2010年9月24日金曜日

Okinawa 2010  文化を学ぼう-世界遺産・中城城跡

沖縄には現在、9つの世界遺産があります。このうち今年は、 中城城跡 に行ってきました。


古琉球*1時代を今に伝える中城城跡

中城城跡は、かつて、貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2Kmほど離れた標高約160mの丘陵上にあります。

中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られています。

石垣の上に立つと、西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、勝連半島、知念半島、さらには周囲の洋上の島々まで見渡せる眺望のすばらしいところです。

城は、連郭式の山城で、6つの郭(くるわ)で構成されています。城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で構成されています。その築城技術の高さは、芸術的と言われ、歴史的に高い評価を受けています。

中城城は、14世紀後半頃まで先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代にわたり、西の郭、南の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸(ごさまる)*2によって、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクの形が完成したようです。

中城城跡は、1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定されました。指定面積は110.473㎡(約33,400坪)で、その内14,473㎡(約4,300坪)が城郭の面積です。

2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産にも登録されました。(現地でいただいたパンフレットから抜粋)


中城城跡全景
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(出典:中城城跡ホームページ


三の郭

新城(ミーグスク)とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ
あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている

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裏 門

東に向かって建てられた裏門
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチがひときわ美しい

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発掘調査中の一の郭

中城城で最も広い一の郭。正殿があった
護佐丸が宴を催した観月台もある
後に間切番所(まぎりばんじょ)が建てられ、
廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で消失した

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城壁から海を望む

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二の郭

一の郭と二の郭の石積み技法は、布積みである
二の郭の曲線の美しさは一際ひと目をひく

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大きな地図で見る


参考までに、沖縄にある世界遺産(公式名称は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」)をご紹介します。

沖縄では、多くのグスク(城)及び遺跡の中から、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)が第24回世界遺産委員会会議で2000年(平成12年)に世界遺産登録されました。

(参考)沖縄の世界遺産 地図



首里(しゅり)城跡(那覇市)

f:id:asitano1po:20100923135101j:image:left,w250尚巴志(しょうはし)の三山(さんざん)統一から廃藩置県まで450年に渡り、琉球王国の政治・経済・文化全ての中心となったグスクです。戦前は国宝にも指定されましたが、沖縄戦で消失しました。1992年までに正殿、南殿・北殿、奉神門(ほうしんもん)等が復元され、現在も発掘・復元作業が進められています。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


座喜味(ざきみ)城跡(読谷村)


f:id:asitano1po:20100923135103j:image:left,w2501420年頃、座喜味城跡(ざきみじょうあと)は当時読谷を治めていた按司(あじ)、護佐丸(ござまる)が築城したグスクで、重厚で曲線に富んだ城郭が特徴です。後に護佐丸は中城城(なかぐすくじょう)に移りますが、石積みの技や排水施設など、中城城と共通した技術を見ることができます。





勝連(かつれん)城跡(うるま市)


f:id:asitano1po:20100923135056j:image:left,w250琉球王国が安定していく中で、首里の国王に最後まで戦いを挑んだ按司(あじ)、阿麻和利(あまわり)の城として有名です。阿麻和利は、1458年に国王の重臣である中城城(なかぐすくじょう)の護佐丸(ごさまる)を倒し、さらに首里城を攻めましたが、負けて滅びてしまいました。一番高い一の曲輪の眺めはバツグンです。





今帰仁(なきじん)城跡(国頭郡今帰仁村)


f:id:asitano1po:20100923135057j:image:left,w250琉球が中山(ちゅうざん)に統一される前の「三山鼎立時代(さんざんていりつじだい)」には山北(北山)王の居城として栄えたグスクです。難攻不落(なんこうふらく)の城といわれていましたが、尚巴志(しょうはし)によって落とされました。雄大な城壁がよく残り、県内でも最大規模の史跡として見所は満載です。


(過去記事)沖縄2008・世界遺産 今帰仁城(2008年9月13日)


斎場御嶽(せぃふぁうたき)(南城市)


f:id:asitano1po:20100923135058j:image:left,w250琉球の創世神(そうせいしん)・アマミキヨがつくったといわれる七御嶽(うたき)のひとつで、琉球最高の聖地といわれています。そのため、ここで王国の最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀礼が行われました。かつては男子禁制であり、国王でさえ簡単には入ることができませんでした。現在は東御廻り(あがりうまーい)の名所としても有名です。





園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135100j:image:left,w2501519年尚真王(しょうしんおう)の命で建造された石門で、沖縄戦で一部破壊され、1957年に復元されました。国王が外出するときに安全祈願した礼拝所として使用され、形は門になっていますが人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所です。今でも多くの人が祈りを捧げに訪れます。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


玉陵(たまうどぅん)(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135102j:image:left,w2501501年に尚真王(しょうしんおう)が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれた、第二尚氏王統の陵墓(りょうぼ)です。創建当初の墓室の東室には王と王妃、西室には限られた家族が葬られています。沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復されました。


(過去記事)沖縄旅行記2009(1)旅のはじまりは首里城散策から(2009年8月11日)


識名(しきな)園(那覇市)


f:id:asitano1po:20100923135059j:image:left,w2501799年につくられた琉球王家最大の別邸で、王家一家の保養と冊封使(さっぽうし)など外国使臣の接待などに利用されました。池のまわりを歩きながら、景色の移り変わりが楽しめる「廻遊式庭園」です。日本の造園形式を基本としながら、中国風の六角堂やアーチ橋が配されるなど、琉球独特の工夫が見られます。






画像出典:沖縄観光チャンネル

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*1:三山時代から統一を経て薩摩侵略までの14世紀前後から17世紀初めまでの沖縄の歴史区分名。海外貿易が盛んに行われ、琉球王国が成立して、文化の華が開いた時代をいう。

*2:中城按司護佐丸盛春(もりはる)。唐名毛国鼎(もうこくてい)。琉球が三山(さんざん)分立から統一へ向かった頃の武将。名築城家。座喜味城、中城城を築いた。「毛氏先祖由来記」によれば、勝連城主阿麻和利から中山(ちゅうざん)を防御するため、中城の地を賜ったとされる。1458年、阿麻和利の攻略によって滅びた。