2013年11月13日水曜日

大学は社会と一緒に歩んでいるか

「国立大学法人法コンメンタール(歴史編)」(国立大学法人法制研究会著)から、「国立大学法人法案の準備と国会審議(その22)」(文部科学教育通信 No326 2013.10.28)を抜粋してご紹介します。

法人化から10年経ちました。私たちは、法人化の意義、国民からの期待を改めてかみしめる必要がありそうです。


石弘光学長の意見

国立大学法人法案の審議に当たっては、衆議院でも参議院でも多くの参考人が呼ばれ、意見陳述が行われた。各参考人の賛成論、反対論のいずれもが、当時の国立大学をめぐる様々な関係者の問題意識を端的に示していた。

国立大学協会の副会長として法人化の問題を強力に牽引してきた石弘光・一橋大学長は、参考人のトップバッターとしての意見陳述を行った。大学団体の幹部であるにもかかわらず、石学長は居並ぶ国会議員の前で「日本の大学は国際的な競争力を失っている」と言い放った。その上で、法人化は「頑張る大学が報われる仕組みであり、大学人の意識を変え、真の大学改革を遂行する良いきっかけになる」として、前向きに評価した。同時に、制度の運用が重要であるとの認識を示し、行政側にも意識改革を求めた。

◎石弘光・一橋大学長(平成15年4月23日衆議院・文部科学委員会)

「まず、大学は、特に日本の大学というのは、端的に申しますと、私は、国際的な環境の中で著しく競争力を失っておると考えております。つまり、研究者が海外に頭脳流出していくということはもう長年言われておりますが、最近は、優秀な高校生までが、日本の大学に行かないで欧米の大学に行ってしまうという現象がしばしば指摘されております。ということは、研究教育の面において日本の大学がしっかりしないといわば空洞化が起こるのではないか、こういう危機感を持っております。そこで、それに対して、大学も決して手をこまねいていたわけではございません。(中略)しかし、やはり中だけの改革では生ぬるい、かつ、大学人の意識の変化がないとこういう大きな改革には結びつかないとかねがね思っております。そういう意味で、今回、国立大学の設置形態そのものを変えるというこの法人化というのはいいきっかけであり、私は、これをいい方向に動かしつつ真の大学改革を遂行すべきであるという立場をかねがねとっております。

今どこに問題があるかといいますと、二、三、例を申し上げますと、やはり、大学の組織、人事が、今のままでは非常に硬直的であります。言うなれば、若いころ採用されたままで、さしたる業績もなくても定年まで安住できる状況でございますし、研究教育の最低限の義務を果たしていれば、それなりの大学生活を送れる。言うなれば、競争という形のものが著しく欠けているのではないか。

そういう意味では、私は、第二に、やはり研究教育には競争が必要だと思っています。ある論者に言わせれば、大学は競争になじまないという御意見もあるのは事実でございますが、ただ、確かに、一、二割のところは競争になじまない研究領域はあると思っておりますが、それを理由にして、本来、競争にさらした方がいい分野にまで競争原理を否定するのは、私は大いに行き過ぎだと考えております。(中略)各大学が、例えば研究費をとってきたら、オーバーヘッドという形で大学全体にそれをファンドとして積み立てて、そういう基礎研究の育成あるいは充実のために充てるべきだということをやれば、恐らく、金の面、人の面でも、その基礎的な研究というものはなおざりにされないと思っていますし、それができないような大学はこれからだんだん衰退していかざるを得ないという自己責任、そこでこの勝負は決まってくると思っています。

それから、私は、何といっても、この改革のいわゆる一つの目玉は、教育サービスが向上すると思っています。例えば、学生による授業評価の制度も入れている大学も出てきましたし、これは欧米の大学では当たり前なんでありますが、これが長いことやられてこなかった。それから、国立大学に評価というのが入る。これも海外ではごくごく自然に行われていることであります。当初はいろいろな問題があって、試行錯誤を経るかとは思いますが、この評価というものは、やはり、外部の目に大学のパフォーマンスをさらす意味では非常に重要であると考えております。

それから、やはり、大学に経営マインドが出てくるだろうと思っております。これは、単に大学間だけではなくて、地域あるいは企業等々と連携をしながら、社会的な貢献という面で、国立大学あるいはひいては大学全体が貢献できるのではないか、このように考えております。

