのように干からびて黒茶けていました。生き残って帰還した兵隊の砂川勝美氏『座間味戦回想日誌』に「四月初旬チシ海岸の砂浜で兵二名が住民の食料を奪取し、敵前逃亡を企てたとして処刑された。二人は大学出の召集兵だったとのこと。」の記録が残っています。この二人は阿真の避難民の中から連行されていった兵隊だったかも知れません。召集兵とは国の命令(赤紙一枚)で軍隊に入った兵隊。自ら進んで兵隊になった者は志願兵といいました。

また、日本軍の本部つきの伝令員だった富平敏勝さんは、部隊が解散するまで、軍と行動を共にしていました。彼は次のように語っています。

日本軍がチシの丘陵に陣を構えていたある日、A・B、二人の逃亡兵が連行されてきました。銃殺されるだろうとの話が出ており、また、許してもいいのに、との声も兵隊仲間の中にささやかれていました。

午後の三時項、Aという逃亡兵を挟んで、先頭に軍曹が、後尾には小銃を担いだ二人の兵がついて、チシの海岸に通じる獣道を一列になって黙々と進んでいきます。丘を降りるとすぐ其処は砂浜になっています。不思議なことに、その時間には艦砲の音や襲撃の様子もなく、辺りは静かでした。本部につめていた兵隊たちは、これから起こる悲劇をただ見守るだけでした。しばらくして、「バーン」と一発の銃声がチシ海岸のほうから聞こえてきました。声を出す者はいません。遠くに潮騒が聞こえるばかりです。

その後、敏勝さんの傍にいたもう一人のBという逃亡兵は、死の旅への身支度を始めています。気持ちを静めるように、ゆっくり、丁寧に時間をかけて脚絆を巻いています。時々、手を休めて、松林の枝の隙間から空を見上げています。心の中で故郷に別れを告げているのか、悲壮な面持ちでした。彼に声かけする者も居ません。しばらくすると、Aを処刑した一隊が重い足取りで帰ってきました。その一団をBは眼鏡越しにじっと見つめていました。何を思っていたのでしょうが。間もなく、数名の兵に伴われてBは獣道をチシの海岸へと降りていきました。

翌朝になって敏勝さんは兵隊が処刑された場所を一人で見に行きました。二人の死体は頭を海に向けて仰向けに倒れていました。顔は血混じりの砂にまぶされていて確認できないほど崩れていました。弾は頭を貫通したようです。一日置いて、また見に行きました。驚いたことに二人の軍服は剥ぎ取られ、靴もなかったのです。肌着だけでした。

それから二、三日たって、一人の兵が敏勝さんに「宮平君、これを君にやろう」と言って、一本の脚絆が渡されました。脚絆とは幅九センチ、長さニメートル四十センチのラシャまたは厚手の布に一メートル五十センチくらいの紐をつけたもので、ズボンの上から両膝下に巻きつけるものです。伝令員には軍服の支給はなかったので、脚絆があると、行動しやすいし、さらに、温かいので、喜んでもらいました。足首から巻き始めて最後の所に来たら、文字が記されているのに気がつきました。そこには「小澤」と記名されていました。処刑された一人の兵のものと分かりました。

戦後六十数年過ぎた平成二十年のある日、チシの海岸で海亀の卵を掘っていた小野さんという島の人が二体の遺骨を砂浜の中から発見したのです。それで、当時の処刑現場を目撃している敏勝さんに現場検証してもらったところ、「その場所に間違いない」という証言を得ています。頭蓋骨の発見はできませんでした。射殺されて割れた頭蓋骨は六十有余年の歳月が溶かしてしまったのでしょう。敏勝さんがもらった脚絆の主の小澤さんは埼玉県出身と分かっているが、あと一体は「田村」か「村田」か名前が確認できないようです。


白旗掲げて

昭和二十年も四月の半ばになり、避難生活も二十日を過ぎていました。ウフヤの爺さんの提案で山を降りることになったが、「捕虜は殺さない」という情報がまだ信じられず、村人たちは実行するのにずいぶんためらいがありました。

そんな中でも、山を降りる準備は着々と進められていました。しかし、一番の心配ごとは若い女性たちがアメリカーに暴行されはしないかということでした。それで、女性たちは顔に泥を塗ったり、襤褸をまとったり、または、男装したりして、女性には見えないような工夫をしました。降参の目印の「白旗」も苦心して作りました。身近に白い布なんてありません。白かったシャツなども長い避難生活で汚れて黒くなってしまいました。それで、飛行機からまかれたビラの紙を山中から集めてきて、ご飯粒をつぶして糊にしてつなぎ合わせました。

いよいよ山を降りる日がきました。手持ちの食料も完全に無くなっていました。日本軍は住民の食料を奪い、それに逆らうと殺されるという噂が流れたことが投降を急がせたのです。午前十時ごろ、一列になった阿真の避難民はニタガーラ山を下ってニタ道に出ました。女、子どもを挟むように前と後ろに男がつくという隊形になって。

ウフヤの爺さんが持つ白旗を先頭にして、田んぼが広がる道の途中までやってきました。アメリカーに見つけられるのではないかと、ひやひやしながら歩いていると、突然、大声や笑い声、そして、指笛が聞こえてきたのです。声のする方に目をやると、ヒラマチ山の北側の小高い丘に米軍の陣地ができており、兵隊たちが、投降していく盛義たちのほうを見下ろして眺めています。上半身の肌は陽に焼けて赤鬼に見えます。戦前、学校で見た紙芝居に出ていたアメリカーそっくりです。遠いので、角は見えませんでした。紙芝居の話は本当だったんだと盛義は怖くなってきました。

あの米兵たちが降りてきたら大変だ、殺される。びくびくしながら歩きました。大人たちは「見てはいけない。声も出すな」と幾度となく注意します。しかし、盛義は怖いもの見たさで、そーっと顔を山の方へ向けたりしました。

ようやく村の入りロに着きました。そこは福木並木に囲まれた路地でした。アメリカーに遭わずにすんだとほっとしました。ところが、目の前に深緑色をした車がありました。見たことのない珍しい乗り物だ、と思っていたら、その陰から三人の米兵が出てきたのです。初めてみる米兵です。山の上のアメリカーとは色が違う。軍服を着ているので、赤い肌は見えない。上官らしい背の高い兵はサバニをひひっくりかえしたような帽子を頭に載せています。他の二人はヘルメットをかぶっていました。異様な匂いを放っていました。そのうちの背の低い日本人らしい兵が片言の日本語を話しています。盛義が何よりも見たかったのは米兵の頭にある角だったが、帽子やヘルメットで隠しているのか、見えませんでした。

日本人顔した兵の指示で一列に並びました。一人の米兵が先頭のウフヤの爺さんの背中に白い粉を噴きかけました。いよいよ毒ガスをまいて殺されると、後に並んだ人たちは震えました。その様子を察知した兵が「シラミ コロス」と一言いったので、消毒するんだと分かって安心しました。それがDDTと分かったのは後になってのことだったのです。

消毒がすんだ後、米兵たちは箱の中から細長い茶色の菓子らしいものと四角い黄色い薄い板状のものを子供たちに差し出しました。すると、すかさず「ドゥクヌ イッチョウクトゥ カマンキヨ」と大人が即座に制しました。その意味が分かったのだろう。兵隊は折った半分を自分の口に入れ、大丈夫だよと、にこやかに自らかんで見せました。

それでも、親たちは「あの残っている部分に毒が入っているんだ」とあくまでも信用しなかったのです。それがチョコレートとビスケットという菓子であることを後で知りました。

その後、盛義たちは自分の家に着いたが、すでに避難民に占拠されて入れる隙間もなく、彼の家族は親戚の家に身を寄せることになりました。そして、苦しい、惨めな、戦後の生活が始まりました。しかし、すべて無の暮らしだったが、みんなの心には何かしら爽快な気分が漂っていました。

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2010年11月16日火曜日

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (1)

2010年の沖縄旅行記も最終章となりました。今回から数回に分けて「沖縄戦における集団自決」についてご紹介し旅行記を締めくくりたいと思います。

平和の塔

座間味島は、太平洋戦争時の沖縄戦において、米軍の沖縄上陸第一歩の地となった島です。沖縄攻防戦の防波堤であった慶良間列島は、海空から激しい爆撃を受け、悲惨な戦場となりました。

