2010年9月29日水曜日

予算編成にあなたの声を! 「特別枠」パブコメ (文部科学省・国立大学協会編)

平成23年度予算の編成過程の透明化・見える化を進め、広く国民目線での自由な意見を求める試みとして、「元気な日本復活特別枠」要望事業に関するパブリックコメントが、昨日9月28日(火曜日)からはじまっています。


    期間:平成22年9月28日(火)正午から10月19日(火)午後5時までの間

  • 意見提出要領等
    • 「元気な日本復活特別枠」に対し各府省から提出された計190の要望事業について、事業の必要性、効果並びに手法といった切り口からの5段階の評価を付けるとともに、事業のよい点や悪い点、その他の御意見について自由に記入。
    • ホームページを通じた意見提出に加え、FAX又は郵送による意見提出も可能。
    • 今回寄せられた意見は、10月を目途に設置が予定されている「評価会議(仮称)」における優先順位付けの基礎的な資料として活用。

大学関係予算を含む文部科学省関係予算の充実を図るため、多くの皆様の応援メッセージが寄せられますようお願いいたします。

平成23年度予算関連過去記事

国立大学協会の動き

パブリックコメントに関しては、既に文部科学省や国立大学協会などから各大学に対し、国立大学法人の運営費交付金等に係る「要望」の実現に向けた積極的な対応が求められています。(要は、有利になるような書き込みをじゃんじゃん書くようにということ。)

国立大学協会から情報提供された内容について簡単にご紹介します。

1 国立大学法人運営費交付金概算要求(総論)
  • 来年度予算の概算要求は、7月に閣議決定された「概算要求組替え基準」に従い、社会保障費等を除き各省庁の一般歳出を対前年度比で10%削減(「要求枠」)した上で、マニフェストの実現や経済成長、人材育成、国民生活の安定・安全に資する事業は、別途「元気な日本復活特別枠」(「特別枠」)に要望することが可能な仕組みとなっている。

  • 国立大学法人運営費交付金については、文部科学省内で調整した結果、「要求枠」として対前年度560億円減(▲4.8%)の要求、「特別枠」で884億円増の要望を行い、全体として、対前年度324億円(2.8%)増の1兆1,909億円の要求・要望となっている。
2 国立大学法人運営費交付金等(特別枠)関連

「元気な日本復活特別枠」には、文部科学省全体で10項目(8,628億円)が要望されている。この10項目それぞれは、「特別枠」の趣旨に相応しいテーマ毎に複数の事業から構成される、いわば政策パッケージであり、「特別枠」を活用した国立大学法人運営費交付金に係る要望額(884億円)は、具体的には、以下の2項目の中に含まれている。

(1)「強い人材」育成のための大学の機能強化イニシアティブ(要望額:1,200億円)
  • 国立大学の教育研究基盤強化(国立大学法人運営費交付金)<要望額630億円>

    • 新成長戦略の実現に資する新たな教育研究プロジェクトの推進<100億円>
    • 世界最先端の研究を支える大学共同利用機関の新たな事業展開<158億円>
    • メディカル・イノベーションを担う国立大学附属病院の教育研究体制の充実強化<100億円>
    • サポート体制の強化による教育研究設備の有効利用の促進(「設備サポートセンター(仮称)」の整備)<222億円>
    • 特別なニーズを抱える学生受け入れ支援強化<50億円>
(2)学習者の視点に立った総合的な学び支援及び「新しい公共」の担い手育成プログラム (要望額:1,331億円)
  • 国立大学の授業料免除枠の拡大(国立大学法人運営費交付金)<要望額254億円>

この他、国立大学法人に関連する「特別枠」としては、以下のような要望がなされている。
  • 安全で質の高い学校施設の整備(要望額:1,898億円)
    • 国立大学法人等施設整備<51億円>
  • 成長を牽引する若手研究人材の総合育成・支援イニシアティブ(要望額:484億円)
    • 若手研究者のチャレンジを支援する科研費の改革<350億円>
    • 特別研究員事業(PD)の拡充<64億円>
  • 元気な日本復活! 2大イノベーション(要望額:788億円)
  • 我が国の強み・特色を活かした日本発「人材・技術」の世界展開(要望額:448億円)
3 「特別枠」に係る今後の動き

今回の概算要求段階では、国立大学運営費交付金は増額の要求・要望になっているが、年末の予算編成の段階では、全く予断を許さない状況にある。

具体的には、来年度予算については、1)最終的には歳出の大枠は平成22年度と同規模とすること、2)そのうち社会保障費の自然増分1.3兆円はそのまま要求することを認めること、の2点がすでに政府の方針として決定されていることから、社会保障費以外の一般歳出(平成22年度で総額約26兆円)は1.3兆円の減額になることが避けられない見通しであり、これは平成22年度比で5%の減額に相当する。

これを機械的に国立大学運営費交付金に当てはめてみると、国立大学運営費交付金は、「要求枠」で対前年度560億円の減額(▲4.8%≒▲5%)となっており、政府内で高い優先順位を獲得しない限り、「特別枠」の884億円の要望はほとんど認められない、という未曾有の事態を招来することになる。

したがって、9月28日(火)から実施される政策コンテストの場等において、国立大学法人運営費交付金はもとより、科研費を含む科学技術・学術関係予算など、国立大学関係の事業が高い評価を得るよう、我々当事者としても全力を挙げて対策に取り組む必要がある。

因みに、政策コンテストの枠組みについては、9月7日開催の「予算編成に関する閣僚委員会」で以下の方針が示されている。
  1. 9月28日から内閣官房のHPにおいて、パブリック・コメントを実施(10/19締切)し、10月下旬には結果を公表。

  2. パブリック・コメント結果を参考としつつ、優先順位付けを行う場として新たに「評価会議(仮称)」が10月目途に設置される予定。(パブリック・コメント結果は集計・公表され、政策の優先順位付けの基礎資料として活用)

このうち、評価会議(仮称)の詳細はまだ不明であるが、9月下旬からのパブリック・コメントはその前哨戦、あるいは予選ともいうべきものであり、したがって、他省庁のものも含め様々な事業がパブリック・コメントにかけられる中で、上記の国立大学関係の事業が国立大学の関係者はもとより、幅広く国民各層からの理解と高い支持を集めることが不可欠である。


