2017年6月29日木曜日

記事紹介丨モラールアップ

モラールアップ経営とは、たんなるテクニックで成りたつものではありません。

いわば、社長の考え方や生きざまそのものです。

ここで肝心なのは、社長の考え方や生きざまを、どうやったら社員すべてに浸透させるかということです。

一人で威張っているだけでは、社員たちに理解させ、行動につなげることはできません。

そこで、「知らしめること」の重要さが出てきます。

たとえば、会社を訪れたお客様から、職場の環境が「きれいだね」、「美しいわね」というお褒めのことばをいただいた場合、一部の関係者だけが喜ぶのではなく、全員にこの事実が伝わる仕組みができていることが、大切なのです。

社員旅行に出かけたときに、当社の社員がバスのなかにピーナツ一つ落とさないので、バスガイドさんから「これだけ騒いで、これだけバスをきれいに使う団体さんはほかにない」と褒められる、といったことも同様です。

褒められたことを、全員が知ることが大切だと思います。

こうしたことの積みかさねが、社員自身のなかに誇りを育てていきます。

社員一人ひとりの日々の言動が向上し洗練されていくと、幸福感が高まり、やがて結果的に業績にも反映されていくように思います。

私は、経営とは「知らしめること」であると思います。

経営者は、話し上手、伝え上手でなければなりません。

伝えることがうまくいかないと、経営はうまくいきません。

経営とは伝えることであると言ってもよいでしょう。

どんなに高い志も、話が下手では伝わりません。

古今東西、人間は、伝えることにどれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう。

企業も行政も、「伝える」ために大きな費用を使い、情報産業は巨大なものに育っています。

会社として、お客様に向けては多大な費用と労力を使って伝えていますが、それと比較して会社の内部に伝えることに重きをおいている経営者は少ないのではないでしょうか。

トップの理念や考え、指示やその目的を社員に伝え知らせることは、モラールアップの最大の手段であると思います。

組織のトップは、組織を構成する人たちに徹底して自分の考えを知らせる努力をしたいものです。

情報を、バラバラでなく系統立てて伝え、それを必要とする社員が等しく共有するということをきちんとやっていれば、おのずから社員の行動様式はまとまり、モラールも向上していきます。

ガラス張りで隠しごとをしないことも、情報伝達を円滑に行うためには大事だと思います。


トヨタの元社長、張富士夫氏の素晴らしい言葉がある。

『私は「人づくり」のキーワードは、「価値観の伝承」だと思います。

つまり「ものの見方」を伝えること。

「これがいいこと」「これが大切」ということを、「現地現物」で後輩に理解させ、伝えていくこと』

どんなに高邁(こうまい)な夢や理念があろうと、それが誰にも伝わらなかったら、それは無いのと一緒。

また、素晴らしいアイデア、すぐれた商品、抜きん出た発想、なども同じこと。

価値観とは、何(どこ)に価値があるかという判断をするときの、根本となる考え方や見方のこと。

だから、価値観を伝えるということは、考え方や見方を伝えること。

「知らしめること」に全力で取り組みたい。

知らしめること|2017年6月28日人の心に灯をともす から

2017年6月28日水曜日

記事紹介|僕たちができることがあるはずだ

前回はフェイスブックの創設者であるマーク・ザッカーバーグ氏が5月末に米ハーバード大学の卒業式で行った祝辞を取り上げました。

彼は祝辞の中で「目的」の大切さを強調し、次のように語りかけました。心にとまった表現の一部を、私なりの解釈でご紹介します。


僕らは、大きな目的に向かって進むことが必要だ。大きな目的に進もうとすると、狂人扱いをされてしまう。「何をやっているのかわかっていない」と非難される。でも、事前に全部わかっているなんてことは不可能だ。ミスを恐れるあまり、何もしないでいたら、結局何もできなくなる。

僕らは僕らの世代の課題に取り組むべきだ。気候変動問題(温暖化問題)に取り組むのも、すべての病気に関する遺伝子データを集めるのも、オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化することも、やる価値がある。みなが目的を持って取り組むこと。みなが目的を持てるようにすること。それが大切なのだ。

そして、誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすることだ。

しかし今日、僕らの社会は深刻な格差の問題を抱えている。その格差のために、誰かがアイデアを実行に移すことができなかったら、それはみんなにとっての損失になる。

僕は大学を中退して何十億ドルも稼げたけれど、その間に何百万もの学生が学費ローンの支払いに困り、自分たちのビジネスを始めることができないでいる。そんな社会は間違っている。

よいアイデアを持ち、頑張って働いたからといって、誰もが成功するわけではない。運も必要になる。新しい挑戦を始められるような余地がなければ、起業は成功しない。人々が安心して起業に取り組めるような余裕が社会に必要なのだ。

誰もがミスをする。だからこそ、一度失敗したら、それで社会的に抹殺されることがない社会が必要だ。

ミレニアル世代(1980~2000年ごろに生まれた世代)にアイデンティティーを問うと、一番多い回答は国籍でも民族でもなく、「世界市民」だという調査結果があるという。

世界の人々と協力して、僕たちは世界から貧困や病気を終わらせることができる世代でもある。気候変動問題や世界的な感染症の拡散について、どの国も一国だけでは対処できない。グローバルな協力関係が必要なのだ。

人々が自分自身の人生に目的と安定を感じて生きられるとしたら、人類は、他の地域の人たちの問題について手を差し伸べることが可能になる。だからこそ、そのために僕たちができることがあるはずだ。

スピーチの秘訣とは 言葉は力強く、理想堂々と|2017年6月19日日本経済新聞 から

2017年6月23日金曜日

記事紹介|今日は、記憶の継承「慰霊の日」

沖縄は今日(6月23日)、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から72年となる「慰霊の日」を迎えました。関連記事をご紹介します。

沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで|2017年6月22日東京新聞

沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日。

人懐っこい笑顔の中に、不屈の闘志を感じさせる生涯でした。

今月12日、92歳の誕生日当日に亡くなった大田さん。琉球大学教授を経て1990年から沖縄県知事を8年間、2001年から参院議員を6年間務めました。

ジャーナリズム研究の学者として沖縄戦の実相究明に取り組み、知事時代には「絶対に二度と同じ悲劇を繰り返させてはならない」との決意から、平和行政を県政運営の柱に位置付けます。

「平和の使徒」として

敵味方や国籍を問わず戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を建立し、沖縄県に集中する在日米軍基地の撤去も訴えました。

「全ての人々に、戦争の愚かさや平和の尊さを認識させるために生涯を送った『平和の使徒』だった」。長年親交のあった比嘉幹郎元県副知事は告別式の弔辞で、大田さんの生涯を振り返りました。

大田さんはなぜ、学者として、そして政治家として一貫して平和の大切さを訴えたのでしょうか。

その原点は、大田さんが「鉄血勤皇隊」として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験したことにあります。

太平洋戦争末期、沖縄県は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の舞台と化します。当時、40万県民の3分の1が亡くなったとされる激烈な戦闘でした。

鉄血勤皇隊は、兵力不足を補うために沖縄県内の師範学校や中学校から駆り出された男子学徒らで編成された学徒隊です。

旧日本軍部隊に学校ごとに配属され、通信、情報伝達などの業務のほか、戦闘も命じられました。女子学徒も看護要員として動員され、学校別に「ひめゆり学徒隊」などと呼ばれます。

醜さの極致の戦場で

沖縄県の資料によると、生徒と教師の男女合わせて1987人が動員され、1018人が亡くなりました。動員された半数以上が犠牲を強いられたのです。

沖縄師範学校2年に在学していた大田さんも鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄守備軍の情報宣伝部隊に配属されました。大本営発表や戦況を地下壕(ごう)に潜む兵士や住民に知らせる役割です。

当初は首里が拠点でしたが、後に「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい空襲や艦砲射撃による戦況の悪化とともに本島南部へと追い詰められます。そこで見たのは凄惨な戦場の光景でした。

最後の編著となった「鉄血勤皇隊」(高文研)にこう記します。

「いくつもの地獄を同時に一個所に集めたかのような、悲惨極まる沖縄戦」で「無数の学友たちが人生の蕾(つぼみ)のままあたら尊い命を無残に戦野で奪い去られてしまう姿を目撃した」と。

多くの住民が戦場をさまよい、追い詰められ、命を落とす。味方であるべき日本兵が、住民を壕から追い出し、食料を奪う。

「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」。大田さんが自著の中で繰り返し引用する、米紙ニューヨーク・タイムズの従軍記者ハンソン・ボールドウィンの言葉です。

その沖縄戦は72年前のあす23日、日本軍による組織的な戦闘の終結で終わります。大田さんも米軍の捕虜となりました。

戦後、大学教授から県知事となった大田さんが強く訴えたのが沖縄からの米軍基地撤去です。

背景には「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦からの教訓に加え、なぜ沖縄だけが過重な基地負担を強いられているのか、という問い掛けがあります。

沖縄県には今もなお、在日米軍専用施設の約70%が集中しています。事故や騒音、米兵による事件や事故は後を絶ちません。基地周辺の住民にとっては、平穏な暮らしを脅かす存在です。

72年の本土復帰後を見ても、本土の米軍施設は60%縮小されましたが、沖縄では35%。日米安全保障条約体制による恩恵を受けながら、その負担は沖縄県民により多く押し付ける構図です。

進まぬ米軍基地縮小

95年の少女暴行事件を契機に合意された米軍普天間飛行場の返還でも、県外移設を求める県民の声は安倍政権によって封殺され、県内移設が強行されています。

そこにあるのは、沖縄県民の苦悩をくみとろうとしない政権と、それを選挙で支える私たち有権者の姿です。大田さんはそれを「醜い日本人」と断じました。

耳の痛い話ですが、沖縄からの異議申し立てに、私たちは誠実に答えているでしょうか。

慰霊の日に当たり、大田さんを偲(しの)ぶとともに、その問い掛けへの答えを、私たち全員で探さねばならないと思うのです。

(天声人語)沖縄から届いた手紙|2017年6月23日朝日新聞

釣りや演芸会を楽しみ、満開のアンズに見ほれ、内地から届く週刊誌「サンデー毎日」を回し読みする-。ある日本兵が旧満州から家族へ送った膨大な絵手紙を、那覇市歴史博物館で開催中の企画展で見た(27日まで)。

福岡市出身で陸軍野戦重砲隊員だった伊藤半次(はんじ)氏の遺品である。絵を愛する提灯(ちょうちん)職人だった。「雄大な大陸にいると短気な俺でも気が長くなる」。おどけた絵からゆったりとした兵営の日常が浮かぶ。

