2014年1月28日火曜日

人生は不条理である

ブログ「今日の言葉」から社会人」(2014年1月27日)をご紹介します。


どんな職場でも社会人というのは、自分のことを見てもらえるように努力をするものだよ。

努力しなければ、見てはもらえない。

こっちが指導したいなと思うような選手になりなさい。

鐘だってそうだ。

打って響かなければ、もう鳴らしたくなってしまう。

打ったら響く、そういう人にならなくてはいけないよ。

そうでなかったら、俺だってえこひいきするよ。

社会人なんだから。

小出 義男


高橋尚子選手を始めとして多くのアスリートを育てた小出監督の言葉です。

そんな高橋選手がこの言葉を聞いたときの思いが次の言葉です。

「小出監督のその言葉は、私にとって本当に革命的な言葉でした。」

打った鐘のごとく、響き返す行動が指導される側にも必要なのです。

黙って頑張っていればみんなと同じように目をかけてもらえるというものではない。

挨拶も返事もメールなどの返信も感謝の言葉も、きちんと相手に届くように行わなければ届かない。

「分かってもらえるだろう」は通用しないのです。

先日作家の五木寛之さんのお話を伺った際にこんな話をして下さいました。

『仏教では「人生は苦である」という教えがあります。

それは肉体的な苦行というわけではなく、

「人生は不条理である」「思うに任せない。思うようにならない。」

ということを理解しておくことの大切さを説いた言葉であると。』

平等ではないからこそ、キチンと見てもらえる努力が必要なのですね。


2014年1月27日月曜日

大学の自治と教授会

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「教授会」(文部科学教育通信 No332  2014.1.27)をご紹介します。


昔の学生(つまり筆者)は、大学の自治は憲法で保障されていると習った。厳密に言うと、憲法が保障するのは「学問の自由」(同23条)であって、それを担保するために「大学の自治」の保障が含まれている、と教わった。

ついでに「大学の自治」をみてみたら『世界大百科事典』では、「大学が、政治的な統制、行政的な干渉、社会的な圧力を排して、研究・教育にかかわる自律的な権限をもつこと。今日、世界的に認められている大学の自治権の内容には、(1)教員の人事に関する推薦・選任・免職等の諸権限、(2)学長・学部長等内部管理者の選任権、(3)学則・内規等内部規程の制定権、(4)教育課程・カリキュラムの編成権、(5)学位取得資格の認定権と授与権、(6)施設の管理権、(7)入学者の選定権、卒業認定権などがある」とされている。

本来、大学の管理運営において最も重要視されるのは、いかに民主的に意思決定がなされ、皆が納得する結論によって組織運営がなされるかだ。なかでも、教授会は、大学の教育・研究上の重要事項を民主的かつ自治的に議決する機関であり、私大の経営者は、教授会の意思を尊重しながら、大学経営をすべきものと言われている。

しかし実態は大違い。一般にセンセイたちは、研究が大事、次に教育、その他は「雑務」と称する。教授会などの委員会や会議はこの雑務に含まれる。教授会などは、時間がとられるので嫌がる。また、原則論を振りかざす教員がいた日には、いくら時間があっても足りない。

この点、私大の教授会は実に静か。誰もほとんど発言しない。入試の結果ですら、どこかで決定されて何名が合格とするという結果の説明だけがアナウンスされている。これで異議がなければ教授会の決定ということになり大学の自治は守られていることになる。めでたし。唯一無難な議題は、学生のための自転車置き場の設置のような案件。議論が沸騰して面白い。難しい話は短時間、身近な予算の少ない話は長時間になる。「パーキンソンの法則」のひとつに似ている。

こういう大学には"立派"な学長がおられる。ワンマン学長(総長、理事長あるいは同族の世襲)が長期にわたって、ほとんど専制政治といえる大学運営を行っている。そういう大学では、右のように、教授会は形骸化していて、事実上、何の決定権もなく、事後承認しているだけ。そのかわり、議論が紛糾することもなく、教授会は短時間で終わる。これを平和と言わずして何が平和か。