「元気な日本復活特別枠」要望事業に関するパブリック・コメントを実施(平成22年9月28日(火)から10月19日(火)午後5時まで)(2010年9月29日 国立大学協会)

政府では、平成23年度概算要求に関し、その予算の編成過程の透明化・見える化を進め、広く国民目線での自由な意見を求める試みとして、「元気な日本復活特別枠」要望事業に関するパブリック・コメントを下記により実施しています。これら「元気な日本復活特別枠」には、国立大学に関係する「奨学金・授業料減免」、「国立大学法人運営費交付金」、「科学研究費補助金」等に係る重要な政策が要望事項として掲げられています。皆さまのパブリック・コメントへの参加と、この国立大学法人関係の要望事項を支援する多数のご意見をお願いいたします。
http://www.kokudaikyo.gr.jp/whatsnew/entry_217.html


文部科学省の動き

パブリックコメントがオープンになったその日、文部科学省のホームページには、早速、国民に広く理解・議論していただくための、 1)YouTubeにおける紹介、2)「熟議カケアイ」サイトでの熟議、3)総合サイトのアップが行われました。驚くべき力の入れようです。

1 “YouTube”における紹介

それぞれの「特別枠」要望について、9月10日より文部科学省動画チャンネルにおいて担当の文部科学副大臣が分かりやすく解説 

(過去記事)平成23年度概算要求 文部科学省要望項目10(2010年9月14日)

2 「熟議カケアイ」サイトにおける熟議の展開

パブリックコメントに先立ち、9月27日から、保護者や教師、地域の方々、研究者、スポーツ関係者、文化関係者など当事者の皆様に議論を深めていただくため、文部科学省の「特別枠」要望について「熟議」を実施

3 文部科学省のホームページに「特別枠」要望の総合サイトを掲載

9月28日からそれぞれの「特別枠」要望に関連する資料や “YouTube”における紹介の映像などが一覧できる「特別枠」要望の総合サイトを掲載

2010年9月28日火曜日

困難の中にこそチャンスを見出す

物事がうまくいかないときに落ち込んでしまう人は多い。この問題はどのように解決すればいいのか。

人はみな、挫折と失意を経験する。成功しない人は、困難に直面するといやになって途中で投げ出してしまいやすい。成功する人は、逆境をポジティブなものに転換する方法を知っている。

自己啓発の大家ナポレオン・ヒルは、こう断言している。
「すべての逆境には、それと同等か、またはそれ以上の恵みの種子が隠されている」

彼は二十世紀初頭に、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソンといったアメリカの偉大な成功者に話を聞いた。すると、彼らの多くは「仕事上の最大の勝利は、最大の失敗の直後におさめることができた」と語ったという。

この原理を応用すれば、あなたの人生は劇的に変化する。困難に直面したときにやる気をなくすのではなく、その問題に潜んでいる恵みの種子を探せばいいのだ。成功者は試練を勝利に変える方法を知っている。だから、彼らは失業しても落ち込まず、さらにいい仕事を見つけるのだ。

挫折を経験したとき、がっかりするのは当然だ。しかし、意欲を喪失してはいけない。人生は振り子のようなものだ。振り子は一方に振れると、必ずその反動で反対方向に振れる。困難のあとには勝利が待っているのだ。物事がうまくいかないときは、チャンスがもうすぐ現れることを覚えておこう。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年9月27日月曜日

Okinawa 2010  文化を学ぼう-国指定重要文化財・中村家住宅

中城城跡(世界遺産)へ行く途中、国指定重要文化財の 中村家住宅 に立ち寄りました。

中村家住宅は、沖縄建築の様式を残す200年以上前の住居で、フクギと石垣に囲まれた赤瓦が印象的でした。

現地でいただいたパンフでは次のように解説してありました。


中村家概要

今から約500年前、中村家の先祖賀氏(がうじ)は、忠臣かつ琉球王国きっての築城家としてもその名をとどめていた護佐丸(中城城主)が読谷(本島中部)より城を中城に移したとき、共にこの地にその師匠として移ってきたと伝えられています。その後、護佐丸が勝連城主の阿麻和利(あまわり)に滅ぼされてしまうと、中村家の先祖も離散の憂目にあいました。1720年頃、ようやくその家運を盛り返し、この地方の地頭職(本土の庄屋にあたる役職)に任ぜられました。

中村家住宅概要

中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えている建物です。沖縄本島内でこのように屋敷構えがそっくり残っている例はきわめて珍しく、当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるということで、昭和31年に琉球政府から、昭和47年に日本政府によって国の重要文化財に指定されました。
現存する建物は18世紀中頃に建てられたと伝えられています。
建築構造は、鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えていますが、各部に特殊な手法が加えられて、独特な住居建築になっています。
この遺構は、士族屋敷の形式に農家の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して沖縄の住居建築の特色をすべて備え持っています。
屋敷は、南向きの緩い傾斜地を切り開いて建てられており、東、南、西を琉球石灰岩の石垣で囲い、その内側に防風林の役目を果たしている福木を植え、台風に備えています。


見取図画像

正 門
正面の壁は、ヒンプン(顔隠し塀)といい、門の内外との仕切りで、
外から直接、母屋が見通せないようにした目隠しの役割をしている
中国の「ピンフォンメン」が沖縄化したもの
その昔、沖縄ではヒンプンを挟んで男性は右側から出入りし、
女性は台所へ直通するためその左側を使用していたといわれている



中 門




ウフヤ(母屋)[左奥]、アシャギ(離れ座敷)[右]





ウフヤ(母屋)
手前から、一番座(客間)、二番座(仏間)、三番座(居間)
裏には各一間づつ裏座があり、寝室、産室として使用された
三番座の前方にはナカメー(中前)という板間がついている
畳間は、すべて6畳かそれ以下で、当時の農民にはその大きさしか
許されていなかったといわれている
柱は、琉球王府時代に首里の士族の家屋を移したと伝えられている
柱のすべて、当時農民には使用を許されていなかったチャーギ(イヌマキ)、
イーク(モッコク)が使われている









アシャギ(離れ座敷)
当時、近くの中城間切(現在の中城村と北中城)の番所(役所)へ、
首里王府の役人が地方巡視に来た際に、宿泊所として使用したといわれている





高倉(たかくら)
沖縄在来の形式である丸柱ではなく、住居と同じ角柱を用い、
壁・床とも板張りであるのが特徴
屋根裏の部分に施された傾斜を、別名「ネズミ返し」といい、
ネズミが穀倉に入れないように工作されている