座間味島では、その時に亡くなられた集団自決者を含む島民や兵隊1220名が「平和の塔」にまつられ、沖縄本島にある「平和の碑」と同じように全ての戦没者の名前が碑に刻まれています。


平和の塔入口



案内板には「平和の塔:1945年3月22日、米軍は沖縄攻防戦の防波堤であった慶良間諸島を海空から攻撃し、同年26日、沖縄戦の第一歩となる上陸が行われたのが本村です。当時、最も惨酷悲惨だった集団自決者402名を含め、軍民合わせて1220柱の英霊を慰める平和祈願の塔です。」と書かれてありました。

くねくねした階段を登っていきます




座間味集落を見下ろす場所に建てられた石碑には、
”ふるさとの山河に散りしみ霊(たま)らの
語れぬ無念(おもい)永久(とわ)に忘れじ”
と刻んであります



眼下に広がる座間味集落と港




平和の塔












平和を誓う座間味村慰霊祭の様子




出典:沖縄・慶良間諸島のシーカヤックガイド・さのっちの 島で遊ぶログ

集団自決の碑

「農業組合の壕」の跡地に建つ「59名集団自決の地」と書かれた碑



案内板には、「集団自決の地:1045年(昭和20年)3月26日昼近く、村の首脳部(村長、助役、収入役他役場職員)とその家族合わせて59名が入った産業組合の豪にて、集団自決が行われ全員が亡くなくなられました。当時沖縄県民は明治以来、教育を通して言葉や生活習慣等を身につけるよう努力してきて、昭和期に入ってからはそれが加速度的に国家からの押しつけとして強要されました。その反動として米英への異常なまでの憎悪と、それに付随する恐怖心を深く植えつけられました。「集団自決」は、まさに国家がおしつけてきた歴史の総決算だったといわねばならないかもしれません。亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り致します。」と書かれてありました。


集団自決を知る文献等

▼沖縄戦での住民集団死・集団自決と捕虜処刑(出典:鳥飼行博研究室)
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kerama.html

▼母の遺したもの-沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言(宮城晴美著)

▼”集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~(NHKクローズアップ現代 2007年6月21日(木)放送)(出典:原爆と戦争責任)
http://blog.goo.ne.jp/stanley10n/e/312f9ae10b5a50e5f3407e06d0eb56a8

▼「誰も沖縄を知らない」(森口豁著)(抄)

「集団自決」は村幹部の命令だった-座間味島 

親が愛する子らに手をかけ、子が親を絞め殺す。死にそびれた者は自らののど元をカミソリで切り裂き、後を追う・・・。

これは沖縄戦のさなかに各地で相ついだ住民たちの集団「自決」の様子である。米軍上陸で恐怖におののいた住民らが暗い壕の中で身を寄せ合い、カミソリや丸太棒などを用いてたがいに殺し合った。座間味島の「自決」者総数は、当時の人口の4人に1人にあたる135人。犠牲者の数は渡嘉敷島の「自決」に次いで県下で2番目である。その中には、わずか12歳以下の幼少年が23人も含まれていた。

その凶行の原因を座間味の人々は「島に駐屯していた日本軍の命令」と語り継いできた。現に座間味島の目と鼻の先の渡嘉敷島では、日本軍守備隊長の命令で329人もの住民が命を絶っていた。だから座間味島のそれを「軍の命令」と言いつづけても不自然ではなかった。

しかし、地獄の淵をはい上がって生き延びた一人の女の「娘への遺言」が、半世紀つづいた”島の伝説”をくつがえした。遺言にこだわりつづけた娘が、母の死から10年の歳月を経て自決の真相をおおやけにしたのである。「軍命」のままにしておきさえずれば地域に波風が立つことはない。なのに、彼女はなぜそれを明らかにしたのか。そこにいたるまでには、母と子それぞれの心の葛藤があった。

母の遺言

「そっとしておいたほうがいいことってありますよね、おたがいにとって。まして「集団自決」のような事柄は人々に及ぼす影響が大きすぎます。被害者も加害者も好むと好まざるとにかかわらず、この小さな島の中で隣り合って生きていかねばならないんですから・・・」

野鳥のさえずりと梢にそよぐ風の音しか聞こえてこない静かな座間味島。時間がとまってしまったようなのどかな島のなかで、宮城晴美さんは語り始めた。島で惨劇がくり広げられたあの若夏の季節がめぐり来ていた。

宮城さんは1949年3月、座間味島で生まれた。戦争を知らない団塊の世代だ。その宮城さんも沖縄の多くの人々と同じように、「座間味の集団自決は軍の命令」と信じ込んできた。だから母・初枝さんが口にした「真実」は意外だった。

「集団自決は日本軍の隊長が命じたというのは真実ではないのよ」

娘を前に初枝さんがこう切り出したのは1977年3月26日、死者たちの33年忌法要をすませたその夜であった。宮城さんにとって初めて聞く話だった。母は戦争当時24歳。村役場の職員で、「自決の真相」を知りうる立場にある。だからその告白には迫力があった。

それ以降、宮城さんは仕事の合間をぬっては ”母の遺言”の裏付け調査をつづけた。生存者たちを訪ね歩き、その重いロを開かせるのに何年もかかった。そんな中からなんともやりきれない事実が浮かび上がってきた。集団自決は、なんと当時の村の幹部たちの指示で起きていたのだった。

村民の命を守るべき村長ら村の幹部が、なぜ住民に死を強いるようなどとをしたのか-。

悲劇の引き金は役場職員がふれまわった伝令であった。1945年3月25日夜、激しい艦砲射撃で島のあちこちから火の手が上がっていた。

「住民はいますぐに忠魂碑前に集まれっ!」

これを合図に、屋敷内や防空壕に身をかくしていた人たちが、集落後方の社の中にそびえ立つ忠魂碑をめざし家族や親戚共々かけつけた。しかし、砲弾が飛び交う中、そんな所にとどまってはいられない。家に引きかえず人、山中にとってかえず人・・・。あちこちで「自決」が起きたのはその直後であった。

「私がこれまでに会った生存者は、だれ一人として「自決せよ」とか「玉砕しろ」という命令は聞いていないと言うんです。なのになぜ死に急いだのか。「忠魂碑」という言葉を聞いたからなんです。これは軍の命令だと・・・。忠魂碑が果たしていた役割を考えるとそれはごく自然なことなんです」

宮城さんは、いまも当時そのままに姿をとどめる忠魂碑を見つめながらこう言った。碑の台座には米軍の艦砲弾が直撃したときにえぐられた痕跡がくっきりと残っている。

自分に手向けた野の花

いまこそ国に命を捧げるときがきた-。

そう信じた人々は、村を取り巻く山あいの木立ちや防空壕の中でつぎつぎと命を絶った。自決には猫いらず、ナタ、カマ、カミソリの刃、丸太棒、荒縄、ロープなどさまざまな物が使われた。ロープは木の枝から身体を吊るすのに用いられた。日本軍から手に入れた手榴弾や銃剣で死んだ者もいれば、幼い子の腕をつかんで振りまわし、岩にたたきつけて死なせた父親もいた。

犠牲者の年齢は生後2ヵ月の赤児から80歳代の老人まで。祖父母を含め一家13人が全滅した家族もある。妻や子を殺した末、自分一人の力では自害できず、死にそびれた父親もいる。

宮城さんの母・初枝さんの場合は、2歳年下の妹ら女子青年団仲間4人いっしょに手榴弾で自殺を図った。しかし代わるがわる何度岩にたたきつけても手榴弾は破裂しなかった。幸いなことに彼女たちが持っていたのはその一発だけだった。

そのとき青年団員として初枝さんと行動を共にした大城澄江さん(当時24歳)に会うことができた。現在島にいる2人の「自決」体験者のうちの一人だ。もう80歳になるというのに彼女はまだ畑仕事をしていた。縁側に腰を降ろした大城さんは当時のもようをこう話す。