国立大学から新設の某私大に移ったある教員は、このワンマン学長の下で、満足しておられるらしい。いわく「教授会が長引かないのは良いし、自分の研究に没頭できる」とおっしゃる。19世紀に解放されたアメリカの奴隷の一部が「自由になると大変だ、奴隷時代は食べるものも着るものも住むところも考えなくてよかった」と言ったのと同じ。自分たちで、まともに大学を運営している自覚がない。国立から移ったセンセイたちは数年のことと思うから親身にならない。若手の生え抜きグループは、経営者ににらまれたら元の不安定な非常勤講師に戻らなければならないから、「行動」しない。だから教授会では消極的・無関心になるか、単にわがまま勝手を言うだけになる。

そこにワンマン学長が出てくるのは歴史の必然だろう。そして、ワンマン学長支配が、結果的には大学に一定の秩序をもたらしているのだから逆説的で面白い。ここでのキーワードは、「追従」「おべっか」「巧言令色」「面従腹背」である。つくづく大学も「人の世」だと思う。


2014年1月25日土曜日

下坐に徹して生きる

ブログ「今日の言葉」から水の如く」(2014年1月22日)をご紹介します。


一、自ら活動して他を動かしむるは水なり

一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり

一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

一、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり

雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり


今年の大河ドラマになっている黒田官兵衛(如水)作とも言われる水の強さから学ぶ人生訓です。

長年の水滴が石を穿(うが)つが如く、水は大きな力を持っていて、しかも形は変幻自在で柔和。

下へ下へと流れ、流されていくのに、その性質を失うことなく、再び清き水に戻ることが出来る。

人が学ぶべき性質を持ち合わせていますね。

下へ下へ自らを下げる余裕があることが人間にも大事です。

曹洞宗の指導書の一つ「修証義」にも同様に、自ら下ることで結果的には自らを高めしめると説かれています。

教育者の森信三先生もこう説かれています。

「思い上がらず、下坐に徹して生きる時、天が君を助けてくれる」


著者 : 幸田露伴
ディスカヴァー・トゥエンティワン
発売日 : 2013-11-29

2014年1月23日木曜日

馬肥やせ

文部科学時報(文教ニュース 平成26年1月6・13日)から「寅さんも期待する大学改革」をご紹介します。


年が改まり、教育再生の年ということで、いよいよ大学改革本番。まずは入試。入試というと、平成4年の東大入試にも出た、寅さんの名文句。

「インテリというのは自分で考えすぎますからね、そのうち俺は何を考えていただろうって、分かんなくなってくるんです。つまり、このテレビの裏っ方でいいますと、配線がガチャガチャにこみ入っているわけなんですよね・・・」

とはいうものの、この課題先進国で、高等教育だけが唯一の希望と言われる中では、インテリがどうかはさておき、「裏っ方」も含めたすべての大学人は、まずはやっぱり考えて考えて考えぬかないと。そして、議論を重ねないと。

よく、大学の議論は「薄皮饅頭」にたとえられ、餡(案)ばかりだと揶揄されるが、学問の府が、まともな検討や議論を放棄することは許されないし、教育上からは学生、地域に根ざしている観点からは市民や社会も巻き込むことも必要だ。

寅さんは、進路に悩む甥の満男の「何のために大学へ行くのか」の問いに、「人間長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。な、そんな時オレみてえに勉強してない奴は、この振ったサイコロの出た目で決めるとかその時の気分で決めるしかしようがないな。ところが、勉強した奴は自分の頭でキチンと筋道を立てて、はて、こういう時はどうしたらいいかなと考えることが出来るんだ。だからみんな大学に行くんじゃねえのか」とこたえていた。

我々は寅さんの期待にこたえられるだろうか。中教審の唱える「国民一人一人が主体的な思考力や構想力を育み、想定外の困難に処する判断力の源泉となるよう教養、知識、経験を積む」大学像と見事に符牒があうが、そんな大学をめざして、まずは、大学人として、自分たちの頭でキチンと筋道立てて検討しなきや。

今年は甲午、うま年だ。

「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」

日本一短い手紙として有名だが、原文は、「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」で、徳川家康の家臣の本多重次が長篠の戦いの陣中から妻にあてて、嫡子・仙千代のことなどを案じて出したものとされている。家中や跡取り、そして戦さの場で命を預ける馬の世話を怠りなくせよ、と簡潔な中に万感のおもいをこめた名文である。

