2011年2月16日水曜日

利益代表では教員の資質向上は議論できまい

今年1月末、「学校教育における諸課題の複雑・多様化に対応して教員に求められる専門性を今一度見直し、養成段階を含めた教職生活の全体を通じて不断に資質能力の向上や専門性の高度化が図られていくようにするため、教員免許制度と教員養成・採用・研修の各段階を通じた一体的・総合的な取組が行われるようにする」ための具体的方策を検討してきた中央教育審議会から審議経過報告が公表されました。
噂によれば、出された意見の多様さゆえ、その調整や取りまとめに時間を要し、当初予定されていた時期が延びてしまったようですが、最近、その原因の一端をうかがい知ることのできるコラムに出会いました。

このコラムは、日本経済新聞社編集委員の横山普一郎さんが、IDE(現代の高等教育)(N0.528 2011年2-3月号)に寄稿されている「取材ノートから」というものです。なかなか鋭い指摘だと個人的には興味を持ちました。

教員の資質向上


昨年末、中教審の「教員の資質能力向上特別部会」が審議経過報告をまとめた。
6月の諮問以降、部会が議論してきたのは、教員養成の6年制化と教員免許更新制度の是非だった。だが、審議が始まった直後の参議院選挙で民主党が大敗、更新制見直しを打ち出しても、法改正の見通しが全く立たない状況に追い込まれた。

こうした事情もあり議論は迷走した。審議経過報告は、教員免許に「基礎免許状」、「一般免許状」、「専門免許状」を設けることや、6年制化を引き続き検討することを盛り込んだが、更新制の是非も含め具体的な結論は殆ど得られないまま、各論並記でタイムリミットの12月を迎えた。委員からも「何も決まらない」、「具体的成果はない」、「深い議論はできなかった」などの声が上がる。

教員の資質能力向上は、極めて今日的で重要なテーマである。それだけに、審議が中途半端に終わった事は残念だ。その要因はいくつかあるが、最大の問題は、「教員養成制度改革」という長期的テーマと「免許更新制の廃止」という当面の政治課題を一緒に諮問したことだと思う。

元々、更新制は自民党政権時に政治主導で導入され、効果や仕組みについて様々な批判や異論があった。政権交代の象徴として早急に見直したいという政務3役の思いはわからぬでもない。

だが、一方の教員養成制度は些か事情が異なる。現状に課題が多いのは確かだが、戦後の教員養成制度の歴史的背景や教員養成系大学とそれ以外の大学との利害対立、大学と教育委員会の思惑の違い、教員免許の位置づけなど、様々な論点がある。諮問で求めた半年程度の審議で結論が得られる問題ではない。

審議で浮き彫りになったのは、大学と行政(教育委員会)・学校現場(校長)の深刻な相互不信だった。大学の中でも、教員養成系単科大学と総合大学の中の教員養成系学部、開放制の恩恵を受ける私立大学の間で意見は割れた。会議のたびに20数人の参加者が自分の立場で意見を言うが、議論はそれ以上深まらない。最後は部会長の「言い切れなかった意見は文書で事務局へお出し下さい」の一言で、お開きになることの繰り返しだった。

中教審は2月に新委員の下で再出発するが、特別部会は多くの教訓を残した。

第1は、日本の教育が直面する課題の本質に対する考察の希薄さである。教員の資質向上という以上、今の教育はどこが問題で、これからの教育はどのような人材を育てるべきかという原点に立ち返りそのためには教員に必要な資質は何か、それは誰がどこでどのような養成・研修を行えば身につくのか、といった議論が欠かせないと思うのだが、そうした議論は殆どなかった。

第2に、委員が利益代表として振る舞う場面がますます増えてきた。日本は低迷の20年間から如何に抜け出すかが大きな課題だ。教育も同様で、21世紀に相応しい人材の育成方策が問われている。審議会で聞きたいのは、特定の利益に立つ「有識者」の議論ではない。時代状況や教育全体、社会全体に目配りできる「有識者」の議論である。

第3は、始めに結論ありきのような性急な諮問の在り方だ。審議会は所詮、行政の隠れ蓑という見方はあるが、専門家が活発に講論を闘わせて一定の方向性を得るメリットも否定できない。議論を活性化するためにも次期中教審では民主党政権下ならではの審議会の在り方を見せてほしい。(日本経済新聞社編集委員 横山普一郎)