2017年2月12日日曜日

記事紹介|給付型奨学金:世間の批判をかわす見せかけの予算

大学というのはお金がかかる。まずは授業料、入る前には入学金という一種の契約金のようなお金も払わねば入れてくれない。家から通える者はまだ良いが、遠くから出てくるとなると、寮か学校の近くに下宿でもしなければ通学できぬ。寮費は安いが下宿は民間だからそれなりにかかる。今頃は食事などのまかない付きなどは探しても見つからない。また、大学の授業を受けるには教科書などを購入する経費も必要。今頃はコンピュータも必携だったりするのでこの出費もバカにならない。ふつうは親が支出することになるが、難しければ学生本人がアルバイトで稼ぐことになる。これも簡単ではないと思ったのは昨年のクリスマスシーズン。コンビニで働くバイト学生にケーキの購入ノルマがあると言うので驚いた。コンビニも結構「アコギ」な商売?ではないか。

話がそれたが、昔は、村の優秀な子どもが尋常小学校を終えても、家が貧しく優秀な子どもが上級の学校に進学することが難しかった。そんなときに村の裕福な家がその子の将来のために旧制の中学校などに行くお金を支援してくれたなどという美談があった。こんな人たちを篤志家と言った。そのほかには、授業料はおろか制服代も含めた経費を面倒見た師範学校という制度もあり、小学校などの教員養成を国家の施策として推し進めた時代には、優秀な子どもも救われるシステムもあったと言える。戦後、教員になった場合には、奨学金返済免除という制度もあったがこの考え方の名残りといえよう。少し違うけど、陸海軍の学校でも寮も含め経費の面倒を全額みてくれた制度もなかったわけではない。今の防衛大学校の学生も公務員としての地位を与えられお金がかからない学生生活だと聞いている。

筆者などおじさんたちの昔は、国立大学の授業料が幼稚園より安く、月額千円の時代があって、これなら大学の寮に住み夏休みなどの長期休暇に力仕事で一気にかせいで、通常の授業期間は勉強に専念できた友入も少なくない。

一部かもしれないが、なにやかやと昔のシステムは学生が勉強して高等教育を終えられるようにしたと思われる。ところが今や、国の奨学金は、利子をとる貸与型の奨学金が主流だ。これはアメリカの悪しき?システムをそのまま応用(流用、真似しただけ)。金融機関が儲ける仕組み。奨学システムは、日本学生支援機構なる独立行政法人の仕事。これは昔の日本育英会だがそもそもその基金の元は、昭和十九年に天皇からの御下賜金百万円(当時の金額)もらって、財団法人から衣替えして特殊法人の大日本育英会となり本格的になったらしい。絶対的な「篤志家」としての天皇ですね。

さて、今回の給付型奨学金だが、住民税非課税世帯や児童養護施設から進学した学生らが対象だが、そもそも基本的な給付額が少なすぎる。生活のことなど考えてないと言わざるを得ない。加えて、そもそも選考基準の学業成績は、ある程度家庭の資力がなければ勉強できるようにならない。低所得世帯の子どもは塾に通えず、成績を重視されると不利になるのだ。一見公平そうだが、これまた現実的ではない。さらに、批判の一つに、現在留学生には返済義務のない奨学金の他に生活費十数万円が支給され、往復航空券までもあるのに、日本人の税金が一方的に外国の留学生に支出され逆差別ではないかというわけだ。とりあえずは世間の批判をかわす見せかけの予算かもしれませんよ。

ちまちま、広く薄く配って繕うより、授業料などを免除したり、完全に四年間の生活を含めた面倒をみる考えは無理ですか?

教育ななめ読み「出でよ、篤志家」|文部科学教育通信 No.404 2017.1.30 から