まさに「馬肥やせ」。

畢竟、我々の言葉に置き換えれば、まずは一意専心教育。そのための教育・研究スタッフと最先端の施設・設備の充実、さらには組織のマネジメントをということか。

大学がその強み・特色を最大限に生かし、自ら改善・発展する仕組みを構築することにより、持続的な「競争力」を持ち、高い付加価値を生み出す(「国立大学改革プラン」)ためには、まさに「駿馬」を育てねばならぬし、名伯楽よろしくその目利き(入試)、養成(教育、診療)、開発(研究)をし続けねばならない、ということ。

その決意を表し、考え、そして実行する、「馬肥やす」午年にしたいものだ。

さらに、寅さんは言う。「しっかり勉強して下さいね。私たちの分も」


2014年1月20日月曜日

人間的な人間

ブログ「人の心に灯をともす」からマイナスを活かす生き方」(2014年1月19日)をご紹介します。


岡本太郎氏の心に響く言葉より…

自分は内向的な性格で、うまく話もできないし、友人もできないと悩んでいる人が多い。
だが、内向的であることは決して悪いことではない。
そう思い込んでこだわっているから暗くなり、余計、内向的にしているんじゃないだろうか。

内向的ということをマイナスと考えたり、恥じちゃいけない。
生きるということを真剣に考えれば、人間は内向的にならざるを得ないのだ。

また逆に、自分が内向的なために、かえって外に突き出してくる人もいる。
だから内向的であると同時に外向的であるわけだ。

これが本当に人間的な人間なのだ。
歴史的にみて、英雄とか巨(おお)きな仕事をした人は、みんな内向性と外向性を強烈に活かしている。

たとえば、もって生まれた性格は、たとえ不便でも、かけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。
内向性の性格は悪いことだと思っているから、ますます内向的になってしまう。

人間だから、誰でもが内向性をもっているんだ。
いくら派手にみえる人間だって内向性をもっている。
内向性で結構だと思えば、逆に内向性がひらいていく。

内気な人の表現力が、派手にチャカチャカふるまう人より強い印象を与えることもある。
口ベタの説得力ってものもある。
平気でやれば、逆にひろがる精神状況が生まれてくる。

自分は気が弱い、怒れない人間だと、むしろ腹を決めてしまうほうが、ゆったりして、人からその存在が逆に重く見えてくるかもしれない。
もっと極端なことをいえば、強くならなくていいんだと思って、ありのままの姿勢をつらぬいていけば、それが強さになると思う。
静かな人間でそのまま押し通すことが、逆に認められるし、信用されるということは十分あり得る。


自分の性格を変えようと努力するのも大事だが、逆にその性格を変えずに活かす、という方法もある。
むしろ、成功した人は自分の欠点や短所を直そうとせず、自身のキャラクターとして強烈に印象付けている人は多い。

始終、明るく愚痴を言ったり、嘆いたりしている人が大成功した例もある。
愚痴も暗く言わなければネタになるからだ。

技術系から営業になったしゃべるのが不得意な人が、トップセールスマンになってしまった、という話は多い。
むしろ立て板に水の薄っぺらな営業マンは、何か胡散臭(うさんくさ)くて、信用されない。

常に物事には裏表がある。
外向的に見える人も、内向的な面を持っている。
嘆き節の一見弱々しい人も、心の底には絶対に負けないという強さを秘めているかもしれない。
しゃべるのが不得意の人は、聞く事が上手。

自ら欠点や短所を、強みにする努力をしてみたい。


2014年1月18日土曜日

人はなぜ、働くのか

フォレスト出版が発行するメールマガジンから「仕事を好きになる」をご紹介します。


先日、テニススクールに、授業で小学校6年生の子ども達が5名訪ねて来ました。

「人はなぜ、働くのか?」というテーマで職場を訪ねて、実際に働いている人に話を聞くという内容でした。

私と2名のスタッフで対応したのですが、子ども達から「毎日、テニスをしていて疲れませんか?」とか、「何でテニスを仕事にしたんですか?」など、素朴な質問がありました。

出来る限り子ども達に夢を与えたくて、「好きなテニスを仕事にしているので疲れないよ」とか、「小さな頃からテニスをしていて、いろいろな思い出を作れたので、テニスの楽しさを広めるために仕事にしたんだよ」などと答えたのですが、本当にわかってくれたかどうか、子ども達の反応からはわかりませんでした。

