2014年5月19日月曜日

ポスドク問題に関する財政審の議論

去る4月4日(金)に、財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会財政制度分科会において、「文教」に関する議論(特にポスドク問題を中心に)が行われています。

議事録が公表されていますので、大学関係部分を抜粋してご紹介します。(下線は拙者)


財務省井藤主計官

次のポイントで、11ページ、大学改革でございます。国立大学の現状なのですけれども、よく言われる話なのですが、日本の大学評価は必ずしも高いものではないと。ランキングトップに入るのは東大と京大だけだという話はよく言われます。一方で、それは国立大学の運営費交付金を毎年減らしているからだといった声を我々もよく受けるのですけれども、実は研究費とかは伸びているということもありますし、国立大学の法人の収入全体で見ると決して減ってはいないということです。

13ページなのですが、では、そういった中で、ランキングはどう変わってきているのだろうかと。ランキングだけが全てとは申しませんけれども、ここに挙げられているような大学は、特に研究が中心的な大学で、研究費もかなり取っている大学だということでございます。東大も若干順位を上げていますけれども、十分な強化が行われると果たして言えるのだろうかということでございます。

14ページなのですが、実は国立大学というのは86校ございまして、いわゆる総合大学は各県にあって47校あります。その他、教育大学とか、そういった専門の大学があるわけですが、こうした大学が特色のない大学運営を行っていることが大学の評価が向上しない一因ではないかということもよく耳にする話でございます。

こうした中で、私ども、文部科学省と議論をして、限られた財政資金はなるべく有効に使わなくてはいけないということで、重点的な支援を、機能強化を一生懸命やっているところにやろうというようなことで、例えば、今、運営費交付金というのは大体1.1兆円ぐらいの予算ですが、その1割ぐらいを特別運営費交付金ということで、その取組みに応じて配分しようという取組みもやっているわけなのですけれども、なかなか予算全体の配分が機能強化をほんとうに慫慂し、それをフィードバックして配分を変えていくというような好循環を生み出す仕組みになっていないのではないかという疑いがございまして、ここに出しているのは、現に学部間の配分の見直しみたいなものを行ったA大学と、そうではないB大学の例で、一般の運営費交付金は機械的に配られているので平等に配分されているのですけれども、特別運営費交付金についても、ほんとうにそういった機能強化に応じて重点化されてきたのかということです。

あと、機能強化を特別に支援するみたいな今の仕組みなのですけれども、やはりその支援というのは数年で終わっていくわけで、後は、本来、時代の要請に応じて変わるのは大学の使命なので、通常の経費で後はやってくださいということで、これは正論なのですけれども、やはり機能強化をして一生懸命やっているところと、そうではなくて、必ずしも時代の要請に十分応えられてないところを抱えているところと、本当にシェアを固定化した一般運営費交付金の配分でいいのかというような議論があろうかと思います。

そうした中で、16ページですが、実は国立大学というのは法人化されたのが平成16年でございます。それで、1つの目標期間というのが6年でございますので、今、第2期中期目標の期間ということです。2年後の28年度から第3期に計画が新たに始まるということなのですが、そこに向かって、私ども、議論をこれからいよいよしていきたいと思っているのですが、いかにそこら辺の仕組みを変えていくのかが重要だという共通認識は持っておりまして、文部科学省においても、上の真ん中辺のほうなのですけれども、3期における国立大学法人運営費交付金や評価のあり方については平成27年度までに検討し、抜本的に見直すと、こんなことも言っているわけですが、やはりここら辺は、この財審でもご議論いただいて、しっかりやっていただく必要があるのではないかと私どもは考えてございます。

