2012年3月21日水曜日

競争は能力を開花させるか

ブログ「教育の危機と再生」(内田樹の研究室)から抜粋しご紹介します。


教育崩壊の最大の原因は、子どもたちを競争的環境に投じて、数値的に格付けして、点数順に社会的資源を傾斜配分するというシステムにしがみついていることです。点数の高いものには報酬を与え、低いものには罰を与えるというこの査定システムの本質的な貧しさと卑しさが子どもたちを学びから遠ざけている。学校そのものが子どもたちの潜在能力の開花を阻害し、健全な子どもたちをそこから脱落させている。そして、日本の学校をうまく逃れた若者たちだけが輝いている。これは日本の学校教育にとって恥とすべき事態だと思います。

では、危機にある日本を再生するためにどうすればいいのか。言い古された言葉ですが、日本の未来を担うのは子どもたちなんです。どうすれば、本当に日本の未来が担えるような、知的で、感情豊かで、器が大きくて、目元が涼しくて、話がおもしろくて、包容力があって・・・そういう輝く子どもが育ってくれるのか。学校教育に携わる人間は何よりもそれを考えるべきでしょう。試験で計れる点数なんか、極端な話、どうだっていいんです。

武道の道場では相対評価ということをしません。誰より誰が強いとか、巧いとか、そういうことは原則として話題にしないし、すべきでもない。だって、入門してくる時もばらばらだし、性別も年齢も身体能力も違うから比較する意味がない。

他の条件を同一にすれば、強弱巧拙は比較可能ですけれど、武道というのは「他の条件を同じにした場合に、どちらが強いか」というような気楽な話をしているわけじゃない。いつ、どこで、どういうことが起きるかわからない。どうしていいかわからないその危機的状況をどうやって生き延びるか、その生きる知恵と力を開発することが修業の目的なんです。それは他人と比較するものじゃない。比較する対象があるとしたらそれは「昨日の自分」だけです。自分自身の経時的変化をモニターすれば、自分が今やっている稽古方法が正しいかどうかは点検できる。

でも、その経時的変化にもいろいろある。すぐに上達するけれど、その後、長い停滞期に入る人もいる。あれこれ迂回したけれど、その寄り道のすべてが滋養になって開花する人もいる。いろんな人がいます。でも、稽古を続けていれば全員必ず開花するんです。よほど自分自身を縛り付けて成長することを拒否している人以外は、必ず上達する。とくに学校体育で劣等生だった人が10年20年の稽古のあと、爆発的に身体能力が開花することがある。これは感動的という他ありません。

それと同じことがなかなか学校では起きない。それは年次ごとに、ここまでという到達目標を設定し、同学齢集団をまとめて、その内部での相対的な優劣をうるさく論じているからです。格付けの高い子どもに資源を集中して、格付けの低い子どもには罰を与える。こんなシステムで才能が開花するはずがない。子どもたちはみんな実はすばらしく個性的な才能を持っているんです。でも、あまりに個性的なので、何がトリガーになって開花するのか、誰にもわからない。教師にもわからない、親にもわからない、もちろん本人にもわからない。

だから、学校ができるのは手を変え品を変えて子どもにアプローチすることしかないんです。こうすればどんな子どもでもうまくいくっていう一般的なマニュアルは存在しません。教える側の僕らにできるのは「手立てを尽くすこと」と「待つこと」だけなんです。