2012年11月26日月曜日

大学情報公開の現状と課題(1)

黒田壽二(金沢工業大学学園長・総長、日本私立大学協会副会長、中央教育審議会大学分科会大学教育部会副部会長)さんが書かれた「日本における大学情報公開の理念と展開」(IDE-現代の高等教育 No.542  2012年7月号)を抜粋してご紹介します。


1 大学の情報開示を求める社会的背景

社会は情報化時代になり、国際化、グローバル化の急速な進展により社会活動のあり方が大幅に変革してきた。国内では少子化、高齢化が深刻さを増している。そのような中で大学の教育研究活動も大きな改革を求められるようになり、平成3年に始まった大学設置基準の大綱化は数次に亘り実施され、各大学の画一化から多様化、個性化、特色化へと舵が切られた。このことにより大学が従来から社会一般に理解されていた大学像に大きな変革が起きてきた。もはや、大学の実態が社会から見えなくなってきたといっても過言ではない。同時に日本での少子化の影響も出始め、定員充足率が問われるようになり、一方では大学進学率は先進諸国に近づき50%を越え、所謂ユニバーサル段階の時代に至っている。大学は、「学生を選ぶ立場」から「学生に選ばれる立場」となってきた。このような時代には、大学自らが発する情報の質が重要な意味を持つようになる。

また、今回行われた教育基本法改正では、大学の項が設けられ、その第7条において、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する者とする」と規定された。また、学校教育法83条には大学の目的として、「大学は学術の中心として、広く知識を授けるとともに'深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。大学は・・・その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」と規定され、大学は研究・教育に加え社会貢献が求められるようになった。一般社会活動の一つに大学が位置づけられ、これまでのような社会と係わりが希薄な「象牙の塔」的振舞いが出来なくなった。

2 大学教育改革の促進

前述した大学設置基準の大綱化や簡素化によって大学自身での改革が可能になったのを受けて、大学設置基準や学校教育法では、大学が自ら行う自己点検・評価の義務化、機関別認証評価の7年以内での受審義務化、教育情報公表の義務化及び財務情報公開の義務化が法的に規定された。国立大学法人や公立大学法人はもとより、特に学校法人では、経営の安定性・継続性をステークホルダーに分かりやすく示す必要性から、私立学校法上に、財務諸表、財産目録、監事の監査報告書、事業報告書の備付と公開の義務が規定された。各大学は大学経営の質を保証し、機能分化を図りながら教育の質保証・向上発展を自ら行うこととされたのである。いいかえれば、卒業生に与える学位に相応しい資質と能力(ラーニング・アウトカムズ)を保証するシステムの構築を促進し、大学経営業務の透明性やガバナンスの強化を図ることが求められるようになったのである。これらの法的改革は、大学自身の自己責任を追及し、多様化する社会、グローバル化する社会、予測困難な社会への、いち早い対応を促すことを狙いとしているものと考えられる。

不易流行という言葉があるように、大学は、大学としての新しい質を担保しながら何を守り、何を改革・改善していくのかを熟慮し、ことに私立大学においては建学の理念に基づく教育目的・目標を定め、どの様な人材を育成するのか、「学生は何を学び、何が得られるか」について、自ら社会や国民に訴え、理解を得なければ、多様に変化する中で埋没しかねない。大学の広報力も合せて問われる時代でもある。

3 大学教育情報開示の必然性

大学が機能分化を図っている現状において、大学は多様化し重層化が進展している。その中で各大学の持つ個性や特色の違いが鮮明になってきており、私が以前から提唱している、「富士山型大学群」、すなわち画一的方向を持たせ裾野を広げる手法から、「八ヶ岳型大学群」、すなわち各個別に目標を定めオンリーワンを目指す方向に、大学改革の舵は切られている。このことこそが多様化する社会に多彩な能力を持った人材を送り出す源泉であると考える。この様に考えれば、大学情報の開示の義務化を超えて、大学が自ら教育情報や財務情報の開示をしなければならない必然性がここにある。

もはや大学自身が情報開示の意義を考え率先して大学の営みを公開すべきであるが、公教育を担う大学のステークホルダーは在学生や保護者、卒業生、取引業者、国民一般、報道機関等々と多岐に亘り、一形式の公開内容で済むものではない。たとえば、学生募集のための情報公開とマスコミや社会・国民に向けた情報開示では、その内容や深度が違ってくる。国が求めている教育情報は、定性的なものから定量的なものまで多岐に亘るが、国としての統計情報の蓄積を必要としている観点から、大学の一覧性的側面をも考慮して規定されているものである。しかし、情報を必要としている対象者の求めに、大学は必ずしも的確に対応していない。大学は対象者と対峙しながら「誰が何を求めているのか」、その必要性と価値を分析し、正確・公正な情報を発信していかなければならない。その際、当然ながら大学の持つ負の部分の公表も求められることを理解し、信頼性・公正性の確保に努めることが重要であることは言うまでもない。

おわりに

大学の教育情報の公表を主体とした必然性について記述してきたが、日本の大学教育の約8割を担う私立大学が、社会の要請に応え、情報化やグローバル化の時代に相応しい「21世紀型市民」として多様な分野で先導的に活躍できる人材を育成していくことで、やがてそうした人材が、日本社会を支える原動力になることは間違いない。

私立大学が自らの持つあらゆる情報を社会に公表し、建学の精神に基づく教育の目標を示し、どのような人材を育てようとしているのかを、率先して世に問うことが大切であり、私立大学がそのように発展することこそが、日本にとって今もっとも重要なことである。

大学に公表が求められている教育情報の中には、中退率、留年率、就職率、進学率、S/T比など各種の数値がある。これらの数字は、時にはひとり歩きしてランク付けに利用される恐れがあることば否定できず、それに対する不安があって公表に疑問を呈する声も多い。しかしながら、それぞれの数値には結果に対する原因が存在する。その原因や理由を合わせて公表することで多くの誤解は解消され、大学自身にとっても、その分析は教育の質の向上に役立つことになる。大学は、ランク付けや悪用を恐れることなく正確で公正な公表をすべきであり、究極的にはそれが大学の発展につながることを理解すべきであろう。