17ページなのですが、今申し上げたようなことをイメージ的にまとめたものなのですけれども、やはり一般の運営費交付金も含めた大学予算について、全体としてめり張りづけも行って、国立大学全体として機能強化を図れるようなフィードバックの仕組みも設けたようなものにしていく必要があるだろうと。それで、優れた取組みを行う大学については重点支援をしていくと。そうでない大学というのは、なぜそうでないのかというようなことをよく分析していただいて、当然、社会のニーズは時代の要請に応じて変わっていくでしょうし、全ての大学の全ての学部が国際的な競争できるようなレベルにあるわけでもないですから、弱い分野は重点化のために合理化等も必要でしょうと。また、学校間の再編みたいな話も場合によっては必要ではないかと考えているところでございます。


そうした中で、18ページ以下、各論で1点取り上げさせていただければと考えておりますけれども、ポストドクターの現状ということでございます。このポストドクターというのは、博士課程を取られた後、研究員として、大学であれば助手とか准教授とかになられれば、ポストドクターを晴れて卒業されて、いわゆる一人前の研究者というようなことなのでしょうけれども、それに至るまでの任期つきの研究員ということで、略して「ポスドク」と呼ばれるのですけれども、大学院の重点化でありますとか科学技術の強化ということで、左上の表にあるように、これを随分増やしてきていました。ただ、このポスドクが大量に増えている結果、では、そのポスドクが、順調に研究者になっていけているのかということなのですけれども、②で大学の本務教員に占める若手研究者の割合というのは減っている状況で、なかなかポストが空かないので、なかなか先へ進めないと。したがいまして、右の円グラフですが、ポスドクのまま滞留している方が相当たまっておりまして、こういう状態が長期化しているということでございます。

19ページなのですが、これは分野間の偏在もあるのではないかということですけれども、①で、ポストドクターの分野別の内訳を見ますと、ライフサイエンスが目立ちます。あと、理系の学科がかなり多いのですけれども、例えば、ライフサイエンスについて見ますと、右のグラフなのですが、これはポストドクターが、最初のポスドクが終わって、それで1年目、2年目、3年目、4年目、5年目と、その進路がどうなったのだろうかということで、時系列でとったものでございますが、青いところが引き続き、どこか別のところ、あるいは同じところかもしれません、ポスドクをやっているということなのですが、やはりこういった大量のポスドクを抱えているライフサイエンスのところについては、ポスドクのままいる人が多いのですね。下の化学についても、ポスドクは多いといえば多いのですけれども、上に比べれば、順調にエグジットされているというようなことなので、やはり分野間も、ほんとうに採り方がいいのか、あるいは、ポスドクといっても、ほんとうに優秀な研究者として育てるような人なのかと。例えば、生物の実験とか、非常に手間がかかるのですけれども、これはテクニシャンとか、そういった支援員みたいな形で本来育てていくべき人はいないのかと。いずれにせよ、ポスドクになられるような人は本来優秀な人であろうということだと思うのですけれども、やはりそういう人が先の見通しを描けないというのは、これは社会的にも相当損失だと思うので、そこら辺を社会として人材がうまく循環するような仕組みをつくらなくてはいけないと。

それで、20ページなのですけれども、ポスドク問題と運営費交付金の配分でございますが、やはりこの問題を解決するためには、シニア教員にとっては厳しい話も入っていると思います。年俸制とか混合給与とか、俺たち、出ていけと言うのかみたいな話もありますけれども、他方で、やはり若手の優秀な人には、一定の職をつくるように努力していかなければ。究極の選択といえば、そういう面もあるのですが、そういう取組みはやはり必要なのではないかと。

あと、大学だけで抱えるのではなくて、企業や他の研究機関、海外、あるいは私立、こういうところも含めて循環するような仕組みを、産学また海外とも連携してつくっていく必要があるだろうと。

それでも、なかなかポストが与えられないということだとすれば、やはり社会としてとり過ぎではないかという可能性がある。先ほど申し上げた、分野間の配分の見直しといったことも含めて真摯に考えていかないと、これは日本国として人材の損失ではないかということでございます。

それで、これがなぜ運営費交付金とかかわるかということなのですけれども、こういったことできちっと取り組む大学については、運営費交付金の配分においても評価して重点化するようなことが必要ではないかというようなことでございます。