後日、子ども達から手紙が送られてきました。

その手紙には、「皆さんのテニスに対する想いが良くわかりました。僕もサッカーが大好きなのであきらめたくないです」「好きなことを仕事にするのっていいですね。僕も好きなことが仕事にできるように頑張ります」と書かれていました。

気持ちが伝わったのがわかって嬉しかったです。

最近、子どもの問題がいろいろと指摘されていますが、大人が楽しんで仕事をしている姿を見せることが大切だと思います。

休みの日に疲れて寝転んで、「子どもはいいよなぁ…」とため息をついていて、「頑張って勉強しろ」と言っても聞くはずがないですね。

「何のために働いているの?」と聞かれたら、「お金を稼ぐために働いている」という答えが当たり前だと思います。

でも、お金に囚われないで仕事をしている人もいると思います。

「もし明日、世界が砕け散ってしまうことを知っていたとしても、私は自分のりんごの木を植え続ける」

この言葉はキング牧師の言葉です。

キング牧師は黒人の公民権運動に参加すると、反対派や州警察から何度も暴行を受け、投獄され、家に爆弾を仕掛けられて家族を殺されそうになりながらも、「黒人の差別を無くして全ての人が自由と平等の社会にしよう」と訴えました。

その功績を認められてノーベル平和賞を受賞しますが、39歳で暗殺者の凶弾に倒れてしまいます。

キング牧師はお金を稼ぐどころか、自分の命を犠牲にして働いていました。

本当に好きな仕事をしていたら、もし明日世界が砕け散ることを知っても仕事を続けます。

残念ながら今の仕事が好きではないなら、好きになる努力をすることが大切だと思います。


2014年1月16日木曜日

大学改革のエンジン

昨今、特に大学のガバナンス改革が強く求められていますが、事務職員の役割・機能、そして能力開発もその重要な要素の一つです。

今回は、学校法人東邦学園愛知東邦大学理事・法人事務局長/学長補佐の増田貴治さんが書かれた論考「大学職員の力量を高める」(文部科学教育通信 No331  2014.1.13)をご紹介します。


力量ある職員の育成を求めて

品位を疑われるので口には出さなかったが、大学職員の経費に関して、筆者は率直な感想を持っていた。「同情するならカネをくれ」。大学改革の新たな旗手として、職員は情熱を持って教育を支援し、教員と協働するよう、その重要性が説かれながら、具体的支援策(カネ)がなかったからである。

それが今年度から、助成金がつくことになった。補助金総額は14億円。私立大学等経常費補助金特別補助に「未来経営戦略推進経費(持続的な大学改革を支える職員育成に係る取組み)」として新たに加わった。文部科学省が大学職員の育成事業に財政支援を行うことは過去にはなかった。

学校法人会計基準は従来、職員の研修等に関する直接的な経費を「教育経費」ではなく「管理経費」として扱ってきた。補助金対象とはならない。各大学とも職員の育成に対する予算配分を十分に措置できなかった原因の一つがここにある。

画期的なこの特別補助事業は、中長期を展望する大学の改革計画や経営改善計画を達成するため、教学・経営改革を支える職員の能力向上を主眼に据えた。それを組織的・持続的に実行する学校を支援する制度である。大学職員の力量が、法人・大学を円滑に運営する上での重要な要素として認識された証拠だろう。財政的な裏付けが可能となったことで、理事会からの後押しや教学サイドの理解と協力を得て、これまでの人材育成のあり方を抜本的に見直すきっかけになると考える。

投資の必要性を再認識する

この補助金は、5年間の継続した取り組みであること、理事会で承認されたことなどが条件となっている。筆者が所属する愛知東邦大学も、職員育成のためのアクションプランとして「中長期展望に基づく職員力向上に係る取組み計画」を策定した。

先日、本学の申請が採択され、補助対象校として選定されたとの朗報が入った。計画が一定の評価を受けたことは誇らしいことである。一方で、理事会は既に「採択結果の可否に関わらず、事業経費を予算化して実施する」ことを決定していた。本学園にとってこの熟議のプロセスこそが重要で、既に大きな成果を得たと受け止めている。学内に向けて「大学職員の能力向上を図る取り組みを明確に位置づけ、組織的に推進することが必要不可欠」という認識を、より深める機会になったからである。

