2012年11月17日土曜日

大学の自主・自律と教特法

国立大学の法人化移行の際検討された「教職員の身分の扱い」について、興味深い記事(文部科学教育通信 No.303  2012.11.12  国立大学法人法コンメンタール(歴史編)第39回)がありましたので抜粋してご紹介します。


残された課題

・・・(文部科学省の調査検討会議が公表した)中間報告では、法人化後の運営組織のあり方や中期目標の作成手続などについていくつかの選択肢が並び、結論は最終報告まで持ち越しとなったが、大学関係者以外からも高い関心が寄せられていた法人化後の教職員の身分の扱いについても結論が出ず、最終報告に向けての論点として残されていた。・・・

教特法の適用問題

その一つは、非公務員型になったとしても、教員には教育公務員特例法と同趣旨の規定を適用すべきかどうか、という問題であった。

教育公務員特例法は、法人化前の国立大学の教員に対し、国家公務員の一般法である国家公務員法が適用されることを前提に、大学という機関の特性を考慮し、国家公務員法の一部の規定を修正して適用させるための特例法であった。特に、各学長の任命権が文部科学大臣にあることを前提に、実質的な学長選考の権限を各大学に置かれる評議会に付与することや、個別教員の任命権が文部科学大臣ないし学長にあることを前提に、実質的な選考権限を各学部の教授会に付与することなど、いわゆる「大学の自治」を人事面で保障するものであった。

国立大学協会からは、この問題に関連して、急遽追加意見書が提出されたが、そこには、「制度設計において、仮に教員の身分が非公務員型になったとしても、国が設置者・管理者である大学においては『学問の自由』を担保する仕組みとして、教員人事に関する最小限の基本的事項は、各法人の就業規則等内部規則に委ねるのではなく、実質的な設置者たる国民全体の意思の表現として、法律の形で明確に規定されるべき」と主張していた。

連絡調整委員会での主要なやり取りは、次のようなものであった。

○(事務局の)説明では非公務員型では教特法を特例として規定ということは困難であるということであった。国大協では、これについて国立大学法人法等で規定することが必要ではないかと主張している。

(事務局)教育公務員特例法の規定は、基本的には文部科学大臣が人事権をもっということに対する、大学の自治への制度的な保証ということであり、大学の場合は職員や教官の任命については、直接文部科学大臣が任命権を行使するのではなく、まず大学で選任し、それによって学長が申し出て任命するという規定になっている。もう一つは大学の場合にも、通常、機関のトップである学長は当然大臣が任命することとなるが、その学長の選任にあたっては、大学の評議会で選考し、大学が申し出るという形になっている。これは文部科学大臣に任命権があるということを前提として、それに対する大学の自主性への保証としての規定が数特法の規定であり、今度仮に法人化されるということになれば、そもそも任命権自体が大学に移り、大学の長が任命権者になるということで、当然そのような関係で言えば、文部科学大臣の任命権を前提とした規定をそのまま置くということは非常に難しいということである。まして公務員でなくなってしまえば、そもそも公務員としての任命権の前提自体がなくなってしまうわけであり、法制上の整理から言えば、そういう規定を置くというのは法制上理屈がなかなか立たないのではないでないかということをここで記載しているということである。

○国大協の意見が、すべて何でも認められるとは思っていないが、われわれとしては、これは機関決定したものであり、無視されるということは非常に問題であるということは、公の立場から言えると思う。

(事務局)前からのご懸念であるが、なぜ教特法が設けられたかという経緯については、ご存じのように戦前、教員の人事関係については確たる規定がなく、そういう中でいくつかの事件、紛争があり、学問の自由を守るために教員の人事というものはアカデミアンの自主性に任せようということで、そのプロセスを規定するために作られたのが数特法である。特例法とあるように、国家公務員法、地方公務員法の特例という形での法律であり、今回、こういう人事形態になれば、文部科学大臣の任命権が及ばない教員の部分の人事について、法律でそのプロセスを規定することは、学長なり学内の自主性を侵害するというか、いかがなものかということである。国立に限らず私立でも伝統ある大学は、それなりの教員人事についてのルール、良識をもって行っているわけである。もう一つ、法律上の担保としては、運営協議会、評議会というものが置かれ、学内の評議会が何をするところかという任務規定のなかで、人事に関すること、人事の基本方針に関することのような任務は規定されることになると思うので、そこで教員人事のルールをどうするかということは、学長が勝手なことを行うということではなく、十分学内のアカデミアンの意向を聞きながら、就業規則というか法人内の勤務条件の規定の中で反映されるということで、実質、適切なルールが確立されていくと思う。この教特法が適用されないからといって、不安であるというのは杞憂ではないかという気がしている。

○問題は、学長の権限が非常に大きくなってくるわけであり、それをガバナンスするために役員会の在り方や外部の人たちがどういうふうに良い意味でうまく監視しながらアドバイスをしていくかということであり、こういったこととの一体なのではないのかと思う。

○議論が非常に重要な局面にきていると思うが、ただ今の発言を含めて、もう少し本音で語る必要があると思う。今までの教特法があり、文部科学大臣が任命権を持っているわけだが、実際の個々の教員の任命権というものは、形の上で持っているだけにすぎず、実際にはご承知のように学部、教授会に選考委員会がある。つまり学部自治だったわけである。企業のようにトップがそれぞれの人の任命権を持っていたわけではない。つまり、本音のところは別にあって、形の上ではいかにも文部科学大臣が任命権を持っているようにしていたところに実は問題があるわけである。そこで、学部自治とか大学の自主・自律性ということがいわれてきたわけだが、もしも各大学が本当に人事においてもすばらしい人事をやっていれば、日本の国立大学がこんなにかすんでいるはずがないわけであり、世界のトップの大学と伍して、当然それだけの知的基盤の伝統があるわけだが、それがなくなってきている。そして、何らの競争原理が入らない。建前だけはこういう形で法律で保護されていて、まさにファシズムの時代かのように教特法というものが隠れ蓑になって大学を聖域化していた。そして、ひとたび国立大学の教官になれば、全くの競争原理にさらされずに一生身分が保障されていたわけである。こういうことは世界の大学にはあり得ないわけである。したがって、本当は国立大学がもっときちんとした人事をやっているだろうという、その前提自身あるいは国立大学の自主・自律性ということ自体が問われているのだと私個人としてはずっと思っている。

結局、教育公務員特例法の適用問題は、国大協から書面による意見提出はあったものの、連絡調整委員会の中では必ずしも積極的な支持の発言はなく、大勢は、不要、あるいは、むしろ有害、との認識で一致した。