2015年3月31日火曜日

これを知る者は、これを好む者に如かず

ブログ「今日の言葉」から時間を作る」(2015-03-23)をご紹介します。


時間ができたらやろう

と思っている夢は実現しない

時間がなくてもやろう

と思っている夢は実現する

福島正伸


いつも温かい言葉で読む人を勇気づけてくれる福島先生の言葉です。

やりたくて、やっていると楽しくて時間が過ぎるのを忘れていた。

というのが理想でしょうが、

何かを犠牲に差し出さないと本当に自分のやりたいことは実現できないものです。

自分に何事かを課すわけですので。

10分、15分の隙間時間をどう使うか。

そのためにはそもそも何をやりたいのか、何故やりたいのかの目標設定が必要ですね。

目標はなくても生きていけますが、あれば人生を充実させてくれます。

一番大事なことは、どんな目標であっても、それを自分で決められて、

自分の意志でそれを実行出来るということに気付くことではないかと思います。

『これを知る者は、これを好む者に如かず。

これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』

「如かず」とは「及ばない」という意味です。

2015年3月30日月曜日

頼まれごとをしやすいような顔になって生きる

ブログ「人の心に灯をともす」から頼まれやすい顔」(2015-03-24)をご紹介します。


人間は何のためにこの世に肉体をもらったかというと、「喜ばれる存在」になるため。

それはイコール「ありがとう」と言われて生きていくことです。

そして、自分の達成目標を全然作らないで、頼まれごとを引き受けていく。

自分の思いで生きるのではなく、「はい、はい」と言って、他人の依頼によって翻弄(ほんろう)されて生きるという、そういう生き方をしていくと、ストレスがまったくなくなります。

ただし、自分の努力頑張りだけの人よりも、二倍三倍の汗をかきます。

働くというのは嫌なことをやっているのではなくて、はた(端)を楽にすることを「はたらく」(「働く」)といいます。

反対に、周りに迷惑をかけることを、「はた迷惑」といいます。

頼まれごとは、必ず頼んだ人は喜んでくれているのだから、その頼まれごとの中で利己的に生きるのではなく、利他的に生きる。

その利他的も、人を何とかしてやろう、世のため人のために何とかしてやろう、という思いはないほうがよい。

「私」が存在できるのは、ありとあらゆるもののおかげさまであるということに気がついて、感謝をする。

腹が立つとか、イライラするとかは、全部感謝が足りないのです。

肯定的な人、頼まれてもあれこれ言わないで「はい、分かりました」と言ってやりそうな人は頼まれごとが多い。

私たちは、自分の力や才能を磨いていきなさい、と学校教育で教わってきましたが、まったく違う価値観が宇宙にはあるのです。

それは、頼まれごとをしやすいような顔になって生きましょう、ということです。

頼まれごとをされにくい顔というのがあります。

「辛い、悲しい、つまらない、いやだ、嫌いだ、疲れた」不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句というのをずっと言い続けている人は顔がそういう顔になります。

そして「嬉しい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、ついてる」という喜びの言葉をずっと言っていると、「ありがとう」と言ったときの笑顔が板に付きます。

そのありがとうを言ったときのにっこり笑った笑顔が本当に素敵な人になると、本当に頼みやすくなって、頼まれごとがたくさんくるようになります。

頼まれやすい顔になると、それだけで生きていける。

自分がいかに周りの人から頼まれて使われていくか、というところに価値を切り替えてしまうと、人生が結構面白くなります。

自分が想像できないようなところに使われるので、自分の意志で駆け上がっていく人とは全然違う楽しい人生が始まります。

ここに身をゆだねるということができるとものすごく面白い人生です。

そこに身をゆだねて、いろんな出来事に流されて翻弄されながら生きていくというのも、実は生まれながらのシナリオ通り。

自分で頑張っているうちはシナリオが見えてこないけれど、翻弄されて流されていくのは、ものすごく面白い。


「頼まれやすい顔」の反対は、「頼まれにくい顔」。

イライラしていたり、仏頂面で、暗くて、不機嫌そうな顔。

ちょっと何かを頼むと、イヤそうな顔をされるような人には、二度と頼みたくなくなる。

また、何かを頼まれたとき、何か一言、恩着せがましいことを言ってからやるような人にも、次から頼みたくなくなる。

PTAとか町内の役など、何度も断り、何人かがそろって頼みにいって初めてやるような人もいる。

どうせやるなら、気持ちよくやってくれる人の方が、だんぜん感謝される。

「頼まれごとをしやすいような顔になって生きる」

いつもニコニコと、喜びの言葉多き人でありたい。


2015年3月29日日曜日

他人と過去は、変えられないが、自分と未来は、変えられる

ブログ「人の心に灯をともす」から加算法で生きる」(2015-03-26)をご紹介します。


幸せになるための生き方、つまり孤高の生き方は、人生とは何かを考え、自分の本当の心、本当の気持ちと向き合い分析すれば、誰もが必ず実践することができます。

中でも「自分という素材を活かして生きていくためにはどうすればよいのだろ」という視点を持つことが大切。

パラリンピックの父であるルードウィッヒ・グッドマン卿は「失ったものに未練を残すな。残されたものを最大限に活かして生きろ」という言葉を残しています。

健常者として生きる人の人生においても同じことが言えるのです。

重要なのは、加算法で生きるという人生哲学を備えること。

人に期待するのは依存心のあらわれですが、さらに元を正せば「あの人には幻滅した」という発想は他者に対して減点法で接することから生じるもの。

人に依存し、何かをしてくれるはずだ、理解してくれるはずだと期待をしていると、してくれなかったときにショックを受けます。

けれど孤高に生き、他者に依存していなければ「家族なのに」「夫婦なのに」「友だちなのに」などと裏切られた気持ちになることなどありません。

自律して期待せず、良い部分だけを見つめて生きれば、すべてのことに感謝して生きることができるのです。

たとえば人に親切にしてあげたいと思った。

このときの心がゼロ地点であるとして、「ありがとう」と言ってもらえるものと思い込んでいるのに言ってもらえなかったとしたらマイナスになってしまいます。

片や「ありがとう」という言葉を端から期待していなければ、「ありがとう」と言われた途端にプラスに感じられる。

同じ事象であっても心の立ち位置によって、見える景色はまったく違うのです。

加算法で生きることは幸せに生きることと直結しています。

そしてまた、加算法で生きることこそが孤高に生きることなのです。


「他人と過去は、変えられないが、自分と未来は、変えられる」

これは、交流分析を提唱したエリック・バーンの有名な言葉だ。

交流分析のゴールは、自律した人間になること。

こんなに一所懸命頑張ったのに、感謝して“くれない”。

私のことを誰も評価して“くれない”。

誰も私のことを誘って“くれない”。

という、「くれない族」がいる。

くれない族は、相手にこうあって欲しいと期待し、相手の変化を要求する。

つまり、相手を変えようとし、変わらなかったときにがっがりする、減点法の人だ。

加算法の人は、自分を変えることはできるが、他人と過去は変えることができないと知っている。

他人へ過度な期待はしない自律した人。

減点法ではなく、加算法で生きたい。


2015年3月28日土曜日

琉球処分の総仕上げ-軍事植民地

沖縄戦70年 再び捨て石にはできぬ」(2015年3月28日東京新聞)をご紹介します。


沖縄の反基地闘争が知事を先頭に空前の高まりを見せている。本土の捨て石になった沖縄戦から七十年。再び犠牲を強いてはならない。

名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前。新基地の建設に反対して座り込む人々の中に八十五歳の島袋文子さんがいる。

