2011年9月10日土曜日

震災を巡る光と闇

未曽有の大災害をもたらした東日本大震災から6か月が過ぎようとしています。

今朝(2011年9月10日)の「天声人語」から

歌手の福山雅治さんがアエラ誌上で語っている。「曖昧(あいまい)で詩的な表現、例えば『虹を追いかけて』『あの空の向こうへ』みたいな歌詞は、今は何か違う……より視覚的に、はっきり言葉を届けていこうというのが、2011年以降の僕なのかも」と。

震災後に再開したツアーでは、電力を食う派手なセットをやめ、収益を被災地に贈る東日本応援シートを設けた。長崎出身の被爆2世は「いま生きている僕らは、元気に、これまで以上に頑張る」と、ステージに立つ。

明日であれから半年になる。「がんばろう日本」の連呼も、なかなか被災者の生活再建につながらない。福山さんが音楽で率先するように、必要なのは虹より傘、空ではなく大地、目に見える支えである。

過日の紙面で、手つかずの被災地を語る写真を見た。事故原発に近い福島県浪江町。野生化した牛の群れが、草ぼうぼうの校庭を疾走している。警戒区域は放射能に汚れたままだ。宮城、岩手県でも、政府の対応の遅れから復興計画が固まらぬ自治体が多く、被災者は将来図を描けない。

そんな折、福島の産品を応援する福岡市での企画が、「放射能をばらまくな」といった抗議で中止された。一部の声としても、東北との悲しい隔たりを突きつけられた思いだ。

遠方の惨事を見聞きするたび、他人事と高をくくるのが人の常だが、一国を揺るがすほどの災害に部外者はありえない。ならば真剣にかかわりたい。節目を前に、震災を巡る光と闇に触れての思いである。
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