2012年4月3日火曜日

法人化と大学改革(2)

前回に続き、澤昭裕さんが書かれた論考「国立大学法人法と国立大学改革」をご紹介します。


2 法人化の目的・・・「均衡ある発展」

第一条の目的の条文は次のとおりである。
「この法律は、大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るため、国立大学を設置して教育研究を行う国立大学法人の組織及び運営並びに・・・について定めることを目的とする。」(下線は筆者)

国立大学の法人化をめぐる議論の中で、最も懸念されていた問題の一つが地方国立大学の行く末である。大学間競争が激しくなれば、旧帝大に比べて予算や人員が乏しく、施設も老朽化している地方大学は、将来廃校も含めて検討せざるを得なくなるのではないかという議論が、地方大学学長から多くなされていた。下線部の「均衡ある発展」という部分は、そうした声に配慮した結果挿入された文言であろう。

「均衡ある発展」の意味は、学部教育と大学院教育との間、学問分野間、地域間の3つのバランスを意味するというのが、文部科学省の国会答弁である。しかし、前二者は具体的な「政策」や行政側の所為に結びつくものではなく、基本的には大学側が判断すべきものであり、結局「政策」的な意義を持つのは「地域間のバランス」ということになる。学生の修学機会の確保と地域社会発展のために、各都道府県に少なくとも1校の国立大学を配置するという政策が、この目的規定によって将来とも維持されることが明らかにされたと解することができる。

これまで、学校教育法その他の国立大学に関連する法制度の中に、こうした「均衡ある発展」といった目的が規定されていた例はなく、国立大学法人法の制定を契機に、こうした全国一律の高等教育機会の確保という事実上採用されていた政策を法的に根拠づけることによって、地方国立大学からの存続維持に対する不安を払拭することを狙ったものだと言えよう。

しかし、この「均衡ある発展」という概念は両刃の剣なのである。文部科学省自身が護送船団方式への批判に対応したと国会で述べているとおり、国立大学法人法は、個々の大学が行政による一律的な規制と保護から脱し、自律性を持ちながら個性化を図っていくことを狙ったものであるにもかかわらず、「均衡ある発展」という概念は、全ての国立大学の横並び的取扱いを含意するものである。

確かに、地方国立大学が置かれている状況は、財政面や資産面を考えれば非常に厳しい。地域経済社会においては、人材育成や産業発展、さらには文化の継承発展等に対して大学が果たす役割に、大きな期待が寄せられているが、限られた経営資源の中では、教育研究の範囲や規模について、集中と選択を迫られることになろう。法人化された後には中期計画を策定することになるが、地方国立大学こそ特色ある内容をもつ計画を示すべきである。

本条文を根拠として、他県他大学との横並びを訴えていくような言動や地元選出国会議員に対する利益誘導の働きかけなどの政治的活動が見られれば、大学に対する信頼感は失われ、再び政治・行政の介入を強く受けることになる。「国土の均衡ある発展」という概念が、公共事業の重点化を妨げ、非効率な社会資本投資が全国的に行われたことを思い起こせば、「均衡ある発展」というマジックワードが持つ危険性を理解できるだろう。

そもそも今回、国立大学の改革が必要であるとされた理由は、1996年の行革会議での議論の結果である中央省庁等改革基本法第43条第2項に端的に表現されているので、長くなるがここに引用しておきたい。

「政府は、国立大学が教育研究の質的向上、大学の個性の伸長、産業界及び地域社会との有機的連携の確保、教育研究の国際競争力の向上その他の改革に積極的かつ自主的に取り組むことが必要とされることにかんがみ、その教育研究についての適正な評価体制及び大学ごとの情報公開の充実を推進するとともに、外部との交流の促進その他人事、会計及び財務の柔軟性の向上、大学の運営における権限及び責任の明確化並びに事務組織の簡素化、合理化及び専門化を図る観点から、その組織及び運営体制の整備等必要な改革を推進する。」

この条文から明らかなように、後段は国立大学法人法の大学運営に係る諸規定によって実現されているわけだが、その前段にある考慮要因の諸要素は、国立大学法人法第1条において、全て「大学の教育研究に対する国民の要請」として曖昧化され、特に「大学の個性の伸長」という点は、全く欠落したものとなっている。「個性の伸長」よりも「均衡ある発展」を行政・大学関係者が望んだ結果、中央省庁等改革基本法の精神がないがしろにされているとすれば、今回の大学改革は道半ばに終わっていると断じざるをえない。(続く)