「うちら4人は軍の飯炊きや弾運び、食糧運びをしていたんですよ。砲弾が次々飛んでくるんで、松の木の後ろにかくれてよけたりしながらね。熊本の江口さんと言ったかね、山の中で会ったその日本兵は「自分は今から斬り込みに行く」というていましたよ。そして「敵が上陸したらひどい殺され方をするから、これを敵に投げつけ、あんたたちは生き抜きなさい」いうて、手榴弾をくれたんです。でもその弾でうちらは死ぬことにしたんです」

空にはおぼろ月が浮かび、浜に打ち寄せる波の音にまじって米兵の声も聞こえた。沖は無数の軍艦でびっしり。辺りには日本兵の死体がごろごろ転がり、夜だというのに時折カワガラスの鳴き声が聞こえた。そんな中で4人は身を寄せ合い「君が代」を歌って皇居の方角に向かい遥拝した。そして一本のツツジの花を、いままさに死のうとしている自分たちの枕元に立て、手榴弾の栓を食いちぎって岩に叩きつけた。

「うちらも聞きましたよ、防空壕の所に伝令が来て、忠魂碑前にすぐ集まるようにって・・・。ああ、いよいよ死ぬんだなあ、という気持ちになりましたよ。島のだれもがそう思ったんです。もう死ぬことだけを考えていましたよ、あのときは」

「忠魂碑」と母の苦悩

座間味島の人々を狂気に走らせた忠魂碑が島に建ったのは1941年7月。アジア・太平洋戦争が始まる直前のことである。その前年は神武天皇による「建国2600年」の節目の年であった。国をあげて大がかりな奉祝行事がおこなわれる中、沖縄県下でも日清の日露戦争の死者を合祀した神社・招魂社が沖縄県護国神社に昇格、国家への忠誠心を揺るぎないものにするための動きが進んでいた。

それは離島など僻遠の地に住む人々の心理状態に多大な影響を与えた。座間味島の忠魂碑は、満州事変などで死んだ4人の名を刻むだけのものだったが、島中で募金運動が展開され、出来上がった碑には帝国在郷軍入会会長で元陸軍大将・井上幾太郎の揮毫した題字や、天皇のために命を捧げることを惜しまないと歌った「海ゆかば」の歌詞まできざまれた。

以降、島では日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した12月8日を記念して、毎月8日に役場や学校の職員と全住民が忠魂碑前に集まり、「君が代」を歌って皇居を遥拝するまでになった。島に日本軍が配属された翌年の45年1月からは兵士も加わり「戦陣訓」がたたき込まれた。生きて虜囚の辱めを受けず・・・と。

宮城晴美さんは言う。

「その場所に集まれというのだから、住民は「自決」と結びつけざるを得なかった。ましてあの時代は、敵に捕まれば男は八つ裂きにされ、女は強姦される、と聞かされていたんですから・・・。

じつは、座間味島の集団自決を「日本軍の命令」と最初に公言したのは宮城初枝さんであった。1957年に厚生省がおこなった戦没者実態調査の際、初枝さんは村の長老から頼まれ「自決は隊長命令によるもの」と証言。追って62年4月、彼女が書いた戦時体験記が農家向け月刊誌『家の光』に戦った。この中で初枝さんは、村役場職員の伝令についてこう書いた。

「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」

体験記では断定的な表現は避けたつもりだった。しかし伝令役が村役場の職員、手記を書いた本人も役場に籍を置く女子青年団員として終始軍と行動を共にした当事者の一人だったことで、彼女の手記は一人歩きをはじめた。東京の出版社や新聞社が刊行した「沖縄戦秘録」や週刊誌、テレビなどがつぎつぎとこれを引用、沖縄県編纂の『沖縄県史』(戦争編)にも手記の全文が転載された。初枝さんの”貴重な体験”を本人の口から直接聞こうと、本土からやってくる人も後を絶たなかった。

だが、年がたつにつれ初枝さんの胸中には、それでよいのだろうかというわだかまりが募ることになった。その一つは、座間味島守備隊長の梅澤裕・元海軍大尉が存命中であることだった。「自決は軍の命令」とする自分の証言で一人の人間を社会的に葬ってしまってよいはずはない。生きているうちになんとかしなければ・・・という焦り。

もう一つは戦没者や遺族に対する国の援護法の問題であった。同じ戦争犠牲者でも「自決」(自らの意志と行為による死)では見舞金や遺族年金は支給されない。このため遺族らは身内の死を「軍令」と申告、年金などを受けている。その総額は村の税収の2倍に当たる年間1億円にも達していた。証言を覆すことで関係者に迷惑をかけては・・・。

初枝さんはこうした〈内〉と〈外〉の狭間で苦しみぬいたすえ、娘に真実を告白したのだった。

宮城晴美さんは言う。

「日本軍の命令、としておけば島の人同士傷つけあわなくて済みますし、外部の人々が理解しやすいことはたしかです。でもそれでは戦争の本質を覆いかくすことになると母は悩んでいました。私もそんな母の気持ちに共鳴していました」

宮城さんは母の言いつけ通り「真相」の再調査をおこない、それに歴史的背景を書きたして一冊の本として世に出した。『母が遺したもの-沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』(高文研)と題したその本が出版されたのは、母・初枝さんの10年目の命日にあたる2000年12月6日。さまざまな困難をおして真実を追求しつづけた母と娘の共作である。

今も残る”後遺症”

-で、あなたのしたことに関して、島の人々の反応はどうなんでしょうか。

忠魂碑がそびえ立つ社のデイゴの木の下で、私は宮城さんに問いかけた。

「きびしいものがありました。「そんなことを何でいまさら!」と怒る人、「年金の返却を求められたらどうする」と心配するお年寄りもいます。無言電話もかかってきましたし、「あんたをこの島に居れなくしてやる」と言われもしました」

宮城さんは淡々と話したが、その表情にはやはり苦渋の色が見えかくれしていた。小さな島の中に小石を投げれば、その波紋は予想を超えて広がる。現に彼女の本を「座間味島の恥さらし」と切って捨てる人もいるし、自分の父が家族に手をかけたことを知り、生きていけないと涙する人もいる。しかも島には、全国各地からやってくる多くの観光客やダイバーの落とすカネで生活している者が少なくない。そんな島にとって、このような”暗い話”はイメージダウンになりかねない。

-大変勇気のいる仕事でしたね。そこまでしてやり抜いたのは?

こう問うと、彼女は二つの理由をあげた。一つは戦争が市井の人々にもたらす不幸について。そしてもう一つは、国をあげて再び右傾化の道を進むいまの時代についてである。

「戦争って、単に敵と味方の殺し合いではないんです。住民を巻き込んでくり広げられた沖縄戦を学ぶとそのことがよく分かります。人間同士の利害関係や対立、そして傷つけ合い・・・。その後遺症は戦後50年以上もたったいまなお癒えていないんです。戦(いくさ)に勝ち負けはないなぁと思ううんですね」

「人間が一つの方向に向かって結束し、つき進んでいくことの恐ろしさもつくづく感じました。戦前戦中の日本がそうでした。集団自決ってとても象徴的だと思うんです。犠牲者の82パーセントが女や子供というのも戦争の本質を表していますね。いまの日本はあの時代にとてもよく似ていると思うんです。国民の大多数が軍事基地や自衛隊に無関心です。そのあいだにも自衛隊はどんどん力をつけている。とても怖いですね」

真実を公表する過程では宮城さんもジレンマに悩んだ。集団「自決」を村当局によるものとすることは、結果として日本軍を免罪することにならないかと。

住民の中には日本軍からスパイ容疑をかけられ、首をはねられた者もいる。その一方で、16、7歳の少年兵までが敵艦に体当たりして死んでいった。戦争のもつそうした両面も明らかにしようと宮城さんは千葉、静岡、長崎と生存元兵士を訪ね歩いた。

「書かないことには事実は明らかになりませんから・・・。日本がこんな時代になってしまったいまだからこそ、やらなければならないと思ったんです」

いま日本は国家の思想がストレートに市民に向けられるタテ型社会。教育現場に君が代・日の丸が強制され、現職首相は靖国神社への公式参拝を公言してはばからない。そのうえ、A級戦犯を合祀したその神社の国家護持さえ叫ばれる今日だ。しかも国民の多くはそれらのことに無頓着で、さしたる反応も示さない。そんなこの国の人々の頼りなさを宮城さんは憂えるのである。



