2017年9月29日金曜日

記事紹介|成功する人は偶然を味方にする

ときには、不運に思えるものでさえ、成功のきっかけになることがある。

グラッドウェルは、20世紀初めニューヨークに移住して、被服産業で成功したユダヤ人について触れている。

彼らの子どもたちは、ロースクールを卒業しても、ニューヨークの一流法律事務所には採用されなかった。

当時そうした事務所は、裕福なプロテスタントの家庭出身の弁護士を雇っていたからだ。

そこで、ユダヤ人弁護士は自力で小さな事務所を開き、企業の敵対的買収訴訟など一流事務所が敬遠する案件をもっぱら扱った。

その結果専門スキルを身につけて、1970年代から80年代の敵対的買収訴訟の急増に乗じることができた。

この新市場で優位に立った彼らは、以前自分たちを煙たがった大手事務所の弁護士よりはるかに多く稼いだ。

「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」と認めることは、「成功は才能や努力とは無関係だ」と主張するのとは違う。

競争が激しい分野で成功する人は、とても優秀でたいへんな努力家だ。

ウォーレン・バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイの副会長チャーリー・マンガーはこう記している。

「望むものを手に入れるためのいちばん確かな方法は、それにふさわしい人になろうと努力することだ」。

成功を求める人にとってなにより役立つ助言は、他者に高く評価される仕事において深い専門知識を身につけろ、ということだろう。

専門知識は運ではなく、何千時間もの努力によって身につく。

それでも、偶然のできごともまた重要だ。

成功は大きな幸運に恵まれなければほとんど不可能だからだ。


一見すると不幸な出来事が、後になって考えてみると、それが幸せになるきっかけだった、と思うことは多い。

「幸せは、不幸の顔をしてやってくる」と言われるゆえんだ。

それを、「ピンチはチャンス」ともいう。

《成功は“ランダム”にやってくる! 》(阪急コミュニケーションズ)の中にこんな言葉がある。

『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、予期せぬ結果などを経験している。彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』

何か予期せぬことがあったとき、そこに何か意味があるのかもしれない。

そんなときは、たとえそれが面倒で、損なことであったとしても、その流れにとりあえず乗ってみることも必要だ。

理屈で考えず、野生の勘や、ひらめきを大事に、とにかく行動してみるのだ。

世界は予測不可能の速さで大きく変化している。

だからこそ、誰もが予期せぬ方法で、世界に打って出る可能性を持っている。

「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」

偶然の出会いや、突然のひらめきを大事にする人でありたい。

2017年9月27日水曜日

記事紹介|力を蓄える

人は一時期下積みになっても、

それは将来の土台づくりであり、

一時の左遷や冷遇は、次への飛躍への準備期であり、

忍耐力・持久力の涵養(かんよう)期として

隠忍(いんにん)自重(じちょう)して、

自らの与えられたポストにおいて、

全力発揮を怠らなかったら、

いつか必ずや日の目を仰ぐ日のあることを確信して疑わないのでありまして、

これが八十有余年の生涯を通してのわたくしの確信して疑わないところであります。

森 信三


人生においては自分が予想していなかった不遇を経験することがあるでしょう。

しかしながらそれは、そのときにしか経験できない、または修得できない忍耐力・持久力を養うとき。

その場所からしか見えない景色を見つめるとき。

自分の人生という物語において一つのクライマックスへ向けての序章になるとき。

大きく飛び立つ前には、その分、膝を曲げて沈みこむことが必要なように、力を蓄える時期というのが人生には必ず訪れるのでしょう。

片目では遠くを見据えつつ、もう一方の目では目の前のことを見つめて、全力を注いでいれば、その蓄えは非常に大きなものとなるでしょう。

2017年9月24日日曜日

記事紹介|私たちは沖縄戦犠牲者の魂が鎮まる社会を築いてないのではないか

沖縄戦で住民らが「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた洞窟「チビチリガマ」で、9月12日、犠牲者の遺品などが壊される事件が起きた。沖縄県警嘉手納署は15日、地元の16~19歳の少年ら4人を器物損壊容疑で逮捕した。取り調べに対して、少年らが「肝試し」で洞窟に入り、「悪ふざけで壊した」と話していることが20日までに分かった。琉球新報が報じた。

