2015年9月27日日曜日

政治の貧困と政治家の気概(1)

過去最長の95日間の延長幅をとった第189通常国会は、本日(9月27日)閉会しました。去る9月19日未明には、この国の形を決める重要なことがありました。安全保障関連法案の可決・成立です。皆さんはどのように受け止めておられますか。

国の将来を決める極めて重要な法律でしたが、その成立過程は混乱の連続でした。成立後、安倍首相は「将来の子供たちに平和な日本を引き渡すために必要な法的基盤が整備された」と語っています。

果たしてそうでしょうか。私にはそうは思えません。70年もの間、憲法の下で平和を堅持してきたこの国を容易に戦争ができる国にし、未来ある子ども達を戦争に巻き込み、戦闘や殺戮を繰り返す大きなリスクを背負わせることにしたのではないでしょうか。そして、野党民主党の岡田代表が語ったように「憲法の平和主義、立憲主義、民主主義に大きな傷跡を残した」のではないでしょうか。

安倍政権は、これまで、着々と憲法を空洞化させる行動を進めてきました。日本版NSC、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、そして仕上げは今回の安保関連法です。

今回の法律の成立過程では、様々な問題が指摘されてきました。特に、憲法違反の法律を与党政府が数の力で押し切った(憲法違反を国会が堂々とやってのけた)こと、憲法解釈を変えて戦争をやれるようにした(政権交代があるたびに、解釈がどんどん変わってしまうことになる)ことなど。そして、このような問題が、ほとんど議論されずに法律が成立してしまったこと。もはや、立法も司法も行政のために死滅してしまったのではないかと残念でなりません。

最近、驚愕のニュースが飛び込んできました。 防衛省が始めた軍事技術研究資金の公募で、なんと東京工業大学(国立)など計9件が採択されたとのこと。報道では、研究予算不足を背景に防衛省研究への関心が高まっているとのことでしたが、先の戦争への反省が消し去られ、歯止めが利かない恐ろしい国へ変質しつつあるように思えてなりません。

さて、安全保障関連法の成立過程で報道された様々な記事のうち、自分の心に留め置きたいと考えた記事をいくつか抜粋してご紹介します。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください)




今、日本政府は名護市辺野古の海を埋め立てて、新しいアメリカ軍基地を造ろうとしています。戦争はしないと誓った憲法9条も骨抜きにしようとしています。私は、70年前の悲惨な体験が風化して、また戦争の準備が進んでいると危ぶんでいます。だます政府と、だまされる国民がそろった時に起こるのが戦争です。どんなに残酷か…。もめごとは鉄砲や爆弾ではなく、英知で話し合って解決してほしいです。

テレビのニュースは今も日々、世界の各地で起きる戦争を伝えています。妹たちが亡くなった糸満市摩文仁に立つ沖縄県平和祈念資料館には「戦争をおこすのはたしかに人間です しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも 私たち人間ではないでしょうか」と記されています。一人ひとりが心の中に「平和のとりで」を築きましょう。


戦争とは何なのか? 焼け跡世代からのメッセージ~養老孟司|2015年8月8日 PRESIDENT Online

世間は形を変えて、自発的に暴走していきます。そして、その渦中にいるときは、異変に気付くことができません。学生運動もそうでした。

いまの若い親世代、子供世代には、平和なときに「自分にとって、何が一番大事なことなのか」を考えてほしい。戦争が始まると、それがわからなくなってしまい、社会の暴走に巻き込まれてしまいます。平和なときにこそ、考える軸を養ってほしい。

太平洋戦争で、誰も社会の暴走にブレーキをかけられず、その先に待っていたのは、多くの国民が道具として使い捨てられる社会でした。

残念なことですが、戦争体験はいくら言葉を尽くしても伝わりません。しかし、言葉が無力であるということは、同時に私たちに何を見るべきかを教えてくれます。大事なのは言葉ではなく、行動です。権力者が何を言っているかではなく、何をやっているかをよく見てください。そして、世の中をつくるのも、私たちが何をするかにかかっているのです。


あす終戦の日 不戦の原点から考える|2015年8月14日 毎日新聞

満州事変から太平洋戦争に至る日本の「自爆戦争」の背景には、憲法解釈の乱用があった。軍は、天皇による統帥権が三権の枠外にあるとして神聖化した。その下で言論統制が強まった。戦争に異論を唱える人間は「非国民」として排除され、社会の自由は窒息していった。