その数、3年間で約400通。妻をいたわり、3人の子を励ました。だが転戦した沖縄で音信状況は一変する。「少尉殿外(ほか)班長諸氏も皆元気」「お手紙を下さい」「サヨーナラ」。8カ月で3通。自慢の絵は1通もなかった。

「家族思いで筆まめな人。米軍上陸への備えや空襲、戦闘で手紙どころじゃなかったのだと思います」。孫の博文(ひろふみ)さん(48)は推理する。

沖縄戦では、特に司令部が南部に撤退した後、住民を洞窟から追い出し、食糧を奪った兵がいた。外間(ほかま)政明学芸員(49)によると、半次氏の部隊はそれ以前に首里近辺で壊滅的な打撃を受けていた。生き残った兵は雨と泥に耐えて南下し、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘付近で戦死したとみられる。

今年もまた、沖縄慰霊の日を迎えた。摩文仁の丘を訪ねると、戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に伊藤半次の刻銘があった。最期に目にしたのは砲弾の嵐か、それとも焼き払われたサトウキビ畑だったか。愛する家族のもとに戻れなかった天性の画家の無念をかみしめた。

(社説)沖縄慰霊の日 遺骨が映す戦争の実相|2017年6月23日朝日新聞

沖縄はきょう、先の大戦で亡くなった人たちを悼む「慰霊の日」を迎える。

米軍を含めて約20万人が命を落とした。うち一般県民9万4千人の犠牲者とその遺族にとって、ささやかな、しかし意義深い政策の見直しがあった。

厚生労働省が、死者の身元を特定するための遺骨のDNA型鑑定を、今年度から民間人にも広げると発表したのだ。塩崎厚労相は4月の国会で、「できるだけ多くの方にDNA鑑定に参加をいただいて、一柱でも多くご遺族のもとにご遺骨をお返しできるように最大限の努力をしたい」と答弁した。

遅すぎた感は否めないが、この方針変更を歓迎したい。

DNA型鑑定は2003年度に導入された。しかし、遺骨の発見場所や埋葬記録などがある程度わかっていることが条件とされたため、対象は組織的に行動していた軍人・軍属らに事実上限られてきた。

事情はわからないでもない。だが「軍関係者限り」とは沖縄戦の実相からかけ離れた、心ない対応と言わざるを得ない。

沖縄ではいまも、工事現場や「ガマ」と呼ばれる洞窟などから、多くの遺骨が見つかる。それは県土、とりわけ中部から南部にかけての広い範囲が戦場になったことの証しである。

72年前の4月1日の米軍の本島上陸以来、凄惨(せいさん)な地上戦が繰り広げられた。兵士と市民が入り乱れ、各地を転々とし、追いつめられ、亡くなった。親族がどこで命を落としたのか分からないと話す県民は多い。

長年、遺骨収集を続けてきたボランティアたちが「国はすべての遺骨と希望者について鑑定を行うべきだ」という声を上げるのは当然である。

もっとも、焼かれてしまった骨からDNAを検出するのは難しいとされ、糸満市摩文仁(まぶに)の国立戦没者墓苑に眠る18万5千柱の多くは対象にならない。当面は、13年度以降に見つかった600柱余の未焼骨のうち、10地域の84柱について鑑定を進めるという。希望する遺族からDNAを提供してもらい、骨と比較する手法をとる。

大臣答弁のとおり、少しでも多くの遺骨を返すため、厚労省をはじめ関係機関は幅広く遺族に呼びかけ、対象地域も順次拡大していってほしい。その営みが、戦争の真の姿を次世代に伝えることにもつながる。

沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えていくための土台となる。

きょう沖縄慰霊の日 「不戦の誓い」を語り継ぐ|2017年6月23日毎日新聞

沖縄はきょう「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍と日本軍との組織的な戦闘が終結した日である。

日本軍が本土防衛の時間稼ぎのために持久戦を展開し、日米の軍人と民間人約20万人が犠牲になった。

それから72年。今年も最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

嵐のような砲爆撃や住民の集団自決など「ありったけの地獄を集めた」と表現された沖縄戦の惨劇を記憶にとどめ、語り継ぐ糧にしたい。

「二度と戦争をさせない、沖縄を戦場にさせない、と誓った」。12日に92歳で亡くなった大田昌秀(まさひで)・元沖縄県知事は生前こう語っていた。

学徒動員で鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)に加わり、壮絶な地上戦を目の当たりにする。米軍は猛烈な砲撃を浴びせ、日本兵が住民に銃を突きつけた。

知事時代の1995年、沖縄戦犠牲者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を平和祈念公園に建立した。

軍民や国籍を問わず戦没者を慰霊するのは、戦争に勝者はいないという思いからだ。その原点は、沖縄戦の経験にある。

沖縄戦には未解決の課題もある。遺族が高齢化するなか、戦没者遺骨の特定が進んでいない。

厚生労働省は軍人・軍属に限ってきたDNA鑑定を今夏から戦没者の半数を占める民間人にも広げる。

戦没者遺骨の収集を「国の責任」と位置付けた法制定を受けた対応だ。戦後70年余を経ての方針転換であり、遅すぎた感は否めない。

もともとDNA鑑定による特定には困難が伴う。沖縄県内では18万柱超の遺骨が収集されたが、身元が判明したのはごくわずかだ。

対象区域も限定されている。戦没者には朝鮮や台湾の人も含まれるという。将来は希望するすべての遺族を対象とすべきだ。

過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ。27年間の米統治後も基地の返還は進まず、今に至っている。

政府が「反基地」の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう。

沖縄戦の記憶は原爆投下とともに日本の平和主義の立脚点の一つになっている。その認識を改めて国民全体で共有したい。

「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」|2017年6月23日山陽新聞

題名は軽妙だが、その問いの意味は重い。沖縄の地方紙・沖縄タイムスがこの春出版した「これってホント!? 誤解だらけの沖縄基地」である。

沖縄に偏っている米軍基地はなかなか縮小されない。「とはいえ、基地のおかげで経済が成り立っているでしょ」「でもね、中国の脅威とは切り離せないよ」。縮小を阻む、そんな「とはいえ」「でもね」に対して反証している。

例えば基地経済はどうか。従業員の所得や軍用地料、米軍関係者の消費など関連収入は県民所得の50%を占めたころもあったが、1972年の本土復帰時は15%、今は5%に低下している。代わりに観光収入が伸びているが、基地はその拡大やまちづくりの足かせになっているという。

そうした現状はあまり知られていないだろう。基地問題が進展しない背景には、本土の理解、関心のなさもあるに違いない。

沖縄県が早期返還を求める普天間飛行場(宜野湾市)の場所にはかつて集落や畑、役場があった。それを太平洋戦争末期、沖縄に上陸した米軍が占領して基地を建設し「銃剣とブルドーザー」で拡張していった。その歴史もどれだけ受け止められているだろうか。

きょうは、72年前の沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる慰霊の日だ。失われた命を追悼するとともに、沖縄が戦後味わった不条理に思いをはせたい。

<金口木舌>事実は伝わる|2017年6月23日琉球新報

「カンポウシャゲキがね」-。幼い頃、沖縄戦を体験した家族や先生から話を聞く機会があった。言葉の意味も知らなかったが、暗く恐ろしいイメージは心に刻まれた。

戦後72年がたち体験者が減る中、沖縄戦の継承が課題となっている。伝える難しさはもちろんのこと、平和教育への無理解や“圧力”もある。沖縄戦の授業を記事で紹介した際、ネット上で取り組みへの中傷の書き込みを目にしたこともある。

別の機会に「命の尊さを伝えたい」という園長の姿勢に共感し、保育園の平和学習を取材した。園児がヘルメットをかぶり、ガマ(壕)を見学する記事と写真を見た人から園に「危ない。園児がかわいそう」との電話があったという。

果たして「かわいそう」なのだろうか。くすぬち平和文化館(沖縄市)で読み聞かせを続ける真栄城栄子さんは「大切なのは、残酷でも事実を伝えること」と強調する(9日付12面)

7歳の子の沖縄戦体験を描いた「つるちゃん」の紙芝居を見せ、恐怖感でいっぱいの子どもたちにこう言うそうだ。「大丈夫。最後は親が子を守ってくれる。みんなが平和に生きられるように、大人は頑張るからね」

4歳児から「戦争は勝ってもだめ、負けてもだめ」の言葉があったという。きょうは「慰霊の日」。子どもたちの力を信じ、平和をつないでいこう。事実はきっと心に届く。

沖縄慰霊の日 憲法は届いているのか|2017年6月23日北海道新聞

沖縄はきょう、戦没者を追悼する慰霊の日を迎える。

72年前、「鉄の暴風」と呼ばれた壮絶な地上戦で日米合わせて20万人を超す命が失われた。このうち沖縄の住民の死者は9万4千人といわれている。

平和への誓いを新たにするこの日を前に、沖縄の米軍基地問題を全国に訴え続けた元県知事の大田昌秀氏が92歳で死去した。

大田氏は、平和主義や基本的人権の尊重をうたう憲法の理念が沖縄に届いているのかという憤りを、常に語っていた。

平和憲法の下にある日本へ復帰したはずの沖縄には、今も米軍基地が集中している。

返還される普天間飛行場の移設先とされてしまった名護市辺野古では、政府による力ずくの新基地建設が始まった。

憲法より日米安保体制が優先されるかのような現実が、この島にある。全ての国民がそこに目を向けなければならない。

国土面積の0.6%しかない沖縄には、全国の米軍専用施設面積の70%が存在している。

昨年12月の北部訓練場約4千ヘクタールの返還によって、それ以前の74%からはわずかに減少した。

政府はそれを、基地負担の軽減が進んだとして「成果」を誇っている。

だが、返還条件として訓練場の残る区域に6カ所のヘリパッドを建設し、新型輸送機オスプレイを運用させる。騒音被害や事故の懸念はむしろ深刻化するだろう。

オスプレイは半年前、名護の海岸に落ちる事故を起こしたが、日本側の捜査は日米地位協定の壁に阻まれた。

「自分の空でありながら、自分の海でありながら、自分の土地でありながら自由に使えない」

大田氏が講演でこう語ったのは、知事在任中の1994年のことである。

沖縄を取り巻く状況はその後も基本的には変わらず、国への異議申し立ての声は強まっている。

普天間の辺野古移設を巡り、政府は4月に護岸工事を強行した。これに対し翁長雄志(おながたけし)知事は、新たに国を相手取り工事差し止めの訴訟を起こす方針を表明した。

基地をたらい回しするなという主張を真摯(しんし)に聴こうとしない政府に対抗するための、やむにやまれぬ措置だろう。

追悼式典には安倍晋三首相も出席する。負担は軽減されていないという事実を直視し、沖縄の声に耳を傾ける機会とすべきである。

沖縄慰霊の日 本土も痛みを共有したい|2017年6月23日徳島新聞

多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の沖縄戦が終結して72年を迎えた。

沖縄戦では、上陸した米軍と日本軍が住民を巻き込んで激戦を展開し、日米双方で計20万人以上が死亡した。

沖縄県民の4人に1人が亡くなるという悲惨な戦いで、日本軍は住民に対し、集団自決を強制したり、スパイ容疑をかけて虐殺したりした。この惨禍を決して忘れてはなるまい。

きょうは沖縄慰霊の日だ。日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれる。犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしたい。