事件を受けて、沖縄県民の間に波紋が広がっている。

琉球新報によると、遺族会の与那覇徳雄会長は16日、「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいか」と言葉を詰まらせて話したという。また、翁長雄志沖縄県知事は19日、「沖縄の持ついろいろな平和に対する思いが若い人たちに伝わっておらず、その中での出来事なのかなと危惧している。とても残念だ」と話した。

80人以上が死に追い込まれた洞窟

チビチリガマは、沖縄県西海岸の読谷村波平区に位置する自然壕(ごう)。1945年4月1日、アメリカ軍が西海岸から沖縄本島に上陸した当時、波平区の住民ら約140人がチビチリガマに逃げ込んでいた。

4月2日、米兵に虐殺されるとの恐怖心などから、壕の中で83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。読谷村史によると、犠牲者のおよそ6割が18歳以下の子どもだったという。

村史は、壕の中に、中国戦線を経験して日本軍の蛮行を知る男がいたとしている。男は、米軍が、中国で日本軍がしていたような虐殺をしに来ると思い込み、「自決」を覚悟して毛布などに火を付けた。燃え広がる炎と煙が、多くの住民らを死に追いやった。当時、壕の中は「自決」の賛否を巡り激しく混乱していたという。

平和認識の揺らぎに危機感の声も

チビチリガマは、遺族らにとっては墓場に当たる。悲惨な沖縄戦を象徴する洞窟として、市民らが平和を祈る場でもあった。

少年らが「肝試し」で壕を訪れていたことについて、沖縄市に住む20代の男性は、沖縄が積み上げてきた平和思想が弱くなっていると指摘し、次のように話した。

戦争に対する絶対的否定の気持ちが緩み始めている。これまで沖縄には、沖縄戦に関係するものをバカにしてはならないという共通認識があった。悪さをする少年らにも、そういう認識があったはず。

今回は、肝試しという幼稚な動機が、沖縄戦をバカにしてはいけないという一線を、簡単に超えてしまった。沖縄で市民権を得ていたはずの平和思想が揺らぎ始めていることに、強い危機を感じる。

チビチリガマが破壊の被害を受けるのは今回が2度目。1987年11月に、右翼団体の若い構成員が、壕の入り口にある彫刻家金城実さんの「世代を結ぶ平和の像」を破壊した。10月に読谷村の海邦国体ソフトボール会場で起きた、日の丸焼却事件への報復が動機だった。

自問自答する沖縄

事件について、沖縄の地元紙は次のように論じている。

少年を非難する声がある。生い立ちや環境を見詰める人がいる。平和教育の欠落を指摘する人もいる。それらに耳を傾けながら自問する。私たちはチビチリガマを含む沖縄戦犠牲者の魂が鎮まる社会を築いてないのではないか(琉球新報、9月20日)

現場に居合わせた別の少年たちは「やるな」と犯行を制止したという。そこに希望がある。逮捕された4少年に届く言葉を、愚直に探していくしかない。(沖縄タイムス、9月19日)

なぜ事件が起きたのか。これからどうすればよいのか。事件に衝撃を受け、鎮魂を祈る沖縄の人々の自問自答が始まっている。

戦争の歴史と隣り合わせの沖縄県民。チビチリガマ荒らしから見えてくるもの|Huffington Post から

2017年9月15日金曜日

記事紹介|絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のこと

小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトリーダーの川口氏が自らの失敗経験を語られている中で、切羽詰まるような状況下でのチャレンジの大切さを説かれています。

「それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがある。不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるのです。」

何でも安全にコントロールできる状態の中で物事を考えていては、新しいものは生まれてこない。

米女優のイルカ・チェース氏も『絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。』と語っているように。

開く|今日の言葉 から

2017年9月12日火曜日

記事紹介|叱る、叱られるということ

人はだれでも、厳しく叱られたり、注意を受けたりするということは、あまり気持ちのよいものではありません。

当然叱られるだけの理由があった場合でも、上司に呼びつけられて叱られるというようなことがあれば、その日一日中、なんとなくわだかまってすっきりしない。それがいわば人情で、叱られるより叱られないほうを好むのは、人間だれしもの思いでしょう。