もう一つは、外交の失敗だ。中国侵略のあと、国際連盟脱退で世界から孤立した日本は戦線を東南アジアに拡大し、米国の対日石油禁輸で追い詰められると、真珠湾攻撃へと走った。外交努力を放棄して国際協調路線を踏み外し、米国の戦略と米中関係の大局を読み誤った。

6割が餓死だったとされる、戦地での230万の死。確実に死ぬことを前提とした特攻作戦。国民の命が羽毛のように軽かった時代の反省から、日本は再出発した。全ての人が自由に発言する基盤を尊重し、多様な考えが社会に生かされ、国が国民を駒として使い捨てるのではなく、国民が国の主人公である、当たり前の民主主義を持ったことが、戦後の日本の支柱だったはずだ。

昨今、憲法を頂点とする法体系をことさら軽視し、自由な言論を抑圧するような言動が政治の世界で相次いでいる。安全保障関連法案を巡って「憲法守って国滅ぶでいいのか」「日本人は軍事知らず」という物言いも、しばしば耳にする。

だが、かつてあったのは「憲法守って国滅ぶ」ではなく、憲法をないがしろにして戦争に突入した歴史である。「軍事知らず」ではなく「外交知らず」で、破滅に追い込まれたことを忘れてはならない。

戦争の「負の歴史」をいかに真摯(しんし)に振り返り、明日に生かすか。その認識において政権と国民の間に断層があっては、戦後70年の民主主義は土台から揺らぎかねない。

安倍晋三首相は、広島での被爆者との面会で「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓い」を口にした。安保法案も、戦争をせず、平和を守るためと説明されている。平和と不戦の誓いを原点にしている点では、首相も、法案に反対の世論も変わりはない。

不戦の誓いと平和という「未来」を語る言葉は、政権と国民の間で既に共有されているのである。求められるのはそれを繰り返すことではなく、「過去」を語る言葉を政権と国民が共有することだろう。

戦争には、国の中枢でそれを決める側と、殺したり殺されたりする運命を背負わされる側がある。だからこそ政治指導者は、過去の侵略と過ちを認め、再びあの時代には戻さないという強いメッセージを、信頼のおける言葉と態度で、国民に向かって語る義務があるはずだ。

「未来」をいくら雄弁に語ったところで、「過去」との決別があいまいなままでは、国民の心にも国際社会にも、決して響くまい。

日本は、二つの原爆という史上最悪の戦争被害を体験した。また、同じアジアの国々に土足で上がり込んで支配した。紛争を解決する手段として戦争がいかに愚かで、自国民も他国民も不幸にするか。被害と加害の理不尽さをどの国よりも肌で知る日本は、戦争の不条理を世界に伝え続ける、人類史的な使命があると言えるのではないだろうか。

他国を侵さず、自国を侵されず、無用な戦争に加わったりしないということ。軍事に抑制的で、可能な限り平和的手段を追求する国としての誇りを持つこと。国際情勢の変化にただ便乗するのではなく、広く長期的な視野で見極め、信頼醸成に基づく国際協調を大事にすること。それらが、戦後70年で築き上げた日本の国柄ではないかと考える。

あの敗戦を原点とする、国民の健全な国際感覚と民主主義の土壌は、「平和ぼけ」と冷笑されるような、ひ弱なものではない。政権は国民のまっとうさに信を置き、平和国家としての道を、国民とともに自信を持って歩いていってほしい。

戦後70年が重く迫るのは、戦後80年に向け、歴史を風化させてはならないとの思いがあるからだ。20世紀初めにフランスの詩人が残した「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」という言葉のように、過去を見る視線の先にこそ、私たちの確かな未来があると信じたい。



歴代内閣が「憲法を改正しなければできない」と明言してきた憲法解釈を覆し、安倍内閣が集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしたのは昨年7月。以来、憲法学者や元内閣法制局長官らの専門家が、そのおかしさを繰り返し指摘してきた。

なぜ、集団的自衛権を行使できるようにしなければ、国民の生命や財産を守ることができないのか。この根本的な問いに、安倍首相は日本人が乗った米艦の防護や中東ホルムズ海峡の機雷掃海を持ち出したが、その説明は審議の過程で破綻(はたん)した。

