2014年10月25日土曜日

介護制度を再生し「地方創生」につなげる

介護制度の立て直しこそ地方再生につながる」(2014年10月1日 INSIGHT NOW!)をご紹介します。


前回の記事では、離れて暮らす老親の在宅介護を余儀なくされると、離職や離婚などで家庭が崩壊しかねないリスクが小さくないことをお伝えしました。

あなたの家族に忍び寄る「介護による家庭崩壊」の危機

今現在では、人手不足のために介護施設に空きがないことが、こうした在宅介護を余儀なくされる最も大きな要因です。しかしこの先、厚労省が進めようとしている「在宅介護」の重視方針が現実化すると、経済的理由から在宅介護を選ばざるを得ない家庭が随分増えるのではないかと危惧されます。介護制度財政の厳しさゆえに、コストがかかる施設介護をそう簡単に選ばせないよう、施設介護を極端に割高にする方向にじりじり切り替わっていく可能性が高いのです。その結果、大半の家族が自宅介護を選ばざるを得ないようになると、前回の記事のような悩ましい事態が多くの家庭で生じることになります。

しかもこうした「在宅介護重視」の方向に政策を持っていくことは、第二次安倍内閣の看板政策になりつつある「女性活用」というスローガンの実現を邪魔する、という大きな矛盾を生むことを指摘しておきたいと思います。

在宅介護を余儀なくされたとき、ニッポンの典型的核家族では女性に主な負担が行きがちです。せっかく長い期間をかけてキャリアを築き上げてきた共働きの妻や独身女性はもちろん、ようやく子育てから解放されて社会とのつながりを再び持とうと考え始めた主婦もまた、(本人または配偶者の)老親の在宅介護のために家に縛りつけられるとしたら、本人も不幸、家族も不幸、会社・社会にとっても損失です。それは明らかに安倍政権の掲げる「女性活用」のスローガンとも、そして人手不足に悲鳴を上げる産業界の要望とも相反します。

では男性が主として自宅介護を担えばよいのか?それでは同じことです。女性でも男性でも、働き盛りの人々が望まぬ介護離職を余儀なくされるようではいけないのです。

そもそもこの「在宅介護重視」という方向性は、財政官僚の強い要請を受けた厚生官僚による「モグラ叩き」的発想から来ていると思われます。根本課題を解決することなく、「施設介護は公共のカネが掛かるから、自宅介護にシフトさせればいい」という安易な発想です。それに加え、「保守派」を自称する議員の「介護はまず家族がやるもんだ」という主張や、介護を受ける老人たちの「死ぬ時には自宅で家族に見守られて死にたいもんだ」という希望が反映していることもほぼ間違いないでしょう。しかしそれらの主張や希望はどれほど介護の現実を見た上でのものでしょうか、実に疑わしいと思います。

小生は幼い頃、祖父が晩年寝たきりになったため母がその介護に追われていた姿を間近に見ました。当時はまだ介護制度自体がなく、自宅介護が唯一の選択肢でした。その担い手である母は我慢強く体力があり、祖父は小柄で要求が少なかったのが不幸中の幸いでした。しかも数年後に祖父は亡くなり、母は解放されました。大好きだったはずの祖父が死んだとき、家族の間にほっとした空気が流れたのを覚えています。あれが10年とか続いていたらどうだったろうと思うと、安易に「家族が面倒をみるのが本筋」といったことを口にする人たちには、「ではあんた自身が介護を担うのか?」と質したくなります。

要介護度の高い老人の介護というものは素人には精神的・肉体的につらいものです。どれだけ尽くしても、「家族なら当然」といった受け止め方を被介護者や周囲からされがちで(不思議なもので、職業人としての介護士のほうが感謝される機会が多いくらいです)、感謝の言葉で家族介護者が満たされることは滅多にありません。家族による介護しかなかった時代には、介護を担う人(大体は主婦です)が精神的に追い詰められ、虐待が生じたりして社会問題になったのです。そうした悲惨な事態を避けるため、我々の社会は介護制度を導入し、様々なタイプの介護施設とサービスを作ってきたのです。それを忘れてはなりません。