それは叱るほうにしても同じです。部下を叱ったあとの、あのなんともやりきれない気持ちは、管理職の人であれば、たいてい経験していると思います。

しかし、人情としてはそうだからといって、その叱られたくない、叱りたくないという人情がからみあって、当然叱り、叱られなければならないことでも、うやむやのうちに過ごされてしまったならば、どういうことになるでしょうか。一度でもそのような考えで物事が処理されると、あとのけじめがまったくつかなくなってきます。仕事や職場に対する厳しさというものが失われ、ものの見方、考え方が甘くなり、知らず識らずのうちに人間の弱い面だけが出てきて、人も育たず成果もあがらず、極端にいえば会社がつぶれるということにも結びつきかねません。

もとより今日よくいわれるように、個人の自主性を重んじ、自発的にのびのびと仕事に取り組むことは大切です。しかしそれは、厳しく叱られることが不必要だということではないと思います。むしろお互いの自主性なり個性というものは、厳しく叱られるということがあってこそ、よりたくましく発揮され、その人の能力もいちだんと伸びるのだと思います。

私も、まだ若くて第一線で仕事をしていたころは、よく社員を叱ったものです。それも血気盛んな時分ですから、一人だけ呼んでそっと注意をするといったなまやさしいものでなく、みんなの前で机を叩き、声を大にして叱るというようなことがたびたびでした。

ところが、私からそのように目の玉がとび出るほどに叱られた社員が、それで意気消沈していたかというと、そうではありません。むしろそのことを喜び、いわば誇りとするといった姿でした。

それはどういうことかといいますと、創業当初はともかく、会社がしだいに大きくなり、社員の数も増えてきますと、私のほうも社員一人ひとりにいちいち注意を与え、叱るということができなくなりました。そうなると、どうしても限られた、責任ある立場にいる人を叱るということになりますから、社員のあいだにはいつとはなしに「大将に叱られたら一人前や」というような雰囲気が生まれてきたのです。ですから、叱られると本人も喜び、またまわりの者も「よかったなあ、おまえもやっと一人前に叱られるようになった」ということで、ともに喜び、励ましあうといった姿が見られるようになったというわけです。そして、そういうことが、社員の成長なり会社の発展の一つの大きな原動力になっていたように思います。

人間というものは、黙ってほうっておかれたのでは、慣れによる多少の上達はあっても、まあこんなことでいいだろうと自分を甘やかしてしまいがちです。そこからは進歩、発展は生まれず、その人のためにも、ひいては会社や社会のためにもなりません。やはり叱られるべきときには厳しく叱られ、それを素直に受け入れて謙虚に反省するとともに、そこで大いに奮起し、みずから勉励していってこそ成長し、実力が養われるのです。

そのことを、若い人も責任者も肝に銘じて仕事にあたってほしいと思いますし、特に若い人たちは、そこからさらに進んで、叱ってもらうことをみずから求める心境、態度を培うことが大切ではないかと思うのです。

2017年9月10日日曜日

記事紹介|ポジティブに生きる

かつてシェイクスピアは「いいとか悪いというのはなく、そのように考えるからそうなるのだ」と言った。

これは名言である。

どんなに悪く見える経験でも、その中に隠されたいいことを探し求めよう。

いかなる状況でも悲観主義に陥らず、つねにいいことを見つける習慣を確立すれば、人生の質を飛躍的に高めることができる。

経験それ自体は中立的だが、それに対する物の見方がそれをよいことにしたり悪いことにしたりするのだ。

物の見方を改善する1つの方法は、ポジティブな表現を使うことである。

たとえば、「失敗」を「学習経験」と言い換えるのがそうだ。

ポジティブな表現を使って、自分が置かれている状況に対する解釈を変える具体例を紹介しよう。

私は失業者だ。→ 私は自分に合う仕事を見つけるために時間をとっている。

私は病人だ。→ 私は健康を取り戻すためにしばらく休養を必要としている。

私は問題を抱えている。→ 私は成長するための機会に恵まれている。

私は失敗してしまった。→ 私はこの素晴らしい学習経験を今後に生かす。

私は何をしてもダメだ。→ 私はこれから飛躍を遂げるために全力を尽くす。

■楽観主義者はドーナツを見て喜び、悲観主義者はドーナツの穴を見て悲しむ(オスカー・ワイルド)

