2012年8月18日土曜日

凡俗の法則

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教育ななめ読み-学問は面白い」(文部科学教育通信 No.297 2012.8.13)をご紹介します。


ヒッグス粒子の発見は慶賀に堪えない。「地球の起源」が解明された、というのは、大発見でしょう。でも「それがなんなのさ」というのも、毎日の生活者から見れば言えること。ヒッグス先生は多分、紙と鉛筆で考えついたのではないか。アインシュタインの逸話に「妻のエルザが米国の最先端の実験室に招かれた。これで宇宙を探っていると説明されて妻が言うには、『夫は同じことを使い古しの封筒の裏でやっていますよ』」というのがあった(朝日新聞「夫声人語」2012年6月6日)。

でもまあ、これを実証したのが今回の快挙。CERNなるヨーロッパ共同研究機構の大加速器で粒子をぶつけてその飛び散り方から推測、99.999・・・の確率でその存在を証明したとのこと。実験物理の世界は、こういうことができるから面白い。それにしても、なんとお金がかかっていることか。日本式の「事業仕分け」があったら、多分、『廃止』だったかもしれぬ。ぎりぎりのセーフの発見かしら。

しかし、学問に対する「事業仕分け」の面白さは、昔流行った「パーキンソンの法則」に近い感じがする。その一つ「凡俗の法則」というのが有名。いわく、原子力発電所と自転車置き場の審議の話。「原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「着々と」進むことになる。この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する」という。

昨年の大震災以来の原発事故で「原子炉」には理解が進んだかもしれないが、次の話はもっと面白い。1970年代に、南カリフォルニア大学のドナルド・ナフテュリンとそのチームが、数学と人間行動の関係という内容で全くでたらめの講演草稿を作り上げ、それを教育学会で役者に読み上げてもらった」そうだ。その後「会場に集まった精神科医、心理学者、ソーシャルワーカーに感想を聞いた・・・本番に先立って、ナフテュリンは役者に草稿の読み上げ方を念入りに指導し、30分予定された質疑応答の時間には『あいまいな言い回し、新造語、無関係な話、矛盾した言葉遣い』で切り抜けるよう、そのコツを教えた(アメリカの講演や発表には必ず質疑応答があり、こちらが実は中心だ)。

講演の舞台でナフテュリンは役者を『マイロン・F・フォックス博士』と紹介し、でっちあげの華々しい履歴を手短に披露した(「フォックス」=「狐」は偶然?)。続く1時間半の間、聴衆は矛盾だらけの無意味な話を山ほど聞かされた。そして講演終了後の参加者の感想。フォックス博士を『最高に素晴らしい講演者』で『きわめて明解』であり、『テーマに関するすぐれた分析を行った』と評価。講演そのものについては、<中略>内容をよく整理して話したという評価が85%、実例のあげ方が優れていたという評価が70%、刺激的な内容だったという評価が95%近くあった」そうだ(リチャード・ワイズマン『超常現象の科学』)。

何においても、その真相を見極める目をもつことは大事だなぁ・・・ご同輩。