地元の集落に一人で暮らす島袋さんは昨年夏から、雨の日も風の日も休まずに朝から座り込みに加わる。島袋さんにとって辺野古は、日本を再び「戦争のできる国」にしない闘いの最前線という。

血の泥水すする15歳

ジュゴンが生息するサンゴ礁の大浦湾に沖縄防衛局の船が物々しく停泊する。その光景は、島袋さんに沖縄戦を思い起こさせる。

先の大戦で沖縄は米国との本土決戦を遅らせる“捨て石”だった。

1945年3月26日、米軍艦隊は沖縄本島西の慶良間諸島に上陸。猛攻撃によって、日本軍が組織的戦闘を終える6月23日までに全土を壊滅状態にした。

日本軍は住民に軍と一体となった戦いを強いながら、スパイ行為を疑って方言を禁じた。手りゅう弾を配り、捕虜になるよりも「自決」を促した。肉親同士が手をかけての集団自決は沖縄戦の壮絶さを象徴する。餓死、病死者を含め、県民の4人に1人、約15万人が犠牲になった。

15歳だった島袋さんの古里、糸満市も激戦地となった。累々と死体が横たわる戦場を目の不自由な母の手を引き、十歳の弟を連れて逃げた。昼は木陰に隠れ、夜に移動した。のどが渇き夢中で水たまりの泥水をすすった。

翌朝、その水たまりには血だらけの死体が横たわっていた。

親子で身を潜めていた壕(ごう)を米軍に火炎放射で焼かれ、全身に大やけどを負った。捕虜となって命を取り留めたが、生涯足を引きずる傷が残った。

琉球処分の総仕上げ

沖縄の戦後はこの悲惨な体験に報いるものではなかった。本土と異なる戦争が継続する島だった。

1972年の施政権返還まで戦後27年間、米軍施政権下に置かれた。基地周辺ではレイプなど米軍犯罪が頻発。本土復帰後も治外法権は変わらず、平和や人権の憲法よりも日米安保条約や日米地位協定が優先された。ベトナム戦争ではB52爆撃機の出撃基地になり、湾岸、イラク戦争では海兵隊が沖縄から出撃していった。

狭い県土に広大な基地がある。フェンスの向こうには迷彩服で銃を構える兵士の姿がある。沖縄には常に戦争が隣り合わせていた。

宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場の移設先として、辺野古に造られようとしているのは、2百年は使える最新鋭の基地だ。オスプレイを搭載する強襲揚陸艦が接岸できる軍港機能も備え、沖縄の軍事基地化はより強固になるだろう。

沖縄に新たな基地負担を強いる計画に県民の怒りは頂点にある。

仲井真弘多前知事を公約を翻して建設を認めたのは無効だと、昨秋の県知事選で落選させた。衆院選では全選挙区で反基地派を当選させた。翁長雄志新知事は作業停止を指示した。

安倍晋三首相や官房長官は新知事に一度も会わず、掘削調査を強行する。沖縄の怒りに鈍感すぎないか。かつて自民党の幹部には沖縄への罪責感から思いを寄せる人が少なくなかった。

野中広務元官房長官はたびたび沖縄を訪れ「沖縄を忘れることは、第二次大戦を忘れること。戦争の恐ろしさを忘れないためにも沖縄を絶対に忘れてはいけない」と語り、遺骨の一部を慰霊塔に納めてほしいと望んだ。そんな自民の心はどこにいったか。

集団的自衛権の閣議決定と安保法制の整備によって、安倍政権は戦争のできる国に進んでいるようにみえる。辺野古に何がなんでも新基地を造る姿勢だ。

那覇市在住の作家大城立裕さんは語る。「日本政府は沖縄の歴史に対する反省もなく、沖縄を軍事植民地のように扱い続ける。社会的差別は薄らいでも、政治に差別が残っている。辺野古の新基地は、明治以来の琉球処分の総仕上げだ」。150年続く差別と犠牲の歴史。基地の県外、国外移転が真剣に考えられてもいいのではないか。

両手を上げて抵抗

沖縄戦で無念に死んでいった人や子孫の未来を思いながら、島袋さんは今日も座り込みに連なる。「国を守るだなんて言う人は、血の泥水をすすってから言ってごらん。自衛隊を戦場に行かせて、格好いいのか、面白いのか。その目で見てから辺野古に基地を造ると言ってごらん」

沖縄戦で島袋さんは、大やけどを負った両手を上げて壕から投降した。今、その両手を上げ、基地建設のトラックの前に立ちはだかる。それは70年前、15歳の少女にかなわなかった抵抗の姿だ。

2015年3月26日木曜日

子どもの貧困問題 覚悟が問われている

視点・論点 「子どもの貧困対策 問われる"覚悟"」」(2015年3月18日NHK解説委員室)をご紹介します。


日本の所得の分布は、この30年間で大きく変化しています。かつて、日本は「国民総中流社会」と呼ばれましたが、今、日本はかつてないほどの「格差社会」に変容しています。ジニ係数と呼ばれる、社会全体の格差を表す指標で見ると、日本の格差はOECD諸国34ヶ国の中で、悪いほうから数えて10番目となります。同じく、相対的貧困率で見ると16.1%と、6人に1人が貧困状態にあると推計されています。

大きく変化したのが、年齢層別の貧困の状況です。
 


これは男性の年齢層別の貧困率です。1985年に比べて、2012年においては、60歳より下の年齢層の貧困率が増加し、65歳以上の年齢層の貧困率が減少していることがわかります。特に気になるのが20-24歳をピークとする子どもおよび若い男性の貧困率の高さです。かつて、日本の貧困は高齢者の問題と考えられてきました。しかし、現在は、男性のライフコースの中で、もっとも貧困のリスクが高いのは24歳以下の年齢層となります。

 


女性の貧困率も同じように若年層で増加し、高齢層で減少する傾向があります。
しかし、男性と違って、女性の場合は高齢期の貧困率が男性ほどは減少せず、代わりに貧困全体が高くなる時期が5年ほど遅くなっています。
1985年から2012年の約30年間にかけて、男性も女性も、子ども期においては、約5%の貧困率の上昇、20歳から24歳では10%、25歳から50歳代は3~5%の上昇がありました。高度成長が止まったあとの日本は、不況や緊縮財政のつけを、若い世代におしてつけているのです。

もっとも活力があり、夢や希望に燃えているはずである若年層において、貧困が増えていることは、日本社会の根幹を揺るがしています。ある大都市の小中学生各4100人を対象として、将来の夢についての調査を行ったところ、こんな結果が出ました。
 


小学校5年生で既に「夢がない」という子どもが約2割も存在することがわかりました。
それ自体非常に悲しいことですが、貧困層の子どもに限ると、夢がない子どもは24%、すなわち4人に1人という高い数値になります。中学2年生になると、この割合はさらに高くなり、貧困でない子どもでは38%、貧困の子どもでは44%が「将来の夢はない」と答えています。その理由を聞くと、「具体的に、何も思い浮かばない」「夢が叶うのが難しいと思う」といった答えがかえってきています。