シーサー(魔除け)
屋根は本瓦ぶき(明治中期まで竹茅ぶき)、漆喰塗りで、
屋根の上には魔除けのシーサー(獅子)がおかれている





メーヌヤー(家畜小屋兼納屋)(左手前は井戸)
中二階の棟で、一階は腰石壁で畜舎、二階は黒糖製造用の薪置き場
畜舎の前の柱には、牛や山羊をつなぎ止めても、
柱が土台から外れないように工夫が凝らされている






大きな地図で見る

関連リンク 中村家ホームページ

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2010年9月26日日曜日

強い憤りを禁じえない中国人船長の釈放

「日本、苦渋の釈放」。ここ数日、このような見出しが紙面を踊りました。尖閣諸島沖での海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、日本側は、中国の要求に屈する形で中国人船長を釈放しました。

それにしても、中国の圧力は常軌を逸したすさまじいものでした。東シナ海ガス田共同開発の条約締結交渉の一方的延期、要人交流・文化交流の停止、レアアース(希土類)の対日輸出停止などなど。次から次へと出てくる報復措置は宣戦に近い異常なものでした。

さらに驚いたことは、この件に関して中国政府は、「船長らを違法に拘束し、中国の領土と主権、国民の人権を侵犯した」として日本側に「謝罪と賠償」を求めてきたのです。

もはや開いた口がふさがりません。正直怒りを通り越してあきれています。経済は成長しても社会そのものは全く成熟していない、国際社会の常識が通用しない国であることが全世界に披瀝された事件ではなかったかと思います。


天声人語 (2010年9月26日 朝日新聞)

政治経済ばかりか、この国は司法までが外圧で動く。尖閣諸島沖の衝突事件で、中国人船長が処分保留のまま釈放された。「日中関係を考えれば身柄を拘束しての捜査は続けにくい」。気の毒にというか、政府の代弁をさせられたのは那覇地検だ。

レアアース(希土類)の禁輸は露骨だった。微量でも欠かせぬ素材は「産業のビタミン」に例えられ、ハイブリッド車やデジカメなど、それなしには画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く品が多い。世界のほぼ全量を産する中国は、日本のハイテク産業を締め上げようとしたらしい。

日本に行くな、日本製品は買うなとの呼びかけもあった。河北省では邦人4人が軍事施設を撮影したとして連行され、両国のいさかいは経済や生身の人間を巻き込み始めていた。

とはいえ、中国人が秋葉原で炊飯器を買い、富士山で記念写真に納まるのは強いられてではない。おいしいご飯や絶景の価値を認めてのことである。合理で動く経済を、資源や「13億人市場」を頼んでねじ曲げ、恫喝(どうかつ)に用いる発想は怖い。

法治ならぬ人治の国、しかも一党独裁で思うがままだから始末が悪い。下手に譲れば増長する。国際社会の常識が通じにくい「見習い大国」に経済の多くを頼り、国の生命線を握られる危うさを思う。

中国は早速、謝罪と賠償を求めてきた。困ったものだが、一緒に熱くなってもいいことはない。領海の平穏に体を張る海保職員の苦渋を分かち合い、外交の甘さを検証したい。船長のVサインをこらえ、度し難い画竜、いや巨竜とのつき合い方を皆で考える時だ。


アメリカ戦略国際問題研究所上級研究員のコメント (抜粋)(2010年9月26日 朝日新聞)

事件は、主権、とりわけ領土問題が絡む「革新的利益」をより強引な形で守ろうとする最近の中国の態度を象徴していた。だが、一般常識を超えたやり方で他国に損害を与える、極めて利己主義的な手段に訴える姿を目の当たりにし、インドや南シナ海で係争を抱える大方の国は大きな懸念を持って見つめたはずだ。

中国は今回、これまでにない強硬手段に出た。中国指導部は権力移行の準備段階に入り、国内世論の圧力にもろくなっている。このため、領土が絡む問題で柔軟な姿勢を示せない。軍部の発言力もより強まっているうえ、国力にも自信が出てきた。歴史的に他国、とりわけ日本から受けた屈辱を晴らすときが来たと感じる人もいるだろう。


社説:論調観測 中国人船長釈放 批判点もトーンも濃淡(2010年9月26日 毎日新聞)

沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件で、那覇地検は逮捕・送検された中国人船長を処分保留で釈放し、船長は帰国した。

釈放自体をどう見るか。那覇地検が釈放理由の一つに「外交上の配慮」を挙げたことをいかに評価するか。また、菅政権の外交力の判断や今後の取り組みへの注文は・・・。各紙社説の主張は大きく分かれた。・・・


(関連記事)

中国人船長釈放 これこそ「腰抜け外交」だ (2010年9月25日 産経新聞)

中国人船長釈放 どこまで国を貶(おとし)めるのか (2010年9月25日 産経新聞)

2010年9月24日金曜日

Okinawa 2010  文化を学ぼう-世界遺産・中城城跡

沖縄には現在、9つの世界遺産があります。このうち今年は、 中城城跡 に行ってきました。


古琉球*1時代を今に伝える中城城跡

中城城跡は、かつて、貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2Kmほど離れた標高約160mの丘陵上にあります。

中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。

石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡せる眺望のすばらしいところです。

城は、連郭式の山城で、6つの郭(くるわ)で構成されています。城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で構成されています。その築城技術の高さは、芸術的と言われ、歴史的に高い評価を受けています。

中城城は、14世紀後半頃まで先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)*2によって、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクの形が完成したようです。

中城城跡は、1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定されました。指定面積は110.473㎡(約33,400坪)で、その内14,473㎡(約4,300坪)が城郭の面積です。

2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産にも登録されました。(現地でいただいたパンフレットから抜粋)


中城城跡全景
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(出典:中城城跡ホームページ


三の郭

新城(ミーグスク)とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ
あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている

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裏 門

東に向かって建てられた裏門
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチがひときわ美しい

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発掘調査中の一の郭

中城城で最も広い一の郭。正殿があった
護佐丸が宴を催した観月台もある
後に間切番所(まぎりばんじょ)が建てられ、
廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で消失した

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城壁から海を望む

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二の郭

一の郭と二の郭の石積み技法は、布積みである
二の郭の曲線の美しさは一際ひと目をひく

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大きな地図で見る


参考までに、沖縄にある世界遺産(公式名称は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」)をご紹介します。

