2017年4月9日日曜日

記事紹介|押しつけの鋳型を問い直す

哲学教育が大学から追いやられようとしている。私も哲学の教師として、困ったことだと思っている。だがその「困った」は、タコツボでぬくぬくしていたら出て行けと言われてうろたえているタコのような「困った」かもしれない。私は本書を読んで、そんな自分をちょっと恥じた。本書がつきつける「困った」は、そんなタコのため息とはほど遠いものである。

文科省は、とりわけ人文系の学部に対して、これを学べばどういう職業的技能が身につくのかを明確にせよと求めてくる。それがはっきりしない学部は、より社会的要請の高い分野に転換しろと言うのである。

文科省は学生を鋳型にはめようとしている。そしてあなたの学部ではどんな鋳型を提供しているのですか、と問うてくる。他方、哲学は鋳型そのものを考え直し、論じようとする。自分たちがなじんだ考え方に新たな光を当て、他の考え方の可能性を探ろうとする。だから哲学は学生を鋳型にはめる教育にはなりえないし、まさにそこにこそ、哲学教育の生命線がある。

こわいのは、学生たちの多くもまた、鋳型にはめてもらいたがっているということだ。いまの我が国は、国民に考えさせず、一方的に決めつけようとする。ところが国民の側からも、決めてくれた方が考えなくて済むから楽でいいといわんばかりの声が聞こえてきはしないだろうか。

そんな時代に、哲学教育が果たすべき役どころはむしろ大きい。では、その役どころとは何か。著者はそれを模索する。

この本は、その意味でまさに「哲学的」に書かれている。あなたの代わりに考えて、上から目線で決めつけたりはしない。一歩ずつ、読者とともに、考えようとする。だから、本書を読み終えたとき、あなたは著者とともに、次の一歩へと歩み出すに違いない。私たちは、私たちがどうすべきなのか、私たち自身で、考えなければいけない。

評・野矢茂樹(東京大学教授・哲学)