それだけではありません。日本の貧困層の子どもや若者は、栄養や健康、住宅といった「衣食住」、友人や家族といった人間関係さえも脅かされていることが、次々と日本のデータでも確かめられています。

例えば、栄養に関しては、小学5年生の食事を入念に調べた結果、貧困層の子どもは、タンパク質と亜鉛の摂取が少なく、代わりに、炭水化物に偏りがちな食事をとっていることがわかりました。やさいや肉・魚は、値段が高いため、代わりに、比較的に安く満腹感がえられるごはんや麺類を多くとっていることが考えられます。インタビューに答えてくれたある高校生の男子は、ごはんにふりかけをかけただけの夕食で、済ませていました。その子のお母さんは「「おなかいっぱい食べていいよ」と言ってあげたい」とポツンともらしていました。

医療サービスについても、同様に、貧困層におけるアクセスの問題が指摘されています。まず、公的健康保険の保険料が払えないために、健康保険という制度そのものから脱落してしまう人が増えています。法の改正により、子どもについては無保険の問題は解消されましたが、若者については依然として問題が残っています。また、たとえ、健康保険に加入していても、3割の自己負担が払えないという理由で、受診を控える、いわゆる受診抑制がおこっていることもわかってきました。多くの自治体は、子どもの医療費を軽減していますが、年齢の高い子どもや若者はその対象となっていません。また、貧困層の家庭は、ひとり親世帯や共働き世帯が多いため、子どもが病気であっても、病院に連れていくことが遅れたり、世話をすることができなかったりします。貧困率が50%を超えるひとり親世帯では、母親が非正規雇用である率が52%にもなっています。そのため、たとえ子どもが病気であっても、仕事を休むことができないことも問題として指摘されています。学校の保健室からは、高熱でも、ケガをしても、医療機関に行けない、行かないという子どもたちの報告が次々となされています。
 
このような子どもたちは、発展途上国で貧困に悩むこどもたちのように、飢えているわけでも、路頭に迷っているわけでもありません。しかし、だからといって、現代日本の貧困は問題でないと言うことができるでしょうか。戦後70年、社会保障制度が全国民をカバーするように整備されて50年、つまり半世紀たったいま、現在の日本の社会において、食べ盛りであっても「おなかいっぱい食べる」ことができない、病気になっても医療サービスを受けられない、そのような子どもたちが今現在います。私たち国民はこのことを「『経済のグローバル化』や『格差社会』のせいだから、いたしかたがたない」そういって受け入れるべきなのでしょうか。

受け入れるか、受け入れないか。これは、価値判断です。どれだけ、この問題が深刻で、その解決のために、どれだけ本気で社会を変えていくか、その「覚悟」の度合いが、子どもの貧困を放置するのか、それに対して対策を打つのかを決定します。

今、日本の財政は危機的な状況にあります。政府の支出の半分が借金でまかなわれている状況です。国の借金は、将来世代への「つけ」ですから、ますます、子どもたちを苦しめます。このような中、どんなにすばらしい政策、どんなに必要な制度、どんなに効果がある施策であっても、その財源を捻出するためには、何らかの犠牲をはらわなければなりません。何らかの犠牲とは、ほかの政策や制度の縮小か、国民への増税です。この「犠牲」の「覚悟」ができない限り、子どもの貧困対策は一歩も進みません。「問題は認識しているけれど、その解決のための犠牲を払う気はない」では子どもの貧困対策は進みません。
 
昨年8月、政府は「子供の貧困対策に関する大綱」を閣議決定しました。しかし、いざ、大綱に予算をつけるという段階になると、及び腰となっています。特に、食や医療サービスといった子どもの基本ニーズに直結する経済的支援については、殆ど拡充なされていない状況です。

メディアでは、ほぼ毎日のように、児童虐待など、子どもが犠牲になるニュースが、報道されています。ニュースを見るたびに、いたたまれない思いをなさっている方も多いと思います。このような事件の背景には、多くの場合、貧困が陰を潜めています。このような事件が起こる社会をつくってしまった私たち大人にも責任があるのではないでしょうか。すべての子どもの基本ニーズを保障し、親が金銭的にも、時間的にも、心身的にも余裕をもって子育てをすることができ、すべての子どもが将来の夢を描いている、そのような社会を創ることは、いま、日本の最大のプライオリティではないでしょうか。私たち国民1人1人の「覚悟」が問われています。(国立社会保障・人口問題研究所 部長 阿部彩)

2015年3月25日水曜日

生活保護制度の活用を

“貧困の母”はまだ救われていない-生活保護受給者「過去最高」の知られざる真実」(2015年3月18日ウートピ)をご紹介します。


ニュースを見ていると、毎月出てくる生活保護の受給者の話。最近、やたらと「今月の生活保護受給世帯は過去最多」というフレーズを耳にしませんか?

そんなことを聞くと、「シングルマザーや若年女子の貧困もよく話題になるし、生活保護を受ける同世代の女性も増えてるのかなぁ?」なんて思うかもしれませんが、実はちょっと違います。


増えている生活保護受給者は「高齢者」
出典:厚生労働省「被保護者調査(平成26年12月分概数) 
表2 世帯類型別現に保護を受けた世帯数」より作成


いったい生活保護受給者はなぜ増えているのでしょうか? ここ2年のデータをグラフで見てみると一目瞭然、高齢の受給者が増えているからなのです。一時期まで増加していた母子世帯や、その他世帯(高齢でも、母子でも、障害や傷病でもない世帯)はここ2年でみると横ばい、あるいは微減傾向です。

生活保護は他に収入があっても、国で定められた最低限の生活を営むのに必要な金額に満たなければ足りない分を保護費として支給してくれる制度です。高齢になって年金の支給額が少なく、貯金がつき、頼る家族・親族もいなければ、不足分は生活保護を利用することになります。

日本の高齢者の22%は無年金・低年金等で貧困状態にあると言いますので(参照:藤森克彦「低所得高齢者の実態と求められる所得保障制度」)、高齢化がますます進む現状では生活保護受給世帯数が過去最高を記録し続けるのは容易に予測できます。

母子世帯はなぜ微減傾向なのか

けれども、「生活保護を受けなければならないほど生活に困っているシングルマザーや若年女子の数は減っているのか?」と言われると、そうではありません。子どもの貧困率は昨年発表のデータでは過去最高を記録、ひとり親世帯の貧困率は国際的に見ても最悪の状況、単身女性の3人に1人は貧困状態だと言います(参照:「母子家庭」「20代前半男性」「子ども」に際立つ日本の貧困 国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩部長が解説」)。

では、なぜ生活保護受給世帯が増えないかといえば、生活保護にはマイナスイメージが強く生活が苦しくても抵抗感があるために利用しなかったり、窓口で申請をさせてもらえない水際作戦にあっている等が考えられます(生活保護の水際作戦については「生活保護を受けるのは悪いこと? 女性の貧困を救う手段を阻む“水際作戦”の実態」参照)。また、生活保護を受けていた人が受給しなくなった要因としては、近年生活保護受給者への就労支援を強化した成果があがっているとも考えられますが、中には疑問のある拙速な就労指導もあるようです(実例については、拙記事「シングルマザーの自立支援は子育て時間の確保を要件としなければならないより」参照。)。

働く世代でも将来のために活用したい生活保護

しかし、病気や家庭の事情などさまざまな事情のある女性や、子育てと両立しなければならないシングルマザーまで、本当に生活保護の利用を差し控えるべきなのでしょうか?