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2010年11月15日月曜日

会計検査院の決算検査報告にみる国立大学法人の課題

去る11月5日、平成21年度の決算検査報告が会計検査院の西村正紀院長から菅総理に手交されました。

この決算検査報告には、平成21年度の歳入歳出決算、政府関係機関の収入支出決算等について、会計検査院が平成21年次中(21年10月~22年9月)に実施した会計検査の成果が収録されています。

会計検査院のホームページに掲載された資料から、国立大学法人及び関係独立行政法人に関する指摘事項等を抜粋してご紹介します。

それにしても、会計検査院の資料は一般国民にはなかなか読みづらく、ホームページでの掲載方法もなんどもクリックしなければ求める記事がでてこないなど、もう少し国民にわかりやすい情報提供に努められてはいかがでしょうか。

会計検査院の存在意義を国民に明確に示していくことはとても大切なことではないかと思いますが。

平成21年度決算検査報告の概要(抜粋)

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.jbaudit.go.jp/report/summary21/index.html



不当事項

▼独立行政法人日本学術振興会・科学研究費補助金の経理が不当
http://www.jbaudit.go.jp/report/summary21/pdf/fy21_futo_91.pdf


▼国立大学法人山口大学・研究用物品の購入に係る経理が不当

検査の結果、国立大学法人山口大学は、平成16年度から21年度までの間に大学院等に所属する15名の研究者から納品書、請求書等の提出を受けるなどして研究用物品の購入代金を業者に支払っていた。

しかし、この購入代金のうち126,743,002円については、実際には上記15名の研究者が、業者に架空の取引を指示して虚偽の納品書、請求書等を作成させ同大学に架空の取引に係る購入代金を支払わせていたものであり、その全額を業者に預けて別途に経理するなどしていた。

以上のように、事実と異なる会計経理を行い、代金を支払っている事態は、会計規則等に違反していて、126,743,002円が不当と認められる。



意見を表示し又は処置を要求した事項

▼国立大学法人における目的積立金の取扱いについて(文部科学大臣あて)

業務を効率的に行ったため費用が減少した結果発生したものと認められない利益が、所定の割合の学生が在籍しているなどの条件を満たしているとの理由から、経営努力により生じたものとして目的積立金として計上されている事態が見受けられた。また、その積み立てられた目的積立金は、積み立てる目的が詳細に定められておらず、取崩しに当たっても一般的、日常的な経費にも区別なく使用され、また、その使途についての情報が国民に開示されていない事態となっていた。

(1)目的積立金の計上について

会計実地検査を行った24国立大学法人のうち目的積立金を積み立てていない1国立大学法人を除く23国立大学法人において、見返りの資産として現金の裏付けがない額が目的積立金として計上されていたり、4国立大学法人において、最終消費者に代わって支払っていたにすぎない消費税の還付額や、予定されていた事業の計画が遅延したため、行うべき事業を実施できなかったことによって生じた当該事業の支出予算額と決算額との差額が、目的積立金として計上されていた。しかし、これらの利益は、外部要因により生じたものであり、国立大学法人の自主的な活動によって生じたとは認められない性格のものである。また、独立行政法人の場合、中期目標の期間に交付された運営費交付金が使用されずに生じた利益は目的積立金として計上されることはないが、国立大学法人の場合、個々の事業ごとに経営努力を説明することは求められずに、所定の割合の学生が在籍しているという条件等を満たせば目的積立金として計上することができることから、21国立大学法人において、運営費交付金に含まれている教職員の定員の人件費に着目した場合、行政改革の推進に基づいて削減されたことなどを考慮しても、交付された運営費交付金が使用されずに生じた利益が目的積立金として計上されることになる。

(2)目的積立金の使途について

文部科学省は「国立大学法人等の平成20事業年度財務諸表の概要」等において、目的積立金については年度を超えたプロジェクトなどに計画的に使用するなど、使用する目的が明確に定まっている資金であるとしている。しかし、86国立大学法人は、目的積立金を857億7113万余円取り崩しているが、目的積立金の使途を「教育・研究・診療の質の向上及び組織運営の改善に充当する」などとしているだけで、それ以上の具体的な使途や目的を定めたり、公表したりしておらず、目的積立金の使途について具体的な情報を国民に開示していない状況であった。

上記のような状況の中、目的積立金を積み立てていない1国立大学法人を除く85国立大学法人における目的積立金の使途をみると、目的積立金を積み立てる目的が明確でなく、目的積立金の使途が具体的に特定されていないことから、目的積立金を取り崩して得た資金は、消耗品費、修繕費、委託費、備品費、医薬品費等の法人運営上、毎事業年度、一般的、日常的に費消される費用(347億2084万余円、目的積立金取崩額の約40%)に充てられていて、年度を超えたプロジェクトなどに計画的に使用されたとは言い難い状況となっていた。また、部局に配分した支出予算額と決算額との差額を機械的に一律に当該部局に係る目的積立金として配分の上、後年度に使用している事態も見受けられた。

以上のように、国立大学法人においては、損益計算において生じた多額の利益の過半が目的積立金となっていて、利益を繰り越し、後年度における一般的、日常的に費消される費用に充てるための手段にもなっている状況にある。そして、このことは、独立行政法人において、経営努力の認定基準の明確化が図られていることと対比して考慮すると、無駄な支出を抑制し、法人の経営努力に対するインセンティブを与えるという目的積立金制度の趣旨に即していないと認められる。

本院が表示する意見

文部科学省において、目的積立金の取扱いが合理的なものとなるよう、次のとおり意見を表示する。

(ア)従前の各国立大学法人における目的積立金の計上や使途の実態を把握し、目的積立金の計上のために必要な法人の自主的な努力の成果の範囲を明確なものにするよう文部科学省通知を見直したり、目的積立金の望ましい使途について基準等を定めたり、目的積立金の承認に当たって審査を十分行ったりなどするとともに、その内容を各国立大学法人に周知・徹底すること

(イ)上記(ア)の内容を踏まえ、各国立大学法人に対して、目的積立金の計上や使途を目的積立金の制度の趣旨に沿ったものとするよう、目的積立金の詳細な使途や目的を定め、明確なものとするとともに、目的積立金の具体的な使途を財務諸表等に事業ごとに明示するなどして公表するよう指導等すること


▼科学研究費補助事業における研究成果報告書等の提出について(独立行政法人日本学術振興会理事長あて)


▼国立大学法人東北大学、国立大学法人東京学芸大学、国立大学法人東京芸術大学、国立大学法人琉球大学保有している土地・建物の処分及び有効活用について(4国立大学法人の学長あて)

本院は、90国立大学法人のうち31国立大学法人において、31国立大学法人が21年3月31日現在で保有している土地及び建物を対象として、会計実地検査を行った。

上記31国立大学法人のうち22年10月までに検査を完了した4国立大学法人(保有している土地(帳簿価額計3344億3116万余円)、建物(帳簿価額計1474億5689万余円))において、教育研究等の業務を確実に実施するために必要であるとして土地や建物を16年4月に国から承継してから5年を超えているのに、具体的な処分計画又は利用計画を策定しないまま有効に利用していない土地があるなどの適切でない事態が見受けられた。

(1)国から承継して保有している土地を利用していないもの

国から承継して保有している土地を利用していないものが、4国立大学法人において、計19件(敷地面積計346,859.0㎡、帳簿価額計100億5181万余円)見受けられた。

これらの事態を態様別にみると、1)国から校舎用地等を承継して保有しているものの、当該用地を売却するなどして処分したり、施設等を整備して有効に活用したりすることなく、雑木林地等のまま保有しているものが計15件(敷地面積計320,596.7㎡、帳簿価額計78億6331万余円)、2)国から承継した職員宿舎等を取り壊して更地としたものの、当該更地を売却するなどして処分したり、施設等を整備して有効に活用したりすることなく保有しているものが計4件(敷地面積計26,262.3㎡、帳簿価額計21億8850万余円)となっていた。

また、態様1)の事態のうち1件については、利用していない職員宿舎用地(敷地面積1,477.0㎡、帳簿価額6486万余円)が第三者によって駐車スペースとして不法に使用されていた。

