2017年10月31日火曜日

記事紹介|健全な地方大学の振興

6月号で「順番が逆では?」と題して、東京23区内での大学新設を規制する政府方針の問題点を書いた。大学関係者からも批判の声が相次ぐ。だが政府は、規制に向けた手続きを着々と進めている。

政府は6月9日、「まち・ひと・しごと創成基本方針」を閣議決定、地方創成に資する大学改革として23区内の定員抑制を盛り込んだ。これを受けて文科省は8月14日、23区内の私立大・短大の定員増を今後認めないとする大学設置に関する告示の改正案を公表した。年内に具体的な制度成案をまとめる事を前提に、暫定措置として2018年度の収容定員増及び19年度の大学設置・学部等設置・収容定員増に関する方針を定めたのだ。それによると、原則として東京23区の収容定員増は認めないが、①機関決定済み②23区内の専門学校がその定員を活用して専門職大学を設置③医学部の地域枠による臨時定員増一は例外とする。パブリックコメントを募集後9月中に公布する段取りだ。

23区規制を巡る議論は、東京都とそれ以外の地域のバトルに発展している。全国知事会は8月末の総会で、23区内の大学定員増を抑制する立法措置を政府に求める決議を採択したが、当初は「認めない」としていた決議案を、東京都の小池百合子知事らの反対で「抑制」に修正した。8月末には23区の特別区長会が改正案に反対する要望書を提出、小池百合子知事も9月初め、梶山弘志地方創生相に政府方針の見直しを求める要望を出した。ただ、今までの経緯を見る限り、規制の流れは変わりそうにない。

小池知事は過去の記者会見で23区規制に対し、「秋田の国際教養大学は大変な人気だが、それはカリキュラムの充実や学長が命がけで日本の教育を引っ張っていこうという迫力が相まって素晴らしい学校ができたと認識している。教育とはどうあるべきかという根本から問い直すべきであり、ロケーションではなく教育内容で競い合うことの方が健全ではないか」と述べているが、まさに正論だ。前回も書いたが、いくら23区の大学を規制しても、それで地方大学の教育が充実するわけではない。

「基本方針」には、23区内の定員抑制以外にも、「地方の特色ある創成のための地方大学の振興」という一節がある。「首長の強力なリーダーシップの下、地域の産業ビジョンや地域における大学の役割・位置付けを明確化し、組織レベルでの持続可能な産官学連携体制の構築を推進する」という。地方創成の実現に大学の果たすべき役割は大きいのに、特色作りは不十分で、地域の産業構造の変化に対応できていないという問題意識はその通りで、地方の不満は当然かもしれない。だが、だからといって、首長の強力なリーダーシップの下で改革を進めるというのは短絡的過ぎではないか。

大学は今、「学長の強力なリーダーシップの下」で改革に追われている。そこにさらに「首長の強力なリーダーシップ」が加わったら、現場はどうなってしまうのだろう。それとも、首長はロも出す代わりにお金も出して、先細る一方の国の補助金を肩代わりするとでもいうのだろうか。

地方創成の実現に大学を活用する発想は間違ってはいない。でも、出てくる方針は素直に首肯できないものばかりだ。

地方創成と大学|IDE 2017年10月号 から

2017年10月30日月曜日

記事紹介|海外留学の現状と企業ニーズとのミスマッチ

総務省が「グローバル人材育成の推進に関する政策評価」という行政監察の勧告書を公表した。その中の日本人大学生の海外留学促進に関する記述が興味深い。

勧告によると、2014年に海外の大学に在籍する日本人留学生は5万3,197人(文部科学省がOECDやユネスコ、米国国際教育研究所などの統計を基に集計)で2012年の約6万人から減少した。一方、日本学生支援機構の調査では、日本の大学に在籍する日本人海外留学生数は、12年度の6万5,373人から15年度は8万4,456人に増えた。60.7%が1ヶ月未満、81.6%が6ヶ月未満で、圧倒的に短期留学生が多い。

また、海外進出企業に理想的な留学期間を聞いたところ、「1年以上」が47.1%、「6ヶ月以上1年未満」が35.4%で、語学力を養い、海外の文化を理解し、多様な価値観を受容する能力を養うには、一定以上の留学期間が必要との意見が示された。