先日の川崎中1殺害事件では、被害者の母親が生活保護の相談に行ったものの、受給に至らなかったことが報じられています(参照:琉球新報「川崎・中1殺害:部活欠席、顔にあざ…異変サイン生かせず」)。もし、母親が生活保護を活用しながら、子どもの異変に気づいて向き合うだけの時間を確保できる働き方をしていたら……、あるいは結果は違ったかもしれません。

生活保護は高齢者や障害者だけではなく、現役世代の私たち全員のための数少ないセーフティーネット。何かあった時の暮らしを支え、自分や子どもたちの将来のためにももっと活用されていい制度ではないでしょうか。

2015年3月24日火曜日

働き方や価値観の多様性を尊重した大学の組織・制度づくり

大学における「高度専門職」の意義と育成について考える」(吉武博通 筑波大学 大学研究センター長、ビジネスサイエンス系教授)(リクルート カレッジマネジメント191 / Mar. - Apr. 2015)をご紹介します。


高度専門職の設置と事務職員の高度化

2015年4月1日、副学長の職務や教授会の役割の明確化等を目的とした学校教育法等の一部を改正する法律が施行される。

本改正に先立つ2014年2月、中央教育審議会大学分科会によって、「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」が示された。その中で学長のリーダーシップの確立と して「学長補佐体制の強化」を掲げた上で、「高度専門職の安定的な採用・育成」と「事務職員の高度化による教職協働の実現」が重要である旨が述べられている。

前者の高度専門職の例としては、リサーチ・アドミニスト レーター(URA)、インスティトゥーショナル・リサーチャー、 産学官連携コーディネーター、アドミッション・オフィサー、 カリキュラム・コーディネーターなどが示されている。

後者の事務職員の高度化による教職協働の実現について は、「事務職員が教員と対等な立場での『教職協働』によって大学運営に参画することが重要であり、企画力・コミュニ ケーション力・語学力の向上、人事評価に応じた処遇、キャリアパスの構築等についてより組織的・計画的に実行していく ことが求められる」と述べ、高度専門職や事務職員等の経営参画能力の向上のためにスタッフ・ディベロプメント(SD)が 重要としている。

その上で、高度専門職の設置やSDの義務化等、必要な制度の整備について、法令改正を含めて検討すべきとの考えが示されている。

この文脈からは、高度専門職と事務職員は異なる職種として、区別されて論じられているように見えるが、両者の関係の明確化を含めて、この問題をどのような道筋で考え、いかなる視点からあるべき方向を検討すればよいのだろうか。

これらの点を整理することで、各大学における検討に資することを目的としたものが本稿である。

法令上「職員」は教員を包摂する最も広い概念

最初に、現行法令が本稿に関係する事項をどのように規定しているのか、用語の使い方を含めて確認しておきたい。

学校教育法は、第92条第1項において「大学には学長、教授、准教授、助教、助手及び事務職員を置かなければならな い」と定め、第2項において「大学には前項のほか、副学長、学部長、講師、技術職員その他必要な職員を置くことができる」 としている。

また、第3項は「学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する」と規定しているが、この条文から、事務職員のみならず、大学に置かれる全ての職種を包摂するものとして「職員」 という用語が使われていることが読み取れる。

大学設置基準では、教員組織、教員数、教員など「教員」という用語は繰り返し登場するが、「事務職員」という用語は使 われていない。同基準第41条で「大学は、その事務を処理するため、専任の職員を置く適当な事務組織を設けるものとする」とし、第42条で「大学は、学生の厚生補導を行うため、専任の職員を置く適当な組織を設けるものとする」と定めている。また、第38条第3項で「図書館には、その機能を十分に発揮させるために必要な専門的職員その他の専任の職員を置くものとする」と定めている。

これらのことから、法令上は、「職員」という概念が最も広 く、その中に、教員、事務職員、技術職員などの「職種」が存在することがわかる。また、教員については、教授、准教授、助教などの「職階」が定められているが、他の職種の職員については定めがない。

職種がヨコの区分だとすると、職階はタテの格付けであり、高度専門職の位置付けや処遇・育成のあり方については、 教員や事務職員等との関係を含めて、職種をどうするのか、 次いで、職階をどうするのか、という順番で筋道立てて検討する必要がある。

高度専門職を組織・人事管理上どう位置付けるか

大学分科会の下の大学教育部会で検討されている内容を公開された配布資料等で確認すると、「高度専門職」の設置に関する論点として、教員、事務職員、技術職員といった現在の職種にとらわれず、専門性が必要な業務に携わる人材について、①現在の職種を前提とした上で、特別の手当等による処遇を行う案と、②新たな職種(俸給表)を設けるという案の2つが示されている。

想定される職種については、管理運営系、教学支援系(教務支援、研究支援)、学生支援系の3つの職域に分けた上で、 それぞれの職域で考えられる職種を例示し、学位や国家資格など前提となる要件を示している。

また、キャリアパスとして2つのパターンを例示している。 一つは、大卒者を一般の事務職員として採用した後に、既存の組織で昇進を目指す場合と高度専門職としてキャリアアップする場合の2ルートが想定されるパターンである。も う一つは、URAなど高度専門職で中途採用された後に、そのまま高度専門職としてキャリアアップするか、既存の事務組織で昇進するか、教員として准教授・教授と昇進するか、という3ルートが想定されるパターンである。

このような論点メモが配布された時点から、さらに議論は進んでいるものと思われるが、2点だけ課題を指摘しておき たい。

一つ目として、教員や事務職員とは異なる新たな職種を設ける案について、採用、配置・育成、評価・処遇という人事管理面で、新たな枠組みを設けた方が良い理由をより明確にするとともに、職種を分けることで生じる問題は何かなどについても、実態を踏まえた検討を行う必要がある。

二つ目は、高度専門職の「高度」を強調することで、自身の能力を高めながら、高度化する業務に取り組んできた事務職員の士気を低下させる結果につながらないかという点で ある。「高度」や「専門」の意味を掘り下げて検討しておくことが、制度設計を行う上でも重要である。

急速に増加するURAも試行錯誤の段階

大学はこれまでも、広報、産学連携、知的財産、国際交流、 キャリア支援などで、専門領域において知識と経験を有する人材を無期または有期で採用してきた。期待通りの成果を得たケースから上手くいかなかったケースまで様々であろう。

また、2011年度以降、国が財政補助等を通じ、専門性の高い「第三の職種」としてURAの定着を促した結果、いわゆる研究大学を中心にURAとして配置される者が年々増加している。

その業務は、研究戦略推進支援、プレ・アワード(研究プロ ジェクトの企画立案支援、折衝・調整、申請資料作成等)、ポスト・アワード(研究プロジェクトの実施調整、予算・進捗管理、評価・報告等)などであり、スキル標準や研修・教育プログ ラムの策定等、全国的なシステムの整備も進みつつある。