沖縄では、多くのグスク(城)及び遺跡の中から、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が第24回世界遺産委員会会議で2000年(平成12年)に世界遺産登録されました。

(参考)沖縄の世界遺産 地図



首里(しゅり)城跡(那覇市)

f:id:asitano1po:20100923135101j:image:left,w250尚巴志(しょうはし)の三山(さんざん)統一から廃藩置県まで450年に渡り、琉球王国の政治・経済・文化全ての中心となったグスクです。戦前は国宝にも指定されましたが、沖縄戦で消失しました。1992年までに正殿、南殿・北殿、奉神門(ほうしんもん)等が復元され、現在も発掘・復元作業が進められています。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


座喜味(ざきみ)城跡(読谷村)


f:id:asitano1po:20100923135103j:image:left,w2501420年頃、座喜味城跡(ざきみじょうあと)は当時読谷を治めていた按司(あじ)、護佐丸(ござまる)が築城したグスクで、重厚で曲線に富んだ城郭が特徴です。後に護佐丸は中城城(なかぐすくじょう)に移りますが、石積みの技や排水施設など、中城城と共通した技術を見ることができます。





勝連(かつれん)城跡(うるま市)


f:id:asitano1po:20100923135056j:image:left,w250琉球王国が安定していく中で、首里の国王に最後まで戦いを挑んだ按司(あじ)、阿麻和利(あまわり)の城として有名です。阿麻和利は、1458年に国王の重臣である中城城(なかぐすくじょう)の護佐丸(ごさまる)を倒し、さらに首里城を攻めましたが、負けて滅びてしまいました。一番高い一の曲輪の眺めはバツグンです。





今帰仁(なきじん)城跡(国頭郡今帰仁村)


f:id:asitano1po:20100923135057j:image:left,w250琉球が中山(ちゅうざん)に統一される前の「三山鼎立時代(さんざんていりつじだい)」には山北(北山)王の居城として栄えたグスクです。難攻不落(なんこうふらく)の城といわれていましたが、尚巴志(しょうはし)によって落とされました。雄大な城壁がよく残り、県内でも最大規模の史跡として見所は満載です。


(過去記事)沖縄2008・世界遺産 今帰仁城(2008年9月13日)


斎場御嶽(せぃふぁうたき)(南城市)


f:id:asitano1po:20100923135058j:image:left,w250琉球の創世神(そうせいしん)・アマミキヨがつくったといわれる七御嶽(うたき)のひとつで、琉球最高の聖地といわれています。そのため、ここで王国の最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼が行われました。かつては男子禁制であり、国王でさえ簡単には入ることができませんでした。現在は東御廻り(あがりうまーい)の名所としても有名です。





園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135100j:image:left,w2501519年尚真王(しょうしんおう)の命で建造された石門で、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。国王が外出するときに安全祈願した礼拝所として使用され、形は門になっていますが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。今でも多くの人が祈りを捧げに訪れます。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


玉陵(たまうどぅん)(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135102j:image:left,w2501501年に尚真王(しょうしんおう)が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれた、第二尚氏王統の陵墓(りょうぼ)です。創建当初の墓室の東室には王と王妃、西室には限られた家族が葬られています。沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復されました。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


識名(しきな)園(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135059j:image:left,w2501799年につくられた琉球王家最大の別邸で、王家一家の保養と冊封使(さっぽうし)など外国使臣の接待などに利用されました。池のまわりを歩きながら、景色の移り変わりが楽しめる「廻遊式庭園」です。日本の造園形式を基本としながら、中国風の六角堂やアーチ橋が配されるなど、琉球独特の工夫が見られます。






画像出典:沖縄観光チャンネル

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Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (1)(2010年11月16日)

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Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (3)(2010年11月18日)

Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)(2010年11月19日)



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*1:三山時代から統一を経て薩摩侵略までの14世紀前後から17世紀初めまでの沖縄の歴史区分名。海外貿易が盛んに行われ、琉球王国が成立して、文化の華が開いた時代をいう。

*2:中城按司護佐丸盛春(もりはる)。唐名毛国鼎(もうこくてい)。琉球が三山(さんざん)分立から統一へ向かった頃の武将。名築城家。座喜味城、中城城を築いた。「毛氏先祖由来記」によれば、勝連城主阿麻和利から中山(ちゅうざん)を防御するため、中城の地を賜ったとされる。1458年、阿麻和利の攻略によって滅びた。




2010年9月23日木曜日

Okinawa 2010  歴史を学ぼう-宮森小学校

沖縄旅行記2010、”歴史を学ぼう”編の最後は、 宮森小学校米軍機墜落事故 です。もう当時の面影はないだろうと思いましたが、お参りも兼ねて行ってみました。

私達は、この事故によって犠牲になった多くの尊い命を決して無駄にしてはなりません。米軍基地によって未だに命の危険にさらされている沖縄の人々のことを、自分のこととして真剣に考える必要があります。

宮森小学校米軍機墜落事故 事故の概要

1959年6月30日午前10時40分頃に、アメリカ空軍のノースアメリカンF100Dジェット戦闘機が操縦不能となり、パイロットは空中で脱出、機体は民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)のトタン屋根校舎に衝突、さらに隣のコンクリート校舎を直撃し、炎上した。

事故直後から軍警消の各部隊が事故現場に急行し救助活動に当たった。被災者の治療のために沖縄本島中部在住医師のほとんどが駆けつけた。

事故による火災は1時間後に鎮火したが、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。

事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、火だるまになった子供達は水飲み場まで走り、そのまま次々と息絶えたと伝えられている。(出典:ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%A3%AE%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85


過去記事  沖縄米軍機墜落から51年(2010年7月2日)


一瞬猛火につつまれ焼野が原になった墜落現場(当時)



出典:Okinawa Photo History


正門から見た校舎風景




平和の鐘の塔












仲良し地蔵

宮森小学校の中庭には、犠牲となった児童らを慰霊する「仲良し地蔵」が設置されており、
毎年6月30日に児童らによる追悼式が行われています














大きな地図で見る


関連リンク

命と平和の語り部 「石川・宮森630会」


関連動画

忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(1)


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忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(2)


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忘れたい 忘れてほしくない~宮森小 米軍機墜落事故から50年~(3)