「在宅介護」を積極的に選びたい家族に対し、そのための訪問介護サービスのオプションを増やすという方向性であれば何の問題もありません。むしろ、当初は在宅介護で始め、要介護度が高くなれば施設に入るというのが普通かも知れません。要は、選択肢を増やす方向ならば望ましいことであり、逆に、在宅介護しか選べないように仕向けるとしたら、それは社会的な「改悪」なのです。今必要なのは施設介護の否定や諦めではなく、むしろ中核たる施設介護の仕組みを立て直すことです。

ではどうすれば今の介護業界の「要介護者の増加→介護給付の増加→介護財政の悪化→介護報酬の抑制→介護職の離職→人手不足→介護施設増設の遅れ→“空き”待ちの増加」という悪い連関を断ち切り、施設介護の社会的持続可能性を担保することができるのでしょうか。その主なポイントはたった2つ、従来の発想を転換するところにあると思います。

第一に、官僚の意向とは真逆ですが、介護職に対する報酬を早急に思い切り引き上げて、介護を一生の仕事にして家族を養っていけるレベルにすることです。今後も介護給付が増えることが予想されるため、官僚は介護報酬を抑制することに躍起になってきました。しかしその結果、「人を助けたい」という純真な気持ちで介護の仕事を始めた若者は「こんな給料では結婚できない」と絶望し、前の職を失い「とにかく仕事にありつけるなら」と介護の職に就いた一家の大黒柱は「これでは家族を養っていけない」と呆然とするのです。その結果、介護職は常に全業種平均より高い離職率(H24で17%)で推移してきました。不況下で漸減傾向にありましたが、景気回復によって他業種に転職する機会が増えたため、離職率は再び上昇に転じております。

某外食チェーンで明らかになったように、忙しい職場で櫛が抜けるように同僚が辞めていくと、残った人たちの負担が急激に高まり、それが職場崩壊につながることすらあります。こうした悪循環を押し止めるには、その社会的価値に似合った、まともな報酬を支払うことが急務です。ましてや介護職が相手するのは、これまで長年社会に貢献してくれたお年寄りです。そうした人々に敬意を払いながら丁寧な介護をする気になる報酬と職場環境を提供しなければ、いずれ私たちが年老いたとき、腐った制度に復讐されることでしょう。

そもそも介護業界を社会の「コストセンター」扱いにしてきたことが間違いであり、介護制度の失敗をもたらしているのです。公共事業の観点からは、介護業界は土木・建設業界より優れていると小生は考えています。公共インフラ投資は乗数効果が随分低くなっているばかりか、人手の取り合いを通じて民間投資を「クラウディングアウト」しています(別記事「公共事業頼りの景気維持は続かないばかりか副作用を生んでいる」を参照されたし)。費用対効果が上がらない公共インフラ事業にこれ以上無駄金をつぎ込むよりも、介護職の人々の懐を潤したほうが乗数効果は高く(彼らは消費性向が比較的高いと推測されるため)、景気維持・向上への貢献は高いと考えられます。

そして何より、地方に継続的な仕事を生むことができ、若年層が定住するための核となる職場を生み、その土地でお金が循環する流れを作ることができます。原燃料や資材を通じて中央と海外にお金が流出する公共事業とは大いに違うのです。ただしその際に留意すべきは、潤わすべきはあくまで働く介護職の懐であって、彼らを雇う介護施設を運営する法人の理事たちではないことです。そのための担保の仕組みが課題です。

次に第二の点ですが、介護士の仕事にメリハリをつけて、要介護度の高い老人の介護に集中させることです。そして施設であろうが自宅であろうが、要介護度の低い人の介護と、介護そのものではない雑用は思い切って地域ボランティアに任せるのです。

