2012年1月14日土曜日

大学改革の方向性

伝聞ですが、去る1月10日(火)に開催された国立大学協会主催の「臨時学長等懇談会」で、文部科学省の幹部は、こぞって「大学改革が今ほど社会的文脈の中で問われていることはなく期待と関心が強いこと、目に見える形で、スピード感をもって改革を進めていく必要があること、そして、国立大学こそがトップを切って走っている姿を見せることが重要であること」を力説したようです。今年は、本腰を入れて「大学改革の加速化」に邁進する必要がありそうです。

さて、昨年末のことになりますが、あるIR関係のセミナーで、文部科学省高等教育局政策室長の榎本剛さんのお話を聴く機会がありました。個人的な見解を含め、国の教育政策の動向をとてもわかりやすく説明されました。配付された資料の一部をご紹介します。


大学改革の座標軸

本日は、議論を喚起するために、私見を述べたいと思います。
人々が大学で学ぶ理由はいろいろあると思うのですが、年齢・国籍・性別に関わらずさまざまな人にとって、大学が、知識・技能を修得し、そうした知識・技能を活用できるようになり、さらに、新しい知を生み出す創造性を身に付ける機会となることが重要です。
大学は極めて多様です。それぞれの大学が、研究者養成、幅広い分野の職業人の養成、地域の様々な活動に貢献できる市民の育成などに取り組み、それが社会全体として多様な人々が学びの機会につながることが求められます。(→本年1月の大学分科会の審議まとめ)
各大学では、学生や社会のニーズを踏まえながら、様々な改革が進んでいます。(→これまでの改革の進展例)
その一方で、「大学改革が進んでいない」または「進んでいるように見えない」との指摘は強いです。(→仕分けの論点と方向性)
なぜなのでしょうか。

ここで、すべての論点をあげることばできませんが、大学における教育の課題について、次で、いくつか考えてみたいと思います。

なお、現在の大学分科会の議論も、こうしたことを焦点化しようとしています。その際、大学が、一人ひとりの学生の社会的・職業的自立にどのように貢献できるのか、また、社会との関わりの中で、その公共的な役割から導かれる役割をどう果たすのかが課題になると思っています。

1)平成20年の「学士課程答申」では、「3つの方針」(学位授与←カリキュラム←学生受入れ)を各大学が定めることが提起されました。この4月からの「教育情報の公表」もあり、各大学でそうしたことへの取組が見られます。

一般的には、そうした方針が抽象的な記述にとどまっていたり、その方針を具体化する手段がはっきりしなかったりすることはないでしょうか。「方針を明らかにすることが求められている背景は何なのか」という文脈とあわせて考える必要があるように思います。

2)また、「学士課程答申」(ほかにも、平成10年の大学審議会「21世紀答申」など)は改革を進めるための具体的なやり方も提起しています。関連する大学設置基準の改正や、GP事業などを通じた支援もなされています。

そうした手法が、別々のものとして受け止められ、大学として、何を目指しているかが曖昧になっていることはないでしょうか。例えば、あるテーマに関して、「本来は、この改革のためには、全体的なカリキュラムの見直しが必要なのだが、それを待っていては始まらないので、まず着手する」というお話を伺うことがあります。携わっている方々の御尽力は並々ならぬものがあり、そうした姿勢は大事にしたいと思います。一方で、そうした努力が、大学教育の充実にどう貢献しているか見えにくい場合もあるように思います。

「学士課程答申」では「諸手法(シラバス、セメスター制、キャップ制、GPAなど)を相互に連携させて運用する」と述べていて、この共通理解をさらに考えたいと思っています。

なお、この答申の括弧書きに挙げられている用語が、すべてカタカナやアルファベットであることも難しい問題をはらんでいます。

3)上記の1)や2)は、どちらかというと(重要ではあるものの)技術的な内容です。それと別に(1の内容と近いのですが)、それぞれの大学で、どういう教育をするか、そして、それが実現できているか、それは誰に評価されるべきなのか、など学内で十分に議論できているでしょうか。

「学問の自由」とそれを背景とする「大学の自治」は、大学制度の根幹をなすものです。それを前提に、大学における教育が、自主的・自律的に充実していくことが大切です。

IRは、そうしたことを推し進めるために、いろいろな役割を果たせると思います。ただ、「IR」という用語は、それが何を指し示すのか、それによって何ができるのかが、IRに直接に携わるかたがただけでなく、教職員一人ひとりに届かなければ、教育の充実を具体的に進め、社会の期待に応えていくのは難しいかもしれません。

IRへの期待はとても大きいですし、そうした期待に応えるためにも、さらに工夫していく余地があるのではないかと考えます。


(参考)文部省「学制50年史」(大正11年(1922年))

我が国現今の制度は外国のものに比して、大いなる遜色を有しないと信ずるが、なお時勢の推移に応じて、絶えず修補改訂を加える必要のあることは論を特たぬ。それと同時に今後大いに力を用うべき点は教育内容の充実である。この点に向かって、朝野を問わず、国民一同に一層奮励努力して、先人に恥じざる功績を挙げ、我が国文化の向上を図るとともに世界の進運に貢献することを期すべきである。(注:旧字体等は適宜修正)