将来のキャリアパスを示し、積極的な配置・活用に取り組む大学もあるが、導入大学は全大学の一部にとどまってい る。既存の事務組織との機能分担なども含めて、試行錯誤 の段階であり、実効ある制度として定着するまでにはなお一 定の時間を要するものと思われる。

これらの取り組みをレビューし、成否の要因や克服すべき課題を明らかにすることで、高度専門職の導入や事務職員の高度化に関する有益な示唆も得られるはずである。

長期雇用が中心の日本の大学に専門職は根付くのか

次に、高度専門職と事務職員の関係を含めたこれからの 「職員」組織(ここでいう職員は教員を含む)のあり方を検討するために、アメリカの大学が「職員」をどう分類している か、確認しておきたい。

アメリカ教育省の統計では、Professional staffと Nonprofessional staffの2つに分類し、前者をさらにManagerial, Faculty,Graduate assistants,Other professionalに分けて整理している(正確に表すため英語表記をそのまま用いる)。

さらに詳細に職種を確認するために、代表的な高等教育専門紙The Chronicle of Higher Educationが提供する求人情報を見ると、職種がFaculty & Research,Administrative, Executiveなどに大別されている。Executiveには日本の総長、学長、副学長などのほか、Provost,Executive directorsなどが含まれる。

Administrativeは、Business & Administrative Affairs, Academic Affairs,Student Affairs,Deansの4つに分かれ、 前3者はそれぞれがさらに15から20程度の職種に分類され、 その分類ごとに具体的な求人が掲載されている。

この求人情報をみると、雇用の流動性が高く、求める職ごとに職務内容、要件、処遇などを示して個別に採用を行うア メリカの大学の特徴がよく分かる。

制度やシステム面でアメリカの大学に学ぶ点は多いが、労働市場や雇用慣行の違いを十分に考慮する必要がある。また、職種ごとに形成される職能団体の存在や大学院の高等教育プログラムなども、プロフェッショナルに求められる能力の養成に重要な役割を果たしており、高度専門職の導入にあたっては、その育成機能をどのような形で担保するかに ついてもあわせて考えておかなければならない。

このような点も踏まえつつ、現在、我が国で検討されてい る高度専門職は、アメリカにおけるどのようなカテゴリーの 職を意味するのか、専門職とプロフェッショナルの関係をどう考えるかなど、概念や定義を明らかにしながら議論を重ねていく必要がある。

基幹的業務を担う社員の多くは高度専門

高度専門職をめぐる議論を、企業など大学関係者以外が聞いたらどのように感じるだろうか。

大学の諸機能を担う人的資源が、質と量の両面において 充足されているのか、不足しているならば、どのように調達または育成すべきなのかは、一義的には大学自身の責任で考え、対処すべき課題である。職員の配置・育成・処遇等に関する事柄まで、国が問題点と解決の方向性を示し、政策的に後押しするというやり方が一般社会に理解されるとも思 えない。

企業において専門職とは何か、即座に浮かぶのは法務、知 的財産、研究開発などであろう。これらの機能にとどまらず、 企業は、経理・財務、人事、広報・マーケティング、営業、調達、設計・開発、生産、設備、情報システムなど、あらゆる機能において高度化と効率化を追求している。基幹的業務を担う社員はそれぞれの職務において「高度専門職」であることが求められているといって過言ではない。

日本企業には、異なる職能分野を幅広く経験するジェネラ リストが多く、特定の職能分野の経験年数が長いスペシャリ ストは少ないと理解されがちだが、様々な調査から、後者の方が主であることが明らかになってきた。確かに異動はあるが、営業内での担当顧客や地域の変更、人事や経理など同一職能内での本社と事業所間の異動、関係の深い隣接機能間の異動などが中心となっているようである。

ただ、その日本企業もアメリカやドイツとの比較では相対的に職能経験の幅が広いといわれている。

日本企業の人材育成の現状については、中小企業を中心に人材育成に課題があると考える経営者が多く、大企 業においても人材育成機能の低下や戦略を創出できるリーダー人材の不足などを指摘する声も聞かれる。日本企業も人材育成面で様々な課題を抱えていることを付け加えておきたい。

強化すべき機能とその方法を筋道立てて検討

教員と事務職員といった従来の職種区分を守りながら、大学の諸機能の高度化と効率化を追求することは難しい。 その一方で、第三の職種を設ければ、教員と事務職員の関係に加えて、教員と新職種、事務職員と新職種という新たな関係も生じ、運営がより複雑化する可能性もある。

まず行うべきは、大学業務全体を点検し、如何なる機能が不足しているか、強化すべき機能は何かを洗い出すことで ある。

その上で、①それは組織設計の問題なのか、それを担う人材の問題なのか、②人材の問題とした場合、マンパワーなど量的な問題なのか、能力・経験などの質的な問題なのか、 ③質的な問題の場合、教員・事務職員という既存の職種の枠組みの中で育成が可能か、それとも配置・育成上新たな職種を設けるべきか、④その人材を内部人 材の登用・育成で賄えるのか、外部人材の活用が必要か、という形で順序立てて検討していく必要がある。

高度専門職のための第三の職種の設置や特別の手当という考え方も一つの方法ではあるが、何よりも個々の大学が実態を正しく理解しつつ、上に示したよ うな道筋で十分に考え抜くことが大切 である。そのプロセスなしの導入は、木に竹を接ぐ結果になりかねない。

「職種」中心から脱却し「機能本位」の枠組みへ

最後に、大学の組織・人事管理の枠組みについてあるべき方向を考えてみたい。そのイメージを示したものが図1である。



筆者は、教員と事務職員・技術職員・その他職員という 「職種」から脱却し、如何なる役割を果たすかという「機能 本位」の発想や枠組みで、大学の組織と人事管理を再構築すべき時機にきているのではないかと考えている。

アメリカの大学に倣った形だが、「教員(Faculty)」以外に 「学務(Academic affairs)」、「学生支援(Student affairs)」、 「企画管理(Administrative affairs)」という3つの「機能領域」を設け、それぞれの領域の中に「機能」を明示し、その機能を課などの「組織単位」や「専門職位」が担う形にするのである。

一定規模の組織で遂行した方が良い機能は課などの組織単位に、他と協力しつつ単独で遂行できる機能は専門職位に、それぞれ位置付けることで、人的構成を踏まえた効果的な職務遂行体制を構築することができる。ここでいう専門職位とは新たな職種を意味するものではなく、機能を担う職位であり、それを役職階層に紐付けることで、いわゆる複線型人事による処遇も可能となる。

このような機能本位の構造を構築した上で、実際に如何なる人材を配置するかが次の課題になる。

「企画管理」領域の機能は、従来の職種としての事務職員が主として担うことになるが、「学務」領域や「学生支援」領域は、事務職員、教員、新たに採用する外部人材などが、能力や経験に応じて、それぞれの機能を担うことにな るだろう。

もしこれらの領域に、教員が主たる成員となる組織(セン ターや室など)とそれを支える事務組織(課や事務課など) という二重の構造が残っていれば、解消させて、責任と権限を明確にした機能本位の組織に変える必要がある。決めるのは教員、事務を処理するのが事務職員という体質を 払拭できない限り、強い当事者意識と使命感を持った高度専門職は育たない。

もちろん、全ての職員が高度専門職である必要はない。 ルーティンを中心に支援に徹する職員の存在はこれからも重要である。働き方や価値観の多様性を尊重した組織・制度づくりも大学の大きな課題である。

2015年3月12日木曜日

オファーがないから曲を書かないミュージシャンはいない

ブログ「人の心に灯をともす」からオファーがなくても」(2015年2月28日)をご紹介します。


僕はよく出版セミナーで「オファーがないから曲を書かないミュージシャンはいない」という話をする。

これはもしも「僕はミュージシャンです」という人間がいたとして、「でもレコード会社からオファーがないから、まだ曲を作っていない」と話していたら、どういう印象を受けるだろうか?