それでも政権は法成立へとひた走った。これは、安倍内閣が憲法を尊重し擁護する義務を守らず、自民党や公明党などがそれを追認することを意味する。法治国家の土台を揺るがす行為だと言わざるを得ない。

2012年末に政権復帰した安倍氏は、9条改正を視野に、まず憲法改正手続きを緩める96条改正を唱えた。ところが世論の理解が得られないとみると、9条の解釈変更へと転換する。有権者に改憲の是非を問う必要のない「裏道」である。

真っ先に使ったのが、違憲立法を防ぐ政府内の関門であり、集団的自衛権は行使できないとの一線を堅持してきた内閣法制局の長官を、慣例を無視して交代させる禁じ手だ。

法制局の新たな体制のもと、政権は集団的自衛権の「限定容認」を打ち出した。根拠としたのは、59年の砂川事件最高裁判決と72年の政府見解だ。

だが、砂川裁判では日本の集団的自衛権は問われていない。72年見解は集団的自衛権の行使は許されないとの結論だ。「限定」であろうとなかろうと、集団的自衛権が行使できるとする政府の理屈は筋が通らない。

その無理を図らずも裏付けたのが「法的安定性は関係ない」との首相補佐官の言葉だった。そのおかしさにあきれ、怒りの声が国会の外にも大きく広がったのは当然である。

安倍首相は「安全保障環境の変化」を理由に、日米同盟を強化して抑止力を高め、国民の安全を守ると繰り返してきた。こうした安全保障論にうなずく人もいるだろう。

一方、自衛隊を出動させるという大きな国家権力の行使にあたっては、政府は極めて抑制的であるべきだ。どんなに安全保障環境が変わったとしても、憲法と一体となって長年定着してきた解釈を、一内閣が勝手に正反対の結論に変えていい理由には決してならない。

そんなことが許されるなら、社会的、経済的な環境の変化を理由に、表現の自由や法の下の平等を政府が制限していいとなってもおかしくない。

軍事的な要請が憲法より優先されることになれば、憲法の規範性はなくなる。つまり、憲法が憲法でなくなってしまう。

これは、首相が好んで口にする「法の支配」からの逸脱である。自衛隊が海外での活動を広げることを歓迎する国もあるだろう。だが、長い目で見れば、日本政府への信頼をむしばむ。

裁判所から違憲だと判断されるリスクを背負った政策をとることが、安全保障政策として得策だとも思えない。

首相は「夏までに成就させる」との米議会での約束をひとまず果たすことになりそうだ。

一方で、法制局長官の交代に始まるこの2年間を通じて明らかになったのは、たとえ国会議員の数のうえでは「一強」の政権でも、憲法の縛りを解こうとするには膨大なエネルギーを要するということだ。憲法は、それだけ重い。

憲法学者や弁護士の有志が、法施行後に違憲訴訟を起こす準備をしている。裁判を通じて違憲性を訴え続け、「もう終わったこと」にはさせないのが目的だという。

憲法をないがしろにする安倍政権の姿勢によって、権力を憲法で縛る立憲主義の意義が国民に広まったのは、首相にとっては皮肉なことではないか。

改めて問い直したい。憲法とは何か、憲法と権力との関係はどうあるべきなのか。法が成立しても、議論を終わりにすることはできない。



2015年9月19日未明、与党自由民主党と公明党およびそれに迎合する野党3党は、前々日の参議院特別委員会の抜き打ち強行採決を受け、戦争法案以外の何ものでもない安全保障関連法案を参議院本会議で可決し成立させた。私たちは満身の怒りと憤りを込めて、この採決に断固として抗議する。

国民の6割以上が反対し、大多数が今国会で成立させるべきではないと表明しているなかでの強行採決は、「国権の最高機関」であるはずの国会を、「最高責任者」を自称する首相の単なる追認機関におとしめる、議会制民主主義の蹂躙(じゅうりん)である。

また圧倒的多数の憲法学者と学識経験者はもとより、歴代の内閣法制局長官が、衆参両委員会で安保法案は「違憲」だと表明し、参院での審議過程においては最高裁判所元長官が、明確に憲法違反の法案であると公表したなかでの強行採決は、立憲主義に対する冒瀆(ぼうとく)にほかならない。

