2012年9月25日火曜日

プロとしての事務職員

文教ニュース(平成24年9月17日)に掲載された記事から、「事務は一段下に見られている-ならば武器を持とう」をご紹介します。


大学の事務職員の悩みの一つに、教員との関係がある。「事務は一段下に見られている」というものだ。30年も前に、就職したときに、「君は何で大学職員になったんだ」と、さんざん聞かれ、大学院に進んで学位を目指しているかつての同級生をまぶしく感じたことを思い出す。

事務局の大先輩で有職故事にも精通し、切れ者と自他共に認められている人でさえ、教員との距離感に悩んでおられたが、それでも、学園紛争時などは、学生部の事務職員にはいわゆる「専門職」として、相当の敬意が、”教員並み”に払われていたらしい。教員と共に、自治会や学生と団交し、諸規定を熟知し、学生だけでなく、大学本部の文部省や警察ともわたりあっていけるという武器を持つ、専門職たるプロだったからであろう。

教員の中でも特に、一線の研究者や大学病院の医師と交流して感じるのは、彼らの周辺の事務職員や技術職員に礼をもって接しておられることだ(甘いということでは決してない)。ただ、当然といえば当然なのだろうが、その対象は、彼らの研究や診療を、実験機器の製作や計測、或いは経理や人事、診療報酬や材料調達、プロジェクトのマネージメントという分野で徹底して支えるというプロの仕事にある。とある高名な研究者は、機械工場の技術者にきちんと挨拶をしない学生を叱り飛ばし、最先端の医療に取り組む医師は医事課の係員の説明に真摯に耳を傾ける。

つまり教員の論理としては、自らの教育研究の協働者としての「プロとしての事務職員」を求めているということなのだろう。である以上は、教員・研究者がプロに徹するのも言を俟たないが、ある私学団体の調査によると、大学改革の推進を主導する主体は理事会や数学部門より事務部門の方が多いとの報告もある。

大学をささえるステークホルダーが大学にプロの仕事を求めているのは当然だ。

国立大学法人化後は、文部科学省の支社ではなく、全て「国立大学法人○○大学本社」として、自己責任による質の高い運営が求められている。事務職員はこれまでジェネラリストとして立ってきたとはいえ、特に大学が社会の変革エンジンたるためには、そのカバナンスを考えたとき、大学を支えるひとりひとりの職員が、その職能によって徹底したプロになりきらないと、課題先進国の大学として、国際競争や、少子化、財政問題など、大学人が抱えている重い課題や将来に太刀打ちできない。

それに事務職員がプロになるということは、目の前の課題から逃げず、専門能力という武器を持って個々の能力を高め、職員数を抑制しながらもその価値を高め、畢竟プロとしての処遇にもつなげてもいくということになる。まさに、教員と事務は「車の両輪」なのだから・・・・。


2012年9月24日月曜日

教育行政の人間がやるべきこと

文教ニュース(平成24年9月10日)に掲載された記事から、「『法律違反』には違いないが」をご紹介します。


中学生が工事現場で事故に巻き込まれ亡くなったのをきっかけに、これまでにも十人以上の生徒が平日も含め同じ会社でアルバイトをしていたことが明るみに出た。

報道によれば、校長、教頭は「本人と保護者の希望があり、学校長の裁量で許可した」「卒業後に土木の職に就きたいという希望があり、学校での様子や学習意欲の状況を見て判断した」と説明している。

この子たちが学校でどんな様子だったのか。それに対し学校がどう対応してきたのか。また保護者はどんな態度だったのか。いろんなケースが考えられるが、おおよその想像はつく。

学校に来ても全く学習意欲がなく授業を妨害する生徒や、学校に来ず家で引きこもってしまっている生徒は決して珍しくない。多くの学校が、その子のためにどうするのが良いかと頭を悩ませている。

学校をよく知らない人はすぐ「出席停止」とか「粘り強く登校を促すべきだ」などと言うが、そんなに簡単に済むなら誰も苦労はしない。

中学生を働かせていた会社の社長は「自分も中学時代に同じような経験をしており、不登校などの生徒や保護者の役に立てばという気持ちで受け入れた」と語っている。これもきっと本当だろう。

昼間から外をほっつき歩いて悪さをしたり、自分の部屋に引きこもって昼夜逆転の生活をするくらいなら、学校には来られないとしても、信頼できる大人がいる場所で規則正しく活動させた方が本人のためだ。学校や保護者はそう考えたに違いない。