公園にある平和の礎(いしじ)には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなった人の名が刻まれている。建立したのは、沖縄県知事を2期8年務め、米軍基地問題の解決を訴え続けた大田昌秀氏だ。

大田氏は12日に92歳で亡くなったが、沖縄戦での体験を原点に、沖縄から平和の重要性を発信し続けた。遺志をしっかりと受け継いでいかなければならない。

しかし、大田氏が尽力した基地問題は、いまだ解決の糸口すら見いだせない。

沖縄では、在日米軍専用施設の約70%が集中している。普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、さらなる基地負担に反発する県や住民と、それらの声に耳を貸さずに工事を進める国との対立は先鋭化している。

沖縄県は20日、移設工事で国が県規則に定められた翁長雄志(おながたけし)知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法だとして、工事の差し止め訴訟を起こすための関連議案を県議会定例会に提出した。

「世界一危険」とされる普天間飛行場の移設は欠かせないとはいえ、移設先は沖縄しかないのか。

反対を強く訴え続けても、聞き入れてもらえない。その不条理に県民が怒るのは当然である。

沖縄の民意は明らかなのに犠牲と負担をいつまで強いるのか。政府は県民の声を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

本土復帰から45年が経過したが、復帰後も県民が求めた「本土並み」には程遠い。それどころか、基地絡みの事件事故が続発している。

1995年に米兵が女子小学生を集団で暴行し、2004年には沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した。

戦争中、沖縄は本土の「捨て石」とされたが、今の状況はどうか。

翁長氏は、きょうの式典で読み上げる平和宣言に、昨年末の米軍新型輸送機オスプレイ事故などを引き合いに米軍訓練の在り方を批判する内容や、大田氏の功績をたたえる文言を盛り込む方針だ。

沖縄の現状を、本土で暮らす私たちの問題として深く考える必要がある。痛みを共有したい。

沖縄慰霊の日 大田元知事が残した問い|2017年6月23日西日本新聞

6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。沖縄戦の組織的戦闘が終結したこの日にちなみ、沖縄県糸満市の平和祈念公園できょう、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

慰霊の日に先立つ今月12日、沖縄の戦争と戦後を体現する人物がこの世を去った。沖縄県知事を務めた大田昌秀さんである。

大田さんは沖縄県久米島に生まれ、学徒でつくる「鉄血勤皇隊」に動員された。情報伝達のため戦場を駆け回り、多くの学友が命を失う中で、九死に一生を得た。

大田さんは沖縄戦のさなか、日本兵が守るべき沖縄の住民を壕(ごう)から追い出すのを目撃したという。「(食い下がる住民を)下士官たちは、軍刀で突き飛ばさんばかりに押しのけ『うるさい、勝手にしろ』とわめき立てるのであった」(著書「沖縄のこころ」より)

戦争の醜さ、軍への不信、そして沖縄が本土の「捨て石」にされる理不尽-。沖縄戦の経験が、大田さんの活動の原点となった。

研究者から知事に転身し、米兵による少女暴行事件が起きると、知事権限を駆使して政府に基地縮小を迫った。国籍を問わず沖縄戦で命を落とした人々の名を刻む「平和の礎(いしじ)」建設にも尽力した。沖縄を「基地のない平和な島」にするのが大田さんの目標だった。

残念ながら今なお沖縄には全国の米軍専用施設の約70%が集中する。政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、県民の反対を押し切って工事を進めている。北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出もあり、地理的要衝の沖縄に展開する米軍の抑止力維持は重要-というのが政府の論理だ。

しかし、基地の集中はそれだけ沖縄が相手から攻撃される可能性を高める。大田さんは辺野古移設を「政府は沖縄を捨て石にし、今日に至っている」と批判した。

晩年の大田さんは、戦争体験のない議員が安全保障問題を議論することに懸念を抱いていた。沖縄戦から何を学び、将来にどう生かすか。大田さんが残した問いを受け止め、考え続けたい。鎮魂の日に改めてそう思う。

<社説>慰霊の日 新たな「戦前」にさせない|2017年6月23日琉球新報

糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔に向かう約150メートルの通路は階段が続き、お年寄りには長く険しい。子や孫に両脇を支えられながら、つえを突きながら、慰霊祭へ一歩一歩足を運ぶ光景も、年を追うごとに少なくなってきた。

師範鉄血勤皇隊の生存者として、一昨年、昨年と出席していた大田昌秀元知事の姿も今年はもう見られない。

沖縄戦体験者は県人口の1割を切ったとされる。激烈な地上戦から生き延びた方々から証言を聞ける時間は、確実に残り少なくなっている。

沖縄戦から72年、慰霊の日が巡ってきた。体験者が年々減る中、次世代へどう継承していくか模索が続く。一方で政府は世論の反対をよそに戦争ができる国づくりへと法整備を進める。多くの国民の命を奪った国策の誤りを二度と繰り返させてはいけない。

今年は沖縄戦継承に大いに貢献する「沖縄県史各論編6 沖縄戦」が発刊された。1970年代刊行の旧県史は、それまでの軍人中心の記録を住民史観に転換させた。新県史は「障がい者」や「ハンセン病」「戦争トラウマ」など弱者にも光を当て、「基地建設」など今日的課題にも言及した。沖縄戦研究の集大成であり、大田氏ら第一世代から中堅若手の研究者に引き継がれていることは頼もしい。

沖縄戦は決して歴史上の出来事だけではない。今につながる米軍基地問題の原点であり、不発弾や遺骨収集、戦争トラウマなど、今を生きる私たちにも影響する問題だ。

今年の慰霊の日は「共謀罪」法が強行成立した中で迎えた。民主主義の手続きを放棄し、数の力で押し切るやり方は権力の暴走だ。

2012年の第2次安倍政権発足以降、国家主義の色濃い政策が推進されている。

13年の国家安全保障会議(日本版NSC)創設、特定秘密保護法成立、14年の武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権の行使容認、15年の日米防衛協力指針(ガイドライン)再改定、安全保障関連法成立と、日米同盟強化や政府権限拡大につながる政策だ。

最終目標は憲法9条見直しだろう。軍隊と警察を強くし国家権力を強める。個人の権利を制限し、国益を優先させることを許してはならない。

沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。

政府は今も、沖縄で国策優先の辺野古新基地建設を強行している。大のために小を切り捨て、沖縄に犠牲を強いる構図は当時と変わらない。

戦前の空気が漂う中、戦争につながるあらゆるものを拒否し、今を新たな「戦前」にはさせないと改めて決意する日としたい。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を胸に刻み、この地を二度と戦場にさせてはいけない。

社説「きょう慰霊の日」聴くことから始めよう|2017年6月23日沖縄タイムス

それぞれの場から「沖縄戦」を発信し続けた偉大な先輩たちが、ことし相次いで泉下の人となった。

戦争の惨禍や平和への思いをうちなーぐちによる一人芝居で表現した女優の北島角子さん。土着の視点で、戦争のおぞましさや民衆のたくましさを描いた版画家の儀間比呂志さん。沖縄戦で級友を失った体験を原点に、平和行政と基地問題解決に心血を注いだ元知事の大田昌秀さん。

戦前・戦中・戦後と激動の沖縄現代史を生き抜いた人たちが一人また一人と旅立っていく。時代の変わり目だけに喪失感は深い。

沖縄戦は記憶の継承という点から大きな曲がり角に差し掛かっている。

現実に子どもたちが戦争を学ぶ機会も減りつつある。

戦争の被害や生き残った人たちの証言などを伝える県平和祈念資料館。県内小中高校の利用は、2000年度の368校から16年度は224校に減った。

ひめゆり学徒の体験を伝えるひめゆり平和祈念資料館も県内小中高校の来館数が、16年度は72校とピーク時の半分まで落ち込んでいる。

ここ数年、学校現場では学力向上の取り組みが優先され、校外学習行事を減らす傾向にあるのだという。

この世代は、親だけでなく祖父母もほとんどが戦争を知らない。身近に体験を語る人がなく、学校も平和学習に時間が割けないとしたら、沖縄戦体験は風化し、平和への意識は希薄化する。

鉄血勤皇隊として戦場をさまよった大田さんは、「おもろさうし」研究の第一人者・故外間守善さんとともに、終戦から8年後の1953年「沖縄健児隊」を世に問うた。

外間さんは同著の序文で「彼等は永遠に黙している。しかし彼等は永遠に語っているのだ。その声を取りつぐのが私たち生かされたもののただ一つの義務」と記す。

大田さんの訃報に接してあらためて感じたのは、10代の多感な年頃に戦場に動員された「学徒隊」の人々の語り部としての存在の大きさである。

戦前、沖縄には師範学校や中等学校が21校あり、全ての学校の生徒が戦場に駆り出され、多くの命を失った。大田さんらは犠牲となった級友に代わって沖縄戦の実相を伝えてきたのだ。

しかしその語り部たちも一人、二人と鬼籍に入り、沖縄戦継承は非体験者のバトンリレーという新たな段階を迎えつつある。

アーティスト・山城知佳子さんの「あなたの声は私の喉を通った」は、戦争を体験した高齢者の語りを、自身の姿に重ね、再現した映像作品である。証言の持つ重みを引き受け、他者の感覚に近づこうとする試みだ。

ひめゆり資料館が進める戦後世代による語りも、継承の課題に真正面から取り組む。海外の平和博物館を訪ねるなど在り方の模索も続く。

きょうは「慰霊の日」。

戦争を学ぶ努力を放棄すれば風化は加速する。体験者から話を聴くことができる最後の世代として、歴史を伝達する重みを胸に刻みたい。

「沖縄慰霊の日」 残された深い傷跡|2017年6月23日NEWS SALT

沖縄には、8月15日とは別の終戦記念日がある。「沖縄慰霊の日」。

6月23日は沖縄で、第2次世界大戦の組織的戦闘が終結した日だ。沖縄戦の司令官として赴任していた牛島満(1887~1945)が参謀とともに1945年6月23日未明に自決したとされ、戦後この日が慰霊の日と定められた。沖縄県では1991年から正式な祝日となっている。

