2013年9月27日金曜日

大学のガバナンス改革

現在、政府の産業競争力会議(雇用・人材分科会)や、中央教育審議会(大学分科会組織運営部会)において、「大学のガバナンス」に関する議論が行われています。

本件については、我が国では過去数十年にわたって、様々な場面で議論されてきた歴史がありますが、結局のところ、多様な利害関係者の相互作用によって得られた妥協によって、現実的な制度や体制が構築されてきたような気がします。

社会の常識に照らした、スピード感のある、そして実効性のある改革が実現することを、大学現場に生きる一人として心から望んでいます。

関連して、今回は、桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一氏が書かれた「ガバナンス改革と教員力の活用」(文部科学教育通信 No324 2013.9.23)をご紹介します。


教授会をめぐる古い議論

大学の教育・研究の質保証は、従来の「外枠」改革に代わって2010年代の大学改革の中心課題となっているが、そのような時代の趨勢に抗するかのように、またそろガバナンス改革が中教審で論じられている。場所は、大学分科会の組織運営部会である。ここでは「大学のガバナンスの在り方に関し、専門的な調査審議を行う」とのことで、検討に際しての論点例として、学長のリーダーシップを確立するため補佐体制の充実や理事会・役員会の機能の見直し、監事による監査機能の見直しなど、今日的な課題が掲げられる一方で、予算や人事に関する学長の権限や、学長の選考方法、教授会の役割などやや「古典的」なことがらも検討課題となっている。

教授会の大学経営への関与問題については、過去数十年にわたって大学改革の「肝」と思えるほど頻繁に議論されてきた経緯があり、私が文部省に入った昭和47(1972)年当時においても、新構想大学である筑波大学をめぐって国会審議その他で論じられていた。創設当初の筑波大学においては、東京教育大学の移転問題のこじれの反省から、学部別教授会の機能を学群・学系・研究科等に再分化された組織に分け、かつ全学自治の考えにそって人事委員会や財務委員会など、部局の壁を超えた組織において重要事項の審議を行うように設計されていた。権限の分散と集中のバランスを考えた配慮だったのであろう。

縮小される教授会機能

その後もさまざまな議論が続き、たとえば昭和62(1987)年に出た臨時教育審議会最終答申において、大学の組織・運営における自主・自律体制の確立が、大学改革に不可欠な要素であるとの前提で、「国立大学については、管理・運営の自主的責任体制の確立、学長、学部長等のリーダーシップの発揮、私立大学については、学長を中心とする教学の管理運営組織と教授会の責務を明確にし、教学側と理事会が協調して、大学を含めて学校法人が一体として、社会的責任を果たすべき」としている。今日、中教審で論点とされていることの多くは、すでにこの臨教審答申の中にも含まれているのである。それが解決されていないとすれば、教授会の権限縮小以外の問題が隠れていると見るべきであろう。

それでも、教授会の権限を縮小しようとする努力はさらに続けられ、平成10(1998)年の大学審議会将来像答申において、学長、学部長(執行機関)と評議会や学部教授会(審議機関)の機能分担と連携協力を図ることが提言されたことを受け、翌年の国立学校設置法の改正では、国立大学について、評議会と教授会との役割分担の明確化や外部有識者の意見を取り入れるための運営諮問会議の設置が定められ、教授会については教育課程の編成や学位授与など教育・研究に関する重要事項に審議事項を限定し、大学に運営に関する重要事項については、学長や学部長から構成される評議会において審議されることになった。ただし、この法律は国立大学の法人化に伴い廃止されている。

教授会だけが問題か?

現在、国立大学に置かれる教授会の機能については、私立大学や公立大学と同様、学校教育上の設置義務の原則に立ち戻っているが、国立大学法人法の趣旨からすれば、そして教育公務員特例法の規定が適用外となったことからも考えて、関係者がこれを限定的に解釈していることは疑いがない。しかし、私が疑問に思うのは、教授会の機能を縮小すれば当然に学長のリーダーシップが確立できる、大学の管理・運営がスムーズに運ぶ、教員人事も迅速化する、などガバナンスに伴う諸問題が一挙に解決すると考える識者が、大学の内外を問わず少なからず存在することである。ただし、組織運営部会の議事録を読んでも分かるように、委員の間にかなりの温度差があり、この問題のすべてを教授会機能に集約することは到底できないであろう。私が中教審に期待したいのは、むしろそのような古典的な問題ではなく、冒頭述べたごとく、学長の補佐体制の充実や理事会・役員会の機能の見直し、監事による監査機能の見直しなど今日的な問題を積極的に議論することである。

これに加えて、大学経営における教員の役割確立が必要であると考える。何人かの識者も指摘するように、米国では多くの管理職を教員出身者が占め、その雇用市場も確立している。わが国でも、副学長や学部長など教員出身の管理職は多数いるが、いずれは教授に復帰することを前提とした腰掛け的存在であることが問題である。このような折、今年7月に東京で開催されたあるセミナーで、元法政大学総長の清成忠男氏の講演から貴重なヒントを得た。それは、大学のガバナンスは教授会自治の強弱だけではなく、教員の経営参画の強弱によって4つの類型に分けられるというものである。すなわち、教授会自治が強くて教員の経営参画が弱い場合を「伝統型(ビューロクラシー)」、前者が強く、後者も強い場合を「経営軽視型(教学主導)」、前者が弱く、後者が強い場合を「改革型(法人・教学協力)」、前者が弱く、後者も弱い場合を「経営優位型(法人主導)」を名付けられており、私にとって十分に納得できる分類であった。

教員力の活用が急務

もっとも、これは学校法人と教授会との関係という私学に特有の分け方であり、国立大学も視野に
入れるとすれば、これを一部修正する必要があると思い、図表のような類型を考え、これを「4つの態様」として描いてみた。象限Cは教授会が強く、しかし教員の経営参画が弱い場合で、これを「伝統的教授会自治」型と名付けてみた。教授会を通じて権利や既得権は主張するが、自ら大学運営の責任を取ることに消極的な考えの教員が少なからずいることは、経験則からよく知られた事実である。しかし、変化する時代に対応できる大学経営のためには、教員の持てる能力つまり「教員力」をもっと高く評価し、象限Aのごとく、これを大学経営にも正当に活用することは急務であると私は考える。なぜなら高度な知識や専門家集団を扱う大学には、この専門と親和性を持つ教員管理職でないと収まらない問題が多数存在するからである。教授会云々とは別次元でこれを真剣に考えなければならない。このことは米国の大学経営体制を見ても明らかである。

ただし、現在多くの関係者が論じている将来のガバナンスの姿は、むしろ象限Dのような形が多いようである。これに対して象限Bは論外としても、象限Aのような姿を想像する者は意外に少ない。私としては、極端なAは別として、AとDとの適切なバランスの上に、学長のリーダーシップを支える新たな体制をつくること、そしてこれに必要な諸条件、諸環境を整えることが、これからの大学ガバナンス改革に必要なことだと思うのだが、いかがであろうか。


著者 : 田中和彦
日本実業出版社
発売日 : 2011-06-09