2014年7月25日金曜日

「大学体質」からの脱却

「存亡の危機」と「存在の危機」 職員の“想い”が大学を変える」(ワオ・コーポレーション 文教ソリューション事業部)をご紹介します。(下線は拙者)


わが大学を輝かせる出発点は危機意識の共有化

まず、危機認識を持っているかどうか、これが大学の「存在」を強める改革への出発点です。そして改革を実行するためには、その危機感を組織的に共有していくことが必要です。簡単なことではありません。しかし誰かが始めなければなりません。それを実行していくのは、ここにお集まりの皆様に他ならないのです。そういう気持ちをぜひ持っていただきたいと思います。

立命館でも、危機意識を大学構成員が組織的に共有できたとき、初めて改革が始まりました。教員の巻き込みはもちろん、トップマネジメントのリーダーシップとコンセンサスが絶対に必要です。

ビジョンを作ること、そしてわが大学を輝かせていくための戦略を策定すること。そのためには、一切の甘えを捨て、厳しく自らの大学の位置を見つめられているかどうか(ポジショニング)、またコア・コンピタンス(強み)と弱みを自己認識できているかどうか、それらが前提だと思います。

国公立大学と私立大学の立つ位置と課題

ここで、国公立大学と私立大学とを比較し、基本的な立つ位置と課題を挙げてみましょう。立命館という私立大学にいた私が和歌山大学に来てまず思ったことは、「国立大学って“不思議の国”だな」ということでした。私大の様子とはまるで違ったわけです。国公立大の優位性は、安い学費と教員一人当たり学生数の少なさに集約されるでしょう。反対に言えば、私大は学費が高く、教員一人当たり学生数も多いということです。

では、私大はこの2つの格差を何でカバーしてきたのでしょうか。それは、学生を「お客様」、教育を「サービス」という観点で捉え、顧客満足度の向上、システムとしての教育の充実を図ってきたことではないでしょうか。そして「民」としての業務改善や人事政策なども。これらを実現してきたのは職員の研鑽でした。海外セミナーを含めた20年にわたる私大職員研修、そしてそれを実践に移す様々な経営努力がなければ、今ごろ私大はどうなっていたのかと、私大を離れてあらためて思わずにはいられません。

国公立大の弱点は、長い「官」としての体質であり意識です。ここから脱却できるか、そして先に述べた「強み」を活かした改革ができるかどうかが、各国公立大の課題であります。私大については全体として職員意識は高いのですが、大学ごとの改革の進み度合いは異なっています。ライバル大学が、今、少し先行しているとすれば、このままではその差は今後さらに拡がっていくと考えねばなりません。改革の時を逸しないこと、そして、そのスピードが大事なのだと思います。

その改革と言うか、手を打つことのスピードに関しては、予備校にいたときのことを思い出します。予備校と大学とでは、問題解決のスピードが大違いです。一言で言って、大学は遅い。予備校なら3日とか3か月というスパンで解決する問題も、大学では3年間かけるのが当たり前という感じですね。無論、大学と予備校の事情は異なります。

それから、予備校と並んで改革のスピードが速いのが、専修学校・専門学校です。この間の高等教育全体の学生争奪競争を見ると、大学・短大が専門学校に負けている状況があることが否めません。大学が「大学体質」からいかに脱却できるか、国公立・私立問わず、これが大学改革のスピードを決めます