沖縄は第2次世界大戦下の日本において、国内唯一の地上戦があった場所だ。沖縄戦は1945年3月26日に始まり、6月23日に組織的戦闘が不可能になるまで約3カ月に渡って米軍との死闘が繰り広げられた。この戦闘で一般住民10万人を含む約20数万人が亡くなったとされている。1940年の国勢調査では沖縄の人口は約57万5000人だったという記録から、およそ5人に1人が亡くなっている計算になる。

沖縄戦の中でも特に悲惨なこととして語られるのは、「集団自決」だ。日本軍は「生きて捕虜の辱めを受けず」という言葉を広め、沖縄の人々に捕虜になる前に自決するよう働きかけた。住民には日本軍から手榴弾が配布され、民間人も家族や近しい人たちとともに自決を強いられるという悲劇が沖縄各地で起き、そのことが戦死者の数を押し上げている。さらに戦後、1945年から1972年までの27年間、沖縄は米軍の統治下におかれることになる。もともと旧日本軍の施設のあった土地を利用して駐屯していた米軍は、朝鮮戦争やベトナム戦争の際に沖縄を利用し、民間の土地も強制的に接収していくようになった。72年に沖縄の日本返還は実現するが、返還協定に基地撤去は盛り込まれなかった。現在も多くの米軍兵が沖縄に駐屯しており、在日米軍基地の7割以上は沖縄にある。

沖縄本島の南端にある糸満市いとまんし摩文仁まぶにに、沖縄平和祈念資料館がある。ここは日本軍が追い詰められ、沖縄戦最後の砦となった場所だ。牛島が自決した摩文仁の丘もここにある。この場所に、「平和の礎」と呼ばれる記念碑があり、国籍、そして軍人か民間人かの区別なく、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前が刻まれている。メインの通路は慰霊の日の日の出の方位に合わせられている。平和の礎には今も、訪れる人が手向ける生花が後を絶たない。戦争の深い傷跡とその痛みとともに今も生きる沖縄。6月23日が「終戦の日」と呼ばれず「慰霊の日」であることからも分かるように、沖縄の「戦争」はまだ終わっていない。

鎮 魂



2017年6月16日金曜日

改めて悟れ、文科省の覚悟を

初代文部大臣森 有禮(もり ありのり)が職員の心構えを記した「自警」

自警

文部省ハ全国ノ教育学問ニ関スル行政ノ大権ヲ有シテ其任スル所ノ責随テ至重ナリ 然レハ省務ヲ掌ル者ハ須ラク専心鋭意各其責ヲ盡クシテ以テ学政官吏タルノ任ヲ全フセサル可カラス 而テ之ヲ為スニハ明ニ学政官吏ノ何モノタルヲ辨ヘ決シテ他職官吏ノ務方ヲ顧ミ之レニ比準ヲ取ルカ如キコト無ク一向ニ省務ノ整理上進ヲ謀リ若シ其進ミタルモ苟モ之ニ安セス愈謀リ愈進メ 終ニ以テ其職ニ死スルノ精神覚悟セルヲ要ス
明治19年(1886)1月 有禮自記

(解釈)
 
文部省は、全国の教育学問に関する行政の大権を有しているので、その責任は大変に重いものである。
したがって、文部省の職務を担当する者は、専心誠意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政官吏の任をまっとうしなければいけない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政官吏であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、ある程度になったからといっても満足しないで、もっと、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。

記事紹介|国立大学の将来像

提言の趣旨

  • 本提言は、我が国及び世界の高等教育の歴史と現状、高等教育を取り巻く社会構造の変化について確認し、我が国における今後の高等教育の一層の重要性を強く再認識した上で、将来の我が国の高等教育全体の在り方を考察し、その中で国立大学に求められる使命を確認して、自らの将来像を提言し、その実現に向けた方策を示すものである。
  • 特に重要と考えるポイントは、将来の国立大学の方向性について、①全国的な高等教育機会の提供及び今後の地域・地方活性化の中核として期待される役割を踏まえること、②高い水準の研究を推進し、大学院の充実を基盤とした高度の教育研究を国際的競争力を持って展開すること、③産業界及び自治体との連携を強化し、地域との教育研究両面における本格的な協働による社会のイノベーションを先導すること、④優れた日本型教育システムの輸出を含む国際貢献を強化すること、を示した上で、⑤これらを支える大学運営・経営の効率化と基盤強化を図るために、「全国各都道府県に国立大学を置く」との原則を維持しつつ、各種大学間等の多様な経営的な連携・融合の在り方について、今後検討すべきモデルを提示したことである。


国立大学の今後の使命とその実現のステップ

  • 国立大学は、今後、少なくとも10数年後以降の将来(2030年頃)の我が国と世界が直面する状況を把握した上で、それまでに、①現在の国立大学が持つ機能を最大限に発揮できる環境を整備しつつ(国立大学の機能の最大化)、②将来の状況に対応できる準備を確実に進める必要がある(将来に向けての準備)。
  • 「国立大学の機能の最大化」とは、新たな価値創造の基盤となる先進的な研究の高度化と地域や産業界の変革や成長分野を切り拓きイノベーション創出を牽引できる人材を育む教育の充実である。
  • 「将来に向けての準備」とは、留学生や社会人を含む多様な入学者の受入れ拡大と教育の充実のための国立大学総体としての連携・協働、経営力の強化と国・地域・産業界等からの戦略的な投資の呼び込みなどである。


国立大学の将来像

教育

  • 学部・大学院教育においては、学士・修士・博士などの学位に着目したプログラムの体系的整備と学生の大学間の流動性の向上、大学間や地域・産業界とも連携した教養教育や学生の主体的学習を含む実践活動・課外活動の充実を推進する。
  • 特に大学院については、各大学の状況に応じ規模の拡充を図り、産業界と一体になった人材育成、社会革新をリードする自然科学系大学院はもとより人文・社会科学系大学院の強化、公私立大学を含む大学教員の養成、社会人を含む入学者の多様性拡大と流動性向上を推進する。
  • 初等中等教育の教員養成の高度化に対応するため教員養成課程の再編も含めた機能の強化・充実、教職大学院の拠点としての役割・機能の明確化を図る。
  • 入学者選抜については、高大接続システム改革を着実に実現するとともに、国立大学全体としての統一的な入学者受入れシステムを構築することを目指した抜本的な改革の在り方を検討する。


研究

  • 各専門分野の深く先鋭的な基礎研究に加えて、学部・研究科等の枠を越えた柔軟な組織を整備し、学際・融合分野の研究を推進する。また、各大学が強みを持つ分野を核とした他大学・研究機関とのネットワークを形成して、幅広い優れた研究者が交流・結集できる拠点を形成する。
  • 若手研究者を積極的に採用し、スタートアップ支援やテニュアトラック制の導入により、明確なキャリアパスの見通しを持って、研究に専念できる環境を整備する。また、大学・研究機関のネットワークを通じて、研究者の流動性を向上させる。
  • 女性研究者について、ライフイベントに応じた支援体制や環境整備を行いつつ、積極的な採用・登用を推進する。
  • 民間企業の研究者や海外の優れた研究者を、年俸制やクロスアポイントメント制を活用して積極的に招聘・採用する。


産学連携・地域連携

  • 教育面においては、インターンシップなどにより学生に幅広い学びの場を提供し、キャリア意識とアントレプレナーシップ(起業家精神)の形成を図るとともに、産業界や地域との共同による教育プログラムを開発する。
  • 教職員の産業界との人事交流を推進し、産学連携共同教育・研究への意識を高めるとともに、新たな視野と刺激をもたらし、更に大学マネジメントに関する能力開発を進める。
  • 研究面においては、特に産学連携共同研究について組織ベースを基本とし、大学としての戦略に基づいた大規模で長期間にわたる継続的な共同研究を推進する。また、企業・産業横断的な課題について、大学・研究機関のネットワークと企業群が共同して、文理融合によりオープン・イノベーションにつながる研究を推進する体制を構築し、その支援のための基金を創設することも検討する。
  • 地域との関係においては、各地方自治体における地域創生プラン等の立案に積極的に参画し、その核となる地域の特色を生かしたイノベーションの創出に向けて、地方自治体や地域の産業界と連携した人材育成と共同研究を推進する。また、地方自治体との連携の下に、地域の国公私立大学の連携協働の取組を推進する。


国際展開

  • 学生交流については、海外からの学部留学生受入れのための国立大学総体としての統一的なシステムの導入の検討、英語による学位取得プログラムの拡充と日本語・日本文化教育やインターンシップの提供による日本企業への就職支援、大学院を中心としたダブル・ディグリーやジョイント・ディグリーのプログラムの拡充を進める。
  • 研究交流については、若手研究者や大学院生に対する海外における長期間の研究機会の確保、大学としての戦略に基づく組織的な国際共同研究を推進する。
  • 海外との交流拠点・ネットワークについては、複数大学による交流拠点の共同利用を推進し、国立大学全体としての活用を進めるとともに、複数大学のコンソーシアムによる海外の大学との交流協定締結と交流活動の実施を推進する。
  • 海外からの国際協力の要請に対して、国立大学が連携・協働して対応する体制を構築し、案件ごとに関係大学がコンソーシアムを形成して、役割分担等を調整して協力できるようにするとともに、特に我が国の外交政策上の課題でもある日本型教育システムの輸出については、国立大学全体として積極的に役割を分担して対応し、教員養成系大学が連携して留学生が過半数を占めるような教員養成プログラムを展開することも検討する。


規模及び経営形態

  • 国立大学全体の規模は、留学生、社会人、女子学生などを含め優れた資質・能力を有する多様な入学者の確保に努めつつ、少なくとも現状程度を維持し、特に大学院の規模は各大学の特性に応じて拡充を図るとともに、学部の規模についても、進学率が低く国立大学の占める割合が高い地域にあっては、更に進学率が低下することのないように配慮する。
  • 全都道府県に少なくとも1つの国立大学を設置するという戦後の国立大学発足時の基本原則は、教育の機会均等や我が国全体の均衡ある発展に大きく貢献してきたものであり、この原則は堅持する。
  • 国立大学の1大学当たりの規模については、スケールメリットを生かした資源の有効活用や教育研究の高度化・シナジー効果を生み出すために、規模を拡大して経営基盤を強化することを検討する。このため、アメリカのカリフォルニア大学システムやフランスの複数大学による連合体の成果や課題を参考にしながら、全都道府県に独立性・自律性を持った国立大学(キャンパス)を維持しつつも、複数の地域にまたがって、より広域的な視野から戦略的に国立大学(キャンパス)間の資源配分、役割分担等を調整・決定する経営体を導入することを検討する。
  • また、附属病院及び附置研究所について、大学との緊密な連携を確保しつつも、その経営の独立性・自律性を高める観点から、国立大学法人の独立した事業部門としての位置付けをより明確にするなどの方策についても検討する。
  • 附属学校については、少子化や多様な教育課程への対応を踏まえ、地域の状況や各学校の機能にも留意しつつ、教員養成大学・学部の機能強化につながるように、その組織・運営形態を含めた適切な制度設計を検討する。