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Okinawa 2010  座間味島の集団自決 (4)(2010年11月19日)

2010年9月22日水曜日

すぐに行動する

目標を設定しても、ぐずぐずしてやりとげることができない。こういう問題はどうすれば解決できるのだろうか。

先のばしは、多くの人が抱えている問題だ。多くの人は目標を達成するつもりで意気込むが、ほとんど行動を起こさない。行動を起こさなければ、満足のいく結果を出すことができないのは当たり前だ。

目標を設定したら、すぐに行動を起こすことが大切だ。そうすることによって勢いがついて前進することができる。たとえば、ハワイ旅行を夢見ているとしよう。あなたは「いつかハワイに行きたい」と思っているが、 途中に立ちふさがっている障害が気にかかる。

ハワイに行きたいなら、あたかもすぐにハワイに出発するようなつもりで旅行の計画を立てよう。現地へはどの旅客機で行くか。航空運賃はいくらか、割引料金はいくらか。滞在先の宿泊施設についてはどうか。インターネットで以上のことを検索するとともに、ハワイ諸島の写真を見ながら学習するとワクワクしてくる。あなたはもうすでにハワイに行く方法について考えている。

調査をしてみると、さまざまなことがわかってくる。意外と旅費が安いとか、滞在をより楽しむ方法があるといったことだ。そのときすでに、あなたはハワイ旅行を実現する方法について考え、立ちふさがっている障害については考えていない。要するに、どのような目標であれ、いったん設定した目標を達成するためには、すぐに行動を起こして勢いをつけて前進することが大切なのだ。


ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日:2006-06-15

2010年9月21日火曜日

国立大学法人の組織文化の限界

前回の日記では、大学職員を目指す方たちが増えているという大変うれしいニュースに触れ、それでは、今求められているプロとしての大学職員とはどういったものなのかについて、広島大学の山本教授の論考を引用しご紹介させていただきました。

大学職員といっても、国公私立という設置形態によって、それぞれ求められる資質や役割は大きく異なってくるのだろうと思いますが、今回は、国立大学法人の大学職員の組織文化について分析し書かれた論考「『知の拠点』を支える人たち(職員編)」(国立大学財務・経営センター研究部 水田健輔氏)をご紹介したいと思います。

ローテーション人事の実際

多岐にわたる部署を異動し、組織の業務に広く通じたジェネラリストを育てる仕組みは、官民を問わず日本の人事制度の特徴といわれてきたものである。法人化前の国立大学は、文部科学省内の部門を構成していたわけであり、当然、ローテーション人事の一部を成していた。では、各大学が独立した法人となって以降は、どのような状況なのか。ここでは、2つのデータを示しておこう。

まず、文部科学省から国立大学法人への出向人事については、「文科省政策創造エンジン 熟議カケアイ」で活発な議論がすでに行われており、法人化後の状況については、このウェブサイトでの意見の応酬を読んでいただければ十分ではないかと思う。また、図2-6(略)にみられる役員人事への影響については、常勤役員総数から教員を除くと、出向者の割合はかなり大きくなるだろう。ただし、この件についても、2010年6月28日の国立大学協会総会で人事交流に関する了解事項と申し合わせが了承されており、より良い制度整備に向けて努力が続けられている。

本連載で取り上げたいのは、こうした側面ではなく、職員の能力開発、職場へのコミットメント、教員との職務分担、キャリアパスの描き方などであり、もう一つのデータを提示して、少し視点を変えてみたい。

図2-7(略)は、法人化後の国立大学の人事異動データをまとめたものであり、どのような初任地と前任地を経て、大学の役員あるいは管理職に至ったかを示している。つまり、いかなる職場で経歴を積んだかという点をより重視してグラフ化した。

まず、部長・課長クラス(以下「部課長等」)への新任異動者を見てみると、初任地も前任地も国立大学である方が6割を超えており、社会人として初めての職場が大学であった方については、8割を大きく上回る。つまり、国立大学というネットワーク上での人事異動を経て、部課長等に至った方が多数派を占めているわけである。もちろん大学内の業務は多岐にわたっており、個別大学の事情も全く異なるが、「大学職員」というカテゴリーで多様な経験を積み、職業人としてステップアップしていく様子が確認できる。

ただし、役員・事務局長クラス(以下「役員等」)になると、様相が一変する。初任地、前任地とも大学である新任役員等は37.1%であり、この中に教員が含まれていることを勘案すると、「大学職員」が役員等経営陣に参加する例は少ない。言い換えれば、部課長等は「大学職員」のキャリア階層に組み込まれているが、役員等に至る道は別に敷かれている道の方が広い。

文化的観点からの説明

ジェネラリスト指向は国立大学職員の持つ強い傾向であり、また官民を通じた日本の組織における人材育成の大きな特徴でもある。米国におけるスペシャリスト指向は、一般に「職務等級制度」の歴史から生まれたものであり、仕事の内容とその難易度に応じた人材を労働市場から調達して当てはめる形で異動が発生する。新卒者を一斉採用して組織内ローテーションで育成する制度とは根本的に異なっているので、両国の違いを人事・給与制度と分けて論じるのは、あまり意味がない。さらに言えば、米国の場合、学位や資格などの客観的評価を得て、市場で価値をアピールしなければ、良いポストを獲得できない。この点については、日本でも状況は変わりつつあるが、まだまだ組織内での評価の方が重視されているのが実情である。要するに、スペシャリストだから能力が高く、ジェネラリストだから前者に劣るということではなく、労働市場の流動性や人事・給与制度上の扱いが違うということにすぎない。

もう一つ、組織文化の視点から次のことを指摘しておきたい。オランダのGeert Hofstedeは、多国籍企業における各国オフィスの文化の違いを調査し、研究成果を発表している。ここでは、2005年に出版された最新成果から、図2-8(略)を紹介する。

この図が示しているのは、日本の組織文化が他国に比較して「不確実なことを極度に嫌い」「組織内の上意下達関係が強く固定している」点であり、Hofstedeは右下に属する国々の価値観を「完全官僚主義」と呼んでいる。行き過ぎた単純化や一般化は慎まなければならないが、国立大学が法人化されて以降の様々な動きがこの二つの特徴でかなり説明できるように思われる。