(2)国から承継して保有している職員宿舎等を全く利用していなかったり、その利用が低調であったりしているもの

国から承継して保有している職員宿舎を、20事業年度までの3か年度以上にわたり全く利用していないものが、1国立大学法人において、計2件(建物:延べ面積計103.0㎡、帳簿価額計265万余円、土地:敷地面積計1,451.0㎡、帳簿価額計5994万余円)見受けられた。また、国から承継して保有している宿泊施設で、その利用が低調なものが、3国立大学法人において、計3件(建物:延べ面積計1,609.8㎡、帳簿価額計6060万余円、土地:敷地面積計18,551.8㎡、帳簿価額計3億4367万余円)見受けられた。

本院が要求する改善の処置

4国立大学法人において、前記の利用していない土地や建物等を今後も引き続き保有することについて合理的な理由が存在するか否かを検討して、当該土地等を保有することについて合理的な理由が存在しない場合には、当該土地等についての具体的な売却等の処分計画を策定し、合理的な理由が存在する場合には、具体的な当該土地等の利用計画を策定するなどして、当該資産の有効活用を図るよう改善の処置を要求する。



過年度の検査報告において意見を表示し又は処置を要求した事項の結果

独立行政法人日本学生支援機構学資金貸与事業における割賦金の回収及び返還期限猶予に関する指導に必要となる債務者の住所等の把握について(平成20年度決算検査報告掲記:36条 処置要求事項)
http://www.jbaudit.go.jp/report/summary21/pdf/fy21_zigo_57.pdf



特定検査対象に関する検査状況

▼独立行政法人及び国立大学法人における会計監査人の監査の状況について

独立行政法人等、関係省庁等又は監事においては、今回本院が行った検査の状況を踏まえ、次の点に留意することが必要である。

(ア)独立行政法人等において、会計監査人の候補者の選定に当たり、1)より多くの監査法人等に参加機会を与えるよう、会計基準の策定に関与した実績を考慮することなどを改めることにより、一部の監査法人が過度に有利とならないようにしたり、2)次年度以降を考慮した選定を行う場合には、監査法人等に対して次年度以降も原則として会計監査人の候補者とすることを明示して複数年度にわたる期間を通した監査を考慮した提案書を求めたりすることにより、選定の際の公正性及び透明性の確保を図る。

(イ)独立行政法人等において、会計監査契約の締結に当たって、1)監査報酬の支払時期を適切な時期に設定したり、2)会計監査人の独立性の確保及び監査の品質管理の観点から、監査責任者が一定の期間を超えて連続して指定されていないか確認したり、3)会計監査人において監査が十分かつ円滑に行われるよう財務諸表等や監査報告書の提出期限が設定され、監査日程が十分に確保されているかなどについて十分検討を行ったりして、会計監査契約の各項目を適切に設定する。また、二重責任の原則の観点から、財務諸表等の監査対象書類の会計監査人への提出に当たっては、法人内部のしかるべき機関決定を経た上で、監査日程が十分確保されるように行う。

(ウ)法規準拠性の観点からの監査や経済性及び効率性の視点からの監査については、報告された実績がなく、これらの監査が導入された趣旨にかんがみると、成果が十分に上がっているとは必ずしも言えない。独立行政法人等の公共的性格から求められているこれらの監査については、関係省庁、日本公認会計士協会等の関係各方面において、会計監査人監査の実態を踏まえた検討を行うことが求められる。

(エ)監事においては、財務諸表等の監査について、会計監査人監査とは別に監査を行い、意見を付するものではあるが、会計監査人との連携を一層充実させるとともに、株式会社の監査における会計監査人との関係にかんがみ、会計監査人監査の方法とその結果について十分に把握する。

本院としては、今後とも独立行政法人等の会計監査人監査の状況について引き続き注視していくこととする。


関連報道


山口大は1億2600万円が不当(2010年11月6日 中国新聞)

山口大の公的研究費をめぐる不正経理問題について、会計検査院は5日、菅直人首相に提出した検査報告で2004~09年度に計約1億2600万円の不当な支出があったと指摘した。・・・


会計検査報告-納税者の期待に応えよ(2010年11月9日 朝日新聞)

お粗末な経理処理や、昔ながらの流儀の漫然とした仕事が続いている。国のお金の使われ方を点検した会計検査院の2009年度の決算検査報告がまとまった。財政への危機感が広がり、無駄な支出や事業仕分けに国民の関心が集まる時代に、変わらぬ「官」の姿が今年も浮かび上がった。・・・

中央官庁に対応して担当の局や課を決め、縦割りで進める方式に限界はないか。予算執行の有効性や効率性に立ち入った検査を行うには何が必要か。そんな問題意識をもって自らを点検することが検査院に求められる。今の追い風を逃さず、職員の士気と技量を高めることに取り組んでもらいたい。

民間企業では厳格な決算や内部統制の確立は経営者の使命になっている。違反すると株主や社会から法的責任を含めて厳しい追及を受ける。会計監査にあたる者や機関の責務も重い。

政府と検査院も同じだ。いや、預かるのが税金であることを考えると、それ以上の緊張感をもってしかるべきだ。予算の適切な使い方を求める納税者の思いに応えなくてはならない。


会計検査院報告 無駄の発掘だけでは足りない(2010年11月10日 読売新聞)

危機的な財政状況の中で、活用されないまま眠る「埋蔵金」の存在が改めて浮かび上がった。会計検査院は、昨年度の決算検査報告書の中で986件、計1兆7904億円の無駄遣いを指摘した。このうち1兆2000億円は、独立行政法人の鉄道建設・運輸施設整備支援機構が抱える剰余金だった。塩漬けになっている資金を国庫へ返すよう、所管する国土交通省に求めたのは当然だ。こうした埋蔵金について、検査院はこれまでも指摘はしてきたが、国庫への返納までは求めなかった。政府が事業仕分けで埋蔵金に切り込んだこともあって、踏み込んだ対応をしたのだろう。一過性に終わらせてはならない。・・・

2010年11月10日水曜日

政策コンテスト「公開ヒアリング」が本日から始動

「元気な日本復活特別枠」要望に係る評価会議公開ヒアリングが本日から始まりました。公開ヒアリングは、「ニコニコ動画」を利用し、ライブ中継を視聴することが可能になっています。

ヒアリングのインターネット中継は、評価会議のホームページからアクセスできます。まずは、評価会議のトップページを開いてください。次に、トップページの MENU:要望ヒアリングについて をクリックします。「要望ヒアリング」のページが出てきますので、そのページ内に設定してある <ライブ中継>インターネット中継をご覧いただくには以下のバナーをクリックしてください。 の下にあるバナーをクリックします。そうすると、 ニコニコ動画 のページが開きますので、ログインするか、アカウントをお持ちでない方はアカウントの新規登録を行って先に進みます。

ちなみに、文部科学省ヒアリングは、本日18時15分から19時までの予定です。

各府省からの要望ヒアリングの実施概要(抜粋)

1 開催日時

平成22年11月10日(水)午後5時半~8時半
対象府省 総務省、文部科学省、農林水産省、外務省、警察庁

平成22年11月12日(金)午後5時半~8時半
対象府省 厚生労働省、経済産業省、国土交通省、防衛省

平成22年11月13日(土)午後2時~4時15分
対象府省 法務省、環境省、内閣官房・内閣府、財務省

2 開催場所 内閣府本府地下講堂

3 出席者
  • 玄葉光一郎国務大臣(評価会議担当大臣)
  • 仙谷由人内閣官房長官
  • 野田佳彦財務大臣
  • 古川元久内閣官房副長官
  • 福山哲郎内閣官房副長官
  • 平野達男内閣府副大臣(評価会議担当副大臣)
  • 櫻井充財務副大臣
  • 城島光力民主党政策調査会長代理
  • 亀井亜希子国民新党政務調査会長
  • 阿久津幸彦内閣府大臣政務官(評価会議担当大臣政務官)
  • 吉田泉財務大臣政務官
  • 一川保夫民主党政策調査会長代理
  • 山口壯民主党政策調査会筆頭副会長
  • 大串博志民主党政策調査会副会長
  • 高橋千秋民主党政策調査会副会長