そこで勧告は、海外留学の現状と企業ニーズとの間にミスマッチが存在すると指摘、短期留学、特に1ヶ月未満のような極めて短期の留学が、グローバル人材育成にどのような効果を持つのか、十分検証する必要があると結論づけた。

近年の留学は海外大学に在籍する"本格派"が漸減し、代わって短期の"プチ留学"が増えている。前者は日本の学術水準の維持向上に極めて深刻な問題で、世界で武者修行する若者を増やす施策が急務だ。

問題は後者の評価だ。日本人学生が留学に目を向けない背景には、内向き志向と揶揄される若者気質もあるが、それ以上に、安くはない留学費用、春入学・春卒業で就職活動期間が長く4月に一斉入社する日本の学事暦・採用慣行という2大障壁がある。だからこそ、多くの大学が学事暦の見直しや留学プログラム、奨学金の充実などで、まずは外の空気を吸わせる短期留学制度を積極的に取り入れているのだ。実際、「夏休みに海外大学に行くだけで学生が変わる」「短期留学から本格的な留学をめざす学生も少なくない」などの声をよく聞く。ともかく海外に出て異文化に触れ、異国の学生と机を並べる。それだけでも学生の何かが変わる。進学率が50%を超え、社会の大学観は大きく変わりつつある。伝統的な"留学生観”も変わって当然だと思う。

一方で、大学は「短期聞の留学では単なる物見遊山に終わり、何の成果も得られない」という批判に真摯に応える必要がある。限られた時間で如何に濃密なプログラムを提供し、学ばせるか。腕の見せ所だ。

それにしても、企業意識調査には驚く。少しでも優秀な人材が欲しい気持ちは分からぬでもないが、「語学力を養い、海外の文化を理解し、多様な価値観を受容する能力」を持つ人が世の中に(御社の中に)どれだけいるのだろう。大学を甘やかしてはいけないが、過度の期待を抱くのも如何なものか。我が身を振り返れば、大学卒業時は本当に未熟だった。それを職場や仕事先の人々が助けてくれ育ててくれて、相変わらず未熟ながらも今まで生きて来られた。そんな大らかさ、暖かさが最近の大学論議の中で希薄なことが気になる。

短期留学|IDE 2017年10月号 から

2017年10月29日日曜日

記事紹介|助教という仕事の苦悩

2007年に「助教」という職種が新たに制定された。これは、従来の助手が教授の下請け仕事になりがちなことに対して、教授から独立した大学教員の職種として位置づけられた。任期付ではあるが、その後、その機関での採用の可能性をもつテニュア・トラック制度も制定された。大学における教員ポストが減少するなか、若手教員のキャリア形成にプラスの効果をねらった策である。

昨年、勤務する職場でようやく1名の助教のポストを獲得した。全学管理がなされている教員数のなかでは、助教1名の獲得は大いなる功績である。それはともかく、助教は、筆者の勤務機関では任期2年、1年ごとの再任も可であるが5年を超えることができないという規程がある。このポストに1名について公募したところ40名強の応募があった。履歴書や業績リストなどを読み進めて面接対象者を絞り込む作業をするなかで、いろいろなことに気付かされた。

その1つは、助教を渡り歩く者の多いことである。応募者の多くが、専任講師や准教授に進めず、再度助教のポストに応募しているのである。それは、助教として公募する職の多くが、職務内容を限定していることによるところが大きい。たとえば、FD、IR、学生支援など、大学において新たに必要とされるようになった職務には、助教を当てることが多い。これらは、大学としては必要な職務であるが、助教自身にとっては必ずしもその後のキャリアにつながるとは限らない。というのも、以前の職場での仕事や研究業績と、応募した職場が求める職務や研究とに連続性がないことが多く、適性やポテンシャリティの判断が容易ではないからである。職務の限定性が壁になって、以前の業績がプラスに働かない。こうした循環が、助教職を転々とする若手研究者を産みだしているようだ。

