2014年4月26日土曜日

仕事の哲学

先の日米首脳会談の折、安倍総理がオバマアメリカ大統領を歓待した東京・銀座の「すきやばし次郎」の店主である小野二郎さんについて書かれた記事日本初のミシュラン三ツ星を得た寿司職人、小野二郎さんの「仕事の哲学」(2012年11月12日ライフハッカー・日本版)をご紹介します。


銀座「すきやばし次郎」の店主であり、日本で初めて寿司職人としてミシュランの三ツ星を獲得した小野二郎さんは、日本人ならご存知の方も多いと思います。そんな小野二郎さんの生き様と、二人の息子さんとの絆を描いたドキュメンタリー映画『Jiro Dreams of Sushi』が、今年アメリカで公開されました。その映画を観たMaximiliano El Nerdo Nérdez氏は、二郎さんの生き様や言葉に感銘を受け、記事を書いています。今回は、仕事とは何か、人生とは何かを、二郎さんから学んでいきましょう。





私は『Jiro Dreams of Sushi』をこの数カ月で何度も観ました。この映画に取り憑かれ、小野二郎さんから仕事や人生に対する哲学を学んでいます。私がこの映画を通して、二郎さんから学んだことをご紹介していきましょう。

このデヴィッド・ゲルブ監督によるドキュメンタリー映画は、小野二郎という一人の人間の仕事と人生を写しています。二郎さんは、ミシュランの三ツ星を獲得した寿司職人で、85歳の今も現役で、毎日東京の地下にある小さなお寿司屋さんで寿司を握り続けています。二郎さんと共に働く職人、二郎さんの身の回りの人、それから彼をよく知る料理研究家は、「彼こそが現役の中で世界最高の寿司職人だろう」と評しています。


■仕事に惚れなきゃだめなんだよ

「一度自分で仕事を決めたら、どっぷりとその仕事に浸からなきゃいけない」と二郎さんは言います。「仕事に惚れなきゃだめなんだよ。仕事の不平不満なんて言ってる暇はない。技を磨くことに人生を賭けなきゃ。仕事で成功したり、立派だと言われるようになる秘訣は、こういうことなんじゃないかな」

二郎さんは自分の仕事に心から幸せを感じています。職人として心底仕事を楽しんでおり、そのおかげで、彼はこの年までいきいきと仕事をし続けられているのでしょう。

間違っても彼は「好きな仕事を探しなさい」とは言っていません。自分の天職を見つけるために、自分探しの旅に行けとは言っていません。そうではなく、自分の選んだ仕事なのだから、好きにならなくてはならないと言っています。

結婚生活と同じように、自分から意識して仕事に愛を注ぎなさいという意味です。何でもかんでも興味のあるものに首を突っ込んでは一時的にのめり込み、数週間もしくは数カ月後には一気に醒めているような、若気の至りのような情熱とは違います。二郎さんの仕事に対する情熱は、人生を賭けたものなのです。

一般的に、仕事というものに対する考え方として、「夢の仕事」と「お金を稼ぐための仕事」に分ける傾向があります。夢の仕事というのは儚く叶わないもので、現実的には生活のために定年するまでつまらない仕事をあくせくやらなければならないと、自分に言い聞かせていたりします。

「お金を稼ぐための仕事」と決めつけている仕事に、意識的に自発的に愛を注いだとしたら、一体どんなことが起こると思いますか? 仕事との向き合い方が劇的に変わり、人生が輝きを増し、早く仕事を辞めたいという気持ちなんて無くなるのではないかと思います。


■シンプルなことに特化して、深く掘り下げる

寿司というのは、ネタとシャリがほとんどで、かなり構成要素の少ない食事だと言えます。二郎さんは、これをさらにシンプルにすることで、別次元のものへと昇華しています。二郎さんの場合は、寿司職人としての技術だけでなく、お品書きにもそれが表れています。すきやばし次郎では、大体20貫程度のその日の寿司をお客さんに出します。二郎さんの店には、他の店にあるような寿司以外のメニューがないのです。

さらに、すきやばし次郎のカウンターはたった10席しかありません。職人が最高の状態で寿司を提供し、お客さんにもできるだけ最高の状態で食べていただくためです。お客さんがどの程度召し上がっているか、右利きなのか左利きなのか、細かな心配りをするにはこれが限度なのでしょう。

