2013年8月3日土曜日

教学のための経営

オリックス会長の宮内義彦さんが書かれた大学改革のススメ」(2013年8月2日日本経済新聞)をご紹介します。


かれこれ10年になるでしょうか。私立大学の経営の在り方を考える「21世紀大学経営協会」という組織の理事長を仰せつかっています。そんな立場もあり、今回は日本の大学教育について少し考えてみたいと思います。

日本の大学はいま様々な問題を抱えています。学生数の減少、財政問題などもありますが、世界の優秀な大学ランキングというのを見ても、上位100大学に入っている日本の大学は2つだけ。日本では誰でも知っているような有名大学も300位、400位といった寂しい状況です。もちろんこのランキングの信ぴょう性に疑問を感じないでもありませんが、同時に全くのつくり事とも見えません。

なぜこんなことになっているのか。大学教育の社会に与える影響の大きさ、投入される資金、エネルギーの大きさから考えて、このように惨状といってもよい評価を受けたまま放置できる問題とは思えません。安倍総理が上位100校に10校は日本から出されねばと問題視しているのもうなずけます。

何が問題か? やはり大学が世界に伍して行ける、あるいは競って勝てるように運営されていないのが根本的な原因と思われます。すなわち大学経営のガバナンスに問題があると思うのです。「競争力のある組織をつくる」「より強くなる」という意識を持って編成されているかどうか。組織を運営するという意味では大学も企業と同じです。競争力を持たない限り、強い大学、よい大学は生まれません。

大学の競争力とは何か、それは企業間競争のように高い収益性を求めるものではありません。大学の場合は社会に影響力のある研究や将来社会に役立つことになる学生をどのようにして多く育てあげられるかが競われます。それに成功したのがより強い大学というのでしょう。大学はそうなるように運営されねばなりません。

大学を構成するのは誰でしょうか。まず最も重視されねばならないのはここで学ぶ学生であるはずです。先生方は大学に来る学生を鍛え学ばせ、専門性においても人間性においてもより高い方向に導かねばなりません。先生方の仕事はそこにあり、そのために自分の研究をしたり、教科を教えたりという仕事があるのです。従ってその成果が上がっているかどうかは大学という組織にとって最も関心があるはずなのです。

同じ組織運営でも大学の場合、その成果は何年、何十年とたたなければ分からないところもあります。従ってより良い教学が行われているかどうか、なかなか評価しにくいという特徴があります。それでも工夫を凝らしていけば、評価はできるものです。

例えば先生方は、日々ABCとか70点80点とか学生の学びの成果について綿密に評価するわけですが、ひるがえって教育者としての先生自身が評価にさらされているかというと、そうはなってはいない。たとえ30年間ずっと同じノートを使い、それを読むだけの授業をしていても、だれからも批判されず、安泰なわけです。競争は基本的にはない。しかも欧米などに比べ待遇も総じて高いようです。

これまでも、問題意識を持った人々や団体から、いろいろと改革への提言がなされてきました。しかし当の先生方、大学当局ともに現状を打破しようとする意欲は小さく、ほとんどの関係者が現状維持を望む状況では、なかなか事態の改善は図られません。大学は教える側の先生のために存在するものではありません。

繰り返しますが、大学はそこで高等教育を受け社会に巣立とうとする若い学生のために存在するのです。先生方は学生を教育し、研究を深めることで、大学に関与するステークホルダーの一翼を担っているはずです。しかし、現実の日本の大学は先生方を中心とする組織になってしまっています。有効なガバナンスを持った組織になっていないのです。

特に私立大学の組織は、形の上で経営は学外出身を含む理事会が行うのが一般的ですが、教学については先生方にまかせる。経営と教学の分離という考え方が多くとられています。そして教学の重要事項については教授会が権限を持ち、この決定なくしては物事が動かない。教授会は民主的に多数決で運営され、その結果について理事会は異議をはさめず、追認するのみです。教授会は先生方の嫌がる、あるいはやりたくないことには手を出さないのが通例ですが、そこで決められる教学についてのテーマ、例えば学部・学科の新設、設備の増強などの実行責任が理事会にかかってくるわけです。

もし、経営学の少しでも分かる先生方からみると、こんな考え方にくみすることはないはずです。大学の経営とは、より立派な教学を行うために存在するので「教学のための経営」しかないはずです。経営と教学を分離するという考え方はありえないはずです。理事会で選任された経営者、すなわち理事長がすべての責任をもってよりよい教学を目指し大学をマネージ(経営)することしか考えられません。教授会がこの中に入り込む余地は補助的にしかありえません。

どんな教科が求められるのか、どのような教授を必要とするのか、どれだけの財政的裏付けが必要なのかなど、経営の根幹にかかわることは、最高意思決定機関である理事会の責任で決定し執行されねばなりません。より良い教学を行う先生方は重要な経営資源の一つなのです。学校経営に責任を持つ理事会側の経営方針に基づいて学長などに執行責任を委任し、その務めを果たして行く。学長など執行部は当然理事会が選び、そのもとで学部長などと計って大学運営の責任をもつべきで、学長・学部長を先生方が選挙するということでは、経営方針を執行できるかどうか判然としないばかりか、執行責任もあやふやになってきます。

現行制度の結果、それでは学生は「被害者」なのかというと、そうとも言えません。世界的にみて日本の大学生は勉強しない。そこまで勉強しなくても卒業できるからです。従って、日本の学生の学力のピークは大学入学時で、大学4年間は社会人になる前の息抜きの場となってしまっているとまで酷評されたりします。一方、欧米の大学生は試験で一定の成績を収めないと退学に追い込まれるため、おちおち遊んでいる暇もありません。これでは、さらに差がつくばかりです。

さらに言えば、入学試験という制度にもかねて疑問を持っています。独断と偏見を承知で申し上げれば、テストで1位とか2位の点数をとる学生というのは本当に優秀なのでしょうか。部屋にこもって覚える教科書の内容と、社会で役に立つことは、必ずしもイコールではないと感じます。

世界を舞台に戦う強い日本をつくるためにも、強い大学が必要です。そのためには大学のガバナンス確立を第一に手をつけることだと思います。監督官庁も大学に対して、こと細かな干渉をしたり天下り先としてみたりするのではなく、世界に通用する大枠づくりを急ぐべきです。その第一歩として、重要事項の審議のため教授会を置くことを大学に求める学校教育法第93条の改正を含む法的処置を講じる責任があります。