彼はきっとミュージシャンのふりをしているだけである。

なぜなら、普通は先に曲を作り、ライブなどをしているところにレコード会社からオファーが来てプロデビューするのだ。

同様に「本を出したい」「出版したい」と思うのなら「先にアウトプットしなさい」という話をする。

同じように、目の前のお客さんが一人でも、東京ドームが満員になっているのと同じテンションでしゃべったり歌ったりできる人間であれば、僕は必ず成功すると思う。

なぜなら名声や評判はドミノ倒しと同じで、まずは目の前の一人を倒さないと、伝わらないのだ。

僕が事業や仕事において大事にしている考え方が「ドミノ倒し理論」と「センターピン理論」である。

センターピン理論とは、折口雅博氏が提唱していたコンセプトで、事業や仕事には「ここを突いたら一撃で勝てる」という秘孔(ひこう)のようなものがあるのだ。

大資本やインターネットマーケティングの力で一気に宣伝することができるのなら別だが、小資本でのビジネスは、とにかく目の前のお客さんを全力で倒す気持ちでサービスを提供すべきだと思う。


監督が見ているその時だけ頑張る、などという人は永遠に上に引き上げられることはない。

なぜなら、人が見ていないときこそ本気で努力する、というような人にしか、チャンスは巡ってこないからだ。

スポーツや演劇などでも、スター選手が何らかの理由で戦線を離脱したときに、控えの選手やメンバーに出場の機会がやってくる。

そして、普段、練習や稽古を120%の力でしていなかったら、本番で力を発揮することはできない。

「オファーがないから曲を書かないミュージシャンはいない」

オファーがなくても書き続け、そしてアウトプットしているから、いざ本番に間に合うことができる。

観客が多かろうが少なかろうが、本気でやる人にだけ、チャンスがやってくる。

どんなときも、コツコツと精進を重ねる人でありたい。

2015年3月11日水曜日

人の行く裏に道あり花の山

ブログ「人の心に灯をともす」から長く続くこと」(2015年3月2日)をご紹介します。


私が講演会で紹介する資料の一つに、韓国の中央銀行が2008年にまとめた報告書『日本企業の長寿要因および示唆点』に掲載されている「200年以上の老舗世界ランキング」の表があります。

これによれば、世界で200年以上の老舗は5586社(合計41か国)ある中で、その3146社(全体の56パーセント)は日本にあり、日本は断トツの世界ナンバーワンの老舗大国であることが示されています。

第2位ドイツ837社、第3位オランダ222社、第4位フランス196社、第5位アメリカ14社、第6位中国9社、第7位台湾7社、第8位インド3社、その他1152社で、韓国は0社となっています。

同報告書はさらに、日本には創業千年以上の企業は7社、500年以上は32社、100年以上は5万余社あり、これら長寿企業の89.4パーセントは従業員数300人未満の中小企業にあると伝えています。

韓国は近年、政治面ではますます反日政策を強めていますが、本音では一日も早く日本のような老舗が多く存在する国家になりたいという願いを持っているのです。

そのことが、この報告書の文面からも伝わってきます。

この願望は韓国だけではありません。

実は中国でも、東南アジア諸国でも、いや欧米の国々でさえもそうなのです。

老舗をはじめファミリービジネス群は、従業員・顧客を大切にし、長期的に業績を上げていく態度を保持していることから、社会の秩序保持に貢献し、安定した社会を維持していく上で大きな役割を果たしていることが改めて見直されたのです。

日本にはファミリービジネスは586万社あり、全事業所数の99.1パーセントを占め、全従業員数の86.2パーセント強の5059万人を雇用していることになります。

つまり、働く国民の86パーセントがファミリービジネスに所属しているということになります。

この数字は、日本の大企業はファミリービジネスの支えがあってこそ成り立っていることをよく表しています。

ところが日本のマスコミは企業情報を伝える場合、あまりにも大企業中心に偏っています。

大企業からの広告収入で経営が成り立っているマスコミとしては、そうせざるを得ないのかもしれません。

私の経験から言えることは、ファミリー企業の経営者も社員も、その多くは仕事熱心で謙虚な人たちです。

一方、大企業のサラリーマンの中には、実力以上にプライドが高く、組織の力(名刺の力)に頼って生きている人がかなりいます。

その点、規模が小さくなればなるほど、自分の実力で生きていかなければならないことを知っていますから、特に繁盛している事業主は仕事熱心で、自己啓発への自己投資も積極的で、しかも謙虚です。

100年から200年以上も続く老舗が、どうして日本に多く存在するのでしょうか。

その要因は、次の二つを日本の老舗は頑なに守っているからです。

第一は、我が国ではどんな時代にも「継続していることが信用を形成するための第一条件」という考え方が重んじられており、老舗はそのことを骨の髄まで自覚していることです。

「継続は力なり」は、目標に向かってこつこつと地道に努力を続けることの大切さを訴える言葉です。

多くの日本人は継続することの難しさを知り、だから継続している人や会社に敬意を抱くのです。

我が国には自分が決めた一つの道を黙々と生き抜くことを讃える価値観が昔からあります。

そして自分の念い(願い)の実現に向かって真剣に努力を重ねていく人を評価し、受け入れる寛容さが社会に存在しています。

第二は、「人の行く裏に道あり花の山」の言葉どおり、人のやらないこと、やりたがらないことをやり通すという気持ちを老舗ほど持っていることです。

世の中の8割の人は楽な道を選びます。

苦労する道を選ぶ人は2割足らずです。

あえて人の逆を行く道を選び、少数派としての孤独感を抱きながらも独自の専門を確立し、他人がやりたがらない面倒なことを一つひとつ丁寧にやっている人は、事業主として成功していくタイプです。

老舗の経営者も従業員もそういう人が多いのです。


東洋のペスタロッチと言われた教育者、東井義雄先生の言葉がある。

「本物は続く、続けると本物になる」

100年、200年と続く老舗も本物だからこそ生き残るし、長く続くからこそ信用がある。

その場限りの儲けや、自分だけの損得で動いていたら100年続くわけがない。

そこには、常に周囲の喜ぶことをする姿勢、お客様も従業員も大事にする姿勢、誠実さや正直や勤勉さ、徳を積むといった姿勢がある。

「継続は力」であり、「信用」だ。

逆に言えば、何事も長く続かない人には信用がない。

そして、継続することは、頭の良し悪しや学歴、エリートや非エリートとは無関係で、誰にでもチャンスはある。

何か一つ決めたことは、倦(う)まずたゆまず、黙々と長く続ける人でありたい。

2015年3月10日火曜日

子供のために働けば働くほど子供との時間が奪われる

川崎・中1殺害:上村さんの母、仕事に追われ ひとり親、支え不可欠 子供の異変、把握できず」(2015年3月5日 毎日新聞)をご紹介します。


母子家庭の母が抱える子供についての悩みの内訳

「学校に行くより前に出勤しなければならず、遅い時間に帰宅するので、日中、何をしているのか十分に把握することができませんでした」。川崎市川崎区の河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)が刺殺体で見つかった事件。女手一つで上村さんを育ててきた母親が2日に発表したコメントからは、仕事に追われ、子供との時間を持つ余裕のないひとり親家庭の苦悩が浮かぶ。