例えば、政府決定に基づく経営資源の不足に対して、何とか内部で解決しようと努力する。職員が不足していても、教員の協力を得ながら大学の業務進行に支障が出ないようにこなす。困難があっても根を上げることはなく、組織の評価が下がるような行動や報告は慎む。将来的な見通しが立たないことに対しては、求められる以上に身を削り、我慢し、できるだけ慎重に対応する。専門性をもとにした労働市場の流動化よりも、安定した職場で指示に従いながら、力を発揮することを希望する-といった点である。

ただ、こうした姿勢だけでは、もう限界に来ている大学があるのではないかというのが、筆者の疑問であり認識である。日本の組織文化を支えているHofstede的な「受身で我慢強い人達」を中心にして、これからも「何があってもひたすらジッとやり過ごそう」と考えるのか、それとも大学の将来的な「力」を見据えて前進と変化を求めるのか。このあたりの意思決定は学長にゆだねられており、また職員の在り方に深く関係している。そして、連載の第二回目で触れたとおり、学長の姿勢は第一期中期目標期間の間に二極化しつつある。この点について、人的資源のもう一翼を担う教員の動向を踏まえ、次回以降さらに考察を進めていきたい。(本稿中のいかなる意見も筆者の所属機関の公式見解ではなく、筆者の個人的見解である。)(文部科学教育通信  No250 2010.8.23)

2010年9月20日月曜日

プロとしての大学職員

大学職員への就職希望が増えていることがAERAで取り上げられています。”高収入と安定性”が人気の理由のようです。

”大学職員という職業”がちまたで認知されつつあることは、大学職員を仕事にしている私としては心から喜ばしいことだと思っています。このことは私の職業生活の支えにもなっています。しかし、できれば高収入や安定性だけで大学職員という仕事を選ぶのではなく、大学職員の仕事に魅力を感じ、大学を良くするために自分に何ができるか、あるいは何をやりたいかをよく考えた上で就職してほしいものだと思います。

大学職員面接試験で生き生き、はつらつと発言していたのに、就職し3か月も経つと途端に元気がなくなる新人職員をよく目にします。もっともっとのびのびと生きてほしいと願っています。

大学職員になりたい ブランド力向上に貢献 数千人応募の狭き門 (2010年9月12日 AERA-net)

大学入試どころか、オーディションなみの狭き門である。「2010年は、新卒の専任職員を17人採用しました。エントリー数は5千人以上です。中途採用にも2 千~3千人から応募がありました」 そう話すのは、早稲田大学の三浦暁人事課長だ。電力、銀行など有名企業の内定を得ながら選考に臨む学生が多いとい う。・・・


関連して、広島大学教授・高等教育研究開発センター長 山本眞一さんが書かれた論考「大学職員のプロフェッショナル化-IDEの特集を読んで」をご紹介します。

プロとしての職員の必要性

大学事務職員の能力開発については、この10年ほどの間、大学改革を実質的に支える手段としても、またこれからの大学経営を担わせるためにも、必要不可欠な要件として、次第に議論が煮詰まってきている。すなわち、それは第一に大学事務職員に大学内での然るべき役割ないし位置づけを確保すること、第二にその役割や位置づけにはそれにふさわしい能力開発が必要であること、第三に大学経営は「教職協働」の形で行われるべきこと、の3点に集約されるであろう。

このような折、最近の状況を把握するのに適切な読み物が出た。「IDE 現代の高等教育」の2010年8-9月号がそれである。「今月のテーマ」として「プロとしての大学職員」が設定されている。私の興味関心に合致するこれらの論考には、なるほどと思わせるものが多く含まれているので、すでに読者の皆さんがこの雑誌をお読みのこととは思うが、私なりの論評を交えつつ、紹介することとしたい。

筑波大学の加藤毅氏は「大学職員のプロフェッショナル化に向けて」の中で、これまでの現状認識と異なり、すでに少数派ながらもプロフェッショナルと呼ぶにふさわしい職員が活発な活動を展開し、実績を挙げているとして、これら「第一世代のプロフェッショナル」に学ぶことと、次世代のプロフェッショナル育成をどのようにするかが課題であるとする。わが国の大学には「人知れず地道な取り組みを重ねている優秀な職員が沢山いる」という指摘は、加藤氏が勤務する大学研究センターで実践中の社会人学び直しプログラムでの経験を踏まえてのことであろうが、彼らの意欲・能力をどう活かすかが課題であろう。

大学入試センターの柴田洋三郎氏は、長年勤務した九州大学での体験を踏まえて「大学職員への期待」を述べている。この中で、教員と職員の協働関係に触れているが、両者の関係には、1)支配型、2)従属型、3)中立型、4)協調型、5)折衷型があるという指摘や、大学職員は「社会の期待と要請を敏感に感じ取ることの出来る専門職能人として」活躍すべきだという主張には、大いに首肯し得る点がある。

プロに必要な能力・実力を

慶応義塾大学の上杉道世氏は、前任地の東京大学での経験から職員のあり方について有益な示唆を述べている。「変化する国立大学の事務組織」と題した論考において、「職員が教員に取って代わって大学を動かそうと言っているのではない」として、職員が教員と協力して力を発揮していくために必要な事務組織について、10ヵ条にわたる提言を書いている。

ルーティン業務の圧縮や、切り離せる業務の外部化や大学を越えた共同化、FDおよびSDの推進と一体になった組織編成の展開など、大いに参考とすべき提言である。実体験を踏まえたものだけあって、説得力があると感じるのは私だけではないだろう。

東京大学の山本清氏は「大学職員の能力開発」の中で、職員論を「支配・従属の論理」のみで語るのは危険であること、米国のように大学職員としての労働市場が確立するだけの規模を有している国とわが国を単純に比べるべきではないこと、などわれわれが日ごろ見落としがちな観点に触れつつ、教員と職員の職務分担は結局のところ両者の能力つまり生産性によって決まるものであるとして、わが国の実情に合った議論を勧めている。この中で、同氏が「最も不足しているのは、経営戦略を担うトップマネジメント層の人材である」ことや、教育学関係で行われている大学院プログラムが「専門職としての共有部分である経営知識・分析能力と大学関係の専門知識とのバランスが必ずしも十分取れていない」と述べている点などは、非常に重要な指摘であると思う。