大学改革のエンジンとして、職員の果たす役割の重要性は言うまでもない。課題は、必要な能力をいかに継続的に身に付けさせ、育成プログラムをどう設計するか、そして職員が提案した取り組みが、優先順位の高い事業として位置づけられるかである。

職員研修実施に向けて課題

日本私立大学協会附置私学高等教育研究所の私大マネジメント改革プロジェクトチーム(研究代表・篠田道夫桜美林大学教授。筆者も研究員として参画)が2009年に実施した「事務局職員の力量形成に関する調査」で、「職員研修の種類」(図1:略)に関しては、「外部団体主催の研修参加」が90.9%と最も多い。次いで、「新人研修」67.5%、「職員全員参加研修」64.5%、「階層別研修」42.0%、「テーマ別研修」39.0%と続いた。一方で、「海外研修」は12.1%、「大学院への進学」は7.4%と、わずかではあるが制度として挙げられていた。

また、研修制度に関する問題点や課題(図2:略)では、「体系的な研修ができない」が60.2%と最も高く、「研修による職員の成長を評価しにくい」も55.0%と、いずれも過半数を超えている。「講師選びが難しい」28.6%、「研修する時間がない」26.8%、「研修に対する職員の意欲が低い」26.4%の順である。一方で、「職員研修制度がない」も13.0%、「研修制度はあるものの運用されていない」が2.2%あり、研修そのものが実施されていない大学もあった。

研修回数を一人当たりでみると、「学内研修」が2.1回、「学外研修」が1.9回だった。大学職員の成長を促す学修機会としては、日常業務を遂行する中でOJT(On the Job Training)を中心に据えながら、これを補完する学内外研修の実施が効果的であると考える。(研究所叢書『財務、職員調査から見た私大経営改革(2010年10月)』参照)

SDとトップマネジメントカにかかる

筑波大学・大学研究センター長の吉武博通教授は、大学職員に求められる3つの要素として「動機・意欲」「スキル」「知識」を挙げている。そして、3つの要素が相互に作用しながら、能力がスパイラル的に向上する状態をいかに創出するかがスタッフディベロップメント(SD)の本質であるという。

また、大学がSDの環境を整えるため、3つのことに重点を置く必要があるという。一つ目はマネージャーとメンターの育成・配置。二つ目は健全な職場づくりの促進。三つ目はOJTを補うための、学外の教育・研修機会も活用した研修体系の構築とその計画的実施である。組織、制度、人事、研修などの総点検が必要であり、SDを掛け声倒れにしないためにも、それらを人材育成という一つの目的に向けて再構成する必要があると指摘されている。(『カレッジマネジメント161/Mar.・Apr.2010』53頁より)

現在の法人・大学は、経営・教学それぞれに専門性が高く、複雑な課題を抱えている。だからこそ、両組織が共に機能するようトップマネジメント体制を確立できる仕組みが求められる。また、個々の課題をすり合わせ、解決に向けて経営と教学が有機的に連携する必要がある。

東京の学校法人武蔵野大学が、職員募集に当たってホームページ上でアピールした「『職員力』によるプロジェクト・武蔵野BASIS」に目がとまったのでご紹介する。2011年度からの未来経営戦略推進経費(経営基盤強化に貢献する先進的な取組)」を生かした成果だという。

「自己基礎力を身に付ける大学独自の教養教育システムは、教・職員共同で作り上げました。学生が文・理・医療系の学部・学科の垣根を取り払い、広い視野を身に付けると同時に、武蔵野大学の学生としてのアイデンティティと強い連帯感を持ことができます。」

筆者の大学も同じ推進経費をいただいているが、武蔵野大学のような成果をあげてきたかと振り返ると、反省しきりである。人・物・財が必要な分だけ確保できない経営環境が厳しい大学であれば、なおさら不足を補う運営マネジメントが重要である。


2014年1月13日月曜日

文明の進化と人間の退化

ブログ「外から見る日本、見られる日本人」から新たなる1%と99%の世界 バーチャルな世界 その1」(2014年1月13日)をご紹介します。



"We are the 99%"、「ウォール街を占拠せよ」は2011年にアメリカで始まり世界的に伝播した経済格差の問題でした。あるいは、パレートの法則に基づき、2割の人が8割の稼ぎをするといった表現はずいぶん昔から引き合いに出されたおなじみかの話かと思います。

では私が考える新たなる1%と99%の話とは何でしょうか?