(中略)

競争とはいっても、民間の企業と違いまして、売り上げで競うとかあるいは生産高で競うということはできません。そういう意味では、大学に6年間の中期目標、中期計画を立てさせて、その中で、後、評価をするといったような仕組みは、私はどうしても必要と考えております。つまり、何でもかんでも自由になるという、その幅をあるところで制約する仕組みはやはりあって、特にこれは予算が絡みます。幾ら法人化したといえ、国立大学は結局税金投入で運営される大学でありますから、国民あるいは納税者に対して、中で何をやっているかということを説明する責任がございますから、きちっとしたそういうフォームは必要かと考えております。

(中略)

今、情報化であり国際化の中で、従来のように教授会をベースにしたボトムアップ的なディシジョンメーキングでは大学はもたない、大学の運営は著しくおくれ、迅速な手が打てないと思っております。ある意味では学長のトップダウンといいますか、リーダーシップといいますか、それによって大学全体の意思をまとめていくということは必要になってこようかと思いますし、これは欧米の大学ではごくごく自然の話だと思っております。

(中略)

さて、問題はないわけではございません。改革でありますから、当然のこと、プラスの面、マイナスの面、両方考えなければいけません。ただ、リスクを恐れる余り、現状維持でいいということは、今の大学人は私はだれも考えないと思います。立ちどまって何もしない、そのリスクの方が私は大きいと思いますし、今申し上げた、あるいは法人化の方に込められております制度設計を見れば、頑張って努力する大学には報われるような、そういうような大学改革になると思っておりますし、なるべく努力をすべきだと考えます。

そういう意味で、まず私は、運用というのが非常に重要だと思っています。法案ができ、法制化しても、実際にそれに携わるのは恐らく官僚、政府あるいは大学人等々の人でございまして、その運用に関してはかなり幅があると思っています。そういう意味で、今後、大学の裁量の幅をでき得る限り広げる、つまり逆のことを言えば、無用なコントロール、無用な介入はやめていただきたいということが恐らく大学人の共通の要望だと思っています。

(中略)

これはまた、逆のことを言えば、事前的なチェック、事前的なコントロールというよりは事後的なチェック、これが重要ではないかと思っております。あるルールを決め、そこでプレーヤーとして大学の運営を自由にやらせて、その後いろいろな問題が出てくればチェックをする、そういうことがどうしても必要になってきますし、何よりも透明な行政ということが欠かせないと思っています。例えば運営交付金の算定の仕方も、だれが見てもわかるような格好にぜひしてほしい。

それから最後に、さまざまな制度改革になりますと、大学の事務量というのがほうっておくと非常に拡大する心配があります。もう既に各大学人はかなり危機感を持っておりますが、大学評価のための作業量、これは膨大であります。事務量も大変だし、印刷物も大変でありますし、会議に使う時間も大変であります。これは一つの例でございますが、今後これを極力阻止する方向でやらないと、法人化といういい方向を向いていても途中で息が切れてしまうということもあり得ようかと思いますので、こういう運用の面については、この法人法案を基本的に支持する立場としても、この辺は十分御留意いただきたい。

まとめますと、私は、法人化というのは各大学の努力あるいは自覚と才覚が問題で、これからどういう大学をつくっていこうかというビジョンを立て、大学全体となって努力すればそれだけある方向で報われてくるというふうな制度設計になってくると思っておりますし、そうせないかぬと思っています」

小野田武氏の意見

小野田武・日本大学教授は、三菱化学株式会社において専務取締役開発本部長等の要職を務めるとともに、経団連の大学問題ワーキンググループの主査として活動するなど、長らく経済界から大学のあり方を論じてきた人物である。文部科学省に置かれた「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」にも参加し、目標評価委員会の作業委員として報告書のとりまとめに中心的な役割を果たした一人でもあった。小野田氏は、日本が国際社会の中で「周回遅れのランナーになっているんじゃないか」との強烈な危機感を前提に、法人化によって「社会に開き、社会とともに歩んで、そして社会を先導してほしい」と国立大学に期待した。

◎小野田武・日本大学総合科学研究所教授(平成15年4月23日衆議院・文部科学委員会)