事務組織も改革の方向へ

日本大学の大工原孝司氏は「大学の事務組織と職員」の中で、同氏が関係する大学行政管理学会の大学事務組織研究会での知見を紹介しながら、「ぬるま湯からの脱却と意識改革、大学経営戦略を立てるための情報収集の分析システムの構築、大学の経営、管理・運営について高度な知識・能力を持ったプロ職員の育成」が必要なことを述べている。企業に比べて遅れがちだとされる大学事務組織について、改革の改善の参考とすべき指摘である。

東京大学の鈴木敏之氏は東京大学の職員養成の課題をテーマとして、本年3月新たに策定された「東京大学の行動シナリオ」の中に「プロフェッショナルとしての職員の養成」が位置づけられていることを紹介し、「教員が中心的役割を担っている」大学の管理運営の現状を踏まえつついかにして教職協働を図るか、「教員の職員化」という問題を克服していかに職員の能力向上を図るか、など単なる理念ではない現実の課題への対処方策を述べていて、大変感銘を受けた。「リサーチ・アドミニストレータ」の育成方策などは、具体的な例として読者の皆さんも大いに参考とすべきであろう。

早稲田大学の谷口邦生氏は、早稲田大学における教職協働の実践を紹介している。同大学ではすでに1988年の文書で「教職協働」について述べられているそうだが、その後、必ずしも組織的な取組みが行われてこなかったところ、2007年度以来、新しい職員研修プログラムがスタートしたそうである。教職協働のあり方については学内でもいろいろ意見があるそうだが、同氏は「日常業務がますます多忙化するにつれて、むしろ教育研究への使命感や達成感への欲求が沸々と募っているように感じられる」として、その充満したエネルギーを経営陣がうまく引き出すことを求めている。

企画・戦略策定能力の養成

前兵庫教育大学副学長の川本幸彦氏は、国立大学の職員養成に関し、法人化に伴う業務量の増加に対応して職員の意識改革と業務課題の解決が必要であるとして、大学の未来戦略、早期決断による業務の迅速化、職員のSD活動の充実、組織運営の構造転換と業務量の削減を提言しているが、同氏の豊富な実務経験からくるものだけに、他の国立大学にも十分応用可能であろう。

東京大学の両角亜希子氏は、同氏が関わる東京大学大学経営・政策研究センターが2010年2月に実施した全国大学事務職員調査から、多くの職員は「企画調査能力」の強化が課題であると考えており、また個人のキャリアパスとして「幅広さ志向」が強いこと、プロとしての職員養成は、個人のやる気の問題ではなく仕組みをどう作るかという組織問題であること、など興味ある分析結果を紹介している。

最後に英国ロンドン大学のデビッド・ワトソン氏は、同大学が2002年に開設した英国初の大学マネジメントMBAコースについて紹介し、主として5回の一週間集中合宿で行われる内容には、戦略的マネジメント、教育・研究マネジメント、財政が必修としてのモジュールであり、そのほか大学のガバナンス、国際化、生涯教育、人的資源、マーケティングなどの選択科目も履修できるそうである。本人の自己評価によれば、これまで十分な資格と動機を持つ志願者を引き付けてきたとのことで、今後の展開を見守りたいところである。

以上、駆け足で紹介してきたが、いずれにしても現在は大学にとってその「体質変革の時代」(私が命名した2005~2020年のわが国高等教育システムの特徴)である以上、職員の能力開発とくにプロフェッショナルとしての養成方法には一段の工夫が必要なのである。(文部科学教育通信 No250 2010.8.23)

2010年9月17日金曜日

Okinawa 2010  歴史を学ぼう-辺野古

前回ご紹介した 普天間基地 の代替移設先として計画されている 辺野古 に行ってきました。

百聞は一見にしかず。目の前に広がる美しい海と砂浜を埋め立て、多くの貴重な生物を死滅させることが私達人間に許されているとは到底思えませんでした。


上空から見た辺野古の風景




出典:海上ヘリ基地建設計画 沖縄・一坪反戦地主会


V字滑走路案




出典:辺野古アセスを徹底検証 代替施設移設予定地の概要


辺野古の海岸線、前方に米軍キャンプ・シュワブがある





鉄条網に結ばれた移設反対を訴えるメッセージ












鉄条網の向こう側に入ることが禁じられている、ここは日本ではないのか





移設反対運動の拠点 テント村













テント村の真横にある静かな漁港





辺野古集落の中にある移設反対の看板





閑静な集落のそばには、国立沖縄工業高等専門学校の真新しい巨大校舎が。
これも振興策?





校舎直結の巨大な学生寮も完備されている


最近、米軍基地問題に苦しむ沖縄のこれまでとこれからを考えさせられる一つの記事に出会いました。ネット上で検索できませんでしたので、全文転載します。


沖縄漂う虚脱感 本土に届かぬ声(2010年9月12日 朝日新聞)

「チルダイ」。落胆のあまり全身の力が抜けることを意味する沖縄の言葉である。

沖縄県名護市の久辺中学校は辺野古の海を望む高台にある。屋根が赤くさびた体育館は隣の小学校との共用だ。今年度から建て替えられる予定だったが、工事は夏休みを過ぎても始まっていない。

米軍普天間飛行揚の移設と引き換えに、防衛省から市に入るはずだった年間10億円の米軍再編交付金の支給が決まらないためである。

「市長が反対しているから、ストップしてしまった。あの時の選択は正しかったのだろうか」。1月の市長選で移設反対の稲嶺進市長に投じた男性(56)は悩んでいた。

辺野古の元区長。国に逆らってもどうせ造られる。と一度は反対から容認に転じた。「基地はないにこしたことはない」。一度はあきらめかけた思いを呼び覚ましたのは、昨年の政権交代だった。市長選で基地問題は終わった、と思った。

だが、交付金を使った政府の揺さぶりに辺野古は再び割れつつある。「いつまで名護だけがこんな思いをしなければならないのか」


政権交代は何だったのか--。稲嶺市長擁立の中心になった島袋正敏さん(67)も考え込んでいる。

「基地問題に関しては民主政権も、自公政権と変わらない。すべてを金で解決しようとする。こんなやり方で市民を納得させられると思っているのでしょうか」

地元文化の保存に長年、取り組んできた島袋さんは政府の振興策に批判的な目を向けてきた。1997年の市民投票で示された「反対」の民意は当時の市長の受け入れ表明で覆され、移設反対の市長に代わってもその声は届かない。12日の市議選も移設容認だった前市長派との争いだ。