99%の機械に使われる人間と1%の機械を使う人間という世界を想像しています。

私はこのブログを通じて再三訴えたのは、人間は機械に使われ、考えることをしなくなってきているということでした。もはやスマホ(あるいは携帯)がなければ一日も過ごせない人が多く、それがなければ自分の家や会社にすら電話できない人が主流を占め始めていませんか?スケジュールも分からず、IDや暗証番号も分からないというのは一昔前なら笑い話でしたが今や、何処にでもある話なのです。

いや、それだけではありません。ナビなしでは道が分からないというタクシー運転手も多いでしょう。いまやキーボードがないと漢字が書けない人は多いでしょう。私はたまに手書きでモノを書こうとすると字が下手なことに驚きを隠せません。簡単な掛け算や割り算を紙とペンで計算したのは何年前でしょうか?トイレに行って自動感知で勝手に流れる仕組みに慣れて海外で恥をかいたという話も聞いたことがあります。

私は文明の進化という言葉に隠された人間の退化を懸念しています。反論もあるでしょう。君は電気がつかないときのためにろうそくを用意しているのか、と。確かに私の家にはありませんが、欧米の人はいまだ、ろうそくを持っている人は多いと思います。文明に依存できなかったこともあるでしょう。

私のもう一つの懸念は仕事という概念が変わってきてしまうということです。人間は労働することにより、収入を得て生活を営むことが出来ました。ところが単純労働が機械に取って代わられることにより単純労働の機会は確実に減ってきます。

ラーメン屋に行けば食券を買うのが当たり前になりつつありますが、食券の機械は人間がお金をもらい、お釣りを渡すという作業を代わりにしてくれます。これはある意味、5人の従業員が必要だったのが4人で済むということにも繋がっていくのです。

コンビニの店員が発する言葉は「いらっしゃいませ」、「○○円です」、「ありがとうございました」の三言ぐらいでしょうか?その間、商品のバーコードを読み取り、データとして蓄積し、支払い金額を計算するのはPOSシステムであり、店員はまさに機械に使われている状態にあると言っても過言ではないでしょう。一方の客はその間、一言も発しないということがほとんどだと思います。それは客が話をする気にさせないマニュアル文化と機械化という理由もあるかもしれません。こんな当たり前の日常はよく考えてみればこの20年ぐらいの間の出来事でその間に生活と常識観そのものがすっかり変化してしまったのです。

私は機械に使われたくありません。だからこそ、機械とは仲良くしながらも一線は越えないようにしています。使い分けということでしょうか?私は業務上、スプレッドシートを使っていることが多いのですが、他人が作った表計算の間違いを見つけることは珍しいことではありません。見つけ方のコツもあるのですが、それ以上に数字をぱっと見て、こんな数字は出てこないと直感で感じ、電卓を叩くとなるほど、フォーミュラエラーが出てくるという流れです。しかし、多くの人はコンピューターの計算に間違いはないと信じて疑わない人がほとんどだろうと思います。

時代の進化と共に我々の生活は我々が思考停止状態になりやすいということに注目すべきです。今回この問題をもう少し掘り下げてみたいと思い、「バーチャルな世界」と題したシリーズで第二弾、第三弾を数日間隔でアップしていきたいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


2014年1月5日日曜日

新年の徳目

今日は、ブログ「今日の言葉」から13の徳目」(2013年12月24日)を抜粋してご紹介します。


ベンジャミン・フランクリンは18世紀のアメリカの政治家・哲学者・科学者。
アメリカ独立に際し、大陸会議代表や独立宣言起草委員を務める。
科学者として電気に関する「凧たこの実験」と避雷針を発明。

フランクリンは、全部で13の徳目を習慣化するために、手帳に表をつくって、各徳目についての達成度を点検したそうです。
完璧な人間出はないからこそ、自らのチェックリストを作って振り返る。
私たちも新年に向けて自分自身のチェックリストを作ってみるのも良いかもしれませんね。