「私は、肩書が日本大学の教授になっておりますけれども、40年を超えて化学系の企業で研究開発、新しい事業の開発、また経営のトップ層に入りまして従事してまいりました。(中略)そこで私が強く感じたことは、確かに経済の国際化というのは昔から進んでいますけれども、いわゆる国際化という流れはもう経済だけにとどまらない、あらゆるものが国際化という波にさらされるということを、嫌というほど感じたわけですね。

また、一方では、ちょっと皆さんが余裕があるときは必ず議論されます、資源だ、エネルギーだ、環境問題だ、現代の文明の社会の将来はどうなるんだろう、これはまさにどうなるんだろうかどころか大変な問題なわけですね。そういう一つの制約のもとにどう我々が活動していくかという思いであります。

それとともに、経済先進国のさまざまな社会的な意思決定のメカニズムが明らかに変わりつつある。それはNPO等と言われますけれども、いかに個人個人が同じ思いを持ってしかるべき提案をお上に、言葉は悪いですけれども、自分たちより強い者に、国を指導してくれる人たちにぶつけていくかというメカニズムがダイナミックに動いている、これを痛烈に感じております。

それに比べて、やはり我々日本というのが、はるかに極東という、多少地理的にいえば不利な地にありますし、過去の成功体験というものがございました。そういうことで、簡単に言えば、周回おくれのランナーになっているんじゃないかなというのが、危機感の原点であります。

(中略)

大学というものは知の中核であり、人材育成の基盤だと思っております。逆に言えば、今申し上げた国のファンクションで、国際競争の先頭に立っていってもらわなきゃいけない機能だと私は確信しております。

特に日本の場合には、さまざまな歴史的経緯からいっても、国立大学への質的な依存性、量的ではありません、質的依存性は極めて高いわけです。それだけに国立大学は、今申し上げてきたような時代の認識であるとか、私が申し上げた危機感であるとか、そういうものにこたえてくれないと困るわけなんです。

これを抽象的に申し上げれば、一人一人の個人、大学人は、その人がやりたいと思うことが存分にやれているか、こういうことをやりたいと思ったらそれができるような状態になっているか。それでは組織というものは、本当に大学という組織体でその力を発揮しているだろうか。一人一人が強いのは当たり前です。それが集まればもっと強くなるはずの、その組織力を発揮しているだろうか。また、個と組織の力を十分に顕在させる、そういう仕組み、システムができているのだろうかといえば、答えはもう明らかです。答えは申し上げません。

それで、次のステップとして、私が今回の国立大学の法人化法案に対してのバリュエーションですけれども、結論としては、私の思いからすれば満点ではないけれども合格点だ、大変御無礼な表現かもしれませんけれども、そう思っております。(中略)

今申し上げた個人の活力は上がるのか、上がると思います。天井は少なくとも、従来に比べればこれは大幅にあいています。個人の才覚で、個人の志で、もちろん国家公務員でないとか、いろいろな周辺の事情もありますけれども、そういうことを通じれば明らかに広がっております。

組織はどうかといったら、組織力を醸成、発揮することは、確かに従来に比べたら格段の進歩があると思います。外部の有識者、いかにいい方を選ぶかは問題ですけれども、その経営能力を活用したらいいですし、学長、役員会の権力がある程度強くなることによって構想力がつきます。大学にないのは組織体としての構想力なんです。そういうものをつくる仕組みがやはり乏しいわけです。それができる。それから一方では、職員のプロフェッショナル化と申しましょうか、そういうことが進むと期待できます。

(中略)

最後に一言だけですけれども、私が国立大学に期待するということは、やはり社会を先導してほしい、そういう研究をし、そういう若者を育ててほしい。今役に立つ若者なんていいんですよ。若者に必要なのは、彼らが30になり40になり、その世界のリーダーをとるときに、それにマッチする能力をやはり大学というのは育ててくれなきゃいけない。そのためには、そういう時代が何かを先生方は知っていなきゃいけない。象牙の塔の中に行って知ることができますか。社会と一緒に歩んで、暮らしてこそ、未来が洞察でぎる。それでは、今の大学は社会と一緒に歩んでいますか。社会の方は何だかわからないねと言っているわけです。

ですから、第一歩はオープン、開いてください。要するに、社会に開き、社会とともに歩んで、そして社会を先導してほしい、ひたすらそういう期待を持ちながら、この法案を温かく見ていきたいというふうに思っております」