これは第一の点に対する「そんなに介護報酬を引き上げたら、ただでさえ高齢者が増えてくるのだから介護財政はますます悪化し、介護保険料も政府がつぎ込む税金も上がってしまう」という懸念の声に対する答になります。つまり介護職の仕事の単価は引き上げるが、一人当たりの仕事量はこれ以上増やさない、産業トータルとしての仕事量もあまり増えないよう抑制する、ということです。とはいえ、高齢者が急増するのでトータルでは増加するのは避けられませんが、その増加分は消費税の増税分と公共投資を抑制する分の税金からシフトさせればよいと考えます。

今の介護職はあまりに雑多な仕事をし過ぎで、そのために休憩時間も少なく、帰宅時間も遅い、それなのに(残業代を含めても)給与は安い、と踏んだり蹴ったりです。先ほど触れた高い離職率の有力な原因の一つは、こうした仕事環境からくる「燃え尽き」症候群だと指摘されています。一人当たりの仕事量を減らすことで、本当にプロの仕事が必要なところに集中できる余裕が生まれます。

それを補うため、介護の現場に思い切ってロボットなどの設備を導入するよう公的資金で補助することも有効です。決して大規模なものである必要はありません。それでも介護の重労働さを和らげるのに大いに役立ち、介護士がぎっくり腰になるリスクをかなり少なくしてくれます。こうした介護設備を導入できるのは、施設介護ならではの利点です(当然ですが、自宅介護ではとても無理です)。これにより、極端な重労働という介護職のイメージ(というか現実ですが)が改善されると期待できます。

当然ロボット導入だけでは足りません。介護職の仕事量の軽減のためには、地域ボランティアがそれ以外の仕事をカバーしてくれることが必須条件です。こうした体制を既に充実させているところは稀でしょうが、地域にボランティア志望者は意外といるものです。ただ、自ら声を上げることは普通の人には難しく、きっかけを待っていることも多いのです。

地元の市区町村が本腰を入れて、こうした「軽い介護のボランティア」を組織化することが必須で、住民連絡網や催しを通じて何度も呼び掛けることでその「きっかけ」を生みだします。うまくいけば地域再生のための絆作りにもなるでしょう。

暇を持て余している定年後のオジさんたちにも、「(遠くない)将来の自分たちがお世話になるための仕組み作りだ」と説得すればよいでしょう。現役企業戦士が、会話の減った娘や息子を誘って地域の役に立つ機会にもなります。地元の学校と組んで、お年寄りと交流する機会が減っている小中学生の学習プログラムに組み込んでもらうことも一つの手です。とにかく多くの住民に、できる範囲で少しずつ参加してもらうのが長続きするコツでしょう。

「軽い介護」だけでなく「介護予防」もボランティア体制が効果的な対象です。地域住民が主体となって、筋力や持続力を維持させるための体操などをお年寄りにしてもらう活動です。寝たきり老人をなるべく増やさないのがその狙いで、住民もハッピーに暮らせて地域の絆を保て、市町村も医療費を抑制できます。厚労省の「介護予防」のモデル地区となっているのが三重県・いなべ市で、小生の親戚が市長として、「元気づくりシステム」と称して引っ張ってきました。今では全国から視察が相次いでおり、ほぼ完成した形となっているようです。

第一点の報酬改善、第二点の多忙過ぎる仕事量の抑制と重労働の改善が実施されれば、介護を仕事にしたいという女性・若者は確実に増えます。そうなれば、地方の過疎化にも歯止めが掛かると期待できます。故郷に戻りたいけど仕事がない、というボトルネックがなくなれば、豊かな自然と人間らしい生活を手に入れられる地方のほうがいいという人は多いでしょう。安倍政権が急に唱え始めた「地方創生」は、介護制度の再生こそが基礎になるはずです。