二郎さんの長男の禎一(よしかず)さんも寿司職人で、後継者として二郎さんと共に働いています。彼もまた、毎日同じものが提供できるように努めていると言います。そこには、毎日同じことを繰り返すことで、究極の品が生み出されるのだ、という意味が込められています。

一つのことに集中するというのは、何も仕事だけに留まりません。二郎さんの日常は毎日同じことの繰り返しです。電車に乗る時も決まって同じ場所に立ちます。休みの日は好きではありません。できればすぐに仕事に戻りたいくらいです。

私には、二郎さんは一つのことを深く掘り下げることで、創造性を高めているように思えました。毎日の日課が自動的に繰り返されようになると、仕事ではより細かな一点を追求することができるようになります。そのように一点に集中すると、才能と努力が一体となって、芸術的な世界が爆発的に開けていくのだと思います。

イギリスの天才とも狂人とも言われる芸術家ウィリアム・ブレイクの「無心のまえぶれ(Auguries of Innocence)」の一節が思い出されます。

一つぶの砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見
てのひらに無限を乗せ
一時のうちに永遠を感じる

そのような至福の状態にある人に、休暇なんて必要でしょうか?


■仕事を愛するということは身を捧げること

前述した「夢の仕事」の考え方にとらわれている場合、好きな仕事に転職すれば、何の障害もなくすべてが上手くいく、と思い込んでいる人が多いのに気付かされました。好きな仕事をする時は、喜んで尽くそうとするでしょう。特に最初の段階では、好きな仕事の道を選んだ人は、誰もが喜んでその入場料を払うものです。

私の場合、人文科学の研究を追求し、学問の世界で身を立てることを選びました。それは、きちんとした団体で働く人や、教育をそこまで受けていない人よりも、長時間低賃金で働かなければならない、ということを意味していました。

好きな仕事をしていたので、そのような事実も受け入れることができましたが、好きな仕事と生活を引き換えにしているのは明らかです。現在私は、仕事に集中してスキルに磨きをかけることで、もっと快適な生活ができるように、収入を増やそうとしていますが、その道は険しいものです。しかし、今のところまだ、自分の選んだ道を悔やんではいません。

先に、自分の選んだ仕事を愛するべきだと言っていたこととは、多少矛盾しているように思われるかもしれませんが、仕事を愛するということは時に難しく、それでも耐え続けることができれば、それだけの見返りがあるものだ、ということが言いたかったのかもしれません。

二郎さんの場合は、彼が仕事に求めているもののせいで、子どもが小さい頃は家族を顧みることができませんでした。また、貧しさとも闘わなければなりませんでした。二郎さんが結婚した当初、貯金は一銭もなく、数年後でも、子どもにコカコーラを買ってあげるために、数カ月はお金を節約しなければならないほどでした。

今ではすべてが変わって、二郎さんも子どもたちといい関係を築いています。子どもたちも父である二郎さんから、寿司職人として様々なことを学んでいます。しかし、ここ至るまでには、何年もの時間を犠牲にし、大変な努力をしてきました。二郎さんは、修行中、叩かれたり蹴られたりすることにも耐えて経験を積みました。教える立場になった今、二郎さんは弟子にそんなことはしません。それでも1日でやめていく弟子もいるといいます。

私には、二郎さんが日々の仕事の中に見いだした喜びというものは、簡単にできることや1日数時間の仕事を通して達成できるようなものでは到底ないと思えます。厳しく、強烈で、一心に集中しなければならない、時に苦痛を伴うほどの仕事から、生まれるものなのでしょう。夢の仕事というのは、見つけたからといって、魔法のようにすべてが叶うような単純なものではなく、人生を賭けて身を捧げてはじめて、そしてその何年も後に、努力が実るようなものなのだと思います。

もちろん、21世紀の現代社会に生きる人たちに、不公平で何の保証もない労働条件に耐えることは、(西洋の文化に生きる読者にとって)文化的な違いからも受け入れられないものでしょう。しかし、二郎さんの話から、愛と犠牲というものは、セオリー通りにしていれば簡単に成功できるようなものではなく、そのようなものを超越したところで、ご褒美をくれるものなのだということを、思い出させてくれます。彼が歩いてきた道は、誰にでも真似できるものではありませんが、少なくともそこから学ぶことは、価値あることだと思います。