2012年7月21日土曜日

国立大学法人の「進化」とは

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教育ななめ読み-大学ホールディングス」(文部科学教育通信 No.295 2012.7.9)をご紹介します。


なかなかのアイディアである。2012年6月4日付けの読売新聞によると、「文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針を固めた」そうだ。この構想、「一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約し、例えばA大は医学部と理工学部、B大は法学部と経済学部、C大は文学部に特化することなどを想定している。予算や設備、人員を学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いがある。

文科省は、政府が4日に開く国家戦略会議(議長・野田首相)で方針を報告した。年度内に基本方針を策定したうえで2013年夏をめどに具体案をまとめ、2014年の通常国会に国立大学法人法の改正案を提出する方向とのこと。

現在は、一つの国立大学法人が一つの大学のみを運営できると定めており、都道府県ごとに様々な学部をそろえた総合大学が設立されている。新制度は、一つの国立大学法人が複数の国立大を運営できるようにする。これは、民間企業の「持ち株会社型」法人ということになる。この下に各会社ならぬ大学がぶら下がればいわゆる「アンブレラ」方式だ。また、同時に学長と法人理事長が別々に置くことができて、経営と数学が別になって、『私学』方式にも近い。

明治時代の、『法科大学』や『工科大学』などや、英国のカレッジを彷彿とさせる方式ではないか。面白いことを考えたものだ。「予算や設備、人員を学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する」と言う。確かに、限られた資源を十ニ分に活用するにはある程度、集約することは意味がある。物的にも人的にも、経営の立場からはそれが最適だろう。

これは、流行の、ホールディング方式。傘下にいくつかの会社を置いて、全体は一つの会計で統一する。これが違った業種の会社なら両社は存続する可能性は高い。子会社を対等な立場に置いて競争させる意味もある。同じ業種の場合は微妙だ。大銀行で個人向けと企業向け、証券など分野を分けて各社が経営される場合もある。大学で言えば、アメリカの州立大学方式かもしれない。カリフォルニア州立大学の場合、バークレーやロス、サンディエゴなどに「分校」がある。それぞれ独自に競い合い立派な業績を上げているやに見える。

県をまたいだ「国立大学法人」は、少なくとも、大学(法人)数は減らしたことになる。永田町に向かって、文科省も“協力”を打ち出せるメリットは少なくない。良いアイデアの所以でもある。

しかし、この新方式は将来、どのように動いていくのか? これだけでは情報としては乏しい。想像力を駆使して?思うところを述べたい。

まず、物とは違って、人間そのものは簡単に納得しない。右から左に動かせないのだ。その意味で「集中方式」は機能しないかもしれない。そして、企業を見ると、同じ業種の数社が合併した場合など、数年で、今度は傘下の会社を一緒にしようとする。建前は『効率化』だ。少なくとも総務や人事、会計などの部門は重複するのでムダである。次にやってくるのは、傘下の大学を「分校」にする。最初の二大学は、一つに集約されたことになる。いっそ、全国立大学を『日本国立大学法人』にしたらいい。めでたし、究極の国立大学数となろう。

ところで、一度決めると、どんな政権になっていようと『自動的』に動くのが官僚機構。以前の首都移転話を思い出してほしい。そこに配置された官僚は、必然的に予算を取り、会議を動かし、ことを進めようとする。まるで自動機械(ロボット)だ。そうして、国立大学は縮小から消滅の道を歩む。これは『進化』なのだろうか。