加えて言えば、職務が特定されたポストの場合、職務として研究を行っても、そこで得た知見を自身の研究成果として公表できるか否かという壁もある。研究上では意味がある結果であっても、大学のプレゼンスを考えると公表が許されないケースもあり、特に職員からの転ばぬ杖的な規制は大きい。

では、限定的な職務にあたる助教をテニュア・トラック制度の導入によって救うことができるかと言えば、そうでもない。そもそも職務そのものが、教員と職員の中間に位置づく専門職的な仕事であり、ディシプリンに依拠して教育研究に従事しているこれまでの大学教員とは異なるからである。

助教という仕事の苦悩は大きい。これはひいては、若手研究者を養成できていない日本の学術界の問題に結びつくのだが、どこに解決の糸ロがあるのだろう。

助教の苦悩と日本の学術界|IDE 2017年10月号 から

2017年10月28日土曜日

記事紹介|夢のような日々を生きている自分に気づく

僕は小児がん病棟の子どもたちのカウンセリングもやっています。

「ボク、今日一日生きていられるかな? いつ死ぬのかな? 頑張るからもう少し生きたい」

そういう子たちばかりです。

「恋人にふられたから死にたい」とご相談に来られる方がいます。

でもあの子たちは、そんな苦しい恋をすることもできません。

「上司にこんなひどいことを言われました」とおっしゃる方もいる。

でもあの子たちはそんな上司とやり合ってでも生きたいはずです。

皆さんはあの子たちにとっての夢のような日々を生きているのです。


自分の行動範囲、交友範囲が限定的だと、すでに自分が夢のような生活を送っていることを忘れてしまいがち。

時間を遡れば、かつてのお殿様よりも良い生活をしている現代の私たち。

幸せは人と比べて認識するべきものではないですが、比較することで何を「当たり前のこと」だと勘違いしているのかに気付けるのであれば、自分より過酷な環境下で努力されている人の話を聞いたり、本を読んだりすることはとても大事になる。

明日も目を覚ますことが出来るかなと心配することがない日々を過ごしているのであれば、それは十分幸せなことなのですね。

夢のような日々|今日の言葉 から

2017年10月27日金曜日

記事紹介|心は「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません

京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します。

1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦

私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。

現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などについては2001年7月時点のもの)。

これが、27歳で会社をはじめて42年間(当時)、「人間として何が正しいのか」ということだけを座標軸にして人生を歩いてきた結果です。

よく、国内外の評論家の方々や経済学者の方々から「どうして京セラはここまで発展したのですか」と聞かれます。また、「稲盛さんは優秀な技術屋で、しかもちょうどセラミックスというものが流行するような時代にたまたま遭遇されたから、大成功を収められたのですね」とも言われますが、そのとき私は「そうではありません。時流に乗ったわけでもなければ、私の技術が優秀だったからでもないのです。一番大事なのは、私が持っていた考え方、哲学が正しかったからだと思います。そして、それを私だけではなく、従業員が共有してきたからです」と言っています。

立派な哲学さえ持っていれば、誰がやっても成功する、そのように私は考えています。

通信事業が自由化される以前、日本の通話料金は非常に高く、庶民はたいへん困っていました。私は、かなり昔からアメリカで仕事をしていましたので、アメリカの通話料金は日本と違って非常に安いということを知っていました。

カリフォルニアからニューヨークへ電話をかけて長話をしても、電話代が非常に安い。一方、日本では出張中などに、東京から京都の本社に公衆電話を使って電話をしようというとき、100円、200円を10円玉に替えて、次から次へととにかく大量に入れる、というくらい通話料が高かったのです。

私はそれをずっと不満に思っていました。電気通信事業が一社の独占で行われており、国民が苦労しているのを見て、これはけしからんということで、第二電電をつくることにしたのです。

自分自身でも無謀だと思いましたし、周囲からも「稲盛さんはセラミックスの分野では優秀な技術屋かもしれないが、電気通信の技術については何も知らないじゃないか。できるわけがない」と言われたものです。