関連報道

特別枠要望に厳しい指摘=公開ヒアリング開始-政策コンテスト(2010年11月10日 時事通信)

・・・「35人学級の実現」などを要望した文科省に対し、「継続事業をいったん切って再度要望した事業が多く、特別枠の趣旨にそぐわない」(平野達男内閣府副大臣)などの批判が出た。・・・
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2010111000741&m=rss

予算特別枠 給与要望 文科省など批判(2010年11月11日 東京新聞)

・・・教員の給与の一部を特別枠に回した文科省は、要望額が全体の約三割を占め「厳しい評価にならざるを得ない」と指摘を受けた。・・・
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010111102000035.html

予算特別枠で公開聴取、文科省要望に批判集中(2010年11月10日 日本経済新聞)

・・・批判が相次いだのは、教員給与や学校耐震化など既存の削りにくい予算の付け替えが目立つ文部科学省の要望。国民から募集した意見(パブリックコメント)の8割を同省の事業が占めるなど不自然な点もあり、要望に優先順位を付ける評価会議も問題視している。・・・
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E3E2E2E0E68DE3E2E3E3E0E2E3E29797E3E2E2E2;at=DGXZZO0195166008122009000000

2010年11月9日火曜日

いよいよ「政策コンテスト」が山場を迎えます

この日記を始めて今日で丸3年が経ちました。飽きっぽい性格ゆえ、途中何度か挫折しそうになったこともありましたが、読者の皆様のおかげてなんとか続けることができています。この場をお借りして心からお礼申し上げます。


さて、国民的(?)賑わいをみせた「元気な日本復活特別枠要望に関するパブリックコメント」の結果が首相官邸のホームページに公表されています。

今回のパブリックコメントには、総計で362,232件の応募があったようですが、そのうち、文部科学省関係の10件の要望事業に対しては、283,448件(78.3%)という非常に多くの応募があったようです。

文部科学省関係事業の内訳は、次のようになっています。(番号は全体順位)
  1. 「強い人材」育成のための大学の機能強化イニシアティブ (71,747件)
  2. 学習者の視点に立った総合的な学び支援及び「新しい公共」の担い手育成プログラム (55,033件)
  3. 小学校1・2年生における35人学級の実現 (41,722件)
  4. 成長を牽引する若手研究人材の総合育成・支援イニシアティブ (39,460件)
  5. 安全で質の高い学校施設の整備 (32,389件)
  6. 元気な日本復活!2大イノベーション (17,693件)
  7. 我が国の強み・特色を活かした日本発「人材・技術」の世界展開 (14,107件)
  8. 元気な日本スポーツ立国プロジェクト (5,619件)
  9. 未来を拓く学び・学校創造戦略 (3,130件)
  10. 文化芸術による元気な日本復活プラン (2,548件)
公表された資料は、各要望事業ごとに、提出意見数の分布はもとより、自由記述の意見を「良い点」「悪い点」などに分類するなど、わかりやすく整理されてあります。興味のある方はこちらをどうぞ。
http://seisakucontest.kantei.go.jp/article/

文部科学省関係の意見提出数が突出して多かったことについて、”組織票”と揶揄している報道もあるようですが、大切なことは、数ではなく中身であり、今後「評価会議」がどのような評価結果を生み出し、平成23年度予算をつくりあげていくかではないかと思います。

特別枠への予算配分に向けた「政策コンテスト」の公開ヒアリングが10日、12日、13日に予定されているようですし、今後どのようなプロセスにより、どのような事業に高い優先順位が付されていくのか注目していきたいと思います。


関連報道

文科省事業に国民の声8割集中 政策コンテストで組織票 (2010年11月4日 共同通信)

政府は4日、国民に開かれた形で2011年度予算を編成する「政策コンテスト」の一環で実施したパブリックコメントに国民から計約36万2千件の意見が寄せられたと発表。うち約8割が文部科学省関連の事業に集中した。・・・
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010110401000869.html

政策コンテスト:国民から意見36万件 公開ヒアリングへ (2010年11月5日 毎日新聞)

政府は4日、11年度予算の配分で各省が政策を競い合う「政策コンテスト」の実施に向けて、関係閣僚らによる「評価会議」の第2回会合を開催した。会議ではコンテスト対象事業に対して国民から36万2232件の意見が寄せられたことが報告され、10、12、13日の3日間の日程で各省から公開ヒアリングを実施することを決定した。・・・
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101105k0000m010070000c.html

10日から予算の政策コンテスト 特別枠要望に優先順位(2010年11月9日 共同通信)

政府は2011年度予算の特別枠への予算配分に向けた「政策コンテスト」の公開ヒアリングを10日、12日、13日の3日間の日程で行う。各府省庁は1兆円超の特別枠に対して、189事業(計2兆9千億円)を要望。ヒアリングは、これらの事業に4段階の優先順位をつけるのが目的で、各府省庁が特に重視する事業を選んでアピールする場になる。・・・
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010110901000606.html


関連過去記事

2010年11月8日月曜日

国立大学法人の業績評価結果が公表されました

去る11月5日(金曜日)、文部科学省の国立大学法人評価委員会は、国立大学法人の平成21年度に係る業務の実績に関する評価結果を公表しました。

国立大学法人では、法人化以降、中期目標・中期計画(6年間)に基づき作成した年度計画の達成状況について、毎年度、評価委員会による評価を受けています。

評価委員会は、「業務運営の改善・効率化」、「財務内容の改善」、「自己点検・評価及び情報提供」、「その他業務運営(施設設備の整備・活用、安全管理等)」の4項目について調査し、その結果を5段階で評価しています。

今回の評価結果は、第一期中期目標期間の最終年度である平成21年度に関するもので、評価委員会は、「各法人が、中期目標・中期計画の達成に向けて、基本的には順調に進捗している」との総括を行っています。

具体的な内容が文部科学省のホームページに掲載されてありますので、抜粋してご紹介します。

国立大学法人・大学共同利用機関法人の平成21年度に係る業務の実績に関する評価について(国立大学法人評価委員会委員長所見)

国立大学法人・大学共同利用機関法人の平成21年度に係る業務の実績に関する評価の概要(抜粋)

平成21年度は第1期中期目標期間の最終年度に当たり、それぞれの法人が、中期目標・中期計画の達成に向けて、基本的には順調に進捗している。

業務運営の状況では、それぞれの法人において、学長・機構長のリーダーシップの下、様々な改革がなされ、取組として定着してきており、平成21年度については、平成20年度と比較して、教職員の個人評価結果を給与等処遇へ反映している法人が大幅に増加している。

一方、様々な背景があるものの、大学院専門職学位課程において、一定の学生収容定員の充足率を満たしていない法人が見られた。

教育研究の状況では、それぞれの法人の特色に応じた教育研究活動の活性化や地域社会等への貢献に積極的に取り組んでいる。

1 業務運営・財務内容等の状況

(1)業務運営の改善・効率化

(主な状況)
  • 教職員の個人評価結果を給与等処遇へ反映している法人が平成20年度と比較すると14法人(28%)増の64法人(71%)と大幅に増加しており、全体の7割を超えている。

  • 学長・機構長の判断により適宜活用できる人員枠を83法人(92%)が設定し、平成19年度から9割以上で推移しており、取組として定着してきている。

  • 経営協議会における学外委員からの法人運営に関する意見を基に、全法人で具体的に改善した事項が見られた。このうち、今回初めて調査した結果では、40法人(44%)が経営協議会における学外委員からの法人運営に関する意見について、取組事例を公表している。

  • 大学院修士課程及び博士課程において、一定の学生収容定員の充足率を満たしていない法人は、平成20年度と比較すると修士課程が1法人(1%)減少、博士課程が6法人(8%)で同数となっている。

  • 大学院専門職学位課程において、一定の学生収容定員の充足率を満たしていない法人は、教職大学院が6法人(14%)、法科大学院が4法人(9%)となっている。教職大学院については、1)制度創設間もないこともあり、教職大学院の特色や期待される効果に関し十分な理解が得られていないこと、2)自治体の財政事情による教育委員会からの現職教員の派遣の伸び悩みなどが、法人からのヒアリング等で指摘されており、それぞれの法人において、教育委員会との連携をさらに深め、適切な入学者の確保に努める必要がある。
(2)財務内容の改善

