2010年4月15日木曜日

大学改革の基本的視点

筆者 大和総研専務理事・川村雄介(2010年4月14日 sankeibiz掲載記事)

格差を認めることが出発点

サラリーマンから大学教員に身を転じてちょうど10年、大学を離れてもう一度「社会」で仕事をすることになった。この場をお借りして自分なりの大学観を総括してみたいと思う。

かなり以前から大学レジャーランド論やら女子大生亡国論やら、注文揶揄(やゆ)は事欠かない。最近では、就職予備校化や男子学生亡国論が取りざたされている。多くの教員は熾烈(しれつ)な競争と労働環境劣化の下で悪戦苦闘しているが残念ながら、社会の見る目は厳しい。

この10年間で大学をめぐる状況は激変した。受験世代の全入時代到来と国立大学の法人化が象徴的だ。ビジネスの行動原理を大学組織や運営に取り入れることは、いまや当たり前。それにもかかわらず、日本の大学はいまだに2つの大きな課題を抱えている。1つにはグローバル競争での劣勢、もう1つは学生のレベル低下である。

中国の海南島で見たもの

中国といっても、ベトナムに隣接する海南島の田園風景は、北京や上海とはだいぶ異なる。黒豚がうろうろする街路のタクシーの多くは輪タク、トイレは汚く男女共用も珍しくない。だが、水牛の群れの上には新幹線の架橋が今年末完成を目標に急ピッチだ。3年後には景観は一変しているだろう。

そんな海南島のひなびた店で、40代の中国人たちの宴会に同席した。彼らは大学同窓生、その多くに海外留学経験はないが、いずれも見事な英語を駆使する。立論も論理的で博学。漁港のインフラ整備事業に情熱を燃やす若手社長は「将来上場する。日本ではなく英米で」と言って当方を焦らせた。彼らが等しく口にしたのが「語学も専門科目もとにかく大学時代は勉強した」の一言。今の日本の学生とは大学生活の重みが違う。

昨今の中国は留学ブームだが、人気度1位は英米、2位がドイツ、3位がオーストラリア、ニュージーランドと日本はとうに「メダル圏外」に追いやられている。この傾向は、特に日本の非都市圏の大学の、それも伝統的な経済・経営系に対して強いようだ。高校生を持つ中国人の友人は「日本に留学させるならせめて東京」ともらす。

良い意味での「差」を前提に

大学人は大学1年生を自嘲(じちょう)的に「小学13年生」などと呼ぶ。新入生合宿は友人づくりの手助けの場、オリエンテーションでは奇妙に熱心なママとパパばかり質問に立つ。大学の就職支援のコアは躾(しつけ)。こうした支援をしない大学など風上にも置けないムード。いつから大学が幼稚園になったのだろうか。

研究活動でも、産学官連携や社会とのかかわりを重視し、真に役立つ研究に取り組む教員が増えてきた半面、大学外で勝負するより、学内の試験監督業務や会議参加の方を重視しているタイプも多い。教授会を英語で進行しようと言った途端に白い目で見られた先生もいる。万事、縮み指向が強い。

もっとも、これらの真因は全国に大学が700も存在し、計算上は全入になった点にある。多くの大学で、もはや本来の大学レベルの教育や研究が困難になっている。換言すると研究・教育でグローバルに活躍する一部の大学と、カルチャースクール的なレベルの大学に分化せざるを得ないのが現実の姿。十把一からげに「大学」と呼ぶのはフィクションに過ぎない。日本人の通弊は表向き「差」を認めないことだが、大学間の差は歴然としている。

今後はまずこうした差を前提にし、国際競争を「校是」とする大学なのか、国民の教養底上げ・育成の大学なのかを明確にすべきだと思う。おそらく前者は30校程度だろう。これらの大学には研究者の練磨と学生の知的鍛錬のために傾斜的に資源配分する。企業の採用も後者とは別枠を設ける。日本の高等教育は、差を認めることから見直すべきなのではないだろうか。

【プロフィル】川村雄介

かわむら・ゆうすけ 東大法卒、1977年大和証券入社。2000年長崎大教授、09年4月から一橋大大学院客員教授を兼任。10年4月から現職。日本証券業協会公益委員、日本証券経済研究所理事など兼務。56歳。神奈川県出身。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/100414/ecc1004140501000-n1.htm