京セラの成功はフィロソフィがあったから

私は、密かにうちの幹部を集めて、こう言いました。

「京セラが成功したのは、私の技術が優秀だったからだとか、時流に乗ったからだとか言われるけれどもそうではない。フィロソフィ(哲学)があったからなのだ。そうは言っても誰も信用してくれないだろうから、それを今度、私自身、第二電電という通信会社をつくって証明してみようと思う。通信について、私は技術も何も知らない。あるのは哲学だけだ。哲学一つで本当にこの事業が成功するのか、もし成功したなら、経営に哲学がどれほど大事かということが証明できるはずだ」と。同時に「そうはいっても無謀な挑戦には違いないので、失敗するかもしれない。そのときは1000億円まで金を使わせてほしい」とも言いました。

会社の利益を貯めた預金がかなりありましたので、そのうちの1000億円を使わせてくれ、そこまでやって成功しなかったら撤退する、と言い切ったわけです。ところが、ご存じの通り、第二電電は見事に成功しました。

「京セラの成功は、セラミックスが時流に乗ったから」だと周りは言っていたわけですが、私はそうではなくて、セラミックスというブームをつくったのは自分なのだという自負があります。

この10年くらいの間に、世界の材料工学の学会などで、「稲盛という男が、日本で京セラという会社を始めて努力をした結果、世界的なセラミックスブームが起こったのだ。彼がいなかったら、ブームはなかっただろう」という評価をいただくようになりました。そういう私の功績とは、正しい「考え方」というものがあったからこそ成し得たものなのです。

しかし、その考え方というのは、難しいものでも何でもなくて、ただ「人間として何が正しいのか、何が正しくないのか」という、単純でプリミティブ(素朴)なものにすぎません。

それらは、簡単に言うと、正義、公平、公正、誠実、勇気、博愛、勤勉、謙虚といった言葉で表されるようなことです。つまり正義にもとることなかりしか、誠実さにもとることなかりしか、勇気にもとることなかりしか、謙虚さを失ってはいないか、あらゆるものに対する博愛の心をもっているかということであり、そのようなことを実践するだけでいいのです。そういうものを大事にして、人間として恥ずかしくないような生き方をする、それだけで私はいいと思います。

そういうものを心の座標軸にすえて、どんな障害、どんな困難があろうともそれを貫いていけば、必ず成功するはずです。

筋を通す、つまり原理原則を貫くことに徹する

私など、それらを貫こうとするあまり、新聞、雑誌等で発言したことが、ときの政府や役所に対する痛烈な批判になったりして、政府から、または役所から苦情がきたり、妨害がくるほどです。それでも、私はひるまない。

相手によって生き方を変えるという人も世の中にはたくさんいるでしょう。

「意地を通せば窮屈だ」と、夏目漱石も言っていますが、本音を言ってそれを押し通すというのでは、世の中を生きるには窮屈だし、いじめられる。だから、人は建て前でやり過ごそうとするものです。しかし私は、どんないじめにあおうとも、どんな迫害にあおうとも、今言ったようなことを貫くことを恐れません。

社内でも、もしこれにもとるような人がいたら、厳しく叱責します。

そして、その重要性が根本的にわかっていないような人は、どんな偉い人であろうとも辞めてもらいます。そうすると、はじめはダメージを受けるでしょう。しかし、放っておけば、将来もっと大きなダメージを受けることになるのです。そうやって、私は筋を通す、つまり原理原則を貫くということに徹してきました。

しかし、人間にとって正しいことと、自分にとって正しいことを取り違えてはいけません。自分にとって正しいことは、自分には都合がいいかもしれませんが、他人にとっては都合が悪いかもしれない。自分にとって正しいことというのは、利己的な考え方です。

私の言う考え方の中心に置かなければならないこととは、利己の対極にある利他です。さらに言葉を換えて言いますと、人のため世のためになるということ。それを心の座標軸の中心におかなければなりません。

同時に、やはり事業ですから、誰にも負けない努力が必要です。それは、限度のない努力です。それこそが偉大なことを成し得るための源です。

頑張ると言っても、私一人が頑張っても会社は立派になりませんから、従業員の支援が必要です。300万円の資本金で宮木電機さんの倉庫をお借りしてちっぽけな会社を京都につくったわけですけれど、たった30人弱の従業員と一緒に汗水流して、「頑張ろう、頑張ろう」と言って、本当に朝から晩まで頑張ったわけです。私は、あらゆる機会を見つけては、みんなに「会社を今に日本一に、世界一にしよう」と言ってきました。