「十人以上」という人数の多さに安易さも感じはするが、おそらく学校はここに至るまでに、これらの生徒たちに真っ当な学校生活を送らせてやりたい、クラスの仲間と良い思い出を作らせてやりたいと様々な努力を重ねてきた筈だ。それでもどうにもならないことは現実にある。

マスコミは「労働基準法違反」か「職場体験に当たらない」といった形式的なことばかりを問題にしているように見える。また、どこの役所とは言わないが、行政もそんなコメントばかりしている印象を受ける。

だったら放っておけば良かったのか。あるいは無理やり学校に連れて来てどこかの部屋に閉じ込め教員が見張っていれば良かったのか。それは違うだろう。

教育行政の人間がやるべきことは、マスコミと一緒になって学校を叩くことではなく、現実を見、学校現場の苦悩を我が事として共有し、教育的な観点から、他にどんな手立てがあったのか、どうすればこういう生徒を救い、学校や善意の人を「ナントカ法違反」に追い込まずに済むのかを一緒に考え、支援することだろう。


2012年9月13日木曜日

問われる改革実行力

文部科学省が「大学改革実行プラン」を公表して3か月。大学関係者のほとんどは未だ傍観者状態なのでは? そして先進大学に遅れをとるまいとあせり気味の方々も多いのではないかと思います(含自戒)。

そこで、今回は、気を引き締める意味で、吉武博通さん(筑波大学大学研究センター長)が書かれた論考「確かなアウトカムに繋げる改革実行力をどう示すか」(リクルートカレッジマネジネジ メント176/Sep.-Oct.2012)を抜粋してご紹介します。


トップでなければできない本来の役割に徹する

そのために必要なマネジメント上の課題として最初に強調したい点は、トップでなければできない本来の役割に徹するということである。

本連載では、法人・大学のトップの基本的な役割を、①自校の社会における存在価値とそれをさらに高めるための方向性を学内外に明示すること、②教育研究の質の向上を促進するための環境の整備と経営基盤の強化、③組織の状態の把握と健全性の維持及び成果の確認とその公開、の3つであるとし、部局長にも学部・研究科のトップとして同様の役割が求められると述べてきた。(本誌155/Mar.-Apr.2009,54-57頁)

トップは絶えずそのことを意識しつつ、節目ごとに自らの仕事を振り返らなければならないし、トップを補佐する常務理事・副学長やスタッフとして支える教職員は、トップがその役割に集中できるような環境を整え、それを支援しなければならない。

会議、行事、来客、打ち合わせなどで慌ただしく日々を過ごすことで、その本来の役割が十分に果たせないことがあれば、将来に備えるべき貴重な時間を浪費していると言わざるを得ない。学生に考え抜く力を求める以上、トップやそれを支える人々も日々の予定をこなすことに汲々とすることなく、将来のために何をなすべきかについて考え抜き、それに基づいて効果的・効率的に組織を動かすことに集中すべきである。

情報を収集・整理・活用する力が競争力を左右

将来ビジョン構想のためには、自校の状況と外部環境を、データを用いて的確に把握し、関係者間で共有することが不可欠である。

自校の状況については、教学と経営に関する基本的な情報に加え、その特色や課題に関わる重点指標を、単年度や前年度対比にとどまらず、10年程度の時間軸で捉え、可視化しておく必要がある。とりわけ、学生と教員に関する情報は自校の教育や研究の水準を正確に知る上で極めて重要である。どのようなデータが存在し、新たにどのようなデータが必要か、何を重点指標とすべきかといった検討自体が戦略的な意味を持つことを十分に理解しておく必要がある。

外部環境に関しては、人口推計、経済・財政、雇用・家計・社会保障などの情報、学校基本調査、OECDなど国際機関のレポート、地域の経済・社会に関する情報、自校の学部・研究科に関わりの深い分野の情報などをフォローすることで、自校を取り巻く環境の変化を読み解くことができる。

これらの情報を丹念に見ていくと、大学を取り巻く外部環境が様々な面で深刻さを増しつつある状況を感じ取ることができるし、そのような中で社会的存在価値や持続可能性を高めるための道筋も見えてくる。

将来を睨んだ施策と短期決戦の施策を総合的に展開

これらの情報を活かしてビジョンを構想し、戦略や計画の形で実行方策と手順を明らかにしていくことになるが、将来の成果実現のために早い段階から手を打っておくべき施策と短期間で一定の成果を実現するため集中的に取り組む施策を明確に性格分けした上で、それらを総合的・計画的に推進する必要がある。

例えば、教員の教育・研究能力の引き上げや専門分野構成の大幅な変更などは短期間で実現できるものではない。10年先、20年先の姿を描きながら、教員人事やポスト配分の考え方・方法を足元から見直していかなければならない。

