2012年5月8日火曜日

高等教育政策の目指すべき方向性

論考「国立大学法人化政策の課題とその対応」(東京財団)を抜粋してご紹介します。

はじめに

そもそも、大学の受益者は「学生」と「社会」である。これは大学の機能である「教育」を通じて人材を育成し、もって社会に広く貢献することによるものであり、また、もう一つの機能である「研究」を通じて真理の探究や新しい技術開発や社会の構築が可能となることによる。だが、いまの大学は受益者である学生と社会を向いた運営ができているだろうか。

実際に現場である大学では、法人化以降、文部科学省への依存が進み、行政頼みのマネジメントと事務組織の硬直化に陥っている。その影響は研究と教育、双方に及んでおり、研究や教育に割ける時間の削減、質の高い論文数の減少等の影響をもたらしている。


1 国立大学法人化の経緯と現状(略)

2 現場から見た課題

(1)文科省ばかりを向いたマネジメントと事務組織の硬直化

国立大学法人は、国の予算編成がきわめて厳しい中、運営費交付金に対して効率化係数(1%)や附属病院の経営改善係数(2%)が適用されている。そのため、人件費を除く基盤的経費が制度上毎年削減され、法人化以降年々増える人件費が交付金では賄えなくなってきており、大学の経営、とくに経費面での改革が迫られている。法人化によって組織と資金の自由度を高められたにもかかわらず、組織改革や予算節減などの経営課題の解決は進んでいないのが現状だ。中でも、本来、経営面では、学務のプロである学長とは別に、経営のプロである理事長が経営改革に臨むべきなのだが、現時点で学長と理事長とを分離した国立大学は全く無い。2009年の事業仕分け(行政刷新会議)において有識者の仕分け人より、こうした現状に対する問題意識を尋ねられた文科省の返答も、国立大学法人の学長職と理事長職の分離に関しては否定的であり、企業経営能力に長けた民間経営者は理事(非常勤)として入っていれば十分で、必要に応じて文科省や他省庁から国の業務に精通した適任者(官僚)を理事会へ派遣すれば足りるというものであった。

学長兼理事長の下、大学の現状は何も変わっていない。本来であれば、理事長を兼務する学長の下、従来の教授会中心のボトムアップ型の組織から学長・理事長主導のトップダウン型組織に転換しているはずだが、そうはなっていない。ボトムアップ型の教授会が力を持続したままの中途半端な経営形態のままだ。実際、本来は入試と卒業だけを扱えばよいはずの教授会になったはずだが、教授会の議題は従来と変わらないものとなっている。

大学法人化は、大学運営資金の調達先の多様化、つまり民間からの資金調達を志向していたが、実態としてはほとんど進んでいない。そうした中、運営費交付金が毎年度削減されたことによって、文科省依存がさらに強まったことはきわめて皮肉なことだ。実際、昨年の予算編成に際して、「元気な日本復活特別枠要望」に関するパブリックコメントを広く求めたところ、文科省関連のパブコメが85%を占めた。これは、特別枠の確保を図ろうとした文科省が関連団体にパブコメへの応募を呼びかけたためである。大学では、組織を通じて、教職員に対してパブコメに応募するよう組織的な働きかけが行われた。国立大学法人が文科省の方を向いて「やらせ」と言えなくもないパブリックコメントを乱発している実態は、国を代表する教育研究機関のあるべき姿として妥当性を欠く。

加えて、運営費交付金縮減に伴う総人件費抑制のため、定年退職教員の不補充を余儀なくされている。大学教員の世代交代は教育研究スタッフの人件費削減に効果的であり、博士号取得者が無給や薄給で出身大学に居残り続ける状態を直ちに解消し、ポストドクターを大学・研究機関等に社会参画させて科学技術創造に邁進させることが経済成長戦略上不可欠といえる。しかし、財務的に弱い国立大学法人では固定費となる人件費を圧迫するため、定年退職教員の後任者補充人事が凍結され、常勤教員数が2004年~2008年で1793名減少した。その結果、若手の登用が見送られて、教員組織の高齢化が進み、研究活力の高い若い教員が減ったため教員人事の硬直化が急速に進んできた。その影響もあって、図5(略)に示すように教員の研究実験活動時間の縮小という形での研究機能の劣化、さらに論文発表数の減少(図3:略)が避けられなくなっている。