(主な状況)
  • 外部資金等の獲得額に応じて研究支援者を雇用できる等、外部資金等の獲得のためにインセンティブを付与する取組が、平成20年度から全法人で行われており、取組として定着してきている。

  • 財務分析において、他法人との比較を行い、その結果を法人運営の改善に活用している法人が増加している。

  • 近隣の国立大学等との間で、物品の共同調達を実施し、一括購入による経費削減・合理化に向けた取組が広がりつつある。【東北大学、宮城教育大学、山形大学、福島大学 等】

  • 学生支援等を目的とした基金を新たに設立し、教職員、地域及び企業等に広く財政支援を依頼し、寄附金収益の増加に向けた取組が広がりつつある。【東京学芸大学、奈良女子大学 等】
(3)自己点検・評価及び情報提供

(主な状況)
  • 国際的視点からの外部評価として、アジア圏で初めて、欧州大学協会機関別評価プログラムを受審し、この評価による助言を全学で共有するとともに、改善に向けて取り組んでいる。【東北大学】

  • 定期的なウェブサイトのデザイン・構成等の見直しにより閲覧性の向上や情報提供の迅速化を行い、民間調査機関から「使いやすさ」が評価を得られているなど、より良い情報発信ツールになるよう取り組んでいる。【東京農工大学、徳島大学 等】
(4)その他業務運営(施設設備の整備・活用、安全管理等)     (主な状況)
  • 共同研究のリエゾンオフィス等に活用するための共同利用スペースを確保するなど、既存施設の有効活用について、平成19年度から全法人が取り組んでおり、取組として定着してきている。

  • 法人全体で省エネルギーを目的とし、高効率化機器への更新等を行い、CO2排出量削減に大きな効果が得られている取組が見られる。【東京大学、京都大学、高エネルギー加速器研究機構】

  • 研究費の不正使用防止のための取組については、全法人においてガイドラインや関係規程の制定等、体制・ルールが整備されているものの、2法人(2%)について適切な運用がされていなかった。
2 教育研究等の質の向上の状況 

引き続き、多くの法人において、法人化による環境の変化を積極的に活かし、指導方法の改善・充実、教育活動の個性化・特色化、学生支援体制の整備等の教育改革、各法人の特色に応じた研究活動の活性化や産業界や地域社会等への貢献に積極的に取り組んでいる。

4 附属病院

附属病院においては、深刻な医師不足問題や地域の医療崩壊に対応し、救急医療や周産期医療体制等の機能強化等、重要な役割を果たしている。

一方、診療業務の増加等により、教育・研究への支障が懸念されている状況においても、将来の医療を担う人材養成のために多彩な教育研修プログラムを提供して充実を図るとともに、新しい診断・治療法の研究開発等の実施に取り組んでいる。

各附属病院は、施設設備整備のための多額の債務借入金の返済、附属病院運営費交付金の削減等、依然として財政状況が厳しい中でも、引き続き、教育研究活動の発展と、地域からの要請も十分踏まえた高度医療の提供等、今後とも特色ある取組が求められている。

特に、総合的な診療能力を身につける医師を養成するためにも、卒前・卒後を一貫した人材養成プログラムの提供や、より一層の地域医療機関等との連携が必要である。

また、管理会計システム等を活用した経営分析による財政基盤の強化や医師と他の医療従事者等との役割分担により、医師等の勤務環境の改善を図るなど、今後もさらなる教育研究の充実に向けた取組が期待される。


各法人の評価結果
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/1298836.htm


(関連記事)

国立大評価、7校が「やや遅れ」=9割は「順調」-文科省 (2010年11月5日 時事通信)
文部科学省の国立大学法人評価委員会は5日、全国の国立大など90法人に対する2009年度の業務実績評価を公表した。9割以上の法人が順調と評価された半面、7大学が「やや遅れている」とされた。・・・
国立大の中期目標、達成状況は「順調」 文科省委が評価 (2010年11月6日 日本経済新聞)
文部科学省の国立大学法人評価委員会は6日までに、国立大と共同利用機関の計90法人が策定した2009年度分の中期目標・中期計画に対する達成状況について、「基本的に順調に進んでいる」との評価結果を公表した。
09年度は第1期の中期目標期間の最終年度に当たる。評価委は(1)業務運営の改善と効率化(2)財務内容の改善(3)自己点検・評価と情報提供(4)その他業務運営――の4項目を「特筆すべき進ちょく状況」「順調」「おおむね順調」「やや遅れている」「重大な改善事項がある」の5段階で評価した。
4項目とも「重大な改善事項がある」とされた法人はなく、いずれの項目も96~100%の法人が「おおむね順調」以上だった。いずれかの項目で「やや遅れている」と評価されたのは7法人で、08年度より5法人減った。
大学院の専門職学位課程で定員充足率が90%未満だったのは、08年度から5法人増え10法人。内訳は、教職大学院が北海道教育大など6法人、法科大学院が信州大など4法人だった。

さて、この日記に先月(10月1日~31日)アクセスいただいた12,424件のうち、アクセス件数の多かった順(google Analyticsによる)に、5つほどご紹介させていただきます。
  1. 法人化後の現状と課題 (1) (2010年10月6日)
  2. プロとしての大学職員 (2010年9月20日)
  3. 会計検査院指摘-目的積立金の使途 (2010年10月5日)
  4. 予算編成にあなたの声を!「特別枠」パブコメ(文部科学省・国立大学協会編) (2010年9月29日)
  5. 予算編成にあなたの声を!「特別枠」パブコメ(国立大学編) (2010年10月4日)

2010年11月2日火曜日

どうなる国立大学予算 1

過日、平成22年度補正予算が閣議決定され、いよいよ来年度予算の編成作業が山場を迎える季節になりました。

パブリックコメントで賑わった「元気な日本復活特別枠」に盛り込まれた国立大学法人関係予算の行方が気になります。

国立大学協会は、昨日(11月1日)、高知市内で総会を開き気勢を上げたようです。

大学運営予算の確保、国に要望へ 国立大学協会が決議(2010年11月1日 朝日新聞)

全国86の国立大などでつくる国立大学協会(会長=浜田純一・東大総長)は1日、高知市内で総会を開き、2011年度の予算編成で削減のおそれがある運営費交付金などを確保するよう、政府に要望する決議をまとめた。・・・
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201011010381.html


国立大学協会総会決議文書(平成22年11月1日)

決  議
「強い人材、強い大学、元気な日本」

平成22年6月に閣議決定された「新成長戦略」は、『「強い人材」の実現が、成長の原動力として未来への投資であることを踏まえ、教育力や研究開発力に関し世界最高水準を目指し、効果的な施策に対する公的投資を拡充する。』と明記している。

国立大学は、新成長戦略にも掲げられている『持続可能な成長を担う若年層や知的創造性(知恵)(ソフトパワー)の育成』の欠くべからざる土台である。そして引き続き「強い人材、強い大学」の実現を目指し、我が国の知の創造拠点・高度人材育成拠点として、日本の確かな未来を切り拓いていく決意である。

今年も二名の日本人研究者がノーベル賞を受賞されたことは誠に喜ばしい限りであるが、一方で、独創的で地道な研究を支える国立大学の基盤的経費の削減が今後とも継続されるならば、我が国の高等教育・研究の基盤は根底から崩壊し、回復不可能な事態に立ち至るであろう。諸外国が大学等に重点投資を行い国の発展を図っている中で、我が国の国際的な競争力を失わせ、国力を衰微させていくものと強く懸念される。

以上の決意と認識をもって、我々は、平成23年度予算編成に当たり、「元気な日本」復活の土台であり、未来への先行投資でもある高等教育・研究、科学・技術への財政支援の拡充を国家戦略として具現化するため、下記事項の実現を図るよう、強く要望する。
  • 国立大学法人運営費交付金の拡充(一般運営費交付金の充実を含む)
  • 教育費負担の軽減(授業料減免措置の拡大、奨学金の充実)
  • 国立大学附属病院の経営に対する財政的支援の拡充
  • 教育研究の基盤となる施設・設備の整備
  • 科学研究費補助金の拡充(「基金」化を含む)
  • 教育研究水準の向上に向けた改革と国際的に開かれた大学づくりに資する予算の拡充