マネジメント

  • 国立大学の学長は、経営と教学のすべてを統括するものであるが、資源の有効活用や新たな資源の獲得などの困難な経営上の課題に対応するため、経営に関する高度な専門的知識・経験を有する人材の経営担当理事・副学長としての活用などを進める。
  • 学長をはじめとする国立大学の将来の経営層を育成するシステムや研修プログラムを、国立大学の共同により構築する。
  • 変化する社会のニーズや学術の進展に対応して、教育プログラムや研究プロジェクトを柔軟に編成するとともに、学際・融合分野にも機動的に対応できるようにするため、教育組織と教員組織の分離などの望ましい組織の在り方を検討する。
  • 教育研究の活性化を図り、教員のモチベーションを高めるため、各教員のエフォート管理、業績評価、処遇への反映等の適切な制度の在り方を検討する。また、民間企業や海外の大学等を含めて人事交流が実効的に促進されるようにするため、年俸制やクロスアポイントメントを含む制度設計についても、国立大学全体で連携・協働して検討・普及を進める。
  • 事務職員等の職員の企画力や専門性の向上を図るとともに、URA等の専門職の位置付けを明確化するため、国立大学が連携・協働して人材の育成・活用方策や望ましい制度の在り方を検討する。
  • 経営の効率化とIR機能の強化による教育研究の向上や経営戦略の立案を進めるため、各種の基盤システムを統一化し、クラウドサービスを利用して国立大学全体で連携・協働して維持・運用することを検討する。
  • 財源の確保と多様化のため、産業界との組織的で大規模な共同研究の拡充と間接経費の確保に努めるとともに、複数大学のネットワークによる共同研究やキャンパス内への企業の研究拠点の誘致を進める。また、寄附金については、税額控除制度を活用して修学支援基金の拡大に努めるとともに、税額控除の対象範囲拡大などを求めていく。


今後の検討の進め方

  • 我が国の高等教育全体の将来像の検討に当たっては、国公私立大学のそれぞれが描く独自の将来像を尊重しながら、国公私立の間での率直かつ緊密な討議を行うとともに、広く社会の各方面との意見交換を進めていかなければならない。
  • 今回の提言は、それらの真摯な議論の端緒となることを期待して示したものであり、各方面の忌憚のないご意見を期待するとともに、提言の深化・発展を図るべく検討を継続していきたい。

高等教育における国立大学の将来像(中間まとめ)(概要)|国立大学協会

2017年6月15日木曜日

記事紹介|沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重み

沖縄に国吉勇氏という方がいらっしゃる。60年以上にわたってガマと呼ばれる洞窟(沖縄戦中に防空壕や病院壕などとして沖縄県民・日本軍などに使用されていた)に潜り、たった一人で遺骨・遺品を収容してこられた方である。戦後70年以上が経過した今、私たちは国吉氏の活動を未来に継承できるかどうかの岐路に立たされている。若者として自分は何が出来るか、私見を述べさせて欲しい。

"Most ignorance is vincible ignorance. We don't know because we don't want to know."(拙訳:大半の無知は克服可能だ。我々が知らないのは、知りたくないからである。)

引用したのはイギリス出身の作家オルダス・ハクスリーの金言である。私たちは知らぬ間に不都合な事実を看過し、独善的な無知へと堕落していく。そのような無知は他者にとって極めて暴力的なものになり得る-1年半前に沖縄を訪れたとき、私はそう痛感した。

2015年冬、私は国吉勇氏の戦争資料室を訪れた。そこには十数万点にも上る遺品が保管されている。陶器製地雷・炭化米・曲がった注射器・杯... 異様で不気味な遺品の数々を鷹揚に手に取りながら、国吉氏は私に各々の遺品の説明をして下さった。

「地雷が陶器で出来ているのは鉄が足りなくなったから。日本軍は兵站を軽く見ていたんよ。」

「米が焦げてるのは火炎放射器のせい。アメリカが壕の中に火炎を放ったでしょ? そのせいで食べ物は炭になるし、ガラスは融けて曲がる」

「日本軍の陣地にいた兵士が切り込みを命じられたとき、死を覚悟して酒を呷った時の杯だと思う。天皇陛下万歳って叫びながらね...」

一言一言をかみしめつつ、虚空を向いて物語る国吉氏をじっと見ていると、まるで彼の境界線が融け遺品と混じり合うかのような印象に取り憑かれる。遺品から読み取られる事実を淡々と語る彼の言葉からは、沖縄戦の苦しみの中で尊い命を失うことになった多くの魂が遺品に託した怨言と内省がにじみ出ているのだ。全体主義に狂乱し、浅薄な作戦に組み込まれ、最後は国体護持のための捨石として総勢20万人が命を落とす苛烈な地上戦の舞台となった沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重みに、私はただ絶句するばかりだった。

国吉氏のお話を伺うまで、私は沖縄戦の被害の甚大さをほとんど知らなかった。沖縄の方々がどのように戦争に巻き込まれ、どのような苦難を味わったのかについて、思いを致したこともなかった。「毎日どこかの壕で遺品は出るから」と語る国吉氏のお言葉を聞いて、私は初めて、沖縄戦は本当に終焉した訳ではないのだと気づかされた。

無知とは暴力的なものだ。私のように沖縄県外に住む者が概して持つ沖縄に対する無知は、深刻な無意識的差別を生み出している。沖縄戦の歴史を知らぬまま(結果、沖縄の怒りの原因を理解せぬまま)、当事者の沖縄を差し置いて基地問題を軽々に議論する我々の姿勢がその顕著な例である。冒頭のハクスリーの言葉を思い出して欲しい。

私たちは沖縄のことを知れないのではない。学ぶのを避けているだけだ。「本土」が沖縄に強いた惨烈な仕打ちに目を向けたくない、という防衛機制である。国吉氏の遺品を見、彼の話を聞いた私は、自分のこれまでの態度を反省するほかなかった。

国吉氏に今、時間の経過という悪魔が襲っている。昨年3月31日には遺骨/遺品収容から引退され、その後急速に物忘れが進行している。「国吉氏が遺品の話が出来るのも、あと1~2年だろう」と彼の周囲の人々は漏らす。

これまで国吉氏が収容された遺品に関する調査はほとんど行われなかったため、各々の遺品がどこで、どのように見つかり、そこから何を読み取るべきか、知っているのは国吉氏しかいない。国吉氏が話せなくなると共に、遺品の声なき声を聞き取り語ることの出来る人はいなくなる。

遺品は、沖縄戦の状況、特にその持ち主の視点から見た沖縄戦中の生活史を研究する上で貴重な材料となる。さらに、適切な解釈と共に見せられれば、戦争体験者本人の肉声として見る者に迫り、地上戦の醜悪さをまざまざと見せつける。戦争経験者が年々減少し、戦時中の事情をリアリティをもって検証・継承することが難しくなる中、遺品が人々に沖縄戦の実相を伝え沖縄への無知・無思考から脱却させるのに果たしうる潜在的可能性は大きい。時間が遺品の声を聞き取れなくするのを、拱手傍観する訳にはいかない。

そこで、私は国吉氏への集中的なヒアリングを行い、彼が話せるうちに遺品に関する様々な情報を聞き取り、保存する活動を行うことに決めた。その情報は誰でも閲覧できる形で保存すると共に、定期的に遺品の展示会を通して人々に発信していくつもりだ。既に来る6月23日(金)~6月25日(日)には福島県いわき市の菩提院袋中寺で展示会を行うことが決定している。

最初に引用した警句は、私たちの採るべき道を示しているかのように思われる。知る機会と勇気さえあれば、無知は超克できる。そのための土台を築くべく、私は国吉氏から引き出せる全てを書きとめ、社会に共有したい。一刻も早く沖縄に赴き、彼の話に耳を傾けようと思う。

=写真= 菩提院袋中寺での展示会のビラ。

2017年6月14日水曜日

記事紹介|研究界への社会教育が不十分

わが国の科学研究は高価格体質をもつ。様々な非合理的要素の累積によるが、一つの大きな理由は、機器や消耗品費などの直接研究費の過大さにあり、主として外国製品の席巻の結果である。大学においてこの非効率性を相殺するのが労務費の低さ、つまり前述(コラム4)の大学院学生の無償ないし超低賃金による知的労働奉仕である。しかし、これでは不都合の重複と言わざるをえない。

このいびつな状況で、例えば100億円の経費をかけての論文生産力など、研究成果の国際比較を問うことは、まったく意味をなさない。また文科省の予算獲得努力も水泡に帰し、状況の抜本的改善なくして、研究振興政策も持続性を失うことは明らかである。日本学術振興会などの研究資金配分機関、諸分野の学協会はこの状況をいかに把握しているであろうか。

研究の海外製品依存

例えば、有機合成化学で用いる3万種以上にのぼる化学薬品、多様な触媒や酵素類は特定の外国企業の寡占状態にあり、商品カタログを比較すると数十%から2倍の価格の違いがある。ビーカーさえ2倍の値段である。この状況は少なくとも20数年来変わっていない。

より深刻なのは、世界全体で年間5兆円、国内で5,000億円規模とされる実験用分析機器の市場である。電子顕微鏡、核磁気共鳴装置、表面分析装置などの汎用分析機器の開発力については、欧米勢が優位にたつものの、わが国企業も健闘し、現在でも9%程度の世界シェアを保つ。一方、生命科学関係の新鋭機器開発については、1990年代から分野の急速な勃興、潮流をいち早く読んだ海外、とくに米国ベンチャー企業が覇権を握る。わが国の存在感は極めて乏しく、世界シェアは1%以下に過ぎない。全科学分野では日本製と外国製が拮抗するが、生命科学分野では外国製が大勢を占める。

分析機器市場は、機器販売(50%)、消耗品販売などのアフターマーケット(37%)、保守サービス(13%)の3事業からなる。購入価格はほぼ輸入代理企業の言いなりであり、たとえばDNA解析装置では、付随して必要な高額の試薬の購入も同時に強いられる。さらに、パッケージ化された機器は、購入後も自ら保守、内部検査、故障修繕することも許されない。技術の高度化とともに研究費の高騰が続く中、彼我の差は開く一方である。

海外製品依存のわが国の生命科学研究は、個人的に聞いた話では、米国に比べて3倍程度は費用がかかるという。さらに研究の競争激化と商業化の流れが、研究費格差拡大の連鎖を招く結果となり、今や少し大掛かりな生物医学系の研究は、もはや特定の重装備研究室でなければできないとも聞く。