国立大学の定員管理は、法人化以前には同じ国家公務員として職員研修や大学間移動人事も可能であったが、法人化後は法人間での人事異動が困難になり、各法人の間における人材の流動化も停滞している。専門性の高い教員の採用は、法人化以前から公募方式が主に行われてきたため流動性は基本的に確保されているものの、専門性が低く、企画立案能力が乏しいといった事務系職員の質の格差問題は急速に拡がり、大学の事務機能が弱まった。各法人で任期付き非常勤職員の導入が大量に進んだこともあって、文科省からの膨大な調査資料作成依頼に対し事務系職員は数字のとりまとめしかせず、調査書類の作成は教員に委ねて手を煩わせるということが具体的事象として現れている。教員の事務作業量が増えたことによって、研究メイン大学(旧帝大クラス)と教育メイン大学(地方・単科大学)とで若干異なるが、研究に充てられる時間は大幅に減る傾向にある。法人化によって学長がすべての人事権を掌握することになり、教員や事務系職員の採用や配置も学長の自由裁量に任せられているとはいえ、教授職しか経験の無かった学長に積極策が急に打てるわけはなく、前例踏襲が原則の事務組織に多くの執行権が委ねられている現実も大学改革が進まない原因の1つであろう。

3 高等教育政策の目指すべき方向性

以上の問題提起を踏まえれば、大学をはじめとする高等教育政策で目指すべき方向性は、以下の3点である。
  1. 大学への資金配分(交付金)ルールの説明責任の確立とこれに基づく運用
  2. 教育に資する競争資金の確保と配分ルールの確立と運用
  3. 受益者である学生と社会による評価確立のための一部政策資金のバウチャー化
広く集めた税金を原資とする政策としては当然のことであるが、我が国の高等教育政策はこれができていない。このため、大学が、本来の受益者である社会や学生を見ずに、政策のサジ加減を決める政策当局者の顔色を伺うばかりに陥ってしまうのである。

まず、必要なのは、基本的な運営資金である国立大学運営費交付金等の配分ルールを明文化しなければならない。まずは国立大学から始めるべきだが、その後は私立大学向けも取り上げるべきであろう。受益者である学生や社会に対して、どういう基準で配分するのか、これをしっかり説明できなくてはならない。

1ができた上でのことだが、競争資金についても、同様に説明可能なものにしなくてはならない。基礎的な配分と競争資金では政策目的として何が異なるのか、これが明らかにならない限り、政策への信頼を築くことはできないであろう。

最後に挙げたのは、本来の受益者である学生が自ら、政策資金の行方を左右することができるというものだ。研究費を含めれば、学生が年間に支払う授業料と同じくらいの金額の公費が大学に入っている。それであれば、学生にバウチャーを渡し、選択された大学や学部・講座が資金を受け取ることができるようにするものである。いわば、競争環境を強制的に作るものである。導入にあたっては、学生の判断をどこまで政策的に取り上げるべきか、考えるべき点は多いが、例えば、大学院生から始める等のやり方もあろう。いずれにせよ、学生を受益者として本当に見ることができるかどうか、大学こそが試されているのだ。

そもそも、大学とは何だろうか。先日、STeLAという学生団体の主催シンポジウム「大学」って何だろう?-学生目線で話し合う理系高等教育とは-に参加した。資源がない我が国においては人材こそ唯一の武器であり、学生や社会が大学に期待することがきわめて大きいにも関わらず、実際に学生たちに聞けば、大学教育への失望は大きい。大学が本来の受益者である学生や社会に応えるため、本稿を通じて、政策的な議論が活発化すれば幸いである。