その一方で、今いる教員で、入学させた学生の目的意識や能力を高め、職場で活躍できる人材として社会に送り出していかなければならない。長期的にその水準を引き上げていくことも重要だが、常に成果が問われる短期決戦の課題でもある。

そのためには、個々の学生の意識・能力を把握し、意欲・能力のある学生を伸ばし、不十分な学生を引き上げるための効果的な施策を、大学と学部がそれぞれの責務を明確にした上で、教職協働で組織的かつ具体的に展開していく必要がある。

前頁で学生と教員に関する情報把握の重要性を指摘したのはこのためでもある。大学や学部の単位で所属全教員の棚卸しをし、学生の意欲・能力を高めるために誰に初年次教育を担当させ、誰にキャリア支援を担当させるかなど、個々の教員の資質・能力・経験に応じた役割賦与を行うことも重要である。学生の意識と能力を高め、何としても社会に送り出すという組織全体の強い意志が求められている。

国のレベルで示される方向性は理念的なものや最大公約数的なものにならざるを得ない面があるが、個々の大学には生身の学生と教職員がおり、置かれた状況も異なる。その現実の中で今日的な解を出しながら、将来のあるべき姿に向けて着実・継続的に改革・改善を積み重ねていかなければならない。

「仕組み」をつくることが成果を生み出す

最後に強調したいのは「仕組み」をつくることへの注力である。我が国の社会も組織も、変化する環境に既存の仕組みが適応できず、場当たり的に対処したり、個々人の奮闘に期待したりということが繰り返されているように思われる。

厳しい競争環境にあっても、効率性を追求しつつ、顧客に価値を提供する仕組みを構築した企業は高い業績をあげ続けている。

教員・職員の個々の意識や能力をどう高めるかも当然重要だが、質の維持・向上と効率性の追求を両立させるためには、教育、研究、学生支援、国際交流など教学のそれぞれの面で、さらには大学・学部の管理運営や法人の経営の様々な面で、自校にふさわしい仕組みを構築して定着させることが不可欠である。

具体的な内容や方法については別の機会に譲るが、大学の報告書などを見ると、学部・学科の新設、課題対応の質や会議体の編成など組織を設置したことを業績として掲げるものが多い。問われているのは成果である。そのためにも、個々の構成員の力を、組織を通して具体的な成果に繋げるための仕組みが必要である。

基礎学力の低下が指摘される中での志願者確保が卒業生の質の低下をもたらし、さらなる志願者減に繋がるという負のスパイラルを断ち切るためにも、繰り返しになるが、今いる学生の意識と能力の引き上げに全力で取り組む必要がある。同時並行して、将来ビジョンに向けた改革・改善も積み重ねていかなければならない。大学改革のために残された時間はあまりない。


2012年9月12日水曜日

大学経営人材としての職員(最終回)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、両角亜希子さん(東京大学)の発表「大学経営人材としての職員の役割」を抜粋してご紹介します。


定員充足率の規定要因分析

以上では、組織特性、ガバナンス、人事制度、組織風土のそれぞれの関係を見てきましたが、これらのあり方によって経営状態が異なっているのかどうかを重回帰分析という手法で見ていきたいと思います(図表11:略)。重回帰分析の良さは、それぞれの変数を統制した上での影響力を見られる点にあります。つまり、規模や選抜性が同一だとした上で、ガバナンスなり人事制度の違いが定員充足率の違いに影響を与えているのかを見ることができます。変数の定義については資料にお示しした通りですが、詳細を知りたい方は、元の論文で確認をしていただければと思います。なお、ここでは3つのモデルで分析を行いました。モデル1は組織特性だけを説明変数として投入したもの、モデル2はガバナンス、人事制度、組織風土だけを説明変数として投入したもの、モデル3はすべてを説明変数として投入したものです。結果を見ていきましょう。

【ガバナンス変数】

  • オーナー理事長の有無、職員出身理事の有無、そして教授会自治の強さに着目

【人事制度】

  • 人事制度に対する評価(「能力や適性が生かされた人事異動が行われている」「一定のキャリアモデルが示されている」「職員の自己啓発を奨励している」「中途採用において有能な人材が採用されている」)に対する回答の、思わない-思うに対して1-4の得点を与え、それを合計したものを標準化した得点)
  • 自大学出身の職員が多いか否か(1、0のダミー変数)

【組織風土】

  • 業務遂行のしやすさ(「自分の意見や提案を言いやすい雰囲気がある」「休暇を取得しやすい雰囲気がある」「上司は信頼して仕事を任せてくれる」「忙しい時期には業務分担を変えている」)
  • 教員との信頼関係(「教員との間に信頼関係が成り立っている」)
  • 目標の共有(「大学の経営方針は共有されている」)