《フランクリンの13徳目》

1 節制

頭が鈍るほど食べないこと。
酔って浮かれ出すほど飲まないこと。

2 沈黙

他人または自分自身の利益にならないことはしゃべらないこと。
つまらぬ話は避けること。

3 規律

自分の持ちものはすべて置く場所を決めておくこと。
自分の仕事はそれぞれ時間を決めてやること。

4 決断

やるべきことを実行する決心をすること。
決心したことは必ず実行すること。

5 節約

他人または自分のためにならないことに金を使わないこと。

6 勤勉

時間を無駄にしないこと。
有益な仕事に常に従事すること。
必要のない行為はすべて切り捨てること。

7 誠実

策略を用いて人を傷つけないこと。
悪意を持たず、公正な判断を下すこと。
発言する際も同様。

8 正義

他人の利益を損なったり、与えるべきものを与えないで、他人に損害を及ぼさないこと。

9 中庸

両極端を避けること。
激怒するに値する屈辱をたとえ受けたにせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。

10 清潔

身体、衣服、住居の不潔を黙認しないこと。

11 平静

小さなこと、つまり、日常茶飯事や、避けがたい出来事で心を乱さないこと。

12 純潔

性の営みは健康、または子孫のためにのみこれを行って、決してそれにふけって頭の働きを鈍らせたり、身体を衰弱させたり、自分自身、または他人の平和な生活や信用を損なわないこと。

13 謙遜

キリストとソクラテスに見習うこと。


2014年1月1日水曜日

「事務屋」からの飛躍

皆様、新年あけましておめでとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

今年の年明けは、天候に恵まれましたので、ランニングで初日の出を見に行ってきました。

輝く太陽の光に照らされながら、今年もいろんなことに愚直に取り組んでいこうと思いました。

今年は、なんでも、「うま(馬)ーく」いきますように!



ついでに、近くの神社に初詣



帰り道、ジブリのアニメに出てきそうな4階建の大きな古い木造の家に出くわしました。



今年の抱負。



さて、学校法人東邦学園愛知東邦大学理事・法人事務局長/学長補佐の増田貴治さんが書かれた論考「大学職員の力量を高める」(文部科学教育通信 No330 2013.12.23)をご紹介します。


かつては「事務屋」で足りた職員

「どこでそんなことが決まった?」「余計なことを言うな」「あなたとは話すつもりはない」。事務所のカウンター越し、教員は一方的に物言いをし、担当職員は丁寧に説明するが、全く耳を貸さずに立ち去った。事情を聞くと、問題を起こした学生への指導の仕方が気に入らなかったという。

大学には教員が中心で、職員はその下請け業務を行うのだという、上下関係の空気がまだ存在する。争いごとやもめごとを避け、何より平穏無事に過ごすことが第一と考える職員も多い。重要な事柄でも課題を見て見ぬ振り、議論を避けて解決を求めることなく放置することさえある。従来と異なることをためらい、同じことを考え繰り返す前例踏襲、公的機関に見られがちな独特の組織文化が、今なお根強い。

大学に属する職員は、自らを「大学職員」と表現する。高等学校までの初等・中等教育機関の事務局では、主に庶務や会計、電話・受付など処理作業を中心とした業務を取り扱う、いわゆる「事務職員」が求められてきた。

かつての大学職員は、「事務」職員であった。業務は組織ではなく個人に張り付く属人的運営。勘や経験に依存した職人スタイルでこなす。日常の業務では、手際のよさを求められ、作業を効率的かつ正確に処理できる職員が"優秀"と評価された。新たな価値創造を考える必要もなく、事務組織の運営は牧歌的。学生募集にそれほど苦労のなかった時代のことである。競争的な環境下で奮闘する現在の大学職員からは想像もつかない。

筆者の最初の配属先だった教務課での業務は、もっぱら授業の教材印刷、会議資料のセット、掲示物の作成など。教員の助手的作業や学部教授会、専門委員会の運営を支援する作業的なものだった。それが専任職員の仕事だ。特に迫られて高等教育機関としての専門能力の発揮を組織的に求められた記憶はほとんどない。

今求められる資質・能力とは

前号でも触れた2008年12月の中央教育審議会答申『学士課程教育の構築に向けて』は、特に高度化・複雑化する大学の課題に対応していく大学職員に求められる資質・能力について、次のように示している。