21ページ、若干まとめみたいな話ですが、これは第3期の中期目標期間が来年度から始まります。よって、この期間の設計をどうするかというのが、まさにこれから始まるというようなことでございますので、今の時点から、こういう議論をしっかりしていく必要があると考えているということでございます。

田中委員((独)大学評価・学位授与機構教授、日本NPO学会会長)

11ページの論点整理の中に、より厳格に評価を行うべき、あるいは、パフォーマンスに応じた運営費交付金の配分というようなご説明もあったのですけれども、その前提になるのは、情報の開示とその情報を蓄積したデータベースのようなものになりますが、日本はそこが非常にプアな状況になっています。

例えば、アメリカ、イギリスとか韓国では、大学は全て情報開示することが法的に義務づけられていますが、日本ではそういう法律はありません。のみならず、情報を開示しない場合には、補助金、運営費交付金の減額、あるいはアメリカの場合には罰金や、そこに通う学生の奨学金が支給されないというような厳しいペナルティーが課せられています。こういったことも日本ではなく、あくまでもボランタリーな状況になっています。

遠藤委員(東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員)

大学につきましては、先ほどからポスドクの話が出ておりましたが、今、産構審の産業技術環境部会のほうでも、ちょうど企業と大学の役割の分担や橋渡しの話の議論を進めているのですが、やはり大学の中にシニアの教員の方が増えていく1つの要素としては、企業から大学に行かれる方は多いのですけれども、大学から企業に行く方は非常に少ないので、人材の流動化の市場が大学の中だけに限定されているということがあると。ですので、それをもう少し企業の中とか社会と広げていくことで、シニアの方々のもっと新しい働き場所をつくる、そういうようなことを考えていくことも、1つ、産構審との連携の中での視点ではないかなと思っております。

赤井委員(大阪大学大学院国際公共政策研究科教授)

14ページに、たくさんの大学があるということがあって、これは、確かに以前も議論したのですけれども、地域に貢献しているような大学を国が国立大学として持つべきなのかという議論があって、地方自治体が持つべきかもしれないというものとか、ほんとうに必要かどうかの議論というのは、もう一度見つめ直してやる必要がある。教員養成に関しては、各地域で必要だという議論もあるので、大学を廃止するというよりかは、大学統合とかホールディングみたいな形で、1つの地域はある1つの大学の下にぶら下がるみたいな形のいろいろな組織形態も含めながら、大学のあり方は議論していくべきかなと思います。そうすることで機能分担ができると思います。

老川委員(読売新聞グループ本社取締役最高顧問・主筆代理)

地方大学、大学それ自体をなくすとか統合するとか、これも1つの考え方かもしれませんが、総合大学か専門大学、専門といっても、大体が教育専門、あるいは医学専門と、こういうことなのですが、総合大学の中でも学部の特色といいますか、そういうところで勝負していく、そういうことがあってもいいのではないのかなと思います。

例えば、これはたまたま新潟のテレビ局がつくったドキュメンタリー映画なのですが、田舎の小さな小学校で児童が7人ぐらいしかいない。子供が減ってしまって、肉牛を3頭入学させて、そこで何カ月か子供たちと同じように学校生活を送らせる、こういうことをやって、そのときに、牛の病気を治したりとかいうことがきっかけになって、その後、現に今、獣医さんになっている女性が、新潟の地震のとき、牛を助けたり、いろんなことをやる、そういう話なのですが、獣医になるためにどこへ行ったかというと、岩手大学農学部獣医学科ですね。岩手大学の獣医学科というのは、全国的にも獣医を育てるという意味では非常にレベルが高いということで、一生懸命勉強して、岩手大学農学部獣医学科に入ったと、こういう話なのですけれども、そのように、それぞれの地方大学が、総合大学だからといって、満遍なく同じようなレベルのことをやるというのではなくて、それぞれの地域ごとに特色のある学部の強化、そういうことによって全国から、例えば、関西方面にいる人が東北方面の有力な学部、地方大学に行くとか、そういった交流があってもいいのではないのか。それはまた、地域の活性化とか、そういうことにつながっていくのではないかなと思いますので、機能分担という考え方をもう少し具体的に進められるように取り組んでいったらいいのではないかなと思います。