かつて、ドイツや英国でも米国製品の輸入価格が問題になっていたが、わが国も根本的な工夫なくしては、まったく戦えない。代理店経由の外国製物品購入、保守管理の仕組みなどに関わる不具合は、産業界の奮起とともに政治行政の積極関与なくして、もはや解決はありえない。実態を精査の上、徹底した方策を立ててほしい。

この風潮は医療経済についても言える。国内市場9.5兆円の医薬品が1.4兆円以上の輸入超過、さらに国内市場2.8兆円の医療機器も8千億円の輸入超過である。現在、高齢化著しいわが国は世界に冠たるMRI、CT大国でもある。しかし、現在41.5兆円の国民医療費を必要とし、今後も毎年1兆円ずつ増大する。財政破綻を阻止する科学技術を含む手立てが必要である。

研究社会の認識の欠如

沖縄科学技術大学院大学(OIST)などの海外経験のあるPIたちは、価格の内外格差の理不尽を着任後に直ちに認識するものの、外国情勢に疎い一般の大学人には、危機意識がほとんどない。そして最高性能の機器を購入し続ける結果、多大の科研費が海外垂れ流し状態になっている。ときには国内経済活性化に充てられるべき政府補正予算さえ、外国製品購入に使われるという。

研究界への社会教育が不十分である。この無邪気さ加減は、ひとえに豊かになった日本の大学研究者の「売っているものはすべて買うのが当然」とする価値観にある。加えて、短期的成果を求めての競争偏重傾向、これを是として全面的に公的負担してきた政策にも起因する。

もとより科学研究には独自性が求められる。しかし、国際的に論文誌審査員が機器、材料、消耗品を問わず、もはや泥臭い手作りは認めず、特定の規格市販品の使用を求めるという。しかし、データ信頼性のためとするこのような動きは、画一化した後追い研究を促す結果になりはしないか。

昨今、国内の研究環境が著しく疲弊する中で、大型研究費を得た一部の大学研究室の贅は、いささか行き過ぎと感じる。額に汗をして自らが市場から得た資金で働く企業研究者たちは、はるかに謙虚で経済感覚も厳しい。高価な機器購入は社内で容易には許可されない。アカデミアにおける資金は、しょせんは配分機関の書類、面接審査を経て他から得たものに過ぎない。自己本位、傲慢なwinner-takes-allの風潮のまん延は許し難い。研究者に保証されるのは、あくまで「研究の自由」であって、公的研究資金の恣意的な乱費であるわけがない。

企業研究所におけるように、大学でも個々の研究者ではなく、一定規模の専門家組織による合理的な機種選択、経理、管理運営への移行が、国民の期待への責任を果たす道ではないか。これで研究費不正の温床も無くなるはずである。

先端機器の独自開発力の強化

独創にかける美術、工芸、音楽家たち、また料理の達人も既成の装置や道具に満足せず、自ら細部まで工夫する。科学では計測が「発見の母」であるが、なぜに「匠の技」を誇るわが国の科学者たちは独自技術を追求しないのか。基礎科学者と技術者共同による試行錯誤が新たな領域を開拓し、同時に先端機器開発を実現する。既製の市販品への全面依存体質が、創造性の低下を招くことは明白である。

現状の外国製品依存は科学技術立国日本としては、甚だ不面目である。もとより、最高の機器を輸入し、効果的に活用することは至極当然である。決して国産機器にこだわることはない。しかし、それに見合う世界に誇る最高度の製品を自ら創り出し、輸出して均衡を保つことが絶対的な前提である。真に先導的な計測機器の発明は、様々な研究分野、さらに社会に大きく貢献する。成長率の高い産業ゆえ、敗北主義は無用である。

基礎科学のみならず、諸技術の高度化、連携、総合化を通して、独自性ある機器開発力の抜本的強化を図らねばならない。行政やJSTの先端計測分析技術・機器開発プログラムも後押ししてきたが、とくに産業界には先見性ある技術開発のみならず、ビジネスモデルの構築に格段の奮起を促したい。技術開発ではデファクト・スタンダードの獲得が必要である。

近年、タンパク質構造解析で脚光を浴びるクライオ透過型電子顕微鏡も、わが国に先端的基礎研究成果がありながら、欧米に開発の流れの先行を許したことは、残念である。一方で、物理学分野では、理化学研究所の113番元素ニホニウムの合成に代表されるように、自らの機器開発による独自の成果創出の風土が残っている。あらゆる科学技術を戦略的に結集して、失地回復しなければ明日はない。

2017年6月13日火曜日

記事紹介|学位の価値

文部科学省元職員らによる大学への天下り問題には、これまでに報じられた違法性の問題以外にも、教育行政上の重要な論点がある。学位の価値という問題はその一つ。それに気づかせてくれたのは、3月の参議院予算委員会のやりとりだった。

質問した野党議員が、大学の教授職に就いた文科省の元職員は最近3年半で15人おり、全員が博士号を持っていないという事実を指摘した。続いて国土交通省の事例も明らかになったが、大学教授になった26人のうち少なくとも23人が博士号保持者で、この点で我が国の高等教育行政をつかさどる文科省との差が際立った。この問題はマスコミにほとんど顧みられなかったが、問題を三つに分けて整理してみたい。

第一に、平成に入って以降文科省が推進してきた大学院重点化政策を文科省自らが否定している。この政策は、大学教員全体の博士号保有率を引き上げる意図が含まれていたはずだ。博士号を持たない文科省の元職員15人が大学教授となったのはそれと相反する行為ではないのか。

第二に、大人が抜け駆けしたという情けない事実である。大学院重点化政策は一面で成功を収め、大量の若い博士を誕生させた。けれども、若い博士の雇用創出に政府は無頓着だったため、結果として博士号を持っていても働き口がない、やっと見つけた就職先は期限付きばかりという、いわゆる高学歴ワーキングプアという負の側面を生じさせている。

最後の問題は、大学教授の資格を規定した大学設置基準第14条が、大学や文科省によって恣意(しい)的に運用されている疑いがあることである。

条文には大学教授の資格として、博士号及び研究業績を有することという原則に続き、いわば補助的・例外的な「準ずる」規定がある。博士号がなくても、何か特別な能力を持っていたり、博士号取得者に準ずるような専門知識や研究業績があったりする場合には、それらを同等に扱おうという規定である。

かつて我が国の大学には、文系を中心として極端なまでに博士号授与を制限するという慣習や文化があったため、「準ずる」規定には歴史的な役割があった。けれども、大学院重点化が進み、多くの博士号取得者が生まれた今、この規定の持つ肯定的な意義は薄れている。逆に縁故などで規定が恣意的に運用され、本来は教授としてふさわしくない人物を採用してしまうリスクが高まっているのではないか。

国交省の場合、技術系の博士号取得者が多いという事情があるにせよ、文科省の博士号ゼロという実態は明らかに異常であり、今こそ冷静な議論が必要である。

文科省天下り 教授職、博士号ゼロは異常 大西好宣|2017年6月8日朝日新聞 から

2017年6月12日月曜日

記事紹介|世界に開かれた強い大学システムを作る

先日、競合する複数の会社が運搬コストを節減するため貨物列車を共同使用する、というニュースを見た。

限られた資源を共同利用して、効率的に新しい価値を生み出す経済活動(広い意味でのシェアリング・エコノミー)が盛んになっている。カーシェアリングやシェアハウス的な試みが様々な分野に拡がる。例えば、岡山県真庭市では、芸術家が長期滞在し創作活動を行う「アーティストインレジデンス」に加えて、芸術家だけでなく異業種の外国人が同居するインターナショナル・シェア・ハウス方式を導入した。

大学の世界でも、効率的運営と成果最大化を狙って、複数大学参加によるベンチャーファンド、留学生支援などこれまでも様々な連携が進んできた。また、「大学が多すぎる」との指摘は周期的に強くなり、それに伴って大学統合も行われた。昨今、「国公私立の枠を超えた大学再編」が、政府の骨太方針や成長戦略に盛り込まれそうな勢いで、地方大学振興等有識者会議、中教審などで議論が行われている。

大学再編を想定する場合、その背景・目的によって、(1)地方の経営困難な私学救済策や人材確保策としての公的組織化、(2)県内の高等教育基盤強化のための連携、(3)県域を越えた経済圏などを想定した大学システム構築、の3つのパターンに分類できるのではないか。

(1)と(2)は、地方創生にとって重要な論点で、三重県・三重大学などから積極的な提案がされている。しかし、下手すると一県単位のビジョンしか描けず、各県が資源を取り合うこととなり、縮小均衡へと陥る危険性がある。世界との繋がりも視野に入れた発展モデルとなるかどうかが鍵だ。

(3)のパターンは、産学官の力を結集して、首都圏以外の地域での世界に開かれた強い大学システムを作ることができれば、大きなインパクトを持つ。(1)と(2)に留まるのでは無く、(3)も含めて現場からの前向きな提案が欲しい。

折しも、加計学園獣医学部新設を巡って官邸・内閣府VS文科省前事務次官の構図が注目を浴び、未曽有の政治問題となっている。高等教育局を始め文部科学省は、本来行うべき業務に全力を尽くせないかもしれない。こんな時こそ、従来に増して大学人が日本の大学全体の発展のために奮起するべき時ではないか。

大学間の連携から世界と戦う大学再編へ|平成29年6月5日文教ニュース から

2017年6月10日土曜日

記事紹介|「総理のご意向」文書問題

遅きに失したとは、まさにこのことだ。加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる「総理のご意向」文書などについて、松野文部科学相が再調査を表明した。

朝日新聞がその存在を報じてから3週間余。この間、政権の対応は、国民を愚弄(ぐろう)するもの以外の何物でもなかった。

菅官房長官は「怪文書」と切り捨て、文科省は短期間の調査で「存在を確認できなかった」と幕引きを図った。前川喜平前次官らが文書は省内で共有されていたなどと証言し、それを裏づけるメールのコピーを国会で突きつけられても「出所不明」と逃げの姿勢に終始した。

突然対応を変えたのは、強まる世の中の批判に、さすがに耐えきれないと判断したのか。

あきれるのは、文科相が「安倍首相から『徹底した調査を速やかに実施するよう』指示があった」と説明したことだ。

怪文書呼ばわりしたうえ、前川氏に対する人格攻撃を執拗(しつよう)に続け、官僚がものを言えない空気をつくってきたのは首相官邸ではないか。反発が収まらないとみるや、官房長官は「再調査しないのは文科省の判断」と責任転嫁も図った。