■悲観主義者とは、チャンスがドアをノックしても「うるさい」と嘆く人のことだ。(オスカー・ワイルド)


「過去は変えられるが、未来は変えられない」

過去に起きた出来事が「不幸だった」「つらい経験だった」と思えばそうなるし、あのおかげで「自分は成長した」「今の自分がある」「だからすべてがよかった」と思えばそうなる。

つまり、見方一つ、考え方一つで、過去は変えられるということ。

「幸福は、不幸の顔をしてあらわれる」という言葉がある。

何かが起きたその時は、「嫌なことが起きてしまった」と一瞬思う。

しかし、少したってみてそれを考えると「あのことが幸せを運んでくれたんだ」と思えることは多い。

ただし、「不幸の顔」があらわれたときに、文句や不平不満、グチ、泣き言を言ってしまうと、後から「幸福」はあらわれない。

なぜなら、口から発した言葉は現実化するからだ。

つまり、文句や不平不満、グチ、泣き言をいえば言うほど、もっと言いたくなるような現象があらわれる。

その悪い循環を断ち切る言葉はたった一つ、「ありがとう」という感謝の言葉。

嫌なことがあったとき、はじめに「ありがとう」と言ってから言葉を続けると、後の言葉はすべてポジティブに変わってくる。

「そのように考えるからそうなる」

どんなときも、よき言葉を発したい。

2017年9月5日火曜日

記事紹介|研究は人間の営みそのもの

人の営みであれば、形而上学的な洞察が不可欠である。数値が無意味というつもりはない。もとより、科学界が客観かつ正確な計量、数値解析を尊び、また世はデータ駆動の時代であることは間違いない。しかし、対象はあくまで明確な物理的単位、科学的意義をもつものに限定される。適正な評価を得るには、あらゆる意味ある指標(入手可能な、ではない)を総合すべきはずであるので、将来は、人工知能(AI)による徹底した総合的ご託宣を望む向きがいるかもしれない。しかしその時、果たして科学は精神高揚の営みであり続けるであろうか。多くの研究者の挙動が画一的に誘導され、AI判断におもねることになりはしまいか。

なぜ数量化を好むのか

数値偏重が研究評価における問題の原点ともいえるが、その病理の根底には、現世代の多数決民主主義、なぜか意味を問うことなく、一票でも多い方が正しいとの信仰がある。わが国の悪名高い入学試験の呪縛のまん延が、主観を疎み、一点刻み、総点の0.1%程度に過ぎない無効数字であっても、客観比較こそが最も公平とする価値観を醸成している。

18歳時の入試勝者たちは、総じてスコア化を好み、この「厳密かつ公正な」仕分け判定で、人生が決定、安定した地位を得たとの勘違いさえする大学入試が青年たちの将来性を占う仕組みであれば、1、2割の違いがあってもほぼ同等であろう。かつての勝者の集団たる教員組織は後継者の選抜に多大のエネルギーを傾注するが、その分解能はいかほどのものか。もっと人事専門家の力を借りて教科以外の要素を十分勘案すべきであろうが、あるいは「松竹梅」と格付けした上で、「竹」をくじ引きして合否決定してはどうか。悲しいかな、100点満点と0点の間の規格化された、あるいは秀才にとっては100点と80点位の狭い評価空間を右往左往する習性のために、世界の桁違いの存在、ましてや「負の存在」に出合う機会に乏しく、価値の相対化能力を喪失する結果となっている。

この傲慢が、長じて科学社会における他を顧みない「勝者総取り(winner-takes-all)」文化を醸成することにもなる。競争的資金の獲得はたまさか幸運であっても、最高の研究を意味するとは限らない。過去の採択課題を追跡すれば明白である。米国ではトップ20%を選び、あとはくじ引きにする方が合理的との主張もある。