まず指摘しておく必要があるのは、規模や選抜性が定員充足率に与える影響力がやはり相当に大きいということです。モデル1からモデル3で説明力がそれほど大きく向上するわけではありません。ただし、影響力は小さくても、こうした変数の影響力があるという発見自体がきわめて重要です。モデル3において、ガバナンスに関しては、オーナー理事長でないほど、職員理事がいるほど、教授会自治が強いほど、定員充足率が高まることが確認されます。この解釈は慎重になされるべきだと思います。誤解のないように強く、何度でも説明しておきたいのですが、「オーナー私学が悪い、職員理事を置けばいい、教授会が強ければよい」といったように単純にこの結果を解釈するのは明らかな間違いだと考えています。むしろここから読み取れるのは「学内の様々な人の意見を吸い上げて反映しやすかったり、チェック機能が働いたり、オープンな雰囲気のガバナンス」が望ましい結果につながっているということではないかと思います。そもそも、個々の大学を考えれば、この組み合わせこそが重要かと考え、ガバナンスパターンを作って同様の分析をしました。ここでは結果を示しませんが(両角・小方2012には出ていますので、ご関心があればそちらをご覧ください)そこからもこの解釈が妥当だという結論に至りました。学長個人のリーダーシップが相当に強いと一般に思われているアメリカの大学でも実はそうとは限らないですし、共同統治(Shared Governance)という理念が何十年にもわたり、掲げられ続けているように、経営に対する広い範囲の「参加」が大学経営においてきわめて重要だと考えられています。アカデミック・リーダーシップという言葉も、構成員の参加を引き出すという意味で使われ、大学組織でのリーダーシップのあり方は特殊だという議論もたくさんなされてきました。命令系統が明確な官僚組織とは異なり、個々の教職員(とくに教員)の自律性が高いことが重要である大学組織ゆえに共通にみられる特性なのかもしれませんし、この結果は日本の大学においても、この「参加理念」のガバナンスが重要だと示しているように私には見えました。しつこいようですが、くれぐれも間違った解釈でこの結果を読まないでいただきたいと思います。

ほかの結果も見てみましょう。モデル2で影響力が認められなかった人事制度に関しては、自大学出身者が多くない場合に定員充足率が高まるという結果も得られました。業務のしやすさ、課題共有という組織風土も、定員充足率を高める上でプラスの影響があることが確認されました。適切な人事制度や教員の信頼関係の影響は確認されませんでした。多くの大学で実現のために努力されている「適切な人事制度」が経営状態の改善にはつながっていないという結果でした。では、適切な人事制度は意味がないのかというと、もちろんそのような乱暴な議論をするつもりはありません。人事制度の意義を考えるために、仕事のやりがいと仕事の継続性の規定要因分析をしてみました(図表12:略)。

人事制度の意義

適切な人事制度が実施されていると感じているほど、職員個人の仕事のやりがいや仕事を続けたいという継続性にプラスの影響を大きく与えていることがわかります。つまり、人事制度はこうした点に大きく貢献していると考えられます。

この結果の表で、もう一点おもしろいと感じる結果がありましたので、ご紹介しておきます。定員充足率を高めるという点においては影響力の見られなかった教員との信頼関係ですが、こちらも職員個人のやりがい、仕事の継続性にはプラスの影響を与えていることがわかります。人事制度や教員との信頼関係はモチベーション向上に大きく影響をしているようです。最近、教職協働の議論もさかんに行われていますし、うちの大学院生の間でも非常に関心が高いトピックスですが、職員自身が教員との関係のあり方に強い関心を持って研究をしようと思う背景にはこうした実感があるのかもしれないと思いました。

いずれにしましても、人事制度については、それが個人のモチベーションを向上させ、それが組織風土を改善して経営改善につながるのかなど、間接効果を含めたさらなる検証が必要な領域かと思います。これについては今後の課題にさせてください。

まとめ

では、最後に分析②でわかったことをまとめて、この発表を閉じたいと思います。第一に、ガバナンスに関しては、適切なパワーバランス、参加志向が経営改善にプラスの影響を与えていることがわかりました。第二に、業務のしやすさや構成員の間の課題共有といった組織風土も、経営改善にプラスの影響があることがわかりました。第三に、人事制度は経営状態の良し悪しには関係していないが、職員個人のモチベーション向上には一定の効果を持っていることがわかりました。ただし、以上は大学全体の傾向を説明したにすぎません。たとえば、学生の確保に非常に苦心している大学だけを対象として考えれば、別の結果があるかもしれません。「皆の意見を聞いて」とゆっくり改革をしていては、手遅れになることも考えられます。このあたりの課題についてはケーススタディなども併用して検討していく必要があることを申し添えておきます。