こんなありさまだから、再調査に対しても「情報を漏らした職員を特定する意図があるのでは」と疑う声が出ている。

また「徹底した調査」と言いながら、文科省に「ご意向」を伝えたとされる、国家戦略特区担当の内閣府の調査は不要だというのは納得できない。

特区は首相肝いりの政策であり、国民が知りたいのは、そこに首相の個人的な思いや人間関係が入り込んだか否かにある。行政が公正・公平に行われたことを説明する責任は政権全体にあり、内閣府についても調査を尽くすのは当然である。

再調査では、前川氏をふくむ関係者に協力を依頼するのはもちろん、以下のような取り組みが求められる。

まず、信頼性を担保するために外部識者を調査に加えることだ。このような場合、第三者にすべて委ねるのが筋だ。それが難しいとしても「外の目」の存在は必須だ。文科相は消極的だが、世間では常識である。

次に、調査を最大限急ぐことだ。拙速はよくない。しかし、国会は会期末が迫る。再調査を口実に、ずるずる日を過ごすようなまねは許されない。

そして調査結果がまとまったら、首相らも出席して報告と検証の国会審議を行うことが不可欠だ。そのための会期延長も検討されてしかるべきだ。

政権の姿勢が問われている。

(社説)「加計」再調査 今度こそ疑念に答えよ|2017年6月10日朝日新聞 から


獣医学部新設をめぐり、文部科学省が省内で作成したとされる文書の再調査をする。国民の声が後押ししたというなら、安倍晋三首相の意向が働いていたのか否かを含め、徹底的に究明すべきだ。

公平、公正を期すべき行政判断が「首相の意向」を盾に歪(ゆが)められたのではないか。国民として当然の疑問に答えざるを得ない状況に政権は追い込まれたのだろう。

首相の「腹心の友」が理事長を務める学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部を愛媛県今治市に新設する計画である。

内閣府から文科省に「官邸の最高レベルが言っていること」「総理の意向だと聞いている」と働き掛けたとする文書が明らかになってからも、安倍政権は出所や入手経路が明らかにされていないとして、詳しい調査を拒んできた。

松野博一文科相は再調査の理由を「国民から文科省に追加的調査が必要だろうとの声が寄せられ総合的に判断した」と説明した。

国民の声に応えるのは当然としても、本来なら自ら進んで究明すべきではなかったか。

前川喜平前事務次官や複数の現役職員らが文書を省内で共有していたと証言してもなお、再調査を拒んでいた自浄能力の欠如を、まずは反省すべきである。

究明すべきは文書の真偽にとどまらず、学園理事長と首相との関係が、学部新設をめぐる行政判断に影響を及ぼしたか否かである。

真相の究明には、文科省に「首相の意向」を伝えたとされる内閣府側の調査も欠かせないが、山本幸三地方創生担当相は、内閣府は追加調査しない意向を表明した。

多くの国民が疑問を持つに至っているにもかかわらず、調査を拒むとは信じ難い対応だ。内閣府も直ちに調査を始め、国会による調査にも真摯(しんし)に対応すべきである。

政府の国家戦略特区諮問会議が昨年「獣医学部設置の制度改正」を決めた際、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り」学部新設を認めると、文言が修正されたことも分かっている。

なぜ、獣医学部がない四国に計画する加計学園以外の大学を排除するような修正が行われたのか。学園理事長と首相との親密さは本当に無関係だったのか。

この問題は安倍政権の強権ぶりのみならず、日本政治の在り方をも問うている。通りいっぺんの調査でなく、徹底究明が必要だ。国会は関係者の証人喚問も含めて、国政調査権を存分に行使すべきときである。それが国民の期待だ。

【社説】「加計」再調査 「首相の意向」の究明を|2017年6月10日東京新聞 から

2017年6月9日金曜日

記事紹介|人文・社会科学に求められる役割

平成29年(2017年)6月1日
日 本 学 術 会 議
第一部
人文・社会科学の役割とその振興に関する分科会 

要 旨

1 本提言の背景-人文・社会科学から見える学術の危機

国立大学法人に対する平成27年(2015年)6月8日の文部科学大臣通知(以下、「6.8通知」)を受け、日本学術会議は二度にわたって幹事会声明を公表した。これらの二つの幹事会声明を継承し、かつ日本学術会議がこれまでに発出した原則や指針とも関連させながら、本提言では、日本の学術が直面する諸状況、解決すべき喫緊の課題を整理し、学術振興のために人文・社会科学が果たすべき役割と課題を検討した。

人文・社会科学には、時間と空間の視座を組み合わせ、多様なアプローチを駆使して諸価値を批判的に検証するという特質がある。学術の発展のためには、取り分け中長期的な社会的要請に応えるためには、人文・社会科学のこの特質を活かすことが欠かせない。人文・社会科学と自然科学の双方が協働して学術の危機を克服し、人類が直面する諸問題の解決に当たらなければならない。

2 本提言の位置づけ-2001年声明と2010年提言の継承と発展

平成23年(2011年)の東日本大震災と福島第-原発事故は、科学・技術のコントロールには学術の総合的考察が不可欠であることを再認識させた。この年に始まった日本学術会議第22期(平成23年10月~平成26年9月)は、福島第一原発事故がもたらした深刻な諸問題の解決と復興課題に組織をあげて取り組んだ。この経験を踏まえ、本提言は、21世紀に入って日本学術会議が発出した二つの意思(声明および提言)「21 世紀における人文・社会科学の役割とその重要性」[2001 年声明]及び「日本の展望-人文・社会科学からの提言」[2010 年提言]を継承・発展させつつ、改めて人文・社会科学が果たすべき役割と課題を論じ、その実現のための要点を五つにまとめた。

3 学術の総合的発展のために-人文・社会科学からの提言

人文・社会科学は教育・研究における自己改革をいっそう進めるとともに、学術の総合的発展を目指して、人文・社会科学の立場から以下の5点を提言する。

(1)教育の質向上と若者の未来を見据えて高等教育政策の改善を進める

人文・社会科学系のこれまでの教育改革は教養教育改革とセットになって進められることが多く、その成果は、学生主導型授業の導入や留学を基軸にした総合的英語教育の実施など、教育GPでの人文・社会科学系プログラムにも反映されている。こうした実績を踏まえた教育改革には、以下の課題解決が必須である。グローバル化に対応するために英語による授業を増やすとともに多言語教育や多文化教育を充実させること、各分野の「参照基準」を具体的に実践し、論理的・批判的思考力・表現力などの「市民」として求められる基礎的能力を理系教育にも高校教育にも取り込むことができるよう協力すること、国際的水準にあわせて教員の再教育を進めること、私立大学人文・社会系学生への奨学金制度を充実させること、である。

(2)研究の質向上の視点から評価指標を再構築する

人文・社会科学領域での研究の質向上を図るには、研究の多様性、文献への依存度の高さ、成果の公表方法、「スロー・サイエンス性」といった人文・社会科学の特性を考慮した評価方法や資金配分が策定されるべきである。そのためには、人文・社会科学の側でも、研究成果の公開・共有・可視性の向上を図り、分野の特性に応じた評価指標を確立させるべく努力しなければならない。

(3)大学予算と研究資金のあり方を見直す

1990 年代半ば以降、日本の高等教育政策は、基盤的経費から競争的資金へと研究資金の比重を移してきた。「期間限定の研究プロジェクトへの支援」という性格が強い競争的資金では、中長期にわたる教育・研究基盤の脆弱化を防ぐことはできない。中長期的なスパンで研究成果を捉えることが多い人文・社会科学を発展させ、その特質を活かすためには、安定的経費が不可欠である。また、変化の激しい現代世界に対応するには、人文・社会科学においても、たとえば、データベースの構築、資料電子化の基盤整備、共同利用体制の計画的推進など、中長期的な視野に立つ「大型」経費が必要である。一方、安定的経費の削減は、とりわけ地方国立大学に深刻な打撃を与えている。地方における文化継承・社会問題分析の専門家集団として、地方国立大学の人文・社会科学系学部・学科が果たしてきた役割や将来の可能性に十分配慮した人員配置と予算措置を国が講じることが望まれる。

(4)若手研究者と女性研究者の支援を本格化させる

常勤ポストの任期付ポストへの転換、及び非常勤ポストの削減は、若手研究者を脅かす深刻な問題となっている。低賃金の非常勤講師に依存する大学経営のあり方を自明視せず、克服すべき構造的問題ととらえて、常勤ポストの確保や非常勤講師の待遇改善に努める必要がある。人文・社会科学系における女性研究者比率は、自然科学系に比べると高い。その結果として、女性研究者に対する支援は自然科学系に偏りがちであり、人文・社会科学系の女性研究者が直面している問題が見えづらくなっている。今後は、全体的・包括的な女性研究者支援策を一層強化するべきであり、とりわけ、職階格差の解消と学協会役員の女性比率の上昇を図らねばならない。

(5)総合的学術政策の構築をはかる

日本では、人文・社会科学を含む学術全体を視野に入れた国の総合的政策は存在しない。しかし、21世紀社会では「科学技術基本法に基づく科学技術の推進」ではおさまりきらない多くの問題が発生し、それらを議論する必要があることは明らかである。人文・社会科学の振興は、学術全体の総合的かつ調和的な発展を展望して政策化されるべきである。今後、日本における学術の現状と課題を事実に基づいて解明し、広く国民と共有するために、人文・社会科学と自然科学を含め、学術の全領域に渡る「学術白書(仮称)」の作成が必要である。それとともに、日本学術会議を中心として「学術基本法(仮称)」の制定などに向けた検討を進めることが望ましいと考える。

2017年6月3日土曜日

記事紹介|アジアの関心は日本にあらず

大学ランキングをはじめとした日本の大学の評価あるいは評判について、日本の大学のことが世界に知られていず、十分な評価が得られていないと嘆く人が多い。だが、私は最近のいくつかの経験で、日本の大学が自分たちのことを知ってもらうための努力を十分しているのだろうかと疑問を持った。

先日ベトナムの大学に行ったとき、日本の大学の財政状況について講演してほしいとの依頼があった。そこで、英文の講演資料を作ろうと思い文科省や各大学の英文HPをいろいろ見たのだが、学生向けの学部案内などはあるものの、大学の経営や財政に関する英文資料は大変不十分だと感じた。財政状況の記述は多少あるものの、難しい行政用語を直訳したような記述ばかりで、何が課題でどうしようとしているか分からない。

これは考えてみると、日本語のHPにも同じ問題があり、財務諸表などの資料は公開しているものの、それがどのような状態であり、これからどうなるかは一般の人にはまるで分らない。素人にはわからないのは当然だと言わんばかりの対応だが、予算の獲得にせよ寄付金の獲得にせよ、一般市民の理解と支援が必要なのにその努力をしているとは思えないHPの記述となっている。