政府の様子はどうでしょう。

元気な日本復活特別枠要望に関する評価会議(平成22年10月13日 首相官邸ホームページ)

本会議は、「平成23年度予算の概算要求組替え基準について」(平成22年7月27日閣議決定)において設定されている「元気な日本復活特別枠」について、要望事項に関する政策の優先順位付けを行うために開催されるものです。

菅総理は、冒頭のあいさつで「平成23年度予算は、「新成長戦略」を着実に推進し、元気な日本を復活させるために極めて重要な予算であります。その予算を実効的なものとするべく、この度政府として「元気な日本復活特別枠」を設け、開かれた形で政策の優先順位付けを行うことにより大胆な予算の組替えを何としても実現していきたいと考えております。その際には、元気な日本を復活するにふさわしい事業を厳選することはもとより、既存の予算を削減して、大胆に予算を組み替えるという本来の趣旨に適合しているかという観点からも、「特別枠要望」と「既存予算の要求」全体を一体として把握した上で評価していただきたいと思います。」と述べました。・・・
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201010/13hyouka.html


噂によれば、この特別枠については、近々、評価会議の作業チームによる各省からの公開ヒアリングが行われるようです。
その後、評価会議が、優先順位付けの原案を各省と調整のうえ、12月初旬までに決定、予算編成に関する閣僚委員会へ提出するといった段取りになっているようです。


予算編成に関する閣僚委員会(平成22年11月1日 首相官邸ホームページ)

平成22年11月1日、菅総理は総理大臣官邸で、予算編成に関する閣僚委員会を開催しました。本日の会議では、平成23年度予算編成の進め方について話し合われました。・・・
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201011/01kakuryoi_yosan.html


政府も気合十分ですね。しかし、気合だけでは・・・。国立大学法人の命運やいかに・・・。


それにしても、経済の回復など国民が求める緊急課題の解決に政治の力がためされるこの重要な時期に、国会での補正予算審議は止まっていますし、貴重な時間と税金が浪費されています。政治家の先生方は何をやっているんでしょうか。

予算委員会の不思議(2010年10月26日 THE JOURNAL 田中良紹)

予算委員会は予算の審議をするところである。ところが国民は予算委員会で予算の議論を見た事がない。テレビ中継がある時は何を質問しても良い事になっているため、予算委員会では専ら「政治とカネ」の追及が行なわれてきた。何故予算委員会で「政治とカネ」が追及されるのか、誰も不思議に思わないからこの国は不思議である。・・・
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/10/post_236.html

2010年10月31日日曜日

大学図書館の課題

今週、公共図書館が直面する課題に触れた記事を読みました。


【社説】国民読書年 貧しき図書館を憂う(2010年10月29日 東京新聞)


図書館の本購入費が年々、減っているのは嘆かわしい。今年は国民読書年で、27日から読書週間も始まった。知の楽しみを味わう場は人や文化を育て、ビジネスを開花させる拠点でもありたい。

世界初の電子コピー機が誕生したのは、米国の弁護士で発明家がニューヨーク公共図書館で、物理学の論文の一節を見つけたことがきっかけだった。

ある国際航空会社の創業者は、世界大恐慌時代に同図書館に通い、鉄道や船舶などの資料を集めるうちに、「空の時代」を確信したという。

デジタル情報時代の現代も、米国では高価なデータベースを無料で提供したり、ビジネスや起業家へのサポートに尽力しているそうだ。「未来をつくる図書館」(菅谷明子著、岩波新書)で紹介されているエピソードの数々だ。

「アイデアを育(はぐく)む『孵化(ふか)器』」とは米国の図書館の姿を表現した菅谷氏の言葉だが、静かな空間で本を読んだり、受験勉強に励む日本の図書館の日常とはやや異質で、先進性を感じさせる。

むしろ日本では公共図書館が図書を購入する資料費が減少を続けている。日本図書館協会によると、決算ベースで資料費は1998年度には約362億円あったが、2008年度には約307億円まで収縮しているのだ。

個人が本を買わない「本離れ」が進んでいるが、図書館まで「本離れ」してどうするのか。利用者の数は逆に増加してもいるのだ。厳しい財政難の中で、手をつけやすい予算から削っていると批判されてもやむを得まい。

公共図書館の設置率にも問題が潜む。都道府県立の図書館はむろん100%で、市区立も約98%あるが、町村立になると約53%にまで落ち込む。つまり日本の町や村では半数しか図書館がない。これは「文化格差」と呼んでいい。国民が等しく文化を享受する視点に立てば、対策は必要だろう。

人的側面でも問題がある。専任職員数が09年には約12700人と、10年前に比べて約2800も減っていることだ。開架の本棚から選ぶのは利用者だという発想は古い。司書らは、有用な情報にたどりつくための身近な“案内人”であってほしい。

調査研究型の図書館と地域密着型の図書館とが互いに補完し合い、必要な文献やデータなどを利用者と一緒に探し出す役割を果たしてくれたら、新しい発見や発明を生む「孵化器」となろう。


同様の課題は、大学図書館にも山積しています。
いくつかの海外の大学図書館を回った経験しかありませんが、訪問した大学の図書館は、文化的価値の高い歴史的建築物で、その大学の最も中心に配置されてあり、図書館を見れば、その大学の有り様がわかるといっても過言ではないのではと感じました。

「学術情報基盤の今後の在り方について(報告)」(2006年3月23日 科学技術・学術審議会 学術分科会 研究環境基盤部会・学術情報基盤作業部会)の抜粋を過去記事に整理してありましたのでご紹介します。我が国の大学図書館の現状と課題が整理されてあります。


大学図書館のいま・これから(2008年2月24日)

詳しくは、文部科学省のホームページをご覧ください。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/06041015.htm

2010年10月28日木曜日

Okinawa 2010  座間味島の海

今年の沖縄家族旅行は、「座間味島の海」を体験することが最も大きな目的でした。

3日間の滞在時間のほとんどをビーチでのんびりと過ごしましたが、防風林の鮮やかな緑の向こうにある真っ白な海岸と青い海のコントラスト、遠浅の浜辺に静かにうちよせる波、そしてサンゴ礁の合間を気持よさそうに泳ぐ色鮮やかな魚たちが与えてくれた感動は今でも忘れることができません。

阿真(あま)ビーチ

座間味島の南西部に、のんびりとした
沖縄らしい砂浜が広がっています。



嘉比島(無人島)が目の前に見えます。









ビーチ周辺には色とりどりの花が咲いていました。










阿真ビーチの写真はこちら(google)もどうぞ


阿真ビーチの場所


大きな地図で見る


関連リンク

島んちゅナビ 座間味島(阿真ビーチ)


マリリンの像

座間味集落から阿真ビーチへ行く途中に、
映画「マリリンに逢いたい」で有名になった
雄犬マリリンの像があります。




関連リンク

島んちゅナビ 座間味島(マリリンの像)



古座間味(ふるざまみ)ビーチ

座間味集落の東にあります。
砂のきめが細かく、透明度の高い天然のビーチで、
慶良間諸島の海の透明度の高さを実感させてくれます。
浜の近くまでサンゴ礁が広がっており、
カラフルな熱帯魚に出会えます。










海の透明度は抜群です




古座間味ビーチの写真(google)はこちらもどうぞ


古座間味ビーチの場所


大きな地図で見る


関連リンク

島んちゅナビ 座間味島(古座間味ビーチ)

古座間味ビーチの飲食店「パーラー憩」



古座間味の海の中をのぞいてみましょう。
海に入ると、クマノミをはじめ色々な熱帯魚が
気持よさそうに泳いでいました。
透明度が高いのでサンゴ焦も魚も
とても綺麗に見ることができます。
サンゴ礁にすむ熱帯魚たちをご紹介します。

クマノミ(約15cm)





チョウハン(約25cm)





セナスジベラ(約20cm)





クロスズメダイ(約17cm)





クラカオスズメダイ(約11cm)





モンガラカワハギ(約30cm)





トゲチョウチョウウオ(約23cm)




デバスズメダイ(約8cm)





その他の魚たち




























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