今後の課題についても何点か述べておきたいと思います。第一は間接効果も含めて人事制度についての効果をさらに検証することです。第二は、職員自身の要望が最も強い経営参画の効果の検証です。経営参画にもさまざまなパターンがありますし、どのような大学でどのようなやり方が良い効果を上げているのかも含めて検討する必要があるでしょう。第三は、組織風土を被説明変数とした研究です。うちのコース紀要『大学経営政策研究』にまとめた論文で明らかにしたのですが、中長期計画の策定、年度計画の実質化、数値目標の設定といったマネジメント改革は、組織内の課題共有度を高めることを通じて経営改善にプラスの影響を与えているようです。こうした課題共有度を高めるために、どのような大学で何をすることが効果的なのかを明らかにすることが、実践的にも役立ち、学術的にもおもしろいのではないかと考えています。残りの課題は挙げだすときりがなくなってしまいますが、事例研究を重ねることや、国立大学、公立大学を対象とした分析も必要だと考えています。何を経営改善指標に設定するべきか、一工夫必要だと考えていますが、いずれにしましても、これらを今後の課題と考えています。ご清聴ありがとうございました。(おわり)


2012年9月11日火曜日

大学経営人材としての職員(2)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、両角亜希子さん(東京大学)の発表「大学経営人材としての職員の役割」を抜粋してご紹介します。


分析②:職員の改革は経営改善につながっているのか

では、続いて、分析②に話を移したいと思います。職員の改革が経営状態の改善につながっているのかを分析するために、我々は図表5(略)のようなモデルを設定しました。経営状態ですが、ここでは定員充足率で捉える事にします。学納金収入の占める割合が大きい日本の私立大学にとって、学生確保は経営上、最も重要な課題であり、この成功なしに経営状態が良くなることは基本的にはありません。定員充足率は、規模や選抜性といった組織特性によって大きく異なることがよく知られています。ただこうした組織変数は大学にとっては所与の条件に近いので、「規模が小さいほど定員充足状況が悪い」「選抜性が高いほど定員充足状況が良い」傾向がみられるなどといっても大学にとっては全く役立つ情報になりません。大学にとって統制可能で、なんらかの努力可能な取り組みが、こうした条件をコントロールしたうえでも経営改善に効果があるのかを明らかにすることが重要かと考え、このようなモデルを設定しました。

以下では、「組織特性」「ガバナンス」「人事制度」「組織風土」のそれぞれの間の関係について確認したうえで、最終的には組織特性を統制してもガバナンス、人事制度、組織風土が経営改善につながっているのかを見ていくことにします。図表が多くなってしまい、申し訳ありませんが、数字でお示しするよりも視覚的にわかりやすいかと思いますので、ご容赦ください。

組織特性とガバナンスの関係

図表6(略)を見てください。オーナー理事長は、規模が小さいほど、選抜性が低いほど多いことがわかります。職員理事(職員出身で理事になっているもの)は、規模が大きいほど、選抜性が高い大学ほど多い傾向が見られます。また、教授会自治は、規模が大きいほど、選抜性が強いほど強いようです。教授会自治の強さについては、職員から見て、その大学の教授会自治が強いと思うかという観点からデータを取っている点には留意が必要です。どの結果もきわめて常識的な内容ですが、この当たり前とも思える結果がわかりやすい形であまり示されてこなかったかと思いますので、ご紹介しました。

組織特性と人事制度の関係

図表7(略)をご覧ください。適切な人事制度、一定キャリアモデルの提示については、どの大学でも低評価です。職員の自己啓発はさきほども述べたように、規模が大きいほど盛んです。偏差値では50-54の大学でもっとも盛んですが、この理由はよくわかりません。中途採用で有能な人材の採用は規模が大きいほど、選抜性が高いほど多いようです。自大学出身者が多いのは、規模が大きい大学、選抜性は50-54の大学でもっとも多いようです。

組織特性と組織風土の関係

図表8(略)をご覧ください。意見や提案の言いやすさ、上司の信頼、教員との信頼は、大規模大学ほど、高選抜性の大学の職員ほど肯定的な回答をしています。ここでおもしろいのは、経営方針の共有度が、規模や選抜性によって変わらないということです。私が別のところで実施した調査でも同様の傾向が確認されるのですが、「小規模大学ほど意見共有がしやすい」と思われているようですが、データから見る限り、必ずしもそうした傾向は見られないようです。