「例えば、コミュニケーション能力、戦略的な企画能力やマネジメント能力、複数の業務領域での知見(総務、財務、人事、企画、教務、研究、社会連携、生涯学習など)、大学問題に関する基礎的な知識・理解などが挙げられる。加えて、新たな職員業務として需要が生じてきているものとしては、インストラクショナル・デザイナーといった教育方法の改革の実践を支える人材が挙げられる。また、研究コーディネーター、学生生活支援ソーシャルワーカー、大学の諸活動に関するデータを収集・分析し、経営を支援する職員といった多様な職種が考えられる。(中略)財務や教務などの伝統的な業務領域においても、期待される内容・水準は大きく変化しつつある」。「事務職員」から脱して、「大学アドミニストレーター」を必要とされているのである。

政策決定への事務局の影響

答申に指摘されるまでもなく、大学職員は既に様々な政策決定や業務執行に、深く関与しているようだ。

日本私立大学協会附置私学高等教育研究所の私大マネジメント改革プロジェクトチーム(筆者も参画)が2009年に実施した「事務局職員の力量形成に関する調査」によると、事務職員の影響度合いが「かなりある」と答えた項目は、管理運営業務面で、「施設計画」(71.4%)、「財政計画(運用)」(71.0%)、「事業計画」(66.7%)、「情報化計画」(59.7%)、中長期計画(将来構想)(58.0%)があり、50%を超す。教学支援業務面では「就職支援」(84.4%)、「学生募集」(84.0%)、「学生支援」(71.9%)と回答、影響度が非常に高い。

一方、教育・研究に関する項目では「教育計画」(19.9%)、「研究計画の推進」(10.0%)と回答、影響度合いが「少しある」もしくは「ほとんどない」の割合が高い。この分野は教員の役割が強く反映される領域であることがわかる。教員との協働関係が求められるとすれば、これらの領域に対しても、活動全体を俯瞰できる専門家になれるかが大学職員の大きな課題だろう。

経営的思考に立って業務に当たる

「競争と淘汰」が一層激しくなる大学情勢。少子化国際化の進展に伴う大学間競争の激化、大学設置基準等の規制改革、基盤的経費の縮小と競争的資金の拡大など、とりわけ地方の中小規模私立大学にとっては深刻な状況が進行する。定員未充足大学、帰属収入で支出を賄えない大学、募集停止大学が増え、大学はまさに「運営」の時代から「経営」の時代に入った。

私立大学の管理運営には、社会環境の目まぐるしい変化を十分に理解し、専門知識や幅広い見識を学習して実践に応用できる力が不可欠である。直面する教学・経営課題に応えられる教学経営組織の機能強化、支援・推進組織の整備などが必要とされる。

教育改革を支える教学系職員、経営改革を支える総務系職員。いずれも経営的思考を持ち、教員を巻き込んで企画・提案していく力量がどれだけあるかが、ひいては大学力を左右する。所属する大学の特徴や強みを生かして、大学の維持・発展に今何が求められているかを認識し、戦略を練り上げて政策化できる力が問われる。改革実行の成否は、職員の力量しだいであるという意識が少しずつ学内外に浸透してきている。

職員の能力を磨き上げる

そうした環境では、実務を担う職員のキャリアアップや、力量向上を目指す研修・研究活動のあり方が喫緊の課題となる。

キャリアアップに有効な手段としては、学会、研究会、ワークショップ、研修会などへの継続的な参加、そして大学院での学修である。特に大学院の活用は、調査・分析・議論・発表などの様々な研究活動を通じて、独自のテーマを結晶化する学びの機会として優れていると考えている。体系化した教育カリキュラム(調査・分析・議論・発表などの教育研究プログラム)を通じて、実践した経験を客観的に分析・考察して理論化・手法化する。

これを繰り返すことは課題解決力を鍛えることとなり、共通のノウハウへとつながる。また、教職協働を推進する上にも、領域研究は、教員とのコミュニケーションを深め、お互いの領域を理解することができる。いずれにせよ、戦略的思考による政策立案力や組織力向上のマネジメントカなど、それぞれの大学において、新旧様々な業務から職員に求められる能力とは何かを明確にして、鍛え上げていくことが求められている。

「事務屋」からの飛躍。名刺に「大学アドミニストレーター」との肩書きが添えられる日はそれほど遠くない。