2012年8月30日木曜日

大学経営とそれを担う人材(6)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、金子元久さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。


3 経営戦略と経営人材

では教育を経営課題としてとらえると、具体的にはどのような問題があるのか。

経営課題としての教育

今のところ、一般に大学の経営課題としてとらえられているのは財務・施設・学生募集だと思います。このグラフ(表4:略)は私学高等研究所がやった調査で、中期・長期の経営計画の内容は何かというのを聞いています。その回答をみると、財務改善とか校舎施設の整備、といったものが中心であることは事実です。ただ次第に、大学教育も経営課題として認識されつつあることは事実だと思います。国立大学の中期目標・中期計画には教育に関する情報が含まれていますし、私立大学の中期・長期計画でもこのデータで見るように、カリキュラムとかキャリア教育とかについては計画も立てられているようになっています。

ただそのほとんどは「良くしなければいけない」という目標であって、どういうふうにしてそれを達成するのか、すなわち経営課題として大学教育を捉えているものは、まだほとんどないのではないか。

やはり大学教育というのは経営課題だと思うのです。一つは、それは資源配分の問題だからです。どうやって大学が持っている資源を配分するのか。最適なアウトカムを出すためにどういう組み合わせが必要なのか、今まで学生のニーズのことばかり言っていました。しかし本当は、学生に時間を使わせることが教育成果を上げるために非常に重要なものであるはずです。大学の一つ非常に使われてない資源は、実は学生の時間なのです。しかも、それは非常にクリティカル(critical)な資源であるはずです。あるいは教員についても人数の問題もありますし、その教師の時間をどう使うかというのも非常に大きな問題だろうと思います。同時にそれをどうやって組み合わせるのか、教育方法、授業の方法など、いわば大学教育のテクノロジーも大きな問題であろうと思います。例えば、学生にどうしたら自分で勉強させるかのように、それは一種の授業方法の問題であるはずです。そういう意味で一種の生産として考えても、実は教育というのは重要な経営課題になるはずだと思います。

もう一つ非常に重要なのは、教育組織の問題です。日本の大学というのは非常に小さくかぎられた組織に学生を入れ、教育をする。下から上までですね。これは戦前からの日本の講座制の影響がまだ残っていてそれが増殖的に進んできているのだと思いますけれども、それが実は非常に大きな問題を生じさせているのかもしれない。これはさらにガバナンスの問題にも通じるところです。つまり大学教育をどうしたらいいのかという判断する単位が下の方になればなるほどその中でしか考えられない、その中でしか資源の配分の最適性を考えられない。実はもっと広い範囲で考えれば、もっと最適な資源の配分があり得るかもしれません。

よく日本の大学は、経済的に貧しいから、教師一人あたりの学生数が多くよくないのだという議論があったのですが、これはもうウソかもしれません。学校基本調査から1990年代以降の大学教員の数の変化をみますと、国立大学でも私立大学では本務教員の数は増えています。しかも同時に、特に私立大学については兼務教員の数がものすごく増えている。とくにここ10年くらいの増え方が著しい。試みに日本とアメリカで学生数と教員数、それから教員一人あたりの学生数を計算してみますとごらんのような結果でありまして、特に非常勤教員を一定の仮定のもとでフルタイム換算してみると、アメリカの大学と日本の大学はあまり変わらないのです。

本当にリソースそれ自体が限られているのかどうか。実はそれはそんなに自明ではない、むしろ問題は、有効な資源配分をしているのかどうか、という視点なのではないか。しかし教育単位が小さく限られていて、資源配分とそれにかかわる意思決定をする。基本的には学部で意思決定をする、しかもかなりの部分は研究室とかそういったところで意思決定をしているわけです。そうしますと、教育組織や教育課程が細分化する、従って授業が属人化してきて標準化ができない、あるいは入試が細分化する。そうしますと教員の担当コマ数が多くなって、個々の授業にかける時間が少なくなる、非常勤講師が増加する。それから授業の標準化が進まないとTA(Teaching Assistant)とかメディア利用とか、そういったことがなかなか進まない。

アメリカの大学と日本の大学と比べて、よく日本の大学はマス授業と言いますか、大人数授業が多いと言いますが、実は必ずしもそうでもないのです。違うのは大人数授業について標準化が進んでいないために先生が非常に一人で苦労している。TA の使い方もうまくない。要するにシステム化されていない。基本的には、教師がやはり、その中で一生懸命やれと言われれば教員の業務は増加せざるをえない。また細かく区分をされた教育課程ですと、教育成果が職業や社会生活にどういう関連があるのかということをあまり意識できませんから、教育内容のレリバンス(relevance)が不明確な、あるいは学生の授業時間を少なくなる。密度の低い教育が結果として生じて、教育体系のなさというのが社会の印象に残るといった問題がそこから生じてくのではないかと思います。(続く)