研究者に降り掛かる災難

研究分野が拡大する中で、引用件数も急速に増大しているが、また研究分野の規模や性質によって数値は大きく異なるも明らかである。私は2000年代の初めまで有機化学の研究に携わっていたが、現役から身を引いたのちも、クラリベイト・アナリティック社のWeb of Scienceは本人に断りもなく、時々刻々過去の行為を計測、公開し続ける。2017年8月の同社の統計によると、私は487報の論文を書き、総被引用数は50,705回、1論文あたりの被引用数は104回、1,000回以上の論文は5編で、h指標は116(116回以上引用された論文が116報あるとの意味)とのことである。これは研究者として蓄えた資産を銀行に預けて、利子を蓄積していくようなものであり、元本は一定、総利子額は増えていく。この果てしなき機械的追跡、執拗なプライバシーの監視、公開は数多ある職業の中で研究者だけが被る災難であり、不快の念をもつ人は少なくない。

内容についてあえて振り返れば、正に凡人の営みである。確かに良質の論文も含まれるが、粗製乱造の極みで、著作、論文リストのうち、おそらく半数ほどはほとんど意味がなく、いわば「研究廃棄物」と言われても仕方がない。あまりに断片的に過ぎ、多くは「論文」に値しない。また、初期のものには、自らの稚拙さのみならず、その時代の測定機器など技術水準の問題もあり、記述を修正すべきものもある。若気の至り、未熟な思い込み、時々の衝動に駆られて実験し、一応新しい事実だからと発表した結果であり、恥じ入るばかりである。それでもコンピュータはたゆまず集計に励み、数値を積算していくのである。

もっと謙虚に質の維持に配慮すべきであり、これでいいわけがない。自己中心の恣意的な発表は学会や査読者にも多大な迷惑、負担をかけるからで、科学の進展への貢献は乏しく、むしろ科学界の名誉を損じるものでもあった。各方面から頂いた貴重な研究費を浪費したことも、遅きに失するが詫びなければならない。研究者人口、研究費が増大した現代では、自らの意図や力量だけでなく、様々な外的要素が関わるため、研究廃棄物生産は「負の外部効果」をもたらすことにもなる。

研究の営みは直線でありえない

私自身は鈍感なせいか、評価に圧迫感をもった経験がない。私の研究は、一点集中ではなく、興味分散型であった。今様の制度であれば「焦点が明確でないので、もう一度計画を練り直してこい」と厳しいであろうが、おおらかな時代で、先輩たちから激励を受け、文部省、科学技術庁(当時の新技術開発事業団)、産業界からも、温かい財政支援を得た。様々に手を広げ、決してノーベル化学賞の対象となった「不斉水素化反応の研究」がすべてではない。

ところが近年、行政は何の目的か、おそらく「自己責任説明」担保のためと推察するが、獲得研究費(しばしば使途目的同定が不適切)や論文引用数値の経年変化をもとに、特定個人の研究活動の消長を測り、研究費配分施策の合理性を論じる。社会が受容しやすいとして「客観的データ」を偏重し、あえて研究の経緯を唯一把握する研究者自身との直接対話を避けようとしているようにさえ見える。まだ評価手法の研究中というのであろうが、この無神経な行為と経緯実態の乖離が、しばしば研究者の誇りを損なう。研究の意義は時代背景や人間社会とは隔絶した公的研究費投入や論文成果だけでは理解できない。創造への動機、伏線、流れを多次元的に理解しないために実態把握を歪め、むしろ研究現場、若者たちへ誤ったメッセージを発することになる。

創造者たちへの寛容

行政はなぜか自らがつくった研究体制の有効性を顧みることなく、様々な関係職種の中から研究者だけ、また論文成果に限って評価対象とするのだろうか。是非彼らの立場に立ち、誠意をもってその意図をくみ取るべきである。特に若い人の置かれた状況には特段の配慮が必要である。創造の担い手の多くはか弱い人間であり、寛容と忍耐をもって育てなければならない。

人の営みに評価は容易でない。科学技術の持続的発展を望むならば、個々の研究者ではなく、創造を育む教育研究環境の整備こそが評価対象であろう。極めて個性的な「独創」もあるが、多くの研究成果は多様な同僚との「共創」の結果である。また見識ある先人の訓えに導かれることも少なくない。私自身長い研究人生の中で、多くの碩学に出会ったことは幸せである。知の府を先導する大学教授は優れた研究者、合わせて立派な教育者である「学者」であって欲しい。自分のことは棚に上げた上で、近年は素晴らしい研究をする人はいても、若者が仰ぎ見る畏敬の対象がまれになったことが、寂しい限りである。世界的傾向であり、その根源を深く考えてみる必要がある。