このように、日本の大学は、海外はもちろん国内でも、自分たちを理解してもらうための努力をあまりにもしていないと感じた。

次にマレーシアの大学へ行った。マレーシアの大学の国際交流のパンフレットを見ると、交流相手で大きく取り上げられているのはアメリカ、ヨーロッパ、中国、オーストラリアなどで、JAPANは資料のどこにも出てこない。説明してくれる幹部も気にして、申し訳なさそうに口頭で補ってくれたが、日本の扱いはその程度である。これは扱いが小さいのではなく、実績が小さいのでそれに応じた扱いをされているのだ。

日本の大学関係者には、日本はアジアの先進国であり、アジア各国は日本に大きな関心を持っているはずだとの思い込みがあるかもしれない。しかしアジア各国の視野は、グローバルに交流の良い相手を探しているのであり、日本はその中でどういう魅力を提供できるかが問われているのではないか。

このままでは日本の大学は、アジア各国の大学からの関心も持たれなくなってしまうのではないかと心配になった。これに対する対策は、日本の大学がこれからどうしようとしているかを明確に打ち出し、それを分かりやすい英文と日本文で公表していくことだと考える。日本の大学はそれをやれるだろうか。

外から見えない日本の大学|IDE 2017年4月号 から

2017年6月2日金曜日

記事紹介|大学の研究力と責任

世界をリードできる研究は、結局のところ研究者一人ひとりの自由な発想とそれを実現する努力、またそれらを支える適切な環境によってもたらされる。多くの事例が明らかにしているとおりである。他入が目標を立てたお仕着せの研究からは、国内一流水準の論文や追いつき追い越せの報告書は生まれても、世界をリードする創造的な成果は得られにくい。このことは、世界水準の研究コミュニティにいる研究者であれば、誰もが肌で知っていることだ。

世界をリードする研究者とはどんな研究者なのだろうか。国際共著論文を出版しさえすれば世界をリードする研究者なのかといえば、もちろんそうではない。国際共著論文は結果に過ぎない。大切なことは、世界に先駆けた知の「生産者」かどうかということである。急速に進む情報通信技術の影響の一つは、知の生産者に比べて知の消費者が格段に増えたことだ。逆に言えば、本格派の知の生産者が以前より遥かに重要な位置を占める時代になったということだ。

世界水準の「研究力」の源は、世界水準の知を生産することのできる研究者にある。ただし、その力が十分発揮できるようにするには、「研究力」を発揮する適切な環境が必要だ。そのためには、大学や研究機関の役割、文部科学省をはじめとする政府の諸政策、日本学術振興会のような研究助成機関の役割、さらには科研費のように個々の研究者の自由な発想に基づく研究を支援する研究費の役割がきわめて大きい。

したがって、「大学の研究力」を高めるための方策は、自らの発想と目標をもとに世界水準で知の生産者たり得る研究者をできるだけ集めること、またそれらの研究者が十分に力を発揮できる「適切な環境」を創り出していくこと、これらの2点に尽きる。

ところが現実には、日本の大学、特にトップレベルと言われる大学において、もちろん個別には世界水準の研究者も多々おられるが、「大学の研究力」としては、世界の一流大学とベンチマークしたとき、上の2点はほとんど実現されていないと言ってよいのではないか。

第一に、世界水準の研究者を集めることが「大学の研究力」を高める第一の要件であるが、日本の大学は人事の流動性がきわめて小さく、常勤教員の個人評価も明確でない。このため、いったん常勤ポストを得た研究者の個人評価が大学の評価に直結していない。第二に、研究支援の専門職員がきわめて少なく、専門職として社会に認知されていないため、大学として研究の「適切な環境」を整備するどころではない。第三に、大学に対する国の予算執行と大学側の経営力の問の乖離が大きい。

国の側から見ると、大学の研究予算は増えているのに成果があがらないのは大学側の経営力の問題である。大学からみると、時限の研究予算は増えても優れた研究者を世界から集めたり適切な環境を整備するための予算が足りず、結局研究にしわ寄せがきているという。いずれにしても意識のすれ違い状態が続いているのが現状だ。

他にもいろいろな論点はあるが、いずれにしても日本の大学は世界の先進諸国の中で沈みつつある。

上に書いたことも背景になって、「大学の研究力」を高めるためのさまざまな政策が立案・実施されている。例えば、第3期中期目標期間における指定国立大学法人が公募されており、「研究力」が申請要件の柱の一つになっている。具体的には、分野の融合や新しい学問分野の創出を含め、国内外を問わず求心力をもって研究の拠点となる力が求められ、特に科研費の新規採択件数の累計(2012〜16年度)が2分野以上で国内10位以内、Q値(論文に占めるトップ10%補正論文数)(2009〜13年)が国内10位以内という条件が、「研究力」についての申請要件となっている。

こうした要件は、定量的評価の基礎として必要なことであり、また分野別の評価など、有効と考えられる評価基準が導入されている。ただし、ここに書いたように、「大学の研究力」の源はその大学に所属する個々の研究者が世界水準の知の生産者だ、ということにある。また、「大学の研究力」は、そうした研究者をどのくらい多く集められるか、また彼らに世界水準の研究コミュニティと直接つながる環境をどのくらい提供できるかで決まる。それには大学側に、コスト削減を改革と称するような従来の日本の大学「運営」とは異なる、世界の大学とのベンチマーキングに基づいた「経営」努力が不可欠である。

世界水準の研究者が身を預けたくなる環境の整備に向けて努力を惜しまない大学が報われ、世界水準についての感度の鈍い大学が沈んでいく大学問の競争環境を、我々自身が創り出さなければならない。若年人口急減の中で知の生産を進めなければならないこれからの日本にとって、自治を標榜する一方で経常予算だけでも毎年1兆円を超える多額の税金が投入されている大学の責任はきわめて大きい。

2017年6月1日木曜日

地方大学の生き残りのために

去る5月22日、政府の「地方大学の振興及び若者雇用等に関する有識者会議」による「地方創生に資する大学改革に向けた中間報告」が取りまとめられました。

やや産業界寄りの記述が多いように思いますが、このうち「地方大学の振興」に関する部分を中心に抜粋してご紹介します。

地方大学の生き残りが求められている中、当事者は何ができるかを真剣に考え、実行することが問われています。(太字は拙者)


1 はじめに

本中間報告は、「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2016改訂版)」(平成28年12月22日閣議決定)に基づき、地方大学の振興、東京における大学の新増設の抑制及び地方移転の促進、地方における雇用創出及び若者の就業支援等についての緊急かつ抜本的な対策に向けた検討の方向をとりまとめ、地方を担う多様な人材の育成や産官学連携による地域の中核的な産業の振興を促進するとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、もってまち・ひと・しごと創生の実現を目指すもの。

2 基本的な問題認識

(1)大学を巡る現状と課題

①地方の国立大学は、幅広い学問分野をカバーし総合的人材を育成してきたが、一方で「総花主義」「平均点主義」のため、どの分野に重点を置いて人材育成を目指しているのか、特色が見えないと言われている場合が少なくない。「総合デパート」としてだけでなく、地方のニーズを踏まえた組織改革等を加速し、それぞれの特長や強みをさらに強化する必要。

②大学の大衆化(大学・短期大学進学率は約6割)の現実と、「学術の中心」という教育基本法に掲げる大学の理念がかい離し、学術研究面でも、実践教育面でも、十分に応えきれていない大学が多いのではないかとの指摘。

③日本の大学が、産業構造の変化(産業のサービス化、知識集約化等)に十分対応できておらず、成長分野のビジネスや地方産業につながる人材育成、研究成果の創出といった面で、地域のニーズや期待に十分応えていないとの指摘。

④大学経営は企業側の人材の採用・育成、研究開発(オープンイノベーションの推進等)のあり方の改革と併せて考える必要。また、大企業中心の発想を地域密着型の中堅企業(大学発ベンチャーも含む)中心に変える必要。一方で、大学の自主性を生かしながら、各大学の機能等を強化・特化していくという視点も重要。

⑤日本の大学では、学長の予算や人事に対する裁量・権限が弱く、ガバナンスが発揮しにくいとの指摘や、国立大学においては、組織を監督する理事会に相当するものがなく、学長が理事を任命する仕組みとなっていることが問題であるとの指摘。さらに、ビジネスやベンチャーとの連携を軽視する風潮。

⑥ 大学に求められる新しい学問分野への対応は、新たな学部・学科を設置する方法以外に、柔軟に分野融合的な教育プログラムをつくれるようにすることも重要。

3 大学改革の方向性

(2)地方の特色ある創生に向けた地方大学等の対応

①「特色」を求めた大学改革・再編

国公私の設置者を越えた機能分担を進める。さらに国立大学にあっては、国立大学間の連携・協力の一層の強化を図るとともに、それぞれの地域ニーズに応じた学部・学科の見直し等を進める。その上で、この領域・分野ならこの大学といった「特色」にも配慮した大学改革を進め、各大学の強みのある学問領域・産業分野において、専門人材の育成、研究成果を創出

②地方創生に貢献するガバナンス強化

学長がリーダーシップを発揮して、地方のニーズに応じた学部・学科、研究室の再編・充実に関する取組を推進するなど、地方大学の機能強化に向けた組織改革を、スピード感を持って実施。

(3)大学の機能分化の推進

大学が、グローバル化や地方創生などの時代の要請に対応する観点から、大学の機能分化を推進していくべき。すなわち、各大学は、G型(グローバル型)大学として、世界水準の学術研究を目指す大学や学部、あるいは真に世界のトップ水準のグローバルトップエリート人材の輩出を重視するのか、L型(ローカル型)大学として、特色ある地域の中核産業を支える専門人材の育成・確保に取り組むとともに、地域に根差して地域を支える仕事(地域密着型の産業や企業で働く人々)に就労して生きていく人材に対して、実践的な基礎能力教育や最新の技能教育の実施を重視するのかを明確にする必要。

4 取組の方向性

(1)地方大学の振興

ドイツのフラウンホーファーの取組(全国 69 ヶ所、研究資金は産官学の三者が負担)の例にあるように、産官学の連携により、特色ある産業づくりへの貢献を目指す。

③地方大学が産官学連携の下で、産業等で地元貢献していくためには、大学自らが変われるようにするためのガバナンスを強化する仕組みを導入。

⑥上記については、特色ある大学への自己変革によるか、または、他の大学と連携等を行い新学部・学科を設置することによるか、検討が必要。

⑧大学への補助金(運営費交付金、私学助成)等については、その配分を見直し、より地方創生に資するメリハリの効いた配分にするよう検討。