組織風土とガバナンスの関係

図表9(略)をご覧ください。組織風土とガバナンス関係ですが、一言でいえば、それほど明確な関係は見られないということになります。わずかながらに差がみられたところを申し上げておきますと、自分の意見や提案を言いやすいのは、オーナー系でない場合、職員理事がいる場合、教授会の自治が強い場合で肯定的な意見が多いようです。また、教員との信頼関係は職員理事がいる方がよい傾向が見られますし、経営方針の共有についてはオーナー系私学の方が共有が進んでいる傾向もわずかながらですが、確認できます。

組織風土と人事制度の関係

図表10(略)をご覧ください。さきほどとは対照的で、組織風土と人事制度は強く関係があるようです。適切な人事制度があるほど、キャリアモデルが提示されているほど、職員の自己啓発が奨励されているほど、中途で有能人材が採用されていると感じているものほど、業務のしやすさなどの組織風土を高く評価する傾向が見られます。(続く)


2012年9月10日月曜日

大学経営人材としての職員(1)

広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、両角亜希子さん(東京大学)の発表「大学経営人材としての職員の役割」を抜粋してご紹介します。


はじめに

ご紹介いただきました両角です。今日は「大学経営人材としての職員の役割」について、実態調査のデータをご紹介しながら、お話しをさせていただきたいと思います。大学経営の担い手を考えるとき、リーダー層、教員、職員など、様々なアクターが想定されますし、もちろん大学職員だけが経営を担う人材とも考えておりませんが、本発表では職員のみを対象に考えてみたいと思います。

この問題については、1990年代頃からの大学職員論という文脈で多くの議論がなされてきました。山本眞一先生の「大学職員」から「大学経営人材へ」という議論はその典型かと思いますし、すでに「経営人材としての職員」という認識は一定の広がりと定着を見せているようにみえます。ひとつ根拠となるデータをお示ししたいと思います。東京大学大学経営・政策研究センターが2010年2月に大学教員対象に行った「全国大学教員調査」の中で「職員の専門性を高めて、教員は教育研究に専念すべきだ」という設問に42%が「強くそう思う」、43%が「そう思う」と回答しています。このように大学教員も大学職員への変化を求めていることが明らかになっています。

この領域についての先行研究について簡単に触れておきます。これまでの研究は、大きく2つの観点からアプローチがされてきました。ひとつは「職員個人に着目した研究」で職員を対象としたアンケート調査などを材料として、「職員に新しく求められる能力は何か」「どのような能力が不足しているのか」に着目され、「企画調査能力」の必要性が指摘されてきました。個人属性や職務との関係性から必要な能力が論じられるとともに、今後必要となる研修や人材育成のあり方などが議論されています。もう一つは「大学職員の人事制度に関する研究」で大学を対象とした実態把握調査がいくつか実施され、個別事例の紹介も数多くなされています。そこでは特に「個々の職員の能力を活かす制度」「やる気を引き出す制度やキャリアパスのあり方」に焦点をあてて論じられる傾向があります。こうした制度はまずは導入そのものが課題となることから、規模別など、どのような大学でどのような人事制度が捉えているのか自体に多くの関心が寄せられてきましたが、その一方で、人事制度の効果検証までは十分に行われていないように見えます。

本発表における2つの分析課題・データ(略)

分析①:個人と制度をつなぐ視点-将来像を手掛かりに

ではさっそく分析結果をご紹介していきます。ここでは職員の将来のあり方についての、個人属性と組織特性の影響を見ていきたいと思います。まずは図表1(略)に職員の将来像を示しました。多い回答を見てみますと、「企画・立案にかかわる職員を計画的に養成する」が52.4%、「職員を学内委員会の正式委員にするなど、発言の機会を増やす」が47.6%となっています。将来像が6つもあるとわかりにくいので、因子分析という手法を用いて、3つの将来像としたいと思います(図表2:略)。一つ目は、いわゆるアメリカ型アドミニストレーターのイメージですが、「専門職化」の要求です。二つ目は「経営参画」、三つ目は、一定時点での「キャリア分岐」です。「職員は変わらなければならない」と語られる内容は、確かにこの3つのいずれかの議論に集約できるかと思います。なお、少し技術的な話をしますと、ここでは斜交回転といってそれぞれの因子が独立という前提を置かないで3つの因子を抽出しました。因子同士の相関行列を見ていただくと相関はかなり高いかと思います。何を言いたいかというと、たとえば専門職化の要求を強く持っている人は経営参画やキャリア分岐についても望ましいと考える傾向があるということです。もっと平たくいってしまうと、変化を求める人はこの3つの軸のいずれも望ましい方向と考えるのに対して、変化を求めない人はいずれの方向も望ましいと考えていないというようなことを示しています。