「毎朝、子供を保育園に送り、夕方には小さい下の子2人の手を引いてスーパーで買い物をしていた」。上村さんの自宅アパート近くの住民は、介護関係の仕事と育児に奔走する母親の姿を度々見かけた。

上村さんは5人きょうだいの2番目。島根県・隠岐(おき)諸島にある西ノ島(西ノ島町)の小学3年進級時に両親が離婚。以降は母親ときょうだいと一緒に暮らし、小6の夏に川崎の母親の実家近くに越してきていた。

「仕事が忙しかった私に代わって、進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました」。コメントからは母親を気遣う上村さんの優しさがうかがえるが、「学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした」との文面には、後悔がにじむ。

厚生労働省の調査(2012年)によると、経済的に普通の暮らしが困難な人の割合を示す「相対的貧困率」は16・1%。ひとり親家庭に限ると、その割合は54・6%にまで上昇する。ひとり親世帯を対象に行った別の調査(11年)では、母子家庭の母親の帰宅は午後6〜8時が39・8%と最多で、8時以降も11%。子供の非行や交友関係に悩みを持つ割合は、上村さんと同世代の10〜14歳の子供を持つ母親の場合は5・6%で、全体(3・6%)に比べて高かった。

「周囲の助けなしには育てられない」。東京都練馬区で中1、小4、1歳のきょうだいをひとりで育てる母親(35)も、朝9時から夕方6時まで働き詰めだ。買い物をして夕飯を作り、下の子を寝かしつけると夜9時を回る。長男は中学生になり、交友関係も広がった。会話を持つようにしているが、「何を考えているか分からなくなるときもある」。

支えになるのは「ママ友」だ。「あそこで見かけたよ」「学校でこんなことがあったらしいよ」。把握しきれない学校での出来事や子供の異変をメールなどで教えてくれる。「理想は『地域で育てる』でも、知らない子や親に声をかけるのは難しい。家庭環境を分かり合えているママ友の存在は大きい」という。

千葉県市川市で中3と小6の娘と暮らす看護師の母親(39)は週2回は夜勤で朝まで帰れない。次女が学校で体調を崩し、学校から電話があったが、仕事で2時間以上出られなかった。「子育てを誰かに相談する余裕もない」

ひとり親家庭でつくるNPO「しんふぁ支援協会」代表で、高校1年の長男(15)をひとりで育てる原貴紀さん(41)は「一律でない、それぞれの家庭に合った支援体制が必要だ」と訴える。「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク共同代表の湯沢直美・立教大教授(社会福祉)は「子供のために働けば働くほど子供との時間が奪われる。就労環境の改善や児童手当の拡充など、ひとり親の就労を下支えする福祉が必要だ」と話す。

2015年3月9日月曜日

歴史認識と戦後70周年の首相談話

「戦後」首相談話とその背景の変遷」(2015年3月4日 nippon.com)をご紹介します。


戦後70周年の首相談話に注目が集まっている。50周年談話、60周年談話に続き、2015年夏までに安倍晋三首相が発表する予定のものだが、安倍政権の歴史認識を問うものとして、外交上の事案となっている。これまで、主に中国、韓国の近隣2か国しか関心を示してこなかったが、今回はアメリカ政府も、内容に注目していることを明らかにしている。焦点は、1992年の「河野洋平官房長官談話」と95年の「村山富市首相談話」の内容を継承するか否かとなっている。そもそも、この2つの談話の継承すべき内容とは何なのか。さらに言えば、なぜ日本政府の歴史談話が、ここまで長きにわたり国際問題化したのか、を改めて振り返ってみたい。


1945年9月2日、戦艦ミズーリ上での降伏文書に署名式(写真提供・時事)


前段としての歴史教科書問題と宮澤喜一官房長官談話

事の始まりは1982年だった。主要報道メディア各社が、高校歴史教科書検定で文部省が「(中国)華北への侵略」という記述を「華北への進出」に書き改めさせたという内容の記事を一斉に報じた。実はこれは、共同取材に当たったテレビ局の記者の勘違いに端を発した誤報だったが、中国が反発、外交問題化した。

時の鈴木善幸政権は、この事実があったという前提で、宮澤喜一官房長官談話を発表した。さらに鈴木首相は、謝罪のため訪中。そして教科用図書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という「近隣諸国条項」が付け加えられることになった。

このことは、誤報の事実関係を十分に確認せずに謝罪を行ったこと、1965年の日韓国交正常化、72年の日中国交正常化に際し決着をつけたはずの過去への謝罪問題を蒸し返したこと、他国の批判により教科書の内容を変えることを公式に認めたことで、歴史認識問題を新たに外交問題化してしまったという批判を国内から浴びる羽目になった。

「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話(1982年8月26日) 
一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。 
二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。 
三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。 
(出所・外務省ホームページ)

以後、歴史問題の発生や節目の年ごとに、「政府談話」の形で対応せざるを得なくなった。しかもその内容は、82年の談話の線から後退することが出来なくなった。談話はいずれも歴史問題の終息を目指したものではあるが、戦争直後、もしくは国交回復交渉の決着から、相当に時がたってからの新たな蒸し返しでは、双方の認識、思惑の乖離(かいり)は当然で、理念を語る談話で簡単に収拾を図るのはかなり無理があったのである。


1993年、河野洋平官房長官談話は何に対して謝罪したのか

実は、「近隣諸国条項」騒ぎが起きた1982年に、教科書問題など比較にならないほどの禍根となる別な火種が生まれていた。慰安婦問題である。これもまた報道メディアの誤報、というより虚報が引き起こしたものであった。

戦時中、山口県で日雇い労働者を管理する職に就いていたと自称する、吉田清治という人物による済州島での慰安婦狩りの証言を、朝日新聞が報道したのである。この証言は、後に何の証拠もない真っ赤なウソとわかるのであるが、朝日新聞は以後、16回記事化し続ける。やがて吉田氏の著作が韓国語訳され、韓国で慰安婦問題に対する謝罪、賠償を日本に求める運動が本格化する。

慰安婦とは当時日本国内で行われていた管理売春を戦地へ持ち込んだものである。確かにインドネシア、フィリピンなどでは、占領地の女性を軍が強制的に慰安婦にした例があり、戦犯裁判の対象にもなった。しかし、韓国は当時、日本領内であり戦場ではなかった。

そしてこの後、ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊し、90年に東西ドイツが再合同を果たす。これを機に、積み残しになっていた第二次世界大戦問題を再度、洗い出し、清算しようという動きが世界的に起きていた。この動きも韓国の動きを後押しした。91年には、初めて名乗り出た元慰安婦の証言を朝日新聞が報道。日韓のメディアが後追いすることになった。