できるわけないのです、もともと1万5000円しか持っていなかった男が、人様に300万円出してもらって始めた会社なのですから。

それが「世界一」なんてことを言ってもナンセンスなのですが、私はまじめにそう言っていたのです。ただでさえ「会社がつぶれるかもしれない」という恐怖心に付きまとわれていましたから、自分で自分を励ますためにも、「世界一にしよう」と言わざるを得なかった。

「どんなに偉大なことも、一つ一つの努力、アリの歩みのような一歩一歩の地味な努力の積み重ねでしか成し得ない。一朝一夕にできるものではないのだから、一人一人が地味な努力をする以外に方法はないのです。みなさんは、そんなに頭も良くない人間が、30人程度で努力したところで、そんなことできるわけがないと思うでしょう。そうじゃない。30人でも、限度のない努力、際限のない努力、それを延々と積めば、世界一の大企業というものだってつくれるのです。それが真理であり、ほかに方法はありません」。このようなことを、私は従業員に毎日必死に訴えてきました。

最後に残るのは世のため人のために尽くしたもの

私は、しばらく前に、臨済宗妙心寺派のお寺で頭を剃って得度をし、お坊さんの修行の真似事をさせていただいたのですが、そのときにしみじみ思ったのは、人生とは波瀾万丈、諸行無常であり、何一つ永遠に安定したものはない、一寸先は闇、何が起こるかわからないのだ、ということでした。

そのような諸行無常、波瀾万丈を生きる中で、たとえ経営者として成功したとしても、死んでいくときは地位も名誉も関係ありません。

稲盛和夫は、京セラをつくって、巨万の富を得たようだ。しかし、そういうことは、死の間際になってみれば何の価値もないのかもしれません。

その代わり、その人が生きた間に、世のため人のためにどのくらい尽くしたのかということは残るはずです。

世のため人のために尽くすということは、美しい心を持つということ。美しい心をもっているから、自分のことはさておき、人のために尽くすことができるのです。そう考えれば、人生というのは、美しい心をつくるためにあるのではないか、そのように私は思います。

つまり、人生で何が一番の勲章かというと、一生をかけてつくり上げた美しい心なのです。

では、心が美しくなる最大の方法とは何か。それは、私は「一生懸命働く」ことだと思います。学生であれば、「一生懸命勉強する」ことになります。

心は、「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません。

だから人生ではいろんな苦労をさせられる。人生波瀾万丈、災難にあったり、病気になったり、悪いことも起こります。

しかし、それらはすべて、心を磨くために自然が我々に与えた試練なのです。同時にラッキーも、そのまま幸運に溺れて人間性が堕落していかないかを見るために、自然が与えた試練と考えることができるでしょう。

それを、苦労に対して不平、不満をあげつらい、世を妬み、世を恨み、なんで自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と拗ねていたのでは、心を磨けるわけもなく、かえって心が汚れていく。

今のこの試練は、それに耐えて一層頑張るようにという自然の教えなのだと受けとめ、苦しくても明るく生きていくのです。そうすることによって、すばらしい人間性というものが培われ、人生の勝利者となることができる。そのために、苦労をするということは大変大事なのです。

KDDIが成功した「たったひとつ」の理由-稲盛和夫の熱中教室|PRESIDENT Online から

2017年10月10日火曜日

記事紹介|意識を改めれば行動を変えられる

時間に遅れだす。

約束を自分の方から破りだす。

挨拶が雑になりだす。

他人の批判や会社の批判をしだす。

すぐに怒り出す(寛容さがなくなる)。

他人の話を上調子で聞き出す。

仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。

ものごとの対応が緩慢になる。

理論派になりだす(屁理屈を言う)。

打算的になる(損得勘定がしみつく)。

自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。

目下の人に対して、ぞんざいになる。

言い訳が多くなる。

「ありがとうございます」という言葉が、少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)。