では、この3つの将来像と個人特性、組織特性の関係を見てみましょう。結果を見やすく示したのが図表3(略)です。この図の読み方ですが、たとえば、専門職化の要求は、若い人ほど、学歴が高いほど強く、逆に管理職では弱いというふうに見ます。将来像と個人特性との関係は先行研究でも着目されてきましたので、ここではこれまで全く注目されてこなかった組織特性との関係を中心に見ていきたいと思います。

まず注目したいのは、専門職化の要求は小規模大学ほど、また偏差値が低い大学ほど強いという関係です。これは一見どういうことか、よくわからないように思えますが、確かに「大学職員を専門職化し、大学間の移動を行えるようにする」という設問に対して、肯定的な回答をした割合は学生数1,000名未満で74.4%、1,000-2,000名で72.5%、2,000-4,000名で66.0%、4,000-10,000名で63.5%、10,000名以上で63.9%となっています。いろいろ探ってみたところ、小規模大学が置かれた環境に起因するのではということがわかってきました。

図表4(略)をみると、小規模大学ほど、職員の自己啓発は盛んではありません。図表は示しませんが、所属大学主催の研修の経験率は、学生数1,000名未満の大学の場合は56%、10,000名以上の大学の場合は75%です。そのせいか、大学団体主催の研修の有効さ(経験した者のうち、意味があったと答えた人の割合)は、学生数1,000名未満で39%、10,000名以上で32%とわずかですが、小規模ほど高く評価する傾向が見られます。もともと人材(量)が少なく、それゆえに研修や自己啓発の機会も多くないからこそ、優秀な人材が大学間を移動してくることに対する期待が高いのではないかと考えられます。というのは、学長に対する考え方の違いからもうかがえます。同じく図表4を見ますと、小規模大学ほど「学長がもっとリーダーシップを発揮すべきだ」と考える職員が多いことがわかります。アメリカの大学とは異なり、日本の場合は学長マーケットが存在しておらず、学内から学長候補者を探す傾向が見られます。大きな大学であれば、それだけ学長などの学内リーダーに向いた人材がいる可能性も大きいですし、学部長などを歴任することにより、必要な能力やノウハウを身につけたり、周りの人が管理者としての能力を判断できたりする機会も多いと考えられます。小規模大学は正にその逆で、学内に学長候補者となりうる人材が少ない、かといって学外に学長市場が発展しているわけでもないジレンマを抱えがちなのだと思います。また、いろいろな大学の学長や理事長にインタビューをしていますと、小規模大学ほどいいリーダーが出てきたときに大きく転換する可能性を高いことも印象レベルですが感じることが多いです。

再び図表3に戻ります。オーナー系私学(ここでは現理事長が創業者あるいはその一族という定義をしました)かどうかで、望ましい職員像のあり方が異なるというおもしろい結果が出ています。オーナー系の私学では、専門職化の要求が強く、逆に経営参画の要求は弱いようです。なるほど確かにオーナー系私学では、経営の中核はオーナー一族を中心に担われるケースが多いので、そこで働く職員は、財務なり教務なり、一定の分野で専門職化し、自分の実力を発揮したいと考えるのは確かにうなずける気がします。ガバナンスのあり方によって、望ましいと思う職員像のあり方が異なるという結果は事前には考えていなかったので、とても面白い結果だと個人的には思います。ただもう一歩踏み込んでこの結果を考えてみたいと思います。オーナー系とひとくくりにすると問題かもしれませんが、オーナー系の大学では事務局長を外部から雇ってくるようなケースが多く(データで確認したわけでなく、あくまで私個人の印象にすぎませんが)、事務長などの事務幹部人材が学内で育ちにくい面があるような印象をなんとなく抱いていましたが、それはこうした職員の意識の違いと関係があるのかも知れません。改めて考えてみれば、専門職化モデルであるアメリカでは、事務長が事務組織全体を統括する組織運営スタイルではありません。財務、教務などの担当理事がおり、その下に専門分野別のミドルレベル・アドミニストレーターが配置されている縦割りの組織化が行われています。専門職化した職員が能力を発揮しやすい組織構造とセットになって機能しているのであり、日本の大学職員がアメリカの大学職員のように、狭い一定の領域で専門職化することが今の組織構造のままではうまく機能しない可能性も考えられます。いずれにしましても、このあたりはさらに深い分析が必要な領域かと思います。