「いつまで名護だけが争い続けなければならないのか。活路を見いだせないんですよね。日米安保をどうすべきか、国民に議論してほしいのに、いつも沖縄だけの問題にされ、全国の問題にならない」


辺野古の南隣にある久志地区は、住民代表がつくる行政委員会が反対の意思表示を続けている。集落のすぐ西には米軍演習場が広がり、深夜まで集落の上空をヘリが飛ぶ。委員長の森山憲一さん(68)は言う。

「本土の人にとっては終わった問題かもしれませんが、私達はそうはいかない。沖縄は沖縄で、自分たちの力で解決する。それが沖縄がたどってきた道。宿命なんです」

72年の本土復帰後も、95年の少女暴行事件後も、そして、09年の政権交代後も、どんなに訴えても広大な米軍基地を強いられ続ける現実を前に、沖縄の人々は「チルダイ」するしかなかった。本土に伝わらないもどかしさ、沖縄の中で争う悲しさ、孤立感。島は重苦しい空気に覆われている。


ヤマトよ 偽善だ 「沖縄はかわいそうと言いながら・・・」 「痛み伝えぬ本土メディア」 地元の声、すくえぬ政治

普天間飛行場の周辺住民が起こした「爆音訴訟」の原告団長の島田善次さん(70)は7月、福岡高裁那覇支部であった控訴審判決後の会見で、居並ぶ記者にまくしたてた。

「鳩山さんが『県外』と言った後、日米同盟が破綻すると朝白新聞はじめ各新聞が騒ぎ出した。沖縄の現実をもっときちんと報道してほしい。安保が必要、抑止力が必要というのなら、まず自分のところに持っていきなさい」

牧師の島田さんが普天間のゲート前で1人で座り込みを始めたのは1979年。生まれたばかりの娘がヘリの騒音に泣きわめき、乳を吸わなくなったのがきっかけだった。

周囲からは「基地が動くわけがない」と笑われ、当時の宜野湾市長に面会を求めても「基地は金のなる木」と取り合ってもらえなかった。約400人の原告団を率いて提訴したのは23年後。損害賠償は認められたが、最も強く求めた深夜早朝の飛行差し止めは退けられ続けている。

同じ苦しみを辺野古に押しつけられないという思いがなぜ伝わらないのか。「日米安保は大事だと言い、沖縄はかわいそうと言いながら、痛みを受け入れようとはしない。ヤマトの偽善だ」


全国紙を批判

地元紙の沖縄タイムスは7月末の社説で島田さんの発言を取りあげ、朝日、毎日、読売の3紙の実名を挙げて異例のメディア批判を展開した。

《沖縄だけに基地を押し込める日米両政府の従来政策はなぜか検証されない》《「同盟危機」という言葉が思考停止を起こさせた》

沖縄タイムスの屋良朝博論説委員(48)は言う。「海兵隊がいないと本当に抑止力が維持できないのか。なぜ沖縄なのか。本土メディアは日米安保のあり方に踏み込まず、『沖縄なら仕方ない』で済ませてはいないか」

《アメリカは怒っている》《日米同盟がもたない》--。政権交代以来、繰り返し報じられる日米の当局者の大合唱を前に、沖縄からの訴えはか細く、かき消された。

55年1月、米軍統治下の沖縄での「銃剣とブルドーザー」による強制的な土地接収を本土に初めて伝えたのは朝日新聞だった。沖縄に記者を常駐させることもできなかった時代だ。

本土メディア不信が広がり始めたのはいつだったのか。琉球大学准教授(マスコミ論)の比嘉要さん(46)は04年8月、沖縄国際大学に普天間の米軍ヘリが墜落した事故で、地元紙に比べて全国紙の地味な扱いに驚いたという。

「沖縄の痛みが本土には伝わっていなかったことを県民は改めて認識したのです。これまでの積み重ねです」
沖縄を裏切るのか。また切り捨てるのか。沖縄から上がる声は、鳩山由紀夫前首相だけに向けられたものではない。


守るのは自分

宜野湾市消防本部の大川正彦さん(45)は沖縄国際大の米軍ヘリ墜落現場で消火活動にあたった一人だ。立ち上がる炎までは10メートルほど。「爆発しないでくれ」。祈るような思いだった。

鎮火後、実況見分しようと近づくと、米兵が立ちはだかった。腰の銃に手をかける米兵もいた。事故から1週間、遠巻きに米軍の調査を見守るしかなかった。「ここは日本じゃないのか」

普天間飛行場の中には、大川さんの父が残した土地がある。沖縄戦で壕に隠れて生き延びた父の家族が、収容所に入れられている間に米軍に奪われた畑だ。

宜野湾市の安仁屋真昭さん(70)は事故を知って68年の体験を思い出した。

米軍統治下の沖縄を離れていた時だ。数学科助手として勤務していた九州大学(福岡市)に米軍機が墜落した。大学側は米軍による墜落機の回収を拒み、焼け焦げた機体を半年以上もキャンパスにさらして危険性を訴えた。4年後、墜落機が所属していた基地は返還された。

「この違いは何なのか。日本に切り捨てられた沖縄は今も占領状態だ。自分の身は自分で守るしかない。これまでも、これからも」


迷走する民主

こうした声をすくい上げるはずの政治は混乱したままだ。96年の普天間返還合意以来、過去3回の知事選は、県内移設の是非が最大の争点だった。結果は容認派の3連勝。だが、今回は自民から共産までが「県内移設反対」を掲げている。

「普天間はもう争点じゃない。みんな反対なんだから」。仲井真弘多知事(71)の再選を目指す自民県連副会長の翁長政俊県議(61)は言う。

「政権与党として、県民と党本部との間で苦しい思いでやってきたが、もうそんな時代ではない。永田町ですべて決めていては、県民の信頼は取り戻せない」

一方、民主県連はさらに迷走している。今も「県外、国外移設」を掲げてはいるが、知事選では党中央から「県内移設反対の候補は推せない」とくぎをさされ、誰を推すかもさえ決められずにいる。

知事のブレーンでもある琉球大学教授の高良倉吉さん(62)はいう。

「沖縄が求めているのは、同情じゃない。日本の安全保障を国民全体で議論することです。誰が見ても差別的、不公平な状況が日本全体の問題になっていない。沖縄はまだ完全には日本に復帰していないんです」

沖縄は日本なのか-。沖縄で今、繰り返し問われる言葉である。(後藤啓文)


関連サイト

辺野古の海


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