そして翌92年1月、宮澤喜一首相の訪韓の1週間前に、朝日新聞が慰安婦施設への軍の関与について報道、続いて、歴史問題に関する社説を掲載。このあと、日韓両国のメディアが一斉に慰安婦問題を報道する。このときの報道はどれも、虚偽である吉田証言を基にしているだけでなく、慰安婦と挺身隊を混同するなど杜撰(ずさん)なものであったが、宮澤首相は、日韓首脳会談で謝罪を行うはめになる。

政府は吉田証言を中心に調査をはじめ、また報道各社や研究者も検証を行い、この年の夏ごろまでには、少なくとも吉田証言については事実無根であることが明らかになるが、慰安婦問題を指弾した各社は、以後、報道を控えただけで訂正は行わなかった。そのため、首相が謝罪した事実だけが残った。そして、この年の8月には中韓国交正常化が行われ、東アジアも冷戦体制が終わろうとしていた。

政府は、翌93年、慰安婦問題関連の調査結果を発表した。その際に出されたのが、河野洋平官房長官談話である。

その内容を要約すると、人身売買としての慰安婦制度の非人間性、軍による強制の存在、日本本土出身者に次いで朝鮮半島出身者が多かったこと、などの認識、さらに出身地の如何を問わず政府として謝罪すること、となる。これまで戦犯裁判などで明らかになっていた慰安婦問題について、改めて責任を認めるとともに、朝鮮半島で軍による慰安婦狩りがあったとする韓国の主張は直接には盛り込まない、かなり苦しい表現となった。

インドネシア、フィリピン、オランダなどに強制的に従軍慰安婦にされた被害者が実際に存在していたのであるから、この事実自体に背を向けた発言はありえなかった。しかし、根拠のない被害申し立てにまで国として公式に謝罪するわけにはいかなかった。日本国内からは、吉田証言のありもしない事実に基づく攻撃に対する謝罪と受け取られ、韓国には自国民への軍の強制を認めず、宮澤訪韓の際の謝罪からの後退という不満が残った。

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(1993年8月4日) 
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。 
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。 
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。 
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。 
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

(出所・外務省ホームページ)

1995年、村山富市首相談話が語ったこと

慰安婦問題が日韓間の外交問題となってからは、政府の歴史問題談話は困難なものになっていった。戦後一貫して表明してきた反省と謝罪は変わらず表明し続けなければならないものの、それ以上のこと、つまりいったん決着がついた事項の蒸し返しや存在しなかった事柄を公式に認めることは、政府としては不可能だったからである。

国際環境は逆に厳しくなっていった。一つは、ヨーロッパにおいて再合同を果たしたドイツが積み残しになっていた旧ソ連圏との案件の清算をすすめ、西側連合国とも最終的な戦後和解に入っていたからである。日本を取り巻く環境は、とてもそのようなものではなかったが、地域事情を関知しない国際社会からは、出遅れとみなされた。また、冷戦の終了により、同盟漂流と指摘されるほど、これまで国際社会での保護者だったアメリカとの関係が疎遠になっていた。さらに中国の動向である。89年の天安門事件以来、統治力に不安を抱えていた中国共産党は、政権への求心力を高めるねらいで、94年から反日教育を始めていた。このような環境の中で、95年、戦後50周年を迎えることになったのである。

自民、社会、さきがけ連合政権は、95年6月、「歴史を教訓に平和への意識を新たにする決議」を衆議院に提出、賛成多数で採択されるが、自民党議員に欠席者が出るなど、戦争責任問題への言及は、まだ保守派の中にわだかまりがある状態だった。そこで、村山首相は、改めて8月15日に閣議決定に基づいた声明を発表した。

要点は、日本の国策の誤りによって戦争になった責任と、植民地支配と侵略によってアジア諸国に損害と苦痛を与えたことをそれぞれ認め、反省し謝罪する、ということに尽きる。特に植民地支配、侵略については、歴史教科書問題以降、日本の姿勢が問われていたが、これについて初めて政府が、公式に認め謝罪した例となった。政治家でも一部には過去の戦争に対する肯定論が根強かったが、政府がその立場に立たないことを、明確にしたのである。

また村山首相は、談話発表の後の記者会見で、賠償問題については、サンフランシスコ講和条約、二国間の平和条約などですでに法的には解決済みという見解を示している。慰安婦問題も含め、現在韓国が主張している日韓基本条約を否定する主張は当然、視野に入っていない。あくまで、戦後日本が取ってきた戦争責任への償いと平和主義を肯定的に確認するものなのである。

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話、1995年8月15日) 
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。 
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。 
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。 
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 
(出所・外務省ホームページ)

2005年、継承としての小泉純一郎首相談話

村山談話は、その後、戦争を巡る歴史認識の政府公式見解として引き継がれていくことになる。村山首相の次の橋本龍太郎首相が国会答弁で、村山談話の意義を踏まえ対アジア外交を進めることを表明したのをはじめ、その後、歴代首相はすべて村山談話を継承する方針を明らかにしている。

2005年の戦後60周年は小泉政権時代であったが、小泉純一郎首相は、靖国神社参拝を行うことで中国と外交問題を引き起こしていた。しかし、その60周年談話は村山談話を踏襲したものとなった。

戦後60周年の小泉内閣総理大臣談話(2005年8月15日) 
私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。 
先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。 
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。 
戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。 
我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。 
我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。 
国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。 
戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。 
(出所・外務省ホームページ)

安倍談話が注目される理由

村山談話以降の首相談話が、政府公式見解として定着しているのであれば単にそれを踏襲すればいいのであるが、それでも、70周年談話に対し世界的に注目が集まっているのは理由がある。安倍晋三首相は、過去に歴史問題でトラブルに巻き込まれているからである。

第一次政権時の2007年、韓国の従軍慰安婦問題について「広義の強制(人身売買による拘束)はあったが狭義の強制(軍による強制)はなかった」と発言したことが、主に欧米で猛烈な批判を浴びることになったのである。吉田証言に基づく朝鮮半島での慰安婦狩りがあったかなかったかは、日韓両国以外ではまったく注目されてはいない。問題視されているのは、日本に人身売買制度である従軍慰安婦制度が存在したこと、占領地で軍による一般女性への強制の例があったことである。安倍発言はそのことへの否定ととられた。特にアメリカでは共和党、民主党を問わず、女性政治家たちから猛烈な反発があがった。

この件は日本では結論が出ている歴史問題であるが、国際社会では現在につながる女性人権問題なのである。思わぬ形で虎の尾を踏んでしまった安倍首相は、国際社会で「歴史修正主義者」のレッテルを張られてしまった。また、慰安婦問題という個別案件が日本の過去に対する姿勢を図る指標かのように国際社会で宣伝されてしまった。今回の70周年談話は、そのイメージの払しょくを求められる舞台ともなっている。

第二次世界大戦に対する歴史認識の問題は、いまだ各国にとって慎重な取り扱いが必要な案件なのである。そのため、相手の姿勢を攻撃する側の方が強気に出ることができるという構造がある。だからと言って日本は開き直れるわけではない。村山談話は、歴史問題全般に対する日本の姿勢を明確にしたが、政府としては個別案件は解決済みという方針をとり続けている。個別案件で非難キャンペーンを行われている中で、その件に触れずして、非難に打ち克てるだけの総論を打ち出せるか。結構、厄介なハンドリングを日本は強いられている。

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