土居委員(慶應義塾大学経済学部教授)

例えば、この資料でいえば18ページが象徴的なわけですけれども、ポストドクターの人たちが、次の職としてどこを希望しているかというと、結局、18ページの円グラフにあるように、同一機関で同一の状態でポストドクターを継続しているということは、できれば同じ研究所を離れたくないとか、同じ研究室でそのまま上に上がりたいという人が多いと。しかし、実際のところは、大学の組織、特に理科系は、いわゆるピラミッドの組織なわけで、下のポストはたくさんあるけれども、上のポストはそれほどたくさんないという構造ですから、当然、ポストドクターで採用されたら、そのまま真っすぐ上に上がれるわけではないということですから、そこはきちんと、ポストドクターの人たちにも理解をしていただいた上で、まさに主計官の説明にもありましたように、企業や海外の大学も含めて、私は私立大学も重要だと思うのですけれども、ちょっと言い方は悪いかもしれませんが、国立大学から私立大学に行くと、ランクが下がったみたいに思う人も中にはいるかもしれないというのは、そういう見方をきちんと改めていただいて、ないしは、研究をする教員と教育をする教員と教員でも質が違うとか、そういうような偏見をなくしていただいて、きちんと研究手法についての教育を受けたポストドクターの方々がしかるべきポジションできちんと仕事ができるようにする方法というのは、お金を増やさなくてもできる道もまだまだたくさんあると思います。

佐藤委員(一橋大学国際・公共政策大学院教授)

国立大学と私立大学のイコールフッティングの話もほんとうは考えなくてはいけなくて、必ずしも国立大学が教育、研究の全てではないので、では、国立大学の中でも、本来は私立大学と競合関係にあるような大学の立ち位置をどう理解するのかという問題。これは、機能分化にかかわる話だと思います。地方大学はむしろ、ある意味、地域の人材の育成というところに特化していくものでありまして、病院に少し近いと思うのですが、ある意味、慢性疾患に対応するべき病院と高度な医療をやるべき病院というのは本来あるべきなのに、みんなが同じようなことをしようとしているから、どこも同じようなことをやっているという話になっているのだと思うので、地方に関していうと、やはりもっと地域の人材の育成というところに主眼を置く、つまり、教育にむしろ重点を置くという、教育大学という形で再編制していく視点がなくてはいけないのかなと思います。

あと、最後、1点だけ。ポスドクの話ですけれども、日本というのは、相変わらず労働市場が学部卒業で、みんな就職していくということがあって、その後、ドクターを取ると、なかなか就職先がないというのは、これは文系でも理系でもある話だと思うのですが、これは日本の労働市場、若い人、二十二、三歳の子供を採って、その子供を会社の中で育成していくというトラディショナルな日本の労働市場のあり方とも深くかかわるので、ここはそちらを見据えながら考えなくてはいけないのかと思いました。

黒川委員(慶應義塾大学商学部教授)

ポストドクターの問題も、結局、大学の中にとどまるだけではなくて、いろんな社会に出ていって、貢献してもらいたいというところに尽きる。そうなると、もう少し大学の就職あっせんとか、そういうところも考えなくてはいけないし、それから、子供たちに対する、大学の教員としても、君たちの将来というのは、何も大学に残るだけが将来ではなくて、いろんな道があるということで、それから、途中で路線が変わっても、そのほうが一生を終わってみると、すごくよかったということがいっぱいあるということで、今現在の教員としても、自分が抱えている子供たちに対する先々の活躍の場に対して、いろんな可能性を示していく、こういうことも大切なのかなと思いました。