ここで、分析①についてのまとめをしたいと思います。経営人材としての職員の課題について論じられることが多いですが、職員の将来像として、専門職化、経営参画、キャリア分岐の3つがあり、これをわけて論じていく必要があるのではないかと考えています。またこれまで先行研究の中で論じられてきたように、個人特性の影響も強く受けていますが、組織特性によっても望ましい将来像の考え方に違いがあることがわかりました。専門職化の要求は、小規模大学、低偏差値大学で強い傾向がみられること、オーナー系の私学では専門職化の要求が強く、経営参画の要求が弱い傾向がみられること、キャリア分岐については組織特性の影響がない、つまりどのような大学に勤めている職員であっても、「一定の時点で自分のキャリアを選ばせてくれ」という要求が強いことがわかりました。なぜこの問題を考える時に、個人特性だけでなく、組織特性も考慮すべきだと主張するのかといいますと、この問題は個人の努力レベルで語られることが多いですが、大学の中での人事制度の工夫も必要ですし、場合によっては大学を超えたレベルの議論も必要ではないかと考えるからです。小規模大学は人材こそ限られていますが、独自の教育理念でよい教育研究活動を行っているところがたくさんあります。こうした個性ある大学の機能をより発揮させるためにも、中間団体が果たす役割、たとえば人材を一定期間派遣するなどを検討してもよいのではないかと、私自身はこの結果を見て感じました。(続く)


2012年9月1日土曜日

大学経営とそれを担う人材(最終回)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、金子元久さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。


先ほど申し上げたように、日本の大学は、実は大学教員の教育研究以外の時間が非常に多いのです。これはやっぱりシェアード・ガバナンス(shared governance)と言いますか、ガバナンスに参加しているということが一つありますし、あるいは本来は事務職員に任すべきことを任してないというところがきている。入試の負担も大きい。他方で、教育成果の把握、フィードバックについても職員の果たすべき役割はある。いずれにしても、教育に関連して職員が積極的な役割を果たすのは重要な課題だと思います。

それに関して、では具体的にどうやって人材を形成していくべきなのかということになります。

一つは学長あるいは幹部経営職員についてです。私は、日本の学長ないし幹部職員となる前の準備期間が短くて、十分の用意ができていない場合が多いのではないかと思います。それぞれの分野では十分に経験を積まれているうえに、頭はいいと言いますか、賢いのですぐ吸収されるのですが、実は大学経営全体についてのバランスが取れた知識、あるいは一定の見識といった点ではどうなのか。大学がどこに行くのか、何が必要なのかということについて本当に判断するような準備ができているのかということについてはかなり疑問に思います。

結局、部局長の経験者が副学長になり、それから学長になっていく、その間で実は準備する期間があまり取れていないからです。

事務職員についての大きな問題は訓練と処遇が結びついてない、これが最大の問題だと思います。簡単な他機関の研修は別として、たとえば大学職員のための大学院コースなどで勉強しても実はそれが報われない。自分の負担で勉強しているという状態が続いている。職員自身の意欲のみに依拠して人材形成をする、あるいは全く報償を与えない、ということはもう限界にきているのではないかと思います。

そうした意味でも、学長などのリーダー養成についても、中堅職員の訓練についても、研修とか、大学院コースとか、大学団体とかやる研修の人材形成の機会はまだ十分ではない。その質的飛躍をもたらすには、既存の人材形成機能を強化し、支援してく中核のような組織を作ることもことが大きな課題となっていると思います。そうした意味での大学改革支援機関というようなものをつくることは、非常に重要な政策的なオプションではないかと思います。

最後に、高等教育研究の責任というものが私はあると思います。高等教育研究は、いま申し上げたような課題に十分に応えることができていたのか。先ほどアメリカの学長というのは、かなり教育改革で名を残している人が多いというふうに申し上げましたが、考えてみるとアメリカの大学で学長になるとスタンダードな教科書が結構あるのです。学長になったらこれを読んでおくとある程度のことは分かるというのが大体あって、それを読めば大体の一通りのことは言えるようにできているわけです。

しかし、日本の大学の学長先生がこれを2~3冊読むと大体日本の大学の基本的な問題を、歴史から始まり、理念、あるいはメカニズム、そういったことに関して一応の知識を得られるというようなものが提供されているかどうかというと、多分ないのだろうなと思います。高等教育研究の対象として大学のマネジメントを考えることも当然重要でありますけれども、大学経営を行う人の基礎となるような知識として、どういったものが必要なのか考え、それを一定の体系にまとめること。これもやはり高等教育研究の大きな責務ではないでしょうか。
ご謹聴ありがとうございました。(おわり)