歴代の政権が憲法違反と言明してきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲にもとづいて法案化したこと自体が立憲主義と民主主義を侵犯するものであり、戦争を可能にする違憲法案の強行採決は、憲法9条のもとで68年間持続してきた平和主義を捨て去る暴挙である。

こうした第3次安倍政権による、立憲主義と民主主義と平和主義を破壊する暴走に対し、多くの国民が自らの意思で立ち上がり抗議の声をあげ続けてきた。戦争法案の閣議決定直前の5月12日、2800人だった東京の反対集会の参加者は、衆院強行採決前後の7月14日から17日にかけて、4日連続で、国会周辺を2万人以上で包囲するにいたった。そして8月30日の行動においては12万人の人々が、国会周辺を埋めつくした。

戦後70年の節目の年に、日本を戦争国家に転換させようとする現政権に対し、一人ひとりの個人が、日本国憲法が「保障する自由及び権利」を「保持」するための「不断の努力」(憲法第12条)を決意した主権者として立ち上がり、行動に移したのである。私たち「学者の会」も、この一翼を担っている。

私たちはここに、安倍政権の独裁的な暴挙に憤りをもって抗議し、あらためて日本国憲法を高く掲げて、この違憲立法の適用を許さず廃止へと追い込む運動へと歩みを進めることを、主権者としての自覚と決意をこめて表明する。
 

新しい安全保障法制が成立した「安保国会」が事実上閉幕した。立憲主義を蔑(ないがし)ろにし、「国権の最高機関」の名を汚(けが)した国会だった。猛省を促したい。

いくら議会の多数派が内閣を構成する議院内閣制とはいえ、政府が提出した法案を唯々諾々と通すだけなら、単なる「採決装置」に堕す。とても、日本国憲法に定められた「国権の最高機関」「唯一の立法機関」の名には値しない。

新しい安保法制の最大の問題点は、集団的自衛権の行使を憲法違反としてきた歴代内閣の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変えてしまったことにある。

歴代内閣が踏襲してきたこの憲法解釈は、国会での長年の議論を通じて定着してきた。ましてや、集団的自衛権を行使せず、「専守防衛」に徹する平和主義は、戦後日本の「国のかたち」でもある。

一内閣の恣意(しい)的な解釈を許すのなら、憲法は法的安定性を失い、国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」は根底から覆る。

集団的自衛権の行使を可能にするのなら、その賛否は別にして、憲法改正手続きを経て、国民に賛否を委ねるのが筋ではないか。

王道でなく覇道を歩み、立憲主義を蔑ろにするようなことを、国会がなぜ許してしまったのか。

議論の質も、とても高いものとは言えなかった。例えば、集団的自衛権の行使例である。

政府は中東・ホルムズ海峡での機雷除去と、避難する邦人を輸送する米艦の防護を挙げていたが、成立間際になって、機雷除去の必要性が現実に発生することは想定せず、米艦防護も邦人乗船は絶対的条件でないと答弁を変えた。

立法の必要性を示す立法事実が根底から崩れたのだから、本来廃案とすべきだが、なぜそのまま成立させたのか。そもそも実質11本の法案を2つの法案に束ねて提出した政府の強引さをなぜ許したのか。国権の最高機関としての矜持(きょうじ)はどこに行ってしまったのか。

新しい安保法制が成立した後に行われた共同通信社の全国世論調査によると安保法制「反対」は53・0%。「憲法違反」は50・2%と、ともに半数を超えた。報道各社の世論調査も同様の傾向だ。

こうした国民の思いにも国会、特に与党議員は応えようとしなかった。国会周辺や全国各地で行われた安保法制反対のデモに対して「国民の声の一つ」(首相)と言いながら、耳を十分に傾けたと、胸を張って言えるのだろうか。

憲法は国会議員を「全国民を代表する」と定める。支持者はもちろん、そうでない有権者も含めた国民全体の代表であるべきだ。

安保法制が日本の平和と安全に死活的に重要だと信じるのなら、反対者にも説明を尽くし、説得を試みるべきではなかったか。反対意見を切り捨てるだけなら、とても全国民の代表とは言えない。

各議員は全国民の代表という憲法上の立場を強く自覚しなければならない。さもなければ国民は、国会に対して「憲法違反」の警告を突き付けるであろう。


参考までに、

民主主義の原則とは、

民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。ほか(米国大使館ホームページから)